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モダン都市文化
代官山同じ様なアパートが渋谷にあるのを知って出かけたのは1991年でした。槇文彦さんのヒルサイドテラスでMacintosh Aided DesignersつまりMADというCADの寄り合いがあったので、近所をお散歩してみたのだと思います。
ヒルサイドドテラスは先に入居者を10年かけて探し、それから設計にかかったそうです。町並みが風景になるにはそうしたやり方しかないのでしょう。
これは1998年当時の
デスクトップ。
駅前に同潤会の渋谷アパートがあり。コンクリートの階段の凹みが歳月を感じさせました。
コーナー出窓の家。
コーナー出窓というのはビクトリア時代に英国で流行りました。
これはart and craft運動の重鎮John Raskin翁の隠居屋Brantwood。
建て替えが決まったということで、最後の写真です。
住民憩いの場は銭湯です。まだ新築当時は「内風呂」というのはなかったのでしょう。しかし江戸情緒ですね。
代官山で圧倒的だったのはテラスハウスの入り口上部のこの意匠。いかにも1930年代です。
奥に進むと線路際に分譲済みのテラスハウスがありました。これは「出窓の家』
みなさんここの歴史をよくご存知で、愛着を持っておいでだったのでしょう。
この日は車で出かけた様です。いかにもバブルの最中です。私は来月高齢者教習という歳なので、今ではとてもそんな元気はありません。
そうして気づいたのは小田原駅東小田原厚木道路沿いの分譲団地、後日出かけてみました。
送電線の下を安く買って「通勤向き戸建て住宅」とやったのでしょうか。東京からでも通勤できます、みたいな。
ガレージは1戸1台、階段は高齢者向きではありません。近くに買い物ができる店もあるのかどうか。
そろそろ建て替え時期でしょうか。
1987年というのは米国で株価の大暴落があり、行き場を失った金が日本へ流れ込んで、バブルが始まったそうですが、米国ではグリーンスパンさんが、アメリカ経済を製造業から金融業へとシフトし、米国が「世界の工場」から「世界の賭場」になってしまいました。日本政府に「金融解放」を迫ったのもその頃です。その波がこんなところにもおかしな形で残っています。
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