* 平成14年12月のお稽古 12月22日 今朝、会社に行く前に農協の直売所に寄っていました。こないだ見つけ たんですがね。会社へ行く沿線から少し入ったところ、会社へはもう後 5分という場所にあるんです。もう来年3日の用意なんです。地元で作 っている杵つきのきび餅を買いに寄ったのです。御雑煮に普通の白餅で なく、きび餅はどうかな。まだ、実際使うかどうかは分からないんです が。先日食べてみたのですが、それはちゃんとしたお餅でした。ついで なので蜜柑も一袋買いました、知多産のでした。家に帰ったら、母が愛 媛と三ヶ日産の蜜柑を買って来ていました。やや茶カブキならぬ蜜柑カ ブキです。食べ比べてみました。愛媛産と三ヶ日産では、贔屓する分け でもないのですが、愛媛産の方がおいしいような。三ヶ日産は甘いのだ けれどもちょっと癖があるような気がしました。それで、直売所で買っ た蜜柑の皮を剥いたところ、パリパリと剥ける。口に入れたら自然な甘 さが広がって、思わずおいしいねーと。どうも新鮮さがそもそも違うよ うです。しかし色を見ると一番くすんでいたのですが。こりゃ、正月に 何でもいいから炬燵の上に蜜柑を盛っておけばいい、そういうもんじゃ ないんですね。本当においしいものは、それだけで満足できる力を持っ ている。蜜柑一個だろうと、アジの開き一枚だろうと。今日で小生は仕 事は終わり。でも、もう一度通勤道路を走らないと。買い出しに農協さ んと魚屋さんに行かないけないからね。12/27 * 平成14年11月のお稽古 11月24日、秋祭り 秋祭り、盛況の内に無事終えることができました。和服姿の美人揃いで お席にも華やかさを添えることができました。庭には一面、紅葉した落 ち葉の海。まさにこの秋最後の一日でした。さて、精出して作っていた 結界はどう使ったのか。前日、風炉の灰を直すので、お寺の玄関のたた きで灰を振るっていました。ここには、前からいろいろな物が無造作に 置いてあり、大きなガラスの花瓶が目についたのです。これ何かに使え ないかなと、その時思ったのです。当日、日陰に残っていたすすきを見 つけて取り、他使えそうなものはないかお山を一回りしました。境内に 上がってくる細い道があって、そこはあまり人は通りません。真っ赤に なったモミジが、そこだけにありました。多分他のモミジとは種類が違 うのでしょう。他のは日の光で赤く見えても、実際はくすんだ赤なので す。それから花畑の方へ行って、咲いていたのは三種類の菊だけでした。 後、つわぶきと南天の紅白を見つけました。それでガラスの花瓶には先 のモミジとすすきを大胆に入れてみました。それを玄関のところに置き、 結界を前に持ってきました。もう一つの花結界は、南天を左右に、間三 本に菊をあしらい、茶席の入り口、屏風の前に置いてみました。床には 青銅の花入れにつわぶきを。そうそう、すすきなど取ってきたのが残っ ていたので、お弟子さんにどーんと大きく入れてみなさいと言ったので すが、さてどこへ置いたのやら。また、せっかく花を持って来て下さっ た方がいたのに、ばたばたしてもらい損ねました。申し訳ありませんで した。11/26 名残の柿を買いに岐阜へ行って来ました。富有柿は岐阜は糸貫が産地で す。今年はどうしようかなと思っていたのですが、取り敢えず岐阜の友 達の所まで車を走らせようと家を出ました。友達は、糸貫の辺りは勝手 知ったとこ、気晴らしによく来るとのこと。高専を横目にとり、北上す ること五分。何やドライブインみたいなとこが見えて来ました。石垣の 城門があり、織部展示館とやらが。それに産地直送の店に露天などあり ました。先ずはその展示館に入ろうぜ。古田織部がこの本巣の出生地と かで、町興しの一つとして作ったそうな。会館入ってすぐに、早速お茶 碗の写しがありました。木守り、大黒、東陽坊など利休七種?だったか。 可児の大萱で出土した陶器の破片なども展示していました。そう言えば、 今年始めに大萱の荒川豊蔵記念館に行ったっけ。茶室もありました。徳 川美術館の展示室の茶室みたいに設えてありました。そのすぐ横にテレ ビがあって、ボタンを押したら織部流のお点前が始まりました。武家流 のお薄の点前と草庵風の濃茶点前です。なかなか見ることができないも のです。友人には茶会に来たつもりで、ちょっと辛抱しろと一緒に見さ せました。お店の方では、柿羊羹のお特用(竹に入ってない分だけ安い)、 地元産のレンゲの蜂蜜を買い、腹もすいたから新蕎麦とやら食うか。結 構遊べるところでした。そこから更に北上し、小さなお店を覗き、菊花 石にトルマリン鉱石千円、切り出した竹の花入れ600円。面白いなー と見ておりました。帰り、路端で無人の柿一抱え200円を、竹筒に入 れて来ました。12/10 水仙の開花が遅れています。11月に入ってからは寒くて、紅葉が1週 間程早かったです。それからは、だいたいぬくとい日が多かったせいか お寺の畑の水仙も、先日見た時は全然でした。しかし暦は待ってくれま せん。厳然として師走、今度の日曜は最後の月釜になります。1年振り 返ってみると、短かったような気もしますが、色々な方がやって来られ た。大阪から車飛ばして来たビジネスマン風の青年。母の短歌の先生達。 いつも買う饅頭屋の御主人。表千家の愛知同門会の幹部先生。生意気盛 りの小坊主。秋祭りに来て下さった表千家の御婦人。こうして思い返し てみると、忘れかけている人もいたり。そう考えると結構永い1年だっ たかも知れないと思えてきます。さて、来年はどんな人が来て下さるか な、出会いがあるかな。一番うれしいのは、何年も経ってお久し振りで すとやって来てくれる人。そんなおじいさんが居ました。元気でいてま すかー。また、そんな方もいらっしゃるので、月末の日曜にやるという のは変えることができないし、淡々と続けて行くことにもなっているの です。初めて釜を懸けた日のこと、覚えています。準備もまだ整なわな い内に、新聞にも出たりして、20人ぐらい集まったのです。五徳を反 対に据えてみたり、とんでもないスタートでした。あれからどれだけの 時間が経ったのか。ともかく何はともあれ、ここまで続けて来られたこ と、先ずは徳林寺の和尚様のご厚意に感謝したいと思います。12/20 * 平成14年10月のお稽古 10月27日 先日は新しい方が一人、茶道は初めてという方が来られました。ちょう ど花を取りに行くところだったので、一緒にお山を一回りしました。こ の時期、無いですねー。お寺の下の病院が移転して、建て物を取り壊し た所も行ってみることにしました。柿の木があって、小さな柿が何個か 残っていました。これは木守りだねと言って、実が一つ付いている枝と 葉っぱだけの枝を折りました。他ススキや野菊も取りましたが、柿の枝 を二つ、竹の花入れに入れました。この花入れは、今度の秋祭りで尺八 を演奏する男が作ったもの。少し傾いていて、流すように柿の枝を渡し てみました。そうそうお水のことを。せっかく三種も各地の水が集まっ たのだからと、先に利き水を皆でやりました。池田と天龍寺の水は少し 硬いような感じが、西条の水はまろやかな感じがしました。こうやって 飲み比べてみると分かるものですね。お釜には結局、水はブレンドせず に池田の水だけを使いました。池田で取ってきた分で足らなくなったら 他のを足そうと思っていたのですが、3リットルで足りました。西条の 水は家でドリップ・コーヒーに化けてしまいました。お点前は中置きで、 順々にやってもらったのですが、最後にと思っていた方が帰られたので、 締めは小生がやりました。何日か寝付きが悪く、風邪も引きかけ、おま けに会社でバトルをやった後だったせいか、途中からアレ?となってし まいました。今、徳川美術館では名碗を揃って展示しているそうな。気 分一新、どなたか一緒に行ってくれる御婦人が居たのだったかな。10/30 一気に冷えてきました。24日の秋祭りを待つことなく、お山は色付い てきました。久し振りに草むしりにお寺に参りました。もう3時も過ぎ ると寒く、岐阜の方は雪のような空をしていました。秋祭りは去年から 始めた寺の行事ですが、前回も11月は同じ日でした。土曜日で、結構 賑わったことを覚えています。