「ふしぎ犬トントン」長坂作品エピソード あらすじ・解説

【ストーリー紹介】

 いじめられっ子の少年・タローが出会った不思議な犬。人の言葉をしゃべり、「トントン」と音を立てるとぬいぐるみの犬に変身!実は、その正体は犬型の宇宙人。そんなタローとトントンの廻りでは様々な騒動が後を絶たないのだ。


第5話「初恋よ こんにちわ」

放送日:1978/11/27
脚本:長坂秀佳
監督:奥中惇夫
ゲスト:斉藤こず恵(みどり)/田鍋友啓(柳 京一郎)/前田昌明(敬三)、久保田民栄(秋子)、井口恭子(静代)

 タローが出会った不思議な女の子・みどり。そんな二人を影から見つめる大人の女性の視線。みどりは、それがタローの本当の母親じゃないかと冗談で言うが、タローはその直前に母と喧嘩し「うちの子じゃない」と言われたばかりの為、本気で心配する。帰宅したタローは両親に自分が本当の子供かどうか問いただすが、二人は笑ってまともに相手にせず、タローはますます悩み込んでしまう。一方、みどりは憧れの中学生・柳京一郎に告白、そして失恋する。その直後、タローとみどりを影で見ていた女性が現れ「自分が母親」だとみどりに告白した。ショックを受けたみどりは(育ての)両親を問い詰め、事実を知り家を飛び出す。必死に探すタローとトントンはみどりを発見。みどりが一人黄昏れていたその場所――無意識で訪れたその場所は、(育ての)母と昔よく遊んだ想い出の場所だったのだ。そのことに気が付いたみどりは、自分の母親は一人しかいないと悟り、心配で探し回っていた両親と無事心の交流を果たす。そして、帰宅したタローを待っていたのは、仕事を休んでまでして戸籍謄本を取りに行った父と、心配で仕事を早引きした母だった。両親の心を知り抱きつくタローであった。

 本番組『ふしぎ犬トントン』では長坂氏は7作を執筆。本番組は一見「動物ドラマ」であるが、主役の犬「トントン」の正体が実は犬の姿をした宇宙人で、言葉を喋ったり不思議な力を発揮したりと、ファンタジー色の強い作品となっている。その為、長坂氏が担当した作品では『それ行け!カッチン』(1975年〜1976年)や『透明ドリちゃん』(1978年)と近いポジションの作品といえようか。
 本作のゲスト主役のみどり役は斉藤こず恵氏。長坂作品では『それ行け!カッチン』(1975年〜1976年)の主人公カッチンが有名。そのみどりが恋をする相手、柳京一郎を演じているのは田鍋友啓氏。『円盤戦争バンキッド』(1976年〜1977年)のレギュラー、ドラゴンこと宇崎竜一である。『円盤戦争バンキッド』では女の子にモテるという描写は無かったが、本作では「女の子にモテモテの中学3年生」と語られるような役回りである。
 この二人、みどりが柳に告白し、そして失恋するという展開だが、その時のみどりの台詞は「この次の初恋は、もっとうまくやるわよ」。複数の初恋といえば、『円盤戦争バンキッド』のスワンの十八番「新しい初恋」。多少こじつけではあるが、こんなところにも『円盤戦争バンキッド』との共通点があったりする。
 本作、始めはみどりの初恋・失恋バナシかと思いきや、伏線があったとは言えいつの間にかテーマがみどり主体の「ママハハ」(血の綱がりの無い母親)のハナシに移行。そして見事着地と思いきや、もう一度タロー主体のハナシに戻し実に見事に物語をまとめている。30分ドラマとは思えない程の二転三転のドラマと密度の濃さはいかにも長坂氏的な展開である。
 戸籍謄本のシーン、それによるとタローは「太郎」、母は「とし子」である。(オープニングテロップでは、「タロー」と「平間トシ子」)
(※ゲストの役名の漢字表記は、オープニングテロップを参照。(第7・8・11・12・15・17話も同様))

本話では無いが、第3話(制作2)の台本では、五十嵐リサは五十嵐花子(ブラックスネークのドン)、他の子供達は名前の後に(その子分たち)と表記、ユミねえさんは紫すみれ(六階のOL)となっている。企画の段階では役名や設定が若干異なっていたようである。


