* 平成26年4月のこと 4月6日、日曜日、名古屋市天白の相生山にある徳林寺にて恒例の花まつ り協賛の茶会を催します。最寄駅は地下鉄桜通線の鳴子北です。名古屋 市内でありながらここは山、緑濃い自然の中にあります。お薄一服500円 です。菓子は京都田丸弥のこの時期の半生菓子を使います。因みに去年 も同じのを使いました。写真はいつぞやの茶会の時に入れた花です。確 かこの年は桜が早く済んできて、日陰に残った桜をこうして入れた気が します。一度は床の間にどかんと桜を置いたこともありました。茶花と しての入れ方ではないんですがね、たまにはそういう遊びがあってもよ ろしいかと思うのです。花は自由自在、だからこそ面白い、楽しいので す。茶席の雰囲気というのは、いつもゆったりしています。どんどんお 客さんが来る訳でないので、点前が済んで、もう一度席中に入り、よも や話なぞをしているのが常です。常々思うのですが一般的な茶会という のは長い時間待って、点て出しのお茶が出て、それを飲んでお終い。客 同士、話をするこも稀だし。早い話、実につまらない。せっかく来ても らったのだから、ゆっくりして行ってもらおうよ。どんな人が座って下 さったのか、こちらもいろいろ尋ねてみたいじゃないですか。茶席とい うのは、お茶屋で酒と舞が無いもてなしの場みたいなもの。これまでの 茶会で、お弟子さんも自分の知り合いが来たら亭主となって出て、おも てなししてましたよ。ごく自然にね。かれこれ27回、そんな雰囲気で やってきた茶会、お客様はもちろんですが、手伝いに入ってみたいとい う方、大歓迎です。実を言うと毎度のことぎりぎりの人数でやっている のです。点前は一応、簡単でもいいので挨拶から始めてもらいます。小 生が助っ人で席中に入ることもあります。まあいろいろ、臨機応変で。 一緒に楽しみましょう。3/30 * 平成26年1月のこと 自分の茶道の始まりがここに。昭和31年11月28日、泉壽亭にて鷲 尾先生一門と裏千家の若師匠との写真。母、23才。母はこの時まだ独 身で、自分が生まれる約2年前のこと。この写真は昔から知ってました。 母からは、わしお?先生、わしゅう?先生だったか、聞かされていまし た。若い時に数年習いに行ったようでした。さっき母のアルバムから写 真を抜き出して、裏を見たら鷲尾先生とメモ書きがありました。習って まだ日が浅いのにお茶事に参加させてもらい、それはよかったと何度も 話すのを聞きました。あの当時、珍しかったマスカットだったかよばれ たとか、大きな椎茸が入っていたとか。うる覚えだなー。そんなこと言 ってたな。この日は新居浜の公会堂だったかで、裏千家の集まりがあっ て若宗匠が、今日袱紗を持ってきたひとーと言ったそうな。点前の稽古 がないからと言って今日は袱紗はいらない、そういうものではないです よと、そんな話を壇上でしたそうな。一緒に講演を聞きに行く中学時代 の友達が居なくて、どうしたのかな?と。そしたら舞台で点前があって、 それに出てきたのが友達だったのには驚いた。彼女は小さい頃から茶道 を習っていて、鷲尾先生に付いてはいたのだけれど、上級者とは稽古日 なんかが違っていたみたいです。母と一緒に写真館で写した写真を見る と、それは品のいい女学生です。ひろこちゃん、その写真は僕の憧れで した。今週末、新居浜に帰ってきます。何と、この鷲尾先生をご存知な 方がいらっしゃいました。写真を持って行って、どんな話が聞けるのか とても楽しみです。今まで、写真アルバムの中にひっそりと隠れていた 一枚の写真が、55年の歳月を経て語りかけて来ました。僕は今は表千 家ですが、ルーツはこの写真だったのです。1/29 * 平成25年12月のこと 先ずは次回の京都でのお茶席のご案内。1月12日になります。時間や お代はいつも通りです。毎回毎回やる度に新しい発見や出会いがありま す。長年稽古されて来た方でも、習い始めて日の浅い方でも、上七軒の この座敷に座ってみれば、きっと感じるところがあるかと思います。是 非一度お出掛け下さり、先ずは一服召し上がってみて下さい。さて、い ろいろあった今年も後、一日になりました。正月花を今年もマンション のロビーに入れましたよ。毎年やってきたことですから、やっぱりやら なくてはね。1月3日には、かつてお寺で初釜をやっていました。と言 ってもメンバーの方は正月で実家の方に行ったり、親戚が来たりで忙し くて、たいがいお寺に居る人に座ってもらってましたがね。それで自宅 でやろうかと思っているんです。ということで3日には自宅で茶席の用 意をして、先ずは独服し一年の初めのけじめにするつもりです。12/30 香炉の思いから。学生の頃、最初に瀬戸の陶芸家の家に連れて行ってく れた近所の方がいました。それから母と二人で年に一度ぐらいお邪魔し て、お題茶碗などを買わせてもらっていました。その方は別な陶芸家の 方へ出入りするようになっていて、何年か経った時、一緒させてもらい ました。茶席に点心席があり奥様が値段のことを仕切っていました。著 名な陶芸家で当時、窯出しは新聞に載るほどでした。そうなるとお値段 は10万円単位。そこでその方は香炉を頂くわと、他にも数点その場で 購入を決めていました。どうも投資の腹積もりだったようです。普通の 家でお茶の教室を開いているという訳でもなし。かつて母も加わり、ご 近所さんで裏千家の先生を招いて稽古してたんですが。僕はその時まだ 中学生で、夏休みに何度か稽古に座って、男の先生に手ほどきを受けま した。それが最初の茶道との出会いでもあったのです。話がそれました。 ともかく香炉なんか買ってどうするのと、その時思ったんです。茶道で も滅多に使うことはありません。それが思いがけず、先日のことで頂い て来て使ってみようと思ったのです。堀内宗心先生の灰についての本に、 千家の利休忌の法要の間に香炉を飾ってありました。昨晩その本を見て いて、今日中考えていました。そして帰宅するなり香炉に灰を入れて灰 形を作ってみました。灰は師匠の亡き家の納屋に残されていたもの。灰 さじは生前くれた物。灰に筋を付けた棒はいつもの茶舗にあった香道具 です。陶芸家の方がいっけんさん、この香炉に不都合な箇所が一つある んだけど分かるかねと。3つ脚の位置ですかねと答えました。模様のあ るのが正面で、正しくはそこに1本脚が来る。棚に飾ってあったのはち ゃんとそうなっていました。仏様にとがった所を向けないようにという ことらしいです。でも仏様に香炉の正面を向けるという思いでいかがで しょうか。茶道の心に適う素敵なあしらいかと思います。今度の日曜日 にはこの香炉を掛け軸の下に置こうかと思います。花は掛け物にしまし ょう。置き炉にして火はいれず、そうなると香は焚けないのでちょうど 香炉が意味を持つことになります。釜の湯は、別に風炉に火を入れて沸 かしておくことにします。香炉に脚の向きがあるのを知ったのは、高専 時代の恩師。中学出てすぐの出会いで、そして大学でもお世話になって。 先生宅にお邪魔した25歳ぐらいの頃だったか。お手伝いさんの話をさ れ、躾の行き届いた家のお嬢さんが来てくれている。おかしなのが前に 来て、掃除した後をみたら香炉の向きが反対向いていたぞと。その話だ けは何故かずっと頭の片隅に残っていたのです。12/19 "師走、自宅さえの会のご案内"。12月に入りました。巷ではクリスマ スの飾りが早々としてあったり、今年も終りなんだなーと意識せざる負 えません。そんな中、今年最期の茶席を自宅で設ける所存です。8月頃 から始め、こんなマンションの一室でも、少しは格好になるものだと感 じました。来て下さる方が一人でも今後も続けていきます。どうか皆様 よろしくお願いします。日時:12月22日 1時から5時 緑区鳴丘 のロイヤルシャトーにて。菓子は先日作った柿羊羹、それに善哉を用意 したいと思っています。善哉は師走の時期、お茶の世界では時として出 すことがあります。お互い慌しい師走の中のこと、お茶の準備も十分に できず、急拵えで善哉を菓子の代わりに作りました。箸も用意がなく黒 文字一本を添えて出す。一応、そんなように言われています。でも用意 するのはそんな急拵えのものではなく、大納言を弱火でことこと煮込ん だふっくらした豆の善哉です。母を京都に連れて行った時のこと、田丸 弥の善哉を食べてもらったのです。僕はそれこそ20代の頃から何かに つけ食べていたんですがね。それから何度か、この店の善哉を参考に作 ってくれました。なかなかの出来でした。さて僕に母が作った味が再現 できるかどうか。まあ何十遍と善哉の火の番をさせられましたから。砂 糖の分量、塩の加減は覚えているつもりです。一番おいしく出来た時は 5時間か8時間だったか火を通したと言っていたと思う。さて、やると なったら農協で大納言を買ってきて試しに作ってみなくては。試作品は お寺にでも持って行くとするか。母が生前お世話になっていた人達に案 内を出そう。お寺で月釜を懸けていた時に来てくれていた人達も誘おう。 今回はお代は頂きません。ご縁のあった人達を自宅にお招きする訳です から。でも手土産を持って来るつもりならお代は竹筒へ。何せ一人身の こと、菓子なぞいろいろ持って来てもらっても食べれない。本当、一人 では減らないです。12/5 * 平成25年11月のこと "西安の玉の遣い"。先日の上七軒で使った干菓子 "西安の玉" を携えて、 縁のある人、これからご縁になる人にお裾分けしました。こんな菓子は 滅多にあるものではない。一つずつ口に入れてもらいたい、そんな思い で今日はうろうろとしました。Facebookで友達になって頂いた呉服屋へ。 特に用事はないんですよ。無用の用って奴です。瑞穂区役所すぐ近くに あるです。何度もこの道は通っているのに呉服屋さんとは気づかなかっ た。この店の2階の座敷で茶道の教室やらいろいろ和のイベントをやっ ている、それを知ったのは最近なんですがね。知り合いの表千家の方が 教えてもいます。それで、どんなところか一度寄ってみたいと思ってい たのです。ちょうどいい頃合の男性が主人で、いろいろ話してしまいま した。鵜飼舟の催しもやったことがあるとホームページで見ていたので、 岐阜のお茶屋さんはご存知ですかと水を向けました。なかなか岐阜まで 守備範囲の人は少ない。それでしっかり鵜飼舟は舞妓さんらを乗せて一 番で出船するのがいいんですよと、しっかり宣伝しておきました。お昼 は四間道近くにある吉田寿司で雑炊を頂きました。僕の直ぐ後に2名サ ラリーマンが入ってきたんですが、同じく雑炊を頼んでいました。寒い もんね、暖かいのがおいしかったあー。ここでも玉を2つずつ3人にお 分けしました。やはり皆さん口に入れた瞬間にはっとしてますね。ここ の大将も名古屋の舞妓さんらを応援しています。長者町が歩いても僅か。 名古屋のお茶の本店に、前来た時しっかり上七軒の茶席のことを話した んです。僕覚えてますかとお店に、はいと応えられたので、それではと 玉を。先日使ったものです、一口どうぞとお二人に。ちょっとカッコイ イスーツを置いてある店にも寄って、ここでは3名が。マジックを始め るきっかけになったお店なんです。そして今日最期に召し上がってもら ったのは、この夜景が見えるホテルでの立食パーティでのこと。7名ぐ らいでしたか。丸い茶碗と四角の茶碗で薄茶と濃茶で区別があるんです かと、そんな質問を受けていました。茶道、習ってみたいとおしゃって いましたよ。京都でも自宅の方でもどうぞと。茶花のこともしっかり話 してしまいました。そのテーブルは実は親会社に当たるIT部門の面々が 揃っていました。本来ならまあ恐れ多いことでして。でもこのパーティ は何年も僕もその人らも来ているので、今さらねー。ヘッドの方に玉を どうぞと差し出しました。そしたら何と上七軒は学生の頃から今に至っ て行ってますとのこと。思わず、えーっとのぞけってしまいました。一 歩裏に入った小料理屋がまたよくてねとも。それって "お初" じゃない ですかと聞くと、そうだと。あそこのカウンターに何度か座っている内 に長谷川でお茶席を設けることになったんです。長谷川のことも知って おられました。まさか上七軒を知っていて、お初の顔馴染みだったとは。 会社勤めの身でやっと自分を分かってくれそうな人物に出会った。とり あえずは上七軒の縁続きで、岐阜にお連れせないかんねー。11/16 京都上七軒は行けば行くほど好きになる街、花街です。12時前に長谷 川に入り、1時に準備ができて、先ずは長谷川のお兄さんと一客一亭で す。やっぱり、いつもの如く挨拶から始めてしまいます。釜を懸けてち ょうど1年経ちました。本当は9月にガラスの茶碗で遊んで10月に道 具を持ち込んで試し釜をやったんですがね。お互い早いなー、もう1年 経ったんですかねとしみじみと。お互いその間にもいろいろあって、で も喜びも哀しみも全部包んでしまうのが茶道。お茶屋もそうなんですよ ね、岐阜のお茶屋さんで母が他界して世話になった人を招いて一席設け たんです。その時に陰膳を設えてくれていた。うれしかったなーとお兄 さんと話たんです。それで今日の菓子なんですが、田丸弥さんのきんと ん、銘は里神楽。菊を模して作ったとか。秋の稔りを祝うお神楽が聞こ えてきそうです。一つ間を置いた命名がいい、ストレートに紅葉じゃな いんだ。小さなつぶつぶは鶴屋吉信の西安の玉、口に入れた瞬間にはっ とします。驚きですねー。これだけ買って、又バスに乗り上七軒に向い ました。菓子の写真は名古屋に帰ってきて撮りました。10個買って9 つ使ったんです。母に供えることができました。今日のお客様は多彩で した。名古屋からわざわざ4人来て下さいました。お点前もしてもらっ て一緒に遊びました。その前にまだ若いご婦人がお一人、何とお茶屋の 谷川を検索しようとして間違えて長谷川と打ったとか。何がどうなって ご縁ができるか分かりません。お茶を習ってみたいと思っていたとのこ と。どうぞレギュラーメンバーになって下さいと言っておきました。で も即メンバーで、いきなり花も入れてもらったし、菓子も奇数個入れて 下さいとやってもらったり。そうこうする内に4時ぐらいになりました。 お二階の方から談笑する声が聞こえてきました。長谷川の主人という年 輩の方がいらっしゃるんです。お友達が来られて、話が弾んでいるとの こと。それでお菓子とお抹茶をお持ちしたのです。それが竹を割ったの を皿代わりにしたものです。外に出てみると学生さんが上七軒から西陣 をライトアップするイベントの準備をしていました。声を掛けたら3人 やってきました。男ばかりでしたがね。一人女子学生がいて、行きたい けど準備があるんで行けないんですぅーと残念そうでした。若い人はい いね。西安の玉で一服飲んでもらいました。イベントが始まる5時4分 前に点前は終わっていました。勿論お代なんてものは頂きません。何せ ここはお茶屋、京都の学生さんは出世払いで結構です。辺りは暗くなっ てきて外は小雨まじり。そうそう、名古屋からの一行さんに拝見を請わ れたんです。茶器は例の芽柳の棗、茶杓はこれは師匠からもらったもの で銘はあるんですが、菓子の銘に因んで"里の雨音"と答えました。6時 前に長谷川を出て、鍋焼きうどんを食べて、ライトアップのスタンプラ リーに参加して達成!、地ビールをもらってるんるんで帰途についたの でした。毎回、何が起こるか分からない。今度は貴方が来て体験してみ て下さい。写真などは Facebook の方を見てやって下さい。11/14 上七軒でのお茶席のご案内。11月10日、上七軒お茶屋、長谷川にて。 料亭紅梅庵向かい。ひっそりとした佇まいを今に残す花街、上七軒。本 物の京都が残る町。そんな中でのお茶屋さんで、お抹茶を点前で一服い ただいてください。築150年という長谷川の町屋、勝と名が付く芸妓 さんを輩出した伝統と格式のあるお茶屋です。金閣寺を題材にした小説 を執筆した水上勉氏が逗留したのもここ。遊びの世界だけではなく、文 芸の香りも色濃く残す場所でもあります。まさに小説の世界が今尚残っ ています。奇数月の第二日曜日、午後1時から4時ぐらいまで。会費は 千円です。お稽古されたい方、それにレギュラーメンバーも募っており ます。12時に参集くださいませ、会費は2千円です。日本で最高のも てなしの場、お茶屋にて貴方もおもてなしの一員に加わってみませんか。 この茶席は長谷川を維持管理されている大本氏の厚意により開かせて頂 いております。席主 加藤見珠 表千家・さえの会(茶遊一会) 11/2 * 平成25年10月のこと "佐和山城の百間橋"。お昼頃、地下鉄に乗って、細雪を読破したのをい いことに新たな本を読んでいました。石田三成の秀吉が所望した茶のエ ピソード、過ぎたるは島左近と佐和山城。この城はかつては壮大な構え で当時は琵琶湖畔に立ち、百間もの橋が渡っていたと。すごい!と感心 していたらちょうど降りる駅でした。扉に慌てて行ったものの後の祭り。 周りのおばさん連中が小生の様子を見ていて苦笑しました。照れ隠しに これを読んでいましたと、本を差し出したら、なる程と納得してました。 司馬遼太郎の関が原です。それで市役所で降りた訳なんですが、名古屋 城の外堀を西の端まで歩いてみました。上七軒に遊びに来ませんか、と いうのをシェアして下さったお寿司屋さんに向ったのです。堀川の四間 道の反対側にありました。昨日ホームページを見ていたのです。奥が長 く座敷や茶室がある由緒ある建物とのこと。お昼でにぎり寿司を頼みま した。客は先にテーブルにサラリーマンが4人。にぎりを出してくれる 頃合を見て、昨日はシェア有難う御座いましたと、礼を言いました。す ぐに分かって下さって、女将さん共々お話ができました。四年前程前か ら、奥座敷で名古屋の綺麗所を呼んでのお座敷の会をやっている。昔は ここでもそれが日常的だった、改めてそうした文化を残そうと始めたの だと話してくれました。ここにも花街文化の一翼を担おうという主人が いた。名古屋のみならず、お客を通じて上七軒の芸妓さんともつながり があり、勝瑠さんの写真も出てきました。年来の常連らしき方がやって きて、それを潮にお暇しました。四間道から円頓寺界隈を見て名古屋駅 へ。ふと、そう言えば長く東玉堂へ行ってない。たくさんの飲食店がで きて、一瞬どこだったか、無くなったかと思いました。特に目当ての物 とかなかったのです。ご入用の物があればと声を掛けられました。2階 には掛け軸があり、少し話しを聞きました。他の階も見られますかと言 ってくれたので、せっかくですのでと。5階だったかに、茶道の先生か ら引き取ったお道具がありました。たまたまなことで、売り出しの案内 に載せるようなことも無いそうです。昨日ここに置いたもの。そんな大 した値段はついていません。上七軒の方にもあるといいなと思っていた 茶濾しなど手に取りました。広間の方も見せて下さいました。立派な破 れ風炉が売約済みの札が。ぱっと眼に止まったのが柳の蒔絵を一面に施 した茶器でした。値札もまだ貼られてませんでした。中棗でどこかで見 たと思います。柳はお目出度い。雛祭りに因んだ席で柳尽くしの道具を 仕組んでいるのは本で見ました。特に時季はないけど、これからお雛様 まではちょううどいい。ぱっと見たところ重さや木の痩せなど、50年 ぐらいは経っているのでないかと思いました。箱に書付けとか何もあり ませんでした。でも、これだけの品ならきっと有ったのでないか。本人 が亡くなり道具も散逸していく、あるいは長い月日の間に元の箱がなく なり、有り合せのに入れた。ともかく見た瞬間に使って下さいと言って いるような気がしたのです。それでお値段は幾らだったかって。内線電 話で目利きの店主?かに問い合わせていました。まあ納得の値段でした。 本当は5千円ぐらいならとは思ったのですが、そんな値段では骨董市で も出てやしません。結構高いですよ。吹上ホールの骨董市でも見ますが、 3万円や4万円はざら。値段のことはよしとして、道具は出会い。11 月10日にお披露目します。皆さん是非、上七軒の長谷川まで遊びに来 てください。10/8 小生、学校が岐阜だったこともあり、休みの日は岐阜へ出掛けることが 多いです。先週は長良川おんぱくの初日ということで、オープンニング セレモニーに出て、昼からは舞妓カフェ船に乗っておりました。住んで いるのは名古屋で、岐阜まで来ると心が和んでくるのが分かります。と っても好きな街です。次に好きな街は犬山ですね。こないだのカフェ船 には、何と七尾から四名来られていました。能登おんぱくのパンフレッ トを頂きました。先ほどよく見たら、カフェ船の案内も載っているでは ありませんか。お互い協業して盛り立てて行こうということでしょうか。 舞妓さんによる冷水点てもしっかり見てもらいました。是非、輪島塗の 道具でそちらでもやって下さい。七尾がありなら京都もありでしょ。岐 阜から京都は近いもの。おんぱくの合間に京都、上七軒にも足を伸ばし てみませんか。小生縁あって、奇数月の第二日曜日に茶席を設けていま す。そもそもは岐阜のお茶屋さん、満豊から繋がるご縁なんです。上七 軒の長谷川というお茶屋さんの奥の座敷で釜を懸けています。北野天満 宮にお参りしたり、向かいの紅梅庵さんでお弁当を昼に頂いたり。京都 でもここら辺りは観光客も少なく、はんなりした雰囲気があります。長 谷川には1時から4時ぐらいの好きな時間においで下さい。一服頂くだ けでなく、お点前の心得がある方は是非、点前もやってみて下さい。そ こが他の茶席と違うところなんです。ここでのお茶は"茶遊一会"、茶道 とお茶屋の遊びの世界を合わせたコンセプト。何十人も何百人も来る茶 会では、とてもやできないこと。ひっそりした上七軒だからこそできる 芸当なんです。ひょっとすると上七軒の芸妓さんなんかも、お忍びで座 っているかも。日本で最高のもてなしの場で、一時清遊してみませんか。 次回は11月10日1時から4時ぐらい。お代は千円にて。会の名称は "さえの会"、"茶遊一会" から取っています。10/3 * 平成25年9月のこと 小春日和の一日、2013年9月28日のこと。長良川おんぱくのオー プニングセレモニーから始まった。会場到着10分前にきくじさんの奉 納舞が終わっていました。でもその後の鏡開きで升酒で乾杯です、しば らくして菓子撒きが始まりました。協賛の出店が幾つか。長良川サイダ ーや杉山旅館による鮎にゅうめんなど。にゅう麺なる物、ひょっとした ら初めてかも。何と天然鮎をつかって、たったの500円。並んでいる 時、携帯が鳴り誘っていた友が会場に来たとの連絡が。友もにゅう麺を、 さらに居合わせた犬山の市会議員のお兄さんも一緒に頂きました。その 後、友と山下鵜匠の店で鮎雑炊を。こちらもおいしかったです。相変わ らず鵜が放し飼い?で、そこらにいました。ぼちぼち鵜飼観覧所に向か い、1時ちょいに約10名を乗せ出舟です。威勢のいい鳴り物で何とも 気分がいい。水の表がきらめき澄み切っています。10分ほど上流へ向 かい、何とも心地よい風が顔を撫でて行きます。岸に舟を着け、やおら して舞妓による冷水点てが始まりました。替え茶碗には何と、今日小生 が持参したガラスの茶碗を使って下さいました。おんぱくの所でちょっ とお見せしてたんです。よかったらどうぞと。このガラスの茶碗が冷水 点てを考案したそもそもの元なんです。ここで使わずしてどこで使うか。 一碗の茶碗が一つの縁になって、このような場面に自分自身、居合わす とは。本当うれしい限りです。お茶の次は舞妓さんと幇間のお兄さんに よる舞の披露。笛を吹いている方による舞の説明が何ともいい。鵜飼の 情景を唄っているのかと思いきや、永久に貴女をお慕いするという男の 恋心を唄っている。憎いねー。2時間の舟上での遊びも名残惜しい、下 船です。友とは川原町を散策し、ピアノの演奏の元、カフェでしばし歓 談しました。こんな時でないとケーキなんか食べることもないネと、二 人して奮発しました。ケーキのセット、ブルーベリーのロールケーキで、 本物のブルーベリーもたんまり。これだけでも名古屋なら千円行ってし まうぞ。珈琲はお代りして下さいとのこと。勿論頂きました。友とは別 なのを頼んだので交換しちゃいました。これで千円。極上の一日でした。 舞妓カフェ舟といいます。まだ10月10日に最期のお舟が出ます。皆 さんいかがですか。何とも優雅なお遊びです。たまにはこんな一日があ ってもいいんじゃないですか。9/29 高岡大仏の回廊の入り口に鎮座するおびんずる様。やっぱり写真を一枚 載せておこう。3年ぐらい前、やはり風の盆の翌朝ここを訪れた。その 時、しゃもじみたいな、おびんずる様の手だったかを買った。勿論、母 の背中の痛みが少しでも柔らぐようにと思って。その役目は終わり感謝 の気持ちで寄ったのだ。おびんずる様というのは、仏陀の弟子の一人と いうことなのだが、なかなか知る人も少ないが、母は子供の頃からおび んずる様を知っていて、何回か母の口からその名前を聞いていた。昨晩 からずっと母の短歌の結社の雑誌から母の短歌を抜き出し Facebook に 書いてきた。多分、どこかにおびんずる様の歌もあると思っている。花 の写真はマンションの僕の部屋の前で咲いているものだ。植えた覚えは ない。一度管理人が草取りで取っていたのだが、また出てきた。この暑 い夏も乗り切って、少し涼しくなってきてこうして花を咲かせているの だ。名前が分からない。たくましいなー。人間もこれぐらいしぶとく生 きようよ。母の短歌で一つ。読み方が分からない代表みたいな歌で紙に 書き出していた。結社の人が母の追悼文を書き、その号を送ってくれた。 昼に電話しお礼を言って、ついでお邪魔させて下さいと言ってみた。貴 方にも短歌を勧めたいと思っていたところ、とおしゃって下さった。1 時間後にはその人宅にいた。罪のごと病背負ひて永らふを妣の齢越ゆ水 無月の尽。その方に教えてもらった。妣は亡くなった母親のことで、は はと読む。尽はつきるとかじんとか読み、その月の終り、月末のことを 意味するのだそうだ。結社に入ると、毎月12首の歌を作って出すこと になる。それが毎月の雑誌に優秀であれば、掲載される。結構大変なこ となのだ。おびんずる様と短歌、何の関係が。訪問した人の出身が電話 で話していて富山と分かりました。それで先日の八尾行きで、高岡で銅 の花入れを買ったところで、干菓子も1つ買っておいたのだ。それを手 土産に持参したという次第だった。9/21 お題は成瀬幸鈴作、蜩。写真を Facebook の方に載せました。瀬戸物祭 りに行ってきました。去年は確か行きそびれた。人形に会ってきました。 台風が来ているというにも関わらず、すごい人出でした。瀬戸蔵の5階 でしたか、作家の3つの団体が一つの大きな部屋で展示してありました。 瀬戸の作家が一同に会した作品が展示されています。でもいつものこと ながら、そんなにここまでは人が来ないんです。しかし素晴らしい作品 ばかりです。ここでの出会いで、成瀬さんの作品を丹羽さんの作品を手 に入れることができた。残念、丹羽さんも80歳を過ぎ、今回の出品に は遠慮されたそうな。でも10月の展覧会には出すとのこと、是非また 瀬戸に赴くとしよう。大振りの志野、織部の茶碗がありました。成瀬さ んが来られるまで、茶碗を前にして話しを伺うことができました。荒川 豊蔵氏と同じく土を探し、志野茶碗を安土桃山時代さながらに再現しよ うとした。家にもある太陽という雑誌を子供の頃から見てましたと、言 うと、そうだろう、見開きにある竹の子の陶辺、すごいよねと話されて いました。この茶碗らは、こうして右肘を張って武将のように持って飲 むのだと。作家の何を意図して作ろうとしたか、まざまざと示してくれ ました。ふと横を見ると、成瀬さんがそばにいっらしゃいました。先日 の八尾での菓子を、皆さんでどうぞと先ずは渡しました。玉天を売って いた所で、別な干菓子も買っておいたんです。注文で作ったのは、どう やら母が頼んだ物だけみたい。うまくできるかどうか不安だったとのこ と、でも色もよく出て自信作でしたと話されました。いいお母さんだっ たよねと言って下さいました。お隣のコーナーで一緒にコーヒーを飲み ました。てっきり母より若いのかと思ってました。そしたらもう私80 行ってますよって。なかなかこの数年は新作ができない。この人形を見 ればどれだけ神経を使うか分かるというもの。それでこれは愛知万博の 迎賓館に飾られたもので、世界のVIPをお出迎えしたものでした。初 めてみました。蜩の雰囲気が分かります。幸鈴さんの作品は日本中探し ても、同じような作風の人はいません。求めた人が言うには箱から出し た瞬間に、いつもはっとさせられると。僕もそうです。まるで生きてい るかのよう。ですから年に一度だけ箱から出してあげるんです、それが 僕の場合はひな祭りに因んだ茶席なんですがね。この人形一体を見るだ けに、瀬戸に来る価値はあります。そう思います。お願いして写真を撮 らせてもらいました。いろんな角度から撮ってみました。これだけの作 品を生み出す人なのに、至って照れ屋でどこにでもいるようなおばさん。 欲がないというか、三越でもどこでも個展の段取り付けてあげると言う 方もいるそうです。でも1998年ぐらいから、瀬戸物祭りの展示だけ です。人間国宝になってもちっともおかしくないですよ。先生の作品は 絶対的です。絶対的な美しさがある。人がああだこうだ、日展だとか何 とかは相対的なもの。そんな尺度で計れるものではないです。僕はそれ だけの価値がある物と見ています。こんなに力説したら、きっと対面し たいと思えて来たのでは。残念、瀬戸物祭りは今日で終わり。家にある 平安朝の童達は、来年の3月上七軒で、四月は花祭りで出します。是非 会いに来てやって下さい。きっとその時には、この蜩の女性のような方 も半東で座っているように頑張ります。きっと。9/15 9月8日さえの会のご案内。先ずはお代のことを。稽古される方は2千 円。できれば12時にお越し下さい。茶席の設えの準備を一緒にやりま す。お客様でお越しの方は1時から4時位まで、千円で御座います。さ て、上七軒長谷川でのお茶席の日が近づいてきました。今度のお菓子は、 風の盆の八尾の干菓子を用意しました。3日の夕方、名古屋を出て越中 八尾に行ってきました。きときとライナーなる高速バスで高岡に行って 八尾に着いたのは10時でした。臨時の快速だったんですが、すきすき で、列車の中でちゃっと着物に着替えました。駅前の町内の踊りが民家 の2階でやっているのに先ず遭遇しました。見せますね。川を渡ったと ころで、一夜を明かしました。翌日の朝日が昇るまで流しがありました。 いつ雨が降ってもおかしくない夜空にも拘らず、奇跡的に朝まで持ちま した。写真をちょっとだけ撮りました。Facebookの方に載せました。な んと地元の専属カメラマンさんに、一枚自分の写真を撮ってもらいまし た。朝を迎えて、駅ホームでの見送りおわらの後、高岡に出向きました。 高岡は銅器の日本の一番の生産地です。ここは2回目で、先ずは高岡大 仏に挨拶に行っておびんずる様をなでて来ましたました。母宅の片付け でどこかへ行ってしまった、おびんずる様の手をもう一度買おうと思っ たのですが、無かったような。それから銅器の町筋に行き、それはそれ は控え目でいて存在感のある花入れを見つけることができました。お店 には見えない町屋で、それは少しほこりを被って密かに佇んでいました。 青銅の花入れもどこかに行ってしまっていて、それで高岡で一つ銅器の 花入れを買いたいと思っていたのです。まさに出会いとはこのこと。そ の花入れは小生がやってくるのを待っていたかのようにでした。今度の 茶席に多分、お出ましになっているかと思います。会いに来てやって下 さい。はてさて、その店ではプチ旅行のマダム3人と意気投合し、洋風 の部屋で一緒にお茶しました。富山の方言を堪能させて頂きましたねー。 また店主の計らいで奥の茶室を見せて頂きました。何と昨日、芸能百選 のかの麗しい女優が来られて、ここで取材してたとのこと。皆さんとい い出会いをしました。哀しみを忘れさせてくれて、何か人間が優しくな れたような気が致しました。帰りのこと。12時20分にまた、きとき とライナーに乗って一路、名古屋へ。少し雨が降ってきました。だんだ ん雨が強くなり、名古屋駅に着いた時はどしゃぶりでした。ほぼ定刻に 到着しました。これをJRで帰っていたら、どうなっていたやら、至る 所で不通になっていましたから。結局往復バスで安く済みました。浮い た分を花入れ購入の足しにできました。よかった、よかった。9/5 * 平成25年8月のこと 最近は写真を簡単に載せることができる Facebook に書くことが多いで す。ぜひ友達リクエストを送って、見てやって下さい。それでは8月5 日に Facebook に書いたことを。某三河地方の氷の茶会。お誘いして下 さる方が居て行ってきました。7月31日に行われたのでは何と600 名からの人だったとか。席主の方はもう30年ぐらいやられていて、年 々盛況になって行くようです。今日は贅沢にも10名ちょいという内々 の会だったんです。写真は最初のお席の小間です。ちょうど皆、座りま した。何とそこでいつの間にやら正客にさせられていました。ご婦人ば かりの席ならいざ知らず、今回は基本的に男性の集まりで、その中では 一番若い訳で。50歳をちょい過ぎ、茶道ではまだ使い走りの部類。と んでもない事でして。まあでも勧められたら、そう固辞せず素直に従う のも茶席でのマナーというものです。初めて氷をくりぬいて作った茶碗 でお抹茶を頂きました。西尾のお茶で、特別な入手をしていると話され ていました。おいしかったです。冷水の抹茶はかなりいいお茶ではない 飲めないです。この後、食事で広間に移り、そこでかなりゆっくりして ました。皆さんともゆっくりお話することができました。その間、氷を 削って風炉を作っていたとのこと。手んこんだお茶会です、まさに。ご 用意ができましたと案内があり、今度は正客は次に若い方がなりました。 瀬戸の陶芸家です。ちょっとお名前を伺ってびっくりしました。お父さ んかお爺さんの作品は品野の陶磁器センターで、いつも見てましたから。 そうそうこのお席では、ちょっとばかりすごい茶杓が出ていました。茶 器の由来は席主は話していたけど、茶杓はあれ?、なかったか。玄関先 の部屋に戻りカキ氷を最期に出してくれました。すっかり遊ばせてもら いました。皆で路地を出て行く時、この男子の会の世話人さんが前を歩 いていて、いつの間にか会に入るような口ぶりで話されていました。一 応合格?、でもなー僕は会社員でただのエンジニアですよ。京都でのお 茶席のこと、隣り合わせた時に、一番の長老格の方にさりげなく話しま した。いずれまた御案内をする時期も来ようかというもの。今日のとこ ろは京都でたまに茶席を設けていますとだけ話しておきました。さて僕 もお盆休みに冷水点ての席をお寺でやろうかと思っています。8/20 * 平成25年7月のこと 宵宵宵山にふさわしい雷鳴、というお題で Facebook に書いたのをこち らにも。昨日までかんかん照りだったのが曇り空で湿気も高い、京都に 着いた時はそんな様子でした。家元の門にていつものように一礼して和 菓子屋で水菓子を4つ。用意した菓子がひょっとして足らなくなるかも と思って。菓子屋前のバス停で待っていると、雨がパラパラと降ってき ました。乗り換えて上七軒まで来た時にはどしゃぶりになっていました。 そこかしこに雨宿りしている人の姿が。僕も建物の陰で身を寄せていま した。でももう11時半になる。びしゃにしゃになりながら上七軒の通 りを長谷川に向かって行きました。大きなビニール製のバッグには平茶 碗が3つ、邪気払いの水晶。菓子は金毘羅の干菓子と多度の豆と本巣の 柿羊羹。花を入れる時の小刀、袱紗などなど。手には大きな紙袋。中に はお寺で採ってきた花と、生菓子を保冷バッグに入れて。生菓子はずっ とこちらで使ってきた和菓子屋さんで前日に買っておいたんです。おい しそうな水菓子があってその場で試食しました。外は寒天で中は餡です ね。たまには名古屋の菓子も使うことにします。まあそこの菓子屋の2 代目も京都で修行したんですがね。12時ちょい、初めて稽古から参加 したいという方が夫婦で見えられました。奥様は若かし頃、堀内宗完先 生が小学校に教えに来られていて指導を受けたそうな。うらやましい話 です。さすがに京都ですね!。でも全然覚えてない。2時には小生の友 達が2組、ちっちゃなお子さんも来ましたよ。その時、先の方にはもう 半東をやってもらったんです。それぐらいだったですかね、急に雨脚が 強くなってきて雷もすぐ近くに落ちました。障子に雨がかかるようにな ってきて、木製の雨戸を引き出しました。でも自然と一体化したような 建物ですから、風雨の真っ只中にいるような気分でした。そんな中で点 前をやってたんですよ。祇園祭りの宵の宵の宵の山にふさわしい?、雷 鳴でした。そんな雨の上七軒を撮影していた外人さんがいました。AP通 信の人で上七軒を取材してたんです。12時に顔を見せて、後で来ます と言ってました。3時前に来て大きなテレビカメラに三脚を座敷にセッ トしました。もう一通り皆には飲んでもらったので、格好は希望のよう にしますと告げました。日本語はほぼ分かるみたいで。絽の紋付に着替 えての点前。取材の人はその人だけで、すんなりと違和感がないんです。 最期に一服点てたところで終わりとなり、それで一服してもらうことに しました。菓子はじょうよ饅頭を3つ、菓子鉢に盛ったのを出しました。 上七軒は落ち着いていい所です。気持ちがとても落ち着きます。祇園の 人の多さに比べたら、などと話していました。僕等も饅頭を半分に割っ て頂いてました。AP通信ねー。これってアメリカの通信社のことだよな。 ひょっとして小生の点前の映像が全世界に配信されたりする訳?。こな いだは岐阜で共同通信の女性が写真を撮ってたし。"通信"尽いているぞ。 いかん、雨にやられてわやになり、一人で準備して気力がぁぁあー。撮 影中、幾つか不備がありました。へましたところ映ってなければいいが、 もう後の祭りでして。5時ちょうどぐらいに長谷川を出て、ご近所の店 で腹ごしらえをしました。昼のランチがまだあって。500円なんです が京都らしいご飯の定食です。呉服屋の弓月さんにも顔をちょこっと出 して、若い娘さんと祇園祭りの話しをしました。そういうことで体力と 気力が快復したかも、バスで四条に向かったのでした。声を合わせてい かがですかー、というのが可愛らしい。祇園祭り、実は見たのは初めて。 山鉾というのは思っていたよりもでかい、何しろ背が高い。お囃子の人 間がいるところでもかなり高い。その上に天を指すように長い柱がそび えている。5階建てのビルぐらいあるのでないか。これこそまさに雷様 を引き寄せる人柱。歩行者天国になった道路を進むとどんどんと人が多 くなってきました。ここらで京都駅へと向かったのでした。7/15 7月14日は上七軒でのお茶席の日です。2ヶ月に一度の事ですが、す ぐですね。この数日はとても暑いとのことですが、日曜は少しは暑さも 和らぐようです。釜を懸けている家は、まだ現役のお茶屋さんで30年 前にタイムスリップしたかのような京都の町屋建築です。ですから昔か らの佇まいがそのまま残っている貴重な建物でもあるのです。稽古兼の 茶席は表千家の茶室と遜色ない空調なしなのです。ですから結構、夏は 暑く冬は寒い。でもきょう日そんなところを探す方が難しいかも。永く 月釜をやっていたお寺の座敷もそうでした。小生としては特に違和感は ないんですがね。上七軒の座敷は日本で最高のもてなしの場だと思いま す。そんな所でのお茶席は、普段はお酒こそ出しはしませんが、最高の 社交場になると思っています。上七軒近隣の人たちも集う、たまには芸 妓さんや舞妓さんもふらりと寄る。飾らない本当の京都が醸し出される 場にもなります。ただし大したお道具はありません。ひょっとすると蔵 なぞを見ていけば、家元の書付けの道具なぞ出てくるやも知れませんが。 今のところ道具を見せる茶席ではありません。道具を見るつもりで来ら れるお茶人さんが居たとしたら、かなりがっかりするでしょう。ここで は集う人達によって一緒に作る会なんです。普通の茶会はお客として参 加し、ぞろぞろ茶室に入って正客だけが問答し、その多は黙って一服飲 んでお終い。どんなに遠方から来ようとそれで帰宅するのみ。隣合わせ た人と一言三言、言葉を交わせばまだいい方かと。さえの会は、少人数 故、もっとゆっくりして行ける、一緒に遊ぶ会なんです。そこのとこを 分かって頂ければ、きっと楽しんでもらえると思います。ただし5人い れば一人の持分は5分の1。ただの茶話会にならないよう、舵取りをす るのが席主である小生の役目でもあります。どうか一度お越し下さいま せ。お待ちしております。7/9 * 平成25年6月のこと 今度の日曜日のお茶席のため、障子の張替えを会社から帰ってやってい ました。やる気になればものの1時間ぐらいでできました。霧吹きで和 紙を湿らしたところです。数時間で乾いて、ピンと張ってきます。張替 えは実はマンション買って以来のこと。人を招きいれる、そんなことを 思わなければやらなかったかも。それでこの和紙というのは、四国遍路 で高知に行った時に求めたものなんです。32番のお寺から33番に向 かっていた時のことです。小さな雑貨屋があり、土佐和紙の障子紙をふ と買っていこうと思って寄ったのです。おばさんが出てきて何枚いりま すか、1枚2円だったか3円だったか言いました。えーと思ったんです が、一袋もらいますと。33番のお寺に行くにはこの先、桂浜の湾を渡 し舟に乗るんです。そこまでもう一息の時、後から何か言いながらスク ーターに乗った人が追いかけてきました。先ほどの雑貨屋のおばさんで はありませんか。勘定したらもらい過ぎたと言って、30円だったか渡 しに追いかけてきたんです。えー、そんなことでわざわざ。有難う御座 いますと礼を言いましたが、母と目を白黒させたんです。そして渡し舟 に乗ったんでです。車も1台や2台載るぐらいの大きさの船です。女一 人の遍路も乗り合わせました。地元の人と少し話していました。ものの 5分か10分で対岸に着きました。そしたらその地元のおばさんが、今 日はこの人、家で泊まらすけんねと僕等の方を見て言うではありません か。それであんたらはどこで泊まるんと。僕等はそこの民宿ですと答え ると、あそこの旦那さん今、入院しとるんよ。もし、あかんかったら内 へきんさい。そんなことを交わしたことを覚えています。障子紙一枚で も、いろんな思い出が詰まっている。ましてや茶道の道具はそうしたか たまり。道具が語るとはそういうことでしょうかね。お時間のある方は 是非、小生の家に遊びにおいで下さい。一服差し上げます。ぶっちゃけ お茶席やりますと言っても、今のところ来てくださる予定になっている のはお一人だけ。お寺だから皆、寄ってきてくれた。また、いったん会 を止めて再開と言っても、それぞれ参加できない都合が出来てしまうも のです。そこそこ皆さん年齢も行ってきて、身内の不幸やら病気やいろ いろ事情が出てくるもの。でもね、茶道は忙中閑有りで、そうした時に こそ、心を落ち着けて一服頂く時間をあえて設ける。それが大切だと思 うんです。人間適度に幸せで、自分も大した病気なし、家族も円満、人 間関係も仕事もそこそこ順調。そんな人は滅多にいるものではありませ ん。だからこそ、そうした事を一時忘れての喫茶去なんです。6/27 朝5時半起きで東京へ、幕張へ。ITの最新動向を調べるために金曜日 出かけました。いつも世話になっている会社も出展していて、技術の人 に一つヒントをもらいました。ブースでへとへとになった男と外の空気 を吸いに出て、こりゃ来るだけでも疲れるねと話してました。大音量の 音楽やら説明のマイクの中で、喉はからからで頭はぼーとなって。もう 限界だなと思い会場を後にしました。もうこのまま名古屋に帰りたいと ころ。でもこの日は6時に歌舞伎座の前で、ある人と待ち合わせするこ とにしてたんです。八丁堀から地下鉄で東銀座に出ました。結構、複雑 な通路で、どっちに向かっているやら。そしたら歌舞伎座の地下1階の ロビーに出ました。言ってみれば御園座の1階ロビーとつい。