翌日は毎月の月釜で、今度は静かに皆で お茶室から真っ赤に紅葉したお庭を眺めたものでした。そう、思い出し ました。秋祭りの茶会には子供さんがたくさん来て、ワイワイ言ってい たのでした。日も暮れて一段落し、最後に小生がお点前しました。灯か りを消し、蝋燭を座敷に数本立てました。嘘のような静寂が流れ、一同 皆で一服ずつ頂きました。和蝋燭はゆらゆらと炎が揺れて、まるで人の 心を現しているかのようでした。出会いはそういう時に、終わりもあり 始まりもある。そういうもののようです。母の短歌のお友達は、この1 年、今度の会を楽しみにしているようです。お山を散策してから、席に 入りたいとか。どうぞ、またいらして下さい。短歌の一つもできようと いうものです。今日は当日の饅頭の試作品を母が作ってくれました。昨 日会社の帰り、近くの農協で買った小豆を餡にしてです。地元のお百姓 さんが作った今年穫れ穫れの小豆で、火の通りが早かったと言ってまし た。できたのは、小振りなおはぎとうぐいす餅みたいに大豆の粉をまぶ したものです。おいしいです。手作りに勝るものはなし。茶道に限らず、 まさにもてなしの原点です。11/9 竹細工をするには、この11月頃切り出すのがいいとか。乾燥していて 虫が入らないからだそうです。今度の秋祭りで一つ何か目新しいものを と思い、山中歩き回って竹を切っていました。花結界なんかを作ってみ たい。それには青竹がいいだろうと、今年か去年ぐらいに出たのを一本 切ってみました。やや、乾燥なんか全然しとらんぞ。あれは3年物とか いうんだったかな。とりあえず、普通の結界の形に仮組みしてみました。 お寺の上がり口にある細身の黄竹も使えないか。そんなんで、また取り に行きました。結界をベースに、黄竹を五本段々を付けて並べたらどう か。それを少し細めの棕櫚縄で結わえたら、格好になりそうです。組み 立ては家でやるとして、そんな分けで炬燵の横に、竹を組んだのが二つ あるのです。棕櫚縄でしっかりと竹を締め付けるのは至難の業というも のです。水に浸したしたらいいかなと思いやってみたら、手が真っ黒に なるわ。それでも締まりませんねー。よおーく、竹の垣根の細工なぞ見 ると、裏に木の棒を通して、釘で止めている場合が多いようです。縄は どうなんですかねー、飾りみたいなもの?。おおー、それで花は何を入 れるバイ。まるでないぞな。ススキでさえ、もうこの時期ほぼ終わって いるし。まあ、何とかなるでしょう。それにしても今日、暖かかったー。 蛙がのそのそ歩いていました。蝶々も飛んでいました。まだ、春じゃな いぞなー。気を付けてお帰り。11/17 * 平成14年9月のお稽古 9月29日 衣更えとはよくしたもので、先日まであんなに暑かったのが、一枚はお らないと寒いこの頃です。先週辺り、久し振りに街で一杯飲んでいたり 瀬戸物祭りなぞうろうろしていたせいか、少し熱が出ていました。やっ と収まってきました。毎月一回の稽古では、少々熱があろうが、仕事が 詰まっていようがやらないけません。いや、仕事が忙しいは嘘、暇です。 先日は新しい人が二名が来られました。どちらの方も茶道は初めてとの ことでした。先ずは座って頂いて、一服召し上がってもらうということ です。さて、茶道の根本にあるものはと考えた時、とりも直さず飲食な 分けです。物を食べる、飲む。この普遍的とも思われることが、案外ま まらなかったりするのです。以前、お寺にタイのお坊さん達がやってき て、茶席に通って頂いたことがありました。お坊さん達は昼を食べてか ら後は、食べ物を口にしてはいけないということで、抹茶だけ召し上が られました。改めて周りを見回してみると、肉魚けは駄目な人、一日1 食しか食べない人。朝ごはんは食べない健康法とやらを実践している人。 社員食堂でグリーンピースをよけている輩など、まだ可愛く見えたりし ます。しかし、お茶をやってみようと門を叩くのなら、できれば何でも 食べる。あるいは最低限、お茶の時だけでも人に合わせる。そうした気 持ちが必要だと思うのです。しかし茶道ではなかなか難しい問題です。 茶道は禅をバックボーンに持つが禅ではないという限界でもあります。10/1 昨日、会社を出たら田んぼの向こうの神社の辺りからお囃子が聞こえて きました。車を止めて、境内へ歩いて行くと神社の舞台で子供らがお囃 子の稽古をしていました。大太鼓と小さい太鼓に笛。お年を召した方が 真ん中に座り、身振りで太鼓の打ち方を教えていました。砂地には結界 が張られ、これから土盛りか何かするようです。さすがに、会社のある 場所は田舎です。田舎は田舎の楽しみがあるものです。小生の田舎には、 それはすごい山車、お祭りがあります。日本の三大喧嘩祭りの一つと呼 ばれることもあります。最近ではワールドカップの韓国での前夜祭に出 たのが記憶に新しいです。太鼓祭りといいます。10月の中頃、日にち が決まっていて、平日だろうが何だろうがおかまいなしです。祭りの3 日間は会社も学校もお店も休み。こんな時こそ店を開けて稼がないかん のに、食べ物やが申し訳なさそにパラパラとやっているだけという。太 鼓祭りの山車というのは、基本的には人が担ぐもので、200人以上が 気合いを入れないと上がらない代物です。独特な掛け声とホイッスル。 そして太鼓台の房がゆさゆさ揺れ出すと、体がぞくぞくしてきます。ま さに男の中の男の祭り。かつては女性は、正月に振り袖着なくても祭り に着ると言われたものです。今でもちらほら見かけます。花よりだんご、 茶道よりお祭り、ですよね!。貴方の所にはどんなお祭りがありますか。10/08 毎年、十三夜の一会の案内を下さる尾西の懐石所。このよい子では元木 さんということにしてますが。今回は田舎の祭りに帰るので行くことが できません。それで別件もあって、お昼を先立って頂きに行くことにし ました。元木さんは元は仕出しとお弁当の店でした。それが今でもお昼 の弁当に続いています。写真の後には、子持ち鮎の塩焼きとお椀が出ま した。最後はワラビ餅でした。鮎の子はそれはたっぷりと入っていまし た。椀物の出汁は絶妙、まさに懐石の椀と言っていいと思います。ワラ ビ餅は、作り立てなのでしょうか、口の中で溶けて行きました。本当一 つ一つが吟味され、どれを取ってもおいしい。かつ十分満腹になるとい う。ご馳走様でしたとロビーに出たところで、元木の御主人と十三夜で 釜を懸ける表の先生が話しされていました。名前を出せば分かる方もお られると思います。ちょうど話しが終わり、御主人が抹茶茶碗を持って 立った時、目が合いました。すいません今回は伺えませんと、ご挨拶致 しました。御主人曰く、こちらこそいつも案内を頂いて、体もよくなっ たので今度は伺いたいと。そこで手に持っている茶碗に目が行きました。 あー、これはどなたかが持って来て下さったもの、使い勝手がいいお茶 碗ですよ。それは十三夜の招待のお礼に以前、僕が柴田正さんの茶碗を 持参したものでした。うれしい話しではありませんか。この料理屋さん には荒川豊蔵氏ら一級の陶芸家の茶碗が一杯あります。その中で、本当 に使い易い、飲み易い茶碗として選んで下さっていた。こんなこともあ るんですねー。10/14 今度の月釜で使うお水は三種類のブレンドです。一つは元木に行った折 り、大垣の方へ足を伸ばし取ってきた池田町の湧き水です。二つ目は四 国の西条の石鎚山の湧き水。最後は嵐山は天龍寺の水です。お祭りを堪 能したあくる日、お遍路さんに出ようとJRで伊予桜井の次の駅へ向い ました。来た列車に乗ったら西条止まりで、駅には乗り継ぎの列車が待 っていました。西条駅にはホームに名水が出ているのです。願ってもな いことで、ちゃっとペットボトルに入れたのでした。富田という駅に降 り立ち、小雨の中とぼとぼと歩き始めました。すでにその時には、祭り 見物で歩き回ったせいで、足が痛くて一歩一歩前に進むという有り様で した。川沿いに歩き五十七番、栄福寺に着き、改めて納経帳を買いまし た。それから遍路道に入り、山道を行きました。4時前に五十八番、仙 遊寺に辿り着きました。ここでもう一本のボトルに水を入れたのですが、 その後、飲んでしまいました。仙遊寺から見た景色は絶景でした。瀬戸 内海が一望でき、しまなみ海道の橋が見えました。