第7話「ドタバタ楽団大さわぎ」

放送日:1978/12/11
脚本:長坂秀佳
監督:金谷 稔
ゲスト:野島昭生(野山)、曽我部和行(曽父江)/神谷 明(上条)、古川登志夫(古沢)、古谷 徹(三ツ谷)/入江正夫、山野雄治、岩崎正信

 スリに会い一文ナシになったバンドマン・ドタバダーズの5人は空腹で今にも倒れそう。そんな彼らと知り合いになったタローは、成り行きで彼らを家に泊めてやることに。夜勤が取りやめになった為に早く帰って来たタローの母・トシ子は空っぽの冷蔵庫にびっくり。自分達が日本一のバンドで、社長がすぐに金を持ってくるという彼らの言葉に安心するトシ子だったが、社長に電話をしたドタバダーズの野山はクビを宣告され事実上一文ナシに。途方に暮れる彼らは、変身するトントンの姿を目撃し、トントンを売り飛ばしてお金を作ろうと企む。しかし、危険な目に遭うトントンを救うことになり、逆にタローにお礼を言われる始末。そんな中、トシ子の提案で、彼女の勤める病院で患者達に演奏会を開こうと働きかけるが、後ろめたさを感じたドタバターズは姿を隠してしまった。姿を消した彼らを不審に思うトシ子に、「絶対に病院に来る」と詰め寄るタロー。そんなタローの姿を見たドタバターズは、いつまでも自分たちのことを信じているタローの姿に熱いものを感じ、タローの前に姿を現し演奏を披露。すべてを告白した彼らは、次に会う時は本当の日本一になると誓うのだった。

 ゲストは声優バンド「スラップスティック」で、初期メンバーである野島昭生、曽我部和行、神谷明、古川登志夫、古谷徹の各氏が出演。役名はすべて本人の名前をもじっており、野島=野山、曽我部=曽父江、神谷=上条、古川=古沢、古谷=三ツ谷である。その中の古谷氏だが、同じ「古」が付く古川氏がいる為に「谷」を使った「三ツ谷」という役名になったと思われるが、この後、同じく声優の三ツ矢雄二氏がスラップスティックに加入している。時期的に考えて、この「三ツ谷」という役名がそこまでのことを意図したものとは考えにくいが……。偶然にしても恐ろしい偶然ではある。なお、台本には役者名にスラップスティック5名の名前も印刷されている。通常はゲスト出演の役者名が台本に印刷されていることは少ないが、今作は最初からスラップスティックありきで脚本が書かれたということであろうか? なお、本作で彼らが演奏する曲はベートーベン……というよりかは、寺内タケシ氏によるアレンジ版の『交響曲第5番・運命』である。
 タローの家の部屋番号が「302」であることが判明。なお、第14話では団地の4号棟であることが判明する。
 台本では、制作11とある。


第8話「にせもの ほんもの」

放送日:1978/12/18
脚本:長坂秀佳
監督:小山幹夫
ゲスト:加納 竜(白峰大介)/堺 左千夫(阪東刑事)/増田恵美(少女)、栗田洋子(大介の恋人)/川島祐介、村尾幸三、金沢淳一

 リサが率いる「ブラックスネーク」にいじめられていたタローは、白峰大介という男に救われた。友達と会う約束があるという大介の後について公園で待つタローだったが、一時間待っても相手は来なかった。そこへ怪しいサングラスの男が現れ大介を追跡、大介は逃走する。タローとリサはその男の追跡を邪魔するが、彼の正体は刑事だった。刑事の話によると大介は傷害犯で指名手配の身だという。大介を匿っていたタローは、「悪い人は嫌いだ」と大介に詰め寄る。大介は、友達=恋人に「公園でずっと待っている」と電話で伝え、再び公園で彼女が来るのを待つ。大介を追って公園へ訪れたタローだったが、そこへ大介を追って刑事が現れる。大介を匿い、刑事に向かって「自首するまで待って」と懸命に訴えるタロー。心打たれ、観念して姿を現す大介はタローに感謝する。そして、刑事も「大介の心の優しさを知らずに、憎しみだけで逮捕するところだった」と言ってタローに礼を言う。そんな大介を、涙して遠くから見つめる恋人の姿があった。

