■ 茶会 亭主はどこに 亭主の働き 茶会の失敗 * 亭主はどこに 大寄せの茶会のことなんです。お点前をする人、その後ろに座って対応している 人。この場合亭主は誰なんでしょうか。後ろに座っている後見人みたいな人は、席 主と普通いいます。正客がお菓子はとかお花とはとか、尋ねてきたらこの席主なる 人が答えるわけなんです。ややもすると席主の後ろに半東さんも座っていることが あります。大寄せの場合、一人がずっと点前するわけにも行きません。社中で稽古 している人皆に点前をしてもらう機会もないといけません。本当はお点前をしても てなす人が亭主であるべきなのですが、大寄せの茶会ではそうとも言っておられな いのが現状です。ある茶会を手伝いに行った時のことです。席主なる御夫人がいう には私も手伝いをお願いされたということです。なんと東京から来たとのこと。ふ ーん、雇われ席主ねー。そんなのもありなのかなーと思ったことがありました。 もうかれこれ20年ぐらい前になりますか。京都の楽美術館にいき、たまたまそ の日お茶会がありました。毎月1回美術館の横にある茶室で、歴代の楽茶碗で一服 頂けるのです。まだ当時、楽の当代はお若くて御婦人も若かったです。その御婦人 がお点前をして、当代が半東役で座っていました。お客さんとは当代が主に対応し てました。お茶碗の説明をしたり、お茶が点てば出しと。御婦人はにこにこ相槌を 打ちながらお点前をされていました。そして時には、それはこんなようでしたよね と合いの手を入れられ、まさに夫婦ずい唱という感じで、いいなーと思ったことが ありました。一緒に工房に入り、一生懸命茶碗を作っている様子が伺えるようでし た。これを見るにつけ、茶会でお点前をする人は、いかにも人形みたいにお点前し ているだけという。ちょっと寂しいなーと思うのです。 * 亭主の働き ご当地中京地区では、正月に如庵の初釜というのがあります。そこでのできごと です。この初釜にはたいへん多くの人が集まります。席主は6日間でずっぱりとい うハ−ドで、格の高い茶会として知られています。しかし案にもれず、正客の席譲 りはどの茶会でも同じことで、その日もああだこうだといってました。正客の席の あたりでは、どうぞ、いやそちらこそと。先に正客の席にいた2人連れのご婦人が その後にいた老夫婦にどうぞ、どうぞとやっていたわけです。小生が見るからに、 その老夫婦はお正月で有楽園も見て、ゆっくりお茶でも頂ければと、出かけてきた 様子でした。素直にあの正客は座ればいいのにと思って見ていました。 あんまりごちゃごちゃしていると、小生はすっと立ってでは私が正客をやりまし ょうと座ってしまうのですが、その日は成り行きを見ていました。それが、何とで すよ、外人の女の子が立ち上がって大きな声で、おじいさんが可愛そうだと思いま す。ときたではありませんか。一同びっくりでシ−ン。そう確かに可愛そうなんで す。それでもかわれ、かわれで結局おじいさん等が正客の席につきました。いや思 い出しました。先に2人連れのご婦人は、正客の席を空けていたんですね−。そこ に最後に席入りした老夫婦ということでした。よくある話しです。自分が座りたい のはみえみえなのに、わざと空けているのです。 さて、その間亭主は一体何をやっていたのでしょう。席はなかなか決まらないわ おまけに外人さんまで出てくるわ。何か呆然としていただけですね−。これはいけ ません。亭主次第でその一会が引き締まるか、だら−とした、ただの呈茶で終わる か決まってしまうのです。ぱっと正客を決めて、うむを言わさず点前を始めてしま えばいいのです。あるいは、お客に対して戒めの意味も含めて、正客の席を空けた ままでもいいかも知れません。如庵の初釜の場合、9割方はお茶の心得がある人だ と思います。素人さんでないのですから、このぐらい毅然とした態度で亭主は茶会 に臨むべきだったと思います。 * 茶会の失敗 毎年、春に花祭の茶会を開いているのは先に書きました。これにも幾つかの失敗 というか、まずいと思うことがありました。この茶会ではできるだけお点前をして その場でお出しするようにしてきました。5〜6人であれば、2つか3っつの茶碗 で点てることになります。飲まれたお茶碗を半東が亭主に返して、それでまた点て るわけです。稽古では当り前のことです。そのことで、あっまずいという場面に出 くわしたのです。いわば一個の茶碗の回し遣いというのは、気心の知れた仲であれ ば何の問題はないのですが。 その時、次客ぐらいにおじいさんが座りました。知人に連れられてあまり花祭も 茶会も関心がないようでした。小生は常のようにお茶を点て、差し出しました。そ の飲み方のきたないこと。まんじゅうをほおばりながら、番茶を飲むようではあり ませんか。開けた口から、にやけた歯が見えました。このような場違いのお客は滅 多には座らないのですが。その人が飲み終わり、半東が茶碗をとりにいき、亭主方 の常の位置に戻しました。後ろには替えの茶碗はありません。小生は何気なく茶碗 を取り上げ、またそのお茶碗でまた点て、所定の位置に置きました。 そこで、しまった−と思ったのでした。後のお客さんたちも、そのじいさんの様 子を見ていたと思います。汚いな−と思ったに違いありません。でも後の祭、半東 にこれは下げてとも言えず、黙って座っている他ありませんでした。この場合、替 えの茶碗を半東に持って来させるべきでした。このことがあって、人数が多かった り、他人さんばかりが座ったような場合、茶碗はいったん水屋にひきあげるように しました。茶道では濃茶のように一碗を飲み回したりして、一味同心などと申しま すが、いつもそれが成り立つものでないことを知らされた出来事でした。