下山は別な遍路道を 降りて行きました。曇りでもう山道は薄暗くなっていました。何とか桜 井の駅に着き、壬生川からフェリーに乗り大阪へと。朝の6時に着岸で す。梅田に出る地下鉄の中で路線図を見ていたら、阪急で京都は嵐山に 出れる。天竜寺には畑をやっていたトーマスさんがいる。ともかく行っ てみようと、最後の力を振り絞って足をひきずって行ったのでした。10/22 * 平成14年8月のお稽古 8月25日 雲一つない真っ暗な空に、秋のこうこうと照るお月様がぽかり。会社の 窓から見える田んぼでは、もう早米の稲刈りが。土曜日、母と多度大社 へ蜩の声を聞きに行きました。あれだけ川遊びをしていた人らの姿はま るでなく、ひっそりとツクツクボウシだけが鳴いていました。蜩は境内 の木立から僅かに二声だけ聞こえてきました。それもか細い声でした。 日曜は、最後の蝉しぐれの中でのお茶でした。最初、子供が何人か座っ た後は静かなものでした。お点前は淡々と進み、小生も一服頂きました。 ああ、お茶っていいものだな。何となくざわついていた心が、落ち着い て行くのが分かりました。和三盆の餡も、しっとりとして、さらっとし ておいしく頂けました。やはり、このお寺でのお茶はこれでいいのでな いかなと思いました。サントリーウィスキーの宣伝じゃないですが、何 も足さない、何も引かない。稽古であって稽古でない。大寄せの茶会で もなければ、プライベートな茶会でもない。趣味でもなければ遊びでも ない。結局のところ、お茶を出すというのは日常の中で一つ畏まったこ とに過ぎないと思うのです。それを越えてしまうとお茶やる人、皆ミニ 家元になってしまう。小生の持論は、ある程度習ったら、それぞれの家 のお茶を工夫していけばいい。流儀にあまり囚われてしまうと、それ故 許せないことも出て来たり、本筋が見えなくなることもあるかも知れま せん。お茶を差し上げるのは、貴方の家庭と周りの人達のはずです。そ れを忘れてはお茶にはならないということです。8/27 うれしい誤解をされている人のために、小生が何者であるかたまには少 し書いておこう。お寺の住職または、徳林寺で茶道教室を開いている先 生。そのように思って下さる方がままいる。しかし、そんな高尚な者で はない、ただのサラリーマンである。茶の湯の釜を懸けるのは月に一度 だけのこと。他、和尚さんに請われるまま、何がしかの行事で茶を出し ているという。後はお寺で畑の草むしりや掃除など、暇にあかせてやっ ているだけのことでしかない。普段は製造業の会社の中で、ネットワー クなどシステム・エンジニアとして勤めている。それが本業である。コ ンピュータとお茶、変わった人だという声はこれまで数知れず。茶道と の出会いは中学生の時、裏千家の男の先生に一二度手ほどきを受けたこ と。そして就職先の会社のクラブで、表千家をみっちり3年間稽古した こと。3年目の冬、家元の講習に行った。1週間もどうやって休みを取 ったか。その数ヶ月後に会社を辞めたから行くことができた。当時2日 でさえ休みを取るのは困難だった。それから、何度も家元の露地を踏ん だ。玄関の人達から表千家の雰囲気を感じとった。それを少なからず伝 えて行くこと。そう思って、これまでずっとお寺で釜を懸けてきた。家 元の人等はぶぶ漬けでもとは決して言うことはない。淡々として、ささ 一服。本当そういう感じなのである。簡単なようで、とても難しいこと である。9/10 まだ日が残る、少し風が出てきたかなという夕刻前。女は早めの湯を浴 び、小千谷縮みに身を包む。縁を開け放った畳みに片手を付き、物思う ともなく。気が付けばそこかしこから聞こえて来る蜩の、夏の恋の終わ りを告げるものかな。こんな女人に二日間も会ってきました。まるで生 きているかのような。でも小さい小さい。陶器の人形でした。ここ何年 も、ある瀬戸の陶芸作家が作る人形に会うのが楽しみで、瀬戸物祭りに 出掛けています。今年は、蜩という名が付いた女人の人形だったのです。 御本人も会場にいらっしゃいました。瀬戸の町から少し走ったところで 蜩がよく聞こえる所があるそうな。ふと、そこに行った時に、この名を 思い付いたとか。やはり、蜩の姿を見たことがあるとも、きれいな緑色 でしょと話していました。しかし、来年は人形に会うことはできないか も知れません。会場にしていた会館が取り壊され、新しく出来るまで二 年かかるとのこと。その間、どうするかまだ決まってないのだそうです。 会場には以前求めた鈞窯天目も展示してありました。目が醒めるような 青色の天目茶碗です。この作者もいらっしゃいました。大正の終わりの 生まれだから、もう二年先とか言ったら寿命があるやらないやらと笑っ ていました。二日目行った折り、その方が同じく出していた筒方練り込 み花入れを買いました。墨流しそのものの文様です。ここには、いい物 をさりげなく置いている。藁谷に名馬を繋ぎたるが如しとはこのことか。 9/17 ぼんやりと霞みがかったお月様が出ています。外にはススキと葛の花を 飾り、お団子も母が作ったのを供えました。そして顔にはヘチマの水を。 昼間少しだけお寺に草取りをしに行きました。藪の中からホトトギスの 葉っぱが顔を覗かせました。雑草のお陰で、枯れずにいたのです。すぐ 近くにはヘチマの蔓が大方枯れかけていました。畑を同じく手を入れて いる人がやってきて、ヘチマ水を採るのだという。瓶に蔓を切ったのを 挿し込んでおくだけ。今日、十五夜に採るのがいいのだとか。三本、瓶 を置いて行って、一本どうぞというので分けて貰いました。1時間ぐら いでしたでしょうか、それでもヤクルト1本分ぐらい溜まっていました。 風呂から上がって、顔にぺたぺたと付けてみました。透明で匂いもない ようでした。お寺から家に戻ると、何やら子供がたくさんいました。よ く見ると、そこかしこにリュックを背負った子供や、手提げかばんを持 った子供がいます。どうしたのと聞くと、お月見どろぼうと言いました。 かばんの中にはどっさりお菓子が入っていました。ここからちょっと離 れた古くからの町内に残る風習で、十五夜の日、子供はどこの家のお供 え物でも貰っていいという。それがお菓子をもらって回る風習に変わっ て続いているのです。こんな新しい住宅街にも伝わってきて、うれしい ではありませんか。そこかしこ見ると、家の前に子供らがやってきては、 "お月見どろぼうです"と声を揃えていました。9/21 * 平成14年7月のお稽古 7月21日 先日の月釜は学校の夏休みが始まった次の日、21日のことでした。暑 かったー。準備するはしから汗がたらたらと落ちて。皆さん、それぞれ お休みのようで、来られたのは二人。でも、こういう日に限って何故か どやどやと来ることがあるので、手は抜けません。でも結局、その後来 たのは、ネパールのデベンドラさんだけ。彼はしょっちゅう浜松から休 みになるとお寺にやってきているのです。ここしばらく顔をみなかった ので、久し振りに一服どうと座ってもらったのでした。ネパールに一度 来てねと言われ続けています。彼の家はカトマンズから泊りで2日間か かるとか。電気もガスもないそうです。全く純真を絵に描いたような男 です。正月、家に呼んであげた時なんか喜んで、片言の日本語でえらく しゃべっていました。ネパールに帰ったら家を建てて、仕事も何かでき るようにしたいとか。お嫁さんももらわないかんねと言ってあげると、 子供のようにはにかんで。そして言うには、男の子が産まれたらお父さ んの幸せ、女の子が産まれたらお母さんの幸せと。悪いことは言わない、 いいことだけを言う。本当に自然な仏さんの教えというのは、こういう ものなのかなと思いました。お茶一服の後、デベンドラさん、よく冷え たネーブルを切って出してくれました。何かこんなようにお寺でお茶を やっていると、どんどん下界の茶から離れて行くような気が致します。 7/22 これはというガラスの水指がありました。名古屋の松坂屋のギャラリー で、黒木国昭という人の個展をやっていました。ガラス工芸作家の現代 の名工。琳派調、アールヌーボー調をテーマに作品を生み出していると パンフレットには書いてありました。