知多半島の里山テキスト3-1
【知多半島における湧水湿地の現状報告】
*本稿を掲載するにあたって、貴重な植物の自生地を盗掘その他の危機から守るため、
一部地名を記号化した個所があります。あらかじめご了承下さい。
1.知多半島中南部における湿地の位置付け
知多半島は中世から窯業の中心地として栄え、その当時から原生の自然は次々と破壊され、人工的自然に取って代わられてきた。本来なら暖帯に属し、ヤブツバキ・カシ・タブといった照葉樹林に覆われるはずであるが、燃料用の採取などによってそれらはほとんど姿を消し、現在はクロマツ・アカマツ・コナラを主体とする二次林が広く丘陵を覆っている。それらの二次的自然は住民の農業活動と一体化し、無数の解析谷は水田として開墾され、谷頭部は灌漑用のため池が豊富な湧水を背景に造成され、二次林は農用林として管理され、新しい生態系を形成してきた。この生態系は「里山」と呼ばれ、知多半島を特徴付ける豊かな自然環境を構成した。
しかしながら、戦後の高度経済成長期を経て、それらの自然は利用されなくなり、愛知用水の開通による大規模圃場の造成や、ベッドタウン化による団地造成によって急速に減少し、その傾向は現在も続いている。
昭和30年代までは丘陵の7割近くは二次林に覆われ、それらに刻み込まれた無数の谷戸は環境と生物の多様性を保ってきたが、現在は2割を切ろうとしている。こうした状況の中、知多半島の丘陵部の植物は極端に生育域を狭められ、連続性を失って孤立した環境の中で、これまでありふれていたものが行き場を失って、絶滅寸前あるいは絶滅に追い込まれる例が後を絶たない。自生環境の減少とともに、そうした現象も現在も止むことなく、過去20年あまりで絶滅した植物は20をゆうに越える1)。
その多くは、湧水湿地に自生する植物である。貧栄養・弱酸性の湧水で涵養された、東海地方独特の小規模な湿地は、かつて数え切れないほど丘陵に点在していたと思われるが、上記のごとく開発に伴ってここ数十年で目に見えて減少した。
こうした湿地の知多半島における意義は複数ある。
第一に、湧水湿地にはその特異な環境を反映して、分布上特徴のある植物や、食虫植物などが生育しており、これがこの周辺の自然環境を特徴付ける一因となっている。日本あるいは世界の自然環境の多様性の保持を考えるとき、こうしたごくローカルな環境がそれぞれ独自性を持つことは非常に重要なことであり、結果として生物多様性の保全にも直結する。
第二に、湧水湿地に自生する植物群は近年全国的に急速な減少を示しており、レッドデータブックにも相当数の種が挙げられている。知多半島にはまだ複数個の湿地を有しており、そのいくつかは絶滅してしまったものの現存する植物群があることは、全国的に見ても有意義なことである。
第三に、前述のとおり急速な減少を遂げる知多半島の里山環境のなかで存在する湿地は、その環境のよいバロメーターになっていることである。湿地の存在することのできなくなった里山環境は、もはやその機能を完全に失ってしまっており、こうした場所をいかに作らないか調査する上で、湿地の存在は非常に意味を持ってくる。
第四に、湿地という環境と湿地植物はその周辺に居住する人々にとってなくてはならない環境の財産であり、心の財産である。湿地植物はまた、人間の産業活動とうまく共存してきた自然の証でもある。人々の心の中で無意識的に蓄積されてきた湿地とそれを有する里山環境への愛着は、半島の人々にとって、人間としての豊かな心を保持した生活を根底から支えてきたと確信する。
知多半島で現存している湿地は、もう両方の指で数え切れるほどしかなく、その中で本来の豊かな環境を保持しているものを挙げれば悲しくなるほど少ない。前述のとおりますます悪化する知多半島の里山環境において,上記の意義を確認する上でも文献上や実際に現存する湿地をまとめておく必要があると判断した。
