【ストーリー紹介】承安2年(1172年)春。京の都の祭りに来ていた山暮らしの弁太は、そこで螺鈿の櫛を拾い、恋人であるおぶうにプレゼントした。しかし、その櫛がもとで、櫛の持ち主を探す一味に家を焼かれおぶうが連れ去られてしまった……。
第1話「−」
放送日:1980/03/03 承安2年(1172年)春。やすらい祭に沸く京の都。だが、時の権力者であった平氏一門の平清盛は、清盛の正室・時子の兄・時忠に命じ祭を中止させた。そこに訪れていた飯森山に住む木こりの弁太は、反抗。そこで弁太と知り合った若武者・木曽義仲は弁太に加勢しようとするが、その前に現れた院(後白河法皇)の近臣・藤原成親が義仲を制した。その間に武士に取り押さえられる弁太だったが、僧の天台座主明雲が制止、弁太は一命を取り留めた。この騒ぎの中、成親が落とした螺鈿の櫛を拾う弁太は、山に戻って恋人のおぶうに櫛を授けた。一方、発作の激痛に苦しむ清盛は、火の鳥の幻覚を見るのだった。
本作の原作は、手塚治虫氏のライフワークである「火の鳥」の中の一作。平安時代末期の史実・伝説の中に、火の鳥をはじめとする一部オリジナルキャラクターを巧みに絡ませ、フィクションを織り込んでいる。本ラジオドラマでは、大筋は原作通りではあるものの、細かい展開など相違点も多い。 第2話「−」
放送日:1980/03/04 発作に苦しむ清盛の身を案じる、清盛の長男・重盛。しかし、清盛は自分の死が与える平氏への影響を考えると、口が裂けても病のことを口に出せなかった。一方、清盛と同じく病に苦しむ父を看病するおぶうは、発作に苦しむ父を見かねて螺鈿の櫛を薬売りに売り薬を入手した。院の近臣で僧の俊寛は、鹿ヶ谷の山荘で明雲を招き、平氏への謀叛の企みを持ちかけるが、明雲は拒否。その謀叛人として平氏より手配されていた成親の櫛を持っていたとして平氏に捕らえられた薬売りは、拷問を受け、螺鈿の櫛をおぶうから入手したと白状。弁太は、その為におぶうが謀反人の仲間と見なされると義仲から知らされ、慌てて飯森山へと戻った。だが、家は焼かれ、おぶうの父から死の間際に、螺鈿の鞘の刀の男におぶうがさらわれたことを知るのだった。
第3話「−」
放送日:1980/03/05 承安2年(1172年)暮れ。都は五条の橋の上で、刀を狙うもののけが出没するという噂が立ち上っていた。それは、おぶうをさらった男の唯一の手掛かりである螺鈿鞘の刀の男を探し求める弁太の仕業であった。一方、囚われの身となったおぶうは清盛の七男・知度の妻・葦より三か月の間、礼儀作法を叩き込まれ吹子と名を変えていた。承安3年新春。葦は自らのメイとしておぶうを清盛にお側女として就かせた。おぶうに迫ろうとする清盛は突然発作に苦しみ、父と同じ発作に苦しむ清盛をおぶうが慣れた手つきで対処。山育ちのおぶうの正体に気が付く清盛は、かえっておぶうを気に入るのだった。同じ夜。五条の橋の上で螺鈿鞘の刀を探す弁太の前に立ちはだかった鞍馬山の牛若丸は、容易く弁太を成敗。だがそこに義仲が出現、弁太を差し置いて牛若丸と対峙するのだった。 本話及び次話の冒頭は、有名な伝説である「京の五条の橋の上」での弁慶と牛若丸の戦いがベース。弁慶が999本まで刀を集めたという有名なエピソードに、弁慶の動機を組み入れている。ちなみに、原作では刀集めのくだりまではあるものの弁慶と牛若の戦いの描写は無く、五条の橋でおぶうの行方を捜していた弁太がそこで知り合ったヒョウタンカブリの紹介で鞍馬山へ訪れ、そこで牛若丸と出会っている。 第4話「−」
放送日:1980/03/06 対峙する義仲と牛若丸。そこに、突然火の鳥が出現した。その姿に魅入られた牛若丸はその場を退散。牛若丸に負かされ、力不足を悟った弁太は義仲の家来に志願するが断られた。一方、清盛は、永遠の命が得られるという火の鳥の生き血を欲し、火の鳥探索を命じさせていた。おぶうの頼みで父と弁太を探すよう飯森山に使いを出していた清盛は、おぶうの父が殺されたと知るが、咄嗟に弁太と父が都に引っ越したとおぶうに誤魔化した。時は過ぎ、夏――。後白河法皇の元にご機嫌伺いで訪れる清盛。その後白河は、西光らの謀叛の企てに耳を傾けていた。都で螺鈿鞘の刀を探す弁太の前に現れた義仲は、弁太におぶうの居所が清盛の館だと知らせる。その夜、清盛の館に忍び込む弁太だった。