気無しに立ち寄ったのですが、会 場入ってすぐ、その水指が目に飛び込んで来ました。丸みを帯びた平水 指で塗り蓋、金彩。28万円と貼付は付いていました。隣には普通の水 指の形で切り子になっていました。こちらは手間の分だけ高くて50万 円ぐらいだったか。すごいと思ったのは平水指の方です。透明なガラス ではなく、ぼやーとしていて、新しくもあり、古くもあり。不思議な器 なのです。他いろいろありましたが、平水指はこれ一点だけでした。滅 多に出会うことのない逸品だと思いました。もし、これを手に入れたら、 どう道具を取り合わせるか、それが問題です。形や柄はそう突拍子な訳 ではなく、むしろオーソドックスだったので、普通に長板に置き合わせ ることはできます。しかし、この水指の雰囲気を最大限活かすなら、い っそパフォーマンス的にやってみてはどうか。コンクリートの茶室だと か、地下のバーであるとか、実験的な茶の湯の空間というのがあります。 茶室を、抹茶を飲む神聖な空間として捉えるならば、何も伝統的な和室 ばかりでないはずです。黄金の茶室があるのならば、こちらは一面ブラ ックの部屋にしよう。茶筅を振る手許を柔らかな光で包み、ガラスの水 指にも時折スポットライトが当たり、きらきら輝くという。そんな世界 も夏の一日にあってもいいかも知れません。7/31 貴方は蜩の姿を見たことがありますか。夏の終わりになると、物悲しく 鳴く正体不明のもの。去年は多度山の川沿いの山で、かすかに聞こえた だけでした。岐阜の友人のとこへ10日の日、遊びに行ったのです。3 時頃だったと思います。着いてすぐに山の方へ行こうかと出ました。大 垣より北の方の山麓の池田という辺りです。大きな川があって、河川敷 はキャンプしている人が大勢いました。水遊びしている子供らもいまし た。そうその時、5時半ぐらいでしたか。蜩があちこちで鳴いていまし た。それから、いい温泉があるということで、また山裾の道を少し走り ました。池田温泉という、できてそう間もない建物でした。なかなかい い湯です。露天風呂もあり外でのんびりと浸かっていました。芝生で桜 の木が何本か植えられていました。どうもそこらから蜩の声がしている ようなのです。それで木のそばに寄って行って見ると、薄緑色の羽に体 をした蝉でした。目の前でカナカナカナと鳴いていました。それからぱ っと飛んで、他の木に移って行きました。初めて蜩の姿を見ました。や はり蝉だったんだと思いました。なかなか見ようとして見ることができ ない貴重な体験をさせてもらいました。友人にも感謝しなければ。さて お盆休みも終わり。15日はお寺での送り火、スイカ割りや花火があり ました。小生は毎年のことで、昼から六角堂の手水周りをきれいにして、 水を張り替えました。夜、ヒンヤリした空気を感じました。夏もそろそ ろ終わりかな。そう、蜩の声が聞こえてきませんか。8/15 二百十日の台風の季節になってきました。越中八尾の町では風を待って いることでしょう。去年は風の盆の前夜祭に行ったのでした。駅で野宿 して朝、名古屋に戻り、そのまま月釜でした。今年もその雰囲気だけで も、踊り手の色紙を掛けるつもりでいます。銘菓、天玉の代わりに例の 徳島の和三盆の餡をできればと思っています。八月の終わりのお茶は遊 びにしましょう。最後、浴衣をまだ着ていない人は、どうぞ着たって下 さい。小生も絽の紋付きでも着ようかな。はて、どうなることやら。こ れまで一度お寺に行ってみようと思って、躊躇されていた方。伺います と言って、それべくそうろうになってしまっていた人、往く夏を惜しん で、おいでて見て下さい。手土産なんぞまるで不要。ふらっと寄って頂 ければ結構です。小生の願いは、このようなお茶をやるところが一つで も出来て行くこと。茶道なんて声高らかに言うのではなく、またお金も かけることもない。少しの非日常的、緊張の中でおいしい一服を頂くだ けのこと。おいしいという意味の中には、お抹茶そのもののおいしさの 他に、人としての優しさ思いやりも入ると思います。また、時には厳し さにその姿を変えるかも知れません。不思議なものですよー。心に迷い があると、いつものようにお茶を点てても、あまりおいしくないのです。 お茶の味を生かすも殺すも、その人次第なんです。8/19 * 平成14年6月のお稽古 6月30日 7月の懸釜は最終日曜でなく21日にいたします。滅多にないことなん ですが、来られる方お間違えのないように。今日は七夕でしたねー。皆 様会いたいと思っていた人に会えましたか。さて、これで浴衣が似合う 季節、夏に入ったということでしょうか。金曜、久し振りに東京へ行っ てました。幕張でのインターネット関連の展示会です。浴衣のコンパニ オン嬢もいたりして、なかなか新鮮だと喜んでいました。カタログをど っちゃりもらって、リュックが重いの何の。幕張を5時半頃に出て30 分かけて東京駅へ、長い乗り換え通路を歩き山の手線のホームへ。これ で10分。有楽町で降りて、人混みの中を小走りして何と歌舞伎座へや って参りました。6時25分着。おおー、これで6時半からの一幕見席 に間に合った。まあ、東京出張の時はたいがいトンボ返りして帰るだけ で、どこか寄ろうなんて考えはないです。しかし、ここでそんな老け込 んでどうする。刺激も入れて脳を活性化せねばと。ところで出し物はと いうと、猿之助十八番の内、南総里見八犬伝。その二幕目で、たったの 800円。左手の階段を4階までくそ暑いとこを上がり、まさに天井桟 敷。何とか間に合ったと思いきや、まだ始まる様子はなし。始まったの は6時40分。大向こうが隣のおじさんで、なかなかよろし。見応えも ありました。化け猫が行灯の油をなめるところなぞ、前にテレビで観た 気がする。ちょうど二幕目は8時に終わりました。ちゃっと出て、銀座 の街をさーと走り抜け、一路名古屋へと向かったのでした。7/7 * 平成14年5月のお稽古 5月26日 チェロの演奏家の人は、お父さんがジャン・クロード・ベルナールとい う指揮者だそうです。確か聞いたことがあるぞ。ピアノなどをやられる 人なら、多分知っているのでないかと思います。その彼、お昼をどなた かと食べた後、2時頃お茶に来るということだったのですが。どうも捕 まってしまったみたいでした。着物を風呂敷きに包んだのを忘れ、お寺 に戻りそのままシャンティクティでテレビなぞを見ていました。11時 も過ぎ、姫蛍を見に行った一団が帰ってたのと同じく、ちょうど彼も帰 ってきました。皆で今晩は。ベルナールさん、小生の顔を見るやスンマ ソン、サムタイムにお願いネなぞと言ってました。昼間稽古の時、なか なか来ないなーと待っていると、一見サラリーマン風の男がやって来ま した。名前も聞かず、ままともかく一服飲んで下さいと座ってもらいま した。一息ついたところで、どこからおいでになりましたと聞くと、大 阪から高速を走って来たという。どうもイントネーションが違うなと思 ったのです。この暑いのにネクタイをちゃんと締め、さっぱりしたいい 男です。それで昨日の晩、こうやってチェロの演奏があってねと話して、 もう少し待ちましょう。その間、座禅でもしますかと男二人、本堂の脇 で足を組んでいました。本日はお嬢さん方、皆さん花を入れられました。 お菓子の差し入れもありました。お一人お寺に来る道中、山村御流の花 展を見られ、そこで出ていた両口屋の饅頭です。大変おいしかったです。 花もきれいに入りましたね。とてもよかったです。5/26 先月の21日のことです。母と京都へバスツアーに行ってきました。東 寺の骨董市、仁和寺へ、夕方には京都の錦市場で買い物というコースで した。錦市場に向かう道中、バスは金閣寺の前を通り、大徳寺、そして 今出川のお家元の前を走っていきました。いろいろ、たくさん想い出が 詰まったところです。うーん、ここで降ろしてくれーと心の中で叫んで いました。大徳寺の前を通った時、このお寺の山門である金毛閣でのこ とを思い起こしました。かの昔、家元での一週間の講習の折り、最後の 日だったか大徳寺への参拝がありました。皆ぞろぞろ歩いて行きました。 お寺に着いて最初に、金毛閣の楼上に登りました。普段は絶対上がるこ とができない場所です。その時です。