* 平成15年12月のお稽古 12月21日 会社から帰りの車の中で、ラジオが今日は冬至だと言ってました。おお ようやく日が長くなって来る。昨日の月釜では4時まで来られる人を待 って、それでは今年はこれでお仕舞いにしましょうと片付けました。そ れで2、30分のことですが、もう辺りが暗くなってきて。小生の家に 来てもらって、ささやかながら、おでんで納会にしたのでした。まあ五 人ぐらいかなと踏んで、炬燵に五人分の箸や取り皿をセットしておいた のです。ちょうどでした。続けて来て下さるのは、なかなか大変なこと です。今年もいろいろな人が来て、一服召し上がって行かれました。ど うでしたか?。茶の雰囲気みたいなものはありましたでしょうか。一度 でもいい、茶に接してみたい。そういう場をここで作って行こう、そう 思って釜を懸け始めたのでした。道具なんか無くたって、おもてなしは できるんだ。点前もそう細部にこだわらなくても、お茶は点つんだ。一 番大切なことは、そこに集まった人達で、座の茶の雰囲気を作っていく こと。それが大事なんです。茶道具など部屋の設えは、その脇役でしか ないんです。花は楚として床の間に佇み、皆さんのお顔や話を見ている。 釜はどっしりと座り、ただ松風を奏でるのみ。こうして年の瀬になると、 何て一年が経つのは早いのか。そう思うと一回一回の月釜はおろそかに はできません。一座建立、時を同じくされたい方、どうぞいらして下さ い。次回は初釜、雑煮なぞお膳も出すつもりでいます。12/22 まあ三隣亡だねなんて言葉を掛けられるはめになってしまいました。昨 日、お寺での餅つきを終わってから、若い衆に誘われてボール遊びをや っていたのです。ボールを追っかけて行くのに、もう体が付いていかな い。挙句の果てど派手に転んで、足の膝の打撲です。おいおいこんなん で3日は初釜はやれるのかよ。お膳も出すというのに。いや、やります よー。一々できない理由を探していたんでは、なーんにもできはしませ ん。と粋がっております、今のところは。三隣亡と言われるのには、実 は先にもっとひどい事があったりして。さんざんです。でも災い転じて 福と成すというじゃありませんか、それに三隣亡は三輪宝とも書いて本 当は、いい意味でのことだったんです。宝が来るんですねー。そう、来 年はきっと宝を掴むことができる。もう7時間後のことですがね。玄関 の注連縄にはこないだ取った稲穂も付けました。注連縄は今やほとんど 外国産です。米、稲は日本人の原点ですよね。初釜の結び柳は、いつも の公園でかろうじて剪定で残ったのを、梯子に登って切りました。周り で遊んでいる人等は??だったと思います。お山から梅や竹のずばえに 熊笹など、それに農協で買った白菊で、マンションのロビーに正月花も 入りました。めじろも煮て、まき寿司の準備も母がしています。9時か らは今年最後の行事、百八献灯・般若心経です。よい子の茶道に来て下 さった皆様、本当にありがとう御座いました。来年も変わらず、ご贔屓 の程よろしくお願い申し上げます。12/31 * 平成15年11月のお稽古 11月30日 やれやれです。秋まつりも終わりました。皆様にも気持ちだけ、かろう じて一つ残っていた饅頭を召し上がれ。今回は結構、お母さんと一緒に 子供がたくさん座りました。添加物一切無し、手作りなので安心して食 べて下さいと言うと、皆びっくりしてました。お子さんに作ってあげて 下さいねー。スーパーで1パックなんぼの和菓子みたいなものばかり買 ってはいけませんよー。本当においしいものは、こういうものなんです。 一応、一服300円で張り紙はしたんですが、もうぐちゃぐちゃになっ て。ただで結構ですよーという感じ。その分お参りして行って下せえー。 5時ぐらいから本堂で読経なんかが始まって、客が引けたところで最後 のお点前にしました。例年、秋まつりの最後は手燭の点前をするのが恒 例になりました。電気を消して、和蝋燭を亭主の右前辺りと床近くに置 きました。点前は小生でなく、ベテランの弟子の女性にやってもらいま した。この方、だんだんと小生の点前に似て来ました。落ち着いてしっ とりした点前で進んで行きました。客は2人、そして自服で飲んでもら いました。他、男性陣が小生入れて4人。しーんとして点前に見入って いました。なんとも言えない時間が流れて行きます。この日、新しい方 が3名程来られる様子でした。でもどなたも来られなかったような。手 燭の点前は年に1回だけです。少々無理してでも来られたら、一緒に座 の空気を感じることができたのに。また、お出かけ下さいね。そうそう 軸は円相、花は薄と紅葉をどーんと床に入れたのでした。12/1 このところ禅の本を読んでいました。十牛図の話しだとか、考案の話し だとか載っていました。お寺を掃除していて目に止まった本で、読もう かなと思っていたところに、大きな一喝が入りました。十年に一度ぐら いは渇が入らなければ、いい機会でした。ネパールの飛行機事故で若く して旅立った男の子。座禅に来ていました、彼はお茶の席にも座ってい ました。御両親の残された者の哀しみは、やはり当事者でなければ計り 知れないものがあると思います。癌なんかの大きな手術をした人も身近 にいます。軽い気持ちで病院に行き、先生がレントゲンを見て肺癌の疑 いあり、即入院ですと言われる心持ちはいかに。手術の日取りを数える 気持ちはいかに。自分は風邪も禄に引かないので、そんなことは自分に 限って起ころうはずもない。誰しもそんなように思っているのだと思う。 しかし実際の現実は、いろいろな事が起こる。この時節になると、喪中 に付き年始のご挨拶を控えさせて頂きます、とハガキが幾つも来る。お 世話になった人等が、櫛が抜けるように一人二人と他界されていく。お 寺に縁を作って下さった人も、既にこの世の人ではなくなっていた。こ の世は心太か。押し出されて行くのだ。いや簡単に流されてたまるもの か。一瞬一瞬、この刹那を生きるしかないぞ。それよりも、たった今の 問題を何とかしよう。目の前のディスプレイがぼやけているのだ。12/16 * 平成15年10月のお稽古 10月26日 掛け軸、"和敬静寂"の主が来られました。花祭りの茶会などで、掛け軸 の話をするに、母の弟さんが子供の頃習っていた和尚さんに書いて頂い たものと説明してきた。その方、小生から言えばおじさんが四国から来 て、軸と対面されたのです。ああー、和尚さんの字だねと言われました。 和尚様が書き物をするのに、後ろで墨を磨っていたとか。そんな話も初 めて聞きました。日展にも出され、普通はなかなか書いてくれんのんよ、 などとも。家では既に会ってはいましたが、改めて茶席にてご挨拶を致 しました。大病をされ、名古屋に来る直前まで危ぶまれていたのですが、 何とか快復して来て下さったのです。できれば、小生の茶の様子も少し 見てみたい。そんな訳で、元気なお顔を拝見して安堵致しました、遠方 のこと故、後にも先にもこれ一回かも知れません、僕のお点前で一服召 し上がって下さい。本当、一期一会の点前だと思いました。静かな緊張 感が体を包んでいたように思います。実を言うと、今も熱っぽいのです。 一緒にお寺に行き、母とお山を散歩してもらっている間に準備しました。 最もその前に掃除などはしておいたのですが。丸蛤板に小生手作りの竹 花入れを置いておきました。しばらくすると、秋明菊を一杯抱えて帰っ て来ました。その場で、母に花を入れてもらいました。麩入りの薄とホ トトギスも入りました。秋明菊は道すがらの家の人にもらったのだとか。 大事げに一つ二つ入れるのでなく、どーんと入れるとなかなかいい。こ こは別天地だ、こりゃ四国より田舎だわいと、びっくりされていました。10/27 茶道の習いには変則的なところが幾つかある。先日も親戚の人を迎え挨 拶から始めたのだが。さてこのような場合、点前を始める前に再度お辞 儀をするものかどうか。茶事では主客挨拶した後は、そのままお辞儀な しで点前を始めることになっている。しかし常の稽古では、必ず点前を 始めるに当ってお辞儀からする。すでに、そのように身に付いてしまっ ている訳で、本番では要らないと言われても、いささか困るというもの である。まあ濃茶の稽古の際、菓子を点前をしている時に食べるのは仕 方ないとしてもだ。本来は懐石の最後に菓子は出るので、濃茶の稽古で は菓子を食べることができなくなってしまう。