第5話「−」
放送日:1980/03/07 清盛の館に侵入を果たした弁太はついにおぶうと再会。おぶうに父が死んだことを伝え、逃亡を持ちかける弁太だったが、そこに清盛が出現、父の死が嘘だと告げ、弁太を牢屋に閉じ込めた。おぶうは弁太を助け、父の生死を問うが、おぶうの為に父は死んでないと弁太は嘘をついた。再び弁太を捕らえた清盛は、弁太の若さに嫉妬し、火の鳥への執着を強固にした。夜――清盛の館に忍び入った義仲。義仲は、おぶうに弁太が明日処刑されることを告げ、それを阻止する為に清盛を殺すよう話を持ちかける。そして、義仲は弁太を救出することに成功するが、結局、おぶうは清盛を殺すことは出来なかった。そんな清盛の元に、宗の国から火の鳥が到着したとの知らせが……。
第6話「−」
放送日:1980/03/10 夢にまで見た火の鳥の入手に驚喜する清盛。早速、火の鳥を殺めようとする清盛だが、その鳥をおぶうが庇った。山育ちで鳥の扱いにも慣れているおぶうは、清盛から火の鳥の世話を一任される。そんなおぶうは、その鳥が火の鳥でないことに気が付く。それはただの孔雀だったのだ。そんな時、弁太は探し求めていた螺鈿鞘の刀を差す男を発見。その男とは、やすらい祭りの時に出会った時忠であった。時忠に立ち向かう弁太だが、完膚無きまでに叩きのめされる。時忠がそのクビを落とそうとした瞬間、牛若丸が遮り、弁太は一命を取り留めた。その後、鞍馬山で修行をする牛若丸の元へ訪れた弁太は、家来にしてほしいと懇願。一方、おぶうは火の鳥を守る為、火の鳥の心を読んだとうそぶき、無理難題なしきたりを清盛に告げ生き血の入手を先へと延ばしていた。そして時は流れ――都では清盛が火の鳥を入手したという噂が流れ、その噂を聞いた後白河法皇は、火の鳥を我が手にする為、謀叛の企みを西光に促すのだった。
第7話「−」
放送日:1980/03/11 弁太が鞍馬山の牛若丸の元に弟子入りして2年が過ぎ、弁太は武蔵坊弁慶に、牛若丸は源義経と名を変えた。その義経の元に、義経の師匠・成親が訪れた。成親は義経に別れを告げに来たのだった。そして義経も、成親らが企んでいる謀叛の企てが失敗し死罪になると読んでいた。その成親の前に現れた義仲は、成親に仲間に加えるよう懇願するが、義仲は自らの企てが失敗になると悟っており、後の為に義経とその兄・頼朝と手を組み源氏の力をつけ、源氏、平氏、院の三者が平等の力になることを願い、託した。だが、義仲は6月1日に火の鳥強奪を決意。西光、俊寛、成親ら院の近臣の謀叛も6月1日の決行が決定。さらに、清盛も6月1日に火の鳥の生き血を飲むことを決意。そして、火の鳥の悪夢に脅かされるのだった。
第8話「−」
放送日:1980/03/12 1177年6月1日――清盛の館に踏み込まんとする義仲は弁慶を待つが、おぶう奪還のために義仲の元へ向かおうとする弁慶を義経は制止した。一方、清盛の館に攻め入る準備を進めてる院の近臣ら。だが、清盛は事前にそれを察知。院の近臣らが潜む鹿ヶ谷に清盛の軍勢が攻め入り、謀反人はすべて捕らえられた。単身清盛の館に侵入した義仲は、発見されるものの、おぶうの口沿いで脱出を果たす。義仲から弁太が弁慶と名を変え鞍馬山にいると知ったおぶうは、仮病を使って人払いをして館を抜け出すと、鞍馬山へと向かった。弁慶が不在の間に鞍馬山に訪れたおぶう。義経は、おぶうに弁慶が既に遠出したと騙し伝えた。そして、成親一味は処刑、そのことを知り愕然とする後白河だったが、さらに火の鳥への異常な執着を燃やすのであった。 これまでの回で度々取り上げられていた謀叛が実際に結末を迎えるのが本話。この事件は「鹿ヶ谷事件」(1177年)と呼ばれた史実である。また、このあたりから史実や伝説のエピソードを盛り込んだ展開が多くなっていく。 第9話「−」