すっとどこからか着物を着た年頃 似たような女性がお一人寄ってきました。そして話すには、なかなか講 習に応募しても参加できない。それで今日はこうして皆さんがやってく るのを待っていた。一緒に登らせてもらって構わないだろうかと。何人 かで彼女の話しを聞いていて、そんなの別にいいじゃないですか。行き ましょう、行きましょうと。さてその後、利休さんのお墓に参り、抹茶 も一服頂いたりしたのですが、その人いつ居なくなったのやら。連日の お茶三昧の日々でくたくたになっていましたからね。いつ来るとも分か らないのを着物で待っていた女性が居た。お顔もまるで記憶にないので すが、素敵なお話しだったとは思いません?。 素直な感動で涙するということを久しく忘れていました。ある方にとて もいい映画だよと教えられ、初恋の来た道という中国映画を観てきまし た。それは小さな小さな映画館で、3日間だけのリバイバルという。お 話しは町から村にやってきた一人の先生、青年に少女が恋をする。青年 は文革の影響で町に連れ戻されてしまう。そして少女は、彼が帰って来 るのを待ち続けるという、町に通ずる一本の道の傍らで。ストーリは至 って簡単です。でも少女の可憐な純真さ、春夏秋冬自然の美しさ、素朴 な日常の日々の繰り返し。あーあ、恋ってこんな自然なものだったんだ な。人が生きるというのは、こういうことだったんだな。まるで忘れか けていたものを、呼び覚ましてくれる、そんな映画でした。村人男衆総 出で学校を建てる。そのお昼を女達が作る。少女も自分が作ったのを青 年が食べてくれるのを願って一心に料理する。その料理を入れる鉢が割 れてしまう。身分が違うから諦らめなさいと母は言うのですが、せめて の娘の想い出に母は、その鉢を瀬戸物直しに繕ってもらうのです。高麗 の井戸茶碗の金繕いと同じです。瀬戸物直しは天秤棒を降ろし、その場 で直し去って行くのでした。何もない、土でできた家、村には井戸が二 つ、そして学校の建物が一つだけ。あるのはきらきら輝く少女や子供達 の瞳でした。本来、人は生まれた時は皆、純真で汚れのない存在のはず だ。それを町、都会の空気で汚してはいけない。文化の名の元に壊して はいけないのだ。それは茶道だって例外ではない。思いあがってはいけ ない。6/16 先週、お寺の畑の草取りをさぼっていたので、夕方からごそごそ出掛け て行きました。なかなか花は咲いてくれませんが、雑草だけはどんどん 伸びて来ます。そろそろ暗くなりかけて来たところでお終い。シャンテ ィクティに寄って、人は居なくて猫がそこかしこに。最近、猫が増えた なーと思い、お寺の坂を車で降りて行きました。通りに出る前のところ に、何かごみがはみ出ていると思いました。通り過ぎようとする直前、 それは小猫だということに気が付きました。一匹は血を流して死んでい ました。もう一匹がその傍らで身じろぎもせず座っていたのです。よう やく乳離れしたかというぐらいの、全く毛色が同じ。日本の猫ではない ように見えました。喩えて言うなら、小熊のプーさん。相棒が動かなく なったのと、その横を車が通り抜けていく恐怖でか、小生が近寄っても 動こうとしませんでした。このままでは、もう一匹も車にひかれてしま う。死んで横たわっている相棒を、このままにしておけない。それでお 寺に持って行って埋めてやることにしました。そしたらもう一匹も、釣 られてこの場を離れるだろう。やっと気を取り戻したのか、草むらに隠 れてフーフー言ってました。以前にも、お寺にいそうろうしてた中猫が、 何か食べ物に当たったらしく道端で死んでいました。その時は、住職ら 何人かで墓を掘って供養したことがあります。今回は、母と二人で合掌 しました。さて、もう一匹はどこへ行ったのか。帰りにも見ましたが姿 はありませんでした。草むらから覗かせていた小さな目。相棒の横でじ っとしていた姿、当分忘れることができないと思います。6/23 * 平成14年4月のお稽古 4月28日 こないだの月釜のことなど。花祭りの時、野点で活躍してくれたちびっ こが忘れずにやってきました。男の子で、自分の子供みたいな気がして とても可愛いです。僕も手伝うというので、風炉の灰をこうやってきれ いに丸くするんだと、やらせました。一生懸命やってましたね。炭の種 火を入れたところで、よっしゃありがとう。それから小生が庭に下りて 竹箒で掃いていたら、僕がやるーとまた出てきました。それじゃ、頼ん だ。まあ、役に立つ小坊主だこと。一応男子ですから、先ずは正客に座 らせ、お茶の飲み方をきっちりやりました。ハイ取りに出て、お先にと、 十分頂戴しましたと。それから、じゃ今日は点てるのもやってみようか。 釜の前に座らせたら、ようけ背の高さが変わらんの。それでも何とか二 服点てましたよ。今日のお稽古は、これでお仕舞とご挨拶したのですが、 帰らない。その後お濃茶をやったのですが、結局ちょこんとずっと座っ ていました。子供はまだ正座しても痛くないのかなー。お茶を取りに出 て戻る際、膝を繰らすてて、膝をちょっと押したら蛙みたいにピョコン と飛んで。本当、身軽なこと。また来月おいで、お兄さんもこりゃ頑張 らないかんな。花はテッセンが初物でした。縞葦もきれいにすっと立っ ていました。こんな風に稽古を始め、やっています。風炉の灰は毎度押 し直します。この灰形の講習というのがあって、お月謝ぐらいいるそう な。それを子供にやらせたんでは、怒られるかも。4/30 昨日4日の昼のNHKで面白い歌舞伎がやっていました。玉三郎さんが 最初に出て来て、次に勘九朗と子供、最後は雪達磨で日が昇って溶けて なくなるという。子供の演技の何とも可愛らしいこと、歌舞伎の世界で はこのように小さい時から舞台に上がるのですね。まさに、これが血筋 というもので、物心付いた時にはすでに歌舞伎なわけです。玉三郎さん は伝統的な歌舞伎界の家ではなかったようですが、それでも小さい時分 から親の勧めで始めています。筝、三味線でもこれはと思う人は、経歴 を見ると、だいたい三才頃から始めています。小生このホームページで 茶道の稽古は、物の分別が付くようになってからでもいいのでないかと、 書いたことがあります。しかし、それは点前などの稽古のことでありま す。家の中に茶の雰囲気があり、自然に子供達も茶道に触れていくこと。 それは決して否定するものではありません。小生においてでさえも、そ れはお茶とは程遠い家庭でしたが、僅かに母に連れられて中学生の時に お裏の稽古に座った経験が数回。それが今に連なっているのですから。 ところで29日、岐阜へある陶芸家の個展を見にいきました。花まつり の際、備前の水指を持ってきたカメラマンが見に行かないと誘ってくれ ました。お友達だそうです。志野茶碗の第一人者の三代目、30才。作 品は完成されていました。瀬戸黒、志野、黄瀬戸。日曜陶芸家が一生か かっても出せない技術をすでに持ち、志野茶碗には角々とした独自の形 さえ出していました。さて、これをどう見るか。以前ならこうした生い 立ちを、うらやましく思ったところです。しかし本人とその作品を見て、 若くして一つ完成してしまい、これから大変だなーというのが正直な感 想でした。奢ることなく、地道に頑張って行ってもらいたいものです。5/5 先日の話しの陶芸家は、実は加藤唐九朗さんがおじいさんに当たる人で した。唐九朗さんと立原正秋氏による"紫匂い"という本が、昔から本棚 にあったので読み返してみました。中学生ぐらいの時でしたか、確か名 古屋の丸栄で、唐九朗さんの新しい志野茶碗の展示会がありました。そ の時出ていたのが、立原正秋氏銘々の"紫匂い"でした。かすかに見た覚 えがあります。さて、この本お二人とも、かなりの毒舌家でした。思う ところ、そのままズバっと言い放っていました。小生なんかも結構言い たいこと言ってる方だとは思いましたが、まるで甘いです。本の対談の 中で、唐九朗氏は黄瀬戸にまつわることで、殺されそうになったと。そ したら正秋氏が今度そういうことがあったら僕に言って下さい、ごろつ き相手によく喧嘩してましたからと。はたまた荒川豊蔵氏は嫌いだとか、 茶の家元制度はいかんとか。体張って陶芸に打ち込んで来たんだと、ピ リピリ感じました。何のことはない三代目の男も大したもので。