棚物の飾り残しもそうだ、 茶事では初飾に二飾りはあっても、三飾りはない。他、七事式とか言う のは稽古のための稽古、そんなのも茶道にはある。小生は長板の点前は スマートで気に入っているのだが、扱いは結構ややこしい。諸飾りでは 火箸の扱い、釜の蓋を閉めたらそのまま柄杓立てに戻す?だったか。風 炉と水指を置く二つ飾りでは濃茶点前はしないことになっている。一つ 飾り、即ち風炉を長板の真ん中に置き細水指を使う。この場合は風炉の 左横に柄杓と蓋置きを飾り残す。こないだ、この一つ飾りで点前をした のだが、釜の蓋を閉じた手で蓋置と柄杓を飾った。本当は長板は台子の 地板だけにしたもの故、台子に準ずる作法で飾り残すのが正しい。こん なことが腹に入るまで何十年かかるやら。入らんかも知れんなー。11/4 11月8、9日に吹上ホールで技能プラザという催しがやっていました。 これまでの内容を見たら、左官組合による壁塗りの体験があったのです。 こりゃ行って、いろいろ教えてもらおうと思って。会場に入ると板金細 工やら陶芸やら、スプーンをがんがん叩いている子供やらでもう大変な 騒ぎ。左官の法被を着た職人衆もいるにはいましたが、型紙文様塗り? とかやっていて、聞き損ねました。和菓子作りの体験コーナーもありま した。練切を作るように、色の着いた餡と型押しの道具だとかが机の上 にありました。ここも子供らが精出して、餡を手の平でこね回していま した。できたのは、土産にもらって帰っているようでしたが、とてもや 食う気になれんなーと思いました。もう手垢だらけという感じで。表紙 写真の奥の様子がそうですね。そういえば10月の月釜の時、いつもの 饅頭屋さんに行ったら、製菓組合記念祭というのを近くでやっていると のこと。そこでも和菓子作りやっていたようです。練切の饅頭作りはま るで粘土細工ですね。餡さえできれば、そんなに難しくはないような気 もしますが。裏の写真はとうとう炉壇の荒壁を塗ったところです。土が 足らんかったー。次はもう中塗りにかかります。どうやら土と砂は同量、 藁は半分位で割れが出なくなるみたいです。砂が2〜3割で3ミリ、半 分で1ミリ程度のヒビです。砂も足らないので、また崖に行って採って 来なくては。おまけ、日曜日、テレビのダッシュ村で屋根瓦を作るのに、 土を探していました。2割ぐらい砂が混じった粘土がいいのだとか。そ のまま陶芸に使ってもよさそうな粘土でした。11/11 極人、東儀秀樹という番組がやっていました。小生も東儀氏の奏でる雅 楽の音色に酔いしれる一人です。越天楽の篳篥の楽譜がちらっと映って ました。龍笛の楽譜とは違ってました。龍笛ではとーれーろから始まり ますからね。雅楽には1300年の歴史があって、その楽師の家系を辿 ることができる家とは。何てすごいこと。そして最っとすごいことには、 多分古の昔のまま伝えて来られているだろうこと。だいぶ前の話、神宮 で龍笛を習い10年以上経つ友人が、越天楽を宮内庁の楽師に聞いても らったとんですが、さんざんでした。越天楽は始めに習う曲で自信はあ ったそうなんですが、微妙なところまで到達してなかった。更にすごい ことには、鏡に写すが如く継承していく業を、決して子供時分から始め るものでもないということ。片や3歳や6歳から始めなければ物になら ないと言われる伝統芸能。どういう風に考えたらいいんでしょうね。同 じようなこと以前にも書いたと思います。どうにも合点が行かないので す。茶道でも400年以上の歴史がある訳なんですが、雅楽の前には赤 子同然です。雅楽は雅楽というだけで流儀はありません。それが茶道に は数百はある。これもおかしな話です。あるところで読んだ話で、茶道 の点前の稽古は目隠ししてもできるようでなければ。万世一系ただ一つ の雅楽においてはそれは言えても、茶道ではちと無理があると思うので す。利休には利休の、織部には織部の点前があった。猿面茶室の柱と同 じ顔を探すように模倣して稽古をするようなもの。各人のお茶をやるこ とが本当の茶道の意に適うことではないのか、そんなことを彼を見なが ら思っていました。11/23 * 平成15年9月のお稽古 9月28日 いやー楽しいですね。今日の月釜は男が何と5人も。休みだった人も来 たら6人も男性が揃うところでした。先月、三重の菰野で出会った人も 来て下さったし。近くの茶道具屋の御主人に、夏物を召して来られた人 にもう一方。白の単をきりっと着こなして、せっかくだからとお点前や ってもらいました。ここに来て茶の面白さを知り、勤め先でも始められ たのです。でも裏千家だったんですがね。まあ流派が違うこと、そんな のはここ徳林寺ではあまり関係ないんです。お点前は四方棚にしました。 男性のもう一方というのは、今年の5月頃から来始めた人。お抹茶も出 す仕事をしています。少し様になって来ました。側に付ききりで指導し て、強引に四服も点てさせました。もうこうなると終いにかかって、立 てませんわね。三飾りにして、本日はこれでお終いと。何とお楽しみは これからでして。茶道具屋の御主人、お点前してみたいーと宣ふ。それ は願ってもないことで、棚を下げて水差を置きつけました。茶は菰野の 人が持って来てくれた地元製茶のもの。豪快なお点前で、濃い目のお薄 が点ちました。こりゃおいしい、他の人らにも召し上がってもらおうと、 続いて5人分一挙に点ててもらいました。薄茶点前からいきなり濃茶点 前になったのでした。これが茶通箱の極意だったりして。頂いたお茶は すぐその場で飲むのが一番うまいのです。そうそうミニ展観は、元木の 十三夜のこれまでの招待状とお土産を並べました。今回、皆さんお誘い したのですが都合が付かなくて。それなら気分だけでも味わってもらお うと思ったのです。9/29 こないだまでの暑さが嘘のように、一挙に冷えて来ました。お月さんも こうこうと照って、今晩は十三夜でした。十五夜の真ん丸のお月さんで はない、少し欠けて来たのを愛でるという。何という古人の麗しい感性。 そんな心を今に残している料理屋さんが、元木です。今年も十三夜の茶 会の案内を頂きました。写真は茶席で出たお干菓子です。皆様にもお裾 分けです。京都の亀屋伊織の兎せんべいと枝豆、それに山に見立てたの は小生の勤め先近くで買った八つ橋。丸蛤板は土曜日に知立の茶道具屋 で買って、初めて使ったもの。十三夜の雰囲気が出たでしょうか。今回 の会は百名程らしく、何年か前の賑わいが嘘のよう。招待客を絞ったと か?。でもこのぐらいが悠に出来て、ちょうど宜しいようで。茶席も何 席かやったらもう客がなく、お陰様で居合わせた人らで、もう一服頂戴 しました。その時にまたお菓子を出されて、栗きんとんは食べましたが、 干菓子はいいやと思いました。が、隣の御婦人が言うには、この伊織の は結構なものですよー、とのこと。前日までに注文し、お店に取りにい かないけないとか。それならもらって帰ろと懐紙に包んだのでした。そ の御婦人、年輩の方で裏千家とのこと。茶席の前に食事で相席して、い ろいろお話していたのです。料理は懐石仕立てで、総じて薄味。飯も炊 き立てでしっとりしていました。最近は元木の若主人も茶事をよく勉強 されているよし。しかし、精進料理を食べているみたいで、物足りなか ったような気が?。10/8 どうも血が騒ぐ、べらんめえ調になっているかと思ったら、お祭りが近 づいて来ていた。新居浜の太鼓祭りは10月16日から18日、毎年日 にちは決まっている。去年はフェリーで帰った。朝、四国の峰が見えて 来ると、おおー、帰ったーと思った。埠頭から歩いて部落に差し掛かっ て来ると、どこからか太鼓を叩く音が響いてきて、あの錦糸に彩られた 太鼓台と呼ぶ山車が目の前に現われた時なんか、うれしいねー。祭りに 喧嘩は付き物というが、正にその通りなのが新居浜の喧嘩太鼓。でもあ まり本気に喧嘩したらいけんよ、睨み合いでも十分な迫力があるんじゃ けん。最終日、神社の一宮さんに入って来る太鼓台。2tもある御輿の お化けみたいなのを、人が担いで参道を入って来る。本殿を一周して場 所に着くのだが、境内の中は見物人も太鼓台もごちゃごちゃで、渾然一 体。名古屋祭りのように私見る人、行列する人、あほらしくて見ちゃい られないってことよ。港では隔年で船見幸というのがあって、台船に太 鼓台を乗せて港の端まで行く。3台乗るか、かなり大きなハシケみたい なものである。