外に出て 左手のところに一幕見せの入り口があって、何と切符を売っていたでは ありませんか。整理のお兄さんに聞くとまだありますよとのこと。でも 今日は待ち人と一杯飲むつもりでいたし、6時に待ち合わせでは観るこ とはできない。とりあえず5階のギャラリーに行ってみました。500 円の入場料を払って展示コーナーにも入ってみました。花魁の打ち掛け が目に飛び込んできました。伊勢海老や干し柿を刺繍した無茶苦茶はで な衣装でした。白拍子の七変化の衣装も並べてありました。外の庭園に でると、その上からビルになっているのが見えました。ひょっとしてと 思い連れに電話したら、早めに来てもう駅の改札を出たところというで はありませんか。30年来の付き合いで会うのは3年ぶりぐらいか。思 うことは一緒で一幕まだあるんだってと言うと、御存鈴ヶ森を観ること にしました。こけら落しの歌舞伎座でまさか天井桟敷とはいえ切符がま だあるとは思いもしませんでした。サプライズついでに、彼女にもう一 つサプライズをと、ある方に電話したのです。地下のロビーで待ってい ると、やおらして着物姿のお兄さんが向こうからやってきました。こち とら幕張に遠征した帰りのリュックを肩に提げての無粋な姿。もうし訳 ない。涼やかな色合いの着物に長めの羽織。彼女を紹介して少しの間立 ち話をしました。その間にも周りのご婦人が我々の方を見てました。お 兄さんが去った後、どういう方なのと目で言ってました。どうみても素 人さんではないですよー。一幕観て軽く行こうかとそこら辺を二人で探 索です。歌舞伎座の裏手の辺りは旧木挽町界隈。メニューの出ていた小 料理屋に入ってみることにしました。とりあえずのおまかせで、最初に 出てきたのが白えびの唐揚げ、続いて蛍烏賊。富山のお酒の名前がお品 書きに出ていました。先日、名古屋の伏見で"きときと"という富山の品 を出す料理屋に昼に入ったところ。何とここも新湊に本店があるという お店でした。富山から直送してもらって料理を出している。二人カウン ターに座り冷酒を傾け、何となく懐かしい料理に舌鼓みを打って。今年 も八尾に行くぞーと思ったのでした。まだ8時前で蕎麦屋でざるを食べ て行こうよと。歌舞伎座名物の"かぶきそば"は残念もう閉まっていまし た。すぐ近くの路地にも蕎麦屋があって、江戸時代から続く店だと後で 知りました。その割には普通の蕎麦屋みたいで値段も手ごろでした。彼 女、ひやを2つとあてを頼んでいました。後でざる蕎麦で。ひやという のは冷酒ではなく常温のままの日本酒を銚子に入れたもの。蕎麦屋で蕎 麦を食べる前に酒をちびちびやったのは、生まれて初めてのこと。いろ いろ教えてくれるねー、この人は。旅は道連れ世は情け。馬には乗って みな、人には添ってみな。歌舞伎の中でばんずい長兵衛が一言いいせり ふがあったが、飲みすぎて忘れてしまった。有楽町の駅に真っ直ぐ向か っているつもりが、南の方へ行っていて思わず尋ねた男の答えがふるっ ていた。方角としては向こう、距離1200メートル所要時間は15分。 そんなことで東京駅まで歩いてしまいました。新幹線のホームはこちら からだと直ぐで、それは助かりました。9時ちょうどののぞみに飛び乗 り、自由席でしたが座れました。ラッキー。今日一日のことを思い出し ながら、うとうとと名古屋に向かったのでした。今宵のテーマは、木挽 町の夜は、でした。6/15 6月に入り露入りという訳ではないのだけれども、何となく6月は雨と そろそろ暑い夏が来るのかというイメージもあって、ここしばらく気持 ちとしては湿ったところがありました。ノーネクタイで名古屋に出てい ました。仕事の打ち合わせというか情報収集で伏見と丸の内にある会社 に昼から出向いていました。伏見の会社はアポイントを取ってませんで した。お昼を食べて、近くだからやはり連絡してみようと。12時半頃 でしたか、向こうさんも昼を食べに外へ出ているかと思いきや、オフィ スにたった今戻ったところとのこと。今からそっちに行くから10分で も20分でもいいからちょっと話をしようと。最近持ち上がった課題の 回答のプランというか、解決のシナリオが短時間の話で見えてきました。 駆け足で次の会社に行って、3時前まで技術的な話をしてました。相手 さんは一応、営業なんですが、なかなかどうして技術面も詳しくて。5 時に今度はまた友達でもあるコンピュータ会社の男と会って、ビールを 飲みながらいろいろ話していました。プライベートのことから仕事のこ とも。そこでもちょっとしたヒントがあって、半日の間にひょっとする と数千万円の仕事のシナリオが出来てしまいました。そんでもって仕事 ばかりしていたかって。ここからが本題。岐阜のお茶屋さんで今日は昼 から茶道の稽古をやっていました。そのことが頭にあって、お抹茶が何 となく飲みたいなーと思いました。何と5時に会った男も最初の店を出 る前に抹茶が飲みたいと言ったではありませんか。不思議な一致だ。伏 見と丸の内の間のビル街の一角に、升半の本店があるんです。これまで も何度も店の前を通っていました。今日はお店が開いてました。はたと 足が止まり見ると、お抹茶420円の張り紙が。小さなテーブルに座り 注文致しました。先に煎茶を出してくれました。待つことししばし、千 代の昔で干菓子が二つ。抹茶は平茶碗に近い三島手、たっぷりそしてク リーミーな泡が立っていました。店員さんは若い女性が二人。この店自 体、人通りがまるで少ない所で他に客はなし。ご馳走さまでしたと、売 り物の茶碗なぞ見て出ようとした時。唐物の文字がありました。千円ぐ らいの茶筅に唐物と書いてあったのです。思わず苦笑して、中国産と書 くといかにも安っぽいけど、唐物となら違って見えますねー。そこから 店員さんと談笑となりました。抹茶を点ててくれた女性は裏千家とのこ と。若くチャーミングな人で、つい上七軒での家元付き人の格好いい点 前のことを話してしまいました。紙を出してきたので、上七軒の長谷川 で見て是非遊びに来てくださいと。こんなこところで上七軒でのお茶席 の宣伝をしてしまいました。彼女らは上七軒のことは知りませんでした。 なかなか知らんよなー。何を隠そう自分だって、家元にはしばしば行っ ていても西陣の場所は知らなかったし、ましてや上七軒なんか聞いたこ ともなかった。ともかく京都にあって観光地化されていない本物の京都 が残っているところ。そこのお茶屋さんの奥座敷での茶席。とっても素 敵な事なんですと話してきました。きっと来てね、待ってるよん。6/6 * 平成25年5月のこと 夢と希望で。土曜日のマジックバーでのこと。誕生パーティのステージ が始まるまで、相席になった人が若手マジシャン相手に、マジック再興 の話をしていました。最近テレビでマジックの番組がないよねという話 から、ダイゴのメンタリズムのこととか。話している内に相席の人、お 医者さんで占いも玄人はだしの域にあることが分かってきました。たま に請われると占いをしてあげるのだとか。占いは何とでも言える訳で夢 や希望を与えることを言ってあげるのだとか。それをマジックでもやっ てみたら。ただカードを当てる、不思議な現象を見せるというのでなく。 僕はたまにそれに近いことをやっていますよ、今日の貴女のラッキーカ ードはと言って。まあ同じカードを偶然、何度も引いたように見せるだ けですがね。マジックを始めるなり、最初の少しの会話の中から、お客 さんがどんな心理状態なのか、何を思っているのか、それを掴みマジッ クを即座に組み立てていく。終わった時には感動や不思議は勿論なんだ けど、少し夢や希望が湧いてくるような事。そう言えばマジシャンまゆ 子さんのマジックはちょっぴり夢があるよね。マジシャンにとっては所 望のカードを相手に引かせるのは簡単な話し。きっと素敵な男性が現れ ますよ、でも、もう意中の人がいるんでないですか。ほら、さっきと同 じスペードのAじゃないですか。相手の心を少しだけ読んで洒落たトー クとマジックで魅了するんです。そうなると若いマジシャンでは難しい かも、ダンディなおじさんのマジシャンでないと。ひょっとして俺か?。 嘘。翻って茶道も極、短時間に相手の様子を見てふさわしい話題に持っ ていく。助け舟はその時のお茶道具なんですがね。一服のお茶だけで満 足して席を後にしてもらう。それが茶席の本領です。名古屋にあまた出 来たマジックバーに、マジックの仲間達。茶道も一度勉強してみてはい かが。さらにその上の接客のプロである、お茶屋さんも控えているんで すがね。5/20 5月12日の"さえの会"の続きのお話し。4時も回ってそろそろ終いに しようか。外の様子はどうかと玄関の方に回ってみました。相変わらず 上七軒の通りは往来が少なく、ぽちぽちと観光客らしい人等が通り過ぎ るだけです。長谷川の店先に並べた反物のはぎれを見ている場違いな人 がいました。一目で就職活動の女性だと分かりました。黒のリクルート スーツに鞄といういで達。何となくその姿が疲れているようで、思わず 声をかけていました。就職活動ですか、どうです?、手応えは。これも 何かのご縁、一服して行ってくださいと、奥へ招きいれたのでした。お 代はお気持ちで結構です、竹筒に後で入れて行ってくださいと。座敷に 通し、まま座って下さいと言って、菓子を盛り付けたり準備をしました。 お菓子を持って出ると、その人はとんでもない所に座っていました。畳 の中に座って下さいと教えて、聞くと何と和菓子職人になりたくて老舗 の菓子屋を廻っているとのこと。地方から出てきて、何軒かにやんわり 断られたところだったようです。菓子を取るのを見てたら、先ず箸の扱 いがまるでできなくて。この際ですから、お教えしましょうと手ほどき したんです。こんなんでは、幾ら廻ってもダメですからね。それに和菓 子はただ作るだけでなく、茶道と深く関係しているので、茶道のことも 勉強しないといけないです。今日の菓子も、店の人がどんな菓子にしま しょうかと尋ね、季節に因んだものなら何でもとお任せで作ってもらっ たんですよ。茶会の趣向、お客様の顔ぶれ、和歌や俳句に季節によって 菓子は作られるんです。どうです、この菓子おいしいでしょう。それか ら点前を始め、彼女のために一服点てたのでした。京都の老舗で作られ た和菓子がどうやって提供されるのか、その姿を初めて見たことと思い ます。若い時は何も知らない、分からない。それでいいと思います。素 直に座って言われるままにやってみた。少しでも彼女の今後の参考にな れば幸いだと思いました。5/16 最近は Facebook の方に先に書くことが多くなりました。加藤一憲で出 ています。ずっと見て下さっている方、お友達になりましょう。それで Facebookに書いたことをこちらにも。5月12日、さえの会の様子から。 思いの他、早く京都に着きました。家元講習の時、宿泊した妙顕寺に周 り当時の気持ちを思い起こしました。家元の玄関にもいつもの如く一礼 して、今日の菓子を取りに行きました。店主は僕が見えなくなるまで見 送ってくれました。菓子はいつもどんなんがよろしいですかと聞いて下 さるのですが、これまでのところお任せで十分なんです。今日のお菓子 も時候に合った、とってもおいしいものでした。今、一つ残したのを母 の霊前に供えてあります。それで今日の茶席の趣向は海。そろそろ初夏 というにふさわしい時期になってきます。季節を先駆けて海の爽やかな 風を感じてもらおう。用意した茶碗は二つ、常滑焼で藻掛けの焼き物な んです。海草の藻を付けて焼いてそれが模様となっています。これは母 が知人に連れられて15年ぐらい前に常滑の作家の所に行って買ってき たものなんです。あまり欲しいとい訳でなかったけど、何ぞ買わな悪い 気がしてと話してました。一度使ったことがあります。茶碗は陶器とい うより磁器に近く高温で焼いているせいでしょうか。夏場に湯を入れた ところ持てない程熱くなって、こりゃ使えないね。それに海の匂いを連 想させるのもいかがなものか。さらに幾らお付き合いといえども、一つ ならまだしも二つも買ってきてと、だいぶ母をやじったのでした。母は 人に流される所があって、それが口惜しかった。先日、この藻掛けの茶 碗を久しぶりに見て名誉挽回、今一度使ってみようと思ったのです。5 月、この時期に使うのはいいのでないかと思いました。初夏の新緑の中 に吹く爽やかな海の風を連想させました。花入れは見て通りの備前、こ れも母と四国の帰りに備前焼きの町に立ち寄って求めたものです。上臈 ホトトギスを店先に入れてあったのを覚えています。品物はどれも結構 なお値段で、何とか手が届くのを見つけたのが、この花入れだったんで す。昨日のことのように思い出されます。それで、この日のお客様はと 言えば5人でした。最期、ちょっとしたハプニングがありました。それ はまたお話することにしましょう。5時前には片付けを終え、上七軒を 後にしました。山科のところでいつもの如く渋滞で、やれやれと抜けた ところで、大津SAで一服です。遅めというか晩御飯というかカツ丼を 食べながら琵琶湖を見るというのが常になっております。本当、きれい だよなー。生きていればこそだよなー。いい一日でした。5/13 四国に帰っていました。神戸から高松へのフェリーに乗るつもりで、例 によって京都に寄っていました。利休居士の祥月命日の茶会に初めて行 ってみました。大徳寺の山門を入って取り付きにあるお寺に行きました。 短期講習の時に確か、この茶室を見学させてもらったと記憶を手繰り寄 せました。となると30年振りか。大徳寺では毎月28日に幾つかのお 寺で月釜が懸かっているのは知っていました。でも、とんと来たことが なかった。他所の茶会に行くこと自体も、そもそもあまりなかった。ひ ょっとして亡き師匠と行った明治村の茶会以来かも知れ無い。一席は何 と点前が無くてびっくりしたことを覚えている。今回の席も実は点前が ありませんでした。でもそのことに特に違和感を感じなかった。むしろ 点前はない方がいいのではないかとさえ思えたのです。床の間には利休 作の竹花入れ、二重切りの大振りな竹で、下の窓にやや大振りな椿一輪 を挿してありました。他の道具も皆、織部や光悦やらの作ばかり。炉の 釜はしゅんしゅんと湯が沸いて、いつでも点前をどうぞと。利休の花入 れを見ていたら、その傍らで点前もしているような錯覚を覚えていまし た。これだけの道具を使って茶席を設えた。それで誰が点前をそうそう 安々とできるものか。客はおよそ30人が座っていました。9割方、着 物を召されたご夫人に男子。隣合わせたお若い方と少し話しをしたとこ ろ、先月に短期講習に参加して、その時の人らで東京から来たとか。当 時の自分ならめくら蛇を怖じずで、僕が点前やりますと言うところかも 知れない。しかし居合わせた袴を付けたその男子が、ここで点前をやれ るかと想像した時、とてもやできるものではないと思いました。蘭奢待 を素人にかがせるようなもの。せっかくの道具が台無しになってさえし まうかも知れない。点前の無い茶会、茶席。いっそ点前がない方がいい 場合だってあること、それを今回知りました。陰点てという言葉がある やいなや。陰膳ならぬ、陰点てとでも呼んでみるのがいいのかも知れな い。5/2 * 平成25年4月のこと 残っていた桜の花びらが最後に散ったかと思いきや、もう藤の花が公園 の藤棚に垂れ下がっていました。いつもなら5月の連休辺りに咲いてい たように思うのですが。季節はどんどん移り変わって行ってます。でも 人の心は少しずつです。それでも十年以上経っても人の思いは変わりは しない所もあります。ご主人の十七回忌の追善供養の茶席に土曜日、招 かれていました。時折り稽古にお誘い下さるいつものご婦人が、先週の 花祭りに来られた際、声を掛けて下さっていました。その稽古場で唯一 の男性が袴姿で点前をやってくれました。お茶湯で天目茶碗を床の間に 備え、客も一服それぞれ戴きました。濃茶も点ててくれました。小生も 最後にお薄の点前をやらせてもらいました。釣釜。二重棚で中板に茶器、 天板に縦に柄杓、三つ爪の蓋置を飾っての点前でした。炉の点前はひょ っとして1年ぶりだったかも知れません。体が覚えてしまっているんで しょうか、風炉の点前と変わらず淡々とやっていました。ちょうど4時 にお開きとなり岐阜へ向かいました。この日はお茶屋さんで小生が一席 設けていたんです。昨年の秋からつい先日まで大変お世話になった方が お二人。どうも有難う御座いましたということで、初体験の世界にご案 内した訳なんです。お一人の知り合いも是非ということで4名で岐阜に 繰り出したのです。タクシーで劇場通り入り口まで、そこから柳ヶ瀬の アーケードの中をぶらぶらと。特段の用事でもなければ岐阜にはなかな か来る機会がないものです。懐かしげに皆さん歩かれていました。満豊 には少し早めにつきました。2階に通されると、すでにお膳が並べられ ていました。上座の席に茶色のお膳、他の席は朱色お膳が。ひょっとし てと思いました。しばし待っていると舞妓さんがようこそと出てきまし た。お兄さんも頃合を見て出てきて、先ず茶色の膳の盃にお母さんはお 酒、召し上がりましたよねと注ぎました。8時も回った頃、舞妓さんの 舞いが始まりました。母は真正面から潮来の舞いを観たことになりまし た。茶色のお膳は陰膳だったのです。花まつりの時、4月6日は母の追 善供養の茶席にして舞いの披露も予定したんです。それがお寺の座敷の 都合でできなくなってしまいました。それを覚えて下さっていてその晩 の設えを作って下さったのでした。そのお膳に料理が置かれる訳ではあ りません。注いで下さった盃がそのままあって、それじゃ僕が戴くねと。 母と盃を交わすのは大晦日の晩、お寺に百八回の般若心経を読んで新年 の挨拶をして、母宅に戻ってのこと。五合瓶のお酒の封を開けて今年も よろしくと言って飲むのが通例でした。でも母はちょっと嗜むだけで僕 が後、飲んでいました。昨年末はそんな状況ではなかった。ほとんど寝 たきりのようなことで。ようやく母と一献交わすことができた。どうも 有難うございました。こんな風に書くと湿っぽいお座敷だったのではと 思われるかも知れませんが、いえいえとても楽しい春の晩でした。皆さ んも上機嫌で岐阜を後にしたのでした。今度は長良川の鵜飼船に乗ろう。 我々もう歳だから来年とか言っていると生きているかどうやら分からな い、是非とも今季に乗ろう。子供のようにはしゃいでいましたよ。4/15 無事、花祭りの茶会、終わりました。曇り模様の中にお日様も時折り顔 を覗かせていました。花祭り自体、まずまずの人出でした。11時半ぐ らいに最初の点前を始め4時半頃までやっていました。その間一人で点 前をやっていました。手伝いに来てくれたお弟子は二人、でも点前はす っかり忘れていて。だめですね、やはり毎月、釜は懸けないと。点前が できる主力のお弟子さんは何と風邪でこれませんでした。お客様は二人 ないし3人とかで、やはりゆっくりされて行きました。そこがこのお寺 でやってきたスタイルなんです。今回は残念なことに、お点前ができそ うな客人がいなかったこと。たいがい一人ぐらいはいて、やってもらう んですがね。多分、十年ぐらい来られているお客様もいたりします。変 わらずようこそと挨拶して一服のお茶を召し上がっていただく。喩え母 が裏方にいてもいなくても、小生の頭が少し薄くなっただけのこと。今 回、道具の搬入に準備、そして片付けを全部、自分ひとりでやりました。 点前も全部やったし。でも不思議と体がびきびきになっていないんです。 いつもなら背骨の筋が固まって身動き取れなくなるんです。ほうほうの 体で、後始末をして近くの中華料理屋で夕食にするというパターンだっ たんです。去年はブロンコビリーでした。勿論、母も一緒でした。今日 は5時頃から片付け始め、道具を家に運び7時ちょいに元の場所へ。そ れで何で今年はダウンしてないのか。着物が体に合ってたからかも。上 七軒の呉服屋でこさえたんですが、細部まで寸法を採って作ってくれた んです。もう一つは点前を湯ですすぎをしたところで終えたこと。では これでお終いにさせて頂きますと。これは上七軒でのさえの会に、裏千 家の方がそういうお終いの仕方をしたのを見て、今回倣ってみたのです。 普通の人にはこれ位で終わりにするのもいいかと思ったからです。一年 ぶりに会う顔も多々あり。家での道具の片付けをある程度済ませ、また お寺に行きました。余った菓子を持参して行くと、夕食を済ませて歓談 している最中でした。いっけんさんも食べると言われ、戴きました。暖 かいご飯を一杯つぎました。家では夕食は一人で適当なものを食べてい るだけ、皆とこうして食べる夕食は楽しいものです。お茶席で多くの顔 見知りと話しをし、また夕食でも。心、癒されました。母もほっとして いることと思います。人は人によってしか救われない。徳林寺という場 があって、僕は救われていると思います。またお寺で、お茶席、再開で きないかなー。今日もお弟子さん達にやって下さいと言われました。花 祭りは年に一度のこと、普段の日にやる茶席は、また人と人を結びつけ る場でもあるんです。理想としては上七軒で奇数月の第二日曜、お寺で は偶数月の第二土曜日。念ずれば花開く。きっと、いい方向に向かうと 信じています。4/7 茶会の準備をしています。こないだ求めた風炉釜、馴染ませるため炭火 で湯を沸かしているところです。明日の午前中には京都からお菓子が届 きます。十日ほど日持ちするとのことですが、やはりできるだけ早い方 がとお店の方も言われ、送ってもらうことにしたのです。日曜はこの分 では桜は残り3分というところでしょうか。先週の京都の店で、2階の 茶道具売り場で桜の絵柄の入った懐紙も買っておきました。多分この分 では茶会の時には桜が無い可能性がある。ならばせめて懐紙と菓子で桜 を楽しんでもらおうと思ったのです。ちょうどよかったみたい。一応ご 案内です。4月7日午前11時頃から夕刻まで。お薄一服300円。お 点前できる方はどうぞ、何せ禄に手伝いの人もないのに、茶会をやると いう魂胆なんで。さてさて、炬燵に入ってうだうだしている場合じゃな いぞ。ここまでは5日の晩のこと。今は6日の午前11時半。ちょっと 前、宅急便でお菓子が届きました。緩衝材が入っていて、きれいな形の ままでした。早速、母の写真の前に飾りました。京都からお菓子が来た よ、先ずは召し上がれ。外は完全な曇り模様、雨も直きに降り始めるか も知れない。夕方、お寺の座敷でのイベントが終わり次第、道具を運び 込もうと思ってます。雨が降らなければいいのだけど。これからお寺の 様子を見に行ってきます。 * 平成25年3月のこと 和敬静寂、ようやく分かる四文字の最後の字。茶道では聞きなれた禅語 なんだけど、意味するところはと聞かれると説明がうまくできない。多 分、起承転結のように和は先ずは仲良くしようね、敬は少し大人になっ て人を尊敬することを知る、静はじたばたせず天命を知る、そして最後 の字である寂とは。茶道が寂しいって、どういうこと?。先日、求めた お茶の釜に書かれた字、茶の十徳が浮かび出ていて、ぱっと最後の臨終 不乱という字が目に飛び込んできた。まさに人生最後の時を迎えてもじ たばたしない、そういう意味である。それが静というものか。そして寂 は、この世に残された者が味わう深い哀しみ、寂しさのことか。寂とい うのは体験してみないと分からない事だった。人生の内で一度か二度ぐ らいしか遭遇することのない事。でもそれを味わってこそ、和敬静寂が 完結するといえるのでないか。つまりは人が生きて悟っていく段階その ものを表しているのでないか。物言わぬ母の写真がこの事を語りかけて くれた。この何日か北野天満宮での梅のことなど、断片的に書いていた。 実は小生の母は2月10日に西方浄土へ旅立ちました。2年前の梅の時 期に上七軒に一緒に行き、梅を堪能し、料理も食べ、元お茶屋の呉服屋 の2階にも上がりました。あんた、こんな所に出入りしよんという驚き と、ようやくいっぱしになったという安堵感があったようです。それか ら数ヶ月後、膵臓系の癌が見つかり手術。でも再発がし易い部位との説 明で、例外なく半年後に再発してきました。昨年の12月頃からだんだ んと体調が悪くなり、2週間前に立ち上がれなくなりました。そして4 日前からモルヒネを点滴に加えて。それでも前日まではいろいろしゃべ っていました。でも当日の昼は、僕の名前をかすかに口にしたのが最後 で、その晩に帰らぬ人となりました。看護士が医師を呼んできてしばら くして呼吸が止まり、4分後に心臓が停止しました。弟は携帯電話越し におかーさんと叫んでいました。人の最後を見届けました。生前から母 と話していた通り、式は徳林寺にて通夜と葬儀の際にお抹茶を出しまし た。かつてのお弟子さん達が自然に動いていてくれていました。廊下に は母の短歌の会の雑誌に母の短歌の短冊、母と小生の写真ブックも置き ました。本格的な湯灌で見違えて、好きだった着物を着て、それはそれ は元気だった時の母がそこに眠っていました。悲しむ暇もなく、またし ごく冷静に淡々とやることをこなしていました。展観の短冊の辺りには 花を置いていました。棺桶に葬儀の花を皆で入れて行きました。最後に 先ほどの花をすっと花入れから抜いて、母の胸元にそのまま置きました。 ぼけの枝物と白の侘助、最後の茶花となりました。今度の週末、四国に に帰り先祖が祀られているお寺で法要をします。できるだけ母の生前の ことは思い出さないようにしています。思い出すと堪えようの無い虚し さ、寂しさに身が包まれてしまう。病院で寝たきりでも生きているのと 死んでいるのではまるで違う。生前しょっちゅう口喧嘩をした。つまら ないことで言いがかりを付けて、ごめんなさいね。法要を終えてから近 くの池のある公園に皆で行き花見をしようと思う。母も子供の頃に遊ん だ場所である。親族が集まり残された者同士が血の結束を確認し合うの には、これ程いい場所はないと思う。そこでもできればお盆点てで一服 出したいものだが。よい子の茶道に母の死のことを書こうか書くまいか 悩んだ。昨秋からは華やかな世界の中でのお茶をやっている。死という のはなかなかそぐわない話である。しかし花街とはいえ、人の世界であ り喜怒哀楽があり、また生死もある。茶道は決して特殊な世界のもので なく、日常の中に生きるものである。しばらくは、この死というものと 向き合ってみようと思う。茶道は利休の死によって、これまで絶えるこ となく連綿と続いてきたと言って過言ではない。いつかはこの死の事も きちんと考えてみなければいけない事だったのだから。3/25,27 3月28日追記、和敬静寂と書いたが和敬清寂だった。でも、この4文 字には暗黙裡に静かも含まれていると思う。 3月3日、上七軒でのさえの会の設え。陶器の人形を揃いで並べました。 夢の字の下で場所を得ていました。連れて行ってよかった。この日の華 は人形、花は脇に高麗卓の中に飾りました。上段の棚には母の短歌の短 冊を置きました。ここの空きをどう使おうかと思ってましたが、こんな ので如何でしょうか。北野の梅園は三分咲きという案内でしたが、七分 ぐらい咲いているのもあり、それはそれは極楽の様でした。2年前の今 頃、ここを母と訪れ、また長谷川を初めて見させて頂いた。その時の様 子が有り在りと思い起こされ、涙が一つ流れました。あの日と変わらぬ 梅の姿が有り、そして側に居たはずの人はもはやこの世にはいない。で も今、僕の目を通して見ている、そんな気がしたのでした。気を取り直 して長谷川に戻り、ともかく点前を始めましょうと一客一亭でお薄を点 てました。小生も一服戴きました。菓子は田丸弥の干菓子で、梅を模し た物。梅の仄かな香りがして、それはそれは雅な菓子でした。これを食 べるだけに京都へ来る価値があると思いました。毎回、驚きに発見です。 この日、結局お客様を含め皆で6名でした。暖簾を開けたところにカメ ラのおばさんが二人。ばしゃっと撮られて。いいですよー、着物姿の男 性も滅多にいないですからねー。これも何かの縁、奥で一服して行って 下さいと招きいれたのでした。勿論、カメラは置いてもらってね。竹筒 がどこかに行ってしまって、お気持ちも結局もらわず仕舞い。でも、長 谷川のお兄さんはこの日は、反物や小物を出していて、一つ二つ買って 行ってくれたそうな。京都でこんなお茶席に遭遇した。夢か幻か、いえ 上七軒にはそうした優しさが街を包んでいるのです。僕はそんな花街で こうしてお茶席をやれること、とてもうれしく思っています。3/5 3月3日、何と雛祭りの日にさえの会です。お寺でもこの時期の会は特 別な設えにしてました。赤の毛氈を敷き、床の間には陶器の人形を飾る。 母が瀬戸の作家に依頼して作ってもらった平安朝の男女の童。もうかれ これこうして飾るのは十年位になりますか。今回は上七軒までお出掛け です。ひょっとして自分達の場所を得たりと、人形の表情が違っている かも知れません。それに紙雛達も玄関入った所にも、皆さまのお出迎え に飾ろうかと思っています。これは母のお友達が養老院にて手慰みで作 ったもの。できれば玄関には、桃の花などを大振りに生けたいもの。い つも、紙雛に短歌の短冊を龍村の帯に飾って行くのは僕の役目で、母は 花を生けていました。僕はお生花の教室に習いに行ったことはないんで す。母の入れるのを傍で見て手伝いをして、知らない間に自分も入れる ようになっていました。今年の正月花は花材の調達から生けるのまで全 部、自分でこなしました。3日の日に母がマンションのロビーに入れた のを見てくれました。僕の花を見てはいつも男の発想だねーと言ってま した。花は一瞬の命、人形は永遠の命、そして人は限りある命。でも違 うのは人の命は繋いで行くことができるということ。身近に起こった出 来事、京都に出入りするようになって繋ぐということが、いかに大切な 事か分かって来た。過去から未来へ、たまたま自分は今を担当させても らっているだけ。人が生きるという意味が厳然と定義されている、そん な事を最近思っているのです。花と人形の間を彷徨う人の命。今回はそ んな気持ちで人形を置いて対面してみよう。これまで違った姿が見えて くるかも知れません。どうか人形に会いに来てやって下さい。3/1 * 平成25年1月のこと 犬山の家の電灯が点いていると隣のおじさんから電話があって、まあほ かっておこかなと思ってました。待てよ、犬山では城コンなる合コンを やる日でなかったか。舞妓さんも確か来るとちらしにあった。ならば久 しぶりにきく雛さんのお顔を見なければと出かけたのでした。いました、 いました。町屋を使った和風喫茶の有楽の前に。明けましておめでとう 御座いますと、いつものにこやかな顔で、うれしい限りです。一応お仕 事の最中な訳で写真を一枚撮らせてもらって、その場を離れました。城 コンには男女400人参加ということでしょうか。町中、若い人で溢れ かえっていました。舞妓さんらは、少しでも男女の出会いをエスコート する重要な役割があるんです。ですから、おじさんは邪魔してはいけま せんです、ハイ。人ごみを縫って歩いていくと無料で見学させてくれる 町屋がありました。奥行きが56メートルもあるそうな。長い長い。茶 室らしき建物があり、お抹茶を頂けるとのこと。勿論、一服することに しました。店番?はご婦人が一人、点て出しでごゆっくりと言って奥に 下がりました。茶碗は犬山焼き、少し気になって聞いてみました。客は あまりこないようで、少し話しをしてました。そこに城コンの一団体様 14人ですが、いいでしょうかと言ってきました。おばさん一人を見て 遠慮しとこかと言いかけたので、義を見てせざるは勇なきなり、僕がお 手伝いしましょうと。干菓子の数が足らない、調達してきます、助っ人 も呼んでくると、おばさんは外へ。僕は水屋の状況を一瞥し、ある分だ けの干菓子を銘々皿におきました。そして襖をあけ一礼し、挨拶から始 めたのでした。ともかく間を持たせないことには。お抹茶の飲み方、知 っている人をー、と呼びかけました。それではと、お寺でやってきたい つものことで、にわか教室の始まりです。そうこうする内に手伝い一人 を連れて戻ってきて、抹茶が点てられてきました。ともかく抹茶を出し ながら、皿を下げ、また座もちをして、部屋では小生一人でこなしまし た。最後の茶碗を下げ、おたいくつ様でしたと襖を閉めました。いやー、 僕も参加したかったなーとか冗談も含めて、和やかな雰囲気だったです よ。その後、まだ14人は茶室に居て、僕も客の一人だったということ を証明するため、一緒に出たのでした。そうそう、その前にその中の世 話役らしき男が自己紹介をしましょうと、順々に名前を言ってきました。 僕も最後に水を向けられ、名乗りました。いいんですかー、30歳ぐら い違いがありますよー。果てそこで、さすらいの茶人、かとういっけん と言ったか否や。不思議なこともあるものですね。犬山に来る度に何か しらこうした縁、出会いがある。縁は異なものおつなもの。1/20 1月6日の"さえの会"の様子、長谷川の玄関の写真です。短冊に "さえ の会" の字が読めますか。暖簾がかかり玄関入っての所に、お茶屋のお 兄さんがその日は試しに反物や小物も並べてみたのです。帯や反物、実 はすごくいい代物で、しかもとてもお値打ちなんです。勇気を持って暖 簾をくぐった人にだけの御褒美と言ったところでしょうか。実はすでに 小生ここで前に求めて、知り合いの舞妓さんに千社札入れを、また芸妓 さんには少し大きめの名刺入れをプレゼントしました。"さえの会"の日 に毎度、反物なども出るかは分かりません、幾つかの帯や反物の展示だ けになるかも知れませんし。上七軒での"さえの会"はいろいろ試行錯誤 しながら、これから順々に落ち着いて行くかと思います。長い目で見て やって下さいませ。それで当日、京都駅からバスで先ずは家元のところ へ行きました。表千家と裏千家に飾ってあった注連縄を見ました。なか なか重みのある、それぞれの注連縄でした。家元近く茶道具や古美術店 でも正月飾りで結び柳がしてありました。同じではないですね、少しず つ工夫がありました。それから田丸弥に寄り、頼んであった生菓子を受 け取りました。7個という注文を快く引き受けて下さって有難う御座い ました。きんとんで雪を被ったようなおいしい菓子でした。菓子箱を見 て、僕は少し唸ってしまいました。形が崩れないように手を掛けていた のです。流石京都だなーと思いました。会をやる度に新しい発見があり ます。やはりこの地で釜を懸けてみてこそ分かる事だろうと思うのです。 長谷川のお兄さんの管理している上七軒のホームページに、さえの会の 案内が載りました。茶道はいつまで経っても勉強です。でも勉強だけで なく実践していくことが最っと大切です。料理教室に通うだけはだめで 誰かに食べてもらうことの方が大切と言えば、意味することが分かりま すよね。さえの会は基本稽古の場ですが、実際におもてなしをする場で もあるのです。それは小生が25年間、名古屋での曹洞宗のお寺で毎月 釜を懸けてきて、自然とそういう形になった結果でもあります。茶道を まるで知らない人が来れば茶碗の持ち方から教えました。経験者が来れ ばお点前をやってもらうのですが自ずから足らない所に気づいたようで す。長年やってきた雰囲気というものがあり、その力といいましょうか、 特に小生がああだこうだ言って指導してた訳でないんです。今度はお寺 でありません花街です。禅をバックに持ちながらそれを包み隠しておき ながら華やかな点前を目指してみようでありませんか。表千家の点前は よろず目立たぬがよろしいと言われるのですが、それは老境の域に達し た時に考えればいいこと。若い内は特に女性は華がなくては。上七軒に ふさわしい控え目な華が一時の点前の中に見え隠れする。そういう茶席 にして行きたいと思います。お待ちしております。1/19 平成癸巳新春、明けましてお芽出とうございます。至って地味な正月を 送っています。昨日は"相棒"を見てました。なかなか見応えがありまし た。明日も昼から見るつもりでいます。案外、一般人の生活というのは こうしたもので、そんな正月だからと言って特別うれしいとかは無いの かも知れません。年賀状にいつも家族で海外旅行した報告を書いてくる リッチな方もいますがね。元旦、二日とお天気がよかった。元旦はそう よそさんへ出歩かないものだと子供の頃からの教えで、二日の昼からお 寺へ行って竹細工をしました。一杯、青竹を切ってあって好きなように とのことで、それで久しぶりに花入れを作ってみました。煙草盆の灰吹、 蓋置、掛け花入れ二つ、結界95センチと91センチ、そんなところで すか。家でごろごろしていて、頭が少し痛く何となく熱ぽかったのです が、外で竹を物色しながら作業してたらいつの間にか夕方になっていま した。なかなかこんな風に竹細工したりできる所はないです。一本の竹 でも勝手に切れる所はないものです。名古屋市内にあっても、ここは山。 正月花の材料もここから仕入れるのです。勿論、月釜の茶花も山に自生 のものやお寺のおばあちゃんが植えたのや母と作った花木を使ってまし た。ぐるりと一回りすれば、いつでもなんぞかんぞ手に入るのです。そ れを花入れに入れる。お弟子さんや初めて来られた方にも、どうぞと入 れてもらっていました。茶花は決まりがほとんどありません。僕は自分 の先生が入れたのを見ていただけ。特に教えてもらったことはないです。 結び柳に至っては、これまた決まりは無いみたいです。青竹とか枯れた 二重切りとか、堀内家では水引を結んでいるし。多分、問題は竹筒が柳 の重みで傾くこと。試しに作った二重切りに先ほど柳を入れてみました。 見事にひっくり返りますねー。思いついたのがスロットのコインを筒の 中に入れたら。犬山の家にあったんです。重し代わりに使うのです。で もギャンブルの物を正月の神聖な場に用いるのは、いかんですなー。何 かないかいなと思っているところです。否、重しでないのかも知れんし。 一月六日の上七軒での茶席に、少しは正月らしいはんなりした雰囲気を と思っていました。思いもかけず青竹の道具を用意することができまし た。干菓子はこちらから犬山若松屋の有楽窓を持参。老松でも石畳のを 求め二色にします。主菓子は家元近くの店で頼んでおきます。今度の席 は地元の若い方が三、四名かと。多分新年早々、彼らを特訓しています。 数名ならお越し頂く余裕が御座います。新春の一時、本物の京都の中で 一服召し上がって行って下さい。どうか本年もよろしくお願い申し上げ ます。1/2 * 平成24年12月のこと そろそろ正月の準備を、とは言っても自宅のは今年はそこそこで。だん だん歳を取って来た母に野郎だけではねー、すんません嫁さんがいない もんで。それでもマンションのロビーに花を飾るのはやるつもりでいま すよ。それに正月6日の上七軒での初釜。正月ですからただの茶席でな く、初釜と言うことになりますかねー。それで正月準備というのは、そ の初釜の準備のことです。松風堂さんとこに行って男物の懐紙と茶筅を 求めました。この茶筅、煤竹ではないんですが、そういう色をした竹の 種類だそうです。国産でしっかりした作りで、裏千家のクリーミーな抹 茶を点てる茶筅の扱いにも応えます。表千家では正式には煤竹というこ とになるのですが、一本1万円以上するんです。僕も一本は持ってます がね、一応。滅多に使うことはないです。松風堂さんというのは、お寺 の月釜にずっと来て下さっていた茶舗で骨董商で旧東海道沿いにお店が あるんです。熱田神宮まであと少しという場所です。今日はちょっとし たお土産、錦鯉の掛け軸を持って行ったのです。茶掛けになるような代 物ではないし、どこかで捌いてちょうだいということで。志ら玉さんの こと、上七軒のこと、いろいろ話しは尽きないです。帰りしな、正月の 大福茶の包みに抹茶も手提げに入れてくれました。ありゃまこれで少し 正月らしいことになってきました。後はしだれ柳をどこかで手に入れる ことができれば、何とか様に成るというもの。そりゃ3千円ぐらい出せ ば近くの花屋にないことはないですがね、一度買ったことあります。い つもは近くの公園の柳の木で調達するんですが、今年は成績があまりよ ろしくないんです。と、こんなこと書いている時間があるなら、一枚で も年賀状を書くべし。表千家の愛知県の同門会の先生、何人か毎年年賀 状を出している方に、上七軒の案内も書きたいし。名古屋から京都へ新 幹線で行って、タクシーで家元へ。終わったらまたタクシーで京都駅へ。 そのパターンを崩し、ちょっと帰りに上七軒に寄ってもらって、お点前 にて一服飲んでほっこりして頂く。いいと思いません?。12/23 携帯で撮ってみました。花は写真で撮るとあまりよろしくないね。今日 の茶席用に玄関に入れてみました。もみじはお寺で真っ赤に紅葉してい たのを昨日とったものです。花瓶から水が漏ってきたので、菓子箱の蓋 を敷きました。近所のおじさんが二人に学生時代の友人が来てくれまし た。何やかんやと話に花が咲き、1時半から3時過ぎまで居ました。別 に一般の住宅でお茶席もうけるのも、全然違和感なかった。いいんじゃ ないですかねー。日常の生活の中で少し改まって座ってみる。お茶を知 っていようがいまいが、あまり関係ない。それは亭主次第ということだ と思います。亭主というのはその場の盛り立て役ですね。亭主が主では なくその場に居合わせたお客さんが主、だと思いますよ。さて、今度は 1月6日の上七軒での席になります。お正月ですね。はてどうしましょ うか。前の料理屋さんに頼んで正月の点心を作ってもらうとか、お酒も ちょっぴりとか。でもそれは次回ということにしよう。ちょっと自分の ことでごたごたしているので、気分的に落ち着いてからにしよう。それ でもきっと華やいだ雰囲気になるような気がしてます。岐阜の皆々様に 犬山の皆々様、正月は京都ではんなりしませんか。さえの会は一緒に茶 席を作っていく会です。僕はそこでも盛り立て役だと思ってます。京都 の座敷の点前座は襖を開けたところなんです。きっと芸妓さんや舞妓さ んが点前しやすいように、つまりあまり歩かなくても済むように畳を敷 いたのでないかと。正月にはひょっとして、ひょっとするかも、ね。花 街ですから何が起こってもおかしくない。お忍びで綺麗どころがと期待 していると、坊主がずらっと並んだりして。天龍寺の知り合いにも来て ねと案内しているんです。ご愛嬌様でした。12/16 昔、美濃加茂の会社を辞める時、寮の仲間を客に茶を点てたことがある。 研修センターの和室で稽古があって、許可とって自分で設えをした。3 人か4人だったか、座ったのは。5分も経たない内に皆、足がしびれて しまって。これが自分が釜を懸けた最初だったと思う。何かあったとき、 あるいは何もなくても、ささ一服。今回は犬山の地で一服点てることに した。多分、お客さんは近所の人が数人だろう。後、ずっと付き合いの ある友人が来てくれるという、初めてのことである。お茶は客が一人だ ろうが十人だろうが、用意はまるで変わらない。京都の上七軒での茶席 でも、今度の茶席でも一緒である。茶道の事をまるで知らない人らが座 るとしても、手を抜かない。そうした場に座ってみれば、門外漢であっ ても感ずるところがあるはずである。会社の帰りに農協に寄って枝物の 花材を買いました。土曜日にはお寺で野にあるものを調達します。九谷 焼の花瓶に大振りに入れて玄関に飾ります。玄関は開けておきましょう。 道行く人にも見てもらおう。ついで家に誘い入れ一服飲んで頂こう。茶 道を身に付けていなかったら、父親が残した家で追善供養の茶席をやろ うなんて考えることはなかった。近所の方にも二度と顔を合わせること なく、とっとと売り払ってお終いにするだけだろう。茶道はハレにもケ にも合わせることができる。それは茶道は元来、無用の用だから姿を何 とでも変えることができるのだろう。難しく言えば禅が後に控えている からですがね。まあ、そんなことはどうでもよろしい。ちょびっと最後 に案内、2時からは普通の茶席にしますので、よろしかったら一服どう ぞ。お待ちしております。12/13 夕方、部屋の中で灰を篩っていました。お寺でも数回しか使わなかった 鉄風炉の手入れをしてたんです。風炉の中の灰を全部、師匠が残してく れた細かな篩を使って。自分で金物屋で買った篩より倍以上、目が細か いです。でもやはり番茶で濾して不純物を除かないと、灰匙に吸い付く ようか感じにはならないようです。