中国西安への発掘の旅

考古学の専門家ではない私達は、まず、西安交通大学で陝西省考古学研究所の先生方の講義を受けてから、発掘の手伝いに向かいました。 手伝いと言っても多分ご迷惑だったと思います。


その1 next
発掘現場へ降りる  西安の北でマンションを建設していたら、偶然に戦国時代の墓が23基、1ヶ所でまとまって発見されました。 そのうち2号、4号、5号の3基を発掘しましたが、既に盗掘されていました。
大きさは、

  3.7m×2.8m 深さ5.1m
  6.0m×4.5m 深さ6.1m
  4.2m×2.6m 深さ7.1m

出土品は、金の指輪とイヤリング、
青銅のベルト止め、燭台、壺、
焼き物の壺、食物を入れた器、
貨幣、人骨、銅鏡の破片、朱、
木炭、木片           
 ここは地表を垂直に5〜7m掘り下げ、梯子と縄梯子で乗り継いで地下におりての作業で生き埋めになるのではないかと不安でした。

 写真は、右側に小さく見えるのが地下で発掘中の5〜6人の姿です。






その2 prevnext
壁画の修復  渭河(黄河の支流で渭水ともいう)のほとりにある李晦の墓、

 紀元698年、則天武后時代、唐の太宗の甥で日本の大臣級だった、李晦の墓は、渭河の流れの変化により墓道は削られ、すでに一部は崩れて流失しています。

 この墓の壁画は、葬列の様子、馬、人、花、鳳凰、雲等描かれていて、なかなか立派なもので、この泥落としを手伝いました。

 壁画の風化が進んでいて、絵が浮き上がり、泥を落とすと絵も共に落ちてしまい困りました。

 玄室の天井に盗掘した跡があり、落書きがありました。
玄室に入る手前に2枚の大きな石の扉があり、墓碑銘が刻まれていました。

 拓本を土産にいただけると言うので、この石碑に墨をぬり、バレンでたたいて真剣に働きましたが、結局は何ももらえませんでした。

 発掘の研究の結果が未発表だからダメなのだそうですが、不満が残りました。







その3 prev
綿羊の俑

漢の景帝劉啓の墓 陽陵、

 西安空港へ通じる高速道路の建設中に陽陵付近の地下から発見された大量の俑は、兵士、武器、車輪、牛、鶏、犬、豚、羊、そして銅器、鉄器等、俑は彩色され実物の1/3の大きさです。

 この発掘調査は「中国漢陽彩俑」として中国語、英語、日本語を併記した立派な本になっています。

 今も発掘は続いていて出土した俑の泥落としをしました。
私は綿羊を担当しましたが実に写実的で、実物そのものです。

 秦の始皇帝の兵馬俑は実物大で衣服を着た姿で焼き物になっていますが、景帝の陽陵のものは、実物の1/3で裸の姿で焼かれていて、その上に衣服を着て埋められていました。
頭部には絹の布が残っているものもありました。

 鶏は実に巧妙にできていて、細い足で立派にたっていました。
中国の歴史の一端に触れて、その程度の高さに圧倒されました。

 しかし一方で、現実は、水道の水が日常的に断水し、しかも貴重な水が出たと思えば今度は水が止まらず流れっぱなしです。

 水道の水さえままならぬ現実の中国と、過去の偉大な文化とのギャップにとまどいを感じました。




■見ていただいてありがとうございました。
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