以下に記述した湿地は、僕が過去5年間に渡ってよく訪れた場所であり、また、多くの知多地方の自然研究家・愛好家の人たちにも観察されてきた場所である。もっとも、その全容は5年間で把握できるものではなく,まだ調査途上である。特に、文献上の湿地ははだ探せば他の記述が出てくるだろうし、湿地の具体的・科学的な調査は僕自身はまだ行っていない。しかし、これまでの途中経過としてでも現存・過去の湿地を公表することは少しでも何かに役に立つのではと思い、公表することにした。
2.知多半島中南部における湿地の分布と問題点
知多半島中南部(阿久比町・常滑市・半田市・武豊町・美浜町・南知多町)に過去から現在にかけて存在した湿地の分布をまとめてみた。この知多半島中南部は私が5年前から知多半島の自然の調査をはじめたときからのフィールドで、まだ調査途上なのですべて網羅しているとは言いがたいが、おおよその状態は伝えることができると思う。
a. 調査期間と対象
調査対象は、知多半島中南部に存在する(した)湧水で涵養された丘陵内部に存在する小規模な東海地方固有型のものとし、河川敷やため池周辺部などの湿性植生を含まない。その生成の要因は、自然的要因、人工的要因を問わない。調査期間は、1994年の冬から、現在1999年8月までで、その間に発見したり自然研究家の方から教わったりしたものに加え、調査可能な文献に掲載されている湿地も含めた。文献上の湿地は、記述された当時は現存していたものの、1999年8月現在存在が認められなくなったものも含む。
b. 調査方法
科学的で定期的な調査は行っていないが、主要な湿地植物の開花期などに訪れ、周囲の状況を観察した。
c. 調査結果
調査対象の湿地の現状と問題点を以下に示す。文中、「現在」とは、「1999年8月現在」を意味するものとする。
@ 阿久比町
1) 板山字H(板山湿地) [現存] あ1
上長根池の南に横たわる、知多半島最大の湿地である。幅は40m、長さは160mある2)。成員は、昭和30年代に果樹園用に開墾した土地に地下水が湧き出したことによる3)。湿地内に大きな水溜りがある。湿地が新聞等でも取り上げられたことにより、この場所が有名になり、多くの人が侵入するようになって、踏み付けで植生が痛めつけられている。乾燥した部分に帰化植物の侵入も目立つ。周囲にいくつか存在した衛星的な小湿地は、乾燥化が進行してほぼ消滅した。
2) 板山T(東高根池湿地) [消滅] あ2
H池の北側に、少なくとも平成3年当時は存在していた2)。現在は、周辺の農地整備工事によって湧水が減少したらしく、荒廃した荒地になっている。
3) 草木K(K池湿地) [破壊] あ3
K池南の愛知用水幹線沿いに見られるがけと、用水路の防護フェンス内に湿地が見られた。カキランの、半島内における有数の自生地だった3)が、1998年冬、愛知用水の改修工事に伴う斜面のコンクリート化工事で自生地は破壊された。「阿久比町誌資料編」によると、ソクシンランの自生も見られたというが、工事以前でも確認はできなかった。おそらく年々湧水の量が減っていたのだろう。
A 半田市
1) 有脇地区 [現存せず・不明] は1
地区北西部、阿久比町に接するあたりに少なくとも昭和43年までは湿地植物が見られた4)。湿地の有無には資料には触れられていないが、湿地が存在したとみなして差し支えないだろう(は2〜は4も同様)。湿地の様子、数などは不明。現在は宅地および水田になっていて湿地は認められない。
2) 岩滑地区 [現存せず・不明] は2
地区西部の半田池の東側に、少なくとも昭和43年までは湿地植物が見られた4)。湿地の数、様子は不明。現在多少の森林は残るが、資材置き場や農地となっていて湿地は認められない。