篩った滓が茶碗一杯分ぐらい出まし た。灰の形は一文字に。でも灰形を作る灰匙は京都に置いてきたままで す。一本、長いのがあるだけです。そこはもう工夫で、薄手のスプーン に中華鍋用のヘラに柄の取れたお玉。何とか形ができました。風炉も釜 も湯をかけて洗い、使えるまでになりました。鉄風炉には陶器の敷板を 合わせることになっています。いつも買うお茶屋さんで昔、織部のを求 めていました。釜の中が少し錆びていますが、湯を沸かして飲んでも錆 びは浮かんでは来ません。釜師の大西氏が錆びの取り方を話していたが どうだったか。それで何をしようとしているか。犬山でもさえの会をや ろうと思っているのです。父が残してくれた家があるんです。とてもや 自慢できる父親ではなかったんですが、追善供養と近所の方々へのお世 話になったお返し、そして自分の師匠が犬山だったこと。などを含めて 茶席を設けよう。家と言っても普通の住宅で、犬山駅から徒歩圏内です。 とりあえず12月の半ばに一度やろうと思います。その後はまた考える として。菓子は堀部邸でお話を聞かせてもらった方のお店のを使おうか と思います。市会議員さんでしたよ。堀部邸は先日、家の片付けをしに 行って息抜きに自転車で城下町をぶらぶらして行き当たりました。立派 な旧家で市民の方々が残そうと頑張っているよし。能舞台まで新たに作 っていました。惜しむらくは文化財の指定で火が使えない、つまり茶会 はできない。家は堀部邸から結構近いです。とりあえずこちらで一服頂 きながら堀部屋敷のことを考えてみてはいかが。とは言うものの茶席を 設けるとは言うものの、犬山にそんな知己がある訳でなし。お寺に来て た人等にも話しをしようか。今、注目の犬山城下町の散策も兼ねて遊び に来てもらえばいい。会費はお寺の時と同じく千円、一服飲まれるお客 様は五百円にて。日にちは12月16日にしようかな。1時からは近所 の方に来て頂いての追善供養の茶席、2時からはいつもの茶席としよう。 参加してみたいと思われる方、いらっしゃいましたら小生の方まで一報 下されば幸いです。住宅街の一角が着物姿の人たちで華やぐ、犬山は着 物が似合う街です。そのまま城下町へ繰り出しましょう。12/4 * 平成24年11月のこと 上七軒にて第二回、さえの会。納戸にあった瓢箪の軸を掛けてみました。 秀吉のトレードマークですね。12月初め、北野天満宮では秀吉、利休 らによる北野大茶会を偲ぶ茶会が盛大に開かれます。その日は多分、小 生は大徳寺に行っているかもしれません。月釜に来てくれていた陶芸家 が大徳寺の塔頭で男子だけの会で長くやっているんです。一度、行って あげないと、と思っていたんです。ついで、さえの会も宣伝してきます。 と、ここまで書いて日が明いてしまいました。実はさえの会の日の前後 で、いきなりの冠婚葬祭がありまして、ばたばたしていました。とても やお茶席どころでない感じもあったのですが、そこはお寺で長くやって 来ただけに乗り切りました。茶道というのは、いい時だけのものではな く哀しみ事においても追善供養というように、日々のものです。だから 単なる遊芸ではなく日常に根ざした、何て言ったらいいのだろう。分か ってもらえると思うが。それを端的に表す掛け軸が、日々是好日と言っ てもいいかと思う。こないだの会では、近所のバザーで買った皿を菓子 鉢にしました。300円だったのが、これから半額ですよーとの声に釣 られて、備前焼きの栞があって、備前にこんな練り込みがあるとは珍し く思い買ったのでした。家で改めて見てみると、もう1枚の栞があり水 野双鶴の文字が。何と瀬戸の練り込みの第一人者、瀬戸物祭りの作家展 で何度も名前は目にしていた。入手にしたのは先代の作品だったのです。 平ぺったい皿で少し小振り、どうやって菓子を盛ろうかとずっと考えて いました。京都に着いて家元の門にも挨拶して来よう、それで田丸弥に 寄り何ぞ菓子を買おうと。栗きんとんがあったのですが、数が無く箱入 りの小振りなのを買いました。これが結果的に練り込みの皿に、うまく 合いました。上七軒のトレードマークの串だんごをモチーフにして、斜 め弓なりに並べ、真ん中に1つ置いてみました。皆さんに少しだけ手に 入れた経緯を話しました。多分、長いこと使われずにいたことでしょう。 道具は人の一生を越えて生き続ける。誰かがこうして見出して使ってあ げる。それも生前使ってきた人への供養だと思うのです。例えそれが見 知らぬ人であってもです。ましてや双鶴さんの皿を持っていた人、きっ とお茶をやっていた方だと思いますよ。さてさて、さえの会の続きのこ とをもう1つ。今のところ、東京でしか手に入らないという名古屋両口 屋さんの菓子も、この皿に盛られたのです。お寺の月釜にも来て下さっ ていた東京の大学の茶道部に居た人が、お土産に持って来てくれたので す。それも箱に入った小粒ないろいろ取り合わせ。彼が円形に並べ真ん 中に1つ置いたのです。その時、正客に座った女性、どこから取ったか って、ずばり真ん中です。一同皆、そこから取ったかって頷いたという。 さえの会らしい、ささやかな楽しみでした。11/13 * 平成24年10月のこと 先ずは次回のさえの会のご案内です。11月4日です。というより奇数 月の最初の日曜日に開くことにしました。長谷川の方も快く承諾して下 さり、これから一緒に会を盛り上げて行こうと話がまとまりました。誕 生日を前にして、うれしい知らせでした。改めてさえの会のことを、基 本的には長年やってきたお寺での月釜の形を、上七軒のお茶屋さんの座 敷に移したものです。曹洞宗の寺院でのこと、来るもの拒まず去る者追 わずで、自然と意に添った人達が集い、一つの雰囲気を作っていました。 お寺のことですので、色んな人がやって来ました。住職の知り合いとか 観音信仰で回って来た人とか。そんな時にはどうぞこちらへと茶席にお 通ししたものです。また、このよい子を見て、遠方から不時にやって来 る人もいました。茶道の稽古場であり実践の場でもありました。おもて なしに稽古という言葉はないと思います。道具は何一つ書付けのあるも のは有りません。小生が一つ一つ求めたものです。一介の月給取りが分 相応でやってきたことに過ぎません。特に会の名前とかはありませんで した。花祭りの時のちらしに、徳林寺茶の湯クラブと書いていたぐらい ですか。3年前の春にいったん月釜を止めて、遊んでいました。このま ま小生の茶道も終わりかなとも思ったりしていました。それが茶遊一会 という茶事の形式を考え、その簡易形式というか普段の会の名前を、頭 と尻の一字を取って "さえの会" としてみたのです。思いはどこかで通 じ、奇跡的に昔ながらの佇まいを残したお茶屋で、茶席を設けるこにな りました。表千家の先代も奥の小間の茶室で釜を懸け遊ばれたとか、水 上勉氏が執筆に逗留していたとか、とても由緒ある所。しかし上七軒の 人達はそんなことも全然自慢気にする訳でなく、さりげないおもてなし の心が息づいている。寧ろその気持ちに応えたい、長年使われてなかっ た座敷で自分ができることの茶道でもって、さりげないもてなしの場を 作りたい。と、そう思ったのです。ですから、この会に参加される方も 少なからずそうした思いを幾ばくか共有して頂ければと思う。物見遊山、 大寄せの茶会の一つぐらいに思って来て頂いても、見るべきお道具はあ りません。あるいは異業種交流サロンばりにすぐに名刺を出す場でもあ りません。岐阜の人に、お茶屋のもてなしは茶道が基本にありますと聞 いてこのような次第に発展したこと。お茶屋での茶道はお茶屋のもてな しに基づく、ということも言えるかと思います。10/19 郷里の祭りに帰ることと、上七軒での茶席のことで、頭の中がごちゃご ちゃになっています。去年は四国に渡る前に京都に寄り、小料理屋さん で賑やかな夜を過ごし、神戸に出て深夜のフェリーに乗り込んだのでし た。今年もそうしようかなと思ったのですが、京都に寄るのは四国に行 った帰りにしました。料理屋にお兄さんに一言お礼を言いたくてという ことと、岐阜で一緒に遊んでいる男を連れて行くという。この男、営業 畑で出張だらけ。またまたこんな所、紹介してやったら散財することよ。 岐阜は地元で柳ヶ瀬で飲んでいたら、どこで知り合いに出くわすかと言 っていたから、京都でなら思う存分いかが。今日は名古屋は大須に行っ てました。僕等子供の頃の思い出では、大須といえばまるで人気の無い 商店街でした。その割にはかなり広い町で閑散としていました。それが 今やどうか。東京の秋葉原以上の賑わいじゃないの。子供からお年寄り まで楽しめる町になりました。夏にはコスプレサミットでもすごい賑わ い、昨日今日は大道町人祭りで全国から集まった大道芸人、目玉は花魁 道中、骨董市まで出ていました。マジシャンの知り合いの天平君の姿を 最初に見ました。彼はジャグラーで、今や世界的に活躍する人物となり ました。堂々としたエンターティナーの風格を漂わせていました。そこ から花魁の宿に向かいました。出発の2時までちょっと間があったので 大通り脇に並べてある骨董を見ることにしました。結構一杯、骨董店が 出していました。そろそろ2時かなと戻ろうとした時、先の方がざわざ わとして、花魁道中の一行がすたすたとやって来ました。八の字の高下 駄どころでなく、さささっと通り過ぎて行きました。後で分かったので すが2時前に宿を出た様子。ひょっとして先頭の花魁が知り合いだった のかも。白塗りで別人になっているので分からんかった。さっき骨董を 見ていて花鋏みが気になりました。もう一度行って手に取っていると千 円でいいよという。7〜8丁並べていてどこからか仕入れたのでしょう。 しっかり日本ではない刻印がしてありました。でもネ、切れ味は抜群な んです。使っている内に少し緩むからと店主が言うので、少し固めのを 選びました。早速、来月の会に持って行きます。後、創業130年とい う森口漬の店で、2軒親戚のお土産用にと買いました。普段は旦那さん も店頭に出ているらしいのですが、今日はこの祭りに出払っているとの こと。奥様がうれしそうに話されていたのが印象的でした。大須には元 々、芝居小屋が立ち並び遊郭も三箇所あったそうな。そうした土地の血 筋があるせいか、ちょっと粋な雰囲気を感じたのでした。名古屋にもま だ芸者に舞妓さんもいる。いっそ検番をこっちにちゃんと作ったらどう か。大須の一角を大人の町、花街にしたら。いいと思うなー。どうです か、大須案内人の御一統さん!。家に帰ったら待ち構えていたように母 が鯛を焼いてくれました。何を隠そう今日は小生のお祝いの日だったん です。いやー、目出度いめでたい。10/14 京都へ行ってきました。ちょうどうまく快速に乗れて米原乗り換えで京 都には10時に着きました。上七軒に行くには205号系等のバスがい いです。空いてますし大通りを通って行くので早いです。降りるのは北 野白梅町で、もう北野天満宮なんです。手前で降りて妖怪ストリートを 歩いて来ました。長谷川の玄関すぐの部屋でお兄さんが掃除機をかけて いました。荷物を置いて老松へ。この店は注文を聞いてから作ってくれ るんです、10分程待ちました。それでお茶席の方は11時半頃から準 備を始め12時ちょいには湯も沸かし、そこそこ準備は整いました。そ ろろ誰ぞ来るかと思いきやまるでお茶挽き状態。寿会の初日なもんで声 を掛けた人は皆、お忙しい様子とのこと。こんな有様になることもある ので、そうそう誰彼おいで下さいと言えないんです。小生のホームペー ジを読んで納得尽くの上でないとね。しかし、しかしですよ。このまま 終わらないというのが "さえの会" の恐ろしいところでして。3時過ぎ に急展開を見せたのでありました。裏千家のそれはそれは見事な点前を 見ることができたのです。しかも若い男性、30歳半ば。結婚はされて いるんですかと思わず聞いてしまいました。何と返事が返ってきたかっ て、それは貴女が自身でお確かめください。えらく気に入ってくれたよ うで、また来ますと力強く話してましたから。お裏さんの本場で修業さ れて、娑婆の垢にまるで染まってないと小生は表現したい。あんな点前 を見せられたら、年頃のお嬢さんなら即ほの字。いやー、本当たまげま した。3時過ぎに来られたのは5人、口込みでまたそこから声を掛けて くれてでのこと。実質この人達が初めてのお客様ということになりまし た。裏でやられているという男性2名、その座っている姿からして凛々 しい。只者ではない。それもそのはず家元に頗る近い所にいる方々でし た。このお茶屋の建物でお茶をやる意味が十分理解できるように見えま した。そこでよかったらお点前やって下さいと水を向けました。何とす がすがしいことか、二つ返事でそれではと。亭主と半東になり、まさに 茶遊一会に書いた通りの展開、客も茶を点てる、になったのです。その 二人、息がぴったりで一巻の絵を見ているようでもありました。普通の 茶会ではこんなようには行くものではありません。まさにお茶屋でのサ ロン的な雰囲気があればこそ、自然とこうした事も起きるのです。それ が"さえの会"の眼目であって、図らずも第一回の茶席でそうなりました。 これで今後も続けることが決まりました。上七軒の皆様、これからお騒 がせするかと思います。何卒よろしくお願い致します。10/9 ここしばらく微熱が続いています。冷や汗をかいたり、ぼかっと熱がこ もっているみたい。外に出てみました。今は夜の11時過ぎ、台風が去 って行き、いいお月さんがでています。薄い雲がある程度で、煌々と輝 いています。体を少し冷まして来ました。最近よく夢を見ます。たいが い今度のお茶席のことに関係した夢のようです。行くと長谷川の座敷に 一杯、竹と籠の花入れが置いてあったり、何か数えていて舞妓さんがど こかへいざなってくれたり。夢ですからね、とりとめもない事です。昨 日、母とお寺の畑へ出ていました。花畑からススキなんかを採ってきて 細長の花瓶に入れていました。母は花を入れた後、宗心先生の茶花の本 をくっていました。縞葦だけを古銅に入れているのとか、その本には出 ています。宗心先生にお会いしたいなーと母がつぶやきました。そう思 っていればきっと会えるよと返しました。上七軒で続けてやることがで きれば、話がどこからか伝わって来てくれるやも知れぬ。何せ上七軒は 千家家元から1キロぐらいしか離れていないんです。もう随分と前から 茶会というと、大寄せばかりになってしまって。あるいは時間を区切っ ての茶会もあるが、何となく気ぜわしい。どうも少人数の場合は茶事と 呼んでいる人もいるみたいだけど。小生は常の月釜は茶会とは呼ばずに 茶席と言ってきたつもりである。茶会は花祭りと豆名月の協賛で呼んで いた。いずれにせよ上七軒でやるのは茶席です。七、八名も集まればよ しとします。ですから家元関係の方がもしふらっと来られても、そのま ま一服どうぞと遊んで行って頂く。そんな所にしたいと思うのです。で すからどこそこの茶会はこうだったとか、ああだっとか。そんな話は抜 きにしたい。お茶屋の中での話しは口外せず。お茶屋さんの中での茶席 はその逆も然りということなんです。こんなこと特段書くまでもないん です。上七軒にはそんな自然な雰囲気がそもそもあるのですから。10/3 * 平成24年9月のこと 第一回の上七軒での茶席、さえの会、もう直に迫って来ました。季節も だんだんと秋らしくなって、一番いい時期に釜を懸けることができます。 心の中でどうしようかと躊躇されている方、思い切って来られてみては。 無垢の手付かずのお茶屋の佇まいの中に身を投じるだけでも、価値のあ ることだと思います。会費は千円だったりお気持ちだったりするのです が、一回1万円取ってもちっともおかしくない。それは雰囲気に対して 払う価値があるということなんです。上七軒の人達が長きに渡って培っ て来た雰囲気、歴史をそのまま刻み込んだ座敷の雰囲気。その中での点 前、茶席というのは一般の稽古の場とはまるで違う。若かりし時、家元 の短期講習で先生方の言われた事は、私達は何も教えない、佇まいを見 て行ってくれと。たった一週間のことが、その後の自分のお茶の礎にな った。ぽやーとしていると気づかない、見落としてしまう。そんなさり げない雰囲気が家元にはあった。それがまさに表千家の流儀であり、殊 更力を入れる分けではない。それと似たような所が、家元に程近いとこ ろにある上七軒という花街での流儀のような気がする。表千家は茶道の 直系と言ってよく先ずは古格を守ること。上七軒もまた最も古い花街で 格も一番高い。だからと言ってえらぶることはない。何を言いたいか一 つ喩え話をしよう。小生、大学は修士課程を出ている。ある人曰く大学 に余分に2年行っただけでしょと。申しわけないが全然異なると言いた い。授業はそうは無く研究室に殆どいた。教授や助手それに自分も含め た学生が作り出す雰囲気が研究を支えていたことに気付く。小生が茶道 を真剣に習ったのは、大学に編入する前の3年間だった。岐阜の自動車 系のいわば一流会社の茶道クラブでだ。中味の濃い稽古で半年ぐらいで 濃茶も練っていた。大学出てからはその会社には戻らなかったが。その 後、目にしたのは10年20年稽古を続けても禄に薄茶も点てられない 有様。まるで点前の所作になっていない雑そのもの。何のためにお茶の 稽古をしているのか。そこにはお茶をやるという雰囲気がなかった。そ んな所でどれだけ稽古しようが意味がないと思った。お茶の先生たる者 自身が雰囲気を作る、出すこと。それを肝に銘じなければならない。お 花を教えながら、点前の順番を指図しているようでは、それはもはやお 茶でも何でもない。表千家の点前はそんな複雑怪奇なものではない。基 本を押さえればそこそこで点てられるようになる。肝心なことはお茶ら しさ、表千家らしさ、その雰囲気を伝えることである。そのためには普 段の稽古のための稽古だけではだめである。実際にお客様を迎えての点 前に臨まなければ。それをやるのがさえの会なんです。どうか無垢な気 持ちに一度なって、長谷川の座敷に座ってみませんか。できればお点前 もやってみて下さい。一回の事だけでも何か感ずるものがきっとあるは ずです。参加する旨の知らせ、お待ちしております。9/24 ようやく涼しくなって来ました。幾つか秋の催しの案内が届いておりま す。岐阜のお茶屋さんからは、風折烏帽子みるしるあそぶ、と題しての 船遊びが、長良川の鵜飼を楽しみつつ屋形舟での宴席で御座います。舞 妓、芸妓二名、幇間のきくじ兄さんそれに三味線と笛太鼓の豪華版です。 10月7日の夕方から出湊、お代は1万5千円。お勧めですねー。湊に 一杯泊まっている舟からいの一番で出て行くのですが、横笛の高らかな 音と共に太鼓をドンドンと叩いて、それは景気のいい話なんです。衆人 環視の中きれいどころを乗せて、それはそれは気分のいいものです。川 べりから見る金華山の頂きにある岐阜城、暗くなってライトアップされ た勇姿もまた素晴らしい。乗り合いの屋形舟でちょっとした弁当をつま んでいては、知りえない世界がこの舟にはあります。丸ちゃん正麺じゃ ないけど、嘘だと思ったら試してみて下さい。続いて11月2日にある やはり風折烏帽子に因んだ催し、はなしと舞。うかいミュージアムにて 13時半から1時間、500円。ここでも舞妓さんらの舞が見えますよ。 こちらには月釜に来て下さっていた方を誘って行こうかなと思っており ます。10月7日の方は行きたいのは山々なんですが、次の日は上七軒 で釜を懸ける日。前日はおとなしくしておこうと思っているんです。子 供じゃあるまいし、そんなという感もあるのですがねー。もう京都へは 9月9日に道具は一通り運んだので、当日は着物を持参するぐらいのこ とで済みます。とは言っても多分、細かな準備もしないといけないと思 いますが。来ている案内のこと。毎年この時期になると一宮の末木さん から十三夜の会を、今年は10月27日だそうです。会費は1万3千円。 西川流の踊りに尺八演奏、茶席に料理。これも風流なものです。20年 以上前のこと先代と知り合い、それ以来案内を頂いております。後もう 一つは上七軒の呉服屋の十周年記念のパーティがブライトンホテルにて。 皆、行きたい。サラリーマンやっとる場合じゃないですなー。9/20 夜も1時を過ぎてから今日(昨日)のことを書こうかという。もうちっと 早く書けばいいのに。さっき外に出てみたらヒンヤリすること。部屋は ちょっと蒸し暑いのに、そんなことで缶ビールをしゅぱっと飲んで座っ ております。7時50分に帰ってきました。向こうを4時17分に出た とメモしております。大津SAで琵琶湖を一望しながらきつねうどんを 食べてきました。四日市の辺りでノロノロになって、桑名インター出て 真っ直ぐ走って行ったら名四の下をくぐってしまい、あれあれ。行きは 8時21分に出て11時10分頃着いたぞ。それからすぐに道具を降ろ して昼飯も食べずに準備しました。でも先ずは掃除からが鉄則なんです。 棕櫚ぼうきで座敷を掃き雑巾がけです。お兄さんは庭掃除や玄関口を念 入りにやっていました。花は実は昨日の内にお寺の畑で摘んでいました。 ビニールに水を入れそれに花を入れて持って行きました。座敷に運び込 んだ道具が大方片付いたところで、花を入れてみました。花入れは青磁。 口が広がっているので花一つでは寂しいと秋を先取りし、また名残に槿 の蕾を入れてみました。やはり花を床の間に入れると座敷が締まります。 多分、お兄さんにも分かってもらえたと思います。ああすんません。こ こらでビールの酔いが回ってきました。続きはまた明日。明けて月曜日 の晩です。結構疲れてました。久しぶりの緊張でしたからね。掛け軸は 夢の一字。2時ぐらいに、ここでの初めての点前に臨みました。客に座 ったのは3人。正客にはこの家の家主さんが座り、挨拶に出たところお 軸のいきさつを話して下さいました。本日今日の会にまさにぴったしの 字で、しかも粗に崩した字体。粗茶ならぬ粗夢を見よと言っているよう に思えました。決してつまらない夢ということではないんです。だから と言って野望ということでもありません。青磁の花入れはこの家にあっ たものです。この家にはおかしなものは無いと思います。ひょっとする ととても高価な代物かも知れません。ただ素直な心持ちで秋の草花を入 れてみただけで、粗な夢の字に応えたつもりです。点前を終え末客に座 った方が表千家で、お点前をして頂こうとしていたところ。向かいの料 理屋さんの方が来て下さりました。お兄さんが誘いに行ってくれたよう です。水上勉氏のことや五番町夕霧楼のことなど、実際に見て知ってい る方で、いろいろお話を聞かせてもらいました。そんな場所でこうやっ てお茶席がかかっていること、感慨深げな様子でした。できるだけ上七 軒に縁のあるお道具を使いたい小生が言うと、縁者で幾つかお道具があ るのでまた持ってきますとおしゃって下さいました。これでさえの会の メンバーが一人できましたね、ひょっとすると連なって地元の方も何人 か。こんなんでいいんじゃないでしょうか。このご婦人とも話していて ますます上七軒が好きになりました。思わず、ここに来ると郷里の四国 に帰ったかのような気持ちになりますと打ち明けました。四国の接待の 心と京都上七軒のさりげないおもてなしの心が通じているように思うの です。どうかここに集う方は、茶道の世界のいろいろなしがらみをいっ たん忘れ、無垢な気持ちで座ってみて下さい。そうすれば、これまで見 えてこなかった所の茶道の世界が見えてくるかと思います。茶道は本当 は楽しいんです。僕は今、とても楽しいのです。9/10 * 平成24年8月のこと ひっそりと、さえの会のご案内。ぼちぼちとこれまでお寺の月釜に来て 下さっていた方に声を掛けています。それに上七軒近辺の方にもこんな ことするよと伝えてもらっています。あとこのよい子の茶道で。あまり ネットでどうこう宣伝するつもりは無いんです。最初は人数が集まらな くても、口込みで気のある方が来て下さればと思ってます。何せ大寄せ の茶会ではないので、そんなどばっと来られても困るんで。さえの会と 言っても特に会員を募るという事ではありません。気持ちとしておもて なしする側か、ただの客かという意識の違いしかありません。お客様は 千円、上七軒関係者の方はお気持ち。スタッフという言い方は好きでな いんですが一応スタッフはもう少し頂きます。スタッフは十名ぐらいで 半分ぐらい集まればよしとします。お客さんは多くても十名ぐらいまで でしょうか。初心者の方でも数回の手ほどきで、ほとんど実践でお点前 をやって行きます。たいがいの社中では半年ぐらい割り稽古にお盆点て をやるのが常のようですが。風炉の薄茶点前なら3回も稽古すれば、案 外やれてしまうものです。大切にしたい事は表千家らしいさりげない雰 囲気、それを茶席で作っていくこと。これは亭主側のみならず、お客様 にもお願いしたい。点前の流れとして挨拶から最初の一服が点って正客 が飲み終わるまでは、黙って点前を見てあげて下さい。その時々の亭主 または小生の方から皆様に目配りをします。居あわせたお客様同士でも 何かの縁と思い、和やかにこの一時を過ごして下さいませ。そして点前 が終わりにかかったら、静かに亭主が下がるのを見送って下さい。お時 間が許せば、また次の方の点前にてもう一服召し上がって頂いて結構で す。ゆるりと遊んで行くことができる、それがさえの会の眼目なんです。 第一回は10月8日午後1時から5時ぐらいまで。9月9日はその前の 試し釜、ばたばたするかも知れませんが、場所だけでも見たいという方 は2時ぐらいにおいで下さいませ。場所は仕出し、紅梅庵の向かいです。 ここのお弁当も手頃でとてもおいしいんです。8/28 ガラスの茶碗のミニ茶会をもう一題。五番町夕霧楼を店先で読んでいた というのは、実は岐阜のお茶屋さんの所のことです。前日に浴衣会にお 邪魔して終わった時に、明日なんだったらガラスの茶碗お持ちしましょ うかとお聞きしたのです。是非見たいと言われたので、それじゃ一通り 準備して行きますと。お盆の間もほとんど休みがないようで、遠慮しよ うかなとも思ったのですが、いつもの例会を急にやるとのことで、それ なら皆さんに目の保養をしてもらいましょう。と、そんなことで上七軒 に続いての押しかけミニ茶会で御座います。火を扱わないので準備は至 って簡単ですね。きくじさんの提案で朱塗りの手桶を使うことにしまし た。氷を入れてカラカラと柄杓で水を汲むのです。あかというのは返っ て涼しさを感じさせるものです。経机の右に手桶を置き、左手にはお盆 に茶碗と吹雪を載せ袱紗を被せました。振り出しには京都田丸弥で求め た金平糖、干菓子はさぬき和三盆。部屋はいつもの離れにて、少し照明 を落としてあるのか、いつもより雰囲気がよろしい。準備が整った頃に ちょうどこの日の参加者が揃っていました。袱紗を取り一礼をして始め ました。そこに座っていたのは七人だったか、えらく皆さん神妙にして ましたよ。お盆点ての点前の順序はまるで関係なし。ただ点て易いよう にやっているだけで、緊張してもらう程の事でもないんですが。三服点 て後、代わってと中花さんに茶筅を預けました。まだ4月に来たばかり お茶の稽古もそれからという芸妓見習いさんです。板張りで足が痛くな って来ていたので、這って交代よと半ば無理やり。きくじさんはすぐ横 の台所でこの後の料理を精出して作っていました。その合間にも替えの 茶巾を用意してくれたり何かと気を遣ってくれました。最後は彼の点前 で小生も一服頂きました。満豊にある平茶碗でよく薄く、手にひんやり して、自分が持参した抹茶にも関わらず、とても美味しゅう御座いまし た。全くもって贅沢な一時でした。ちょっと分かりにくいかも知れませ んが会記めいたものを。毎月の話に移す際には区切って分かり易くしま すのでこの場はご容赦を。 抹茶 なつめ茶舗、宇治の露。 振り出し 伊羅保、沙江、名古屋大磯通、松風堂にて。 干菓子盆 七宝焼き、熱田神宮に奉仕する友人からの頂き物。 建水 江戸小紋吹き寄せ。 ガラス抹茶茶碗 ガラス工房、飯田尚央、2003年8月12日、 常滑まるふくにて。 鈞窯天目茶碗 瀬戸龍光窯、丹羽暫、平成十年瀬戸物祭り協賛作家 展にて。 お盆 津軽七七子塗り、栄 丸善にて。 茶器 真塗り吹雪、平針狸街道にて。 茶杓 犬山の先生の形見、祇園の円月堂にて。    以上8/16 昨日の夕方から読み始めた水上勉氏の五番町夕霧楼。岐阜に向かう道中 そして、時間まで間が有った店の前。今日の昼下がり、そして今しがた 読み終えた。氏の作品はないか本棚を探した。埋もれていたのを見つけ 一気に読んだのである。昔読んだきりで内容は忘れていた。金閣炎上の 類する作品だと分かったのは、もう終盤だった。作品に出てくる地名や 寺社仏閣の名前など、すーっと我点が行った。上七軒や西陣と言った少 し馴染みになった場所が作品に出てくる。昭和27年という時代背景も 自分の歳からすれば、そんなに遠い昔でもない。去年のこと、思うこと あって川端康成の雪国を読み返していた。今日の夕霧楼といい、根底に あるのはある種の哀しみ。それを随分と日本的と言ってもいいし、ある いは曖昧模糊としたもので、始まりもなければ終わりもないような。今 日いやもっと昔から一般の生活なり仕事では、曖昧さは許されないこと で起承転結をきっちりすることが求められる。しかし内面における精神 性の部分においては、こうした文学作品に見られる日本的な感情に触れ るのは毒にも薬にもならないのだが、そこがいわゆる日本的と言わざる 負えない。多分ここは和のテイストとか頻繁に和和和と使われる和とは 別種のものだろうと思う。あまりにもお手軽に使われてしまっているの で、その価値が半減している。多分、和とか和物というのは形として現 れている物で、やけに明るい印象を感ずるのは自分だけではないだろう。 話を日本的なることに戻そう。水上氏が執筆をした上七軒の長谷川のこ と。ほとんどの部屋が当時のままの佇まいで残っている。細長い建屋に 昼でもほの暗い廊下に座敷。ここではまるで時が止まったかのような錯 覚を体で感じる。先にある種の哀しみと書いた。これは川端康成氏がノ ーベル文学賞を受賞した折に書いた美しい日本の私の中で繰り返し哀し みという言葉を出している、それを思い浮かべる。これまではおぼろげ な言葉としてか捉えることができていなかった。が、今はその精神性を 形として見、哀しみの正体が分かるような気がするのである。8/14 水上勉、谷崎潤一郎、川端康成。こうした日本を代表する作家が居た時 代。三丁目の夕陽とはまた違った時代感覚といいましょうか、少しほの 暗い座敷で、置かれた屏風の向こうに哀しみの気配を感じさせるような。 本来、日本人が持っていたはずの美意識が、そのまま残留思念として建 物や座敷に息づいている。そんなところが奇跡的に残っていて、何かに 引き付けられるように辿り着いたのです。日本で最高のもてなしの場所、 それが京都五花街の上七軒でありそこに佇むお茶屋です。更にその中で もほとんど造作に手が付けられていない、昔ながらの佇まいのままの所。 縁あってそんな場所で、さえの会を開くことができるようになりました。 25年に渡り曹洞宗のお寺で毎月釜を懸け、およそ2年前休会と致しま した。しばしの休息でした。その間、次にどんなお茶をやろうか、やり たいか考えてきました。そんな折り偶然にも岐阜のお茶屋さんを知り一 つのヒントをもらいました。茶道は本当は楽しいんです、という自分の 言葉がだんだんと形を整え、茶遊一会という新しいお茶事の形式が浮か んできました。そしてこれまでやって来た月釜、単なる稽古場でもない し茶会の席でもない。お寺という不時にお客がやってくる場所ならでは の稽古であり即実践のもてなしの場だったこと。それに改めて名前を付 けたのが"さえの会"なのです。先週のことガラスの茶碗で実際に即興で 茶席を設けてみました。まるで茶室が待っていたかのように、しっくり 来ました。以前からここで釜を懸けていたかのような錯覚さえ、一瞬覚 えました。長くよい子の茶道を贔屓にして下さっている方々に、先ずは ご案内を致します。10月の8日(休日)に再開の一歩を踏み出すことに しました。その後はできればだいたい2ヶ月に一度。また先駆けて9月 9日には内々で試し釜を懸けるつもりです。お代は無理の無い範囲にて、 人数は従来通り10人ちょっとで。上七軒は飾らないさりげないおもて なしの心がそのままあります。そんな中で一緒におもてなしのお茶をや りましょう。どうか小生に一度ご連絡下さいませ。8/4。 * 平成24年7月のこと 単の着物に白の長襦袢、雪駄に白足袋を履いて、帯は博多をきりっと締 め一体どこの旦那なんかと思われたかも。自分でもおかしいぐらい馴染 んでいて、どういうことなんでしょうね。多分このガラスの茶碗がなか ったら、こんなことは無かったと思う。富士山の雪山かと思わせる景色。 一番暑い夏の日に、見るだけでも涼を呼ぶ。皆に見てもらいたい、そん な気持ちでとりあえずの茶道具を鞄に入れ京都は上七軒に出向いたので した。 とあるかつてお茶屋さんだった奥の座敷に小間の茶室。座敷の方では近 隣の人が寄っての集いがが夕方からあった。歌舞練場の前の広場では舞 妓さんや芸妓さんらによる盆踊り大会。髪をおふくなんかに結った浴衣 姿の舞妓さんもそこかしこに。まあまあ贅沢な話で。そこで小間の方で、 何とミニ茶会もやってしまおうとなって。どんな人等が来るか、何人来 るかもよくは分からなかったんですが、まあまあいいじゃないですか。 上七軒にやってくる前に家元の方にも寄って、田丸弥で金平糖を買って きました。菓子はそれに持参した徳島の和三盆で。お茶はいつもの茶舗 で一番上等なのを昨日求めたばかりのもの。そりゃ冷水で点ててもおい しいですよ。花は平野神社で咲いていた槿を一輪、宮司さんに言っても らいました。すぐにガーゼのハンカチに水を含ませ包んだんですが、暑 かったせいでしょうね。床の中ほどに入れたんですが、ちょっと萎れて しまいました。 皆さん三々五々にやって来られたんですが、来た人から半ば強引にささ こちらにと招きいれ、楽しんでもらいました。うれしいハプニングだっ たと思いますよ。夕方の6時ぐらいから1時間ぐらいだったでしょうか ね。かれこれ十人以上、お若い方が座られました。茶室は人が座ってこ そ、集ってこその空間。茶室も久しぶりに使われてきっと喜んだと思い ます。ちょっとのつもりが結構、様になって。楽しい茶席になりました。7/29 寝付けないので、起きてはつい冷たい飲み物なぞを口にしています。暑 いからと言って冷たいものばかり飲んでいると、反対に体によくありま せん。東洋医学的には体を冷やすといいますね。ここから、ちと強引な 話しに持っていくという。夏はガラスの器がいろいろ使われます。例え ば素麺なんかガラスの大鉢に入れて、氷を浮かばせば何とも涼しげです。 茶道の世界でもガラス製の抹茶茶碗というのがあります。一応、熱湯を 入れるので耐熱ガラスになっております。一見、よさげに見えるのです が、ようく見るとどうも頂けない。何がって耐熱にする分、厚ぼったい んです。ガラスの癖して暑苦しいんです。そもそも普通、ガラスのコッ プで暑い飲み物を飲むか?。レモネードとかホットウィスキーとか、無 いこともないが。ちょっと感覚がおかしいですよね。小生、一つだけガ ラスの抹茶茶碗は持っています。でも耐熱性ではないんです。冷水で点 てるお抹茶をこれで飲みます。富士山に雪を被ったようなガラスの流れ があって見ているだけで涼しい気分になってきます。上質の抹茶であれ ば冷水でもとてもおいしく頂けます。使うのは年に一度ぐらいですかね。 ひょっとすると今度の日曜辺り、出して使うかも知れません。どこで使 うかって、それは内緒です。やれればいいなー。押しかけミニ茶会とい うことにしますか。菓子は讃岐の和三盆のお干菓子を、瀬戸内の物産展 で買って置いたのがあるんです。やっと風邪も昨日辺りで退散してくれ ました。なかなかしつこかったバイ。元気になったので、いらぬ事もふ と頭を今よぎりました。ガラスの茶碗で夏の出張ミニお茶席、承ります。 んー、いいかも。皆に実際、見てもらいたいからね。7/26 * 平成24年6月のこと 西日本を中心に大雨が降った後、空を見上げたらこれはもう夏の雲だっ た。また夏がやってきた。昼間はちょっと遠出して出ていた。いつもな らこれで一日お終いというとことなのだが、夕方からまた街の方に出か けた。覚王山近くの城山八幡宮。これまでにも何度か行ったことはあっ た。緑深い山にあり、都会にありながら一隅のオアシスと言ってもいい だろう。ここで夏の初めの頃、茅野輪くぐりなる厄払いの行事があるこ とも知ってはいた。一年の半分が過ぎたところで、それまでに付いた厄 を払い、残り半年をどうか健やかに過ごせますようにという。大きな輪 だった。子供らに釣られて小生も概ね八文字に輪をくぐってみた。本殿 前には輪くぐりを済ませた善男善女が列を成していた。六時をやや回っ たところ、まだまだ明るかったが、深い木立で日陰になっているところ には、神社の提灯の火が燈っていた。と、ここまで書いた様子から想像 する神社の様は、ひっそりした厳粛な雰囲気かも知れない。ところが本 殿前以外は人人人で溢れかえっていた。参道には露天が立ち並び、浴衣 姿の子供や大人にカップルらがうじゃうじゃ。何ていう熱気、まさにこ れぞ夏祭り。やぐらが立ち盆踊りも始まっていた。こういうのって好き だなー。そんな中、本殿での茅野輪くぐりを済ませて、賑わいの方へと 足を向けたところで一瞬思考回路が停止した。今日のことを間接的に教 えてくれた当人と、ぱたっと出会ったのである。これだけ人が出ている ところで会うとは奇跡に近い。実はまっすぐに神社に来たのではなく覚 王山の駅で降りてお屋敷の中を抜け、神社には裏の方から散歩がてら連 理の木なぞを見ながら、ぼちぼちやって来たのだった。連理木は痛みが あるのか保護されてそのままの姿は見えなかった。二つの木が少し上で 一本の木になっている。それを日本古来の風習で男女が結ばれる様と解 釈しているわけだ。そういう木があることで、この神社は縁結びの神様 としても有名ならしい。人というのは会いたいと思っていても、なかな か会えないこともままある。しかし時として、神様は粋な計らいをする もので、偶然にしては出来すぎる出会いも演出する事もあるのだ。一瞬 お互い立ち止まってはっとした相手は、今晩ここで神楽殿で奉納舞をす るという。まだ巫女の姿ではなく浴衣で、ごく自然な感じがした。舞の 奉納は七時からで、間があった。露天を冷やかして、子供らが金魚掬い なぞをやっているのを見て回った。だんだん辺りが暗くなり、下の参道 から続く提灯全部に明かりが燈った。神楽殿のところにそろそろ出向く と、そこそこ人が集まっていた。向こうにわんさと居る人等が大挙して 来たらどうなるやと思っていたが、そこそこでよかった。舞手は四人で 奉納された舞は四つ。ここ数年は舞妓、芸妓さんの舞は見ることが多か った。こうした巫女の舞を見るのは熱田さんで龍笛の稽古をしてた時以 来か。まさに神に捧げる舞な訳で、座敷舞とは趣がまた異なる。上には おった白衣(しろぎぬ)が何とも涼やかで、羽衣の風がそよいで来るよう だった。最後、四人が前に出て厄払いの鈴を鳴らした。神楽殿横のテン トでは、茅野輪くぐりの三日間しか出さないというお守りを売っていた。 手作りの小さな茅野輪と鈴が白の紙袋に入っていた。病は気からという、 ならば気によって病を蹴散らすこともできるはず。このお守りで少なく とも半年は病を押しやってくれるに違いない。どこへ行くとも言わず出 ていったのだが、帰ってきて茅野輪くぐりをしてきた、これと母にお守 りを渡した。昼間、母を連れ出し丈山の里に行き抹茶を頂き、農協では 小振りなスイカを買っていた。冷蔵庫でよく冷えていた。甘い、小さい ながら丸っと一つで俎板でスパッと切って。これでこそ夏、夏が来たと いうものだ。***一足お先に夏、夏、夏*** 7/16 うなぎ談義はそこそこにしておいて、今晩のNHK教育の表千家のこと を書いておこう。茶道を習っている人も、茶道をやったことのない人も 是非、この番組は見て欲しいなと思う。指導にでている先生、まるでち っとも変わってない。23歳の時、家元で厳しい一週間を送った。正座 三昧で休憩の時に足が痛いとぱんぱんと叩いた。その様子を件の先生が 見ていて、ばたばたするなと一喝された。その時とちっとも変わってな い。テレビでは時折、笑みも浮かべるがこわーい先生でした。今日は薄 茶でした。お薄の点前で夏らしく平茶碗と平水指の取り合わせ。点前は さらっと終わり、NHKのアナウンサーの実習コーナーがよかった。干 菓子を盛り合わすのをやって下さいとのことで。二色の干菓子があって、 好きなように盛ってみて下さいと。できそうでできないのが菓子の盛り 合わせ。内弟子(玄関)のお兄さんが直してましたね。確かざっくりと、 と言ってたと思うのですが。あまりきちっとしてはいけないけど、でも 雑ではいけない。こんな感じですかねとやってました。さりげない仕草 だったんだですが、あの手捌きは表千家の風体そのもの。細かなようで ざっくりとしている。なかなかここの所を理解するのは難しいだろうと 思う。少々、表千家をかじったぐらいの人だと、ただ見過ごしてしまう と思う。家元の佇まいと玄関の人達などに、直に触れてみないと分から ない世界かも知れない。まあその雰囲気を少しでも伝えることが出来れ ばと、お寺でずっと釜を懸けていたんですがね。そんなことより菓子の 盛り合わせに話しを戻そう。干菓子はぺちゃと置かない少しこんもりと。 だいたい二種類の干菓子をはすかいに置く。主菓子の場合、いわゆる饅 頭系は奇数、5個とか7個とか菓子器に置きます。菓子器には濡らして 押さえ拭きした箸も添えます。いやいや説明するのはまどろこしいバイ。 主菓子を並べる際の注意。主菓子は生菓子でもあり、さっと扱うのが肝 要かと。位置が悪かったと言って箸で何度も場所をいじるのは止めたい。 菓子器に饅頭を置いた跡がぺたぺたと付いてしまう。手伝いに入った水 琴亭であった茶会でのこと。一応その席の責任者とおぼしき男が精出し て、位置を直していた。小生がそんないじらない方がいいですよと言う と、雇われ亭主のご婦人も私もそう思いますよと言っていた。それがき っかけで僕の点前を見たいとその先生が言われて。いかんまた話しが脱 線しそうだ。最後に羊羹のことも書いておこうか。お寺の会に初めて来 られた30歳ちょいのご婦人に羊羹お願いしますと預けました。すぱっ と切って厚みもちょうどよく均等になっていました。驚きました。こん な綺麗に羊羹を切って器に盛った人は後にも先にもないです。薄いと貧 楚になるし、厚いと食べあぐねる。なかなか難しいですなー。そうそう このご婦人、茶道はやったことなかったけど、会社でお茶と菓子を出し ていて羊羹も切っていたそうな。いつも和服でやって来ていました。今 年の花祭りの折には子供連れの三人で茶席に入っていました。私!、覚 えてませんかと言われたのですが、さあーと返事しちゃいました。この 時は洋服だったので直ぐに分からなかったんです。お子さんが出来て優 しそうな旦那さんと一緒に。思い出しただけも、こちらまで幸せな気分 にさせられます。さて気分がよくなったところで今晩はこの辺りでお開 きと致しますか。おやすみなさいませ。6/25 うなぎを食べるのに時間がかかるのは当たり前。注文を聞いてから鰻を 裂いて焼きにかかれば、30分やもうちょい待たされるのは仕方ない話。 というのは昔の話か?。うなぎ屋に入って天ぷら定食やら海鮮丼なぞを 食べて、うなぎ食べず。そんなのも今時有りだ。うなぎ屋はうなぎだけ 出していればいいんじゃないの?。熱田さんのところにある超有名な店 に半年ほど前入ったけど、すぐに出てきた。味?、そこそこでした。ど このうなぎ屋もこざっぱりしてしまって、匂いの一つもしない。近くの 店はいつも煙をもうもうと出していたのだが、いつの間にか店が別なう なぎ屋に変わってしまっていた。まだ瀬戸の屋台みたいな店は健在だろ うか。小さな店先の前で狸の巣どころではないうなぎ屋がある。汚こい 店なんだけど、結構お代は張るんです。いつも並びの焼きそば屋で済ま せていたんですが。