おばさ んに囲まれ、どれが一番お気に入りと聞かれたのに、それは言えません とキッパリ。間違って人間国宝と先に書いてしまいましたが、そうした 権威的なものは必要なしの人物でした。なかなか面白い、好きになりそ うです。小生も一つ毒を吐いてみるか。いつまでも、うじうじと灰をい じっているそこの輩、外へ出てバス停からの道すがらのゴミでも拾って 来い!。5/9 徳林寺さんと出会う以前、まだ豊橋にいた頃、何を考えたか分かりませ んが、財団法人・名古屋茶道研修所なる設立の趣意書を書いたことがあ ります。準備資金10億円、面積が300坪だと。まだその原稿が手許 に残っています。読み返すと設立の目的の初めに、有為の青年の人格及 び人間形成と書いてありました。松下政経塾に応募して面接を受けたり したこともありましたからねー。だいぶ血気盛んというか、明治維新の 志士ばりです。お金は企業メセナの一貫で寄付を募る、土地はどうする かなど結構考えていたようです。まるで絵空事ですね。しかし、豊橋の 大学を出て名古屋に戻り、新聞社の人の鞄持ちみたいなことであちこち 行っている時に、徳林寺と出会ったのです。まさに念ずれば花ひらくで はないですが、土地はなんぼでもあったのです、何せ山ですから。でも、 すでにその時、研修所なる事はまるで頭の中には有りませんでした。た だ、風炉がほこりをかぶって隅に置いてあったのを見て、せっかくだか ら月に一度でも火を入れましょうと言って、懸け釜を始めたに過ぎませ ん。今はどうかと言えば、できることなら茶室は作りたい。この徳林寺 は場所としては、緑豊で本当に申し分ない所にあります。将来、名古屋 の奥座敷になっても全然おかしくないです。皆の憩いの場として、茶を 一服頂ける場所にして行きたい。そういう思いはあります。その一歩と して、先ずは竹の垣根を沿道に作りましょうよ。今日も和尚さんとそん な話しをしてました。もちろん竹を藪から切ってきて、自分で竹垣を組 んで行くのですが。でも、これでは青の洞門ばりですな。5/12 このよい子シリーズの"よい子のイントラネット"が、終わりの出口が見 えてきました。四国遍路で言えば85番ぐらいまで来た感じです。もう 一息で結願です。最後の産みの苦しみにも似て、ここしばらく妙にいら いらしてました。足掛け約6年、95%をイントラネットに、残り5% を茶道に向けてきました。我ながらよくやったと思います。プリントす ると約千ページ、アクセス数25万。このように小生自身、少なからず インターネットの普及に寄与することができました。思えば20年以上 前、田舎の小さな図書館で読んだドラッガー氏の"断絶の時代"。知的社 会の到来というのが書いてありました。まさに、その時が来たんだと6 年前に感じました。物から知なる時代への大きな転換点の真っ只中にい る。全てを投げ打つだけの価値があると思いました。しかし、そろそろ 小生の役目は終わりです。初めは碁盤の目にできた都市のはずが、月日 が経つにつれ路地裏に悪の巣窟ができるのに同じく、インターネットは 仮想空間ではなく、実社会の投影世界でした。そしてインターネットに おける知なる正体は、文字という"物"、あるいは"情報"でした。その情 報は溢れ、どんどん流れていきます。こうした中で新しい形態の人間関 係、コミュニティも生まれてきました。今は全てが途上で混沌としてい ます。小生もその中にいて、小さな蓮の花になるが如く、このホームペ ージはこれからも書き続けて行くつもりです。5/17 先週の土曜日に、フランス人のチェロの演奏家がお寺にやってきました。 こんにちはと挨拶しておきました。多分、今度のお茶には座られると思 います。お弟子さんにフランス語の先生がいるのです。さあて、出番で すな。いろいろ通訳してもらうか。小生、フランス語はおろか英語でさ え念仏にしか聞こえないというていたらくでして。まるで駄目です。こ れでよく一人でイギリスからドーバー海峡渡って、パリへ着いたものだ。 アーベーブとやらを列車に居合わせたスペイン人かのカップルに教えて もらって。それにメルシーボーク、有り難うという意味です。このお寺 では、このように時たま音楽をやる人が来て演奏することがあるのです。 モンゴル人の馬頭琴、奈良からやって来た能管を吹く人、マリンバ奏者 の女性達、俺達はレゲエでないと言ってどこから見てもレゲエかなとい う一団。他にもいろいろあったと思います。お寺に草取りに出掛けたら 今晩こんなのやるよというパターンが多いのです。小生が夏に企画した のもありました、夏点心と筝座CD演奏の夕べというの。後はそうだな ー、虚無僧の尺八、琵琶の弾き語り、花祭りの時のネパール人の求愛の 踊り。んー、今回のチェロの演奏というのは初めてだ。大きな弦楽器と だけしか知らんばい。猫に小判かもね。でも真近で聴くと迫力があるん だよね。5/23 * 平成14年3月のお稽古 3月31日 花祭り4月1日から8日、呈茶6,7日 桜満開からもう散り始めました。散策に訪れる人も多数、実質今日から 花見茶屋となりました。花祭りは1日からで、本番の呈茶席は今度の土 日なのに、すでにパワーを使い果たした感が致します。それでも他の花 祭りの準備はご無礼したので、まだ楽だったんですが。夜中ポスターを 張りに行ったり、ちらしを団地に撒きに行ったりしたこともありました。 今日は通常のお稽古日でもあったので、部屋での準備もし、小生は10 時頃行って外での茶屋の準備を一人やって。12時ぐらいからは、今日 弟子になった子供に早速、店番をやらせました。お客さんが来たらお菓 子を勧めて、こうやってお茶を点てるんだそーって。学校かどこかで少 しぐらいやったことがあるということで、いやはや役に立ちました。稽 古に来たお一人がデジカメで撮ってくれたので、表紙に載せたいところ なんですが、どうも画像データが取り出せない?。明日、1日は小生が なんと会社を休んで店番するという。お暇な人は冷やかしにおいでて下 さい、3/31。4月1日になりました、何とか画像を取り出しました、こ んなんです。小生、今日は着物きてましたよ。訪れる人はぽちぽち、皆 さん茶店の居心地がいいのか、座ったら半時はおしゃべりして行きまし た。いい天気、暑いぐらいでした。こんなのんびりしたことやっている と会社へ行けんようになってしまうぞ。 花まつりの茶会、何とか無事済みました。もうこれで小生、一年過ぎた ようなもの。お寺の行事を追っていくと、1年というのは実に早いもの です。後片付けをして、一旦家に帰り再びお寺へと舞い戻りました。花 まつりの時に毎年やってくる皆と、名残惜しい。その中のお一人で十年 程前から尺八を吹き始めた男がいまして、一曲吹いてくれと聞きに戻っ たのです。普化宗古典本曲、虚空に阿字観ほか。知らない間に1時間以 上経っていました。街場に唯一残された山の中、葉桜になった夜のざわ めきの中、尺八の竹が共鳴するかすかな音が聞こえてきました。そのま ま座禅をしている人もいました。そして、また来年会おうねとお別れし ました。つい3月の終わりに野点のリハーサルをやっている時に、はじ めましてと挨拶をかわした若いカメラマンの男。備前焼き作家の友達が いて、送ってくるのでよかったら使って下さいと。それはなかなかのも のでした。この2日間、花入れと種壷型の水指を本当に使わせてもらい ました。茶入れは床に飾り、作者のしおりを添えました。思いもかけな いひょんな出会いで、うれしかったです。本当に有り難うございました。 野点の席でも、参拝に来られた方々とゆっくりお話しできました。疲れ ました。でもとてもすがすがしい思いで今、一杯です。来年は皆さんと もお会いしましょう。4/7 お山はすっかり初夏の青さになってきました。例の大山蓮華、花まつり 前に蕾の先っぽが割れて芽が少し覗いていました。それがあっという間 に、あちらこちらから葉っぱが大きく出ていました。ずっと寒かった間 じっとしていたのに、すごいですね。出るのは若芽だけでなく、雑草も どんどん伸びています。しばらく草取りをさぼっていたので、これから がんばってやらねば。本堂の前にある大きな乙女椿、花が散って土曜日 は掃除をしていました。