 ゲストの加納竜氏が演じる役名は白峰大介。同年に放送された『透明ドリちゃん』(1978年)のレギュラー白川大介と一文字違いだが、単なる偶然か……。ちなみに、この白川大介と本番組のタローはキャラ的にかぶっている気が……。
 少女役(冒頭で不良に絡まれている少女?)の増田恵美氏は『ぼくら野球探偵団』(1980年)のレギュラー・アヤメ役の女優。後に立花愛子に改名した。


第11話「わんぱく戦争どかん」

放送日:1979/01/15
脚本:長坂秀佳
監督:磯見忠彦
ゲスト:吉田義夫(大国弥三郎)/平田京子、伊藤千枝子/中島秀夫、神田盟子、伊庭 隆

 タロー達の遊び場である原っぱに現れた見知らぬ老人・大国弥三郎。何かと子供達と関わろうとする弥三郎は、次男がお菓子屋の社長だからと言ってお菓子を与えたり、長男がテレビ局のプロデューサーだからと言って芸能人のサインを貰ってきてやると豪語。しかし、その言動が怪しいと思ったリサはそれが嘘であると突き止め憤慨。それが元で弥三郎と子供達は大喧嘩。大地主である弥三郎は原っぱを閉鎖、そして、その報復をする子供達。さらに弥三郎が報復と、どんどんエスカレートし、もはや大戦争。そんな中タローは、トントンや母親から、弥三郎が息子や孫が全員家を出て行った為に寂しい為、子供達と友達になりたがっているはずだと諭される。しかし、エスカレートした戦争はもはや止まらなかった。果ては、子供達の報復の為に弥三郎が足を怪我して入院してしまった。さすがに心配した子供達は見舞いに行くが、その怪我も嘘だと知って完全に激怒。弥三郎の病室に乗り込み攻撃開始!……の瞬間、トントンが花束を咥えて弥三郎の元へ。思わず涙を見せた弥三郎の姿を見た子供達は、弥三郎の心を理解し、自分達も花束を渡す。その後、仲直りした弥三郎と子供達は仲良く一緒に遊ぶのだった。

 ほんの些細なことから「戦争」に発展していくということを子供の世界で表現した作品。長坂氏定番の「反戦」のテーマと、それに、子供と孫達に家を出て行かれた老人の寂しさを絡め、見事に融合させている。
 リサ率いるブラックスネークの一人、「ヒロシ」の名前が判明。彼が名前を呼ばれるシーンから顔と名前が特定できる。なお、彼はブラックスネーク唯一の全話出演、皆勤賞のメンバーである。ちなみに、このブラックスネークは本番組の初期作品ではいじめっ子のポジションだったが、中盤くらいからはいじめっ子らしい描写はほとんど無くなっている。


第12話「カウボーイとお弁当」

放送日:1979/01/22
脚本:長坂秀佳
監督:金谷 稔
ゲスト:伊藤康臣(中野剛太)、五月晴子(かよ子)/白木真理(泉さえ子先生)/築地 博、坪井康宏、福永康彰、薄井伸一/岡田正明(カズ夫)

 今日は楽しいサイクリング。そこへ現れた三ノ宮先生は弁当を持って大張り切り。同行するというさえ子先生の為にと、お金と時間をかけて弁当をこしらえてきたのだ。しかし、その弁当が何者かに盗まれた為に三ノ宮先生は我を忘れて大激怒。近くにいたトントンが疑われてタローは大弱り。真犯人を追うタローは現場に現れた少年・中野剛太が怪しいと睨みその後を追う。そんなトントンとタローが知った真相。それは、剛太が母子家庭の為に自分が食べるものもあまり無いのにも関わらず、傷つきはぐれていた犬の看病の為に食料を確保していたのだ。同情するタローだったが、そこへ怒り心頭に発した先生が現れた。先生に見つかり連行される剛太。しかし、連行されたその場所には、子供達が見守る中、餌を与えられた犬がいた。食べ物を盗んだのは良くないが、優しさに免じて許してやると答える先生。今まで他の子供達ともうち解けなかった剛太も、これをきっかけに友達が出来たのだった。