うなぎの焼く匂いで焼きそばを頂くという。さて今 日のことになるが、うな丼を頂こうという気分になっている。あくまで もうな丼!。うな重やひつまぶしではない。ひつまぶしなんぞはもって の他、話しのネタに田舎もんが一度は名古屋で食べるという代物。がつ んと丼をかきこむの本筋で、食べている最中にちょっとお兄さんそこら でお茶漬けにしないと、なんて言われたんではたまったもんでない。か つて母がお友達と入ってカウンター越しにレクチャーを受けたとか。お 目当ては桑名から上がった多度大社前の店。ここには石津屋という料理 旅館が立っていた。いかにも人影が少ない店で、一度も入ったことはな い。うなぎやら鯰やら鯉なんか出す看板があったようにも思う。ここに "だるまうなぎ"なんとかという屋号で去年できたらしい。人生七転び八 起き、母が昨年手術してからちょうど1年経った。今も抗がん剤の治療 は続いている。うなぎを食らって癌を吹き飛ばせ。屋号もちょうど思い に適っている。ここでうな丼を、しかも上を頂こうではないか。多度大 社には思うことあれば、しばしば参拝に出かけている。参道の奥に社が あり、その奥の滝がご神体になっている。夏でも滝のしぶきで肌寒いぐ らいである。夏の終わりの頃ここに来ると、蜩がカナかなとどこからか 聞こえてくる。お盆の頃か、いかにも心が寂しくなる時期にだ。夏至が 過ぎ、もう1年も半分終わったか。厄払いですな。6/24 お寺での月釜を止めてから、すっかり茶道の話題が乏しくなってしまっ ている、よい子の茶道です。にも関わらず見に来て下さる人がいる、感 謝しなければと思っております。岐阜での話しをよくするのですが、新 しい方向性を示してくれたこと。茶道は本当は楽しいんです、という小 生がずっと前に書いたこと。それに合致してきた。そして導き出したの が茶遊一会だった訳なんです。さらにこれまでやってきた月釜のスタイ ルをさえの会と呼ぶことにしました。稽古であり実践でもある、もてな しとしての形。さえの会は京都のお茶屋の座敷で再開を目論んでいます。 太閤秀吉が大茶会を催した傍らにある花街のお茶屋さんでです。この花 街は家元に近い場所にありながらお茶人さんで知る人も少なく、また無 縁な世界だと思っている。この町は京都にあっても観光客が訪れること もなく、謂わば毒されていない姿が形と心に残っているのです。実際に 歩いてみて普通の町屋があるだけで舞妓や芸妓がいるとも見えない。ま た一見の客でも快く迎え入れてくれる優しさも体験させてもらった。そ してお茶屋だった建物を見る機会があり、その奥の座敷に通され佇まい を見た時、ここでお茶を点てたい。そう思いました。地元の方を何人か レギュラーメンバーとして稽古をする、そして適宜お客さんに座って頂 こう。家元に来られたお茶人さんに、帰り寄ってもらってもいい。はた また通りすがりの観光客でもいい。何時から席入りということもなくそ れこそ適宜、それにはやはり少人数での集まりということにしよう。地 元の人を交えてのサロン、茶の湯の遊びの場です。お茶屋はまさに遊び の場であって、実は小間の茶室もあり、先代の家元なども釜を懸けてい たという。侘び寂び禅などと言うのは一旦しまってしまいましょう。由 緒ある遊びの場で茶の湯でもって一時を過ごす、これ以上ふさわしい場 所はありません。これはとっても素敵なことだと思うのです。6/12 金華山を仰ぎ見ながら、その傍らにまん丸のお月様。空気が澄んでいる のか煌々と輝いていました。水琴亭を出て古い街並みを歩いていた時の ことです。いい宴席でした。満豊さんから新しい芸妓さんが誕生しまし た。そのお披露目、花柳界ではお見世出しと言います。4月に住み込み に入り、特訓しての舞を披露してくれました。何とも初々しい所作だっ たこと。8年間も留学でアメリカに居たにしては全然私がという所が見 えない。鬘を付けてお引き摺りなんだけど、いわゆる芸者という雰囲気 がない。つまり玄人ぽさがない。よっぽど素人さんの方が今時、玄人ぽ いと思う。千社札入れを御祝儀代わりにしました。こないだ上七軒で求 めたもの。色柄がちょっと地味かなと思っていたんです。改めて見たら 茶色の中にも凛とした華やかさがあるように見える。先に小生が誂えた 茶色のお召しの柄よりも艶がある。隣合わせた、いつも一緒に遊ばせて もらっている男にもみてもらい、なかなかいいんじゃないのと言ってく れました。それでお酌に回って来た時にさりげなく差し出しました。隣 の男はタキシードに蝶ネクタイで決めてきてました。彼は御祝儀袋を彼 女の襟元に差し込んでいました。彼女が来たところでカードを取り出し 一つマジックをやってみました。彼女には先日も見せたんですがね。テ ーブルに同席した人等は初めてで、目を白黒させていました。ちょっと したハプニングでした。この日の料亭のこと、水琴亭は岐阜では最も由 緒ある部屋がある一流の料亭です。20年位前のこと、茶席の手伝いで 来たことがあります。その時の奥の部屋も見せてもらいました。大広間 だったような気がしてたのですが八畳間でした。ここで茶遊一会ができ るか、改めて見たかった。どうかな?。ちょっと難しいかも。6/4 * 平成24年5月のこと 昨日、ミクシに書いていたのをこっちにも写しておこう。今晩お寺で尺 八の演奏なんかがあるんです。そいつに久しぶりに抹茶を飲ませようか と勝手に思っています。お盆点てでね。本堂の広間で4時か5時ぐらい からかな。やるとしたら、ね!。と12時ぐらいに書いてお寺へいった ん行きました。住職はお経に出ていて、居たのはデベンドラさんらネパ ール人ら。花まつりの時、忙しくて茶席に来れなかったよね。これから ミニ茶会をやりましょう。尺八の村田さんその内来るよね、4時過ぎぐ らいからやろうかと、話ししてきました。家に戻ってからのミクシのつ ぶやきで2時頃。自己レス。ちゃちゃっと準備しました。花入れはそい つが作った竹を。押しかけミニ茶会です。4時半から1時間ほど、ただ です。ミニ茶会終えて帰ってきました。金屏風を立てて花を入れて。道 具立ては楽だけどやっぱり茶席は茶席だなー。よかったです。と、こん なことを書いていたんです。抹茶は花まつりの時のが余っていたのを使 いました。菓子は連休最後に親戚の人が来て土産にもらった伊勢参りの 生姜糖。広間の角に屏風を置き、その前に丸盆に竹花入れでらしくなり ました。花はななこゆり、縞あし、あやめの紫を入れました。座ったの は子供含めて十人ぐらい。正客は今晩の主人公の尺八演奏をする人です。 ものの30分で用意した茶席ですが、いつもと変わりない感じになりま した。不思議ですね、自然といろんな話しが出て。もっとも小生含めて お寺関係者も病人を抱えた人がまま居て、そんな話題にもなったんです がね。いいんじゃないですか、お茶はいい時だけのものではありません。 喜怒哀楽、生きていればいろんなことがあるさ。それも含めてのお茶で 小生はいいと思いますよ。5/27 木曜日、岐阜で飲んでいました。何人もいない飲み友達の一人で、コン ピュータ会社を渡り歩いている男と。舞妓さんと先に割烹に三人でまだ 明るい繁華街を歩いて行きました。子供が二人写真お願いしますと寄っ てきました。携帯を渡され、生まれて初めて携帯で写真を撮ってあげま した。店に入ってしばらくすると二人、後からやってきました。店の人 らとも一緒にわいわい。えらく店の大将が上機嫌でした。今、書いてい る時、ちょっと酔っています。これから何をキーボードに打つやら。ま だ9時ぐらいだったか、次のお店にお兄さんが連れて行ってくれました。 道すがら飲み友達の男の彼女が待っていました。先の店で、俺彼女でき たと話していたんですが、本当かいなと思ったんです。電話して呼び出 していたんです。そいつ自分とそう変わらない歳。何だったら彼女の知 り合いを紹介すると言ってたのも、でまかせだろうと。次の店は洋風の バーで、雰囲気がなかなかよろしい。友人とその彼女はテーブルの向こ うにペアで、こっちは4人座りました。仲睦まじい様子を見せ付けられ てしまいました。舞妓さんもまだ若いのに、うらやましいと漏らしてい ました。うーん、僕もこんなカップルの様子を身近な人間で見せられた のは、ちょっとないぞ。がーんと衝撃が走ったような。母の守で一生終 わってしまったんではいかん。もう一つの人生がそこにあるぞ。そんな ことを思ったのでした。ここんとこ、連休の辺りからいろいろトラブル が起きて、ちょっと参っていました。自分自身の中で勝手に作ってしま う怒りとか苦悩みたいなもの。その友人たるや、自分よりもかなり問題 を抱えている。にも関わらず明るいんです。彼のお陰でだいぶくだけた と思います。もう一つ、一段、柔軟性が自分には必要かも知れない。と いうより人を受け入れるということかなー。最初の店でマジックやって くれよと言われたけど、今日は持ってないよと。でも二軒目の店でトラ ンプ持っているよんと取り出し、やったカードマジックは、丸々は何色 という、ちょとお酒が入った時にやる奴。そいつの彼女、びっくりして ました。でもその日はお浚いをして行かなかったので、途中で失敗しち ゃった。あまり完璧にマジックやると、そいつ機嫌が悪くなるので、今 日はこれにてお終いと。5/20 * 平成24年4月のこと 10年ぶりぐらいに近鉄に乗りました。イヤー遅い遅い。それでどこへ 行ったかって、聞いておくんなせー。日本橋は文楽劇場でござい。母が 簑助の大ファンでして、小生も一度しっかり見たかった。小生も竹本住 太夫ぐらいは知っておりますんです、ハイ。母の調子もここんとこよく、 ならば一つで飛んでみるかと、言うことで御座いまして。悩ましいのが 最後の演目、桂川連理柵。宮川町の芸妓と心中図るが男の方だけ生き残 る、そしてまたその再来。人形のなんと艶かしいこと、太夫の語りと相 俟ってずんずんと引き込まれていく。人形浄瑠璃って、かなりダイレク トで残酷だーという余韻が残ったのでした。さて終わってまだ3時半に もならず。道渡った向こうが黒門市場の入り口。行ってみることにしま した。名前だけ聞いたことあるものの、どこにあるかは知りませんでし た。大きなふぐの下を通ったら、そこはもう商店街。名古屋の大須か京 の錦市場か。最初に目についたのが、もう商いは済んだ風な魚屋。売れ 残った魚が少しあるのみ、そこに鱧のおとしのパックになったのが2つ。 1つ300円で、母がお兄さん2つ買うから負けてと。そしたらあっさ りいいですよと500円にしてくれました。3切れしか入ってなくてど んなんかいなと思ったんですが、家に帰って開けたら丸くなっていただ けで、結構食べごたえがありました。水ぽくもなく、とてもおいしかっ たです。鱧はまだ走りです、だいたい六月の声を聞いてからでしょうか。 イヤイヤこんなおいしいものを頂いて、いいのかしら。筍と明石の蛸を 本当は探したんです。京都の山城産の筍がいいらしいですよ。でも残念、 どちらもなかった。それから千日前に出ました。なんちゅう人出、母も 目を白黒させていました。まだ腹は減ってはいないんだけど、このまま 名古屋に帰ったんでは芸がない。何ぞ一つ寿司でもうどんでも。難波花 月の通りを抜けたところだったか、思わず足が止まったのが回転寿司屋 の前。店の前にうず高く積まれた牡蠣の殻に釣られて中へ。でもこの店、 値段は幾らなのと思いつつ、まあいいかと適当に取って頼んで。うまか ったのがイカ、赤貝、鯵。それで払った勘定が千円ちょっと。本当かい な。それから人込みを縫って喉がカラカラになったところに、アイスキ ャンディー屋があるではないですか。ねぶりながら歩くと、信号渡った ビルに近鉄難波の大字が見えました。まだ4時半も前のこと、でも首の 痛いのがぶり返して今日はすんなりいぬか!。そんなこんなで、いい親 孝行ができたのでありました。4/30 今年は長く桜が持ちました。昨日、お寺の方丈前の庭は桜色の絨毯とな っていました。そうここは茶席である座敷の前の庭です。何て美しいの でしょう。今日も見ましたが、まだ桜は一杯だったものの、やはり昨日 一日だけのものでした。名残惜しい気持ちの中、残していた道具を全部 運び出しました。灰の手入れをしたりして、また今度の機会に備えるこ とにします。花祭りの茶会は多分、来年もずっとやるかと思います。で ももっとふさわしい場所で、これまでの月釜と同じ雰囲気のお茶をやろ うと考えています。表千家らしい、控えめで、さりげないおもてなしの 場です。25年の長きに渡り曹洞宗の寺院にて修行させて頂いた。侘び の心持ちも少しは分かっただろうと思う。これからはそれを踏まえて少 し遊びも加えてみようかと、そう思うのです。4/16。数年前になります か、いろいろぎくしゃくした感じになり、そろそろ場所として潮時かと 思い始めた頃。岐阜で一つの出会いをして、これから自分がやって行く お茶の姿がおぼろげながら浮かんで来ました。人というのは一つの地に 安住してしまうとそこからなかなか抜け出すことができない。良かれ悪 しかれ喝がそういう時には必要なんです。その意味では和尚から喝をも らったことになる。そして新たな一歩を踏み出そうと目論み始めた。良 かったと思っています。どこに漠然とした目標があるのか、分からない んですが右往左往しながら漂白してました。でも確実にそれに近づいて いるなという六感めいたものは感じていました。もう直に、小生が次に やろうとしていることを書けるかと思います。先の茶会では一部の人に 話してしまったんですがね。お披露目は次の最初の一歩を踏み出してか らにします。自分には分不相応かもと最初、躊躇するものがあったんで すが、だんだん自然なことだと思うようになってきているんです。4/17 * 平成24年3月のこと 日曜日の花まつりの茶会のことを書いておきましょう。道具がどこかへ 行ってしまったとか、ハプニングもありましたが、無事やることができ ました。何かこれまでで一番よかったお茶会だったかも。10時、本堂 にはたくさんの老若男女が集まっていました。お坊さん達が廊下からず んずんと本堂に入り、住職の式の始まりの挨拶の後、すぐにお茶湯が行 われました。天目での抹茶、菓子、それに砂糖湯を順番に、最初のお坊 さんである尼僧に渡しました。朱の台に乗せた "さ,か,とう" はうやう やしく頭上に掲げれながら坊さん達にリレーされ、須弥壇の上に安置さ れました。その間、太鼓の音と尺八の音が静かに響き、厳かな雰囲気で した。本堂での式は12時頃まで続きました。半頃、最初のお点前を始 めました。まだお客様はいなかったんですが、いつもの事で点前を始め るとそれが呼び水となるのです。最初の方は今日初めてここで点前をす る若いご婦人です。昨年の秋の同門会で隣合わせた方です。慣れぬ所に 来ての点前はとても緊張するものです。茶筅を振る手が震えていました。 やはりお客さんがぼちぼちやって来ました。それから4時ぐらいにその 方にもう一度、点前をしてもらいました。小生ともう一人男を連れて座 り一服頂きました。その時の点前は見違えるようでした。表千家らしい さりげない、いいお点前でした。特に小生は何も言ってないですよ。こ この方丈の雰囲気がそうさせるんですかね。点前はこれが最後になりま した。その後、体力がまだ十分あるなら、お寺関係者を呼びに行き、ま だまだ点前を続けるところなんですが。かつては夕刻になり和蝋燭を灯 し、外の桜舞い散る風情の中、幽谷の雰囲気を楽しんだものです。お客 さんは残った菓子の数から30名ぐらいだったと思います。2時半頃に 住職始めお坊さん達が10名以上、ずらっと座りました。この様はなか なか圧巻でした。天竜寺にいるアメリカ人のお坊さんも座っていました。 一緒に、お寺の畑をやったトーマスさんです。お客さんでさりげなく流 派はどちらですかと聞いたら、裏千家の人でとある文化センターで教え ているとのこと。後で調べたら中部の裏千家の重鎮のようでした。お弟 子さんのお友達も来られました、その時はその弟子が挨拶に出て点前を してました。母の短歌のお友達も3人、椅子に座ってにこにこしていま した。いろんな人がやって来て、お相手するのはとても楽しいものです。 日本語が堪能なフランス人の女性にお題茶碗の絵の事を説明したら目を 輝かせていました。一つ何かフランス語を教えて下さい、例えば"桜"は 何といいますか?。綺麗な響きの発音で返してくれ、席中の皆で繰り返 していました。残念、速攻で忘れてしまいました。忘れたといえば、先 の裏千家の方、小生が付けた茶碗の銘の"夜桜"に桜と直接言わずにこん なのはどうですかと。とても素敵な名前だったんですが、どざくさに紛 れてこれも忘却の彼方へ。片付けを終えて、座敷を元の何もない状態へ しました。役目を終えた畳の部屋は夕刻になり薄暗く、そしてひっそり として行きました。最後に残った三人は静かに後にしたのでした。4/12 今度の日曜日、4月8日には茶会やります。今日、京都へ行って菓子を 買ってきました。母を病院に送って行ってその足で戻り、地下鉄に乗り びゅーんとのぞみで一直線。10時半には上七軒に着いていました。歌 舞練場にすぐに行き当日券を求めました。1時半からの部で何と桟敷席 の一番前が空いていたんです。そうこうする内、11時を周り、朝から 飲まず食わずで腹もすいた。かねてより一度入ってみたかった小料理屋 さんへ。暖簾をくぐると元芸妓さんの女将さんが一人できりもみしてい た。すでに二人夫婦連れとおぼしき常連さんが、たんくさんの小鉢のお ばんざいを前にしていた。小生が入ってすぐに上等な着物を召した40 ぐらいのご婦人が入ってきた。勿論、今日の北野をどりのためのお召し 物だろう。この店の女将さんには鵜飼舟の中で一度お目にかかっている。 おいしく頂いてご馳走様でしたと店をとりあえず出た。天満宮にはまだ 梅が残っていた。そこら辺り一杯の梅の香りがしていた。それから菓子 を買いに上七軒の例のお店へ。去年の人形の茶会でも使った御所車それ に、本店と歌舞練場でしか売ってない石畳化記念のも頂いた。確か老松 に入る前に、長谷川に寄ったのだったか。いつもはただの町屋、いえい え元はれっきとしたお茶屋さんだったお家。北野をどりの間はちょっと 反物や小物を置いているらしい。目に留まったのが名刺入れ、岐阜のお 二方用に茶色ぽいのと竜安寺の石庭を模した真っ白のを土産にした。ま あそこではそれだけの話しではなかったんですがね。内緒です。をどり のことは今日ははしょって、3時ちょいには終わってしまって。去年お 召しを作った店にも寄ってみました。帯が気になっていて、改めて2階 の奥座敷にて見せてもらいました。やや、いいのがあるではないですか。 前に見せてもらった時にはこんなん、あったかしゃん。西陣織りの帯で す。締めやすそうな帯でした。思わず買ってしまいそうでした。いかん いかん、そんな旦那衆ではないんだから。今出川まで歩いて市バスに乗 り、ちょっとは節約もと夕方5時半の高速バスに乗り名古屋に戻って来 たのでした。四日市の前で渋滞があり大方8時前でした。4/2 一難去ってまた一難。こりゃひどい。思わず手を拡げてテリブルと叫ん でしまいそう。今日からお寺の花まつりが始まった。3月に茶会をやっ て半分ぐらい道具を残して来た部屋を、一応見ておこうとお寺に行った のだ。4畳半ぐらいの部屋の長屋があって、道具は一応そこに置いてお くということに和尚と話しになったいる。去年同じ時期に見たら、ガラ ンとして別な部屋に移動させられていた。亡き伊藤氏の本など遺品を永 久的に置いておく部屋に。まあそっくりそのまま移されていたので、よ しとしたのだった。ひょっとして今年もそんなことがあったりするかも と懸念はしていた。一度あることは二度ある。マーフィーの法則しかり でそうだった。今回はちとひどい。誰がやったのかその部屋にあった本 などは隣に行っていた。伊藤氏の親族の方も亡くなった兄の絵などを展 示するため来ていて会った。どうもどさくさに紛れて無しになった物も あるとか。その部屋たるやガランとなり、ベッドが置かれているだけだ った。お茶の道具はどこへ行ったやら。半間の押入れに無造作に入って いた。ぱっと見ただけでも風炉先がない、竹の結界がない。風炉は下の 段にあって、その上にもいろいろ積まれていた。花祭りにはまるで物の 価値が分からないというか価値観が違う人種が集まってくる。そんな輩 にかかったら、どうなるか分からない。肩を痛めなければ全部、持ち帰 ったものの。一つずつでも持って帰ればよかった。やはりどうあがいて もこのお寺でお茶をやるのは限界ということだろう。最後に大きなケチ が付いた。仕事でもそうだった。あの会社に勤めるのもそろそろ潮時と 思い、最後の仕事だと5百万円を掛けたのが、業者の体たらくではまり にはまった。それがようやくクリアしたかと思った矢先にこれだ。今晩 は思い切り愚痴を言わせてくれ。どうするかは、また明日から考えるこ ととしよう。4月1日の冗談、嘘だったらよかったのだが。4/1 4月8日の花祭りの茶会は大丈夫かや?。人形の茶会をやってから肩か ら首の辺りの痛みが取れないんです。どうやら重い座卓を一人で移動し てたので筋肉を傷めたらしい。こういう突発的な痛みなら、たまに行く 整体で一発で直るのだが、今回はそうは行かなかった。金、土と近くの 整形に行った。ここもたまに何かあると行くのだ。先生曰く、肩の筋肉 が痩せてきているとのこと。そうかー、やはりいつまでも若くないとい ことか。些細な事でも痛めてしまうのだ。日曜はじっとしておこうと遠 出は避けることにした。何年か前に行った温泉が比較的近くにある。漢 方湯というのがよさそうだ。6時からは安くなり千円で入れる。20分 ぐらいかかるかなと思いきや、10分ちょいで行った。平針にある旅役 者が来る天然温泉である。外の露天風呂に出たとき、ぼんやりと夕暮れ になっていた。向こうは大きな池で山になっている。人家もビルも見え ず名古屋市内なんだけど、何か遠くに旅行に来た気分になる。さてお目 当ての漢方湯はどうだ。前に初めて入った時、ちょっとしたサプライズ を覚えた。急所がぴりぴりして来たのだ。体全身ではなく、あそこだけ。 効能は打ち身捻挫腰痛など、今の自分の症状にぴったりだ。そろーと入 ってみた。5分ぐらい首まで浸かっていた。ちょっと来たかなという感 じだった。これならゆっくり入っていられる。館内着に着替えてしばし 休憩である。もう1回入ろうという魂胆である。しばらく2階でテレビ など見て1階に下りると、食堂で賑やかにカラオケの歌がしていた。暖 簾から覗いてみると、やや舞台がかかっているではないか。そうそうこ こは食堂ではなくて広間で舞台だった。一座の晩の公演をやっていたの だ。これは知らんかった。てっきり昼間しか公演はないかと思っていた。 2つの一座が舞踊を入れ替わり立ち代りやっていた。そりゃもう芸妓顔 負けの艶やかな踊りも見せてくれた。広間の後からライトに照らされ出 てきたり。哀しいかな首が回らないので、後を振り返ることができない。 座長、愛望美。なかなかお美しい。女形なのかと思ったのだが、公演終 わって広間の出口のところに皆、勢揃いしてファンと話しする声を聞い て女だと分かった。もう1つの一座の座長は男、白の着物でいなせな男 を演出していた。なかなか格好がいい。それこそ黄色の声援と万札を胸 元に熱烈ファンから頂いてました。まだ時間は7時40分ぐらい、さて もう一度浴びてきますか。いやいや思わぬいい思いをさせてもらいまし た。これで一晩寝て痛みが取れていれば万々歳なのだが。3/26 土日、完全にお茶人さんになっていました。自分でもおかしいぐらいに 普段のITエンジニアの顔から変わっていました。不思議ですねー。身 に沁みたものといいますか。今回は長板の諸飾りの点前にしました。滅 多にやらない点前なんですが、火箸を手に持つと自然に扱いができるの です。座り火箸に立ち火箸、と習いますね。土曜日は準備だったんです がお弟子さんが二人やって来ました。稽古を付けていると、住職がやっ て来て座りました。二人お客で一服いただきました。茶道では客が一人 でも百人でも準備は一緒のこと。床の間には小生の師匠が書いた字を掛 けました。茶碗も同じく椿の絵柄のを。一緒に犬山まで稽古に行った弟 子は涙ぐんでいました。明けて日曜は本番です。生憎の曇りから雨とい う天気で手あぶりも用意しました。これ一つだけでも部屋はだいぶ、ぬ くとまるものです。紙の人形達をいつものように廊下に飾り、母の短歌 の短冊も飾りました。金曜日に川の土手で摘んだ菜の花と農協で買った 白とピンクの桃の枝は、母が大きな花瓶二つに入れました。一挙に晴れ 晴れしくなります。床の間には童の人形を、いつも女の子を左に男の子 を右に置いてます。掛け軸は"志気和平"。1時半頃、お客様が三々五々 やって来られました。とりあえず点前を始め、終わる頃にはお揃いにな りました。点前終えて、改めてご挨拶に席中に出ました。女の子1人含 めた6名のお客様です。お一人ずつ皆様に紹介させて頂きました。同じ 船に乗り合わせた者同士といいますか。いつも極自然に紹介してますね。 今回、初めて来られた若いご婦人には、さっそく半東をやってもらって。 なんせこちらも客も年寄りばかりで、俄かに立つことができない。3時 前には皆さんお帰りになられて、その後は静かなものでした。4時前に 片付けしましょうと。人形も箱にしまい釜の火も落とした頃、お一人や って来ました。わざわざ東京から人形を一目だけも見たいということで。 初めての方ではないですよ、たまに来て下さっていた某大学の茶道部の 主将さんだった人です。いつも白湯を残った者で飲めるように釜の湯は 最後まで残してあります。今日の菓子をそのままどうぞと出し、白湯を 勧めました。雨の中、道具の片付けも手伝ってもらって、本当助かりま した。実は久しぶりのお茶席で着物をきて、かなり緊張してたのか体が がちがちになっていたのです。首が右に廻らなくなって今も湿布薬を貼 っているんです。こんなことではいかんですなー。たまげた気に茶席を 設けようというのがいけない。やはり毎月、でなければ二月に一辺ぐら いやらないけませんね。心地よい疲れというのはうれしいものです。3/6 * 平成24年2月のこと ようやく冬の寒さから抜け出してきたように感じます。川の土手には菜 の花がちらほら、週末にはだいぶ咲いていると思います。少し早めに仕 事を終えて、菜の花を一杯摘んで帰ることにします。床の間には今度の 茶会では花は置きません。人形の茶会の時はいつもそうなんです。花は 童の人形達であり、この日の主役なんです。一年に一度だけ木箱から出 してあげること、それがこの茶会の眼目なんです。ですから人であるお 茶のお客さんは、申しわけないですが主役ではないんです。常には別々 の箱に入っている男の子と女の子の童、陶器でできた平安朝の童の人形。 二人を床の間に出し、はすかいに並べてあげるのです。お茶碗はこの人 形を作った陶芸家のお仲間の方のを使います。目が覚めるような青の天 目です。今回お二方に初めて、この茶会の案内を差し上げました。残念 なことに高齢故と身内のご不幸により行くこと叶わずと。他、幾人かの 人に案内したのですがなかなか都合が付かないご様子にて。まあそれで もちっとも構いはしないです。そもそも人形を年に一度は外に出してあ げたい、その想いで開く茶会ですから。この小生の思いを汲んで下さる 方なら、どうぞお越し下さい。ただ物見遊山に、ああー茶会だ。ちょっ と覗いてみたれと。そうなるとお客様同士の面識もまるでなく、少人数 の茶会では気まずい空気にもなるというもの。ですから気持ちを一つに できるならば、それでいいではありませんか。以上、3月4日の茶会の こと。3日土曜日は稽古兼のお席も一応やります。もう3日は人形は出 さないことにします。稽古は人が主体ですからね。2/28 これまでの月釜形式の茶席は一週延ばすことにしました。3月3日にひ らくことにしました。特にどなたか参加表明している訳でないですが一 応お知らせしておきます。19日の日曜、一人お寺の庭の手入れをして いました。苔に生えた小さな草を取っていました。犬が玄関にいて、さ りげなくこっちを見たり、あらぬ方向を見たりして立っていました。少 し離れたところ、洗濯機の上にの猫がいて時たまニャアーと言ってまし た。背中にお日さんが当たりぬくとい日でした。茶会をする前はいつも こうして庭の手入れから始めます。と、まるで自分の家かのように書い てますがお寺さんでのことです。まあ20年以上もやっていると、我が 家みたいな感覚もあるにはあるのですが。どこか別な場所、貸し茶室と かでは庭掃除をするなんてことはできないです。一応、そこがやってい ることでしょうから。そんなことで茶室を借りた場合は、部屋の掃除は しない、雑巾がけも勿論しない。ついでに借りた風炉の灰も直したりは しない。ということになって、どうやらそれが普通のようになっている 気がします。お客様を迎えるのに掃除もしないのかぁー。貸し茶席を使 うというのは、そういうことになるのでしょうね。これを読んでいる目 の前の貴方はいかがですか。せめて雑巾で乾拭きだけでも、さっと気持 ちやりましょう。灰匙を懐に一本忍ばせて、ちゃっと形を整えましょう よ。友人をたまに来いよと誘うことがあります。掃除機をかけ、便所の タオルを換えたり、玄関前に打ち水をしたり。はたまた花を飾ったりす ることもあります。まあこれが普通ですよね。お茶も一緒です。2/21 2月25日のお茶席のご案内です。茶会ではなく茶席、長くやってきた お寺での月釜の形式で。これまで同様、徳林寺の方丈にて、昼の1時に 集まり夕方5時ぐらいまで。お代は2千円とします。翌日の26日は人 形を出しての茶会で、案内をさせて頂いた方のみとします。ですが土曜 日に来られた人でお稽古して、日曜にお点前して頂くというのはよろし いかと思います。稽古にはこれまで書いている事で、花を入れるとか灰 を直すとかあるのですが、それ以上に点前の姿のようなこと。稽古での お点前ではなく、おもてなしとしての点前はどういうものか、というこ となんです。多分そんな教えはどこでもしてないだろうし、意識したこ とも無いのが普通だろうと思います。それは先ず自分で席を設けること が無いこと、つまりもてなしの主体になったことが無い。いつまで経っ ても一生徒であり先生のお手伝いでしかない。道具が無くても身近な人 に一服どうですか、やってみませんかと、よい子の茶道では繰り返し言 ってきました。そうでなければ何のために茶道を続けているんですか?。 そして多分、あまりにも長く稽古を続けたがために、形に完全に嵌って しまっていること。ですから能面のような点前が披露されることになる。 茶道は芸事ではないんです。披露するものではないです。女性には優し い包み込まれるようなお点前をして欲しいなー。襖を開けてお辞儀する ところで、そう感じさせるような。上手に間違いなく点前をすることは そう重要ではありません。寧ろそれは意識しない方がいいかと思います。 人はロボットではないんですから。自信が見て取れる点前は醜いもので す、いただけない。日本的なものは控え目でどこか恥じらいがあるもの です。25日の席ではほんの少し、手ほどきをさせて頂きたいと思いま す。どうしたらお茶らしい、女性らしい、日本らしいお点前になるかそ の気づきの一助の場になれば幸いかと思います。2/5 * 平成24年1月のこと 島台と聞いてははーんと分かる人は、そこそこお茶を稽古している方で す。新春のお目出度いお茶席で振舞われる、金と銀の茶碗を重ねて扱う 点前のことです。土曜日のこと、そのお席に呼ばれて来ました。お寺で のお茶にしばしば来て下さっていたご婦人から、お誘いがあったのです。 ひょっとして雨が降るかもと思い、てくてく40分ぐらい掛けて歩いて お宅へ向かいました。時間の10分前に着いたら、皆さんお揃いですぐ に点前となりました。3人様そして4人で島台ではちょうどいい塩梅で した。棚は竹台子、諸飾りで柄杓と火箸が飾ってありました。この日は 大寒で、茶碗は赤楽の筒で絞り茶巾となりました。島台で呼ばれるのは 30年振りかも知れない。まだ最初の会社に居た茶道クラブの初釜で見 た覚えはあるのだ。懐かしい限りだ。点前はこの稽古場の熟達の若い女 性が。勧められるままに正客に座り、最初の濃茶を頂いた。いやいやお いしかったです。菓子は席入りする前に縁高で、これまたおいしい練り 物でした。小生も最後、お点前することになりました。同じく筒でお薄 をやりました。考えてみたら、この家で昨年、一度か二度お邪魔して炉 の点前をやったきり。お寺では炉はなく、置き炉も買いはしたものの数 回しか使わなかったし。お寺での月釜の癖で、ご挨拶から始めてしまい ます。お招きに預かり有難う御座いましたと。すんなり行ったのはここ まで、後は結構詰まってしまいました。絞り茶巾もしどろもどろ。本日 最後の点前ということで、締めにご自服でと言われるので干菓子も頂い て一服。男子と女子では自服の作法はちょっと違っていたり。そしても う一つ拝見の挨拶が、キター!。茶杓は黒柿で棗は蒔絵の模様が。道具 を引き、襖を閉めてさて銘をどうすべと。今年の干支は辰で龍でもある、 そして今日は久しぶりの雨。それで問いに答えたのは、作者は無く銘は 竜神と。お菓子も余分に用意されていたとのことで、お土産までもらっ て。しかも稽古人にパティシエが居て、それはそれはおいしいイチゴの ムースも合間に頂きました。大変うれしい限りの一日でした。1/22 春先までにやろうと考えたこと。勿論お茶席は設けるということで、こ れは置いといて。一つは3月末頃に胃カメラを飲むのに、これにパスす ること。昨年の10月のやった検診で胃炎と結果が出てしまった。それ は無理もない話しで、昨年は5月からずっと病院とご親戚になっていた のだから。しかしここで自分まで胃癌とかなってしまったら目も当てら れない。そういうことで主治医の忠告を真摯に受け止める。塩分を控え 目にと言われている。どうしても外食が多くて、好きなように食べてい たんでは塩気が多くなるのだろう。これからはできるだけ自炊して、食 生活を注意することにしよう。それに一日20分の散歩を、会社を出る 際、車に乗る前に田んぼの中を一周すること。ベルトの目を一つ減らせ るよう頑張ります。もう一つは情幇技連研究所をやって行けるよう、人 脈を作ること。仕掛けは正月に作ったんです。ホームページにFacebook のいいねボタンを付けました。これで関心を持ってくれている人を先ず はFacebook のページに呼び込もう。来てくれたら小生の写真も含めて 学歴など自己紹介も見れるようにした。しかしだ誰もいいねを押してく れない。まだこれからなのか、どうなのか分からない。実生活でも人寄 りがあまりしないと、仮想空間でも同じなのか。少々というか、かなり がっかりしています。でもこれでハイそうですかと引き下がる訳にはい きません。3月末目標、研究所の友人を百人。どうしたら人を引き込む ことができるか、頭を捻ろうではないか。何かのきっかけでブレークす るはず。それが何かは誰も教えてはくれない。自分自身が探すしかない。 最近、蟹江温泉によく行きます。湯舟に浸かりながら考えています。1/16 新年のご挨拶もせずまま3日が過ぎてしまいました。幕の内が明けきら ない内に、一つ懸念事項が待ち構えています。当人はそう苦には思って ないようなのが救い、でもやはり心の中でさざ波が立っていることは間 違いない事だと思います。だからと言ってそれを口実に自分も寝正月を 決め込むというのは、いささか能が無い話でして。反省です。昨晩はい ろいろ考えていたら結局朝方まで寝れませんでした。お茶席を昨年同様 に3月と4月にやろうと少し考え始めたら"さえの会" あるいは"茶遊一 会" などと構想がいろいろ浮かんできて。4月はお寺の花まつりの協賛 のお茶会であることは変わり無いです。3月のお茶会は、童の人形を主 にした席なんですが、どちらかと言うとこっちの茶会の方が自分として はメインなんです。人形の作者それに、真っ青な天目の作者をお呼びし ようか。もうそれぞれそれなりにご高齢になられた。僕も来年またこの 茶席を設けることができるか分からない。思った時が吉日だ、自分の作 品に対面してもらおう。短期講習の時の女性一人と年賀状でつながって いる。一度月釜に来て下さったことがある。お子さんも大きくなったよ し、その方もご案内しよう。たまに稽古に誘ってくれて、去年の会にも 来て下さった近くの表千家の先生とお弟子さん。そしてできれば岐阜の 面々の方もまた是非。3月初めの日曜日に。前日の土曜日は道具の運び 込みに準備なんですが、1時からはこれまでの月釜の形にしようかと思 う。一応 "さえの会" ということになるんですがね。花を採ってきて入 れる、雑巾がけをやる、灰形を直して炭をつぐ、庭の掃除をする等。茶 席の準備を集まった人でやって行くのです。これにはお茶をやてみたい と話していた岐阜の人達、それに上七軒のお兄さんに声を掛けてみたい。 茶道の点前ははそんなに難しいものではないこと、それに寧ろ茶席をつ くっていく楽しみを体験してもらいたい。土曜日にも人形は出すつもり です。でも花も入れるので、人形は脇の方でそっとしているかと思いま す。人形というのは人が作った物の中では異質なものです。魂が宿るよ うな気がして、一年に一度は箱から出してあげないと。そう思ってしま います。写真はだめ!、僕自身一回ぐらいしか撮ったことがないんです。 男女の愛らしい童に会いに来てやって下さい。2012/1/3 * 平成23年12月のこと 久しぶりにお抹茶を頂きました。安城の丈山苑に母を連れて昼過ぎから 出かけてきました。このよい子の茶道でも度々、登場しています。周り は田んぼばかりの所なのに、すごくいい所なんです。京都の詩仙堂を模 した建物と庭になっているですが、本歌よりはるかに素晴らしい。入場 料百円とお抹茶300円。茶菓子はいつもちゃんとした主菓子が出ます。 お茶会も時折あります。来年は1月15日が新春のお茶会です。表千家 の先生が懸けられるようですよ。行ってみようかなー。紅葉はまだかな り残っていました。もみじの葉っぱを母はせせらぎに流して、じっと見 ていました。どうやら短歌の一つ二つできたようです。竹林の道を下っ て行くと農協があって、どうしてもいろいろ買い物を。実は丈山苑に来 る前にも途中の農協へ寄っていました。正月用品も買い求めました。注 連縄、岡崎で作っている国産品がありました。中国産と較べてみると稲 藁が全然違う。ちょっと値段はしましたが国産のを買い物かごに入れま した。今晩の鍋物用に下仁田ネギを、冬至のかぼちゃ用に瓢箪の形をし た南瓜に、肉厚の椎茸などいろいろ。最後寄ったのは魚屋さん。馴染み の若いしが何人もいて今日は母を連れてきたよ、鍋物に何がいいかなと。 たらの切り身が900円、牡蠣が450円、それに蛸の刺身は630円。 会計終えてから母が干物もおいしそうだと鯖の干物も。そんなこんなで この魚屋に来ると結構買ってしまいます。鍋の出汁は日高昆布だけ、ポ ン酢はだいだいを昨日入手したのを即使いました。いやー食べた食べた。 しばらくおいて締めに雑炊を作るのは僕の役目なんです。よくぞ母はこ こまで回復した。身辺のことそのままに書き綴っているので、読んで下 さっている方々には、哀しいことや嬉しいことも共にしてくれる。有り がたいことと感謝します。また茶席を設けることもあろうかと思います。 その時には是非一度お運び下さいませ。12/18 先週の成果報告をします。手を挙げてはぁーい。どなた様もご一緒する という方が名乗り出てこなかったので、あっさり帝国ホテルの茶室に行 くのは止め。いい所なんだけどなー。一人永い付き合いになる年上の女 性がいるんだけど東京に。そう言えば一度も小生の茶席に座ったことが ないなー。ピアノを弾いて24弦だかの筝も弾くんです。でも前衛芸術 家の顔を持っているのでちょっと違うんです。とまあ彼女でも誘そうか とも思ったけど止めた。神楽坂に行きました。うろっとしてランチに例 のお店に入ってみました。記憶の通り、ドアの向こうはもう席になって いました。何て狭いところでやっているのか。もうそこで料理のこっさ えをやっている。んー、こんな所で夜は三味線弾いて、唄を披露してい るとは。料理人の男とジーパンの若い女性二人でやってました。カウン ター席が6つだったか。ぼちぼち客が入って一杯になりました。隣に座 った男はご飯大盛りでと言ってました。夜の様子はいかがですかと聞く とランチしか来たことないという。でもでも海鮮丼でけんちん汁にデザ ートや付け出しも出て千円で、だいぶおいしかったです。店出て、地下 鉄に乗るてて坂を下っていき、前回発見した茶席の前に来ました。どん なんだったかと階段を降りて行くと、何と稽古をしてました。これまた ガラス戸の向こうすぐの所で。濃茶の拝見に道具を出しているところで した。皆さん着物で真剣そのものでした。しばし物陰から見ておりまし た。東京は土地代が高いんでしょうね。ほんの猫の額ほどの場所で店を やったり稽古したり。こちとら八畳二間にどうかすれば本堂横の広間も 使ったり、いや有りがたい事でした。話を戻して、それから渋谷に出て 次に永田町に出てフルに仕事しましたよ。まだ18時でこのまま帰るの はもったいない。築地に行ってみました。場外市場にお寿司屋さんが何 軒もあるとネットで調べていました。交差点には呼び込みがちらしを持 ってどうですかと。寿司屋の呼び込みとは。ぐるっと歩いてみて、にぎ り十貫で1,050 円というガラスケースのメニューに惹かれ、その店に入 りました。ちゃんと写真入りのメニューが置いてあって、明朗会計その もの。かなりおいしかったです。しまあじがメニューに出ていたので追 加で頼むと今日は無し、カンパチはどうというのでそれを一口。帰りの 新幹線はひかりの自由席に飛び乗りあっという間に名古屋に戻ってきま した。まだ9時半、口直しにどこか寄っていくかと言いたいところです が、一人で行くのはマジックバーぐらいなもの。おとなしく家に帰った のでありました。報告終わり。12/7 12月に入り一気に、道路や街の様子がせわしくなってきました。もう 師走になったという実感が湧かずにいたが、否が応でもそうなんだと体 で感じてくる。総じて大変な一年だった。もうこれで終わりかと思うこ ともあった。でも幸せな気持ちで新しい歳を迎えることができそうであ る。苦と思われることでも、自分自身心の持ちようで180度変わらせ ることができる。それを実感できた年でもあった。明珠在掌、めいしゅ たなごころにあり。この字を書いて下さった郷里の和尚。この2月に他 界した。幾つか掛け軸の字を書いてもらった最初の字がこれだった。分 かっていそうで、分かったつもりでいた考案。真にその意味が分かった ように思う。どうやら人というのは永い年月を掛けないと分からないこ とがあるようだ。歳を取るということはそういうことでもあるのか。無 意味に歳を重ねてはいけない。師と呼べるべき人から宿題をもらって禅 でいう考案とする。そして少し、一つ分かったかなと思う時期には、自 分自身がそれなりの歳になっている。そしてその時、教えを請う者があ れば、今度は自身が宿題を出していくこととなる。永遠に宿題は未解決 なまま大きな輪が廻っていく。さてこれからは自身が持つもので、人に 教えること導くこと、できることをやって行く。この半年ぐらいの間に その感が強くなった。茶道を表千家の教えを請う者あれば、どこなりと も行って雰囲気を伝えよう。イントラネットの話を聞きたい者あれば幾 らでも話そう。先ずは手始めに改めて自己紹介をしよう。加藤一憲の名 前で Facebook を見られたい。顔写真を初公開です。12/4 類は友を呼ぶ。諺にしか過ぎないと思いたいのだけど、やはり事実だと 思う。日曜日のお寺の有様たるや、それはひどいものだった。以前は花 まつりにネパール人を始めアジア系の人種がわんさか寄ってきて、踊っ たり歌ったりしていた。その雰囲気もアジアのカオス的なもので、普通 の日本人には異質に見えていたと思う。彼らに加え、インドやネパール にバリなどを浮遊する日本人もたくさん居た。自由に生きている人たち がこのお寺には集まってくる。