・・・・マイキットと電子ブロックの研究・・・ 串間 努  科学少年には懐かしい学研のマイキットシリーズと電子ブロック。当時の 少年たちの心を魅了して止まなかった。子供の小遣いでは簡単に買えるもの ではなく、デパートのおもちゃ売り場に行くたびにあこがれ、眺めながら、 お年玉をためてようやく買ったものだった。そのころは今よりも模型工作や、 はんだごてを使ったラジオ作り、トランシーバーなどが盛んであった。  マイキットの配線は、トランジスタや抵抗、コンデンサーなど電気パーツ の並んだパネル上のスプリングを曲げ、リード線の先を挟むことで行われる。 バネ端子間を説明書の番号順に配線すれば、ラジオや通信機が出来上がる。 実験終了後は、リード線を外してまた違う回路を組む事ができる。半田ごて を使って線を接着するのではないため、部品の使い回しができるのが画期的。 商品タイプ別に種類から種類の実験がだれでも簡単にできる。電子ブロック は電気記号のついた透明なブロックを図面通りに記号を合わせて並べるだけ で電気回路が出来上がる。マイキットと違うのは、最初は回路位しかできな い安いものを買っても、後から別売の部品を追加する事で、グレードアップ ができることだ。最初に買ったものが無駄にならない。部品がブロックであ ることの利点である。  このマイキットと電子ブロックは今では販売していない。多くの人々の記 憶から消えつつある学童文具は記録しなくては。そこで懐かしい科学教材と して学研に問い合わせたり、業界誌を調べて見る事にした。  学研のマイキットの発売は昭和四十二年である。開発者は学研の松井氏。但 し、スプリング機構は科学技研で開発したという。コイルにリード線を挟む アイデアは別の会社ということなのか。そこで更に調査したところ、思わぬ ことが判明した。  電子玩具メーカーの科研が、昭和三十七年に発売したマルチ電子実験キッ トが元祖であった。元来、真空管のラジオキットなど教材を学校に販売する 会社であったが、ある時東急百貨店からホビー向けの電子キットを作ってみ たらと提案されたのがきっかけで、キットの開発に取り組むことになる。そ して田島社長が回路の実験キットを開発し、昭和三十七年に東急などで「マ イクロキット」と名付けて発売したという。そうかマイキットはてっきり「 MY KIT」かと思っていたがマイコンとおなじでマイクロのマイであっ たのだ。  この製品に、教材に注力していた学研が注目し、事業ごと買い取りたいと 田島社長に申し入れた。しかし「折角会社をもったばかりなので」と社長は 吸収を拒否し、製品を学研にOEM供給(相手先ブランドによる販売)する ことにした。学研は製品をマイキットの名で販売し、最盛時には年間5万個 に達するほどのヒットを呼ぶ。  多回路実験が出来る高級品が、今は懐かしい木の箱(油絵の具ケースのよ うな)から、黒のプラスチックケースに変わったのは昭和五十一年のこと。 学研もマイキットシステム7など幾多の新製品を開発。部品も太陽電池やコ ンピュータ回路など時代の流れも取り込んで行く。  しかし石油ショック以降、国内では売れ行きが鈍化。TVゲームなどの興 隆で子供達の関心もコンピュータへ向かって行く。学研もいつしか販売を中 止していく。  国内では不振だが、田島社長は昭和四十年から米ラジオシャックを通じて キットを「エレクトロニック・プロジェクト・ラボ」シリーズとして海外で 販売していた。海外向けの売り上げは順調。安価で多くの実験ができるキッ トは米国の学校理科教育の定番商品となっていた。最盛期には年間四十万個、 今でも三十万個を下回る事はないほどの売れ行きという。  また最近、国内では専門学校向けの需要があることがわかったため、平成 七年四月からは科研自社ブランドでの国内発売を再開する予定という。  電子ブロックは学研が最初から発売していたのではなく、名古屋の「電子 ブロック機器製造株式会社」の野尻氏が開発。(発売時期は不確定だか昭和 四十五年以前であることは確か)学研は販売だけしていたが、途中昭和五十 一年から引き継いだという。まず、SRシリーズが発売され、次いでSTシ リーズ。学研ではSTシリーズがメインとのこと。業界誌の広告をみると、 SRシリーズは「電子ボード」となっている。しかし商品パッケージには「 電子ブロックの姉妹品」とかいてあるので、電子ブロックはすでに存在して いたのだろうか。ここのところがまだ不明である。今後の調査を待たれたい。