岸壁と台船の間は1メートルはある。よくそんな所を落 ちもせず飛び移れるもんだ。見物人は乗ってはいけませんと、機動隊が 出て警備しているにも拘わらず、どんどん乗って黒山に。そのままタグ ボートに曳かれて行くという。まるで言うこと聞かない。そんな祭りを 堪能して、再びフェリーで四国を後にした時、大粒の涙が零れたのは四 国人間の証拠だった。10/14 土曜日、お寺さんから永平寺へ参拝に行きました。住職が懇意にしてい る大坂の寺院の方が永平寺で修行中のこと。その人の計らいで、丁寧に 説明を受けながら見学することができました。大庫院の前にぶらさがっ ている大きな擦りこ木にも触って来ました。山門のことも話ていました。 二回しかくぐることはできないとか。入山を請う時と出る時とだったか。 よく、禅の寺院では来る者は拒まずとは言うが。いつでも修行のため門 を叩けるかと言えばそうではないらしい。年に一度4月か5月頃、入山 するため門前に立つ日が決まっている。何年か前に知ったのだが、それ まではいつ行ってもいいのかと思っていた。ちゃんと所定の物を持って、 持って入れない物は置いてきて、雲水の姿もちゃんとしてと。というこ とらしい。年間のスケジュールはきちんと決まっているし、20以上の 部署があって3〜4ヶ月でローテーションするとの話も。結構、合理的 なシステムになっている感がした。なかなか来る者拒まずとは言っても だいぶ意味合いが違うような気がせんでもない。翻って、この徳林寺と いうお寺に小生の茶道クラブ、まるでエニータイムOK。まあ茶道は月 に一回だけだけど。来たいと言って断ることもなし。はたまた予約や紹 介が要る訳でなし。また去る者追わず、出入り勝手の屁の河童。合わな い人は自然と遠のくか、小生の力不足で見切られるか。それだけのこと である。因みに修行僧は逃げ出したら、逃がさんぞとばかり追いかけら れるとか。小生もそうしようかな、逃がしませんぞ。10/19 * 平成15年8月のお稽古 8月31日 9月に入りました。越中八尾の風の盆も始まりました。向こうのお天気 はどうだったか分かりませんが、今日の暑かったこと。そのまま八尾で も同じような天気だったら死ぬな。駅から川を渡ったところから坂にな り、前に行った時の暑かったこと。道中、涼しい飛騨の山中を通って行 くので余計です。そんなことで昨日の月釜でも、風の盆の踊り子の色紙 を掛けました。床前に即席で氷茶点を設えてみました。先ずは炭火での 稽古を始める前に、一服冷たいので喉を潤してもらおうという趣向です。 杉板にガラスの花瓶、その右に油滴の水指を。それぞれには井戸水に氷 を入れました。先日はガラスの花瓶上に水だけ入れた急須を乗せたので した。花瓶には氷を一杯入れたのですが、やはり急須の中の水の冷えは 今一つでした。今回は花瓶の氷水を柄杓ですくったので、それはよく冷 えておいしい抹茶を頂くことができました。こんな暑い中でも、初めて の方も来られたりして、身じろぎもせずその後、稽古に励んだのでした。 土曜日は三重の菰野へ車を走らせました。クラフト祭りとか言って、全 国から手作りの工房が集まって来るという。左官の実演も去年はやった ようで、何となく引き付けられるような気がしたのです。湯の山温泉の 北手の山裾辺り、それは一杯テントが出て賑わっていました。その会場 端の林の中で、独り氷茶点をやっている男がいました。氷が溶けて終い にしているところでした。声を掛けてみました。何となく気が合い、徳 林寺のことも話しました。その内来られるかも知れません、伊賀を焼い ている陶芸家だそうです。9/1 利休が作ったとされる妙喜庵の待庵。現物は未だ見たことはないが、写 しは何度か見たことがる。名古屋デザイン博の東海銀行のパビリオンで も目玉として展示してあった。そして先日、その復元茶室を見る機会が あった。江戸時代に待庵を実測した大工用の本に基づき、大学の先生が 学生等と共に構内に復元した。復元であるから作られた当時の様子を再 現することで、よく写真で見るような枯れたものではなかった。その先 生によれば待庵の特徴である室床も、天井はそうであったが床の間奥の 柱は見えていた。実測本にはそのように書いてある。寸法も今の建て物 とは、異なる部分が結構あるとも。すさ藁の荒壁も400年もの間、そ のままであったとは考えにくい。待庵は明治初めにはかなり荒れ果てて いて藁小屋になっていたという話はよく聞くところである。手元の昭和 37年発行の茶室の本を見ても、ぼろ小屋同然になっている名席の写真 が出ている。徳林寺は築60年ぐらい経っているらしいが、だいぶガタ が来ている。法隆寺のように樹齢千年の桧の木を使えば、千年持つだろ うけれども、茶室はそうはもたないような気がする。ひょっとすると室 床も、柱が腐り壁もぼろぼろになったところで、応急的に荒壁を塗りま わしただけ。それが後世になって面白い意匠となり景色となった。全面 的にではないにせよ悪くなったヶ所から材料も取り替える。そうして結 果的に今日の待庵ができたのでないか。決して利休の設計で、一分たり とも動かすことができない侘びの極致である。そういうものではないの でないか。そんなことを考えていました。表紙の写真はその炉壇の様子 です。塗りっぱなしで、こちらの方がまさに待庵らしい侘びた趣きがあ りました。9/7 菰野で出会った陶芸家、冷水点をやっていた男のことだが、本屋なぞい ろいろ当たっていたら、彼の師匠の話にぶつかった。古い信楽や伊賀を 焼こうと相当苦労した、名も無く金も無く、あるのは無謀とも言うべき 若さだけという。片道のガソリン代だけで東京に売り込みに行き、まる で売れず、もう駄目かと思った時、作品があるお寺の住職の目に止まっ た。作品を売る時は陶芸家ではなく、社長になれ、商人になれ、成り切 れと説く。名古屋の三越で個展をやっていた伊賀焼の二代目の男、自宅 でもこの値段かと聞いた。きっぱり一緒ですと答えた。小生と同じ歳だ った。茶碗が30万円だったか。片やゼロから始めて、食うや食わずの 日々を送る輩に、売る時は売ることに成り切れと言った和尚。絶対的な 価値観とも言うべき、身なりや地位名声を取り払った目で、茶碗や花入 れを評価した。そして作品そのものが持つ値を付けよと諭した。数ヶ月 前のこと、昨日永平寺を降りて来た僧が、お寺に一晩泊ったことがあっ た。5年近くも居たとか、古参である。入門を請う僧を玄関口で追い払 う役目もしたとか。一体お前は何をしにきた。お前にみたいな奴は帰っ てしまえと。座禅できょうさくという棒で叩く時は、思いきり叩けとも。 己の心を捨てて叩け、迷う心さえも捨てて叩くことに成り切れ。茶道に も置き換えてみよう。茶を点てる時は、茶を点てるのみ。客となれば客 に成り切れ。飲む時は飲む、食べる時は食べる。客一つなかなか成れる ものではない。9/14 会社の側を流れる川の土手の草刈りが終わると、そこかしこから赤い茎 が伸びて来ます。彼岸花の花です。昨日、お寺には檀家さんがたくさん 集まっていました。小生は徳林寺の茶道指南なんですが、檀家ではない んです。でも檀家であるとか無いとか関係ないですがね。本当は多いに 関係あるのかも知れませんが。いかん般若湯ならぬ梅酒を飲みながら書 いていると、何を書くやら分かったもんでない。まあ、たまにはいいだ ろうということで、お許しを。懐石には酒も付きもんだし、酔うは百薬 の長。この梅酒、檀家の総代のおばさんが毎年くれるのである。月釜に も時々来られて、いつも大層喜んで下さいます。いいお茶碗だねー、い いお召し物だねー、きれいなお点前だねーって。うれしいですね。今度 も来てくれんかな。そんなんで、いつもお世話になっているので、元木 の十三夜にお連れしようと思ったのですが。いろいろ人の世話も多く、 都合がつかないとか。そうなんです、今回は他のお弟子さんらにも声を かけたのですが、皆さん揃って都合が付かない時は付かないもので。そ ういう訳で今年は母と参ることにします。足も悪くなって正座がしばら くはできません。最近は、しっかり指圧をやっています。少しは良くな ってきているみたいです。指圧の心、母心、押せば命の泉湧く。昔一度 は耳にしたことがあるでしょ。ゆっくり息を吸って吐く、その心持ちで ゆっくり押すのです。押されて痛いヶ所は、病んでいるサインです。あ あー、酔ってしまった。