 本作ではタローの担任の先生・三ノ宮先生にクローズアップ。本番組は子供が主人公の割には学校でのシーンが少ない為(番組中盤まではほとんど無し)、あまり出番が無い先生だが、今回は珍しく出番が多い……と思いきや、大人げなく嘆いたり、子供に同情されカツ丼をおごって貰ったりと少々カッコが悪い。しかし、最後は優しいところも見せなんとか面目を保っている。
 なお、タイトルのカウボーイとは、剛太が犬につけた名前である。
 また、中野剛太があだ名として呼ばれている「ゴンタ」は、フジテレビの広報向けの資料(「フジテレビ 来週のハイライト」)によると「ゴン太」という表記である。


第15話「鬼さんへのプレゼント」

放送日:1979/02/12
脚本:長坂秀佳
監督:野崎貞夫
ゲスト:玉川良一(鬼カン先生)/竹原邦枝、劇団日本児童、劇団ひまわり/池田生二(校長先生)

 学校に遅刻したタローは、校内で「鬼」と呼ばれている通称「鬼カン先生」に見つかり大目玉。いつも体罰ばかり受けているタロー達は、鬼カンに一泡吹かせようと作戦会議。鬼カンの嫌いな虫のおもちゃを、感謝の気持ちのプレゼントと騙して渡すタロー達。プレゼントの箱を開ける様子を影から見つめるタローだったが、偶然通りがかったユミねえさんと鬼カンの会話を立ち聞き。鬼カンは、嫌われてるのを承知で子供達の為に憎まれ役をやっていた自分を、分かっている子供達がいたと思い感激の涙を流していたのだ。それを知ったタロー達は大慌て。プレゼントをすり替えようとあの手この手を駆使するが、すべて失敗。とうとう、鬼カンはタロー達の目の前でプレゼントを開けてしまった。万事休すのタロー達だったが、なぜか鬼カンは「ありがとう」と感謝の言葉を述べる。鬼カンは目が見えなくなっていたのだ。物が見えなくなる発作が日に二三度起こるという鬼カンは、教師を辞め、入院するという。そんな鬼カンの為にタロー達が考えたプレゼント。そのテープレコーダーから流れる子供達のメッセージと合唱を聞いた鬼カンは涙するのだった。

 プレゼントをすり替えようとするが、本物と偽物が混じってどちらが本物か分からなくなってしまうくだりなど、いかにも長坂氏らしいドタバタ劇が展開するが、ラストの思わず泣かせる展開は、映像の鬼カン先生と共に、視聴者の目にも涙が浮かんでいるのではないだろうか? この、「笑い」の要素と「感動」の要素が見事同居しているのも長坂作品の魅力の一つといえるのではないだろうか?
 クライマックスで効果的に歌われる「若者たち」の歌は、台本でもこの歌の指定がある。
 基本的には台本と映像は同じ展開であるが、尺の問題か、学校に潜り込んだトントンが理科標本室で鬼カンと鉢合わせになるシーンや、病院の待合室で鬼カンが手にしたプレゼントをトントンが加えて逃げるシーン等が映像ではカットされている。
 登校時、一緒に学校に到着したタローとリサが別々の教室へと急ぐシーン。(台本にも「別々の校舎へ別れる。」の表記有り) タローの授業中の描写は本話以前には存在せず、タローとリサは別のクラス(別の学年?)と思わせる描写である。しかし、本作の次の回である第16話にてタローとリサが同じ教室で勉強するシーンがあり、第21話でも同じ教室のシーンがある。(第18話でも、リサが欠席したタローの為にプリントを届ける描写がある)長坂氏的には別のクラスor別の学年というイメージだったが、同じクラスの描写がある作品の脚本を担当した雪室俊一氏的には同じクラスというイメージだったのだろうか。この第15・16話までは明確な設定が無かったのか、それとも、このあたりから、今まで無かった学校の中でのタロー達のシーンが増える為、これも路線変更の一つということであろうか。ちなみに、第3話にて学校の名前が「美しヶ丘小学校」であることが判明、第16話にてタローが小学5年生であることが判明する。
 台本の制作bヘ14。
 本作の予告(第16話の予告編)より、ナレーションが次回からトントンの声を担当する増岡弘氏にバトンタッチしている。