後は白のイチハツに山吹きなども咲いていまし た。竹薮にも入ってみました。西手の薮には、そこかしこに筍の頭が出 ていました。以前採って食べてみましたが、土がかちかちなせいか、え ぐみが強かったです。東手の薮は谷みたいになっていて、降りて行くの が大変。こちらはあまり出ないです。やはり全然見あたらなかったです。 いたのはお寺にいそうろうしている黒猫。ありゃ、こんな所までうろう ろしている。この薮では、もう少し経つと破竹が出てきます。細い筍で 食べることができます。それはそうと畑のある広場の北の方に、寺の地 所で学童みたいなのがあるのです。そこに窯があるのですが、今日初め てしっかりと見せてもらいました。何と本格的な2連式の登り窯。幾つ か作品も見せてくれました。おおー、瀬戸に行っても薪の窯なんか数え る程しかないというに、すごい。今度火を入れる時は小生も見に行って みよう。本当このお寺は一体どうなっているんだ。4/14 会社のすぐ横を流れる川の土手で、今年もワラビを詰みました。車のマ フラーからブーブー音が出るようになったので、いきつけの修理工場に 出していました。夕方、取りに行ったついでに見てみました。実は先週 も少し詰んだのです。生え具合からして、まだ採れるはずだと思ったの です。案の定おばさんが二人、袋を持ってしゃがんでいました。お二人 とも犬を連れての散歩の途中でした。目があって、一杯採れましたねー と声を掛けました。もう夕方でしたので、15分ぐらい採っていたらそ ろそろ日も暮れてきました。小生は、長いのが5本ぐらいと小さなのが ちらほら採れただけでした。そしたら帰り際、おばさんがこれ半分ぐら いもらって頂戴と寄ってきました。それは長いのが袋に一杯入っていま した。いいんですか?、そんなことで片手一杯もらっちゃいました。家 に帰って早速、沸騰した湯に灰を一掴み入れ2〜3分ゆがいておきまし た。明日食べることにします。ワラビはスーパーに出ていますが、何と 水煮のビニールに入ったものしかありません。何軒か見てみましたが、 こんな摘んだのはなかったです。そんなどこで、いつ採れたものやら分 からんもん食う気せんバイ。ところで車の方は、マフラーの交換が基本 的には必要で、パーツ代だけで3万円はかかるということでした。それ を溶接したり、中古車から探したりで1万ちょっとでやってくれました。 摘んだワラビを見せたら、へーあそこに生えているんですかと驚いてい ました。この車やさんにはうさぎが2匹足元にいるのです。4/23 * 平成14年2月のお稽古 2月24日 2月の会での話しを少し。会議用のテーブルに白い布をかぶせ、茶碗か ら花入れなどずらっと並べてみました。と言っても大した数ではないの ですが。おおー、元木の十三夜みたいな展観になったぞと内心ほくそえ んでいました。花は茶室の床の間には置かず、展観の方に二つ置きまし た。一つは白の椿、大輪の花が咲いていたのをソロリに一本。これは稽 古に来られた方に入れてもらいました。もう一つは小生が、砧形の伊賀 に桃、雪柳、菜の花を大振りに入れてみました。何人かお誘いした人の 中で、お客様が一人来て下さいました。雛祭りに因んだ貝合わせの最中 を頂き、その場で餡を詰め、皆でちょうだい致しました。点前の合間に お稽古の方々にも道具を見てもらい、これはどこそこで求めたとか、何 焼きだとか話ししてました。砧形の伊賀花入れは徳島の11番札所から の帰り道、ふと入った喫茶店で求めたもの。和三盆の餡子を珈琲に付け て出してくれたとこです。タオルやシャツにくるんでリュックに入れて 持ち帰ったものでした。いつのことだったのか、でもその時のこと喫茶 店のマスターの顔までも思い起こすような気がします。道具というのは そうした思いが一杯詰まっている。人形なんか最後にはそうした人の想 い、いわば魂を抜く供養をします。茶道具でも気持ちは同じことだと思 います。茶道具は一つ一つ、ゆっくりと買っていくのがいいのかなと思 います。 何年か振りに風邪を引いて、ここしばらく臥せっておりました。やっと 少しよくなり、本日お寺に行って草とりなどしました。早、イチハツが 咲いた後でした。白いイチハツです。以前、紫のもあったのですが、い つの間にか姿を消しました。雪柳も7分ほど咲いていました。満開にな るとそれは雪柳はきれいなものです。桜はどうかというと、蕾がもうほ ころびる寸前です。先っぽは、すでにピンクに染まってきています。こ の分では3日と明けずに咲くのでないか。その桜ですが、これらは先代 が一本、一本植えられたもの。50年ぐらいが経ち、そろそろ世代交代 の時期らしいです。そこでお寺さんでは、今度の花まつりで植樹の受付 けをすることになりました。屋根瓦寄進みたいなことですね。植えるの は多分、小生なんかも精出して穴を掘ることになるのですが。花まつり は例年4月の1日から8日までです。20周年ということで、和尚様も 張り切っています。ここの花まつりは、一言で言うなら曼荼羅。その中 に茶席もあります。有りがたいでしょうー。いつの間にか年月だけは過 ぎていきました。これからも、奇をてらうことなく、淡々と続けていき ます。今年来れない方は来年、いや十年後でも構わずお越し下さい。さ さ、喫茶去とお待ちしております。 3/17 よく静養できました。すっかり元気になりました。それで早速、花祭り 茶会の準備を。今回は外でも毎日茶店を出し、気軽に一服飲んでもらえ るようにという和尚様のご意向でして、今日はそのリハーサルをやって ました。どんな感じになるのかな、道具はどうしたらいいのかなという。 長火鉢の四角ので炬燵よりちょっと大きいといったらイメージが湧くか な。とりあえず本堂の前に出して、脚の所を赤い布で覆って、長椅子に 毛氈を先ず敷いてみました。これで、まま雰囲気は出たというもの。長 火鉢の一角に花入れを置いてと。後は適当に棚をどこからか探してきて 茶碗やら饅頭を入れた箱やら置きまして。椅子に座って、ハイいらっし ゃいで形はできあがり。長火鉢の火のところは、カセットコンロを置き その上に釜を乗せました。これで、ちょうど炉の点前みたいな扱いです。 湯も入れて、菓子は桜餅を母が昨日試しに作ったのがあったので、それ を。それで、そこらに居た人らに声を掛けてどうぞと座ってもらいまし た。炬燵の差し向かいで点前、客という感じです。こりゃお客さんと近 くて面白い。野点というとかなり亭主方と客は距離がありますが、これ は面と向かって、一人で抹茶を点てそのままどうぞと出す。部屋の中の 一畳半は息が詰まりそうだけど、外での一畳半は喫茶古にピッタリかも 知れんぞ。いかん、桜もう5分咲きだ。3/24 * 平成14年1月のお稽古 1月27日 去年の暮れ根っこから切り出した竹の花入れ、1月の稽古で使ってみま した。この竹は竹薮の斜面に30センチ程残して上は切られていたもの でした。土が固くてツルハシで周りをガシガシとやって、鋸を曳くこと 30分。へとへとになりました。それでやっこらせ切ったものの、竹の 中を見たらどうやら1〜2年経っているのか、黒ずんでいるの。こんな ばっちいのは使えんといったんほかってしまったのです。数日経っても う一度見てみることにしました。切れる鋸を買ってきて、すぱーと切っ てみました。中の黒ずんだのも、ほんの上面だけで中までは侵食してま せんでした。油抜きもしてないし、窓も切ってません。この竹、胴回り も太く、持っても重いです。軽く、白の梅の枝を渡し侘び助を添えまし た。これで床の間に置いてみました。そして掛け軸は達磨の絵。いやー ぴたーと座ってくれました。汚なこかった竹の節くれに、何と存在感が 出たことか。茶道というのは、こういうところが面白いです。何でもな いものに生命を吹き込む。こうした存在感のある花入れには、軽く花は 入れた方がいい。以前そんなことも読んだような気がします。しかしこ の時、直感的にそう感じていました。さて、貴方ならどう入れますか。 節分の日でした。恥じらいもなく声を出して鬼は外ーと豆を撒きました。 さて今日はお寺で座禅の日でもありまして、ほんの気持ちだけ座ってお りました。背筋を伸ばして静かに座る、なかなかいいものです。