誰か背中を押してくれー、そのまま寝てまうぞ な。9/22 * 平成15年7月のお稽古 7月27日 何となく梅雨が明けたみたいです。本日のお稽古はちらほら皆さん見え て、暑くなったので出足が遅いのかなと思いました。先月は茶杓を曲げ るところをやりました。今月は炉壇の木枠やら図面やらを方丈の入り口 の所に並べてみました。"同門"昭和61年7,8月号に炉の土壁の塗り 直しの記事。"自慢できる茶室をつくるために"120 ページの炉壇の内部 の様子。それに土壁のテスト用のサンプルです。んー、これが茶道の稽 古と言えるんだろうか。皆さんえらく熱心に見てましたよ。それにどう も、出来ることなら自宅にも炉を切りたいご様子で。また、教えて下さ いと口々におしゃっていました。小生も、まだまだこれからで、実際に 土も塗って火も入れてみないことには。最近はこれに掛かり切りなので 花畑の方がおろそかになって、草ぼうぼうです。土壁の上塗り用の土は 先週採取して、濾して乾かせています。その土、カメラマンで急に陶芸 をやりたくなったという男が、お寺東手の崖から初め採ったもの。案内 してもらって、一緒に採りに行ったのです。小雨振る中、断崖絶壁の場 所で砂利をすくいました、三分の二が砂利と砂です。こんなんで粘性が あるのかなと思いましたが、水を入れて篩っていったら、きれいなピン クぽい色が出てきました。1300度で試しに焼いたら、そのままの色 だったそうです。ということは、この色で炉壇が仕上がる訳かー。何だ かわくわくします。ところでお稽古の方は、初心の方に歩き方から割り 稽古まで、みっちりやりました。なかなか歩くのはいつもの事ながら難 しいものです。7/27 ようやく夏本番が到来。その中、大垣へ小旅行と洒落込みました。車で はなくJRで参りました。もう3年前になるのかな、尾西の元木で鱧を 頂いて大垣に行ったのは。ちょうど同じ時期、水祭りで水門川に燈篭流 しの用意をしているのを見たのでした。今回は一人で車なしなので気兼 ねなく、そこら中歩いてみました。芭蕉の奥の細道むすびの場所もまだ 見たことがありませんでした。表紙の写真はその場所近くの記念館の辺 りです。どうぞ、涼んだって下せー。裏の写真は郷土館の入ったところ にある湧き水。前にも同じアングルの写真をここに載せたことがありま す。覚えている方、手を挙げてー。大垣名物、水まんじゅうをお送りし ます?。だめです。このまんじゅうは本当、そろそろと持って帰らない と原形を留めていません。10個買った内6個だけ、後はくずれて溶け た!。駅から向かって右側のお店で今回も買いました。前の時は母と二 人でその場で手の平に乗せてもらったのでした。大垣はすれてない、こ じんまりして、水がそこかしこに溢れるとてもいい街です。歩いていて 発見ー。市の委託を受けた家具なんかのリサイクルのお店。何と、桐箪 笥のまると一棹、2千円とか3千円。見たところ、そうくすんでもいな いし、そのまま十分使える代物。まあ捨てた物ですから、別に値段はい いんですとのこと。まともに買えば50万円はするよなと思いつつ、七 夕飾りの街をぶらぶら。もう一つ、龍の口橋辺りにある懐石所。3千円 前後のメニューが。このお店、前も気になりました。一度入ってみたい です。8/5 ***** 徳林寺のお盆の行事 ***** ここ何年かのことですが、送り火の後にスイカ割りやら線香花火で、行 く夏を惜しんでいます。今年は流し素麺も加わる予定です。竹も当日切 って準備致します。何と30分で用意できるという助っ人に声を掛ける と言っておりました。流し素麺まで出るのだったら、お抹茶も出そうか なとちょっと思っているのです。まだ、どうなるか分からないんですが。 そして、どうせなら冷たいお抹茶はどうか。煎茶の本かなんかで見たの ですが、涼炉という風炉の小振りで細長いもの、この中に氷を入れて冷 たい煎茶を出していました。確か氷炉と呼んでいたような。何ぞ杉板ぐ らいを四角か三角に囲いをして、氷を入れその上に井戸水を入れた鉄瓶 を乗せてみたらどうか。それでお盆点で点前をするという。いかがなも んでしょう、この趣向は。それともう一つ。炉壇を作っている作業小屋 にほこりをかぶった樽みたいなのが有りました。手に取ってよく見ると 井戸の釣瓶でした。"朝顔に釣瓶取られてもらい水"、朝顔が咲いていた らこの状況をやってみたい。亡き恩師が授業で、炭坑節のお月さんさぞ けむたかろ。それにこの朝顔のことを話していました。日本人の中に流 れている自然観のことです。人はいつかはあの世に行きます。そして一 年に一度お盆に帰ってくるという。亡き人の心が我々の心に宿っている、 それが魂というものだろうと思います。お盆には胡瓜と茄子に木で足を 付けたものをお供えします。胡瓜は早馬に乗って現世に戻り、帰る時は 茄子の牛に乗ってゆっくり帰るということだそうです。 平成15年8月15日 徳林寺境内、広間。参加は賽銭。      4時〜5時ぐらい 氷炉による呈茶(できれば)      5時〜      送り火      6時〜7時ぐらい スイカ割り、流し素麺、線香花火 15日来られなかった人のために出血大サービスで、例のガラスのお茶 碗を披露します。でも、やはり手に取って目の前で見ないことには、こ のお茶碗のよさは半分しか伝わりません。特に高台から放射状に伸びる ガラスの流れたのが素晴らしいです。今月末の月釜でも、もう一度出す ことにしましょう。どこで手に入れたかって?、常滑なんです。幾らか な、それは内緒。作者は誰?、それはね楽さんです。高台に楽の字があ るのです。茶筅もこのお茶碗に合わせて、黒竹で細身のにしました。急 遽探しに茶道具屋さんに駆け込んだんですがね。お点前はお盆点にする はずが、でっかいお盆にガラスの花瓶と青磁のポットを置くことにしま した。何となく中華風、煎茶風になりました。初め長板に置きあわせて みたのですが、どうもしっくりこなくて。それでいつも色紙なんかを置 いている円盤みたいなのがあって、これはどうかなと思い使ってみたの です。花瓶には氷を急須の下まで入れてあります。茶筅通しとすすぎに はポットの水を使うようにしました。菓子は母手作りの水羊羹です。冷 蔵庫で2、3日前からでっかいタッパーに氷の塊を作りました。その上 にガラスの皿を乗せて、羊羹は銘々で竹を切ったのに取ってもらいまし た。4時には準備できていたのですが、5時過ぎぐらいからぼちぼち檀 家さんやら近隣の人等がやってきて、声を掛けて召し上がって頂きまし た。お蔭様で昼からは雨も止み、小生等お接待した者もいいお盆を過ご すことができました。8/15 やけくそみたいな、とんでもない暑さになりました。ガラスのお茶碗も ぶっ飛びました。土曜、朝から出て吹き上げの骨董市。金山から常滑へ と一日中歩いていました。日曜は夕方から少しだけ炉壇作りをしたので すが、もう汗がだらだら出て。夜、気分が悪くなりました。カリウムと か塩分を補給しないと。まだ残暑が残る様子、皆さんも気を付けて下さ い。さて、これだけうろうろした収穫と言えば。骨董市ではガラスも見 てました。ガレとかドーアとか細長い器やランプなんかは結構有りまし た。お茶碗は一つもなかったように思います。古着を出している店も幾 つかあり、麻の切れがありました。1メートルのハギレ千円ぐらい。何 にするかと言えば炉壇の土壁を塗るのに"ノレン"と言って補強するので すね。ちょっとごわごわしていて結局買わなかったんですが。日曜、作 業小屋にいたら古着で服を作っている人が覗きに来て、これ幸いと尋ね たら、蚊帳のお古ならあるよと分けてもらうことにしました。常滑の方 はどうだったか。電車で行くと結構時間かかります。焼き物祭りで賑わ っていたのは競艇場の中だけ。焼き物散歩道は人もまばらで、ぽちぽち と。ガラス工房も開いていました。入り口の所に水指と普通の抹茶茶碗 が置いてありました。作風はこないだのとは違っていました。アールヌ ーボ調といいますか。ちょっと僕のイメージではないような。こないだ 買ったのは、まさに一目惚れでした。名古屋の金山にもガラスのお店が あることが分かりました。そう、丸栄スカイルにも出てましたな。高か ったので2万5千円、でも重くてガラス候で。いいと思う物はなかなか ないものです。まさに出会いです。