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養護教諭のひとりごと
himeのひとりごとです。     今日は,何を聞いてくださる?
中学生の性行動と小学校での性の指導 塾の先生と見合いした友人
自閉症多動児Dくんの学芸会 頭がいいこと
教科より大切な生きていく姿勢の話
 2月に,養護教諭研究協議会がありました。私は、性の指導の分科会に参加してきました。
その中で、中学の先生からこんな発言がありました。
 「今年、中学校にはじめて赴任した。同じ地区の中学校に赴任したので、前任の小学校から進学して今の中学に来ている子も多い。しかし、自分が小学校にいる時、あれほど「性」や「生命」について取り組んできたにもかかわらず、中学生の性行動を見ていると(1部ではあるが)小学校で学習したことはなんだったんだろう。と考えさせられる。正しく理解されていないための、無防備な性行動・望まない妊娠。がある…。
                  
 以来、「小学校の性の指導」をもう少しシビアに考えなければならないのでは?と、自分自身への問いかけが始まった。うーーーん。うーーーん。小学校では、きれいにきれいに。性よりいのちを前面に出して、ロマンチックに。シビアな部分は中学校に任せよう。なんて甘さがわれわれの中にあるのではないか。
                                   
 でも、本校の「いのちの学習」で取り組んでいる「情報への判断力」に目を向けた取り組みは、方向として間違ってはいないな。やはり、われわれの想像以上に思春期の子どもたちにゆがんだ性の情報は、彼らの思春期の性への興味を、必要以上に駆り立ているのだ。
低学年の時に感動した、あのときの授業というのは、思春期という大きく揺れ動く時期には、記憶の奥底に追いやられてしまうのだろうか。

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中学生の性行動と小学校での性教育
塾の先生とお見合いした友人
わたしの友人Sさん(中学校の先生)は、以前、塾の先生(多分進学塾と思われる)とお見合いをしたそうです。
 その塾の先生は「中学校の先生というのは学校で何を教えているんですか?塾にくる生徒は、学校の授業は退屈だ。塾のほうが面白いといっていますよ。」と彼女にいったそうです。
 彼女は、その場では、「こんなやつ話にならん」と思って、適当に受け答えしていたそうですが、心の中では怒りで一杯だったといいます。Himeだったら、その場で逆上して、血みどろの口論をしていたでしょう。           
 こういう人種が、すばらしい教育をしていると勘違いをして、学校を非難している点が日本の学校の不幸な点であると思うのです。
 学校は、塾とはちがいます。一定レベルの子どもたちを、入塾テストで集め、勉強させること・点を取らせるための指導をしている塾とは違うのです。
 家庭的に恵まれない子もいます。学校に登校できない子もいます。本当はやさしい心 を持ちながら、非行に走ってしまう子もいます。からだは中学生でも、学習レベルが小学校低学年くらいの子もいます。
 そんな子どもたちが、ひとつのクラスの中で、いっしょに学習しています。レベルの高い子どもだけに焦点を合わせた授業はできません。学習面で劣る子でも、思いやりを 一杯持った子もいます。スポーツでがんばれる子もいます。誰よりも上手に掃除ができ る子もいます。成績という一面だけでなく、人間としての子どもを育てるのが学校です  あるいは、クラスの中に障害を持った子どもがいれば、一緒に生活する中で、周りの 子の心が自然に育っていく、それが学校です。私の学校にも、進学塾に通う子がいます。通うこと自体が問題ではなく、そういう子の中には、「点数至上主義」の子や自分の意志が何もなく「親のレールの上にただ乗っているだけ」「勉強ができることがいいこと」などという認識を持った子があります。
 私は、塾そのものを非難する気はありません。私の娘の友人T君が通う塾の先生 は、少し障害があるT君を丸ごと人間として包み込み、勉強だけでなく,お母さん の悩みに親身になってくれる先生です。学校と塾は相反するものでなく、もっと分かり合って、未来をになう子どもたちのために何が必要かを考えていく必要があると思います。


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学芸会での大きな感動  =D君が,みんなと一緒に劇に!せりふを言った!すごい!すごい!=
 くんは,2年生(1998年度)。自閉症多動児として,障害児学級に在籍している。そう,「こぼれ話」のページに出てくるhime先生をトイレの掃除用具入れに閉じこめたD君です。
 彼の成長ぶりはすばらしい。1年生の頃は,言葉も話せず,学校中を走り回っていた彼。今では,会話の数も増え,給食の後かたづけもきちんとできます。算数もひらがなもかけるようになりました。
 昨年は,出演できなかった学芸会。今年は,彼は,みんなといっしょに劇に参加することができました。
 「あ,Dちゃんが,みんなと一緒にがんばっている。!」それが,最初の驚き。そして「感動」劇の後半部分では,マイクの前で,しっかりした口調で,せりふが言えた彼。
 先生たちも,観客席からも「Dちゃん,すごいね」のどよめきと感動!
根気よく指導された2年生のK先生。障害児学級のS先生,W先生。ここまで来るのは,大変だったと思う。
 でも,「きっと,やれる」と信じて指導されたそうです。
そして,なにより「子どもたちが,上手につきあってくれたんだよ」と先生。
この学年の子どもたちは,保育園の時からずっと,D君と一緒です。だから普通なんです。D君に対しても。
D君がいることで,まわりの子どもたちも,心がうんと育っているんです。
Dくんのおばあちゃん。この日のために,Dくんのすてきな衣装をありがとう。青と赤と緑と・・カラフルなボンボンがすてきでした。

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 「頭のいい人はいいな。」といった子がいました。
 「「頭いいってどういうこと?」と聞くと,「成績がいいこと」と返ってきました。
 「うん?そう?先生は,それって違うと思う。成績がいいっていうのは,成績がいいってことだよ。頭がいいって言うのは,生きていく知恵があることじゃないかな?」「一流大学出たから頭がいいとは言わないんだよ。一流大学出ても,人間として頭悪い人いっぱいいるからね。」
「ふーーん」
 子どもたちよ。人間の価値は,学歴や卒業した大学の名前では決まらないのだよ。そのこと,わかってほしいな。
 たまにいます。担任の先生に「どこの大学,出られたんですか?」と聞く親。
私は,自分の子どもの担任が東京大学だったら,いやだけどね。(べつに東大を嫌ってるわけじゃない)。だって,超優秀な先生に,「勉強嫌いの子」や「はみだしっこ」のきもちわかるとおもわないもの。教師だって,親だって,誰だって,完璧な人いなくて,不完全な人間だから,いいんじゃ


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頭がいいということ
 なんだか,意味不明のタイトルですが,つまりこういうことです。
 
先日,ある卒業生の話題になった。決して,成績の良い子ではなかったがある子が,ずっとあたためてきた自分の夢をとうとう,実現しかけている,という話から。
大切なのは,学習を詰め込んでいくことじゃなくて,特に小学校では,いろんな活動
や友だちとの関わりの中で,「意欲を持って取り組んでいくこと」「人の温かさを知ること」「自分の子とを好きになること」村案ものを見つけてほしいよね」ということが話題になった。
そんな力が結局は、学習面に生きてくる。子どもたちは,お互いが高め合う力を持っている。


 
今、家庭で、目先の学習や点数に目が行ってしまいがちです。人より1点でも多く取ることではなく,遊びや学級の仕事やいろんな子とを経験して,生きることの楽しさを体感してほしい。本校の先生たちは,点数で子どもたちを見ようとはしていません。
職員室で,先生たちの話題の中では,子どもたちの大きな可能性がたくさん聞こえてきます

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教科より大切な生きていくみたいな話