そんな中で茶席だけはぴしっとした雰囲 気を保ち、そうした連中にも声をかけて座ってもらっていたものである。 何となくアジア系の人を含め彼らは、茶道に関してはそれなりに敬意を 払っていたように思う。お互いに精神世界に通じるところがあり、小生 も決して彼らを一般の客と区別するようなことはしなかった。でも先日 の雰囲気は違った。お寺の下の家に居る絵描きの男も、ちょっとまずい よねと話しかけてきた。秋まつりは十年以上続けてきたお寺の行事だっ た。だいたい近隣の人達、子供がぼちぼちやって来て地域のまつりにな っていたはずが、去年から変わってしまった。地元の人とはまるで無関 係などこかの団体の人だらけだったらしい。そんなことも知らず、今日 はたくさんお客さんが来たなーと、精出して呈茶していたのだ。世話人 の一人は実態を知って、豆や野菜を無償で出してくれる人に申しわけな いと言って身を引いてしまった。そして今回は、まるで得体の知れない サークルが秋まつりから名を変えた祭りをやることになったようで。ど こからこんな変なのが集まってきたのか。裸そうろうで立っている輩に 本堂前で缶ビールらしきものを飲んでいる男。その横では唸っているの か歌っているのか分からない陶酔した女。本堂前を埋め尽くしたバザー の店。何なんだこれは!。とてもやこんな連中相手にお茶なんかやらん でよかった。秋まつりには例年同様、お茶席の準備しましょうかと喉ま ででていた。やはりだめだなー。一つ縁が切れ掛かった所とは、どうや ったってだめ。人の縁とはそういうものかも知れない。11/28 * 平成23年11月のこと ただ今、12時を少し回ったところ。何か腹減ったなー、何ぞ食べるか どうしようか。いやこんな時間にカップラーメンとか食べたら、悪玉コ レストロールが増えてしまう。書くことに頭を使って、食べる気をそら せよう。もうそんなことなら寝てしまえばいいのだが、どうしても一つ 書いておきたいのだ。11月30日、東京に出張します。久しぶりの東 京行きなんです。SI会社に午後一と16時からは別な会社でセミナー に出ます。どちらもネットワークのセキュリティ関係のことなんですが ね。ちょっと早めに出て午前中の時間を有効利用したい。帝国ホテルの 茶室に十年振りぐらいに行ってみようかと、何時間か前、ふと思いつき ました。勿論ホテルに電話して大丈夫か聞いてみないといけないんです が。これまで2回行きました。最初は小生一人、次は当時の部署の上司 と二人でした。相席ということはないのかしゃんと思うのだが、本当一 人で行ってもお点前してもてなしてくれるのだ。点て出しで抹茶を出す 所はごまんと有っても、点前をする所はこの帝国ホテルの茶室しか小生 は知らない。よい子の茶道を密かに見ているファンの方、よろしければ ご一緒に一服いかがですか。それを書きたくて眠るのを我慢して座って いるんです。もう一軒、寄ってみたい所が神楽坂の三味線バー。日本料 理が出て、端唄など合間に披露しての花街の雰囲気があるようなんです。 昨年、神楽坂に行った時は幕張での展示会に行った帰り、こんな店があ るんだと見つけました。その時はもうへとへとで、粋とは程遠い有様に なっていました。最も予約がいるんですがね。さてどうしようかな。こ れも一緒したいという女性、男はだめです、が万が一現れたら行ってみ ようかな。結果はごろうじろ。まあ、駅の立ち食いの蕎麦を掻きこんで 新幹線に乗るのが落ちですがね。11/22 着物を作ったお店へのメールから。春先に作った着物、先週の土曜日に 卸しました。岐阜の舞妓さんが出ての一周年記念パーティがあって、そ こに初めて着て行きました。岐阜のお茶屋さんは上七軒と縁があり、上 七軒の呉服屋さんで作った着物なので、お茶屋さんの何かの時に着て行 こうと思っていました。とても好評でした。落ち着いた風合いの中にも、 華やかさがあってお茶屋のお兄さんにもしっかり見てもらいました。舞 妓さんも芸妓さんや、その他大勢の人が寄ってきて、着物効果といいま すか、何かわいわいやっていました。卸し立て着物ならではの逆パター ンのことをやりました。それでまたわいわい言ってたんですがね。茶道 を習いたいという人もいたりして。お茶屋に出入りするには茶道の心得 もないといかんよ、それでは特訓しますかなどとも話したりしてました。 彼らも舞妓さんを応援している地元の人で、着物姿でした。皆、オーソ ドックスな紺色の着物で、こういうのもあるよと小生の姿を見て、刺激 になったかも知れません。メールはここまで、ここからは追加分。パー ティには懇意にしている年輩の方もお誘いしました。建築の世界ではち ょっと知られた人で、世界建築学会の千人茶会を指揮されました。名古 屋のとある表千家社中の男子の会で遊ばれています。長く小生の月釜に も度々来て下さっていました。お茶屋さんの面々と会うのは二度目、春 先にやった茶会で同席したのが初めです。パーティ会場は長良川の旅館 で円形テーブルを五脚ぐらいで40人ぐらいだったでしょうか。最初は おとなしく料理なぞ頂いていたのですが、そこはお茶屋さんの仕切りで すから、だんだん盛り上がってきて。また岐阜ならではで、皆どこかで 繋がっているようなところがあって、名古屋では有り得ないアットホー ムな雰囲気が出てくるのです。隣席のお連れした方はそれなりの人なん ですが、そんな会場の盛り上がりに圧倒されていたようです。お寺で神 妙の点前している姿しか見たことなかったのが、こんなところでこいつ 遊んでいたのか。きっとそう思われたかと思います。茶道のおもてなし の心で、こんな世界が一方であるんですと、帰りの車の中で話しました。 多分、気に入られたのでないかと思います。ぜひ、名古屋の男子の会に 彼らを呼んでやって下さい。どうやら物も言わず黙ってお点前している そうな。それぞれ成功された方の集まりです。少しは遊びも必要ですよ。 本当は茶道は楽しいんです。それこそ20年前に書いたことだなー。物 事は違った側面からも見てみること。信長風に最後、デアルか。11/16 今、頭の中に3つぐらいの話題が巡っています。どれか絞って書くかそ れとも思いつくままに。蛸の八ちゃんです。蛸談義から始めますか。先 週、土曜日だったか日曜だったか。朝テレビ観ていたら、蛸を女芸人が 獲りに行ってスタジオに持ってきて、その場で料理人が捌いて食べてい ました。久しく蛸は食べていない、無性に蛸が食べたくなりました。日 曜の夕方に近くのスーパーに行って買ってきました。足の切り身でアフ リカのどこやらの国産、450円でしたか。生食とパックに貼ってあっ たので刺身としゃぶしゃぶで頂きました。母も味が分かると言って喜ん でいました。そして今日、ちょっと早めに会社を出て、すぐ近くの魚屋 へ寄りました。ここは田舎なんです。でも料理人が買いに来る魚屋さん なんです。およそ半年振りでした。久しぶりだねーと若いしが声をかけ てきました。いろいろあったけど、でももう大丈夫だからと返しました。 蛸まるまるそのままのが居ました。まだ生きてるよと、お兄さんつっつ いて、どれにすると言うので、小振りなのにしました。作っておくから と中の人に渡しました。それからアカシャと渡り蟹も。家に帰ってあけ てびっくり。てっきりぶつ切りにしてあるかと思っていたら、何とその まんまの蛸。塩揉みしてくれていたんですね。小振りなはずが結構でか い。塩茹でで先ずは頂いて。何じゃこれ!、蛸ってこんなにうまかった か?。もちっとして甘みもあって。こないだの蛸はまるで弾力なぞなか ったぞ。次に蛸飯、おっかさん生まれて初めて作りました。何かもっと うまいような気がせんでもないけど、それでもおいしかった。蟹は3杯 で1500円、安い。皆、雌で身が詰まっておいしかったあー。アカシ ャは醤油と味醂と砂糖でさっと炊いてつまみに。この海老の味は我が家 の味です。おいおいこんなアカシャをランチの天丼で出すなよ、名古屋 の街場で出くわしました。そんなことをいいながら、上機嫌のゆうげで した。明日はまた岐阜で一つ催しがあるんです。舞妓さんの一周年の記 念パーティ。これもまた楽しみ、自身いい方向に行っているかも。上七 軒の呉服屋で作った着物を着て行きます。まだ一部しつけをとってあり ません。明日とってもらおうっと。本当はその逆で、舞妓や芸妓さんが 新しく作った着物のしつけを客が取るんです。まあ、かなりの馴染みに ならないとそんな事は無い訳で、御祝儀も無論ですね勿論。11/11 ちょこっと近況報告などを。11月になってしまったー。昔、岐阜の学 校に居た頃、11月3日は文化祭の日だった。柿が色付き、夕方のファ イアー・ストームの時にはもう寒かった覚えがある。何と会社ではまだ 半袖を着ているのだ。4階で周りがコンピュータだらけで発熱して、暑 いぐらいなんです。今の仕事はメインのファイアウォールを置き換える こと。500万円ぐらいするんです、半分は業者の設定費用なんですが。 高いでしょうー。でもそれ位はするんです。もし小生がいなければ、分 かる人が社内にいなければと言うことなんですが、もっと高い見積もり が出てくると思います。小生が取り組んできたインターネットにイント ラネットの構築と運用。これらには相当な専門的な知識と技術が必要で す。SI会社(システムインテグレータ)ではない一般の企業や役所な んかに、そうした専門技術者が在籍していること事態、稀有なことだと 思います。いなくて当たり前、パソコンショップで安いハブを買ってく るぐらいのもので、後は適当に出入りしている業者に丸投げ。そんなと ころだと思います。しかし今の状況は20年30年前とは全然違ってき ています。かつて大卒で一流企業に入っても頭は求められ無かった。残 業に耐える体力があればよかった。寮には布団だけ持ってきてと言われ た。今日の産業界では体ではない、頭がいるのだ。敢えて大企業に入る ことをせず、典型的な日本の中堅製造業に入った。まさに知識も技術も なく行き当たりばったりの様相を見てきた。もうそろそろいいでしょう、 角さん。11/4 * 平成23年10月のこと 今とても眠たいです。多分、昼から5時過ぎまで着物を着ていたからで す。着物を着ると意識して背筋を伸ばし、しゃんとしていようとします。 愛知県の同門会の支部総会だったんです。朝の9時から呈茶があって始 まるのですが、午前中は母の病院の付き添いをしたので、家に戻りちゃ ちゃっと着物に着替えて12時頃に出ました。一応、羽織も箪笥から出 していたのですが、暑いぐらいの天気だったので着て行くのは止めまし た。ここからは明けて火曜日の晩。新調した眼鏡をかけてディスプレイ を見ていたせいか、あまり目の疲れはありません。フレームは少し茶色 なんです。今年の4月に京都で作ったお召しの柄に合わせたんですがね。 何と茶色は不思議なことに少し若く見えるんですよ。昨日はそのお召し は着て行きませんでした。まえーに作ったお召しでした。会場の金山の 元市民会館に着いたところから話しを続けましょう。もう前の方へ座ろ うと見たら結構空いてました。座っているとお婆さんがやってきて、ナ イナイと言い出しました。だいぶボケが進んじゃっているようです。こ こに集まったご婦人方の1割以上は超高齢者で、お茶の先生どころでは ないんです。周囲の人を巻き込んで、確かここに置いたはずなんだけど と何度も言ってました。その内どこかへ消えて、代わりに座ったのが打 って変わって若いご婦人でした。釜師の話が済み休憩になりました。小 生の前を横切る時、左隣のご婦人に思いっきり足のつま先を踏まれまし た。思わず痛あーと、右隣一つ隔てた先ほどの婦人と目が合い苦笑しま した。次は点前の講習です。少しでも舞台の稽古の様子がよく見えるよ う、空いた座席を左に皆で詰めて行きました。その結果、先の方と二人 並んで座るような格好になったのです。今日の先生は厳しいですよとお 隣に声をかけました。マイクを持ち舞台の前に出てきて、ノートはしま って下さいと来た。お隣さん、しっかり筆記用具を出してスタンバッテ いたんですがね。痩せた先生で温和そうなんですが、そこは家元詰めの 先生です。目に伝え心に伝え一文字もなし、でしたか。しっかりと眼を 開け先ずは見ること。お茶の稽古の最中にノートはだめでしょう。この 舞台でも同じことです。さあ、もう五ヶ月ぐらい点前やってません。で も体に染み付いているんですかねー。舞台でやっている稽古の様子は手 に取るように分かるんです。宗匠が言うこともそうだと分かる。自分が 看ていたら、同じところで同じことを注意するだろうなと思う。お寺で の釜は多分、年が明けてから花祭りにかけてということになるかと思い ます。お寺さんも、住職と話したら身辺で難題が降りかかっているよう で。やはりお互い、まだ時でないと言う感じです。でもその代わりと言 うのも変ですが、京都で釜を懸ける話しが少しずつ進んでいます。こな いだ四国に帰る途中に、京都に寄りある人と会っておばんざいを頂きな がら話しをしていました。座敷も改めて見せてもらいました。最初見た 時はどうやって茶席にするか分からなかったのですが、今回ぱっと分か りました。ここに風炉釜を置いて正客はここに座ればいい。この座敷で は、この配置ならお引き摺りでも問題ない。成るほど、よく考えられて いると思いました。家元からほど近い場所で、お茶人さんが家元の行き 帰りに立ち寄るような場にしたい。せっかく遠方から全国からお茶の先 生方が来るのに、家元にタクシーで来てまたすぐに京都駅に向かい帰る。 それではつまらんではないですか。こじんまりしたお茶席があって、本 当の京都人のもてなしで、一服所望できたら素敵だと思いませんか。い えいえ僕は京都生まれではないです、四国生まれです。京都の洗練され たもてなしに四国のお接待の心を加えたら、きっと最強ですよ。10/25 昨日は半年ぶりに多度大社にお参りに母を連れて行ってきました。上げ 馬神事のある急な階段は、母は登ることができない。どうしたものかと 思っていましたが、そういえばお祓いで車は神楽殿の前まで上がってい るではないか。そんなことで上まで車で行き母を降ろしました。すっか り秋めいた空気が社を包んでいました。母の足に合わせ、ぼちぼちと本 殿の方に行くと、川沿いに藤袴の花が一杯咲いていました。何とその花 にあさぎまだらが五匹、羽をゆっくり開いたり閉じたりしながら蜜を吸 っているではありませんか。日本を縦断して南に行く途中なんです。最 初あげは蝶かなと思ったのですが、どうも違う。あさぎまだらは母が良 く知っていたのです。本殿奥の滝は今日はよく見えました。右手の方も 岩を伝って水が流れていました。多度大社は何かにつけ来るのです。今 日来たのは母の全快祝いと自分の誕生祝いです。一月前ぐらいまでは家 の中ぐらいでしか動けなかったのが、だんだんと畑にも行けるようにな り、先週ぐらいからぐっと回復したのが目に見えて分かりました。長か ったような短かったような。元気になってくると欲も出てくるもので太 鼓台を見たいものだと。今年はまだ無理にしても来年、一緒に四国に帰 ろう。とりあえず今年は僕が行ってくるから。いえ今年もなんですがね。 いつもの菓子屋で今回は八壷豆を三袋買いました。親戚への土産にする んです。そして真っ直ぐに帰るというかと思いきや、蓮根のはさみ揚げ も買いたいというので木曽三川の方に。実は神社へ来る前、桑名に入り 歌行灯という店で松茸御膳なるものを頂いてました。泉鏡花ゆかりのう どん屋なそうです。二千円でお釣りが来て、でもなかなかの料理でした。 土瓶蒸し、おいしかったあー。苦あれば楽あり。その内いいことがある さ。人生とはそういうものなんでしょうね。10/11 皆様、ご無沙汰してました。八尾に行ってからずっと書いていなかった。 その間なにをやっていたか。いろいろやっていました。先ずはマンショ ンの部屋の掃除です。だいぶ本や雑誌を処分しました。もう30年以上 前のはいいだろう。物持ちがいいので、なかなか捨てられずにいる物が 結構あるのです。子供でもいて蔵でもある家に住んでいれば、そんな心 配はいらないのかも知れませんが。でも残り60歳までに、それに向か って動こうと思っているのです。このままサラリーマンで終わるのでは なく、やっぱり男だったら一旗上げようではないか。そのために準備を して行こうと始めた訳なんです。そのためには部屋の模様替え!。今は 長年のスタイルだった炬燵板にノートパソコンを置いてを止め、和室の 方に移して座椅子に座ってキーボードを打っています。まだ少し慣れま せんが。やる気になったのには、きっかけがあります。親しくしている IT会社の営業マンで古くからの友人が、いきなり入院したこと。その 男が退院してセミナーに誘ってくれたこと。セミナーにはノートパソコ ン持参で、Windows XP SP3 でIE8であることなど条件がありました。 自宅PCを急遽バージョンアップの作業をしたんです。その勢いでスマ ートフォンの Android用のアプリも試してみようと、PCに環境をセッ トアップしました。XPERIA acro 買うつもりでいるんです。とうとう携 帯を持つ。これも将来のビジネスのためです。人生は先は分からない方 がうれしいではないですか。勿論リスクもある。世界はインターネット の実用化で大きく変わった。そしてまた大きな変化の渦の中にある。こ れに賭けなくして何とする。チャンスは目の前にごろごろ転がっている のだ。そう自分を鼓舞しているのであります。10/04 * 平成23年9月のこと たった一晩の旅だったのだが、心が洗われた2日だった。自然と心がな ごみ、裸の自分が現れてくるのを感じた。旅日記に書いた女性の写真を、 せめて1枚撮ろうとした。デジカメをリュックから取り出し、流して来 るところでカメラを向けたとたん、電池が飛び出してしまった。コロコ ロと転がって側溝の中に一つ消えて行った。結局、自分の目の奥に焼き 付けただけになった。これでいい、これでいいんです。カメラを向ける なんて野暮なことをしようとしたのがいけなかった。お茶室で傍若無人 にカメラのシャッターを切るようなものだ。目に伝え心に伝える、それ が日本人の美意識であり感性なのだ。と、ここまでおとついの晩に書い て止まっていた。茶道の点前に結び付けてひとくさり書いてみようかと か思ったり、八尾を朝出て飛騨古川に行って高山にも寄ったことを書こ うかとか。あるいは女性との出会いは夢か幻か、はたまたやはり本当に 奇跡の夜だったのかとか。一杯伝えたいことがあって。でも誰に伝えた いのか、そこが問題かも知れない。僕のこの感性を受け止めてくれる女 性にか。願わくば最後はそこになるかも。白無垢の心の人に、お茶の点 前の稽古を付ける。そして風の盆の踊りのような無心な点前を披露でき る女性にすること。今度、月釜を再開する時はそういう女性を育てる場 にして行こうか。表千家の目立たぬ所作を由とする、風の盆の無心故の 美しさの踊り。これらを分かった者として、それを具現化していく務め があるかも知れないと思う。そういう点前をしてみたいと思う方、心の 準備をしていて下さい。いずれまた案内をする時期が来るかと思います。 無心とはその時に私を捨て去ること。宿題にしておきます。9/9 * 平成23年9月3日の晩から 二百十日は奇跡の夜  台風がやってくる真っ只中、富山行きへの高速バスに乗り込んだ。日本 列島の雨の様子を見ると、富山の辺りは雨量が少ないようだった。とも かく行ってみて雨が降らなければ幸運と。少しでも体力を温存しておこ うとバスの中では極力、寝ようとしたのだけれども、うとうとしていた だけだった。山また山の中を走って行き、富山に近づいた頃、ぽちぽち と雨が降りだした。15時30分に名古屋を出て、19時15分頃に着 いた。先ずは電車の時刻を確認しようと、目の前の駅に行ったものの無 い。ごっそり左手の方に駅が移っていた?。駅構内の土産物店や飲食店 もそっくりあった。前に来た時と同じように風の盆の唄いが流れていた し臨時で切符も売っていた。名古屋までの普通切符を窓口で買った、こ れで八尾にも途中下車ができる。 腹ごしらえをしようと駅前の街に向かった。元の駅の方に戻ると、ステ ーションデパートの3階にも飲食街があると看板が出ていた。とりあえ ず行ってみることにした。階段を上がったすぐの所に小さな店があった。 そこで立ち止まってメニューを見ていると、どうぞと声がかかった。街 まで行くのも面倒と思い、そのまま店へ。きときと定食なるお勧めを頼 んでみた。しろえび尽くしの料理で、なかなかのものだった。本当は地 酒の一本も欲しいところだったが、今晩の長丁場のため控えたのだ。店 の人と自然と風の盆の話しになった。通路を通る人もまるでなく、二人 連れのおばさんが、店のお兄さんの呼び声に誘われようやくテーブル席 に座った。すぐに今、見て来たところだと話し始めた。 でもあまり面白くはなかったようで、どちらかと言うと愚痴ぽいことを 並べていた。女将は僕の方を見て、こちらの方は"通"でこれから行くん ですよと言う。本番に来たのはまだ3回目のことで、通と言われて面映 かった。食事を堪能して店を出掛け、実は着物をこのリュックに入れて いて向こうで着替えるんですと、思わず口から出た。女将さんやら店の 若いし等との会話で、心がもうすでに緩んできていたのだった。他の店 もどんなのがあったのかと進むと階段があった。誰も通らない、えい! もうここで着替えてしまえと着物の風呂敷を開けた。すててこに肌襦袢 は着て家を出ていたので、着替えはものの数分だった。白の長襦袢に単 の着物そして博多帯である。 そのまま階段を降りて行けば済むものを、せっかくだからとさっきの店 の人等に目の保養をと戻ることにした。お兄さんが店先に変わらず座っ ていて、おおーという声が。暖簾を分けて、こんなんですと女将に、さ っきのおばさん等にも着物姿を見せた。このビルはもう立て壊しになる けれど、街の方にもお店があるので、また来てくださいと言われ後にし た。八尾に着いたのは夜の9時前だった。電車の中でも前に座った夫婦 連れと話が弾んだ。長野からのバスツアーで深夜2時に集合して、とん ぼ帰りするのだそうだ。何と駅前に去年はあったコインロッカーがない。 せっかく着物に着替えてリュックを担いでいるとは不細工な話。空は暗 く雨もさーと降ってきた。困ったと駅前の土産物の裏手で雨宿りした。 それでも10分ぐらいしたら雨も止んだ。露天がずっと立ち並び、やは りかなりの人が出ていた。橋まで来ると、八尾らしい坂の雪洞が見えて くる。川の流れの音と風が何とも気持ちがいい。ああ、やっぱり来てよ かったと思う。それから、どこの町内の流しに向かったのか、それは明 かさないでおくこととする。ともかく上の所ではないということは言っ ておこう。諏訪町とかでは、この天候の悪い中でも昨年にも増しての人 出だったらしい。とてもや風情を楽しむどころの騒ぎではない。人の心 理として奥に行けば或いは遠くに行けば、もっといい事があるのでない か。そう期待するものなのだ。しかも、いろいろ見て選びたいという心 理もまた働くのだが。実は足元にあり最初の一つが一番いい。 そういうことで昨年と同じ町内へ行ったのである。そしてそこから今回 はまるで動かず、朝までお付き合いしたのでした。見覚えのある男衆が 二人、変わらずいい声を出していた。もう一人見覚えのある女性は流し の中にはいなかった。着ている浴衣で多分、年齢なんかを分けているの だと思う。風の盆では独身の25歳までの女性が踊ることが基本になっ ている。輪踊りというのもあり、それには老若男女、はたまた見物人ま で一緒に踊りましょうと声がかかる。その女性の顔だけは何故かはっき りと思い浮かべることができるのだ。一応公式行事、最後の流しが23 時頃終わった。それからやおらして、輪踊りが自然と始まった。だんだ だん輪が大きくなり、向こうの方から女性の一団が進んできた。 そこに彼女は居た。後髪は少し乱れ全体的にふっくらした印象を受けた。 輪踊りは1時間程続いた。その間に三回、僕の目の前を通り過ぎて行っ た。至近距離50センチのところを、無心の表情で通り過ぎる。思うに 去年見た彼女の姿は、最高に美しい時だったのだと思う。風の盆の踊り は若い男性と女性が主になって踊る。男と女が寄ってきて二人でしなを 作る仕草もあったりする。それを三日三晩、踊り明かすのだ。それで心 が通わないはずがない。彼女は一つの幸せを手に入れたのだと思う。祝 福あれ。もう一人、輪の中に一際目立つ、美しい女性がいた。どこから 来たのだろうか。揃いの浴衣ではないし、ご婦人という雰囲気でもない。 目の前を通った時、まだこの人は結婚はしてないなと感じた。大人びた 風情を醸し出してはいるのだけれども、どこか無邪気な一面を感じ取る ことができた。それは男女の踊りの時に現れた。しなを作って最後、終 わる時に自分にとっては予想外の事が起きた。その時の彼女のはにかん だ様子が何とも愛苦しかったのだ。ついぞ女性のあんな表情は見たこと がなかった。まだ夜が明けるまでしばらく時間があった。最後のおわら は、この後まだある。それまでしばし自分も休憩をしようと、少し離れ た所の床机でまどろんでいた。頭ははっきりしているような呆然として いるような。何となく人の気配がしたような気がして目を開けた。する と先ほどの女性がそこに立っていた。 失礼ですが、もしやして"かとうさん"でいらっしゃいませんかと聞いて 来た。はあーそうですがと、とぼけた顔をして答えた。いや本当は思わ ぬことにびっくりしたのと、うれしいサプライズをポーカーフェースし たのである。何でも2年前のこと、岐阜に風の盆の一行が来たことを書 いたブログを読んで、それ以来、僕のブログを時折り見ていたという。 去年も着物姿でこの町内に来たというのを読んでいたので、ひょっとし てと思ったと彼女は話した。ブログという彼女に、内心ブログではなく てホームページなんだけどと思ったが、そんなことは今、問題ではない。 踊りで目の前に来た時、何となく視線を感じ、照れ隠しで目をそらして いた。そういうことだったのか。 彼女がぽつぽつと話すには、八尾の町に住んでいるのではなく富山に住 んでいるという。だから揃いの浴衣でないんですとも。かとうさんの文 章って、とてもロマンチックなんですもの。どんな方なのか一度お会い してみたかった。でも想像していたよりお歳を召していたんですねと彼 女は苦笑した。台風の真っ只中にありながらここだけは雨が降らなかっ た。二百十日は奇跡の夜、そしてこれはおわらの幻想か。床机に二人腰 掛ていた。そうこうする内に最後のおわらが始まった。流しの一番後ろ に彼女が付いて踊り、その後姿を見ながら僕は付いていった。手を後で 組み一歩一歩、歩を進めた。男衆の唄い、三味線と胡弓の音色。いよい よ空は白み始め、今年のおわらが終わる瞬間はもう直のことだった。9/7 * 平成23年8月のこと 人には持ち場というのがあると思う。若い時分は持ち場もへったくれも なく、どこでも飛び出して行って走り回る。しかし歳食ってくると十年 一日の如く、自分の作業場なるものが出来てきて、よく言えば落ち着く 訳だ。職人の世界なんかまさにそうで、50年前からここに座って仕事 してますなんて。そうしたスタイルはとても安心感があるのだけれども 悪く言えば進歩がない。昔ながらの提灯を作っているところに、進歩が 要るのかという議論は勿論あるところだろうが。翻って、このよい子の 茶道も、まるで形を変えずにずっと書き綴っている訳で、どうなんだろ うという自問自答もある。極くたまに掲示板に書き込みがある程度でメ ールが来ることは滅多にないし。だからと言ってどんどんレスポンスが あることを期待しているのでもないし。多分、よい子の茶道とは別にそ ろそろきっちりしたホームページも作って、茶遊一会の案内とか載せな いけないのだろう。一回千円というような奉仕ではなく、お金をちゃん と頂き責任を持つということ。茶道に関して言えばそれが安住したスタ イルからの脱却である。仕事、会社の方はどうかと言えば、20年以上 使い続けているアメリカ製のコンピュータを前にして、コクヨのダイナ フィットチェアに座るのが当たり前になっている。Windows パソコンは 言わば見るだけで、ワードやエクセルで文書を作成することはない。こ のスタイルが確立してしまっている感がある。もし場所を自分自身、問 わないのであれば自宅にこの環境を作ってしまう。そうすれば、もはや 会社に出向くことはない。簡単に言えば自分の会社を興そう、そう真剣 に考え始めているのだ。多分こうして考えを表に出すこと、それがスタ イルを変えて行く一つの動機になると思う。ついでに会社名も挙げてお こう、Information Assist System Laboratory。和名は情幇技連。8/29 ケンミンSHOWは日本の祭り大特集。絶対、自分の郷里のお祭りも出 てくるとテレビの前にスタンバッていました。徳島と高知が紹介されて、 次は福岡に飛んでしまいました。およ?、愛媛の太鼓祭りをすっとばし て、どないすんねん。多分、危険過ぎる祭りなのとほとんど地元と近郊 の人しか集まらない祭りなんで、テレビ向けしないのかも。と、自分自 身をとりあえず納得させました。危険と対極にある祭りが八尾の風の盆。 柴田理恵さんがこの番組では話していました。彼女はまさに八尾出身の 人ですから、一番よく知っています。何と言っても男衆の唄いが素晴ら しいと話されていました。それは僕もその通りだと思います。編み笠を 被った若い女性よりも、歳を重ねた男の唄う声には、言うに言われぬ哀 愁があるのです。何年か前の自分のホームページにも書いたことがあり ます。9月の初めには八尾に行き、しっとりと静の祭りの中に身を置き。 そして10月の半ばには四国に渡り動の祭りの渦中に身を投ずる。去年 は二つ共行くことができました。最高ですよね。こうした祭りのある地 区の人らは、祭りのために働いている、生きている。番組でもそう話す 人が結構いました。その通り!。新居浜の太鼓バカもそうで、僕も生ま れて目も開かない内に洗礼を受けた口です。太鼓祭りは幸いなことか?、 未だ地元だけの祭りのままで、本土からの観光ツアーなぞはほとんど無 いようです。反対に風の盆の方は観光客がどばっと、カメラ爺もわんさ か。間違っても着物で皆で見に行こうなんて団体さんで繰り出す、なん てことは止めて欲しい。去年は一人列車に乗り、八尾に夜つき、単に着 替えた。そのまま町に溶け込み雪駄を鳴らして坂を上がり、朝方までそ ぞろ歩きをしました。何年か前に見た下の方の町内の流し。覚えのある 唄いの男衆が一人、それに踊り手の若い女性の一人。男の方は50歳ぐ らいだろうと思う、前に見たときと変わってはいなかった。女性の方は 数年の間に大人びた風情に変わっていたように思う。流しの最後に付い て行った。その娘は流しの最後に居て、踊りの最後の辺りでくるっと廻 る時に、目が遅れて流れて来た。僕は照れと恥ずかしさで俯いた。八尾 の町には、風の盆の晩には、白の単姿の女性が似合う。そんなことを連 想させてしまう魅力がこの祭りにはある。さて、今年もできるなら9月 3日の晩に八尾の駅に降り立ちたい。朝まで一緒に居た連れは髪は少し 乱れ、川のたもとにある東屋で二人、始発列車まで肩寄せ合いしばしま どろむ。そんな夢を、この一番暑い寝苦しい夏の夜に見ることにしよう。8/11 * 平成23年7月のこと 一月前にふらっと入った寿司屋があります。あまり目立たない店で、す ぐに通り過ぎてしまう場所にあります。確か5時前ぐらいで、お願いで きますかとお店に入りました。半分、気が動転している時期だったので あまりじっくりと味わうことはできませんでしたが、なかなかだなと思 いました。そして今日、1時半ぐらいに今度は母も連れて行ってきまし た。一応、退院祝いということもあってです。でも今日は退院して初め ての通院で、主治医に結構脅されました。今時の医者は正直に話しをす るので、いささかショックを受け食欲も思わず無くなっていました。そ れで軽く何ぞ腹に入れればいいやと、いつものたこ焼屋に寄ったら、夏 休みで閉まっていました。それで地元、滝の水のその寿司屋に行くこと にしたんです。中を頼みました。赤出汁のあさりの汁は、ほんのり爽や かな風味がして、ようく見たら柚子の皮が一カケ。握りはどれも仕事が されていて、それはそれはおいしかったです。普通の寿司屋の握りはス ーパーのパック寿司と大して変わりは無いです。しかしここのお寿司は 全然違ってます。大したもんです。しゃりが完全に隠れる玉子焼で始ま るのが定番のようです。最後の締めはイクラに蟹足で、これだけで千円 は行ってしまうんじゃないのという感じ。これまでは上寿司を頼んでも ウニとイクラは除けてくれと言いたい。だいたい生臭い風味がして強い て食べたいとは思っていませんでした。しかし、このイクラは全然違い ました。もう大満足してしまって、さっきまで病院に行っていたことも 忘れてしまう程でした。母もきれいに食べて、胃がもたれることもなく、 不思議だーと言ってました。やはり本物の力は違いますね。ましてや回 転寿司なんかではそこそこ、もどきでしかありません。お値段も明かし てしまいましょうねー。中のにぎりで1800円税込みでした。今度は お酒もちょっぴり飲んでみたいです。にぎりはおまかせにしますか。ど なたかご相伴しません?。7/22 母が明日退院することになりました。今朝9時前に電話が鳴って、8時 にばたばたと先生がやってきて、もう退院してもいいと言ったと。外泊 して戻っての翌朝のことである。医師は様子を見ていたのだろう。勿論 検査データから、母の足取りや、はたまた家庭の様子など。こうして入 院していると様々な人間模様を垣間見ることができる。母から聞いての ことだが。退院してもいいと言われているのに、ぐずる患者が結構いる。 本当なら一日でも早く出ていきたいところだが、それぞれ今時の家庭の 事情があるのだ。そう、すんなり機嫌よく迎えてくれる家は少ないよう に見えた。まあ幸いなことにしっかりした?息子がいるので、そんな杞 憂はいらない。家に戻ってもヘルパーがちゃんと来てくれる。心配して 何度か電話をくれた。親戚のおばさんみたいな感じで接してくれる。本 当、へたな身内よりはるかに頼もしいという感じだ。退院とは言っても まだ体の中から管がでている。本当はこれが抜けて一件落着ということ なのだが、そうそうは待ってはいられない。母も長い入院生活に限界に 来ているようなのである。裏返せば、それだけ快復した証拠ともいえる。 今日は昼過ぎに病院へ行って、その後お寺の畑に出た。ちょうど台風が 来るというので曇りになっていたのでちょうどよかった。草取りをして 野菜を収穫した。ミニトマトが豊作で茄子も2本取った。畝の上に芋が 見えた。掘り返すとじゃがいもが生っている生っている。忘れてた。こ ちらも豊作だった。大葉にピーマンも。地取れの生命力ある野菜を食べ て元気を付けてくれ。よしよし。今後の人生はまさに拾った命、人様の ことを気にせず、思うように生きてもらいたい。さてこうなったら、全 快祝いの茶席を設けないかんな。16年前の時もお膳を出して、お祝い したぞ。病室の天井を眺めている生活から、お茶席にてささ一服どうぞ と飲むお抹茶は何物にも替え難い。祝ってやって下さい。7/18 一月以上、食べ物らしい食べ物を食べていなかった人に何を食べさせた いか。こってりしたものは先ずだめ。中華や洋食も食べたいとは思わな いだろう。ぱっと思いついたのが、鯛の吸い物はどうだろうか。一口吸 って、ああーおいしいときっと思うはず。灰汁が出ないように、すっき りした吸い物に仕立てることができるか。あるいは鱧の吸い物でもいい。 問題はしばらく自分で作っていないこと。うまくできるかどうか。母が 一ヶ月以上の入院から、ようやく外泊の許しまでになった。もう後が無 いというので、一時帰宅ということではないですよ。快復に向かっての ことです。とりあえず一泊で、病院から抜け出しての気分転換が目的で す。ですからさっぱりと、それでいておいしいという食事を出してあげ たい訳なんです。でも実際のところ、吸い物と四国から送ってきた茶蕎 麦でも作れば精一杯なんですがね。ここまでは木曜日の晩、ここからは 土曜日の晩となります。母の住まいに昼に行き掃除して雑巾で床も拭き ました。ベッドの上を片付けて寝れるようにしたり、茶碗などもすぐに 使えるように洗って、気持ちよく帰って来れるよう準備しました。家に 来る時に近くのスーパーに寄っていました。そこには以前、まともな魚 屋が入っていたんです。でもだめ普通のスーパーの魚コーナーになって いました。掃除を終えてちょうど15時、炎天下の中を歩いてショッピ ングセンターへ。10分ぐらいの所にあるんです。こちらの魚売り場は 充実しています。お目当ては天然物の真鯛一尾。一匹だけあったけど痩 せているように見えました。それでいて1580円、やめました。隣に 何とか鯛という小振りなのが5、6匹あり一匹500円でした。こっち にすることにして3枚に下ろして頭と骨もくださいと言いました。他に 刺身かなんかと思いパックになったのを見ました。サワラの切り身にし ました。後、三つ葉を1つ。結果は守備は上々でした。続きはまた明日。 いろいろあって少々疲れたみたいです。7/16 母の手術があってから4週間になろうとしている。6月16日のことだ った。先に一人でずっと待合所に居たと書いたが、身内ということでは その通りだった。でも一人ではなかった。3時間か4時間は年輩の男の 人と一緒だった。奥様の手術でその方も一人だった。僕は朝からずっと 待機していたのだが、その人は昼過ぎからの手術で待合所に来たのだっ た。男2人黙って座っていた。僕はコンピュータの本を上の空で眺めて いた。年輩の人の方から話し掛けてきた。この時の自分の心持ちは、ふ と思い浮かぶのに、伊豆の踊り子の最後の件。帰りの船の中で人の親切 を素直に受け涙してたという一節。それは多分その方も同じ思いだった ように思う。不安で不安でたまらない、お互いそういう状況で、いろん なことを話した。普段ならまず話さないような身の上のこと、亡き恩師 の教えから今の会社に入ったいきさつから。なんせ時間はたっぷりあっ た。途切れ途切れに思い出すままに話した。それこそ茶道の利休の精神 だとか、利休は丸だと言えば貴殿は四角であってこそ面白い。川端康成 が初恋の人を追いかけて岐阜へ来たこと、それが失敗に終わりその後の 彼の作品に影響を及ぼした。その人は大手の会社を退職後は、外国で日 本語を教えるボランティアを長くやり、日本文化に関しても造詣が深か った。何とこんな場面においてサラリーマンよろしく名刺交換をしてし まった。その方の奥様は16時頃、手術室を出てきたようでした。挨拶 もそこそこに、この場を離れて行きました。その後の4時間はまさに一 人でした。でもその方のお陰で、とても心が軽くなりました。一人で抱 え込むのはいけない、誰でもいい打ち明ける人が側に必要だ。同じ場で 一緒に時間を共にした戦友のような気さえする。すでに奥様は退院しリ ハビリに励んでいることと思う。またいずれ近い内に会うような気がす る。今度は元気になられた奥様と御一緒に。7/11 ちょうど一月前のこと、持って行き場の無い気持ちに対して、本を読む ことで紛らわせていました。川端康成の雪国に続いて伊豆の踊り子を読 み返していました。岐阜に居た学生時分、川端康成に傾倒し片っ端から 作品を読んでいました。古本屋で絶版になったのも入手したり。何十年 振りかに雪国を読んでみて、別な見方や理解が深まるかと思いきや、ま るで分からない。逆に、結論らしきものも無いし、何が言いたいのか不 明だしと思う始末でした。しかしこの作品が日本の文化を世界に認めさ せた小説である。それは紛れも無い事実である。学生の時、川端康成論 めいたことを書いたこともある。美しい日本の私にでてくる、美しい哀 しみが彼の根底に流れているのでないか。茶道でいえば侘び寂びが知ら れているが、もう一つ冷えという境地がある。この冷えに近いものが作 品に流れている、今もそう思っている。そう見てみると藤沢周平の作品 もそんな感じだし、日本映画の暗さみたいなものも似通っていると思う。 アニメのジブリ映画も結末があるようでないような。日本の文化、日本 人の精神性というのはドライなものではなく湿っている。顕にするもの ではなく、隠すもの。ずばり表現するのではなく遠まわしに雰囲気を伝 えるもの。しかし今日の時代では手紙を待つなんて奥ゆかしいことはま るでなく、弾丸のように進化するご時世である。そういう影響があって か和なるものが最近、やたら鼻に付く。祇園辺りのいかにも京都してま すというお店、話に聞くに東京の資本が入って雰囲気を意図的に作って いるらしい。和は控えめであってこそ値打ちがある。しかしそうは言っ ても黙っていたんでは日本の文化はどんどん形骸化し、忘れ去られて行 く定めにある。だからと言って表面的な和風なるものでいいかと言えば 決してよくはない。壁土のお店かと思いきや壁土風の壁紙が張ってある ような、そんなことでは益々、日本文化は廃れて行ってしまう。心ある 人が取るべき行動は本物を求めること。手間暇かかる日本の職人が作る 本物を自腹で買うことである。日本人としての精神性はいい、各自勉強 すればいいことである。しかし有形、無形のものは需要が無くなればそ れこそそれでお終いになってしまう。先ずは形を残すこと、そのための 金銭的な一助になることが実質的にはとても重要だと思う。7/9 昨日の今日で着物と白の長襦袢を風通ししています。講習会が終わって あまり汗をかかない内にちゃっと着替えました。最近、この表千家の講 習に出て不審に思っていることがあります。数少ない男性、だいたい会 場に座っているのはだいぶ年輩の人です。それに講習が終わってしばら く出てくる男性諸氏を見てのことですが。着物の丈が短いんです。色物 の足袋を履いている人もちらほら。雪駄の鼻緒は大方が黒。着流しで帯 は角帯にしていたりと。ここに参集するのはいわゆる先生クラスなんで す。それがどうしてこんなちぐはぐな格好をしているのか。単なる趣味 で来ているだけなのか、それとも知らないのか。そのような人にまとも な点前ができるとは到底思えない。定年退職した暇潰しの一つなんでし ょうか。やはり講習に出る時は門人として袴を付ける。それなりの敬意 を著すことが必要です。着物は何でも身に着けていればいいというもの ではありません。特にお茶人さんにおいては、それなりの格というのが 求められるはずです。20歳の時、初めて着物を作った時でさえ化繊や 綿ではなく正絹にしたものです。当時の一月分の給料が要りました。こ うしたところから茶道としての雰囲気、お点前が形成されて来るのです。 これまで幾つか着物や反物をもらいました。捨てるに忍びず月釜に持っ て来られた方がちらほら。でもまずお茶で着られるようなものはありま せんでした。綿であったり人絹であったり。だいたいにおいて昔の人は 身長が今よりないので丈が無いのです。唯一着ているのは、自分を子供 時分に可愛がってくれた伯父さんの袴です。これは昨日付けていたもの です。茶道をやってみたい男性諸君へ。着物を選ぶこと着ること、いさ さか指南しないといけまんせかね。6/30 * 平成23年6月のこと 母と同室のご婦人が明日退院することになりました。でもまたすぐに戻 って来るかも、数千人に一人という難病なんだそうです。でも見掛けは 元気そうなんです。コーヒーがお好きということで、母と1階の売店ま で点滴をぶら下げたまま降りて行って、缶コーヒーを3本買ってきまし た。母はまだ飲めません。ちょうど3階の談話室で他の患者の奥さんと 話していたのを見ていて、そこでその人も含めて乾杯しました。退院ま ずはおめでとう。それは4時半ぐらいのこと。実は朝の9時頃、ちょっ としたサプライズをしたんです。いえ、その方が退院するというのは今 朝聞いたんですがね。結果的にお土産というか目の保養ということにな ったんです。病室に袴の着物姿で参上したんです。そしらぬ顔をしてエ レベータに乗り、3階の部屋に向かいました。そしたら執刀医の先生も ちょうど病室にやってきたところで、少々びっくりされていました。母 が元気になって来ているので、こうしてお茶の稽古にも行くことができ ますと答えました。