3) 成岩地区 [現存せず・不明] は3
地区中央部、現在の二ツ坂町を中心とする地域に、少なくとも昭和43年ころまで湿地植物が見られた4)。湿地の数、様子は不明。現在は宅地や水田に造成されていて湿地は認められない。
4) 板山地区 [現存せず・不明] は4
現在の主要地方道半田常滑線付近の水田のあぜに、少なくとも昭和2年頃まではナガバノイシモチソウが見られた4)。そこが湿地状の土地であったか否かは不明。だが、近接地点で、少なくとも昭和43年までは、ハナノキ・ミミカキクサが見られた4)ことから、湿地は存在していたと判断して差し支えないだろう。現在は宅地や水田に造成されていて、湿地は見ることはできない。
5) G町(G町湿地) [現存] は5
丘陵の崖下に、湿地が存在する。現存する、半田市唯一の湿地であると思われる。がけと反対方向はわずかな隣地をへだてて未舗装道路と水田に隣接している。湿地の湧水は非常に豊富であり、中央部に浅い水溜りを形成している。モウセンゴケ群落やシラタマホシクサ群落は密度があり、湧水の豊富さのせいか生育もよかった。ところが、1998年8月、道路と湿地を隔てていたクロマツの木立が伐採され、道路側に畑が造成された。さらに、翌年3月、湿地の内部に排水用と思われる水路が設けられ、それによって湿地面積が以前の2/3になってしまった。縮小された部分の湿地は牛糞が投与された畑になっており、残された湿地内部にもアルミホイルや肥料の袋が散乱して湿地乾燥化、富栄養化が危惧される。 付近の丘陵の上頂部や斜面には乾燥化し消滅したらしい湿地の跡地が散見される。そこでは、湧水湿地特有の植物だが、乾燥に強いイワショウブが残存していて湿地跡だと確認できる。半田市にはシデコブシの自生も記録1)されており、もしそうであるなら、この付近に自生していたものだと考えられる。
B武豊町
1)字壱町田(壱町田湿地:県天然記念物) [現存] た1
地域内山林に湿地が大小2ヶ所存在する。1982年、この地域の山林を含めた町北部の農業基盤整備事業に伴う開発で、この湿地も破壊の危機にあったが、翌1983年、町や自然研究者の熱意によって山林ごと600uを町が買い上げ、現在に至っている5)。湿地内には、シロバナナガバノイシモチソウ及びサワギキョウが自生しており、知多半島唯一の自生地となっている。近年、周囲の宅地化に伴い湧水が枯渇気味になり、地域内を流れる沢水を引いて湿地内部を涵養している。
2)字H(H湿地) [破壊・消滅] た2
地区の北西部、T池とD池に挟まれた丘陵に湿地が三箇所存在した6)。うち北部にある2湿地は、昭和63年、土砂採掘地として開発が行われ、壊滅した5)。南側斜面に残された湿地も、地下水の枯渇に伴って乾燥化が進行し、消滅した。したがって、現在はこの地区に湿地は認められない。これらの湿地は、ミカワシオガマの知多半島最後の自生地であり、ヒメミミカキクサの自生も見られた6)。
3)富貴O [現存] た3
地区内の丘陵の谷戸の谷頭部に位置するため池、S池の西側に湿地が認められる。ため池の水と湧水によって涵養されており、他の湿地と比較してミズゴケが多い。ノハナショウブの知多半島唯一の自生地である。1996年、この湿地で絶滅が心配されているゴマクサらしき植物を見つけたが、はっきりと同定していないので定かではない。
4)富貴K [消滅] た4
地区内にある谷戸の、北からN番目の谷頭部林内に少なくとも昭和59年までは湿地が存在していた6)。現在は、湧水の枯渇によってか、湿地跡はケネザサが卓越した荒地になっている。
5)富貴K [現存] た5
