【ストーリー紹介】戦国時代末期――堺の豪商・今井宗久の納屋番として仕える助左は、亡き父と同じ船乗りになる夢を抱いていた。宗久より与えられた危険な仕事を成し遂げた助左は、船乗りへの道を許され、やがて大海原へと旅立っていく。
第8話「呂宋島漂着」
放送日:1978/02/26 助左らの乗る琉球丸は、琉球への航海の最中、大嵐の為に難破。そして元亀元年(1570年)10月、助左は善住坊と共に南海の小島・ルソン(呂宋)島の北にあるバタン島に漂着した。しかし、二人は直ぐさまその島の原住民であるボコス族によって捕らわれ、洞窟に閉じ込められてしまった。その洞窟に先客として捕らえられていた幼い少女。彼女は、ボコス族と部族間抗争で争っているトンド族の王女・マリキットだった。怯える彼女に対し、言葉が通じ無いながらも必死に心を通わせようとする助左と善住坊。しばらくして後、五右衛門も捕らえられ、再会する3人。3人は、マリキットを連れて洞窟から脱走。途中、五右衛門とはぐれた助左らは、いかだを必死に漕ぎ、トンド族の部落であるアゴーの浜へとたどり着いた。だが、助左と善住坊はトンド族によって囚われの身となった。一方、堺の豪商・今井宗久によって人買船から救い出され、養女として育てられた美緒は、その過去から同じような境遇の女性らを救い出したいと願い、琉球への密航を思案。そんな美緒は、琉球丸難破の知らせを受け愕然とするのだった。
本番組は1978年度のNHK制作「大河ドラマ」作品。作家・城山三郎氏、脚本家・市川森一氏、制作スタッフの三者が共同でストーリーの骨子を決めていくという方法をとっている。全話の脚本を市川氏が手掛けているが、第8〜10・16・26話の5本のみ、長坂氏が共同脚本としてクレジットされている。(総集編第二回「大航海」では「ルソン編脚本」として長坂氏の名前がクレジット。)ただし、どの程度長坂氏がこの作品に関わったのかは不明である。 第9話「交易事始」
放送日:1978/03/05 トンド族の王でありマリキットの父・ラカンドーラによって処刑を命じられる助左と善住坊。命乞いをする助左であったが、父と兄を倭寇によって殺されたラカンドーラにとっては、日本人は許し難き仇だったのだ。マリキットの命乞いにより辛うじて一命を取り留めた助左は、鞭を打たれ放り出される。船を奪って逃げるよう助左に訴えるマリキットだったが、助左はここで働くと決意。市を見つけた助左は、かき集めた食料を元手に交換を迫るが、村人からは相手にされない。そんな中、五右衛門とボコス族のハギビスが漂着。ハギビスは、捕虜を逃がした為に同族から追われ、そして傷ついていた。そんなハギビスを救う為に村人から薬を得ようと、竹細工をこしらえ村人に交渉、マリキットの口添えによって初めて異国での交易に成功する。ハギビスの傷も癒え、マリキットの元で言葉を覚えはじめた助左は徐々に村にとけ込んでいき、また、村の娘・ノーラは善住坊に好意を寄せていった。そんな時、今井宗久から善住坊抹殺の命を受けていた五右衛門が善住坊を矢で射り、それを目撃したラカンドーラによって五右衛門は捕らえられた。 長坂氏が本番組で手掛けた5作品のうち、第16話を除く4作品は主にフィリピンのルソンを舞台とした作品。これは、大河ドラマ初の海外ロケで、フィリピンのサン・フェルナンドの町とサン・エステバンの海岸で撮影が行われた。海外ロケのレポートは番組放送直前に発売された書籍『黄金の日日 NHK大河ドラマ・ストーリー』に4ページに亘って記されており、それによると日程は1977年10月4日から21日まで、助左がルソンに漂着した第8〜10話、10年後に商人として再び訪れた19〜21話の撮影とある。しかし、実際に放送された作品では助左が再びルソンの地を踏むのは第26話。翌第27話では、ルソンに残った美緒がマリキットとノーラ、そして村の子供らと暮らしていくさまを助左が思い浮かべるシーン。第29話では、交易と美緒を迎える為に助左が三度ルソンを訪れ、それ以降も助左は何度もルソンを訪れ、本番組終盤までルソンでのシーンは存在する。この10月のロケで終盤までのシーンを収録したのか? それとも追加で収録したのかは不明である。ただし、少なくても第26話の(一部の)収録はこの10月の時点で行われていると思われるが、雑誌『グラフNHK』1978年1月号の市川氏のインタビューによると、脚本の進行状況は1977年中には15本ほど書き終える予定とあり、ルソン編は海外ロケの為か先行して脚本が作成されたのではないかと思われる。その為の長坂氏の参入であろうか? 気になるところである。 第10話「南海の館」
