名古屋第66団の歴史概要
 1971年(昭和46年)、名古屋第22団のスカウト数増加にともない当時の東山学区南部を中心に、遠山邦孝氏を育成会長に、故水野澄雄氏を団委員長に発足しました。発団記念式典は1972年(昭和47年4月に千種区役所ホールにて22団の発団10周年記念と合わせて行われ、当時の名古屋北地区内の多くの団のスカウト関係者にも参加をいただきました。式典後に千種区役所から東山小学校までパレードを行うなど、現在から考えるとかなり盛大なものでした。その後1981年(昭和56年)東山小学校分校(現見付小学校)にて10周年記念式典、1991年(平成3年)には20周年記念式典を行いました。また、2001年(平成13年)には30周年、2011年(平成23年)には40周年を迎え今日に至っています。

 これまでの66団を語るときにまず最初に挙げるのはこの間に誕生した5名の富士スカウトです。特に、66団初の富士スカウトとなった林寛さんは愛知連盟初の富士スカウトでもあり、66団の大きな誇りです。

 そして、発団から20年近くにわたり団委員長として、またスカウトハウスや野営地の提供をしていただくなど団の発展に尽力された故水野澄雄氏、同じく発団よりボーイ隊、シニア隊等の指導者として前記5名の富士スカウトをはじめ多くのスカウトを育てていただいているご子息の水野文男氏のお二方の功績があってこそ今日の66団があるということを忘れることはできません。

 何年たっても66団の活動指針はこれまでと同様、昭和初期からスカウト運動に参加されていた故水野団委員長が残してくれた最後のメッセージです。これはスカウト活動の真理を語っているのでここに紹介します。

スカウト、リーダー、団関係者およびOBの皆様へ
・スカウト活動は他の人のためではありません。自分自身が成長する事にあるのです。それが世のためになり、奉仕活動につながります。
・ スカウト活動は世界中が友達です。日本だけにこだわらず、21世紀に向かって大きく見、物事を聞き、前進することが大切です。
・ 66団のリーダー、スカウト、団関係者は一生の(死んでからも)仲間です。信頼をもって団結して下さい。
指導者の皆様へ
・ より良い次の指導者を育てて下さい。山もあり、谷もあり、思い、考え、悩むこともありますが、厳しく、時には暖かく、(後進を)見守ってやってほしい。それが皆さんの使命だと思って下さい。
皆様へ
・ 私は努力を致しますが、残念ながら20周年行事を迎えることなく、遠い世界へ行くと思います。私はスカウト活動が生涯最高の幸せでした。今まで私を支え、ご活動、ご支援、ご指導くださいました、あらゆる方々にお礼を申し上げたい。
            1991年(平成3年)5月 病床での口述を石原副団委員長が筆記