地区内にある谷戸の北からN番目、B池に隣接するクロマツ・ヒサカキに覆われた丘陵の中腹に、近接して湿地が2ヶ所存在する。以前は良好な湿地であったが、近年は乾燥化が激しく、周囲のコシダやケネザサが湿地内部にじわじわと侵入してきており、湿地面積を縮小させている。加えて、一方の湿地では、周りの樹木からの落葉が厚く堆積して湿地が富栄養化している。この湿地では、ヌマガヤが卓越して他の湿地植物の生育を妨げている。以上のような状況の中、昭和59年当時確認された植物6)の一部(ミズギク、ミズトンボ、ミズギボウシ、ヒツジグサなど)はすでに1999年現在消滅してみることができない。なお、湿地のすぐ隣に湧水で涵養された小さな水たまりが樹木に囲まれて存在し、知多半島で唯一と思われるヒメコウホネがみられる。
6)富貴H [破壊] た6
現在の自然公園内にあたる山林内(公園の尾根より北方の斜面下方)に、昭和59年以前、小湿地が存在しており、湿地植物(ミズゴケ・ヌマガヤ・モウセンゴケ・ミミカキクサ・ハルリンドウなど)の自生が認められたが公園の整備に伴って湿地は埋め立てられた6)。
* なお、武豊町において、湿地ではないが南部市原地域の谷戸の水田土手にイヌセンブリの自生が見られた6)が工業団地造成に伴ってそれらは消滅した。
C常滑市
1) 久米O [消滅] と1
1995年5月、この地区の山林内で消滅しつつある湿地を発見した。チャートが表面に散在し、シラタマホシクサの枯れた頭花、水たまりには水生植物らしき葉、辺縁にヌマガヤらしき緑葉、周囲山林内にミツバツツジの花を見たが、湧水はほとんど見られなかった。その数ヶ月後、再び湿地を訪れたが、湧水は枯渇したままだった。裸地は乾燥し、植生は見られなかった。
* なお、この地区の丘陵の中腹には、同様の消滅した湿地跡が数多く見られる。そうした場所は、あるところはそのままチャートが散在した乾燥した荒地になり、あるいはケネザサが進入してあれた笹原になり、クロマツが低木状に生育しており、それとわかる。現在、そのような場所は少なくとも4ヶ所は存在する。
2) 久米O(久米湿地) [現存] と2
Y川源流の谷の奥まった場所に湿地が一ヶ所存在する。三方は山林に囲まれ、南は水田と畑地に開けている。面積的には知多半島の標準サイズと比較してやや大きい。湿地南の畑地の所有者に話を伺ったところ、ずっと以前から湿地は存在しているとのことである。湿地内のほとんどはヌマガヤが卓越するヌマガヤ草原であるが、パッチ状に裸地が存在して、ミミカキクサ類、モウセンゴケ類が自生する。この半裸地には自然に成立した湿地に多いチャートが欠けていることから、面積や立地とあわせて後に述べる大谷湿地同様水田用に開墾された土地が放棄されて湿地へ移行したものと考えられる。湿地を涵養する水は豊富で、主に湿地外部から流入している沢水に依存しているようだ。 この湿地の貴重な点は、他の湿地と比較してレリック(氷河期の遺存種)が多いという点にある。ヌマガヤ、ミズギク、イワショウブが多産な上、ウメバチソウ、ミズギボウシ、ミズギクなど知多半島で絶滅寸前植物も認められる。さらに、シラタマホシクサの群落も随所に見られ、知多半島本来の豊かな湿地の植生を見せてくれている。しかしながら、農地管理上の理由によってだろうが、湿地南部のシラタマホシクサ群落やヌマガヤ群落が刈り払われたり、湿地内部に排水溝を掘り返したりすることもしばしばあって、また、毎年夏に散布される除草剤の影響も心配される。
3) 久米K [現存] は3
K池の東側に開発された水田と、それを取り囲む丘陵との間に崖があり、その一部が湿地状になっている。水田造成時に削った丘陵の地層にちょうど地下水を含む層があったことが成因だろうと思われたが、造成された時期は比較的新しい直線的な水田であるのに対して、イシモチソウ、イワショウブのような進出に時間のかかる植物も認められることから、もともとこの土地に湿地があり、その植物が移動してきたのではないかと考えられる。湿地植物の自生地は斜面であり、めったに撹乱される環境ではないが、斜面からの湧水が枯渇するとすぐに消滅しそうである。周囲には帰化植物も自生しており、乾燥化すればすぐに侵入して湿地植物は駆逐される。
