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代官山
平沼アパート横浜駅はどちらかというと西口が表口で、1976年ごろには東口は高速道路用地みたいな感じでした。
上が横浜駅。
ケータイのない時代の駅には伝言板というものがありました。知らん人に読まれても大丈夫な書き方をしています。
崎陽軒は弁当屋です。
高速の工事現場を抜けていくと、空中回転レストランなどいうものがありました。食事時間が食事以外のことでのことで決められる、というのは性に合いません。
汚い運河があって、
など思いながら付近をお散歩していると、いきなりこれが出てきました。
圧倒的存在感。
さまざまなものが、ごちゃごちゃと重なり合っているのが、都市景観だと思っていたので、このアーチの連続は、暮らしやすいかどうかは別ですが、美しいことは確かでしょう。1930年代の国家社会主義にも通じるものがあるかもしれません。イタリアでムソリーニが作らせた新都心EURと同様、当時のヨーロッパの時勢にも通じるものがあるかも。
すでに住民は退去して、取り壊しを待つ様でした。
しかし階段の手すりの親柱にも装飾が。
大仕掛けなダストシュートからすると、当時の憧れの近代住宅だったかもしれません。これなら女中がいなくても、みたいな。
屋上にはモルタルの流しと。
物干場。奥様族の話し声が聞こえそうです。
めぼしい植木は引っ越しに際して持って行ったのでしょう。
お散歩を続けると米軍のカマボコ兵舎もありました。
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