放送日:1978/03/12 捕らえられた五右衛門は、掟に従い腕を切り落とされそうになるも、助左が五右衛門を庇った。そんな中、助左は再三に亘って家を作るがラカンドーラによって壊される。この地にとって家を作るということは、仲間として認めるということになり、その為にラカンドーラはそれを認められなかったのだ。そんな中、鮫に襲われた少年・エルジムを助左らが救ったことをきっかけに、ラカンドーラは助左らを認め、助左たちの為に家を作り始めた。互いに協力して家を建てるということは、最高の信頼の証しだという。日本では美緒と今井兼久が婚礼を挙げた日、ルソンの地でも善住坊とノーラが婚礼を挙げようとしていた。だが、時を同じくして沖に南蛮船が出現。日本に帰れば信長狙撃の罪で命は無い善住坊に、ルソンに残るよう説得する助左。だが、どうしてももう一度堺の土を踏みたいという善住坊を連れ、日本へ帰ろうとする助左。そんな3人を浜で待ち受けるラカンドーラ。ラカンドーラらに温かく見送られる助左は、必ずもう一度来ることを誓うのだった。 ルソン三部作最終作。「もう一度来る」と告げた通り助左は10年後に再びルソンに戻ることになるが(第26話)、ノーラとの婚礼を目前にし日本への帰路に就いた善住坊は、第21話にて処刑され、二人が再会することは無かった。ちなみに、この第21話の台本の最後には「善住坊殿 おつかれさまでした。またの会う日を楽しみに――。」と書かれ、締められている。 第16話「将軍追放」
放送日:1978/04/23 天正元年(1573年)8月、長年奉公してきた今井宗久の元を離れて自立する決意をした助左は、宗久より最後の奉公として、木下藤吉郎の元へ兵糧を運ぶ仕事を命じられた。浅井久政・長政親子の居城・小谷城に進撃を開始した織田軍の先方隊を務める藤吉郎は、助左の荷駄隊を浅井軍と親交のある能登屋に偽装させ、小谷城に侵入。藤吉郎より信長からの書状を渡された長政はすべてを覚悟。妻・お市と子供を藤吉郎に託した長政は、翌々日、その命を自ら絶った。自分についてこないかと誘う藤吉郎を、「船となら死ねても、城を守る為に死ぬことはできない」と断る助左。今回の奉公は、一本気な性格の助左は商人より侍の方が向いていると思った宗久が、藤吉郎へと差し向けた計らいだった。その想いを受け巣立っていった助左に、「ぬしのような倅が欲しかった」と呟く宗久だった。 本作は、長坂氏が手掛けた本番組の作品の中で、唯一ルソンを舞台としていない作品。長坂氏がどの程度本作に関わっていたのかは不明だが、助左と今井宗久の「父と子」を彷彿させるような展開は、いかにも長坂氏的な作風と思われる。 第26話「プエルト・デル・ハポン」
放送日:1978/07/02 天正9年(1581年)秋。助左は呂宋丸と命名した自らの船で、ついに念願だったルソンへの帰還を果たした。マリキットとハギビスとの10年ぶりの再会に沸く助左。しかし、ルソンでは10年ほど前からイスパニア軍が侵攻。今ではマニラ(マイニラ)の港に陣取り、ひと月程前にはアゴーの村にも侵攻。ラカンドーラを人質として奪っていったのだ。村人と共に戦う決意をする助左。村人に助けられ帰還を果たすラカンドーラだったが、敵の銃弾を受け瀕死の重傷を負っていた。しかし、美緒により弾丸の摘出手術が行われ、手術は成功、一命を取り留めた。美緒は、昔、日本から売られてマニラに来たという女性・しのと出会い、自分と同じ境遇の人との出会いに涙する。一方、イスパニアの侵攻に対し、助左は竹細工で大筒の張りぼてをこしらえて脅し、イスパニア軍を追い返すことに成功した。しのの話から村々に大勢の日本人女性がいることを知った美緒は、ルソンに残って日本人女性を捜し救うことを決意。美緒を残した呂宋丸は日本へと帰って行くのだった。
サブタイトルの「プエルト・デル・ハポン」とは、本作冒頭のナレーションにて「日本人の港」の意味だと解説されている。これは、アゴーの浜のことを指している。 「総集編第二回 大航海」
放送日:1978/12/26 「黄金の日日・総集編」は、1978年12月25日〜29日の22:15〜23:35(最終話のみ22:00〜23:20)に5回に亘って放送された。 |