4) 久米T [不明] と4
少なくとも1983年までは湿地がT池の南岸に存在していた7)が、現在発見できないでいる。ミミカキクサ類やミカワタヌキモなどが自生7)していたとされる。池を一蹴しても見当たらないのは不思議で、もしかしたら、池の水際の植生を「湿地」と読んだものなのかもしれない。だが、資料7)には「美濃三河地域特産のシデコブシやシラタマホシクサはここでは未発見であるが、探せば見つかるかもしれない。」との記述は、この地区の湿地植物種、ひいては自然環境の豊かさをあらわしている。
* 久米地区においては、この他に山林内でヌマガヤの群落とカキランを確認した3)が、以後調査していないのではっきりとしたことは言えない。
5) 檜原地区 [消滅・破壊] と5
この地区は、常滑市において久米地区と並ぶ湿地の集合地帯であったと思われる。ため池の多さや、現在も流れる沢がそれを裏付けている。1995年から翌年にかけて、相次いで破壊あるいは消滅した湿地を目撃した。原因は、隣接地区西阿野の丘陵を切り崩した農地開発による水脈切断からくる湧水枯渇や、地区内で行われた農地整備・開発による直接の破壊であろう。湿地であった場所は、チャートのれきが散在する裸地になっている。もっとも痛ましい場所は、道路が湿地を真っ二つに切り裂いて通過(湿地は丘陵の上部に位置していて、切り通しの形で道路が造成された)してさえいる。もちろん湿地は枯渇した。以上のようにさまざまな人工的要因でこの地区では1999年現在、生きた湿地は見ることはできなくなった。
6) 大谷K(大谷湿地) [現存] と6
大谷地区に残る丘陵部のひとつの谷間全体が、大きな湿地になっている。大正時代に行われた水田用の開墾跡地が放棄されて湿地へと移行した7)とされる。したがって、湿地表面にチャートは少ない。かなり以前から、この湿地は一部の研究者や野草「愛好家」に知られていたらしく、野草「愛好家」は、湿地のミズゴケや野草を採取していたらしい。湧水はおよそ豊富で、地表から湧出して表流水となり、新川の水源地をなしている。辺縁はヌマガヤが卓越し、イヌツゲが点在する。中央部は所々パッチ状の半裸地となり、ミミカキクサ類、モウセンゴケ類、シラタマホシクサおよびその他の湿地植物の生育地になっている。自生地が壱町田湿地とここだけとなったヒメミミカキクサも確認できる。湿地の乾燥化は面積が広いだけに一気に乾燥化に結びつくとは考えられないが、隣接する小湿地はすでに遷移が進行して消失しかかっているので楽観できない状況である。
7)
小鈴谷T(小鈴谷湿地) [現存] と7
地区内を流れる愛知用水幹線と、その上部の山林との間の斜面が湿地状になっている。上部の山林には、現在は矮小化したケネザサが卓越する湿地跡が存在するので、愛知用水造成に伴う土地改変で湿地は枯渇してしまったが、一方造成に伴ってできた斜面に湧水が湧き出したので、そこへ湿地植物が移動したのではないかと考えられる。モウセンゴケ、コモウセンゴケ、トウカイコモウセンゴケの三種が隣接して自生する貴重な進化の実験場になっている9)ほか、カキラン、ヤマサギソウなど知多半島での絶滅危惧種が自生している3)。なかでも、イシモチソウの群落は密度・面積ともに知多半島有数の規模である。1998年12月に愛知用水の改修工事で破壊・消滅の危機にさらされたが、1999年回避・保護されることが決定した。しかし、工事が進行するにつれて自生地への土砂堆積や掘り返し、踏みつけなどのよる損害が目立ってきた(1999年7月)。自生地は辛くも保全されることになったものの、回復への道のりはさらに何十年という歳月がかかりそうである。