同室の方に立ち姿を見てもらい、袴の後が上がって いますかねなどと。そこで気づいたのですが、何と袴の右裾がずっとほ どけてしまっていました。家を出る時、玄関内に置いてある自転車にひ っかけていたんです。袴無しで家元先生が来られる講習には出ることは できない。急遽、1階の売店へそのままの格好で行ってソーイングセッ トを求めました、525円。数ヶ所軽く縫うだけのつもりが、やはりと ちゃんと母は縫ってくれました。ここまで母は快復したんですよ。すご いでしょ!。縫い終わったらちゃっと白鳥のホールへ向かいました。1 時間間違って早く出たので、こんな芸当ができたのでした。病院に寄っ たり、袴の繕いを直したり。それで講習会の方は、茶通箱点前の実技で 家元詰めの先生は熱心に指導されていました。男は少ないですねー。本 当に少ない。3時にちょうど終わり、外に出たら炎天下。とんでもなく 暑い。ちゃっと車の中で着替え、そして病院へ向かったという。6/29 先週木曜日に書いていたこと。実は母が大きな手術を受けてちょうど今 日で7日目なんです。執刀医の説明によれば、7日目のある値で手術が 成功しているかどうかが決まるという。ちゃっとメモしたのには9割方 成功と書き留めていた。難しい部類の手術で、11時間もかかった。そ の間、ずっと待合室で僕は一人居た。こういう時の気持ちというのは曰 くいい難いものがある。最初、医師から説明を聞いた時、もうだめだと 思った。3ヶ月か半年かそう感じた。それが手術して翌日から少しずつ 回復してきているのが目に見て分かる。母は、この数年間どうも体具合 がよくないというのが続いていた。指先にちょっとしたできもんができ ても鬱陶しいのに、体の内部に腫瘍ができていたんでは、そりゃ体調も 芳しいはずがない。ひょっとすると手術前よりも元気になるのでないか。 今日の様子を見て、そんな気さえした。ならば、しばらく休会していた 茶道の月釜も秋ぐらいに再開するのもいいかも知れない。苦あれば楽あ りにしないことには。そして今、日曜日の午後1時。玄関の扉を開けて 居間のサッシを開けている。風がすーっと通っていき気持ちがいいです。 数日前からいきなり夏が来たような空気になった。空の色がこれまでと 違う。自分の気持ちも晴れ晴れしてきた。もう大丈夫、まだあの世から のお呼びではなかった。昨日は久しぶりにお茶の稽古に行った。時折り 呼んで下さるご婦人がいるのだ。お濃茶を二服頂く茶通点前で亭主に続 いてお客さんにもなった。座っている間は完全に病院のことは忘れてい た。点前に集中していた。稽古を終えてから病院き、その足で尾張温泉 に浸かりに行った。大きな風呂でゆったり入り寝転がった。さっきは自 転車でそこらを一周して、眼鏡屋さんにも寄った。右目の度数が進んで 見えなくなっていたのを前から気になっていた。店長さんの勧めで茶色 ぽいフレームにしてイメージチェンジすることにした。そうそう上七軒 で作った着物も茶色だった。この着物、着たら意外にも若々しく見えた のだ。うん、ちょうどよかったと思う。気分一新、夏の空。6/26 気が昂ぶって精神的に不安定になりがちなので、できるだけ声を掛けて 上げて下さい。そう担当医に言われた。専門用語でお母さんは何やらが 起きている、こうした大きな手術の後にはよくあることですとも言って いた。手術当日の朝、ちょうど9時に母は歩いて手術室に入って行った。 そして出てきたのは夜の8時だった。その間20分ぐらい待合室を離れ たのみで待機していた。出て来た時、意識はあった。僕の名前もすぐに 呼んだ。16年前の時は氷の塊がストレッチャー上に乗っているかのよ うだったが、今回は人間の温もりがまだあった。すぐにICUに運ばれ て行き、それから8本余りの管を体につける処置がなされていた。大方 30分も経ってどうぞと呼ばれた。翌日はベッドの上に一度でも座るこ と、二日目は立ってみること。痛み止めもそんなじゃんじゃん使うこと なく、どんどん動いて自立を早めるのが今の流儀らしい。3日経った今 日、自分でベッド横に置いた椅子に座り、立つことを何度もやれるまで になっていた。経過は順調とのことである。本を数冊持って行っている。 昨日は四国別格札所の本を読み聞かせた。云わば番外札所のことで20 箇所あり、その札所の住職の話のところを読んだ。今日は森鴎外の山椒 大夫。自分自身も初めて読んだのかも知れない。ICUには初めこそ4 人部屋が埋まって行ったが、手術してそのままかしばらくして移って行 った。比較的軽いオペではすぐに一般の病室に移すのだろう。そういう 訳で昨日今日ともICUには一人居ただけなのである。内容も理解して くれていた。もう大丈夫です。最初の山は越えた。次は術後7日目のあ る検査値いかん。これで9割方、オペの成功ということになる。6/19 人生の中でこのような瞬間というのは滅多に無いものです。それが自分 の身にたった今、降りかかっている。恐くはありません。そんなに不安 にも思っていない。さっき風呂に入って、手もみで靴下なんかを洗って。 そしてアイスコーヒーを作って、飲みながら書いているのです。東北の 大地震が起こった時でも、これはやばいぞ、どこかで大変な事になって いるに違いない。自分の思いではなく、どこか傍観者的に見ている自分 を観察していた。今それと同じような気分なんです。もう9時間の後に は夜8時までかかる大手術が始まるというのに、そうなんだーと第三者 的に感じている自分がいる。多分、事が大き過ぎると人はそのまま受け 入れることができないのではないか。昨日、執刀医から丁寧な説明を1 時間40分ぐらい受けた。手術の中でも難易度が高い方に入る、リスク もそれなりにある。術後も2週間ぐらいは油断できないとか。母も自分 も十分に納得ができた。後はもうお任せと腹をくくることができた。そ して今日、母は3階の病室の前の廊下から外を見ていた。白内障の手術 を1月にやって、50メートルは離れた道を歩いてくる僕を見つけたと いうではないか。腫瘍で詰まっていた所を緊急で通すように管を入れて 体力も回復してきて、えらく元気な姿になっていた。つい3、4日前ま では車椅子に乗せてロビーに出ていたというのに。短歌も幾つも作って いた。でも、まだまだ辞世の句ではないぞ。8時も廻ったのでそろそろ 病室を出ることにした。見送るというので一緒に階下に降りた。そのま ま回転扉を出て外の空気を一緒に吸った。爽やかな風、空気だった。母 がぎゅっと力を込めて手を握ってきた。僕はまた明日の朝、会えるさと 言って後にした。朝っての朝もその次も会えると内心思いながら。6/15 四国を歩いているとお地蔵さんがそこかしこにあります。それは無縁仏 であったり、身替り地蔵であったり、行き倒れの遍路であったり、いろ んな化身になっています。いつからそこに在るのか、はるか昔からある のだと思います。四国は死国と言われることもあります。だいぶ前に同 名の映画がありました。さて観てはないのでどんな内容だったやら。し かし実際、四国の道を歩いてみると死国だなんて感じることはありませ んでした。山深いお寺の宿坊で寝ていても恐いと感じることはありませ んでした。それは母も同じことで、恐いと感じるよりも、たった今歩い ている次の一歩を進めることに神経が行っている。そしてくたくたにな って宿坊の煎餅布団にもぐり込んだら、そのまま寝入ってしまう。とど のつまり、お遍路は一所懸命にたった今を生きる、それを実践している 訳なんです。またそれを誰でも感ずることができる。一つ札所を参った ら次の札所にへと歩を進める。多分まだまだ多くの道は、はるか昔から 先達が歩いた道で、記憶に残る自分の祖母や祖先達も歩いた道であるこ と。自然に祖先を敬う気持ちが出てくる。そうするともはや死は恐いも のではなく、はるか昔から延々と続く一本の道の上にあるもの。だから 死はちっとも恐くはないんです。でも、まだそんなことではないんです。 一筋の光明が見えました。知らないということは得体の知れない恐怖を もたらします。でも敵の素性が知れいろいろ分かってくると、そうでな くなって来るのです。無知で恐れ知らずになるのでなく、知って恐れを 跳ね除けることを選びたい。そうやって安堵したら、洗濯機の脱水がい かれました。母のパジャマなど詰め込み過ぎたか。長く動いてくれた銀 河が身替りになってくれた、もう大丈夫です。6/2 * 平成23年5月のこと 人間じっとしてはだめ、動いてないと。16年前の夏のこと、二月近く 母は入院していた。肺にできたおできだ。その頃レントゲン技師の友人 とそいつの彼女の看護婦さんと、しばしば遊んでいた。病状のことを告 げると、おできは採ってしまえばお終い、後は成る様になるさ。さばさ ばした返事が返ってきただけだった。何となくそれで全然、杞憂がなく なり安心してしまった。その頃、お盆の時に"筝座の茶会"というのをや ろうと企画していた。会社にマンションと病院と母がその頃いた住宅を 往復する毎日だった。車で一日70Kmぐらい走っていたのか。別にそ れは苦にはならなかった。安心したからと言って、手術を数日後に控え そんな時に茶会を開くのは躊躇するものもあった。先の二人も岐阜から やってくるという。まるで茶道なんか知らないのに、わざわざ行くとい うのだ。その二人の励ましによって"筝座の茶会"は開くことができたよ うなものだ。彼らの言葉通り、できものは切ったら終わりだった。5年 生存率が何ぼとやら言うのに、まるで関係なかった。昨日の日曜は最終 の日曜だった。多分、去年までだったら毎月の釜を懸けていたに違いな い。そこで、ごく親しい人には母がこんなことになりましたと言っただ ろうと思う。あるいは集まった人らには、尋ねられれば、ちょっと今日 は母はお休みなんです。16年前はまさにそんな感じで、涼しくなって 月釜に顔を出すようになって、しばらく姿を出さなかったという感じで した。茶道は僕が人との縁をつないでいるものだった、ということが月 釜を止めてみてよく分かりました。やっぱりやらないかん、続けないけ ない。部屋のそこかしこに引き上げてきた茶道の道具が泣いているとい うものだ。道具は使ってやってなんぼ、またそれを受け継いで行く人が あってこそ、ただの道具ではなく茶道具と言えるのだと思う。だめだぞ 一人でこのまま居ては、顔を上げろ、前を向いて進め!。5/30 1:44 寝れない夜というのはあるものです。今、朝の4時半。カラスの鳴き声 が少し離れた所から聞こえています。バイクが走って行く音もしました。 雀がちゅんちゅんと言うのもさっきからしてます。こうして何事もなく いつもの営みで一日が始まって行くのです。たとえ大きな震災が来たと しても自然は素知らぬ顔をして。人もそうであればいいのに。昨日と同 じ顔をした人が次の日もいる。先々週の日曜に、畑へ母と出て草取りを した。明日、すでに今日の日曜も草取りをするはずだった。えんどう豆 の種を蒔くはずだった。何も普段と変わり無くだ。しかし、それはしば らくお預けとなってしまった。少なくとも一月は先になるだろう。うま く行ってでの話しだが。こういうことは16年前にもあった。そうあっ たのだ。即、入院で手術。転移することもなく無事過ごしてきた。まさ かよもやまた。これからどうなるかはまだ分からない。木曜に入院して 検査が一通りあって、担当医師から昼に説明があった。手術できるよう であれば外科に回します。でなければ放射線治療という選択になります とのこと。その判断は今週一杯かかるだろう。何とか手術ができるとい うことに望みをかけたい。いやいや希望や望みではなく、十分可能です ということでなければ。お四国さんも一緒に廻って結願したではないか。 この何年かだるいだるいと言ってのを、腹の中にできたおできを採って すっきりしようではないか。どうかよい子の茶道を見て下さっている方 も、そう願ってください。お願いします。いつかこういう日が来るだろ うと、それは時として思っていたことだった。誰にでもいつかは訪れる ものだ。でもハイそうですかと納得できるものではないし。声を出して 泣くことだってあるだろう。でもまだ涙は出しません。だって、まだ何 も確定していないんだから。5/29 朝5時前 若手歌舞伎役者の中村獅童が昨晩のテレビに出てました。ざっくばらん な姿で、子供の頃に憧れていたのはバキュームカーの運転手だったとか。 ミニカーもそればっかり集めていたという。私目もバキュームカーに乗 りたかった口で御座います。ホースがうねって、野球ボールが吸い付い ている様も、何とも格好がよかった。親が留守の時に幾度かこれを渡し ておくんだよと言付けられていたものがありました。チップの50円玉 です。まだ小学生の3,4年生だったと思います。ホース持ちのおっちゃ んに50円渡すと、それはそれは綺麗に中の方までバケツの水をかけて ホースをうねらせていました。ある時、自分もどこかへ行ってしまって 50円を渡し損ねたことがありました。家に戻ると汲み取りの辺りは糞 が飛び散ってびたびた。子供心にこの違いは何だと思いました。50円 出したらそれは平身低頭で丁寧、出さなかったらぞんざいかつ糞まみれ。 この体験を機にバキュームカーへの憧れは消えました。会社の上司に一 度だけ酒をもって正月に挨拶に行ったことがあります。何ともならない 仕事もまるで進まない。話しを聞こうともしない、馬耳東風そのものの 人物が上司に来てまった。こりゃ困った。無類の酒好きなのは分かって いたので、酒を二本提げて行ったのです。その結果たるや上々、即提案 書にハンコを押してくれました。なんちゅう単純、なんちゅう現金な話 しや。出世しようと思ったら至極簡単な訳なんです。ちょびっとゴマを 擂ればいいだけなんです。嫌な相手には敢えて懐に飛び込み懐柔策を取 る。人間、距離を置くと睨み合いになる。でも目の前に居たんでは喧嘩 はできない。と、分かっているんだけど出来ません。何故って、それを やったんでは貴方50円の値打ちしかない訳よ。50円で態度を豹変さ せる、その金額が若干高くなっただけでないか。茶道をやる人は出世は できません。否、松下幸之助氏なんかがいるではないか。それは自分が 自分の信念で持って起業したから、雇われではそもそもない。というこ とで結論が出ました。50円を出したくなければ自分でやること。5/24 日曜日、3時過ぎに畑へ出ていました。そしたらお茶の弟子の一人が自 転車に乗ってやってきました。先日、畑にその人も芋か何か植えたので した。まあ畝2メートルぐらいなんですがね。それで気になって来たと のこと。お茶の稽古が畑の稽古になってしまいました。その方、まだま だ若く、しまなみ海道を自転車で渡りたいと草むしりしながら話しまし た。それなら今治辺りのお寺も参ってこなと母と二人で説得にかかりま した。山の上にある札所は宿坊になっていて、それはそれは夜景が素晴 らしいんです。橋の光と瀬戸内沿いの町の灯りがずっと続いていて。そ れから札所周りの解説をすることに。相当な人数の人が参るのだからさ ぞかしお寺の前には土産物や食堂なんかがあるだろう。そんな風に思っ ていたら、えらいことになる。おまんまに有り付けないことになるよと。 そうなんです、まるで何も無いんです。善通寺はあります、八十八番の 前には茶店が一軒あります。本当そんなもんですかねー。何て欲の無い 話し。数年前ぐらいから所々にコンビにが出来て、少しはましになりま したが。かれこれ20年前、雲辺寺から降りたところで暗くなり、かろ うじてあった小さなよろず屋で魚肉ソーセージを買って食べました。パ ンなんかありゃしない。その晩は掘っ立て小屋にもぐり込み、天の川の 星の川を本当に見ました。四国のお接待も幾度となく受けました。まる で無償の行為。お接待の心持ちというのは説明するのは難しい。もてな しと言うには当てはまらない、ましてやボランティアでもない。本当に 心に一物ももたない行為なんです。ですから尚のこと頭が下がるのです。 "さえの会"に入りたい方は一度は四国遍路に短くてもいい、行ってみる ということにしましょうか。きっと点前の何かが変わるはずです。5/18 舞と茶の会に岐阜へ行ってきました。掲示板に案内を書いたので、どな たか行かれた方もいるかも。茶一碗、舞一差に思いを込めて。平成23 年5月14日、岐阜伊奈波神社参集殿にて。立礼での舞妓さんによる点 前と舞の披露。趣旨は震災復興の文化面の支援です。そんなことより彼 女のお点前は今日が初めてのこと。三席目に入ったんですが、というこ とは人生で3番目のお点前ということになります。でもでもかなり緊張 してるなと見てとれました。でもでもいいお点前でしたよ。舞妓らしい 初々しい、そして慎重に丁寧にとてもよかったです。この日のことを胸 に刻んで、いつになっても初めての点前だと思ってお茶を点てて下さい。 写真は点前が始まる前のお道具の様子です。左手には大きな和傘があり、 楚々とした花も入れられていました。揃いの着物の子供達がお運びをし てくれました。男の子は袴を着けています。子供達にはいい体験になっ たのでないかと思います。写真は専属のカメラマンがずっと撮っていま した。小生滅多なことでこういう場面ではカメラを持ち出すことはない んですが、舞妓さんの点前の姿もちゃっと撮りました。でもその写真は 載せませんよ。どうぞお座敷に呼んであげて下さいな。そうそう、また 岐阜では鵜飼が始まりました。岐阜のお茶屋での遊びの醍醐味の一つが 鵜飼舟。どんどんと太鼓を鳴らしての、一番の出航は何とも気分がいい ものです。お大名になった心持ち、皆さんもお一ついかが。相撲の升席、 弁当付きぐらいのご予算で十分十分遊べますです。この場合は奥さんが 日頃のご主人の労をねぎらい一興企ててみては。お父さん連中は目まぐ るしい世の中に疲れています。たまには娑婆から浮世に連れ出してあげ てやって下さいな。はぁー、わたくし目も少し疲れております。5/14 いろいろ考えないといけないことが多々あるのだけれども、緑の中にい ました。四方を木立に囲まれた広々とした一角にある畑。その中に出て いました。草とりをして、トマトや茄子の苗を植えて、水を遣り。新玉 葱を一つ二つ掘り、菜の花の先っぽを摘んで、深く掘って野蒜を取りま した。それらが晩御飯の食卓に並び。野蒜なんてもの、知らない人がほ とんどかも。こりこりして灰汁はなく、さらっとした春の食感なんです。 子供の日のこととて、菖蒲の葉も何本か取り、その晩の風呂に浮いてい ました。一休みに大きな桜の木の下の縁側に寝転んでいると、爽やかな 風が通っていきます。そこの蛇口を捻ると井戸水が出てきて、がぶがぶ と飲んで。余分なことを考えることもなく、日がな一日が過ぎて行った のでありました。日々是好日、こうした幸せな日常がこの日本で世界で、 津々浦々やって来る日が早く来ますように。とここまでは数日前のお話。 青天の霹靂、火の粉は安全と思われていた中部にも飛んできました。浜 岡原子力発電所を停止せよとの総理大臣の会見。原発の電力の割合は8 割ぐらいあるのだろうと漠然と思っていた。何のことはない、ほとんど は火力など別の電源ではないか。ならば速やかに原発を止めて、更なる 地震対策をしたらいい。ほんの少し皆でがまんすれば、安全な世界を得 られるのであれば、その方が断然いいと思う。しかし世の中には必ずす んなりうんと言わない連中がいる。利権が絡むのか何か知らないが、こ の今の東北の日本の悲惨な状態をどう見ているのだ。体育館での避難生 活を他山の石と思っていてはいけない、明日は我が身かも知れないのだ。 マーフィーの法則の中に、起こる可能性のある事は起こる。確かそんな 文句があった。この地球の歴史で平和であった時は極僅か、ほとんどの 時間は戦争や天災で占められている。せめて天災に人災を加えてはなら ない。人は知恵を持った生き物でなくてはならないと思う。5/7 * 平成23年4月のこと やっとかめだなも、と迎えてくれた瀬戸の街。春は陶祖まつりで何年か 瀬戸には行ってませんでした。いつも案内を下さる瀬戸の陶芸家がお二 人います。母もこのところ調子がいいみたいで、連れて行きました。だ いぶ前に求めた童の人形を作者に引き合わせようと、一緒に連れていき ました。会場に入って目に飛び込んだのが、文を開く女性の人形。その 横にしばらく置くことになりました。自分の作ったものでありながら久 しぶりに見て、震えが来そうと言ってました。もう、そこそこお歳。後 どれだけ作陶を続けることができるか。6年ぐらい前に出品した矢切の 渡しの道行きの二人は、売ることなく自宅に置いてあるとも言ってまし た。一回りしてきますと言っていったん外に出ました。川沿いと駅の丸 いビルの広場にはたくさんの店が出ていました。前にも一度頂いたこと があるお茶席へ。茶席と言っても出店に囲まれた一角に毛氈を敷いた台 に腰掛けての点て出しです。周りは人だかりで、お茶席の中には子供な んかも座っていました。お代は300円なんです。でもとんでもないお 茶碗を出してくるのです。お菓子もまともな物。瀬戸の作家の方が寄付 をされているそうな。小生に当たった茶碗が孔雀紋とか言って内々では 一番人気だそうな。普通ならとてもやこんな場所で出すような代物では ありません。ここら辺りがなんとも瀬戸らしい。茶席、天幕の中では琴 の演奏を二人でやっていました。山田流の方とお見受けしました。2メ ートルと離れていないところで聴く琴の音色は、それはそれは迫力のあ るものでした。母が言うには琴の演者もお茶の運びのご婦人方も、いい お召し物を着ていると。安いお茶会、お茶席ほどいい。まさにその通り。 ほんの一服頂くだけのことですが、よかったですよー。皆さんも来年は いかがですか。そうこうする内に3時も周り、お店を冷やかしながら会 館に戻りました。展示は4時までで、次にお目にかかれるのは秋の瀬戸 物まつりになります。戻ると天目茶碗を頂いた作家の方もちょうど片付 けに来ていて、お目にかかることができました。もう85歳になったよ と話されていました。童の人形二体をまた箱にしまいました。何と今年 は2回も外に出してもらえたなんて、よかったね。生みの親にも会えた し。会場では他の陶芸家の人らとも人形を囲んで話しが弾みました。そ のお一人の年輩の男性は志野茶碗と水差などを出していた人でした。大 胆な造形でぱっと見て水差は15万円てとこかなと。でも全然そんな値 じゃないんです。自宅には幾つかあるので、また遊びに来て下さいと言 って下さいました。使うのなら志野の茶碗も一緒に求めないと、と思っ たのでした。なかなかいいものでした。実は帰りの鞄の中には人形作家 の香合が入っていました。3つあってどれでもと言われ、福袋の形をし たのを頂いたのです。ですから皆さんにも福のお裾分けをしないことに は、この香合を使うお茶席も開かないといけませんね。道具はこうして 縁によって手元にやってきます。お茶を続けていなかったら、こうした 出会いはなかった。有りがたいことだと思います。瀬戸の人の飾らない、 そしてさりげないもてなし。うれしく思います。いい一日でした。4/17 日本はどんどん悪い方向に向かっているような気がしてならない。原発 事故も本当はもっとひどい事になっているのでないかと思っていた。や はり最悪のレベルまでに引き上げられた。地震は未だ収まりそうもない し。まさに生きた心地がしないとはこのことである。その内、地震は東 日本から西に移動してくるのでないか。地殻の中でゆさゆさ刺激を与え ているのだから、地震がまだ起きてない場所が目を覚ますぞ。原発の水 素爆発の映像たるや、まともな爆発ではないか。まだ原子炉は安定した 状態にまではできていない。きのこ雲が発生するような事態だって、ま だ想定の範囲内だろう。余震の揺れが伝わって来ない場所に居ると、ま るでよそ事のようにも思える。しかし今、この日本で現在進行形で起き ている紛れもない事実なのだ。テレビはすっかり日常に戻りバラエティ 番組が相いも変わらず幅を効かせている。敢えてニュース番組を見なけ れば、まるでいつもの日常と変わりはない。これだけの大事件、ノスト ラダムスの大予言に出ていたのか。起きてしまってから、実はあの件り はこのことを示していた。だいたい予言なんてのは都合のいいように解 釈するだけの話。しかし予言でも何でもいい、警鐘を鳴らして一人でも 命を救うことができたのだったら。この先、一体どうなるのか、何が起 こるのか。知らぬが仏で、成るように成るしかない、と決め込むしかな いのか。そう簡単に割り切ることができるような事態ではないような気 がする。よい子のイントラネットの中で書いたこと、世界は常に揺らい でいる。決して安定しているのではない。そうした不確定な世界の中に おいて稼動するシステムを考えること。それが根底に流れるテーマであ ると。完全を求めないこと、それは得てして机上の空論に陥り書類を作 ることに目的が変わる。実質的に最悪の事態にならないことを考えるこ と。7割8割がた動けば、後は人がカバーすればいい。システムは機械 に委ねるのではなく、いざという時には人が持つ知恵と柔軟性でもって 動かすのだ。コンピュータとネットワークのシステムのことを言ってい るのだが、それは人間社会にも当て嵌めることができるだろう。ここら 辺りで数寄の精神とか持ち出して茶道の話しに絡めることもできるのだ が辞めておこう。精神論をぶっている場合ではない。事態は逼迫してい る、間に合わない。最後、先日やった花祭りの茶会のことを書いておこ う。4月3日のこと、ベトナムのお坊さんの長い平和を祈念する経から 始まりお茶湯そして日本人僧侶達による経。終わったのが12時を過ぎ ていました。その後すぐに茶席の方に入ってもらいました。掛け軸は横 幅の"忍"の字。その真下に青銅の花入れに日本春蘭を入れました。お坊 さんが十人程座ったところに挨拶に出ました。お菓子はあまり甘くない 物を用意させて頂きました、掛け軸はご覧の通りで御座いますと。ただ ちに意図を汲み取って頂けました。お坊さん達はほとんどしゃべること なく、小生の点前を無言で見ていました。震災のことはこの席では誰も 一言も口にすることなく、ずっと黙ったままでした。事の重大さが点前 をしていても、ひしひしと伝わって来るようでした。4/12 * 平成23年3月のこと 徳林寺での花祭り茶会は4月3日に開くことを先に書きました。数年前 までは土日に掛けて開いていましたが、少ない人手でお点前をしながら の呈茶は体力的にも、かなりきついものがあり日曜だけにした経緯があ ります。売り上げについては全額をお寺に寄進していました。ただし一 服300円で、かつお寺関係者には無料で振舞っていたため、額はそん なに多いものではありませんでした。今回はお菓子も少しいいものを使 い、少しは茶道が分かる人を対象にしようと500円としました。いか にも300円では安く、茶店代わりに入って来られる方も結構居て、飲 んだらそこそこで退出する人も。お寺さんには昨年の大きな行事にまと まった浄財を寄進させて頂きました。今回の茶会の売り上げはお寺の寄 進ではなく、一部をお寺を通じて大震災の義援金に差し出すつもりです。 お茶会の準備についてですが。13日の会にて道具類を運び込み、その 後、仮の部屋に置いてあります。4月2日に準備をするのですが、そん なに時間がかかるものではありません。それで小人数を対象にお席を開 いてもいいかなと思っております。一応これは"さえの会"ということで やろうと思います。これまでずっとやってきた月釜の形、それに茶遊一 会の簡単な形であります。通常の月釜でもなく一般の稽古でもない、独 自なやり方です。常のように1時頃から始めます。当日はお寺の花祭り の真っ最中であり、とても賑やかな雰囲気になると思います。ネパール やベトナムなどの舞踊や音楽あり、アジアのバザーあり。そんな中での お茶はエキゾチックな感もあります。お茶席を開いたら、そうした面々 もやってくるかも知れません。茶道関係者も混じっているかも知れませ ん。表千家の茶道雑誌に挿絵を描いている人、犬山若水庵にて家元玄関 人を呼んで稽古をしている先生。特にこちらが呼んだ訳でもないのにお 寺の縁で遊びに来た、こうした人達が座ったこともあります。3日につ いては花祭りの案内の葉書などに茶会と書かれていますので、やはり結 構なお客様が予想されます。毎月この男はどんなことをやってきたのか、 "さえの会"とはどんなもんなんだろう。そう関心を持たれる方は前日の 方にお越し下さい。この後、徳林寺にて"さえの会"を開くのは今のとこ ろ未定でございます。お越しになられて、点前をされる方には今回は稽 古を付けたいと思います。お点前は風炉の薄茶点前で別に難しいもので はありません。先のお雛さんに因んだ茶席をやる前日のこと、お弟子さ んと点前の復習をしてました。弟子の一人の柄杓の扱いがちょっと変に 思い、小生がやって見せていました。点前のリズムについては、ここか らは気持ち早目にとか。長年稽古していると弟子の所作を先生も見落と していることがあります。表千家の点前は目立たぬことです。点前は早 くても遅くてもいけない。丁寧過ぎてもいけない、またぞんざいでもい けない。そうした気分を心持ちを内在したところで、目立たないという ことになる。少しでもそれが分かった者の一人として、手を取る機会が あれば伝えたいと思う。点前に構えてはいけません。女性は女性らしい 優しい点前が望ましい。点前というのは実に恐いものです。まるで面接 と一緒です。5分でその人のこれまでの人生が分かると、亡くなった恩 師は言っていました。見る人が見たら点前もそういうことなのです。ま あ何だかんだえらそうな事を書いてますが、実際のところは一つ二つこ んな感じですかねと言う程度のこと。教えとは得てしてそんなもんです。 "さえの会"、4月2日午後1時頃から。お代は千円にて。なんとお寺近 くに地下鉄が今日開通しました。是非お出掛けくださいませ。3/27 24年間の長きに渡り毎月、釜を懸けて来た曹洞宗のお寺、徳林寺にて 今年もまたご縁を頂き、花まつり協賛のお茶席を設けることになりまし た。東北地方における甚大な災害に鑑み、徳林寺にても被災地への支援 を考えております。金銭的な支援のみならず、復興への祈念をお寺とし て先ずは行うとのことです。徳林寺での花まつりは4月1日から8日ま で毎年、行なっています。今年も同じく、その中の日曜日には潅仏会法 要が10時から執り行われます。アジアの留学僧らも交えての世界平和 を祈念する法要が毎年、行われてきました。このお寺に参内するように なってからも、世界のどこかで争いや大きな災害が絶えることはありま せんでした。それが今年はまさに自国のために祈りを捧げることになろ うとは、しかもまだ終わった訳ではなく、原発の放射能漏れという進行 形のものまで圧し掛かっている。神仏を信じない者であってさえも、こ れ以上の仕打ちはやめて下さいと口にするかと思う。しかし、被害に有 っていない地域においては、できるだけ平常心で過ごすことが肝要だと 思います。いたずらに騒ぎを大きくしたり、買占めに走ったりしないこ と。お茶席はこれまでと何ら変わりなくお釜を懸ける所存です。ただ気 持ちとして掛け軸は"忍"の一字を床の間に掲げようと考えています。お 席は本堂での法要が終わってから始めます。どうかお茶席に来られる方 も、ご一緒に本堂での祈念の場にお座りください。私達もお茶湯を捧げ ます。法要が済んだ後は、今回の災害のことはそれぞれの胸に収めても らってお茶席にお入り下さいませ。茶道はあくまでもおもてしの手段で す。人が人らしく生きて行くための文化であり、ハレの場です。文化は 永い年月の上に培われてきた貴重な遺産です。今、平和の内に暮らすこ とができる我々が担って行かなければならないものです。4月3日、潅 仏会法要が終わり次第、およそ11時半頃始め5時頃まで。一服500 円にて。表千家・茶道指南 加藤見珠。 3/25 大地震が起きてから、この"よい子の茶道"に来る人も減ってきています。 こんな時に茶道もへちまもない。見に来る必要は全くありません。いつ だったか、イラク戦争の時や神戸の震災の時だったと思います。その時 も茶道は無力ですと書いた。第二次世界大戦の時、日本兵が戦地に抹茶 を持参し点てて飲んだ、そんな話しもあります。そのことよろしく、地 震の被災地に抹茶を菓子を持参し点てて回るか。そんな事は今、何の意 味も成さない。破壊し尽くつされた街並み、漁村。信じ難い光景である。 多くの人命が津波の濁流に飲み込まれた。生き残った人達には、先ずは 生命を維持して行くことが先決である。今日食べるパンに水、それすら 十分でない状況に抹茶は不要である。何年か経ち復興した後に、さあ一 服どうぞと変わらず抹茶茶碗を差し出すこと。それは茶道に限らず、そ の村や町で行われていたお祭りであるかも知れない。人が人らしく生き ていくためには、衣食住の他にその土地の文化が欠かせないと思う。被 災者達は一時的に避難した場所から、他県の公営住宅などに移る動きが でてきている。しかし最終的にはちりじりになったままでなく、自分達 の村や町に戻れるよう願うものである。全く同じ場所でなく、高台に町 を作り直すということもあるだろう。政府には一刻も早くのそのシナリ オを作ってもらいたい。いや本当はすでにそうした災害後の復興プラン は出来てなくてはいけない。テレビで避難所の様子を見るに、阪神大震 災の時の様子と何ら変わらない。校舎や体育館にすし詰めの避難民の光 景、野戦病院と化した総合病院。未だ連絡が取れない地区もあるとか言 うではないか。一体この国の災害対策はどうなっているのだ。絶対安全 だと言われていた原発のあの無残な姿はどうだ。ペーパーワークに終始 して、本当にやるべきことをやって来なかった結果が如実に現れた。携 帯も固定電話も繋がらない。コンピュータもインターネットも使えない。 そうした事態にいかにして迅速に通信網を確立させるか。現代は江戸時 代ではないのだから手段はいろいろある。世界は十分に安定しているの ではない。常に不確定で揺らいでいる。その上でベターな方法を常に考 えておくこと。それは国家として指針を示さないといけないこと。残念 だがそれが無かった。ちょうど地震が起きた時、会社には内部統制を審 査する外部のコンサルがやって来ていた。あれだけ揺れたにも関わらず 笑いながら揺れてますねー、それだけだった。自治体も内部統制の書類 作りに振り回された。その前は企業ではISOなる品質保証に振り回さ れていた。これらはいわば全て書類を作ること。日本全体が間違った平 和ボケしていた10年だと言える。世界の中で日本企業の競争力が落ち てきたのがはっきりして来た。その時期にこうして大きな災害に見舞わ れた。かつてはジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代もあった。 今、世界の中で日本はどう映っているのか。話しを"よい子の茶道"に戻 すなら、その背景にある思想は彷徨う日本の指針の一助になると僕は思 う。茶道はそれは事細かに手順や作法を繰り返し習う。しかしその先に ある柔軟な発想があることは普通あまり知られてない。利休が丸ならば 貴殿は四角であってこそ面白い。身の回りにある物を工夫し見立て使う。 多分そんなことは言われるまでもなく分かっている。そんな言葉が返っ てきそうである。しかしだ、頭で分かっていることと、茶道のそうした 訓練を実際に積んで来たこととでは違う。ただし、茶道を永くやってき た人でもそうした発想を持つ人は極めて少ないと思う。やはり男子の茶 道と女子の茶道では目指すところが異なるものだと、先ず思う。男子が いかにも少ない。やはりそこはご婦人方がご主人や息子相手に、茶を振 る舞い、そうした茶道の発想を身をもって示す。それはできるはずであ る。たった今、茶道は確かに無力です。茶会の売り上げの一部を募金す るぐらいしかできることはありません。しかし長い目で見れば、この国 の有り様を変えて行く力になると僕は思っています。だからと言って声 高に叫ぶのではなく、縁の下の力持ちで静かに人の心を動かして行くこ と。それが茶道の特に表千家の心の持ち様だと思うのです。3/20 大地震の影響がじわじわと広まってきている。特にスポーツ、芸能など のイベントが相次いで中止を表明している。球場やホールがダメージを 受けて開催できないのは仕方ないにしても、日本一億総自粛みたいな雰 囲気になるのは如何なものか。こんな時に遊芸にいそしむなんて持って の他、謹慎すべきだ。民放のキャスターなんかそんな論調で毎度しゃべ っている。小生の友人にはマジシャンやらお茶屋さんやら、茶道の友人 やらが多くいる。いわば直接、生活には必要不可欠ではない仕事である と言える。そんな風に展開して行くと、避難生活している人は一日おに ぎりが食べらればいいとこ。何で我々、レストランでおいしい食事を食 べれようか。今は日本にとっては非常時には違いない。しかし精神論的 な自粛、規制に傾くのは行き過ぎだと思う。世界というのは様々な職業、 仕事によって循環している。それがどこかで途切れてしまうと経済がお かしくなってしまう。ただでさえ混乱している現状に、更に拍車を掛け ることになり兼ねない。天災が及ばなかったことに感謝しつつ、できる だけ平常心でいつものように振舞うこと。被災してない地域まで一緒に なって、あわてふためいていては、被災地の復興の妨げにもなり兼ねな い。その上で今、一人一人がそれぞれの立場でできることを考えればい いと思う。いたずらにスポーツなどイベントを中止するのでなく、一部 を義援金に回すとか。いろいろやり方はあるはずである。しかし大きく は個人の努力うんぬんというより、国としての対応が何よりも肝心であ る。こういう時こそ、国家の力量が問われる。先ずは混乱に拍車をかけ ている原発の放射漏れ、速やかに安全性を確保してもらいたい。3/16 京都は雪でした。タクシーが北野天満宮近くまで来た時、春の少し強い 風と共に雪が舞ってきました。タクシーを降りて折り畳みの傘を出した ぐらいです。それでも梅林を観て歩いている間に止んで来ました。梅林 中の茶店で麩の焼きと梅のお茶を頂きました。まさにここは四百年前に 大茶の湯が開かれた地、梅林は外からでも全然見えるのですが、良かっ たです。社の前の鰐口にお行儀よくいつも列ができています。ちゃんと 並んでガラガラしましたよ。はて、それから老松へ行ったのやら料理屋 に入ったのやら。漬物屋へは最後に寄って、ここでも親戚への土産を買 いました。茶席の菓子も含めて荷物一杯です。お昼はともかく12時に お店に入りました。まるで普通の飲食店ではないので、ちょっと知らな い人はいきなり入れませんね。白梅弁当、それは堪能させてもらいまし た。母は大満足で残さず全部平らげていました。この店はお茶屋さんに 仕出しをしているお店。心づけを懐紙に折って出しておきました。それ から呉服屋さんへ行きました。母は少々驚いていました。あんたこんな 所に出入りいしよん、って。この4、5年の間に作った着物と長襦袢を 持って行ってました。着物は紬、襦袢は縮緬です。この組み合わせだと どうも襦袢の袖が出る。理由が分かりました。襦袢の袖の長さは3分程 短い、でも生地が紬に較べて柔らかいので出てしまうのでした。それで 選んだ反物は織色のお召しで、前回見せてもらってこれだなと感じた物 でした。女将の勧めで一つ紋を入れることにしました。染め抜きはでき ない生地なので、縫い紋の中陰紋にしました。ただの陰紋にするとただ の刺繍に見えるんです。中陰紋にすると少し太く刺繍するので、存在感 が出てお洒落です、ハイ。この店、男物は二階の奥座敷に置いてありま す。一階には舞妓さん芸妓さんも御用達の小物があります。出掛け、つ いでに見せてもらって、思わず千社札入れも包んでもらいました。和紙 で可愛く包装してありました。これは翌日には渡す人に渡したんですが ね。呉服屋を出たのが3時、実は上七軒にはもう一つ用があったのです。 公衆電話を探すのがちょっと手間取ったのですが、もう一人お会いする ことにしてたんです。昨日今日メールのやりとりをしたばかりで、失礼 かも知れないと思いながら、ともかく途中下車して上七軒に行きますの でと伝えました。そしたら快く、せっかくですからと返事を下さいまし た。いろんな出会いがあり、そこからまた生まれるものがある。1年前 もうお茶は仕舞いにしてもいい、そんなことを正直思っていました。花 祭りのお茶会を最後に全部、道具を引き払ったら終わり。人生の片翼を 取られた気分でした。そうならいっそ一度茶道を止めてみよう。身を捨 ててこそ浮かぶ瀬もあれ、そういう言葉もあるではないか。どうやらそ の意味は、単に字面そのものではなく、一度立ち止まってみなさい、そ したら見えないものが見えてくる。そんなことなのかも知れないと思っ ている今日この頃でございます。3/6 今週の金曜日、急遽田舎に帰ることにしました。引越しというのではな いですよ。どうしても行くというのでなく、自分の中では帰るというニ ュアンスになってしまうので。それでただ真っ直ぐ帰るのも芸が無いの で、京都に寄ることにしました。今回は母を連れての旅になります。北 野天満宮の梅が見ごろです。ここが天下人が大茶の湯をしたところ。結 構ですなー。梅を満喫した後は上七軒の料理屋さんにてお弁当を頂くこ とにしました。もう予約しちゃいました。実はこのお店は、1月22日 に岐阜からの一行によるお座敷があったところなんです。料理が結構お いしかったので、せっかくなのでちょっとだけ奮発しました。まだ小生、 庶民感覚は忘れてはおりませんです。そしてまだ乗り継ぎの新幹線まで 時間があるので、お召しを扱っている呉服屋さんへも行こうかと。この 前、見せてもらった反物で候補は二つ。どちらかに決めてきます。多分、 地味の中にも控えめな艶がある方にしようかと、まま思っています。も う一つは大きな格子柄で目立ちはしないんですが、やっぱりちょっとく だけた感じかなと思いました。ある人に話したら両方共!。女性の呉服 に較べたら男物は安いですからね。いえいえ一つだけですよー。13日 の茶席用にお干菓子も買って来ようっと。老松のでよろしいかと。翌日 は自身の菩提寺にて和尚さんに会います。これまで幾つか掛け軸の字を 書いて下さっています。今回、こちらからリクエストを出そうかと思っ ているのです。"茶遊一会"です。この字を一行物に是非したいと、この 数ヶ月考えていました。"茶遊一会"が物になるか形になるか、一つ喝を 入れてもらうとしよう。多分きっと人生の節目になる、そう思っており ます。和尚さんにお願いする文面を昨日から考えています。3/1 * 平成23年2月のこと 内緒の話です。ネットで誰でも見れると言っても、一日に高々10か多 くても20アクセスあるだけ。昨晩、岐阜の某所で一緒に歓談していた 皆さんへ宛ててのメッセージと、ここは見て下さい。多分2、3日した らここから消えます、消します。半年以上、顔を合わせていたのですが 僕もまだ名前をうる覚えの方がほとんどですいません。同じ加藤さんに 伊藤さんだったけ?。ちゃんと覚えますんで、メール下さいな。昨日は ごくごく控え目に今度のお茶席の案内をしたつもり。よい子の茶道で検 索してネと言っておいて、見に来て下さった人に、今ここで初めて案内 します。3月13日にこれまで釜を懸けてきたお寺さんにて、お雛さん に因んだ茶席を設けます。お代は千円、1時過ぎ位においで下さいませ。 毎年2月の終わりの月釜で出してきた、陶器でできた平安朝の童の人形 を今年も飾ります。一応今回の会は自分も含めて7名から10名ぐらい を予定しています。すでに10名ぐらいになっているので特別です。あ んまり人数が多いと大寄せの茶会みたいなことになってしまうので、小 人数にしているのです。というのは嘘で、これまでの月釜でもそんな程 度の人数しか集まらなかっただけです。誰も来なかった時も何度かあり ました、本堂前の所に座ってカラスの行水を見て帰ったこともあります。 そんな話しはさておいて、お茶の先生ですとちょびっと自己紹介めいた ものもしましたかね。いつもきくじお兄さんの手料理と一升瓶を封を切 ってでのお酒。おいしく頂いています。昨日のお料理も季節を先取りし ておいしかったですねー。