8/25 * 平成15年6月のお稽古 6月29日 昨日は昼からカラッと晴れて、会社に居たら蝉の鳴き声が聞こえて来ま した。およ、梅雨が明けたかな。えらいこっちゃ、こんなに早く夏にな ってしまったら。暑くなるぞーと思いました。そしたら今日はまさに梅 雨真っ只中の一日中、雨という。それを見越してか、家庭の主婦方達は 昨日なんか布団をめせきに干していました。小生も座布団ぐらいは干し ます。えらく前置き、時候の挨拶が長くなりました。え!、これが挨拶 だったって。そう言えば先日の月釜では、お点前の方それぞれにご挨拶 をしてもらいました。先ずは関でせっかく素晴らしい小刀を買ってきた こともあって、亭主挨拶の後に、花台を持って出て花をその場で入れる。 言っておきますが、こんな作法はないですよ。それから小生が日本刀は じめ、この小刀のことなどお話しました。茶花を入れる心持ちだとかね。 この日は、お客様に母の古い友人が座りました。瀬戸内海を渡ってはる ばる来て下さったのです。花の次は、お点前を続けてお二方にやっても らいました。最初の人はぶっつけ本番で、昨秋から来られ始めた方です。 手取り足取り教えていたら、母の友人は、私も若い頃あんなように稽古 したと懐かしげな様子でした。菓子は徳島の和三盆を使った手製の餡を 出しました。大垣の柿羊羹の竹に入れて、冷やしておきました。次にお 点前をした人は、年季が入っています。いつも奇麗なご挨拶をなされま す。本当、こっちが面映ゆくなってしまう程です。今晩はここまでにし ておきます。続きはまた後日。7/1 炉壇作りから見えて来るもの。日本人が古来より生活してきた最もベー シックなもの。日本の家は土と木と紙でできていたということ。それが 今日では特殊な技能で、そして高価なものとなってしまっているという 現実。その最たるものが茶室建築であり、それを象徴するかのような炉 壇。土壁について知りたくて、新築工事の現場を探しました。荒壁を塗 って乾かしている家が一軒ありました、中塗りをするのはまだ3ヶ月ぐ らい後とのこと。でも、もう普通の家は石膏ボードを張って断熱材を入 れ、合板にクロスを貼っているだけです。茶室建築でさえ、表面に数ミ リだけ、繊維壁というのを塗りつけるやり方も結構やられるようで。繊 維壁というのは土壁の新建材と言ったものです。藁を入れて練って寝か せるようなことはもはや不要な訳です。もともと土みたいなものは、ど こにでもあるわけで、その土地土地で採れる土を使ってきたのです。藁 や砂利、砂を入れる加減を左官屋さんは永年の経験で割り出してきたの です。粘性が少ない土しか採れない所では漆喰が使われました。土壁に は木舞といって竹を割ったのに藁縄なんかを編み、それに土を付けて行 きます。藁は稲田があればどこにでもあったろうし、藁縄は自分で編ん だかも知れません。竹は適当なところに竹薮があったはずです。一昔前 の日本人は、手間と時間を厭わず、身近なもので生活してきた。お茶室 は、さらにもう少し意図を持って手間を掛けて作られた。ひょっとする と茶室は自分でも建てることができるかも知れない。そんな風に思えて 来ませんか。7/13 お寺に行く前にホームセンターでちょっと買い物を。炉壇の上の枠木に どうも適当なのがない。試しにホームセンターに一杯並んでいるPDF 材だったか、一本240円のを買いました。それに6ミリのダボ穴に入 れるφ6の丸棒と四角の棒、70円かそこらです。それに端材でベニヤ 板60円、ちょうど炉蓋によさそうだと思い、一回りしてきたら、もう 誰か取ったらしくなかった。金曜日の夕方にも会社帰りの道中にある昔 からの金物屋さんへ。先日買った鉋の刃の隙間がほとんどなく、こんな もんなんでしょうかと聞きに寄ったのだ。プロ用の鉋はこうなっている のだと。つまり荒削りはホームセンターにあるようなのでやって、仕上 げのピカピカにするのに使うという。そうかー、初めて知りました。何 でもいい物がいいとは限らないということなんですね。それでどこまで 進んだか。側板は杉の木の15ミリ、幅がどうしてもないので、2枚継 ぎ合わせることにしました。その継ぐ所にφ6のダボを使います。今日 はその仮止めまで。枠木はクリックボールの穴あけに練習した木も用い て何とか間に合わせました。でも1本、長さが足りると思ったのが5ミ リ程短かった。これぐらい仕方ないです。できれば底板は一枚板を使い たいとですが、400ミリ四方のベニヤでない板というのは、なかなか ありません。東京の新木場の"もくもく"にはありとあらゆる木材があり ました。でもお値段も張って、らしいので1枚4千円はしたような。明 日も休み、がんばって作業します。でもじわじわと腰に痛が来ています。 できれば木箱までは完成させたいと思っています。7/20 * 平成15年5月のお稽古 5月25日 五月のお稽古では初めての方がお二人来られるということで、前日から 落ち着かなくそわそわしておりました。それが当日、方丈前の庭の草を 取っていたら、先日釜を求めたお店の方がこんにちはと。さらにもう一 方やって来られて。いつになくにぎやかな一会になったのでした。そわ そわしてたのは、ちょっと今度は飯後の茶事の形式で進めてみようと考 えていたこともあったのです。菓子の茶事ともいいます。利休の孫の宗 旦なんかが、もっぱらやったと言われる懐石なしの茶事のことです。席 入り、挨拶、初炭、菓子、中立、濃茶、後炭、薄茶、送り出し。正午の 茶事で懐石がないだけの流れですね。そんなことで庭もきれいに掃いて 打ち水もしてもらいました。小生が挨拶に出て、お炭は長く来られてい る方に。小生もだいぶ忘れているので、こんなんでしたかねと。でも枝 炭もちゃんとつぎましたよ。菓子を出して下がったところで、席を改め ますのご挨拶、正客さんから鳴り物にてお知らせを請う旨。お客様が庭 に出られたら、ちゃっと掛け軸を外し、花を入れるなど結構大変ですね。 花はその日、一番遠方から単を召して来られた方にお願いしました。初 めに一緒に畑へ行って採ってきました。花台に乗せ床の間に座し、手の 中で組みそっと放す。穂の出た縞足に赤の撫子、それともう一つ甘茶の 花?。それはそれは初々しい茶花が入りました。これでこそ、掛け軸を 外し花だけにする意味も分かろうというもの。さて銅鑼も鳴らしてまた 席入りしてもらってと。でもそこまでにして、後はお薄で遊ぶことにし ました。 炭斗に組んである羽は炉用のものです。風炉用の右羽は四国遍路でもま た行った時に鳶の羽でもどこかにないか見てみよ。銅鑼は表千家では小 間の茶室で、広間では鐘を打つことになっています。鐘もあったんです が、どこかに雲隠れしました。ベトナムのお坊さんにこの銅鑼あなたが 持って来ました、と聞いたらこれはベトナムのものではない、ネパール かタイのものじゃないかと言ってました。いつもはシャンティクティに 釣り下げていて、ご飯だよーというような時に叩いています。銅鑼でも 鐘でもそう早く叩けるものではありません。ちなみに銅鑼は大小大小中 中大と、ゆっくりそれでいて間延びせず叩くそうです。注意してないと どこまで叩いたか分からなくなってしまうんですよね。5/26 先ほど桃源郷から帰って参りました。堀内宗心先生のお言葉ではないが、 まさに幻想の世界を堪能して来ました。特にお寺でも宣伝もしなかった のですが、6月1日の晩『虚鐸とホタルの夕べ』というのがあったので す。虚鐸というのは虚無僧が吹いていた尺八のこと。その演奏会と姫蛍 を見に行こうという会なのです。禅宗の一派の普化宗という、禅を伝え る方便として尺八を吹きつつ諸国を行脚した。それは長い竹です。音も 低く竹林のざわめきにも似た、静かに座して聴いていました。実はこの 演奏会は昨年の秋にもあったのです。和尚さん曰く定例にして行くそう です、次回は皆様にもご案内するように致します。今度はお寺東手の谷 の竹林の中でやったらどうかと、本日お寺の会合にて提案しておきまし た。それはそれは風情のある場所なんです。今回も少しだけ雰囲気を作 りました。六曲屏風を広間に出し、その傍らに払子を掛けました。払子 は花の代わりでもあり、邪気を払うまじないでもあります。さらに竹の 結界に手燭での蝋燭の中での演奏となりました。蛍狩りは9時半頃から 出掛けました。何とお寺入るすぐの茂みに早、一匹。そしてちょっと一 人では歩いて行けないよな、という森の狭い道に分け入って行きました。 