放送日:1980/03/13 鹿ヶ谷事件の翌朝。清盛は自らの年齢を感じ、位を重盛に譲り渡そうかと考慮。だが、その2か月後の7月29日、越前の国にて重盛は急死。後白河はこの機を逃さんと、清盛を追い落とそうとするが、作戦は裏目に。11月14日、清盛は数千騎の軍団を率いて入洛。翌15日には院の近臣39名を解任、そして、後白河を鳥羽殿へ幽閉、清盛の独裁はますます強まった。一方、陸奥・奥州平泉の藤原秀衡宅に起居する弁慶と義経。義経は、弁慶に2歳の時に別れた兄・頼朝と共に発起することを明かした。ある日、京の都で大火事が発生。清盛の館は燃え、火の鳥を追って火の中へ飛び込んだおぶう。そして5日後、京の大火でおぶうが炎の中に姿を消した話を聞かされた弁慶は愕然となった。 本話では、「鹿ヶ谷事件」の二か月後である7月29日に重盛死去となっているが、史実では「鹿ヶ谷事件」から2年後の治承3年(1179年)7月29日に死去、そして同年、後白河法皇幽閉となっている。また、本話で語られている京の大火は、多少時代が前後するものの、「安元の大火」(1177年)、「治承の大火」(1178年)がモチーフになっていると思われる。なお、原作では自然災害による大火ではなく、「鹿ヶ谷事件」の直前である4月13日に起こった延暦寺の強訴によって起きた出火が原因となっている。 第10話「−」
放送日:1980/03/14 おぶうの死を認めることが出来ない清盛は激情し狂乱。だが、おぶうは老婆によって竹藪の中で発見され、無事に助けられていた。一方、おぶうの死のショックでうち沈む弁慶。陸奥の祭りで弁慶はヒノエという名の女性と出会い、見初め踊りで見初め合った二人は祝言を挙げた。翌朝、弁慶の家財道具を持って消えたヒノエだが、義経によって捕らえられ引き戻された。弁慶は、おぶうの供養をする為、僧に仏を譲ってもらい、おぶうに祈りを捧げた。再び弁慶の前に現れたヒノエは、発作的な盗み癖を治したいと、その仏に縋った。老婆の手当を受け、傷も癒えたおぶう。おぶうは、火の鳥を抱えて清盛の館へと戻って行くのだった。
第11話「−」
放送日:1980/03/17 火の鳥とおぶうを失った清盛の病状は悪化。しかし、おぶうの帰還と同時に清盛は復活。数日後、ついに義経が出兵を決意。1180年8月、義経は、伊豆の豪族・北条時政の娘・政子の夫としてその地の武人となっていた頼朝の元へと駆け付け、ついに兄と弟は20年ぶりの対面を果たした。義経は火の鳥の話を持ち出し頼朝を説得。頼朝は兵を挙げる決意を下した。8月17日、伊豆目代・山木兼隆を討ち取り、相模、安房、上総、下総、武蔵と進み怒濤の進撃を続け、10月6日の鎌倉入りにはその軍勢は3万騎にまでふくれあがっていた。一方、義仲も挙兵、勢力を拡大していた。10月20日、頼朝軍は富士川を挟んで平氏軍と対峙。その夜、水鳥の音に驚いた平氏軍は戦わずして逃走。その知らせを受けた清盛の病状が急変した。おぶうは決意し、清盛は火の鳥の生き血を飲むが時既に遅く、1181年2月4日、清盛はこの世を去った。 本話での義経の快進撃は史実に忠実な展開。水鳥の音に驚いて撤退した平治の話で有名なこの戦いは「富士川の戦い」(1180年)と呼ばれている。そして、清盛死去(1181年)も史実の通りである。なお、本話で退場した平清盛は、800年程後の昭和の時代、とある少年に霊が乗り移ったとされる事件が発生するが、それはまた別のおはなし……(『少年探偵団』(1975年〜1976年)第11話「地獄のエクソシスト」(長坂作品)) 第12話「−」
放送日:1980/03/18 清盛はついに息を引き取った。清盛の息子・宗盛はその責任が火の鳥にあるとし、火の鳥を手にかけた。直後、後白河に呼ばれた宗盛は火の鳥の贈呈を持ちかけられ困惑する。一方、東国の平定を完了した頼朝は、後白河に平氏と並んで朝廷に仕えてもよいと書状を送っていた。平氏より優位とはいえ、朝廷と共にある平氏を討つことが賊臣と呼ばれる為、それを良きとしない頼朝であったが、義経はそれに反対。兄弟喧嘩に付き合いきれない弁慶は、一人でおぶうのいる都へ向かおうとする。そんな弁慶を止めるヒノエだが、弁慶は歩みを止めなかった。一方、義仲は平氏の10万の大軍と対峙。角を燃やした牛を突撃させて蹴散らし、圧勝。義仲は勢いに乗って京の都を目指した。押し寄せる義仲軍を前に、平氏と都民らは西へと落ち延びて行った。明雲に火の鳥の行方を問いただす義仲は、明雲の態度に激情し殺害。数日後、荒れ果てた都にたどり着いた弁慶はその様に驚愕。そして、弁慶は義仲と再会した。 本話の義仲と平氏の戦いは、史実では「倶利伽羅峠の戦い」(1183年)と呼ばれる戦いである。また、平氏の都落ち、義仲の京入り、そして義仲による明雲殺害も史実として伝えられている話である。 第13話「−」
