第12回日本ジャンボリー参加  98年8月1〜5日 秋田県森吉山麓

4年ごとに全国のスカウトが集い友好を深める日本ジャンボリーも第12回となり、8月1日〜5日に秋田県の森吉山麓で開催されました。66団からはボーイ隊のスカウト3名が参加しました。皇太子殿下のご来場、台風の影響による大雨、など思い出に残る一週間でした。

12NJに参加して         熊谷慎也

今回のジャンボリーでは、本当に多くのことを体験するこ とができ、一生の記念に残るような日々を送ることができたと思う。目の前で起こることすべてが新鮮に感じられ、何をするにも楽しい、おもしろい、と感じながら生活できるような、すばらしい9日間だった。ジャンボリーの中で、ぼくが一番感動したのは、顔も名前もまったく知らない人が、道ですれ違うたびに、笑顔で大きな声を出し、あいさつをしてくれたことでした。この事には本当に心から感動し、とてもすがすがしい気分になりました。多くの人と仲良くなれたジャンボリーでしたが、特に、今回愛知9隊として一緒に生活したみんなとはとても良い思い出を作ることができた。とにかくノリの良い隊で、みんなで歌ったジャンボリーの歌などは、今でも心に焼き付いている。愛知第9隊は最高の隊だった。もう一度みんなでキャンプに行きたい、そう心から感じる隊だった。個人的には班長として参加したジャンボリーだったが、班長の責任の重さ、頼られるうれしさ、満足感など、普段、団内で体験している物とは、また別な感覚を知ることができ、今後に役立つ貴重な体験をさせてもらったと思っている。  今回のジャンボリーでは、本当に多くのことを体験し、その度、いろいろな感動を受けた。森吉の地で受けたこの多くの感動は、一生の大事な宝物にしたいと思う。これからも、このジャンボリーの経験を踏み台にして、がんばっていきたいと思う。  ありがとう森吉、ありがとうジャンボリー

   12NJに参加して         竹田光太陽

 12NJ最初はとてもいやだった。どうにかして休みたかった。結隊式、ジャンボリー1週間前、前日、当日の朝、出発がだんだん近づいてくるのだが、ぼくの気持ちは少しずつ変わってきていた。秋田はどんな所だろう、班活動はうまくいくのかな、パイオニア賞は取れるのかな、仲間とうまくやっていけるのかな、でも、こんな思いや、バス内でねむれるのだろうか、多少の不安を持ちながらぼくは家を出発した。ぼくはある決心をしていた。それは、バスで移動している時の休憩時間に、買い食いはしないということだ。まあ、そうでもしないとお金がすぐになくなるということもあるが、ぼくは欲に耐えた。これは12NJに参加するにあたっての第一目標だ。さて、この12NJにおいて一番つらかったことは、荷物運び、当番班、サイン集め、交換会の準備、いや、一番つらかったのは、ぼろテントだ。立てるのも一苦労するし、訳のわからん通気口はあるし、そのうえブルーシートを上にかけなきゃ雨が降ったらすぐに浸水するわ、超はずかしかった。集中豪雨の時は他のテントに避難するありさま、そうだ、集中豪雨といえば、食堂フライが倒れたこと、あれはつらかった。急きょ竹ペグも作るほど大変だった。ぼくの、この12NJにおける一番の功績は、パイオニア章。ちっちっち、実はちがうのだ。本当は.....女の子だけでサイン帳を全部うめてアクエリアスの1.5をもらったことだ。イエーイパフパフー。ちょっと変態じゃないと思う人もいるかもしれないけどこれが、ぼくの12NJにおける最高の思い出になった。

   12NJに参加して         堀田良裕

ジャンボリーの出発日は不安しかなかった。行きのバスの中で安藤くんが小林副長に、「パン」とか「おにぎり」とかいってて、小林副長の第一印象は、「よくたべる人」というかんじだった。そのあと秋田についてもまだ不安がのこっていたが、1日2日と過ごすとだんだん楽しくなってきて、夜になると交換会をしたりして楽しく過ごした。交換会をやるすこし前の歌の練習の時の、犬飼君の司会がおもしろかったりした。交換会の後で食堂フライの中に集まって、話し合っていたときが一番おもしろかった。班にいてもあんまり、おもしろくなかった。ちがう班の人といるときが、一番おもしろく、楽しくすごせる時間だった。雨と風が強かったときに66のテントがとぶといけないからってほかのテントで一夜をあかした。でもテントはとばずに水たまりが中に少しできていたというていどであった。各班の班長はいい人であった。小林副長とか上級班長とかもすばらしい人だった。もっとも犬飼隊長がとてもすばらしい方だった。設営、撤営のほかはひかくてき楽だった。帰りのバスも楽しい思いでばかりだった。行きと帰りは大違いだった。

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