■ はじめに 習うのはいつからでも遅くない 習うところを選べ 稽古の形態 理想的な稽古場 * 習うのはいつからでも遅くない あなたが、たまたまネットサ−フィンしてこのホ−ムペ−ジに辿りつき、茶道を 一度やって見たい。しかしもう歳だし今からではな−、と思うのは間違いです。茶 道を始めるのに早い遅いは関係ありません。考えたり、ためらったり必要は全くな いのです。そこが他のお稽古事と、一線を画するところでもあるのです。かつてお 稽古事は6歳のお誕生からとか、3つから始めるのがいいとか言われました。お琴 やピアノなんかは、実際子供自分からやはり始めた方がいいと小生も思います。そ れは体に覚えこます必要があるからです。茶道のお点前は体で覚えるのでしょうか。 違います。茶の宗匠に茶道は頭のものですか、手のものですか。と尋ねたところ即 座に、頭のものですと答えられた。そういう話しが残っています。茶道の点前は反 復練習で覚えていくものではないのです。 今の表千家の脇宗匠の、堀内宗心先生。宗完先生とまだお呼びした方が親しみが 湧きますが。宗完先生にはお兄さんがいて、代は兄が継ぐものだと思っていました。 それがお兄さんが急死され、急遽後を継ぐことになり、それからまともに稽古され 始めたとのことです。20才を過ぎてからのことです。宗完先生もおっしゃていま が、習い始めるには分別もつき、もの事の道理をわきまえるだけの年齢になってか らの方がいいのでないと。子供の時から習うのは、それはそれで別に行儀作法を習 うという意味で、意味のあることだとは思います。しかし茶道の目的は茶事という 形で人をもてなすことです。あるいはもっと単純に一碗でもって、人をもてなすと 考えてもいいでしょう。これを理解するには小学生や中学生ぐらいでは無理なので す。お濃茶も練れます。懐石の千鳥の杯もできます。まだ意味のないことなのです。 * 習うところを選べ 一口に茶道といっても、その流派はものすごくたくさんあります。確か千利休が 元だよな、何か流派といっても、どれでもそうたいして変わらないだろう。素人考 えで誰でもそう思うかも知れません。あるいは流派があることさえ知らない人だっ て多いと思います。しかし、流派によって全然違うことを先ず知ってい欲しいので す。表千家はどちらかと言うと禅坊主のお茶、裏千家は世界にピ−ア−ルするお茶。 その他、武士の流れをくむものなど、本当にたくさんあります。流儀は違っても目 指すところは一緒とはいうものの、そうとばかりいっておられないのが現状であり ます。本書を縁あって見られた方は、手前味噌にはなりますが、できれば表流を選 んで欲しいと思うのであります。 茶道の大きな流派は三千家といって、表、裏、武者小路千家の三千家であります。 この内、表と裏千家は全国的にどこでもありますが、その土地、土地によって盛ん な流儀というのもあります。例えば名古屋を中心とした中京地区では、松尾流が盛 んのようであります。実際、家元も名古屋の栄の一歩入ったところにあります。豊 橋では、吉田藩とゆかりのある宗遍流が盛んであったりします。豊橋にいた時、大 学の仲間2人を誘って、一時宗遍流を習ったことがありますが、点前の違いに本当、 閉口したものです。他の流派の点前も幾つか見てきましたが、やっぱり表流の点前 が一番簡素だったような気が致します。 そして先生を選ぶこと。これは実は非常に大切なことであります。しかし、これ がとても難しい。事実上選ぶことなんかできるものでありません。勤めの帰り道や 近所で習うことが、長続きさせる一つの条件です。そうなると社中も限られて来ま す。先生が熱心な人に当たればまさに儲けものといった感じです。力のある先生イ コ−ルいい先生とは限りません。ひどい場合は稽古そっちのけで、年から年中茶会 や花会の券を買わされるはめになります。それに最初飛び込んだ先生がダメだから といって、他を当たればいいといい訳には、これまたなかなか行きません。世界が 狭いのであります。 しかし確実にいえることは、もしあなたが全くの初心者ならば、先生の善し悪し が分かるはずもありません。先ずはしっかりと教えを受けようとする態度が何より も肝心だと思うのです。それは最初からベストな環境で習うにこしたことはありま せん。しかしこれをあまり意識し過ぎることはよくありません。人間誰しも裕福で 教養のある家庭に育ちたいと思うことでしょう。でもきれいな蓮はどこから咲きま すか。泥の中からです。裕福な家庭なら子供は皆立派な人間に育ちますか?。本書 を今見ている人は、皆いっぱしな大人のはずです。自分で見て考え善悪を判断でき る能力はあるはずです。人間パ−フェクトなんてことはありません。悪ければ悪く て反面教師とすればいいし、見習うべきところも、また多々あると思います。とも かくついた先生がどうであれ、先ず3年は続けて見てください。これが基本です。 * 稽古の形態 月謝は4千円から6千円ぐらいです。他に水屋料というのが2千円ぐらい必要に なります。水屋料というのは、他の稽古事では聞き慣れない言葉であすが、水屋は 茶道をする上で必ず必要で、点前の準備をする場所なのです。