もうそこら中からピカピカと、目の前を動いて行くのです。どこかで見 たような気がして、そうこれは瀬戸内海を走るフェリーから見た夜景だ と思いました。そして秘密の場所に辿り着いた所で一曲。虚鐸の音色が 闇に吸い込まれて行ったのでした。6/1 炉壇を作るの一向に体が動きません。原寸図まで書いてみたものの細か なことが気になって。例えば木枠はただの四角でなく、下窄まりになっ ているのです。なんでそうなっているのだろう。畳をはぐると床板があ ります。その床板の下の所に支えの木枠を造作し、そこに上からすっぽ りとはめ込み、宙ずりにする。これが正しい炉壇の据え付け方のようで、 はめ込み易くするためテーパになっているという。今回考えているのは 床下の地面にコンクリのブロックでも置いて、その上に炉壇を乗せてし まう。まあ、その際の位置決めがポイントかなと思っています。と、そ れなら炉壇の木枠がテーパである必要はまるでないんです。土壁は塗る テストもやっています。かなり藁を混ぜないとひび割れすることが分か って来ました。土壁は板地にいきなり塗っても、ろくに引っ付きはしま せん。小舞と言って細く割った竹に縄を回したところに塗ります。これ は伝統的な日本家屋の壁のやり方と一緒です。この小舞でやるつもりで いたんですが、和尚さんの意向で耐火ボードを使うことにしました。ラ スボードとか言って、壁土を塗れるようにへこみが一杯ついているので す。ベニヤの大判のサイズで600円程。パンパンと打ちつけて、こり ゃ簡単なもんです。壁土そのものも、今はそんな藁を混ぜて寝かせてな んてことも今は昔の話のようです。繊維壁と言って、もう誰でも塗れる ように化学繊維などを調合しているのです。いろんなことが分かって来 ました。6/8 いろいろな事が脳裏を去来するものの、頭より手の方が先に動いてしま っているので、パソコンのキーを打つのが御無沙汰になっています。お とついも、家の中でできることとして、茶杓を作っていました。一晩風 呂に竹を沈めておいて、蝋燭であぶって曲げてみました。まま、曲がっ たかなと思ったところで油断して、少し折れてしまいました。次の日は 会社から帰るや否や、作業着のまま、飯も食わずに茶杓の形に削ってい ました。さあ、最後に削ったのはいつだったやら、20年振りぐらいだ ったりして。その毎週、稽古に励んでいた当時のこと、昔の家の縁の下 にあった門松の竹で釣船の花入を作ったり、蝋燭立て(竹っけい)を作 ったりもしました。釣船のデザインしたスケッチは手元に残っています。 まだ、当時稽古をしていた研修センターの押入れにあるのかな。すっか り忘れていました。今回はついでだから当時の話をもう少ししましょう。 僅か3年の間にいろんなことをしました。唯一水曜日だけ残業を免れて、 欠かさず稽古に行きました。初釜のポスターも描きました。鶴が柄杓を 咥えて、滴が落ちた水の輪が広がるというデザインのがよかった。クラ ブの部員は十名ぐらいは居ましたか、男は小生のみ。3年目には部長に 選ばれました。若いということは恐いもの知らずで、夜噺をやろうと例 のちっけいを作ったのでした。まだそんなことは早いと先生に怒られま した。ちょっぴり強引な部長さんでした。6/21 ここは富士の湧水、柿田川か。名古屋市のオアシスこと白鳥公園でした。 いい所になりました。これが人工的に作られた自然とは、十年二十年と 年月を経てば、こうもしっとりとなるものか。ここがオープンした時は 茶室棟も自由に上がることができました。子供なんかも遠慮なしに、飛 び跳ねていたような。いつの頃からか、木曜日だけの公開としたようで す。ここ白鳥に久しぶりに行ったのは公園がお目当てでなく、ウッディ ランドの方だったんです。この白鳥公園の北側に住宅展示場と木材関係 の展示場があったのです。すでに表現が過去形になっている。木造家屋 の模型、木組みの実物大、壁土の内部構造、参考図書やらビデオ試写室、 国産桧などの材料、木工のお土産コーナなど。はくびしん等動物の剥製 もあったなー。木の匂いが好きで、たまに行っていたのです。それまで 漫然と見ているだけだったのですが、俄然土壁の塗った積層サンプルを 見たくて、有給休暇を取っちゃって行ったのです。それがガーン、住宅 展示場もろとも無くなって更地になってしまっているではないか。1年 ほど前、動物の剥製が無くなっているなーと、ちょっと気になったんで すが。残念!。ここはいつ来ても誰もいなくて、住宅展示場の中の一軒 にあった茶室もよく上がって見させてもらいました。穴場過ぎたか。と もかく、記憶の中の壁土のサンプルは、薄く何層にも塗っていた。本当、 こんなのどこにもないよ。壁土に混ぜる稲藁がダイヤモンドに見える今 日この頃の一見さんでした。6/26 今度のお稽古では、茶杓作りの曲げるのをやってみるつもりです。蝋燭 であぶって竹を曲げるのです。普通、茶杓作りの講習会というと、すで に曲げたのを茶杓師なる講師が持ってきて、それを2本ばかりもらって 削るという。入れ物の竹筒も頂いて5千円か1万円というのが相場のよ うです。肝心の竹を曲げるのは、どう教えているのでしょうか。インタ ーネットでも検索すると、いろいろやり方が出て来ます。でも、なかな かコツらしきことは、実地で何回も試行錯誤しないと分からないもので す。暇にあかせていろいろやってみました。一緒に竹を曲げてみましょ う。お稽古の方でやってみたい人は、12時半ぐらいにはおいで下さい。 当日の稽古の中でもまた、曲げについて話するつもりでいます。6/26 * 平成15年4月のお稽古 4月27日 牡丹と芍薬の違いをご存知ですか。立てば芍薬、座れば牡丹などと言い ますが、実際の花の様子を見ると逆ですね。お寺の宿坊の辺りにちょう ど両方植わっているのです。牡丹はもうほとんど花は終わって、しおー となっています。芍薬の方はまだ堅い蕾でして、花の茎が地面からいき なり生えているのです。今日入れた牡丹は、犬山の先生宅に咲いていた もの。昨日、半年振りにお邪魔して帰り蕾を頂いて来たのです。家を出 る時はまだ蕾が半開きで、これぐらいがいいねと思っていたのです。そ れが車でお饅頭屋さんに行く間、10分足らずのことでかなり開いてし まいました。冷房入れてお寺に走りました。この大輪の花に合う花入れ はとなると。伊賀の砧では小さい、岡山の90才の古美術商が出してく れた青磁の耳付だったらどうか、否あれも少し小振りだった。結局、家 でとりあえず入れた籠をそのまま床に置きました。ああ、これでいいね。 葉っぱを一枝払っただけでした。昨日は小生が買って、先生のとこにず っと置いていた炭取りと左羽の羽箒も持って帰りました。注、風炉の時 は右羽を使う習いです。これでお寺での稽古を始めて以来、初めて炭点 前をやってみました。炭はこないだお茶屋さんへ行った際、大昔から置 いてあった風炉用のを安く分けてもらったもの。炭取りはさる骨董屋か ら唐物にも使えるという代物で10万円と最初のたまったもの。またお 話し、したいと思います。4/27 徳林寺サロン?、徳林寺の集い?。本日、筍の精進料理を食べる会とい うのをやりました。一応、世話人は勤めをリタイアされた方。小生は裏 方で料理の采配を。昼12時に集合で、住職の先導でお寺の森を散策し てから料理をという段取りでした。筍ご飯と汁は直前によそうことにし て、他は先に盛り付けたので、まあ余裕だねと茶のお弟子さん共々散歩 に出掛けました。お寺の東側は谷になっていて、それは深い緑に囲まれ ているのです。かつて夏に子供の禅の合宿の時には、肝試しをしたぐら いです。30分ぐらいで一回りして、本堂に戻ってきたところで、例の お茶を出しました。和尚さんはいつの間に作ったのか、大きな土瓶に熱 いお茶を本堂前に出していました。ドグダミ茶をベースに甘茶で甘味を 出し、生のミントでさっぱり。タッパーでの氷も作り持って行ったので すが、この熱いお茶でも、何ともすがすがしかったこと。料理の後にお 茶は出す予定だったのですが、前になってしまいました。でもまるでノ ープロブレム。新緑のお天気でうっすらと汗ばんでのお茶、おいしかっ たです。さて本番の料理と言えば筍ご飯と汁、これはお寺を勝手知った 方が。味噌和えと炊き合わせは世話人の奥さんが。それに小生が摘んだ ワラビのお浸しとお寺で採れた畑の人参の付け合わせの5品です。