D美浜町・南知多町
1)
美浜町布土地区 [破壊・消滅] み1
少なくとも1988年までは、この地区の丘陵の谷間に存在するため池の周囲に小湿地が点在し、湿地植物が見られた10)。数や規模は不明。現在、3ヶ所ほどの湿地跡地を確認している。いずれもチャートの散在した、乾燥した裸地になっており、乾燥化によって消滅したものと推測できる。また、一部には水田の整備事業に伴う開発で破壊されたようなところもある。結果、現在この地区で湿地は認められない。
2)
美浜町河和地区 [現存せず・不明] み2
少なくとも1988年までは、この地区の西方丘陵のため池周辺に小湿地が点在し、湿地植物が見られた10)。現在、しっちであったというため池周辺が乾燥化し、ケネザサ等に覆われているのを確認した以外は、湿地らしきものは見つけることができない。
3)
美浜町奥田I(奥田湿地) [現存] み3
青山池の西の丘陵を隔てたところに、道路に隣接して存在する。シラタマホシクサの知多半島における南限であるが、これは人為に持ち込まれたものであるとする説もある。状態は非常に悪く、帰化植物の進入、乾燥化、富栄養化が深刻である。また、丘陵上のミカン園からの農薬汚染も心配される。
4) 美浜町奥田 [消滅] み4
奥田から南知多町内海に通じる、内陸部山林を通過する小道の入り口付近に湿地が存在した。1988年には、ウメバチソウ、ムカゴトンボ、トキソウ、サギソウなど、知多半島から消滅したか、ごく希少となった湿地植物の記録がある10)。1990年代に入ると。近接地域でゴルフ場の開発が始まり、地下水が激減した。現在は、そのほとんどがケネザサに覆われ、わずかな乾燥した半裸地にセンブリが見られる程度である。
5) 美浜町古布地区 [消滅] み5
少なくとも1988年までは、地区内の谷頭部、ため池周辺に小湿地が点在し、湿地植物が自生していた10)。現在は、谷戸内部の区画整備の影響その他によってか、湿地を見つけることはできない。しかし、湿地があった痕跡が認められる。区画整備を逃れた水田の斜面には、モウセンゴケ類、ハルリンドウ、ショウジョウバカマ、ノギラン、ホソバリンドウなど湿地植物が成育し、資料10)にも記述のあるウメバチソウまで生育していることから、これら植物は破壊、あるいは消滅した湿地から移動してきたものではないか。また、こうした畦畔斜面の景観は、湿地の集合地帯である富貴のものと酷似しているので、その点から考えても過去湿地があったことは間違いないだろう。
6)
南知多町豊丘・大井地区 [不明] み6
平成5年に、地区の丘陵部の凹部に湿地が見られ、湿地植物が自生するとの記録がある11)。現状は、調査を行っていないのでわからない。なお、南知多町の大部分は師崎層群から成るため、湿地は存在しない。
3.参考文献
1) 加藤秀次郎(1979):尾張の植物V 知多半島自生植物目録.
2) 阿久比町誌編纂委員会(1991):阿久比町市資料編5自然.阿久比町.
3) 富田啓介(1996):カキランの知多半島における分布.ほたる,10:44-47.
4) 半田市史編纂委員会(1973):半田市史資料編.半田市.
5) 武豊町教育委員会(1992):愛知県指定天然記念物壱町田湿地植物群落調査報告書.
6) 和田基巳(1984):武豊町の植生.武豊町.
7) 常滑市史編纂委員会(1982):常滑市史資料編.常滑市.
8) 上山智子(1993):幻の花々とともに.風媒社.
9) 高津英夫(1996):知多半島のトウカイコモウセンゴケについて その2.ほたる,10:48-71.
10) 和田基巳(1987):美浜町の植生.美浜町.
11) 南知多町誌編纂委員会(1993):南知多町誌資料編2自然.南知多町.