座禅を 終えて今年の花祭りのことを話していました。なんと外でもお抹茶を出 したらどうかと、しかも毎日。部屋の中では毎年、土日の二日間呈茶し ています。何かここ数年お客さんが増えて両日で百人ぐらい接待してい ます。でもお茶を出す方は、ずっと数人でまるで増えてないのです。こ れは困った。外で気楽に一服飲んでもらうのも、なかなか結構なことで す。どういう設えにして、誰がやるか。ある程度の風情は欲しいし。竹 を組んで釣り釜にするか、七輪の上に風炉釜を乗せるか。いや、それよ りも人手がないなー。お寺の行事として釜を懸ける。このことを分かっ て頂いてお手伝いしてくれる人。お茶をやられる方はあまた居ても、な かなか難しいです。一服300円でちゃんとお菓子を出して、おいしい 抹茶を出すこと。道具は全部自分持ち、道具類が壊れた場合の保証なし、 報酬は勿論0。と、条件を挙げるとこうなるんですがね。いずれにせよ 毎日は無理、土日だけでもできるよう勘案してみましょう。 久し振りに豊明の二村山に上がってきました。名古屋から豊明に入る境 にあるちょっとした山なのです。通勤に毎日側を通るのですが、どうや ら5年ぐらい来てなかったようです。遊歩道なんかも新たにできていま した。ここは地蔵尊があって、木彫りの仏さんもたくさん祭られていま す。訪れる人は少なく、いつもひっそりとしています。ここの貴重なと ころは鎌倉街道の名残りの道があることです。数百メートルですが、鬱 蒼とした木立の中に幅2〜3メートルの道が続いています。追い剥ぎに 遭ったら一貫の終わりという感じです。そして、この山の南東2Kmぐ らいの場所に沓掛城の跡があります。かの桶狭間の合戦の折り、今川義 元が前日泊ったお城です。そして当日、義元はこの鎌倉街道を輿に乗っ て通って行った。正にこの道を通って行ったのかと、目の当たりにする と、まさかこれから打たれようとは思ってみなかったろうにと。今は展 望台もあって、それはぐるっと見渡せれます。寒く空気が澄んでいたせ いでしょうか、三河から木曽の方の山々が連なって見えました。帰り道 朽ちかけた家の傍らに咲いていた椿を一輪いただいてきました。今晩は 冷えるなーと思っていたら、何と白いものがちらちらと舞ってきました。 2月10日のことでした。 明日はもう2月の最後の日曜日、月釜の日になりました。皆さん風邪な ぞ引いてないですか。今日はとてもぬくとい一日でした。さて明日はど うなんでしょうか。手あぶりの用意も一応しておいた方がいいかな。さ て今回は雛祭りが近いということで、床にはお人形さんを飾ります。土 でできた男女一対の童です。この人形、一度見たら忘れられません。母 が瀬戸の陶芸家に頼んで作って頂いたものです。できるだけそっと出し たかったので、間際になってホームページに書いてみました。小生の茶 はともかく、人形は素晴らしいので一度お越し下さいと、何人かの方に 手紙を差し上げました。それもあって今回は、柴田正氏のこれまでのお 茶碗、さらについでに四国遍路の納経帳など展示もしようかと思ってい ます。これらは別室でということですが。今日は展示用のテーブルを出 したり、白い布を探したり。庭の掃除なぞもしておりました。家に帰っ てからは、何と明日のお菓子作りを。知り合いが岐阜の白川から干し柿 を送ってくれました。見事に粉を吹いています。それで漉し餡をたいて 不老柿を作ってみました。種を一つ一つ取ってね。種が口の中に残って いたら、これはご愛敬ということで。 * 平成14年1月3日、初釜 新年明けましておめでとう御座います。2日の晩から名古屋では大雪に なりました。3日の朝、それはもう一面銀世界で、お寺まで行けるかど うかも危ぶまれる程でした。雪景色の中でお茶を頂くのもおつなものだ と、予定通り来れる人だけで初釜を開きました。何のことはない、たっ たの3人。青竹に柳、ソロリに椿二種。紅白の白での侘助は入れずにお きました。そうこうする内に、お寺にはネパールの人等が10人程やっ てきました。聞くとこれから結婚式をやるとのこと。花嫁はペルーの人 でお奇麗な方でした。それなら式の後、皆でお抹茶を飲んで頂こうと話 ししました。新郎新婦の所だけ赤の毛氈を敷き、一同席に入ってもらい ました。母が裏方、小生がお運び、もう一人が点前。ご結婚おめでとう 御座いますと挨拶し、お点前を始めてもらいました。列席の人等はほと んどがお茶の点前を真近で見るのは初めてのこと。お茶が点ち、新郎の 前に持って出ると、三三九度じゃないがお二人で飲んでもらおうと、和 尚さんが言われました。何と微笑ましい光景なことか。拍手が起りまし た。その後、続いて皆お抹茶を召し上がって頂きました。一味同心、お 茶は心を一つにする。災い転じて福と成す。いいお正月でした。 成人の日で、会社は休みでした。日長お寺の畑で草むしりなぞしており ました。何てぬくとい日だったのでしょうか。猫はそこら辺でひなたぼ っこしているし。例の大山蓮華まだ変化ありません。これに合う花入れ を探さなくては。以前、煙草盆を求めた骨董屋で、その時青銅の花入れ も置いてあったのです。値段は煙草盆と同じく1万円でした。口が四角 の端正な形をしていました。んー、あれだったらちょうど良かったかも 知れない。残念!。その骨董屋、知立の弘法さんの前にあったのですが 岡崎に店を変えたとか。ちょうど昨日13日、岡崎で初釜に呼ばれたの で電車で行ったのです。せっかくだからと岡崎城も登って、能楽堂も見 たりして岡崎の目抜き通りを歩いてみました。そんな、あてずっぽうに 歩いても店が分かるものでもありません。しかしよく歩いた。土産に土 地の饅頭屋に入り、長寿柿ともう一色を2個ずつ買いました。長寿柿と いうのは干し柿に栗きんとんを詰めたもの。何と一つ240円。もう一 つの饅頭は、漫画美味しんぼの話しで茶道家元が名づけた暖雪、を思い 起こしました。ふわっとした触感で、こんなのは初めてでした。少し小 振りで、こちらは120円でした。岡崎は名古屋から近い街です。でも 城下町の名残が所々に見え、遠くへ来たような気がしたのでした。01/13 浦島太郎とはこのことだった。約20年振りに可児の大萱に行ってきた。 名古屋から41号線を走り美濃加茂に入る手前を右にとると、日本ライ ン下りの今渡りに出る。そこで昔々の記憶を頼りにと思ったのだが、す ごい市街地化してまるで様変わりしていた。当時、この今渡りより東は 何もない所だった。自転車で田舎道を走り、荒川豊蔵氏の家に行ったの だった。本当に幸運にもその時お会でき、一言だけ言葉をかわすことが できた。そして、ふと思い立ち今日再び行ってみることにしたのだった。 街を抜け山道をだいぶ行き、確かここら辺りだったという場所に資料館 の小さな案内板があった。小川が山から流れてきて、その脇に細い道が ある。その奥に豊蔵氏の庵や窯があったのだ。そして資料館はその手前 の上がったところにできていた。本物の志野、織部、瀬戸黒がどういっ たものか、今日初めて知った。志野の火色は神様がくれた色、百に千に 一つしか出ないものだという。豊蔵氏がここで発見した志野の筍の絵の 陶片もあった。これがまさに現代、志野を復活させた一片だ。更にその 筍の絵を描いた豊蔵氏作の随縁も静かにそこにあった。桃山時代の陶工 と同じく茶碗をわしずかみにして釉薬をかけた、指の跡が残っているの がはっきりと見えた。素朴でなお力強い茶碗だった。それこそ縁があれ ば使ってみたいと純粋にそう思ったのでした。01/20 * 徳林寺 年末年始の行事 平成13年末から14年3日まで 30日午前中:恒例の餅つき。できたての振る舞い餅を頂けます。         参加費500円。つくのも、手返しも大変です。 31日大晦日:夜10時頃から百八回般若心経の読経。読経は約         2時間程かかります。年越し蕎麦。 年明けて2日:書き初め。本堂でお参りした後、好きな言葉や今         年の豊富を書いて下さい。 年明けて3日:午後1時頃から初釜。新年、お抹茶を召し上がっ         て、書き初めなどして遊んで行って下さい。 3日名古屋は大雪、ただ今3日の午前11時です。初釜は予定通り開き ます。雪道に気を付けておいでなる方はお越し下さい。