いや ー、皆さん喜んで下さいました。サロンの定義とはナニと喧喧諤諤やっ ていたのが嘘のよう。料理の実費はとってもらうということで、費用は 20人前1300円でした。お膳の一つは仏さんですがね。写真を撮り 忘れたのが唯一の失敗だったかな。5/4 昨日の晩は茶室建築の本や雑誌、インターネットなどから炉壇のことを 調べ、どんなんかなーとスケッチしておりました。何とか今年中には炉 を切りたい。畳も全部表替えして、炉用に切り欠きの畳も作ってもらっ て。多分お許しをもらうのに幾多の困難が待ちうけているような、ない ような。でも、ともかく準備だけはして行こう。年中、風炉だけではね ー、茶道の醍醐味は炉のお点前も絶対欠かせない。もうずいぶん炉のお 点前はしてないけど、炉の外隅に内隅、知らん人には何のことかと思う だろうけど、こりゃひたすら空稽古ですな。空稽古というのは、今風に 言えばイメージトレーニングに近いかな。炉壇、これ茶道具屋に売って いるが20万円以上もする。工事も含めてやってもらうと、とんでもな い値段になってしまうのだ。しかしよく見れば、ただの木枠に土壁が塗 ってあるだけじゃないか。いっちょ自分で作ってみるか。そんなことで、 すっかり自作モードになっているのでした。1〜2週間前から、市販の 土壁や粘土なんかを木っ端に塗ったりしています。そのまま塗ったんで は完全、ひび割れしてしまいます。やはり藁なんかを切って入れないと、 それに竹を編んだ小舞もしないと強度が出ないようです。土壁の本があ るようなので、ともかくそれをゲットするか。土はお寺、西手の崖の下 辺りに粘土がありそう。陶芸に使うんだと、こないだその粘土をこねて いる男がいました。本職は写真家なんですが、彼。変な人がお寺には一 杯います。5/13 これは見事な木の葉天目かや。早速、今度の月釜で使おうか。いやいや ちと待たれい、お抹茶は入らない。入るのは日本酒、実はなんとぐい飲 み。横からの写真も載せるといいのだが、まさに天目茶碗そのものの形 をしたぐい飲みなのである。以前、一緒に仕事していた会社の上司の手 による作品で、やっと葉っぱを焼き付けることができたと、くれたので ある。仕事中にこそっとやってきて、これと言って無造作に紙に包んだ まま出してきた。飲み過ぎないようにだってさ、酒を入れると木の葉が 浮き出てくるそうな。表千家の雑誌の同門、3月号を見ていたら八寸た けなわと、茶事で上機嫌の男性の様子が出ていた。奥様方に気付かれぬ よう、懐に忍ばせた杯でもって客に酒を勧める辺りは男の世界とか。し てやったりのお話が出ていた。さらにお家元の言葉として、楽しみのお 茶をやりなさい、と。本当、楽しそうに写っている写真だこと。小生も いつか、このぐい飲みを隠し持って茶事をするか。そこで待ったがまた かかるか。茶事での酒は銚子と杯が決まり、ぐい飲みは御法度だね、な ーんてこともあったりするかも。ましてや格の高い天目形をまねたぐい 飲みなんぞ、不謹慎もいいとこだ。まあ、そう思うお茶人さんはそれも 又よし。小生なんぞの茶を飲みに来ることもあるまい。でもどうなんだ ろうな。お寺は酒は駄目なので、考えたこともなかった。利休さんの頃 はまだ清酒がなくて、いわばどぶろくだから杯に注いでいたんだろうな ー。利休さん、ぐい飲みはだめですか?。5/21 * 平成15年3月のお稽古 3月30日 何とか桜は週末まで持ってくれそうです。夕方、会社からの帰り見まし たらほぼ満開です。お山はほんの高さの違いで、下界より少し桜の開花 が遅れるのです。日曜の夕方、風が出てきたら、さーと花びらが散って それは優雅な風情となります。雨模様のため、部屋の中でも桜が楽しめ るように、大振りに入れてみました。 お茶席は両日とも11時ぐらいから4時ぐらいまでです。本堂上がり口 の所に受け付けの人が座っています。ここでお茶券300円を買って下 さい。茶券は紙細工の嫁さん人形になっています。本堂上がって、ずっ と右奥の部屋がお茶室です。そこで茶券は箱に入れて下さい。普通の茶 会のような心太式ではないので、ゆるりと遊んで行って下さい。 花まつり期間中は午前9時と午後5時半から30分の座禅もしています。 普通、禅寺で座禅を体験するには、座禅会なるものに予約するとか容易 ではありません。参加費用も結構必要です。どうぞ、ご自由にやって来 られて座ってみて下さい。先ずは座ってみるのが座禅です。賽銭箱に5 円でも10円でもお気持ちだけで結構です。4/3 4月6日、朝起きたら晴れ。こりゃ人が出そうだなと思いながら9時少 し過ぎお寺に行くと何じゃこれは。境内一杯にバザーを出す人等が、こ んなの知らんぞ。10時からモンゴル、ベトナムの留学僧も加わっての 読経が始まって、供茶の天目と菓子を差し出しました。いつもは読経が 終わってから呈茶も始めるのですが、すでにお客さんが茶券の紙人形を 持って、いいですかと来られ始めたので、オープンです。読経が終わっ たのは11時を過ぎていました。もう、それからどんどんお客様が入っ て来て、どひょーという感じ。用意したお饅頭がもう残り少ないと時間 を見たら、まだ1時でした。その頃から本堂脇では特設ステージにてネ パールの歌と踊りが始まりました。境内はもう、黒山の人だかりでして、 日本人やらアジアの人やら訳が分からない状態になりました。お茶室で はネパールの音楽をバックミュージックにお点前は続いていました。予 備の羊羹やらもらった菓子も使いました。それでも人の途切れる時間も あったりして、その時はお客様ものんびりされて、いろいろ話しに花が 咲きました。最後のお点前は、若手陶芸家と奈良の炭職人が座りました。 陶芸家の方は自身の平茶碗で飲まれました。炭職人の方は箱炭取に自分 で焼いた炭を入れてバザーで出していました。2千円でした、使い易そ うです。今回もいろんな出会いがありました。縁とはうれしいものです。4/6 まあ、昨日は暑かったこと。勤め先でも半袖の作業着を着ている人が結 構いました。冬の間、ずっと愛用してきた股引もついに脱いでしまいま した。でも、油断大敵。布団を干していたら、お隣さんからの声で雨が 降ってきましたよーって。雨が降ったり晴れたりで季節が変わって行く のですね。木曜日、勤めを終えて近くの川の土手でワラビを摘んでいま した。先週見た時は、まだ少し早いかなと思いました。いえいえ、もう 先週ぐらいから一杯出ていたようです。朝、出勤の時、毎日その川を横 切るのですが、ビニール袋一杯採っている人が。ひょっとして生業にし ている人?。こりゃ、夕方行ってもあまりない訳です。でも採れました よ、ほんの一握りぐらい。それが犬を連れて散歩している人が、採れま したかと寄ってきて、どうぞこれもらって下さいとくれたのです。そし て、だんだん日暮れて来て、そろそろ帰ろうかなと思っていたら、先ほ どの方が散歩コースを引き返して来たところで、またこれだけ有りまし た。目がいいですねーと、それでまたもらっちゃいまして、袋一杯にな ったのです。実はこのワラビ、5月4日に徳林寺サロンなる第一回でお 寺敷地の筍を食べるのに、出したいと思って摘んでいたのです。サロン はお寺の自然を活かして文化的な催しをやって行きましょうという集い なんです。さて、このワラビちゃん、どうやって保存?料理したものや ら思案中です。皆様のお知恵拝借!。4/19 午後1時過ぎ * 平成15年2月のお稽古 2月23日 3月3日を周りました。このホームページのお雛様もしまいましょうね。 女の子は縁が遠のくといいますから。先日の月釜で、幾つぐらいまでお 雛さんは飾るのですかと女性陣に聞いてみました。小生の家は弟と二人 で女の子がいないので分からないのです。するとお一人のお嬢さんが答 えるには、目のあるものは年に一度は出した方がいいとのこと。なる程 ね、そうだなーと思いました。ほったらかしにせず、大事にせないかん ということです。そういう意味では、童の人形をこの時期に出すのは良 いことだなと思った次第です。先月の茶会の様子は、茶花のところにも 書いておきました。また来年を、お楽しみに。ところで昨日の晩の風は やはり春一番でした。今晩もびゅーびゅーと吹いています。部屋の中で はクンシランの赤い蕾が、おちょぼ口みたいに開いてきています。季節 は正直です。そうそう、大山蓮華のこと。日曜、花畑を覗いてみました。 だめです、枯れてしまっています。