☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆里山フォトエッセイ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
●ほしくさの咲く丘

知多半島の丘陵を歩き出したころ、どうしても見たい野の花がいくつかあった。ササユリの咲く森。ヒメミミカキクサの咲く湿地……。後に、見たかった花たちとの出会いのいくつかは果たされた。それぞれに最初に対面したときの瞬間は、今でも鮮やかに思い出すことができる。そんな対面の中でも、とびきり鮮烈で、今でも深い付き合いになっている花がある。
シラタマホシクサ――とはよく言ったものだ。まさに白くて丸っこい星のような花をつける草が、まるで銀河のように湿地を埋め尽くす。その様子は、写真で見るだけでも圧巻だった。ぼくは、その写真が載っている本を何度となく眺めては、どうしても実物を見たいと思っていた。
東海地方、特に周伊勢湾地域特産のホシクサ科多年草。弱酸性・貧栄養の湧水湿地に群生し、初秋、高さ40センチほどの花茎を伸ばし、先端に直径1センチほどの白く球状の花を刺したように咲かせる――。図鑑的に書けば、シラタマホシクサの解説はこんなものだ。しかし、この野の花の魅力はそんなところにはない。
願ってもない機会がやってきた。その年の初秋のある日、鈴木さんに誘われて武豊町にある湿地植物群落、壱町田湿地を見に行った時だった。武豊町の壱町田湿地で活動していらっしゃる鈴木さんには、これまで何回か知多半島の丘陵を案内して頂いている。ひととおり、秋の湿地の状態を観察してから(シラタマホシクサは壱町田に自生しているが、最近では数が少ない)、鈴木さんはこう提案する。「まだ、時間があるで、どこか行きたいとこはないか?」ぼくは、飛びつかんばかりに「シラタマホシクサの群生が見たい!」と言うと、鈴木さんは「今、ちょうどいいころだ。阿久比のI湿地にいこう」と了承してくれた。
湿地は、大きめのため池をぐるりと回ったところにある。池に覆い被さる木々からツクツクボウシが割れんばかりに鳴いている。鈴木さんの車は、その土手に止まった。車を降りると、人気のない田舎道が池の奥へと続いていた。その突き当たりに、湿地はあると言う。小さな田んぼを横目に鈴木さんにくっついて行くと、背の高い笹が行く手をはばんでいる場所にたどり着いた。「さあ、藪こぎだ!」
異次元へのちょっとしたワープの方法だったのかもしれない。じゃわり、じゃわり、というなんとも言えない笹がこすれ合う音が止むと、目の前に広い原っぱが横たわっていた。……よく見ると、何百、いや何千という数の白いつぶつぶがピコピコと風にゆれている。しばし、呆然としていたがすぐにそれがシラタマホシクサだということに気づく。「これが、ほしくさの咲く丘の、本当の姿なんだ。」鈴木さんはおっしゃる。乾燥化が起こっているらしく、いつもの年にはもっといっぱいの「星」で湿地が埋まるらしい。しかし、今あるだけでも十分すぎる風景だった。時刻は夕方に差しかかっている。ググっと迫ってきた丘の木々の陰の中で浮かび上がる、名前そのままの風景。目に焼きつかないわけにはいかない。
知多半島に、こんな花が、こんな風景があったんだ……。昭和も最後近くに生まれたぼくにとって、ほしくさの咲く丘の風景はそんなふうに映った。幻想的、という安直な言葉をつかいたくはないが、少なくとも非日常の風景であることは確かだった。
しかし、どうなのだろう。かつて、ほしくさの咲く丘が、もっともっといっぱいあった時代の人たちの目には、それはどんなふうに映ったのだろう。次に、ほしくさについて知りたいと思ったのはこんなことだった。
現在、ぼくが確認しているシラタマホシクサの知多半島における自生地は、5箇所足らずである。この数を多いととるか、少ないととるかは、それぞれの自由だ。絶滅が心配されている野生生物のリスト「レッドデータブック」に不名誉にも名を連ねている植物が、狭い半島に5ヶ所もある。こうとれば、ある意味多い数といえるのかもしれない。しかし、それはあくまでも現在という時間のなかでしか通用しない。過去というものさしで比較すれば、なんという少ない数なのだろう。この半島で、少なくとも3,40年前には、3倍以上の自生地があった。実際には、記録にも載らないような小さな湿地が各地に点在していたはずで、シラタマホシクサはむしろ一般的な野の花だったのかもしれない。
それを裏付けるような話を聞いた。半島の北部からきたあるおばさんは、子供のころ、ホシクサの咲く湿地を遊び場にしていたという。「こんな花がね、いっぱい咲いている中を走り回ったものだけれどねえ。」と、懐かしそうに話す。壱町田湿地の公開日にきたおじいさんは、湿地の花々を見て、不思議がる。「びっくりしたよ。子供のころ、山で遊んだときにしょっちゅう見た花が、こんな囲まれた場所で、貴重だ重要だと説明されておるのだからね。」またあるおばあさんは、今となってはとんでもないようなことをしている。雑木林の中にぽっかりとあいた、木の生えない青空がのぞいている空間。言わずもがな、ほしくさの咲く湿地である。若かったおばあさんは、「なんで木が生えとらんのだろう」と不思議がりながら、ずんずんと湿地植物を踏みしめながら湿地を横断していた!
そんな話を聞いていくうち、ぼくには理解しがたい感覚が、おばあさんたちの心の中に存在することがわかってきた。おばあさんたちにとって、いつも吸っている空気、踏みしめている大地とおなじように、ほしくさの咲く丘はあって当たり前の風景なのである。だから、再会したとき、しばらく会っていない旧友に出くわしたようなこそばゆい懐かしさが、心の表面に現れてくるのだ。
半田市の雁宿公園よりさらに奥、図書館や空の科学館から知多半島道路に至る辺りを思い浮かべてほしい。今は、大型の商店や、整備された田んぼが整然と立ち並んでいる。資料によれば、三十数年前、この辺りは、深い丘陵の懐にあった。そして、雑木林を縫うようにして谷戸が遠慮がちに食い込んでいた。雑木林の所々には湿地がある。他の湿地植物の記録があるから、シラタマホシクサも生えていたに違いない。毎年、秋になると、湿地の一つ一つに、ほしくさの銀河が誕生する。付近を通る人や、農事を行う人たちは、特に気にはせずとも、その風景を見て一服の清涼剤にしていたのかもしれない――。人々の心のなかにも、ほしくさの咲く丘があった。家族や友人の顔と同じように、心の中にほしくさの咲く風景がいつもあった。これこそ、本来あるべき里山の姿ではないのか。ぼくはそう確信する。
ところが、ほしくさの咲く丘は、いつかしら拭い去るようにして知多半島の丘陵から姿を消していった。そして、ほしくさの咲く丘が、日常とは違う世界だと思う世代が、主流になった。
もう、心の中にあるほしくさの咲く丘は戻ってこないのだろうか。
ぜひ、ほしくさの咲く丘を知ってほしい。ほしくさの魅力は、人々の心の中で生きていてこそ、生まれてくるのだから。
(半高新聞1998年12月号初出を大幅に改変)
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