放送日:1980/03/19 義仲からおぶうが平氏と共に九州に向かったことを知る弁慶。そして、義仲に誘われ後白河の元へ訪れた弁慶。義仲の横暴な態度に手を焼いた後白河は、頼朝を利用する為、東国の支配を頼朝に許した。九州大宰府へと逃れた平氏だったが、その後、讃岐屋島を本拠地として勢力を整えつつあった。一方、弁慶を追ってきたヒノエ。弁慶は、義仲に対して今までの礼をしたいと、火の鳥を探し出すことを誓った。単身、後白河の元へ参上した義経。後白河は、義経に義仲討伐、さらに平氏を討つよう命じた。すべては、義経と頼朝の兄弟仲を悪化させ、勢力を弱めさせる計略であった。策略と知りながらをその話に乗る義経。鴨川・六条河原で義経は義仲を討ち取った。明雲の墓から火の鳥のミイラを発見した弁慶は、火の鳥を手に駆け付けるが、義仲の亡骸の前に号泣するのだった。 本話の義仲と義経の戦いは「宇治川の戦い」「六条河原の戦い」「粟津の戦い」(1184年)と呼ばれる戦いである。 第14話「−」
放送日:1980/03/20 義仲を埋葬した弁慶は、侍から足を洗い、トモエとやり直すことを決意、畑作りを始めた。そんな弁慶の前に義経が出現。おぶうが平氏と共に四国にいると聞かされた弁慶は義経と共に出陣。義経の軍は一の谷、屋島の戦いに勝利、快進撃を続け、平氏は彦島へと逃れた。時忠、宗盛ら狼狽する平氏に業を煮やしたおぶうは、壇ノ浦で源氏を迎え撃つと提案。1185年3月24日。合戦の中、おぶうの姿を発見する弁慶。だが、おぶうは義経の手にかかり瀕死の重傷を負い、弁慶に見守られ息を引き取った。ついに平氏は滅び、義経は名声を欲しいままとした。しかし、後白河はその義経の名声を利用し、義経と頼朝の仲違いを画策。頼朝の断りなしに義経を左衛門少尉検非違使に任命した。激怒した頼朝は鎌倉入りする義経を拒否。一方、弁慶を追って現れたヒノエ。弁慶は、おぶうの仇を討つとヒノエに漏らした。京へ軍勢を引き上げた義経は後白河に頼朝を討つ命令を求め、義経の動きを知った頼朝は先手を打って出兵するのだった。 本話では、平氏の滅亡として有名な「一ノ谷の戦い」(1184年)、「屋島の戦い」(1185年)、「壇ノ浦の戦い」(1185年)を描いている。 第15話「−」
放送日:1980/03/21 頼朝の大軍に慌てた義経は兵集めに奔走するが、難航。諸侯は、義経には火の鳥がついていると信じ、不老不死になった義経に嫉妬し憎んだ為に協力を拒否した。弁慶が火の鳥を手にしたとの噂を入手した義経は、弁慶に迫る。弁慶は、義経がおぶうだけでなく、義仲までも手にかけたことを知り、義経を拒絶。後白河の義経討伐の命が諸国に下され、義経は姿をくらました。文治3年(1187年)9月、義経が奥州の藤原秀衡の元に身を寄せていることが発覚。戦の用意を進める秀衡に対抗しようとする頼朝だったが、一か月後に秀衡は病死。跡を継いだ秀衡の息子・泰衡は、院と頼朝の圧力に負け、義経を自ら討つ決意を固めた。衣川の館を急襲された弁慶と義経は敗北し、ついに二人きりに。そして、火の鳥を求めた義経が弁慶に迫る。仇討ちではなく、生きる為、生き延びる為にと義経を手にかける弁慶。すべては後白河の思惑通りに進み、頼朝に征夷大将軍の位を与え、手なずけた。逃げ延びた弁慶は、おぶうの幻影に生き延びてみせると誓う。そんな弁慶の前に現れたヒノエに、これからは弁太として新しく生きようと誓った。火の鳥が収められた木箱を捨て、新しい道へと進む二人。その箱から出現する本物の火の鳥。実は、孔雀に身を変えていた本物の火の鳥だったのだ。そして、陸奥の空に火の鳥が飛んで行ったのだった。
本作品のクライマックスは、義経の自害として有名な「衣川の戦い」(1189年)を描いている。 |