よばれてばかりなので、僕も機会があればお 点前して反対におもてなししたいなと思っておりました。遠方のことで すが、もしよろしかったらお出掛け下さいな。お薄しか出ませんのでお 気遣いは無用にて、手ぶらにて。でもジーパンはだめですよ。2/21 今度開くお茶席の準備を始めています。もうお炭が無い。それでこれま で買っていた昔ながらの炭屋に行ってみました。そしたら確かここら辺 りだったという場所には跡形も無い。だいぶ歳の爺さんがいたから、閉 めたのかも知れない。この炭屋に行く前に鳴海駅を越えた所に、これま た昔からある文房具屋があって、そこで短冊を求めていました。そこか ら1号線を北上してしばらくして脇道に入りました。古い商店街がある のです。乳母車屋さんとか家具屋さんとか今でもあるのかしゃん。そし てお茶屋さんもあってそれが時折、話題にする松風堂さんです。商店街 のお店は閉めて、旧東海道沿いのお店の方でやっています。熱田さんま で歩いてもう30分ぐらいの所ですかね。松風堂さんのお母上が居て一 つ頼みごとを小生の母がしたのです。ちょっと前に寄った際に、母に短 歌の結社はどちらですかと尋ねられたのが、お願いするきっかけになり ました。ヒントは昭和8年から習字を習われたとのこと。小生は炭のこ とを聞いてみました。茶道具屋で茶道用の炭を買うとそれは結構なお値 段です。すぐ近くに荒物屋があって確か炭もあるはずだから聞いてあげ るよと、すぐに電話してくれました。このお茶屋に来た時は必ずその店 の角を曲っていたのですが、全然気づきませんでした。それこそ東海道 五十三次にでも出てきそうな年季の行った店です。入った所にナラ炭の 縛ったのを重ねてありました。火鉢なんかに使う同じ形のやや柔らかい 炭です。正式なお茶会で使う炭ですかと聞いてくるので、正式といえば 正式ですが。いつも長くて太いのやら細いのやら入ったのを買って、自 分で切って使っています。と話したら、それなら正式なお茶会用の炭で すねと。問屋に言って入れておきますから、一度見て下さい。それで今 度の土曜日にまた伺うことにしました。商店街にあった炭屋さんのこと も知ってました。だいぶ高齢になり1年前に店を畳んだ、仲間だから聞 いてますとのことでした。一つ気になったのは、置いてあった炭はお茶 の先生の何人かは稽古に使ってると店主が話したこと。うーん、稽古と いえどもこんな炭を使うのか。ちょっとたまげました。へたな炭を使う とはぜるのです。こうした炭は水で洗ってもだめです。すかすかで火付 きはいいですが持ちません。世の中、状況がだんだん変わってきていま す。お茶はペットボトルのを買うのが当たり前になり、自宅で急須でお 茶をいれることも特殊なことに成りかねないご時勢です。お茶屋が成り たたくなり、茶道具なんかまして売れる気遣いもない。お茶は無用の長 物と化して行っています。しかし無用の用を遊ぶ心持ちこそ、人間が人 間たらしめるものだと思います。特に我々日本人はそうだと思うのです が。2/14 正直に、しばらくご無沙汰してました。どうにも目がしょぼしょぼして 目が疲れやすくなっています。そろそろ眼鏡を作り直さないけないかも。 いえ、そうでなくてこのところの乾燥、雨が降ってないというのが原因 かも。ドライアイという奴です。それで目薬を3時の休憩に差してみま した。家に帰ってからも差しました。何か効いたみたいで、目を開けて こうしてキーボードを打つことができます。いやいや。歳が明けてから 遊びに仕事に忙しくしています。遊びのことはまた書くとして仕事のこ とを。仮想化サーバと侵入防御装置を買う段取りを進めていました。か れこれ半年前から取り組んでいて、ようやく申請が通ったのです。2つ で1千万円近い代物です。世の中ではITの世界ではクラウドのことで 花盛り、その基盤を担っているのが仮想化技術です。それを社内で利用 すれば、ごろごろはびこったパソコンサーバなんかを1台のマシンで賄 えてしまう。設定費用なんかは最低限でして、自分で大方は勉強してや って行くのですがね。まあ毎度いつものことです。それにアジアのどこ とは言いませんがWANを2ヶ所つなぐ計画も進めています。その拠点 にセキュリティ装置をかまそうと、候補の装置を手元でテストしていま す。安全に関わることは貴方任せにはせず、自分で確認してやっていか ないと危険です。もう一つ取り組んでいるのはモバイルシンクライアン ト。ハードディスクの無いノートパソコンを持ち歩き、社内の自分のパ ソコンにアクセスして利用する。そのため本人確認するのに指紋認証を やろう。いろんな機器が絡んでとても厄介なんです。今日、何とか一つ シナリオが描けました。1年ぐらい前にも試していたんですが、時間を 取って昨日今日で動作の確認が出来ました。何を認証するのか、どこで 認証するのか、はたまた認証の意味は?とか。頭が混乱してきます、で も考え抜くとはたと分かる時が来るのです。こういうのを仏教では小悟 といいます。なかなか知的に快感を覚えるものです。2/5 * 平成23年1月のこと 茶席を二つ開こうかと思っています。一つは毎年恒例にしていた童の人 形のお席。陶器でできた平安朝の童です。やはり一年に一度は箱から出 して、どこかに飾ってあげないことには。例年だと2月の終わりの日曜 日にやるところなんですが、ある都合により3月13日にしました。紙 でできたお雛さんも一緒に飾るつもりです。旧暦のお祝いということで もよろしいでしょう。小生に娘でもいれば、滅相もないと言うかも知れ ませんがね。人数は十名ぐらい、それにお寺関係者。謂わばこないだか ら書いている"さえの会"ということになりますか。本堂横の広間の方に は母の短歌を短冊などで展観するつもりでもいます。母が入っている短 歌の結社において、先般同人に昇格したちょっとしたお披露目でもあり ます。昨秋、長良川の鵜飼の様を詠んだ歌など並ぶかと思います。当日 短冊なども用意しておきます。即興で詠んでもらっても結構。道具立て は風炉、お客になったりお点前して頂いたりして、一日優雅に遊ぶこと に致しましょう。お代は千円で御座います。もう一つの席は、花祭りに 協賛のお茶会です。これもずっと20年以上続けて来ている訳で、今年 からは有りませんという訳にはいかないでしょう。そう和尚とも話しま した。これまでは三百円だったのを今回は五百円にします。ちょっとお 菓子もいいのを使おうかと思います。いつも買っていた饅頭屋さんに先 週、早速寄って来ました。14日のことで、顔を合わせるや否や、お芽 出とう御座いますと言われました。この饅頭屋の若いしが京都の修行か ら連れ帰ったのがその奥様なんです。京都では15日まで幕の内という 慣わしが残っているんですね。それで菓子は二色買ってみました。久し ぶりに見て食べて。しばらく見ない間に何か良くなっている。きんとん もきんとんらしい。練り物もなかなか。饅頭一つで何故か新鮮な気持ち になりました。お茶席を開こうと思った瞬間から、もうそのモードに入 るんですね。あれやこれや考え始めます。やっぱり楽しいですね。1/18 何もないようでいろいろあった日でした。外は10センチは積もったか という雪が止んでいます。太鼓に撥でどんどんどん、と叩く雪の音が聞 こえてきます。車で出るのは止めて、すぐ下のホームセンターに行った のみで一日中、家にいました。赤壁の戦いを観て今は舞踊のテレビをか けながら、これを書いています。8時からは大河ドラマを本当なら観た はずだったのですが、劇的ビフォーアフターをずっと観てしまいました。 痛みが来た箱根の検番のリフォームの話し。上七軒の歌舞練場の様子も 最初に映し出されていました。この建物の修復を手掛けた一人が匠とし て登場しました。もうリフォームというレベルではない。全部建て壊し た方が早いぞと思いました。元に部材を少しでも活かすということであ ればリフォームか?。舞台の床板をそのままと梁を表の看板に。古い帯 を芸妓さんらから集め、それを緞帳にした。そのシーンを見て小生は思 わず涙が出たぞ。新築にしたんでは出てこないアイデア、すごい、頼ん だ甲斐があったというものだ。それにしても実費4千万円であれだけの ことができるのか。これは是非、箱根に行ってみないといけない。久し ぶりにテレビでいい企画を見せてもらった。かつては置屋が80軒に芸 妓400人、今ではその半分と言っていた。街の人等は知る人も少なく それでもまだよく持ち堪えていた。熱海でなく箱根に芸妓さんが居たと は。温泉旅館の大広間での接客の様子。毎日の厳しい稽古を課しての芸、 願わくば酒飲みの相手だけに終わって欲しくない。二階の広間でのおさ らい会には女性の姿が多く見えた。できれば茶遊一会のようなおもてな しがあれば、そうした女性らにもきっと喜ばれるのでないかと。1/16 このところ寝れなかったので、流石にばてて来ました。熱ーい風呂に入 って座ったところです。気分をさっぱりさせたところで、昨日の小難し い話しの口直しでもしますか。これまでやってきた月釜のこと。月の最 終日曜日の午後1時から、これは決め事でした。十年経って思い出して ふらっと立ち寄っても、ささ一服どうぞと。変らず釜を懸けているとい うのはとても大切なことです。その存在自体が普遍性という価値を持っ てくるのです。一つの心の拠り所になっていた。そんなこともこれまで に書いたことがあります。それで1時に集まって座敷と庭などの掃除を します。併せて花の材料をそこら辺に採りに行ってきます。風呂の灰形 を直して炭の火を熾します。奥の部屋では茶碗やら水指しやら清め、準 備を一通りします。これらを適当に分担して進めて行くのです。1時集 合ということにしてましたが、だいたいということで、三々五々やって 来るというのが常でした。小生が20歳から23歳までの間、会社の茶 道部で稽古をしました。残業が当たり前のご時世でしたが、労働組合の 力で一斉退社日というのが水曜になっていました。5時には皆が揃って 稽古を始めました。炭点前から始まり、お薄に濃茶の稽古が8時頃まで ありました。花は先生が家から持って来られて入れるのを見ていました。 中身の濃い稽古を、先ず休むことなく参加しました。いい雰囲気の稽古 場だったと思います。そういう体験があって釜を懸ける機会が訪れた際 に、一斉に始めるという形にしたのです。普通の社中の稽古ではなかな かやれない話しです。実際に花を自分で入れてみる、灰の山を作ってみ る。最初からそのようにしたので、有難みが分からない人が多かったの でないかと思います。小生もその若い時の稽古で、順番で炭点前が回っ てきました。やや今日は俺がやる番だったか、ちゃちゃっと終わらせて しまおう。そんな風に思っていただけで、後になってなかなかやらせて 貰えないことだったんだと知りました。1/12 最近寝れません。しかし昼間、眠いということはないんです。頭の中が フル回転しているような、冴えているのです。これまで惰眠を貪ってい たのが、がばっと起きて走り回っているような気分です。よい子のイン トラネットの長いトンネル掘りから、出口の明かりが見えて来た。そう 終わりが近づいて来たのです。会社の中でどう言われようとも、職場が 変わろうとも取り組んできた。それは一重に一会社のためではなく、こ の日本のIT技術のボトムアップのため。狭いこの国の中でノウハウを 一人溜め込むのでなく、共通のものとして少しでも前に進ませるお役に 立つこと。そうしなければアジアの驚異的な革新のスピードに追い抜か れてしまう。そういうことを1997年頃、巻頭の方に書いた。それが 本当になってしまった。技術の進歩を、日本企業の旧態依然たる体質が 邪魔をした。技術立国であったはずの日本だが、技術者を軽視し続けた 付けが回ってきたのである。多分これからやるべき小生の仕事は、その ことを世に知らしめること。IT技術の頭から尻尾まで実践してきた自 分が、文系出身の能書きだけ垂れる輩に取って変わること。中国や韓国 などアジアの国々は猛進している。恐ろしいスピードで経済発展してい る。そんな国に対してどう立ち向かうのか。何でも中国に進出して行け ばいいというものではない。その先の世界を見据えて日本は成すべきこ とを考えないといけない。日本人の自然感、茶道のような精神性、大き くは和の文化。人間世界、金をどんどん稼ぐ、うまい物を食う、贅沢を する。そんなことでは最終的には真の幸せは掴むことはできない。精神 性の確立したモデルの一つが日本には内在していると思う。そのことに 気づいている中には、少なくとも茶道を志した人が入るだろう。茶道は 言葉だけの精神うんぬんではなく、型として嵌めこまれている。さえの 会の実践には、こうした大いなる意味合いも含まれているのです。1/11 "さえの会"について書いてみようと思っているのが、またまた止まって しまった。寝床ではあれこれ書きたいフレーズが浮かんでは消え、して いるのだが。打開策として、ここに徒然に思うがまま書いてみるとする か。そして後からまとめることにしよう。"さえの会"は"茶遊一会"の前 哨戦のようなことになる。"さえの会"で10年か20年かお勉強しても らって、悠々自適な身分になったところで"茶遊一会"を催す。まあそん な都合よくは行きませんがね。私とて未だ一介のサラリーマンです。金 銭的に余裕ができるのを待っていたんでは、そもそも茶道なんてできる ものではない。ならば40代50代になって精神的に余裕ができたらと 言いたいところだが、実際は余裕どころでないというのが現代での実情 です。ですから気持ちとして少し金銭と心持ちにゆとりができた、それ ぐらいでいいでしょう。勿論、ご婦人方は旦那はほかっておいて、日本 文化の維持のため、どんどんやってもらってよろしいかと。こうしてす ぐ脇道にそれていまいます。話しを戻して"さえの会"とはという所から。 これは小生がずっとやってきた月釜のスタイルに名前を付けただけのも の。これまで書き綴って来たのを読み返して頂ければ、どんなようにや ってきたかは分かります。しかしパラパラと所々に書いてあるので、や はり理解しにくいだろうと思います。それで一辺、自分の頭の中の整理 も兼ねて書いてみようかということなんです。月釜といいながら茶会の 形式ではなく、完全な稽古場でもない。昔お見合いした裏千家の女性に こんな会をやってますと話したら、とても不思議そうな顔をしてました。 人数が多くても十人ぐらいまで、微妙な進め方で成り立っていた会のよ うに思います。ですから体験した事の無い人には分からない。それに常 にこの会がうまく行くとも限らない。心太式の稽古ではないので偏りが 出る。ちょっと昨日のを書き直しました。1/5,6 皆様あけましてお芽出とう御座います。お正月を楽しく過ごせています か。年々お正月らしさが無くなって行くと感じるのは、多分小生だけで ないことと思います。積極的に街の喧騒の中に身を投じてみないことに は、今日がクリスマスやら正月やら分からない。一昨年前までの小生は 年末年始はお寺の行事で忙しくしておりました。30日の餅つきに始ま り、マンションのロビーの正月花。大晦日には百八献灯の般若心経、2 日は書き染め、3日は小生の催す初釜と続いていました。1日か2日に は関が原へ独り行って雪振る中を身震いしたものです。初釜の後はマン ションに場所を移し母手作りの御節と巻き寿司で、新年をお祝いするこ とも何度かやりました。今回はと言えば僅かに正月花を入れたのと大晦 日の百八献灯に行ったのみ。それでも大般若経の10センチあろうかと 言うので、肩を叩かれると、それだけでも価値が有るような気が致しま した。でもやはり自分が主になって新年の茶席を作り、襖を開け座敷に 入り、明けましておめでとう御座いますと。親類縁者が正月に来て座っ たこともあります。しだれ柳と椿を床の間に飾り、30日に搗いたお鏡 も飾ります。そうした中での初釜は、はんなりとする一方、身が引き締 まる思いもしたものです。しかし数少ないお弟子さんらは郷里に帰って いたり、親戚来訪の接待やらで、裏方の細々としたことは母がをやって くれていました。その母も寄る年には勝てずそうそう動くこともできな くなりました。もう世代交代をして然るべき時なのです。日本全体が老 齢化しています。子供が少なくなりどんどん活力が失われて来ています。 まさに自分自身にも起きていることで、伝統も文化も若い人が、自身の 子供が引き継いで行かなくては。いつまでも若いつもりでいたのが、頭 に手をやると薄くなっていたり。いささか気付くのが遅かったかも。で も気付いたところでどうにか成ったか、何も変わらなかったかも知れな い。自分は自分のできることをやって来たまで、そして多分これからも そうではないかと思います。でもでも、そんなように達観してばかりで はいけない。人間生きている以上、欲を持たないことには。茶遊一会と いう新たなキーワードが出てきた。これまでの延長線にはない事で、そ う簡単には実現できるものでない。自分にはやるべきことがある。1/2 * 平成22年12月のこと 25日の深夜、クリスマスのプレゼントです。2月の終わりか3月の始 めに釜を懸けようと思っています。恒例の平安朝の童の人形を飾るお席 です。昼間に第一のお弟子さんがやってきました。ひょっとすると花祭 りの茶会以来だったかも。この方は10年ぐらい来て下さったご婦人で 小生の点前に一番近いです。時折り点前が早くなるので、もうちょっと ゆったりと。女性の方は家庭でいろいろ有りますので、それが点前に現 れるのでしょうね。ともかく安心してお任せできる人なんです。実は小 生はそれこそたくさんの人を指導してきたのですが、一回幾らという形 態だったので、今も残っている弟子というのは何人もいないのです。特 に会の名前もなかったし、まさに禅寺にふわしい茶の湯、来る者拒まず 去る者追わずでした。さて、その弟子と久しぶりに会ったので、お互い 母も交えて積もる話しも多く夕方まで居ました。岐阜のお茶屋さんのい ろいろ案内や舞妓の店出しの時の写真なんかも見てもらいました。是非 行ってみたいと言ってましたよ、満豊さん!。母は精出して短歌の話し をするわ。気心の知れた人とひと時を過ごすのはとても楽しいです。そ れで、また茶席を設けようと話しをしたところ、一つ返事で乗って下さ りました。やりたいと言っても私一人では舞が舞えない。お道具も全部 引き払って自宅にあるので、運び込むだけでも大変なこと。しかしまだ 問題が、和尚と交渉しないといけません。どんな風向きになっているや ら。大きな儀式が終わって、また座敷を物置きにしてしまっている可能 性が多々あります。使ってもらいたくてもできない、そんな落ちも予想 できたりします。困ったもんです。まあ守備よく童の人形の茶席ができ たら花祭りの茶会もやろうと考えています。結構毎年、楽しみにして来 て下さる方もいるのです。お寺のためというより、そうした人が居る以 上やってあげたいと思うのです。茶券は変わらず300円、2月のお席 はこれまで月釜と同じく千円です。いやいや、開くとしたらですよ。ま だ確定した訳ではありませんから。ここしばらく茶遊一会というのとさ えの会というのを書いてました。さえの会はまだ書き掛けですが。それ がどんなものか、やはり実際に見てもらう場を作りたいという気持ちも あります。茶会でもなければ稽古でもない。小生がずっとやって来たス タイルとはどんなものか。関心のある方は是非お越しください。今から 参加募集をしようかな。ハーイ、一度来てみたい人、手を挙げて!。ど うかメールにて一報を下さいな。それによっては場所を変えてでも開く つもりになるかも知れません。12月25日の深夜のこと。 12月の13日は何の日かご存知ですか。京都花街で舞妓さんや芸妓さ んが踊りの師匠やお茶屋さんに、一年お世話になった挨拶回りをするの が風物詩で、テレビなんかでもちょっと映ったりしてます。それともう 一つこの日から正月を迎える準備を始める日でもあるんです。こちらが 本来の事始めですね。京都以外ではこんなしきたりが残っている所は少 ないかも知れません。でも気分的には12月を十日も回ると、そろそろ 今年も終わりか。師走に正月の準備も始めないかんなーという感じがし て来るものです。今日スーパーに行きましたら、注連縄が入り口の所に どーんとありました。ここ数日、急に冬らしくもなり、何となく行き交 う人の姿も慌しいように映りました。母と今度の正月花の段取りを話し ていました。毎年恒例でマンションのエントランスにどーんと花を飾っ ています。3時ごろにお寺の畑へ行きました。南天の実の付き具合はど うかなと見たら、あまり付いてません。今年の夏の暑さの続いたことが 南天にも影響したのか。谷の方に目をやると真っ赤な紅葉の絨毯が出来 ていました。ミクシの方なら以前撮った絨毯の写真が見れます。その中 を下って行き、左手の谷に周りました。元、人家があったところで、日 陰の花や木が幾つかあるのです。ここでも花の材料の目星を付けました。 来週は山の北手の方にある梅林で今年剪定した梅のずばえを頂いてきま す。こうして花材を調達できる自然が残っているというのは、とても素 晴らしいことです。有りのままの花や枝ですから、そう簡単に思うよう にはなりません。でも生けた姿はすごくダイナミックなものです。それ こそ命の息吹があります。そうでなくては新年を飾るにふさわしくはあ りません。新しい年を迎えることができる感謝と、また頑張ってやるぞ というエネルギーを花からもらうのです。12/13深夜 客振りということ。茶道では無難なところで無駄口をたたかず、当たり 障りの無い話をしておけばいい。だいたい亭主と正客との会話になるの で、それ以外の客は相槌を打つ程度のことである。ここの所ずっとお茶 屋とも関係する茶遊一会のことを書いている。客に茶道の嗜みが無い場 合、どのような席になるか、そこを考えてみたい。一般の茶席では酒が 一杯出る訳でなし、何時間も居る訳でもないので、そんなにおかしな状 態になることは先ずない。しかし少しでも遊びの要素を取り入れている と、ついお酒が過ぎよからぬ事を言い出す輩が出てこないとも限らない。 まあそこで話しをお茶屋に上がる客振りということにすり替えてみたい。 その何分の一か茶遊一会でも起こる可能性が無きにしも非ず。考えるの もおぞましいが、実際に昨晩それを考えさせられた。連れて行った自分 の品格が問われ兼ねない、穴が有ったら入りたい気分である。お茶屋で 嫌われる客振り。出された料理を残す、酒ばかりくらって料理を食べな い。最低!、それなりの料理屋から取っているのだ、残すなんてもって のほか。やたら舞妓や芸妓を連れ出そうとする、今度連れて行ってやる よとしつこい。最低!、数回座敷に上がったぐらいで慣れ慣れしい。煙 草をやたら吸う、座敷は禁煙ではないがもうこのご時世、座敷では煙草 は遠慮するものだ。舞妓さんらの高価な衣装が煙草臭くなる。金回りが いい話をやたらする。10万でも20万でも御祝儀弾むよとか、いつも キャッシュはこれぐらいは財布に入っているとか。それでいて千円の土 産も持って来ない。最低ですなー。話題はどうしても下ネタの方に振る。 お茶屋さんもある程度そうした話題にも応じるけど、できるなら歌舞伎 とか唄いとか高尚なことを話題にしたい訳で。三味線を持参して客が一 曲うなるとか。Hやすけべな話しをしたいなのなら他所でやってくれ!。 自慢話しをつらつら、家がでかいとか、駅まで自分とこの土地だったと か、身内にこんな人がいるとか。思い出しただけでも、いいとこがまる で見当たらない。お茶屋さんというのは自分とこの家にいるかのように おもてなしをする。だからすごくリラックスできる、してしまうのであ る。でも油断は禁物です。しっかり見られています。それによって一見 さんのままか許されるか決まるのです。お茶屋さんは客を選びます。茶 道も実は言わないだけで選んでいます。茶遊一会も勿論、客を選ぶこと にします。遊びにはルールがあります。小生は喩えて言うのは素人ばか りでバレーボールをやっても何も面白くないでしょ。お茶屋さんでのル ールはほぼ茶道のルールと被っていると思っていいでしょう。つまり上 の幾つかの最低!はやってはいけないルールです。しかし最低ルールを 守ればいいかと言えば、そうは行かないでしょう。茶碗を回して飲むと いうルールは作法でありやり方。最低ルールの方は人格の問題になって 来る訳で、茶碗を回すルールとは違います。今時点で最低ルールができ ていない人は、すいませんが資格なしと小生は見做そうと思います。ま だ20代そこそこの若い人なら教えて教えられるということもあると思 いますが、ひと歳拾った大人では無理です。こうして考えて行くと、清 遊である茶遊一会は、かなりの自制心が求められるのでないか。遊びと いう要素が加わった瞬間から、型形がある程度自由になる。これをだら けたものにするか、心地よい緊張感にするかはまさに集まった人達の資 質、一座建立に関わっていると言っていいかと思います。12/8 * 平成22年11月のこと ホームページを少しずつ変えて行っています。徳林寺・茶道指南とずっ と書いていたのを表千家・茶道指南にしました。名前も加藤見珠に変え ました。この名前は表千家の講師の申請をした際に付けたものです。表 では特に茶名とかは言いません。それに表では名前は頂くものではあり ません。自分の先生とも相談し自分で付けました。ひょっとすると講師 であること、初めて言うかも知れません。弟子に免状を出して教授の申 請をすればいいと言って下さる先生もいます。さあどうですかね。正直 言って茶通も唐物点前でさえ、必要性はまるでありません。お寺の儀式 の時でも、やるのはお茶湯であって本堂で点前をする訳ではありません。 献茶式となるとそれなりの点前があります、確か台天目の点前。でもこ れは家元関係者が仕切る話しであって、市井の輩が手を出すようなもの ではありません。お寺で献茶式はやるのかな、やるのは神社での話しか な。先週、件のお寺で晋山式というのがありました。多分お寺で最も重 い儀式だと思われます。他のお寺での晋山式にも参加したことがありま すが、そこでも献茶式はありませんでした。ましてやこないだのはお茶 湯もなかった。必要性があれば上位の稽古もして免状も取ったんですが ね。毎度、花祭りの時には本堂に人が集まり経を詠みお茶湯もやりまし た。本堂脇に我々三人が並び順番に供え物を茶、菓、糖の順番で僧侶に 渡して行きます。着物姿で控えている様はなかなか様になっているもの です。茶道を長くやった人には、それなりの雰囲気が自然と身に付いて いるものです。それ故、厳かな雰囲気を醸し出すことができるのだと思 います。大きくはそのお寺の威厳を保ち、住職への信用を加味する役目 さえ果たすものです。これ以上言うのは差し控えることにします。11/26 昨日着た着物を和室に掛けてあります。長襦袢と羽織です。長着はクリ ーニングに出しました。一月程かかり料金は 6,800円を払っておきまし た。一緒に作った羽織には陰紋を入れてあります。刺繍による家紋のこ とを陰紋といいます。正式な紋は白抜きで面相筆で書くのです。陰紋は いわばお洒落の紋といいますか、昨日のような場面にはぴったりだった と思います。お茶屋のお兄さん方も十徳のような羽織に鳳川伎連の紋を 刺繍してありました。着物は滅多なことではクリーニングには出しませ ん。呉服屋に洗い張りをお願いするものです。でも一つ曰くがあって止 む無く。およそ七年前に、気の迷いから点前が乱れ染みを付けてしまっ た。陰紋だけに陰で泣く女性を作ってしまった代償です。この着物を見 る度にそんな思いに駆られていました。ちょうど染みを付けたのは裾の 辺りで、袴を付ければ隠れてしまう。これでこの着物の役目は一つ終え たのかも知れません。袴を付けるのは表千家の講習会ぐらいで、もうそ うそうないでしょう。新しい着物を作るとしましょう。これからやる茶 の湯にふさわしい着物を。家紋は陰紋ではなく染め抜きにしようか。土 曜日のお店出しでは近辺の男衆が揃って着物姿で、なかなか壮観なもの がありました。やはり和傘に団扇もあった方がよかったかも。実は和傘 は車に積んで行ったんですがね。肝心の舞妓さんの衣装は、母曰く撮っ た写真を見てこれは吉祥柄だよ。だから重厚な感じがしたのか。何度も 会っているので、どうも舞妓姿というのは想像ができなかった。しかし 目の前にぽっくりを履いた舞妓さんがいる。若くして自分の進路を決め 覚悟の舞を披露した。彼女の着物の袂を涙で濡らすことがあってはなら ない。しっかりと見守って行かなければ、そう思ったのでした。11/14 明日はいよいよ岐阜のお茶屋さんに舞妓が18年振りに誕生します。さ らにお兄さんも幇間としてデビュー致します。上七軒の小料理屋さんの おにいさんに黒紋付の羽織袴でどうだろうと尋ねてみました。身内で男 師がそのような格好をするもので、色紋付の方がいいと思いますがと教 えて下さいました。黒の紋付は日本人の第一礼装ですが、地味ですし雰 囲気に合わないなと感じました。それで陰紋を入れたお召しに袴で参上 するつもりです。流石にその姿で岐阜まで行くのは憚られる。伊奈波神 社にて昼に祈祷を受け近くの洋館まで練り歩くとのこと。車で出かけて そこで待ち受けることにしましょう。この界隈は着物姿でいることが全 く違和感がない場所です。それに較べて名古屋のなんと着物の似合わな い街だことか。日曜もお披露目の宴席があります。こちらは夕方で岐阜 で一番の料亭が会場になります。流石に二日続けての参加は見送らせて 頂きました。岐阜の錚々たる顔ぶれが集まるのでないかと思います。そ れに上七軒の関係者の姿もあるかも知れません。前々からご祝儀のこと を考えていました。お祝いの気持ちで幾らか包むか。それにしては、ま だ1年足らずでのこと。どうもお金を出すというのはそぐわないような 気がしてます。祝儀袋も二つ用意はしたんです。それで考えたんですが やはり自分は体でお祝いに代えさせてもらおう。これまでお寺で奉仕し てきたように、今度はこちらで遣って頂こう。相手さんがどう思ってい るかは分からないんですが、先ずはこちらの気持ちを表明するとしよう。 体に染み付いた表千家の風というのはそう簡単に拭い去ることができる ものではありません。私でよければ茶道でもって力になれるところがあ れば協力させて頂こう。茶道では50歳でようやく青年から大人、一人 前の端くれになったかなというところ。年齢に不足はありません。これ まで24年間やってきたお寺での月釜が肥やしとなり、次のステップに 進むことができるならば大きな喜びです。11/12 土曜日も岐阜へ行っておりました。JRの駅から歩くことおよそ30分、 伊奈波神社近くの料理屋が先ず会場でした。狭い路地を入って行く場所 にあり、10分ぐらい探しました。途中、昨年も買った柿の無人販売の 所があったので、ちゃっと買いました。2つで200円、今年の富有柿 は不作なのかしゃん。そんなことより花街文化ワークショップなる集い のことを。かざをりゑぼしの鵜飼船に続く会です。集まったのはざっと 15人強、どうやら大学の先生が5人ぐらいいそう。花街を考える、お 堅い勉強会だった訳です。和室のテーブルに4、5人ずつ座りワールド カフェなる形式でディスカッションするのです。自己紹介から始まり何 か知らんけどだんだん白熱していきました。最後にテーブルで一人ずつ まとめを発表しました。どうやら結論はどこのグループも同じようなこ とで、いかに女性客を取り込むか。その窓口を間違わなければ潜在的な 需要を掘り起こすことができるのでないか。ただし花街の大人の社交場 としての性格は堅持すべきと。3時から始まり6時までみっちりでした。 それから歩いて満豊さんへ行き、広間にて宴席です。料理は先ほどの料 理屋さんの縁高重で他にもおでんの差し入れや、満豊のお母さんの盛り 鉢やら。腹一杯にお酒も一杯。ゲストの郡上八幡の盆踊りを研究してい る先生なんか、きくじさんにうまく勧められてべろべろ。お座附きもあ りました。8時も回ってからお母さんが三味線を取り出し、先ずはちょ っと季節は外れたものの特別に、かざをりゑぼしの舞から。キスキスキ スという幇間芸も笑わせる。他に季節のもので萩桔梗、やっこさんだね、 それにシャチホコが最後だったかな。えらく頑張って披露してくれまし た。かなりお酒も入っているはずなのに、ぴたっと決めるところは微動 だにしない。かっこいいです。それとお母さんの三味線に唄いが素晴ら しい、声色が惚れ惚れする。祇園では舞妓の成り手はたくさんいるのだ けど、地方の成り手が少ないとのこと。満豊ではこれだけではないんで す。陰笛と言って姿こそ見せないんですが、笛の音色と太鼓の音も聞こ えて来るのです。もう実名を挙げちゃいましょうね。花の会の事務局を している小野崎さんが部屋の外で笛を吹いています。心憎いねー。今回 のワークショップでは満豊さんがやってきた邦楽や舞踊の女性向けの催 し、そして発足させた花の会については話しはありませんでした。そう なんです。もうすでにだいぶ前から女性客をターゲットにした催しをや ってきている訳なんです。そのことを頭に入れて議論すべきだったかも と今、思っています。様々な活動を通して人の輪を拡げ、結果として客 層を厚くしていく。花の会はNPO法人であって、花街に関わるこうし た活動をしているのは、国内でも稀な存在です。全国に僅かに残る花街 にお茶屋がこうした活動をどこでもやれるものではありません。生き残 りと既になくなったお茶屋の再生復活をさせるには、どこの花街でもで きる一つのシナリオが必要だと思います。多分、花の会の存在は岐阜の お茶屋だけの問題ではなく、日本全体での問題であり、また問題解決の 糸口になる。大きな役割を担っているように思います。11/8 * 平成22年10月のこと 昨日は昼からマジックの寄り合いがあって街に出ていました。終わって 不二家のケーキを買って帰りました。中学生ぐらいの時、母は不二家の プリンの輪になったケーキが好きで何かあると買って来ていました。同 じものはないか見ましたが、流石にもうないよね。買ったのは米粉でで きたロールケーキ。持ち帰ってすぐに紅茶で頂きました。いやいや結構 おいしかったです。勿論、不二家のケーキを買ったのには訳があります。 母が長くやっている短歌の会で、第二同人になることが確定したからな んです。第二とか第一とか言うのが、短歌の世界で一般的な言い回しな なのかは知りませんが。まあ表千家で言えば、唐物の免状を取ったぐら いに相当するようです。師範格ということですね。母の短歌はなかなか いいと僕は思っています。身内を誉めるのは一のバカ、そんな諺らしき ものもあったりしますが。いやいや本当にいいんです。証拠に一つ二つ 披露いたします。鵜飼船に乗った時のことを詠んだ歌です。篝火の勢ひ て飛び入る舟遊び鵜匠の手縄一瞬の夢、紺色の麻布三尺頭に巻きて風折 烏帽子小唄に残る。船の舳先で岐阜のお茶屋のお兄さんが、かざをりゑ ぼし、を舞ったのを詠んだのが後のです。短歌は毎月、会があるようで 月に十首とか作らないといけないそうです。年に一度か二度は大会があ ったり、吟行会というのもあります。吟行会はだいたい近辺らしく、そ れなら岐阜も一度いいんじゃないと母と話していました。昼前に十八楼 に入り、先ずは温泉につかる。座敷にて会食、頃合を見て舞と相成ると いうのはいかが。長良川を眼下にして、所縁ある"かざをりゑぼし"の舞 を観る。その時は私めも和服で案内係りでもやらせて頂きます。11/1 水を得た魚のように西や東にしています。お陰様で歩く歩く、これで健 康診断の結果がいい値が出ていれば万々歳だったのですが。ちと遅かっ た。小さいことは気にするな、ワカチコわかちこー!。んー、もう十年 ぐらい古い気がせんでもない。なんというか長いこと一つの事をやって いると呪縛みたいなものがあるのでないか。小生で言えば茶道という呪 縛、から解放された。守破離でいうところの離れる、かも知れない。イ ンターネットの動画サイトをたまに観ています。茶道のお点前も動画に 出てますねー。何たら流古儀とやらの薄茶点前を先日、観ました。なん という冗長、ごゆっくりな点前。なんでそんな所作をするの?と思わず 唸ってしまいました。茶道とは非常に合理的に手順が組み立てられ、礼 儀作法に適っている、そんな説明がされます。どこが合理的?、どこが 礼儀作法?。このことはかなり前から感じていましたが、実際に他流さ んの点前をこうして見れるようになって、一段とその感を強くしていま す。きっと表千家の点前でも他流から言わせれば、おかしな所作だなー と見えるのでしょう。自分達はどっぷりその世界に浸かってしまってい るので、もう分からないのです。大学で工学を学び修士まで出た小生で さえ、自分が習った表千家が一番簡潔で合理的な点前に違いないと思っ ている。訓練は恐ろしい、ひょっとかすると洗脳かも。そういう意味で 一度は離れてみる、止めてみる。多分それはかなり必要なことだと思い ます。お寺の方丈を使うのが憚られることになり月釜を休会したのです が、自分にとっては与えられたいい機会だったと感謝しています。10/27 せっかく見に来て下さった方に恐ーいお話を載せていたんでは申しわけ ない。でもやはり身内で一つ事件が起きていました。何とか昨日、片付 いたんですがね。生きているといろんな事があります。うれしいことも 悲しいことも。木曜日のこと、コンピュータ会社の友人らと飲んでいま した。似たような年齢なので身内の介護だとか、亡くなっただとかそん なことも話題に上りました。二軒目のお店はそいつらの常連で、おばあ さんが一人とその息子らしい男の二人でやっていました。息子といって も60歳は超えていそうで、おばあさんたるや90度近く背骨が曲って 手もぶるぶる震えている。それでも店に立ち働いているのです。常連が 一人やってきて、おばちゃんご飯もだよとか、結構荒っぽい。2時間ほ どいてそろそろ出ようかと思ったところに6人ぐらいの団体さんが、お いおい大丈夫なのかよと。へー、人間やろうと思えばできるもんだ。そ な様を見ていて、ちょっと気分がないだのでした。生きている間は一生 懸命生きるということです。そしたら新しい発見も体験もできようとい うもの。先日の鵜飼の屋形船の中では母は、お茶屋の仕込みさんと話し ていました。小生がよそへ出張して行き、座布団が空いていたのでそこ に座っていたのです。居たとすればこんな孫がいてもおかしくない。居 たとすればこんな娘がいてもおかしくない。素直ないい子です。この四 月から茶道、舞、唄いなどお稽古してきて、いよいよデビューなんです。 11月13日と14日にお店だしのお披露目をするそうです。つまり岐 阜から舞妓さんが出るということなんです。茶道と縁のあるお茶屋さん のこと、皆様ご贔屓にしてやって下さい。10/10 茶宴のお話がへたら長くなってしまったので "清遊のお茶へ" に移しま した。少し読みやすく間も入れておきました。是非、もう一度読んでや って下さいませ。昨日も実は岐阜へ行っておりました。お茶のお弟子さ んの一人にも一応声をかけてみましたが、なかなか家庭のご都合で今回 はということでした。全く遊ぶというには体も心も健康でなければでき るものではありません。母は加藤東一の鵜飼の絵が好きで、ならば今回 連れて行こうと。金華山をバックにした夕闇に浮かぶ鵜飼の篝火、総が らみで目の前までやってくる鵜達。堪能してくれたことと思います。し かしもう、少し歩くのもしんどそうで来年はないやも知れません。今年 の鵜飼は残すところ十日余り、母には来年に向けて足腰を鍛えてもらい たいと思います 10/03。昨晩すごい体験をしました。一炊の夢なんて書 いていたせいもあるのかも。深夜トイレに行きたくなり、枕元のめがね を取って掛け布団から出たのです。多分その時までに夢を見ていて、ど こかのお寺の広間で寝ていて、トイレに行きたくなったという。立ち上 がって周りを見渡してもその広間にいると思っている。廊下にでて左手 の部屋が物置かなんかで右手奥は大広間になっていてうっすらと祭壇も 見えている。何でこんなところに一人で寝ていたのか疑問だなと思う次 に、すごく恐くなってどこか電気のスイッチはないかと手探りをしまし た。そしたら廊下の電気がついて全体の様子が見えてきました。しかし この時でもまだ自分はお寺の本堂脇の廊下に立っていると思っていまし た。それからだんだん意識が戻ってきたような気がして、ようやくマン ションのいつもの部屋にいることを認識しました。全くすごいリアルな 感覚でした。こんな体験は初めてでした。何かちょっと恐いです。10/6 * 平成22年9月のこと ようやく朝夕が涼しくなってきました。でも日中はまだまだ暑い日が続 いています。こういう季節の変わり目というのは、何となく体がぼかっ と熱を帯びてきます。夕方になると熱っぽくなるのです。昨日もそうだ ったんですが、うまいビールと日本酒を飲んだら、どこかへ飛んで行っ てしまいました。こないだの日曜は超珍しいことで、出勤でした。営業 所などを含めたネットワークの切り替えをやったんです。詳しいことは 抜きにして、昼ごはんも食べずに3時前ぐらいまで会社に居ました。ど うも調子が狂っていけません。と、ここまで書きかけてそれべくそうろ うになってしまいました。一週間経ってしまいました。金沢へ行ってか つてのお茶屋の佇まい見聞したり、岐阜のお茶屋さんで実際にその雰囲 気も体験したり。だんだんと一つの形が見えて来ました。それを一炊の 夢の如く、一つの体験として書いてみようと思っています。9/半ば 朝スイカを食べてか腹具合がよろしくなく、胃薬を飲んだら何とか持ち 直しました。来年のことは分からない、いくぞーと出掛けました。遠い 遠い、真っ暗な山あいを列車は走っていきました。高山から猪谷へ、そ してまた乗り換え。次の列車は着いていて発車までに20分ほどありま した。客はまばらで誰もいない車両も。そこで単に着替えました。ナッ プザックを風呂敷で包み、着物姿で八尾の駅に降りたちました。幸いな ことにコインロッカーが空いていました。身軽になり雪駄で歩いていけ ば、もう観光客ではありませんでした。家々の前に出した床机に腰掛け ていると、自然と地元の人から見物の人らと話しをして。深夜、観光客 もだいぶ少なくなって流しの一行の後を、ゆっくりと歩を進めていきま した。空が白み始めた時は、昨年と同じく下の方の町内に居ました。見 覚えのある踊り子さんが最後列にいました。唄いの男衆の一人も分かり ました。その踊り子さんが踊りの中で後に向いて、袂を持って前に回る ところ。至近距離は三メートル。男氏の深夜に響く張りのある声と合い の手の掛け声。本当にぞくそくします。すっかり朝になって最後、若い しが涙ながらに挨拶し、三本締めで今年のおわらは終わりました。それ まで特に汗ばむこともなく、いい一晩を過ごすことができました。駅に 戻り着替えて、そのまま金沢へと向かいました。まあ暑いのなんのって。 お茶屋街を見て、何と三味線のお稽古をして来ました。もう外に出ても 暑いので1時間以上、町屋の二階の座敷でぽろんぽろんとやっておりま した。下の通りは細い路地で観光客が通っていきます。あれ、三味の音 がすると思った方もいたと思います。すいません、初めて三味線に触れ た小生が弾いていたのでした。まだ昼の1時を回ったところ、暑いけど がんばって出ました。主計町という花街は橋を渡ったところ。格子戸の 中に人がいる、そこはここで一軒だけのお店でした。匂い袋に小さな水 引き細工をした物があって、仕込みさんへのプレゼントにどうかなと思 いました。でも匂いのするものはどうなのかと思い止めました。金沢の 洒落た小物、センスはなかなかよろしい。それからバスに乗り兼六園の 前を通り、西の茶屋街の方へと。すっぽんの煮こごりを勧められたけど いやいやと。武家屋敷まで歩き、そこでじぶ煮で腹ごしらえをして、結 局駅まで歩いて行きました。17時半の高速バスに乗り込み、日本海に 沈む太陽を見ておりました。終わり。9/6 * 平成22年8月のこと ハイできました!、という掛け声が飛んだ。年増のお姐さんのいかにも 年季がいった声だった。舞台には三歳の男の子がちんまりと座り、その 傍らには我が子に寄り添う若手のお姐さんの姿があった。