茶道具には様々なも のがあり、一度買ったら壊れるまで使えるものと消耗品があります。茶せんや茶き んはその消耗品に入ります。水屋料はまあ、そのようなもののお代といったところ でしょうか。しかし稽古料というのは、全国的な組織でもって何がしか標準がある 訳ではありません。全部で4千円ぐらいしか取らない先生もいれば、小生のように 一回500円というのもあるわけです。 稽古の時間帯は、これまた実にさまざまで、昼から夜十時までとか、夕方からと か、そして水曜日と土曜日だとか。たいがい行くと、すでに掃除もしてあり、釜も 棚も出してあります。順番にお客さんになり、亭主になって点前をして、はいさよ うならというのが一般的です。これらはカルチャ−センタや会社のクラブというの でなく、町の茶道教室のことであります。町の教室はそうそう、お花と一緒に教え てるところが多いようでもあります。隣の部屋でお花をやり、開いた時間でお茶を 教えるというわけです。しかしこれでは、あまり先生も身が入りませんね。お茶と お花はつきものように思っている人が多いかと思いますが、全然別次元のものです。 最初の内の稽古は、割り稽古といって服紗をたたんだり、茶せんを振ったりの点 前の部分的な稽古です。そしてお盆点てにすすみ、それで半年といったところでし ょうか。男子の場合もうここら辺りで嫌気がさしてやめてしまう。それはお盆点て がきっと面白くないからだと小生は思っています。そのことは別に話題にするとし て。何とかこの段階をクリアすると、またまためんくらうことが出てきます。毎月 のように道具が変わるのです。茶道は季節に非常に敏感です。それによって使う道 具が違ってくるのです。ちょっと覚えたかなと思っていると、見たこともない道具 が次行くと出ているわけです。 こんなような状況ですから、なかなか茶道は覚えにくい。ほとんどの先生は、ど うして今日はこういう道具にしたのか説明しないと思います。そりゃ昼からず−と 座って、来る生徒、来る生徒に説明はできないでしょうね。よっぽど自分自身関心 をもって本を買ってきたり、家に帰ってメモをとっておくなりの努力をしないこと には、理解は無理です。十年、二十年やっていた女性に先生がある時、風炉先を出 しておいてと言ったら、きょとんとしていた。こんなことが実際に起こってしまう のです。ちなみに風炉先というのは、釜の前にたてる屏風みたいなものです。やは り先生と言うもの、何度でも説明しようし、またそれによって自分の不勉強な点を 見い出すことが必要だと思うのですが。 * 理想的な稽古場 小生の茶道の基礎は、会社のクラブでした。学校を出て就職した会社のクラブに 入りました。先生は同じ会社の総務にいた人です。毎週水曜日、5時ぐらいから始 めて8時すぎまで稽古はありました。いっせいに揃って、掃除して、炭点前もして と、中味の濃い練習だったと思います。お釜は炭と電熱の2つをかけて、炭の方は お濃茶、電熱の方は薄茶の稽古でした。お濃茶のお客さんになったり、薄茶の方に も座ったりと、まんじゅうも2つや3っつは頂きました。そして年に一回だったか 二回だったか、総練習というのもありました。これは茶会形式で、フルコ−スをや るわけです。休みの日に丸一日かけての稽古です。 小生は当時20才そこそこ、男は私一人で最初こそしびれが切れるので大変でし たが、楽しかったです。いや本当。総練習の時は女の子にお弁当をわけてもらった り、クラブでハイキングにいったりと。外のお茶会へはたまにしか行きませんでし た。お金もほとんどかからなかったですね。小生はその後、大学にいったため、残 念ながらこのような稽古は3年でおわりになりました。しかしその会社にいた間は、 上司に逆らってでも稽古にいきましたね。残業拒否ですよ。それから豊橋にいって 地元の先生にもついたり、青年の家などもいって見ましたが、長続きしませんでし た。最初の稽古が恵まれ過ぎていたからです。 一般の社中では、そろって稽古を始めるということができません。勤めや学校の 帰りに順にやってきては、お客さんになり点前をしてそしてさようならと。茶道の 稽古はある程度人数が揃わないと、格好にならないのです。それに茶を点てるだけ でなく、道具を出してセットして、炭の火を起こしたりしないと、本当の茶道の姿 が見えてこないのです。それは茶会を開くとなれば、いろいろやることになるので すが、それでは機会が少な過ぎます。日々の稽古でそれをしなければ、体には身に ついて行かないと思うのです。 小生は、これは自分で稽古場を開くしかないなと思いました。豊橋の大学を卒業 し名古屋に戻って、ひょんなことから今のお寺さんに知己を得ました。お寺には以 前の住職が残されたお道具が少しありました。人が来なくて来ても、ともかく月に 一度、釜に火を入れようということで始めました。それが今に続いているわけです。 自分の先生に教えられたことを、同じような稽古のスタイルでず−とやっています。 お寺での稽古は、いっせいに始める利点の他に、もっと勉強になることがありまし た。それはお寺さんに来られたお客さんを、茶席のお客さまとして迎えることがで きるということでした。つまり、稽古=実践になっていったわけです。