第17話「ガードマンV.S白頭巾」

放送日:1979/02/26
脚本:長坂秀佳
監督:磯見忠彦
ゲスト:松崎 真、及川ヒロオ、久里みのる/晴海勇三/柴田 聡、内田三樹也、陳 日?、石川隆昭/鈴木紀子、新 みのる、東 治幸、若駒プロ/若尾義昭

 子供達の間では自分の父親の自慢話で大盛り上がり。ノボルの父はドラマの主人公「白頭巾」、リサの父は直木賞候補の小説家。しかし、タローは上司に叱られペコペコしている父・凡平の姿を見てがっかり。そんな時、凡平の剣道大会優勝の写真を見つけたタローは父に取り柄があることを知り大喜び。凡平を無理矢理母校へ連れ出したタローは、友達の前で凡平の剣道の腕前を披露……だったのだが、なぜか凡平はへっぴり腰でいいところナシ。実は、優勝の写真は仮装行列の写真だったのだ。さらに落ち込むタロー。そんな時、リサとノボルも父親が周りにペコペコしている姿を目撃してしまいショック。子供達は、そんな父親のだらしない姿に「みんな同じなんだ」とうなだれる。しかし、父親との想い出を思い起こす彼らは、「大人って苦労してるんだ」と理解。自分の大好きな父親を迎えに行く子供たちであった。

 長坂氏による本番組脚本作品最終作。
 タイトルの「ガードマン」とは、タローの父・凡平の職業。長坂作品の特徴の一つとして、他の脚本家達の作品と比べると、キャラクターの設定を最大限に利用することが多い。(※この番組に限った話では無い)例えば、この番組ではタローの両親の職業。父親がガードマンとして出演するのは第8・17話。母親が看護婦として出演するのは第7・11・15話。7作中5作品がその設定を活かしている。
 リサ率いるブラックスネークのメンバーで、「ノボル」と「アキラ」の名前が判明。彼が名前を呼ばれるシーンから顔と名前が特定できる。


 この後、本番組は約半年間の放送である計23話で幕を閉じることになるのだが、その最終話は特に最終話のような作りはしていない。結局、トントンの正体もよく分からないまま終了してしまった。彼はいったい地球に何をしに来たのだろうか? 本番組前半ではラストシーンにてトントンが故郷に思いを馳せるシーンがあり、そこではトントンが「遠いなぁ、いつ帰れるのかなぁ」「お父さんもお母さんもどこかで僕を見ているのかな」と呟いている。自分の意志で地球にいるというよりかは、はぐれ犬のように感じ取れてしまうが、第20話では妹を含めたトントンの家族らしき集団がトントンの様子をTVで見ているので、帰りたくても帰れないということでは無いのか。やはり謎である。
 また、放送終盤あたりは急な路線変更を試みたのか、ユミねえさんは第19話で、五十嵐リサは第21話にて共に何の説明も無く降板。そして、第21話にて転校生として浅丘まゆみが参入。タローのガールフレンド的なポジションで、出番も多かった。終盤間際にも関わらず路線変更を試みたのか、それとも、路線変更したものの、急遽打ち切りになってしまったということか。謎は残る。
 五十嵐リサを演じた早乙女朋子氏はその後、初めて書いた小説『バーバーの肖像』(1995年)で第8回小説すばる新人賞を受賞、そして2作目として子役をテーマとした『子役白書』(1997年)を執筆。自分の経験を活かしたフィクションのようだが、その中に主人公が『UFO戦争バンキッド』にアップで映っていたというくだりがある。(P37) おそらく『円盤戦争バンキッド』(1976年〜1977年)が元ネタであろうが、何の関係も無しにこんなマイナーな作品がネタに使われるとは考えにくい。しかも、本作はフィクションの為、早乙女氏が子役として活躍していた1970年代ではなく、物語に携帯電話が登場していることから舞台は執筆の頃である1990年代と思われる。にも関わらず『バンキッド』が登場しているのは、何か特別な思い入れがあるのであろうか? ちなみに、本作には早乙女氏のテロップ表記はないが、エキストラか何かで出演していたのだろうか?