プログラムに は子供の名前と三味線弾きの名前しかなかった。あくまでも主役はこの 子供であり、座を高くするため踏み台に座っていた。人力の幕引きで舞 台にその姿を見た時、この時だけ満席になった座敷からほーという声が 漏れた。そして二人で声を合わせ、かつーおー。子供の元気な一声が会 場一杯に響いた。そして見事、語り終わった瞬間に飛んだ声が、できま しただったのです。常磐津のゆかた会なるものが、日曜に岐阜でありま した。入場無料とはいえ、ごくごく身内のおさらい会です。一見さんが 覗けるようなものではありません。邦楽関係ではこの暑い時期に、浴衣 を着て、日頃の稽古の発表をするとのこと。それをどうもゆかた会と称 して京都を始め各地で催されるようなのです。先週、岐阜のお茶屋さん に行った際、テーブルの上にさりげなく案内が置かれていました。居合 わせた人らも見てました。その方らも会場に昼過ぎにやってきて、子供 の出番を観たようでした。連日の暑さ、それに先週に続いてまた岐阜へ。 ちょっと考えていたんですが、おにいさんが舞台のめくりを夜遅くまで 書いていて、せっかくだからと思い出掛けたのです。演者は早い話が皆、 玄人。芸妓さんが大半で舞妓さんに、それに満豊の仕込みさん。後は三 味線弾きなどで男性も数名。朝の11時から夕方5時前までの長丁場で、 小生は11時40分ぐらいに入ったんですがね。菓子が座敷の中程に小 振りなテーブルの上に数ヶ所置いてありました。仕込みさんらが熱いお 茶を僅かな幕間に配って来てくれて、菓子の若鮎をぱくりとやりながら 飢え?を凌いでいました。休憩がてら廊下に出て地方のおにいさんやら 仕込みさんやらともお話を。ここは元、戦前に遊郭があった地区とのこ と、そこで常磐津とは色っぽい、化けてでませんかねなどと話をしてま した。仕込みさんとは今日は三つぐらい出番ですかと聞くと、四つです とのこと。稽古を始めたのはこの5月からで、すごいねーと隣に居たお 姐さんと感心してました。いやはや皆さん本当にご苦労様でした。岩に 染み入る蝉の声じゃないですが、常磐津の唄う言葉が体中を巡りました。 ふと気づくと、どこか別な場所に居てふわふわと漂っているような気が 致しました。帰りエレベータが一緒になった人らと川原町の土蔵カフェ に行きました。お茶屋談義に花が咲き、自然と仕込みさんの店出しのこ とになりました。こんな経験は又と無いよね、男は紋付羽織袴、女子は 留袖でずらっと並ぶか。へたにご祝儀包むよりそっちの方が格好いいぞ、 などと。土蔵の高い窓からは金華山の岐阜城が見えていました。山には 所々、灯が付き暗くなってきていました。8/31 * 平成22年7月のこと 人が家に来ると言うことはなかなか大変。家でごろごろしてたのが、ば しっと起き上がって先ずは掃除から。そこかしこに本や雑誌などを転が しているのを片付けて、普段やりもしないことをそわそわと。トイレも 綺麗にして玄関も靴を片付ける。やって来るのは学生時代からの友達で 別にそこまでやらなくてもいいようなものですが。まあ、こっちから久 しぶりに来ないとお誘いしたのだから、できるだけ気持ちよくと思う訳 なんです。家の中が片付いたらお買い物へ。ビールを少しとコーラに鳥 の惣菜を。家を出る前にグラスを2つ、小さい方の冷蔵庫に入れておき ました。この冷蔵庫は夏場だけに稼動させます。飲み物やチョコとかを 冷やすためです。生物の匂いが付かないように別にしているのです。帰 って来てすぐに付け出しを作りにかかりました。お皿は瀬戸で求めた俎 板皿の小さい奴。これに四種盛りました。胡瓜のざく切り、隠元豆を軽 く鷹の爪で炒めたもの、玉葱のスライス、それに?。もう一つ載せたの だけど。隠元豆と玉葱はお寺の畑で採れたものです。更にクリスタルの ぐい飲みに醤油と酢を入れて冷蔵庫へ。ほぼ準備が整った頃にピンポー ンと友人が到着です。まあまあ暑い中、とりあえず手を洗ってと洗面所 へ。その間にテーブルに俎板皿とクリスタル、ビールのグラスを置きま した。ビールは勿論こういう時はエビス、何かしゃんに乾杯とぐびぐび やる一杯は格別です。友人に今日はミニお茶屋風にしましたと、お皿の 話などから。これまではすぐに仕事の話とかコンピュータのことになる ので、まあそれはそれで面白いのですが。それで一頻り岐阜のお茶屋さ んの話をしてました。そうそう乾杯の後、クリスタルに入れた合せ酢を さっと玉葱に掛けました。なかなか見た目、贅沢なことで。買ってきた 鳥は小ぶりの深鉢に盛り付けました。さあこれで料理屋さんなら、いろ いろ出てくるところですが、後は大したものはないです。せんべえをつ まみに。だいぶ時間が経って腹減ったと聞き、蕎麦を出すことにしまし た。四国から送って来た茶蕎麦っていうのがあるんです。冷水で締めて 付けダレで頂くのです。葱もちょっと切って、この葱も採れたものです。 夏場には食欲が無くてもこれなら食べれるというものです。二人ともぺ ろっと平らげました。5時ちょいぐらいに来て、話がいつものように弾 み、ふと時計を見たら10時半を回っていました。久しぶりにもてなし のセッティングをしました。なかなか気持ちの良いものです。やるとな ったら自然と体が動くものです。いつもたいがい寝そべってコンピュー タ関係の雑誌などを見ているのに。これから後、書いて行くと茶道との 関係であるとかお茶屋さんとのこととか繋がって行くのですが、今晩は この辺りで終わりにしておきます。まだ先週の歌舞伎見物と鵜飼舟のこ とも書かないかんし。小生ともかく夏ばてもせず遊んでおります。7/31 24年目の休息、お茶の無い日々を過ごしております。月に一度だけの 懸釜ですが、やはり続けているという意味は大きかったと実感していま す。今度はどんなお道具を使おうか、お菓子は何にしようかとか、それ なりにいつも考えていました。4月の花祭りの茶会を最後に、いつもの 和菓子屋さんにもお茶屋さんにも行ってません。まだ数ヶ月だというの に、もう長いこと茶道から遠ざかってしまったという気が致します。こ の間、いつ再開するのかとか止めないで欲しい、そうしたメールは一つ もありません。そもそも茶道は有っても無くても関係ないもの。まして や表千家のようにひっそりと、よろず目立たぬがよろしいという教えの 元では空気みたいなもの。ですから静かに呼吸が止まりあの世に逝くが 如く、いつの間にか忘れ去られても、それもよし。自分自身、特に慌て る訳でなし。どうしてもやはり茶道はやらないかん、そんな気持ちも今 はありません。自然体でいいんでないでしょうかね。またやる時が来た らやればいい。お寺は花祭りが済むとひっそりとするのがいつもの常で す。今年は2ヶ月程、外人等が残って屋根の補修や鐘楼の土台などを造 作していました。ここしばらく全く姿を見ませんし、土日もひっそりと したままです。お寺は人が集ってこその場であって、建物だけできても 人が来なければ、ただの箱でしかありません。そして集う人達に湯が沸 いていますので、こちらで一服どうぞと招きいれる。ごくごく自然なこ とです。そこでは道具が主体ではなく、そこに集った人が主体です。道 具は話が途切れた時の繋ぎみたいな役割です。まずは茶席に入った瞬間 に凛とした雰囲気を感じ取ってもらえるよう座敷を設えること。お寺の 中なんだけど抹香臭い雰囲気でもない、一つ俗塵を離れた空間に身を置 くこと。人が主体と言っても、ただの茶話会になってしまったんでは心 地よい緊張感は味わうことはできません。そこが茶道を茶道たらしめて いる所というべきです。お寺で釜を懸けるということは、茶道を実践す るに当たって最も適した場でなかったのか、改めてそう思います。でも 知名度のある大きなお寺で月釜をやっている場合、必ずしもそうとは言 えないかも知れません。大寄せの茶会みたいになってしまったんでは元 の木阿弥です。ファミリーレストランはいつでも食べることができるの だけども味はそこそこ。いつもは食べれないのだけども味は一級品の小 さなレストラン。さて問題はそのレストランで出す料理の味が分かるか ということです。逆に分かる人だけが来ればいい。ジーパンはいて腹が ふくれればいいという人はファミリーレストランに行けばいい。何がい いたいかと言うと、茶道は集まった人皆で一会を作るのです。特に少人 数の茶席では大事なことです。決して難しいことではありません。小生 が岐阜の会社の茶道クラブで習い始めた時、最初に近くのメンズショッ プに靴下を買いに行きました。水曜日の夕方、油の飛び散った作業着を 脱いでスラックスに白のワイシャツに着替えました。週に一度の楽しみ として仕事から解放されて、気持ちを一新して座敷に座ったものでした。 外の茶会には年に一度ぐらい皆で行った程度で、稽古がまさに茶道その ものでした。侘びだとか寂びだとか、はたまた茶道は禅ですねとか、そ んなことはまるで関係ありませんでした。そこに座って点前をして、お 薄を飲み、濃茶を頂くこと。それがそのまま自分の体験した茶道だった のです。7/18 * 平成22年6月のこと 昨日はまだちょっと熱っぽいかもと思いながら、岐阜へ参りました。じ とっとした蒸し暑さが街を包んでいました。いつもの道が少し長く感じ られました。柳ヶ瀬を抜け右手に山が見えてきたら、そこがかつての花 街(かがいと呼びます)です。高級クラブのマダム風の和服姿の人とす れ違いました。あれ、きくのさんでないかなと思いました。角を曲がる と、そこでもタクシーから降りる和服の女性が。岐阜に通うようになっ ていつも通る道筋なんですが、ついぞこんなように出会ったことがなか った。時間は7時20分ぐらいでしたか。いつもちょっと早かったのか も知れません。所々にバーや料理屋があるだけで、ひっそりした所です。 そこが京都の上七軒の静けさにも似た雰囲気があるというものです。さ て今夜は何があるかというと、着物美人のたたずまい、ということでお 座敷遊び入門のお勉強なんです。浴衣をかっこよく着ようという実技で す。最初は仕込みさんをモデルに花街での浴衣の着付け。お兄さんが腰 紐からきゅっと締めていきます。帯は普通の和服の物できっちりと結ば れました。その後、参加者の女性らも、こちらは普通の浴衣の帯結びを してもらいました。参加者はラジオ体操よろしく出欠表に丸を付けてい ました。この日は女性が5名、男性は6名ぐらいでしたか。若干二名を 除いて、比較的若い方でした。着付けは男性の番となりそれぞれ違った 帯結びをしてました。角帯を結ぶ位置に角度、そして胸元を手前に引い て粋に着る。後ろ姿の袴下の結びのカッコイイこと。きゅっと手が跳ね 上がってね、皆で思わず拍手しました。さて小生は浴衣は大昔に作った ものしかなく、それで単を持参しました。とりあえず自分でささっと着 て、皆の着付けを見ておりました。最後におにいさんに着付けを直して もらいました。だいたい胸元がはだけるんですと言うと、ピンを一本長 襦袢にはさみました。長襦袢は夏ですから白生地です。帯は夏は少し薄 手のものがいいかと思うのですが、使い慣れているいつもの紋織りです。 帯結びは表千家の町人結びとか浪人結びというもの。おにいさんはちょ っと結びを変えていいですかと言って、帯をいったん解きました。でき あがった後ろ姿を皆、立って見ていました。ほーという声と写真をばし ゃばしゃ撮る音か。液晶画面で見せてもらうと、縦に二本帯を並べたと てつもなく粋な結び方。本か雑誌で見たことはありましたが、実際に結 んでみせるなんて言うのは初めてのことでした。これで道行ができます よと言う声が飛び、どなたでも御一人女性の方を連れて行ってやって下 さいと。長年、茶道をやっては来ましたが、こんなように粋に着る着付 けを教えてもらったのは初めてでした。おそるべし、きくじおにいさん。 さて着付け講座は終わり、その後はおにいさんのお手製の料理と日本酒 での宴となりました。11時を回ろうというのに誰も席を立つ者がいな い。全くもって名残惜しいのですが、名古屋に戻っての地下鉄の終電時 刻が迫っている。次回からはもう岐阜に泊まってしまおうか、などと思 いながら満豊さんを後にしたのでした。次回講座は長良川での鵜飼の船 遊びになっています。今回の講座はその舟遊びに浴衣でということでし た。さて、どうしようかな。その日はちょうど昼間は松本幸四郎らによ る歌舞伎、勧進帳を見るのです。それが岐阜市民会館であります。勿論 その切符もお茶屋さんに取ってもらったんですがね。そして夕方からは 船に乗るという段取りになっております。優雅なお話で御座います。歌 舞伎の切符もまだ入手できるとのこと。予算は歌舞伎を観て舟遊びを入 れても1万円とちょい。まだ間に合いますよ。粋に遊ぶのはできそうで できないこと。これもお勉強です、貴方もお一ついかがですか。6/22 風邪が蔓延しております。会社の同じフロアーで3人ぐらいがマスクを しています。がらがら声でしゃべっています。どうも自分も少し熱っぽ くなっております。葛根湯を飲んでおけば何とか持ちこたえれるとは思 いますが。今日は3時半に会社を上がってマンションに帰ってきました。 昨晩のこと風呂を沸かそうとしたら、給湯器のリモコンが壊れていまし た。仕方なく水風呂にそーっと入ったのでした。それで熱が出たのか?。 オケセイに電話して今日、来てもらうことにしたのです。結果もうリモ コンの替えが無く本体から交換しないといけないとのこと。とりあえず 追い炊きに自動給湯もなし、湯が出るだけにしてもらいました。交換と 言っても30万円近いお値段とのこと。本体は問題がないのに、リモコ ン装置がだめで全部取り替えとは、少々納得がいきません。昔昔だった ら電子部品のコンデンサーとか抵抗とか、10円かそこらの物を換えれ ば直ったものの。本当に何でもマイコンとかパソコン制御になってしま って、融通が効かない、困ったものです。作業は10分ほどで済み、お 代はいらないとのこと。もう取り替えはもらったも同然ですからネ、お 返事お待ちしてますと帰って行きました。さてまだ5時前で、スーパー にコーヒーでも買いに行くかと出ました。その前にホームセンターに寄 り電灯を見ました。部屋の蛍光灯が壊れたりして、そのままにしていた りして部屋が暗かったのです。広告の品とかいうのがえらく安くありま した。松下製でとてもシンプルな蛍光灯で、これでいいやと買って帰り ました。早速付けてみたところ明るい明るい、とても明るくなりました。 マンションに入居する時に照明器具も関連業者にやってもらったのでし た。かなり高いお値段でしたが、いろいろ手続きで入居の際は大変だっ たのでお願いしました。その蛍光灯がよく壊れる。中の装置自体が壊れ て、近くの電気屋で修理したら5千円か7千円だったか。居間の蛍光灯 は電球が4つあり、装置も4つあるのです。内3つが壊れました。まあ こんなのは使っておれんと外してしまいました。中学生の時ぐらいに買 った蛍光灯スタンド、布団の枕元にあります。今でも現役でいつも寝る 時に本を読むのに使っています。さてどっちが本当?。家電製品なんか は次から次へと壊れるのが本当、滅多に壊れないのが本当?。何と一番 古いのは掃除機で、小生がもの心が付いた時分からあります。多分50 年以上。鉄でできています。ちょっと物持ちが良過ぎますか?。6/17 木曜日、東京は幕張に出張でした。インタロップというITやネットワ ーク関係の展示会です。4時半ぐらいまで居てもう限界でした。大音量 の中でブースを回り、説明を聞くのはすごく疲れる。へとへとになり外 に出ました。もうこのまま帰るかと弱音も出ましたが、せっかく東京に 来たのだからと力を振り絞ることにしました。それでどこへ行ったかと いうと神楽坂。先ずは幕張から東京に出て、長い長い通路を通りJRに 乗りました。秋葉原で乗り換えして、初めて降り立つ神楽坂。ぱっと見 は東京のどこにでもある繁華街といった感じでした。でも路地を一本入 ると、ビルの合間に日本家屋の料理屋が点在している。とても洗練され た横丁といえばいいのでしょうか。やはりそれなりに風情が残っている ところでした。料亭の格子から二人の芸者さんの姿が見えました。毘沙 門天にお参りをして、そのまま左手を行くと閑静な住宅街でした。表通 りに戻る際、細い路地に懐石一文字とある。板前さんが暖簾の外に立っ ていました。ここは茶懐石も出されるのですかと聞くと、出張も致しま す返してくれました。そうそう駅から通りに入って、やはりここは坂だ なと思った辺りで一つ見つけていました。ビルの地下にある裏千家の教 室、山庵と言う印し。施茶釜といって土曜日の昼に茶席を披いているよ し。何年か前からなんとなく知っていました。でも地下にあるとは知り ませんでした。案内の一枚には茶事のお知らせ、教室のことなどが書か れていました。地下に降りる長い階段がありました。しかしこんなとこ ろで茶事をやって2万1千円とは。本田横丁を前後した辺りの路地が神 楽坂らしい場所。なるほどねーと歩いていると、三味線らいぶの"味扇"。 5千円で軽い食事と飲み物と張りが紙してありました。路地の方にあれ ば尚、雰囲気がよろしいのですがずばり本田横丁のビルにその店はあり ました。三味線バーのようです。要予約とも書いてありました。そう長 居はできないが、一時間ぐらいならと思い扉を開けてみました。そした らいきなりカウンターでお客さんが座っていました。7人ぐらいしか入 れない狭い店でした。店に通ずる細い通路になっているかと思って開け たので、少々びっくりしました。カウンターの中は座敷になっていて和 服の30歳ぐらいの女性が座っていました。ほんの一瞬見ただけですが なかなかお綺麗な方でした。やはり予約が必要とのことで、また今度の 時に寄ってみることに致します。なんぞ腹ごしらえして新幹線に乗らな いことにはと、近くの寿司屋に入りました。一応ネットで調べてはいた んですがね。京都のように芸者さんの団扇が飾ってあるか確認してみた かったのが一つ。芸者衆の踊りの写真はありましたが、団扇はなかった です。お寿司はにぎりの松を頼みました。常連さんが一人、後からもう 一人。いきなりにぎりを注文するのはかなり無粋、あてを摘みながら酒 を飲み大将とよもや話をする。にぎりが可愛らしいので、ペロっと食べ てしまい、やたら喉も渇いていたのでお茶をお代わりしました。何か全 然、腹がふくれた気がせず、秋葉原で乗り換えの際、立ち食いの蕎麦屋 に思わず入りました。もり290円、ざる310円。ざる蕎麦の食券を 買って店の人に出しました。前々から疑問に思っていたこと、もりとざ るってどう違うんですかと尋ねました。多分そうじゃないかなと予想し てた通り、刻み海苔が有るか無いかでした。せこい話なことで、さっき の寿司屋で常連が食べていた胡瓜もきんぴら牛蒡かと見間違うほどだっ たし。やはり昔からお江戸は人が多くて、どうもいろんなことが小じん まりしてしまったのでないか。歌舞伎座が高層ビルになって上階はマン ション?、とてつもなくせこい。単純に小生はそんな風に思ってしまう のですが、いけません?。6/11 ちょくちょくとミクシーの方にも書いています。でもミクシーには、ほ とんど見に来る人はいないです。ともかくマイミクをどんどん増やさな いことにはいけない。基本的に人の日記ですから、ブログや従来型のホ ームページのように気安くは覗けないのです。黙ってみていると気持ち 悪いので止めて下さいとか言われたりもします。ミクシーは前にも思っ たのですが、ほとんど機能してないと思います。どうもブログに流れて 行っているように思います。以下は先週の夜に書いていたものです。本 日、水曜日はまたまた某所へ行かないかんので、ひょっとしてというこ ともあるのでカードの練習をしました。昨日の晩から少しずつ思いだし、 やっとこさ全部のルーチンができるようになりました。2,3ヶ月ほか っておくとだいたい忘れてしまう。マジックバー手品師の店長さんにま だバーをオープンする前に教えてもらった手順をベースに自分なりのア レンジを加えております。一応、名前を付けてみようかな。シャイなジ ョーカー、ということにします。多分、フルに演じると20分かそこら になるかも。23日の日曜のマジックバーでの集まりでのことも書いて おきます。昼からマジックバーに行ってました。昼間の錦三にごそごそ と集まる怪しい一団という感じです。マニアの集まりなんですが、マジ ックをやったことがまるでない人も来ていました。店長さんが彼らに何 か見せてあげてと言うので、簡単なのを見せるつもりで始めたら40分 ぐらい経っていました。実は覚えたマジックの手順なんかは忘れていて、 今日は他の人のを見るだけと思っていたのです。とりあえず固くできる ロープで先ずは遊んでもらいました。何となく思いだしてきたので、シ ャイなジョーカーの最初のところをやり、乗ってきたのでカードを覚え てもらうだけで当ててしまうのも最後にやりました。とても喜んで下さ って、こちらもうれしいことでした。単にマジックを見せるだけでなく、 いろいろ話もいれて。月釜や茶会を長くやってきた接客の賜物?かも知 れません。マジックの合間に話していたこと。お茶屋さんで若い娘さん 相手にこのロープマジックをしたこと。なかなか垣間見ることが難しい 世界の話だけに、人によってはマジックよりお茶屋さんで遊ぶレクチャ ーの方が興味あるかも知れません。マジックバーでの客の作法、並びに お茶屋さんでの客の作法。どちらも紳士であることが要求されます。6/2 * 平成22年5月のこと ついぞよそさんの茶会には行ってませんでした。でも改めて見てみよう と日曜日にもお隣の市の文化協会の茶会に行ってみました。田舎の会館 挙げての催しですね。踊りあり詩吟あり生花あり。お茶は立派なお茶室 の大広間にて300円。ちょうど点前が終わったところに入ったので点 て出しで頂きました。ちゃんと道具書きもあって、例えば掛け軸は大徳 寺もの。でも座って出るまで5分でした。最低滞留時間30分の小生の 茶会とは、とてもスピーディでした。まあこっちもそんなに時間がなか ったのでちょうど良かったのですが。名古屋にすぐに引き返し、地下鉄 で名古屋駅へ。高島屋でやっている大京都展がお目当てです。何と昨日 は上七軒から舞妓さん芸妓さんに地方さんが来られて舞を披露してくれ るのです。京都五街から代わる代わる来るのです。昔どこかのデパート で踊っているのを見たような気もするのですが忘れた。今回、初めてそ の気になって見させてもらいました。3時半の部は30分ちょい前から 並んでみました。十人もその時、並んでいなかったです。お陰様で一番 前で観ることができました。地方さんのまん前でした。二曲舞ってその 後、紋付の年配格の男性がお話をしました。終わって会場をうろっとし て老松の和菓子を買おうと。その前にやきもちが目に付き、思わず買っ てしまいました。こないだ上七軒で買ったやきもちを思い出してしまっ たので。老松の方は和菓子4ついろいろで1,575 円だったか。見本を見 るとやはり食べたらしいぐらいに大きい。名古屋の和菓子は小さいと思 います。何でぇー、品が良いぐらいに思っているのかしゃん。京都の老 舗の和菓子はだいたい400円前後します。でもボリュームは1.5 倍は あるように思います。そう考えると400円しても、そんなに高いもの ではない。今度お茶を再開する時には、こうした菓子を使いますのでよ ろしく。そんでもってうろっとしていたら、次の舞披露の時間になって きました。今度は後ろの方から眺めてみることにしました。カメラは禁 止でちょっとでもカメラを向けようとしたら、3人の整理係りの女の人 がさりげなく制止してました。カメラ爺は一人もいなくて皆さん、静か に観てましたよ。舞が終わって紋付の男性が同じく出てきて、皆さんか ら質問を受け付けますと。表情一つ変えずに舞っているのを観ただけで は片手落ち。やはり花街言葉の一つも耳にしないことには。よろしおし たなー、って。一番良かったのは最後に地方さんがちょっとした愛想を 言ったこと。私も昔はこうして踊ってましたし、舞妓さんらもお稽古し て三味線も弾けます、何なら交代して私が踊りまひょかと。その地方さ んのお顔、どこぞで見たような気がして。不思議と親しみが湧きました。 その内、上七軒にいきまっせぇー、よろしゅうおたの申します。家に戻 ったのが6時前、まだこれからお寺へ行って昨日植えた茄子の苗なんか に水遣りをせないかん。ちょっと行く前に一息入れようと、買ってきた やきもちの包みを開けました。ビニールで密封された上シリカゲルが入 って、更に1個ずつもビニールで包んである。5個入りで600円。何 と飯時前だと言うのに母とぱくり、全部食べてしまいました。これがや きもち?、焼きどころでない、薄いのなんのって。へたに焼いたら皮が 破けて餡がでてきてしまうぞ。上賀茂神社前のやきもちです。やっぱり なー、観光地化された所のは土産化してしまっている。それに引き換え 上七軒の北野天満宮前のやきもち屋さんはどうだ。実際に焼いて食べま した。厚みもあり焼くとまたまた香ばしくて。店構えたるや四国でお遍 路している時にぽっとある駄菓子屋みたいな感じ。置いてあるのは本当 にやきもちだけ。飾らない、気取らない。京都は京都でも違うんですね。 さて今度、京都へ行ったら今宮神社のあぶり餅を食べてみたいです。何 年か前に西陣のお嬢さんとデートさせてもろうた時に、今宮神社が氏神 さんと言うてました。ですから今宮神社も西陣から上七軒なぞ西のエリ アなんでしょう。京都を見直すきっかけになったのは"恋する京都"とい うNHKのドラマできれいな京都弁を聞いたこと。そして実際にこのお 嬢さんの京都弁を聞いたことでした。裏表の無い真心のこもった物言い でした。特におおきにというニュアンスが、傍で聞いていても心なごむ ものがありました。本当だんだんねー。5/17 ホームページを少しいじりました。27歳の春に始めた月釜、51歳の 春に一応区切りと致しました。毎月のお話を平成22年4月の花祭りま でで分けて、それ以降を毎月の話としました。それにお茶屋さんの話を また別にすることにもしました。これまではお寺でのお茶をやってきま した。老若男女どなたさんでも来るもの拒まず。お薄一服にておもてな しをすることでした。これからは華のあるお茶をやって行きたいと思っ ています。遊びのあるお茶です。これには、どなたさんでもどうぞとい う訳には参りません。遊び心を知った、知ろうとする気持ちがある人が 対象です。どなたさんにもというのは、先ずは茶道を知って頂こう、そ の糸口となろうという気持ちからでした。ですから最初は300円、次 に5百円、千円と本当に実費だけ頂いてきました。でも、そろそろそれ は卒業です。どなたか若い方が次のバトンを受け取って、こうしたお茶 をやってもらいたい。お寺では住職の意向により、料理は精進のみしか だめでした。それに年中風炉でした。一時は炉を切ってよろしいという ことで炉壇を作ったのですが、そのままになってしまいました。精進料 理では遊びにはなりません。生物でも何でも頂く、仏法をも超えたとこ ろに遊びの世界はあります。炉はやはりお茶室には欠かせない、はんな り柔らかな雰囲気を醸し出します。しかしこの先どうするか。小生、大 きな屋敷に住んでいる訳でなし。旦那衆になるような甲斐性がある訳で なし。そして何か妙案がある訳ではなし。まあしばらく休憩です。待て ば海路の日和あり。皆さんのお知恵、ご意見、拝聴させて下さい。5/14 明日は少し寒いようです。その方が小生としては有り難い。あしたは表 千家の資格者講習会というのに行くのです。決まりとして着物を着用の こと。そんでもって男子は袴も着けるのが暗黙のルールでして。おいお い羽織袴で地下鉄に乗って行くのかよと最初、思わず唸ってしまいまし た。漫才じゃないけど、そんな奴おらんぞー。スタッフの男連中は会場 で着て、講習が終わるやすぐに背広姿に。反則だバイ!。そんなことで 車で行くようにしています。どなたかご婦人共で行くのなら、袴姿で行 くぞ。そうそうお昼は中庭で手製のサンドイッチを頬張っていると思い ます。どんな奴か首実検されたい方はお声を掛けてやって下さい。千人 近く集まるのでしょうか。そんな中でも必ずと言っていい程、会う方が 何人かいる。以前、呈茶の列に並んでいるとお歳を召した方が前に居ま した。お連れさんもなく遠方から一人で来たという感じでした。お茶の 先生には付き合いが一杯ある人はごく僅か。ほとんどの先生は弟子もな くあまりお付き合いも無いのだと思います。愛知県下に千もの表千家の 教室はないですからね。そもそも男はまるで少ないので、一人でお抹茶 を頂いてもどうってことないです。でも列の前後でそんなお一人の先生 が居たら声を掛けてみよう。お茶ご一緒させてもらって構いませんかと。 呈茶会場はかなり広くて、スタッフが魚を捌くのよろしくハイ三列に並 んで、ハイ向こうへ。そんなことですからテーブルは別々になってしま う可能性は大です。気持ちだけでいいじゃないですか。いつも思うので すが、土日でもないのに舞台の設営や呈茶、大変なことです。ご苦労様 です。なかなか人の世話をするというのは易いものではありません。5/11 まあ、ちょっとした旅行に行って来た気分で御座います。わずか名古屋 から30分のところですが、いつもそんな気分にさせてもらっています。 高島屋の近くの食堂で井ノ口丼を腹ごしらえに頂きました。井ノ口とい うのは古い岐阜の地名です。舞茸の天ぷらから野菜からたっぷり入った どんぶりでした。それから麓まで行き、馬の背から登ってみました。昔 むかーし一度登ったことはあるのです。でもこんな険しい道ではなかっ た。それにしては子供連の家族が結構上がっていく。ひーひー言ってち ょうど40分で着きました。帰りは瞑想の道なるルートで降りて1時間 でした。この道も険しく瞑想なんて余裕はありません。本題はこれから、 てくてく歩いてお茶屋さんに参りました。5時半ぐらいに着いて、先ず は善哉を頂きました。座敷で、斜め前には着物を着た若い娘さんがちん まりお座りになっている。お茶屋さんの見習いで、ゆくゆくは舞妓さん であるとか芸妓さんになって行く娘さんです。お兄さんとお母さんは別 な部屋で邦楽の稽古を付けているよし。善哉だけでご無礼するのも無粋 な話で。ではエビスをと、よく冷えたグラスが出てきました。番茶も出 花の娘さんに注いでもらって、いいんかしゃん。悪い意味ではないです よ、年齢をおぼろげにした表現です。ひょっとかしてと思いカードとロ ープをリュックに入れていました。初めてでいきなりマジックは何だな と思ったのですが、お話だけでは間が持たない?ので、おもむろにカー ドを取り出しました。小生、定番のさわりの辺りをやってみました。若 いですね、純粋に驚いてくれる。ロープマジックでも遊び、最後に4枚 カードを選んでと指差してもらいました。運は偶然ではなく自分で引き 寄せるもの、そう思って指差してと。一枚ずつ開けると4枚ともエース。 慣れない土地にきて大変だと思います。でも一生懸命がんばって下さい。 見習いの内はお花は付かないのだそうです。でもほんの気持ちを置いて きました。その内、お茶の人やマジック仲間を連れてきます。イケメン マジシャンもたくさんいるからと言っておきました。これまで名前は出 していませんでしたが満豊さんといいます。岐阜に一軒だけ残ったお茶 屋さんです。ここには京都の観光化されていない上七軒の空気がありま す。いつも駅から歩いて行ってます。お兄さんが日々のことをブログに 書いています。連休中は日中にお善哉や屑切りなど頂けます。よかった ら寄ってあげて下さい。知らない世界の一歩が開けますよ。5/1 * 平成22年4月のこと 仕事で一年以上気になっているのがありました。昨日の夕方にマニュア ルを50ページぐらいプリントして、寝床でふんふんと読んで今日、一 気にマシンにインストールしました。設定はこれからですが目途は立ち ました。気分よく連休を迎えることができます。非常に悪質なコンピュ ータウィルス、マルウェアとかボットという類のものを寄せ付けないソ フトを動かそうとしているのです。ブラウザで見ているだけで貴方のパ ソコンからは、どんどん写真やファイルが外に出て行っているかも知れ ない。つまり盗まれているかも知れないのです。それをそうはさせない という技術、Webレピュテーションといいます。小生はかなり注目し ていて、有効性をこれから検証して行こうと思っています。茶道とはま るで関係ないことをつらつらと、堀内宗心先生ばりになってしまいまし た。この事、分かる人には分かる。落語の枕みたいなことにもなってし まいましたが、分かる人には分かる、そういう事もあってもいい。しか しあまり分からないでいると、どんどん分かる人が少なくなってしまう。 茶道なんかも外から見ると、よく分からん部類なのでしょう。何を理解 すれば茶道は分かったことになるのか。一つヒントをあげます。よく何 とかシステムって言うけど、このシステムってどういうもの。日本語訳 では系といいます。多分、系よりも茶道の方が理解はし易いかも。具体 的に体験できますからね。小生もまだ理解し切れていないのがお茶屋と いう存在。飲食店と似たようなものだが違う。基本的にメニューはない し営業時間もあるようでない。自分が感じているのはお茶屋は家である。 この連休の間、岐阜のお茶屋さんでは気軽に善哉などを昼間、出すよう です。これで実際にお茶屋さんに上がってみることができる。小生が感 じたことを、貴方も感じ取ってみませんか。特にこの前の花祭りの茶会 で一人座られた方。先生に言われて来ましたと、一人で勇気のいること でした。もう一つ勇気を出してお茶屋さんにも行ってみましょう。4/28 今日はいつもなら月釜の日で、少ない人数ながら稽古を付けたり、お参 りに来た人に声を掛けて、一服召し上がって頂いたり。一抹の寂しさが あるのかも知れないが、寧ろさばさばしていると言った方が正解かも知 れない。しかしこれで止めた訳ではない、今後の展開を考えている。ど ういうお茶をこれからやって行こうかなと。時として立ち止まることも 必要である。長く続けるだけが能じゃない。こういうのは数年単位では ないですよ、念のために。10年20年が単位になります。ともかくし ばらくはバーチャル茶道ということで、ここに思いを綴ることにしよう。 これまで時としてお茶事のことも書いている。しかし何を隠そう、一度 も呼ばれたことはない。自分では何度かお膳を出したり、中立ちをして もらい鐘を叩いたことはある。しかしそれは懐石と呼べるようなもので ないし、茶事とは思っていない。自分の先生も茶事はやったことなかっ たし、茶事とは無縁な先生は多いのでないかと思う。一般的に菓子だけ の茶会で、それなりのおもてなしをすること。それが重要だと思いやっ てきたし、それで良かったと思っている。中には茶事こそ茶道の本質で あって、それを知らずして茶道を語る勿れ的な雰囲気もある。それはそ うなんだけれども、無理をして茶事をやる必要はない。仲間内での稽古 茶事、あるいは何回茶事をやったかとか。50歳も過ぎて自然と、そう いう機会が巡って来れば身を任すもよし。これまで何回も書いているが 若い内は仕事をすること、家族を養って行くこと。銭も無いのにはまっ て、家元書き付けの茶碗なぞ買ったりしないこと。分相応での楽しみに 留めておくことが肝要である。ここしばらく、お茶屋さんのことを取り 上げてはいるが、これもまた同様である。4/26 十年来、書き綴っているよい子のお部屋なるホームページ。その意図は 難解なものを解きほぐして説明すること。イントラネット構築、オブジ ェクト指向言語のC++、茶道。膨大なイントラネットの記述に終わり が見えて来た時、寺の茶道指南の役目に区切りを迎えた時、新たに難解 なものが目の前に現れました。多分、この日本で最も見えにくく分かり にくい存在だと思います。茶道を一つの軸として一方には禅があります。 そしてその対極に位置するのが遊びの世界であるお茶屋です。禅寺で釜 を懸け24年、もうそろそろ禅はいいぞ。禅は宗教ではありません。も のの見方、考え方のことです。人間、お性根というものがあります。な かなか自分自身で根性を入れるというのは容易ではない。喝を入れても らうことにより目を見開く。そんなことでよろしいのではないでしょう か。お寺は全国どこにでもある、座禅も体験できる場所は幾らでもある。 翻ってお茶屋さんは京都こそたくさんあるが、それ以外にはほとんど無 い。茶道はお茶事という宴席でおもてなしをすること。抹茶こそ出ない が茶道が基本にあるお茶屋のもてなし。太閤秀吉が北野で大茶の湯を開 いた。その時のえにしで上七軒という花街ができた。そもそもの云われ が茶道と深く関係する。実際にお茶屋に上がってみて、その居心地のよ さと心地よい緊張感はスナックやクラブの比ではない。伝統に裏打ちさ れたもてなしのスタイルとその心持ちが成せる技である。茶道自体は戦 後うまく立ち回ったというか今日の隆盛を誇っている。しかしお茶屋は 哀しいかな戦後の赤線とごちゃごちゃになり、衰退の一途を辿った。そ れ以前に大阪など都市部のお茶屋は焼夷弾で大方が焼けてしまった。今 日、歌舞伎見物などはご婦人方の専売特許となっている。お茶屋さんも そうした層を早くから取り込めば、ここまで衰退することはなかったか も知れない。戦後、茶道界は女性を中心に発展してきた。これと合わせ てお茶屋も発展できた可能性がある。今日、京都には祇園という狭いエ リアに多くのお茶屋が軒を連ねる。毎日、観光客でごった返す場所で昔 ながらの旦那が出入りしているのか。教養と品格と遊び心を備えた紳士 がお座敷に上がっているのか。二箇所のをどりを観て、呈茶の様子を見 て違うような気がした。あまりにも冷やかしの雀が多過ぎて、人慣れが してしまっているのでないか。もてなしに茶道うんぬんは、ここでは形 骸化しているのでないか。多分、観光客もカメラ爺も少ない上七軒だけ が、その精神を残しているような気がする。或いは京都から離れた場所 で静かに伝統を守っている花街。その一つには岐阜に唯一軒残るお茶屋 も入ると思う。日本で数少なくなった、伝統の灯火を消してはならない。 勿論知らなければ知らないで済んでしまう。しかしそれを知った者の一 人として黙っていることはできない。若い日、表千家で家元の佇まいに 触れ言葉にしにくい感覚を体験した。それを知った者として、これまで お寺の方丈にて少しでも伝えようと努めたつもりである。さてお茶屋に 対しては何ができるか。少なくとも長年のこの、よい子の茶道の読者に はアピールできるのでないかと思う。茶道の遊びの世界にあるお茶屋に 足を踏み入れてみませんか。プロのもてなしはきっと、貴方のお茶事な り茶会に参考になると思います。茶道の稽古は何十年もやっていること でしょう。でも肝心の接客については貴方は素人のままなのです。4/23 水上勉の小説に出てくる京都の芸妓のモデルになった人がいる。今でも 80歳を数えるがかくしゃくとして現役の芸妓さんである。京都でも西 の方の花街に居て、今年のをどりにも出られた。やはり姐さんが舞台に 立つと引き締まる。店の人と常連そして当のご本人を前に、そんな話の 輪の中に自分も居た。金曜日の晩、祇園の踊りと舞を堪能させてもらっ た後、小さな小料理屋に座っていたのだ。一見さんでも気持ちよく迎え 入れてくれ、おいしいおばんざいを幾つも頂いた。どれも口に合いそこ そこの量があるので食べたらしかった。普通は常連さんが出入りする店 のこと、ウーロン茶でそこそこで出ようと思っていた。店のお兄さんが 気さくな若いしでよく一人で来られた、勇気ある、どうやって知りまし たとか聞いてくる。二回目聞かれた時にあまり詳しくは言えないですが 岐阜のお茶屋さんで、と言いかけたら、もうそれで分かってしまいまし た。カウンターには自分が店に入って、30分ぐらいしてやってきた常 連さんがもう一人居ました。何となくそこら辺りから、その人とも打ち 解けビール注がせて下さいと、そんな雰囲気になりました。お兄さんは 先のお姐さんに電話して、どこ行ってはるのだろう。昨日は来てはった んですが。少しは勉強して、そのお姐さんがどんな人かは知ってました。 伝説の芸妓さんと言ってよい、まさかそんな人がここに。おいしい料理 に先日のをどりの会の話などで十分堪能して居ました。外はしずしずと した雨、そこにガラガラと戸が開きました。こんなお方を目の前にして 今夜はお酒は頂けませんなどとは言えない。一献頂きました。僕も銚子 を一本取り、勧めました。奥の座敷にも馴染み客がいたのか、挨拶され に行き、障子越しに唄が聞こえて来ました。何て気さくな、そして飾ら ない。利休以来の茶道のさりげないもてなしが、この街には伝統として 息づいている。八時過ぎ店を出ました。お兄さんが通りまで和傘で送っ てくれました。通りには花街の赤い提灯が見えるだけで、人っ子一人い なく静まり返っていたのでした。4/18 よく花が持ちました。この土日にもお寺で茶会をやってもいいぐらいで した。まあお寺では何となく何かとやりにくいことになってしまったの で。でもお茶は所詮、抹茶と茶碗があれば茶は点つというもの。そうい う訳で今日は桜の木の下で野点を披露しました。鞄からごそごそ道具を 取り出すと衆人環視の身となって行くのが分かります。昨年はお盆点て だったのですが、今回は小さな畳の置物みたいなのを使いました。その 上の棗に茶杓に茶筅を置き、袱紗捌きをして始めてみました。携帯用の ポットに湯、ペットボトルに水、そしてこぼしも。水はお寺の井戸水で す。すぐ右手後ろの他の花見客の女性達が小生を見ている。視線を熱く 感じていましたが、素知らぬ顔をして我々の面々に二服点てました。そ こでさりげなく菓子をそちらの女性に勧めました。一瞬向こうも戸惑っ ていたようですが、素直にお菓子を取ってくれました。少し大服で点て よかったら次の方とどうぞと言いました。そしたら何と十名余りの女性 が全員飲み回したのです。きっと彼女達には一つの思い出になり、結束 を深めたことでしょう。茶碗が返って来て御礼を言いました。この後も れなくマジックが見れますよとも。そう、そうなんです。この花見はマ ジック仲間の恒例の宴だったんです。だんだん増えて来て総勢20名は 軽く居たような。名古屋の若手のプロマジシャンはほとんど、東京から も女性マジシャンのまゆこさんが。伝説の三浦氏に捕まり茶道談義にも 花が咲き。しんぺいさんのレクチャに学生諸君が釘付け。最後は桜吹雪 に混じってカードが飛び交ったのでした。一応自分もカードは持って行 ったものの、やろうとしたら見事に手順を忘れていました。4/11 花冷えというにはちと違うような気がする寒い日もあったりで、この分 では花は今度の土日まで十分、持つようです。日曜の三時過ぎぐらいか らは、座敷の毛氈に桜の花びらがちらちらと舞って来るのが見えると思 います。そして風が出てくると部屋の中まで花が入ってきます。でもそ うした風情を感じることができるのは、きちんと座敷を茶席の設えにし てのこと。緊張感のない座敷に幾ら花が舞って来ても、ただそれだけの ことです。まると1年間使えなかった部屋です。奥の部屋は荷物を入れ たままで、茶席を設けること自体が危ぶまれました。何とか住職と話が 付き、庭に面した隣の部屋を水屋とすることができました。土曜日には 道具を運び入れ、念入りに掃除もしておこうかと思います。家元の見学 で見た普段のそれぞれの部屋、がらんとして何もない。日本間というの は本来何もない部屋で、人が精神を注ぎ込むことによって息を吹き返す。 先ずは掃除、そして軸を掛け花を入れる。そこに着物姿で襖を開け、よ うこそと挨拶する。客も正座をして静かに亭主が出るのを待つ。一座建 立、皆で座敷に命を吹き込むのだ。自分で炉壇を作ってみて、茶室の建 築のいかに細かな気の配りでもって成り立っているか分かった。何気な い見落としてしまう所に大工さんの細心の注意が払われている。だから 畳がひいてあって床の間らしきものがあれば、茶室になるというもので はない。まあそれで稽古はできるだろう。でも茶席の凛とした雰囲気は 望むべくもない。さて今回の茶席では、その雰囲気を作ることができる かどうか。さあー、ふと良寛の一二三、三二一の文字が浮かんだ。4/1