畑を南手から今の北手に移し替えて から、どうも調子がよくありません。今の場所は元は石だらけのグラン ドで、何とかトーマスさんが開墾したのですが、水はけがとても悪いの です。夏は夏でひえあがってしまうし。残念です。先日のお寺の会合で も、何とか水はけをよくしようと話していました。ひょっとするとショ ベルカーで排水路を掘ったりするかも。どうなりますことか。もう少し 頑張ってみるつもりです。3/3 今日は小生ではなく僕はにします。僕は和尚でない証しを今日は一発か まします。非常に残念なことなんです。カッコだけでまるで誠意がない というお話。我が社(かつて皆こう言ってましたよね)の食堂のお昼は それは安くてボリュームがあっておいしかったのです。外から来る業者 さんも、それは喜んでいました。コンピュータ関係の業者さんは、仕事 柄いろんな企業や官庁の食堂で食べます。その中でも当社が一番素晴ら しい。それは僕も同感でして、母校の学食の惨めだったこと。教員の要 請があっても、あれを食べることになるのかと思うと、断ってしまいま す。奇しくもこのような不穏な時期に東証二部上場とか、それに合わせ て食堂の運営を外注にしてリニューアル。それはまるでレストランみた いで、黒ズボンで白の長いコックの帽子といういでたち。やな予感がし ていました。初日の食事をした後、しばらくして胃もたれで薬を総務に もらいに行きました。翌日は大好きなマーボ豆腐、口がへんに痺れて治 まるまで2日かかりました。それからは用心して油もんは避けています。 どうやら例の味噌汁も、完全出しの素で、まるでうまくない。煮物の味 も似たようなことで、まるで風味がありません。量も質も落ちてしまい ました。社内は食事の話で持ちきりで、かなり不評を買っています。周 りは田んぼの田舎企業だ。カッコつけてどうする。労働者の食事を出せ。 久々に怒っている一見さんでした。3/11 食い物の悪口を言っていたので、罰が当たってしまいました。出された ものは黙って食べるのが男ですかねー。味覚に鈍感な方が良かったりし て。罰って何かって、初もんには気を付けろということなんです。ちょ うど今頃、鰹は和歌山県沖までやってきています。串本漁港ではつい先 日から水揚げが始まったとラジオで言ってました。そうなんです、初鰹 です。これが江戸だと5月頃になるのでしょうか。もう一つは水ぬるむ 春を一番に告げるあさり、しかも大あさりです。例の水曜日のお魚の日 に鰹のたたきと大あさりを買いました。鰹のたたきはただの刺し身のも 置いてあったぐらいのものでして、すごく新鮮で、全く鰹の独特のあの 風味がなかったです。高知の本場で食べたよりおいしかった。大あさり はもう定番です、焼いて口がパカっと開いたらOK。一つちょっと生っ ぽかったかなと思いましたが、それはそれは堪能しました。さて、これ からが問題です。ちょうど胃の中に入って消化、7〜8時間経って何と も言えない体のだるさが襲って来ました。以前もお寺の畑のブロッコリ ーを食べておかしくなったことがありました。症状はその時よりも軽い と思いましたが、同じでした。当たったなーと思いました。土曜日にな ってやっとのことで収まってきました。全くひどいもんです。先日、懐 石の話をしてましたが、懐石では旬を先取りした料理を考えますが、こ ういうこともあります。いいお勉強になりました。3/15 この三連休はずっとお寺に出向いていました。ずーっと気になっていた 障子を張り替えることができました。茶室にしている北手の部屋の廊下 に面した障子で、お客様からは見えるとこではないんですが、かなり年 数も経っているようで煤けて、一度さっぱりしたいなーと思っていたの です。しかも建て付けも狂ってきていて、ぴしっと締まらなかったので す。冬場はすーすして寒かったです、ハイ。大工仕事が得意な和尚さん が障子の上の枠木を削ってくれました。母、お弟子さん一人とで、その 四枚の障子に茶室床の間横の小さな障子四枚、張り替えました。もう今 時、障子の張り替えなんて死語に近いですね。でも、やるといいもんで すよー。まるで別な部屋になったみたい、すごく明るくなりました。糊 は付けるのでなく、置いて行く。米は研ぐのであって、洗うんではない んですね。障子に取り掛かる前、和尚さんがいらっしゃらなかったので、 車で上がって来る道すがらのゴミ拾いをしました。やっぱり茶道、否茶 道に限らずおもてなしの第一歩は掃除です。気持ちよくお寺に上がって 来て頂けるよう、また自分自身も気持ちがよくなるものです。これぞ究 極の水屋のお勉強かも。そうそう、弟子のちびっこが来週と間違えてや ってきたのでゴミ拾も手伝わせ、障子に次いで流しの襖もやろうと、一 緒に襖を剥がさせました。これもお茶の稽古?、あなたもやってみたい ですか。4月5、6日は花祭りの茶会です。3/23 * 平成15年1月のお稽古 1月26日 今日は朝から出掛け、先ずは日展会場へ。平水差しと先日求めた瀬戸黒 の茶碗の箱を貰いうけに行った。先生はちょうど作品の説明をする当番 ということで、出て来られたついでだった。それにしても、愛知県美術 館、以前の建て物のイメージがどうしてもある。まだ美術館らしかった ように思う。今のは、ただのビルの中の部屋でしかない。およそ、芸術 文化の香りがしない。東京国立博物館の重奏なこと。ルーブル美術館の 威厳のあること。前の愛知県美術館は天上は高く、エントランスは広々 とし、日展も嫌になるほど展示があったように思う。本当、今の様では せっかくの作品もなんか可哀想。エレベータに乗って入る美術館なんて ありか?。金山のボストン美術館はエスカレータか。ましなのは、名古 屋市立博物館で、その常設展か。いかんいかん思わず横道に外れてしま った。箱の話しだった。平水差しはもう3〜4年ぐらい前になるか、お 願いして作って頂いた。その時、箱がまだないままそのまま貰ってきた。 箱は後日ということで、それべくそうろうになっていたのだ。瀬戸黒の 茶碗の方は、作者としてもやはりこれは一番いい箱に入れたい。小生も そうしたかった。茶道具としての作品は、その作品にふさわしい入れ物 に入れる。だから薪で焚いて作った茶碗に、紙箱やら安手の木箱では合 わないのである。結ぶ真田紐だって気を遣う。そんなことで、つい日展 の作品とそれを並べる器、建て物について感じたことが出てしまった。1/26 ここはどこかと言うと、関ヶ原の松尾山から見た合戦の場です。小早川 秀秋が構えた松尾山です。二年前にも、この山頂から一人眺めていまし た。岐阜は雪はなく、大垣に着くとホームの脇に雪がありました。そし て関ヶ原では、至る所に雪は残り、松尾山にあっては数十センチは積も っていました。石田三成の陣は正面すぐ左手の山です。敗者の弁は、勝 者によって掻き消されてしまうもの。今日なお、この合戦場はこのよう な地で残っている。感慨深いものがあります。山頂にはかつて城があっ たとか、今は東屋の休憩所があるのみです。そこに落書きノートがお菓 子の缶に入っています。パラパラと見ると、迷い一つ決心をしなければ ならない。それを小早川秀秋の胸中と重ね合わす、走り書きが見受けら れました。分かるような気がします。この地からは、計らずも戦況が一 目瞭然に見えてしまった。味方は不利、格段の義理もなし、さあどうす る。しかしながら裏切れば、その誹りは免れない。人は時として、盲に なった方がいいのかも知れない。見え過ぎるというのは、却って判断を 迷わせることにもなりかねない。この地に立って見れば分かります。関 ヶ原の駅からでも1時間、麓の駐車場からは30分で登れます。一度行 ってみて下さい。前回の際は、雪には人が通った跡はなかったです。今 回は一杯、足跡がありましたね。よく見ると人の足跡でない、どうやら 鹿のような足跡も付いていました。2/2 だんだん日が長くなったなと思っていたら立春で、雨が一降りして、い よいよ春の訪れが近づいて参りました。今日なんか、本当にいいお天気 でした。母はお寺の畑に出て背に陽を浴びて草むしりを。小生もやりた かったのですが、お寺の委員会があって。今年の花祭りのことや、ホー ムページのことなぞ話しておりました。お寺のホームページは小生が担 当を命じられて作っております。この度、ちょっとリニューアルしまし た。また、見てやって下さい。さて、2月末の月釜は恒例で男女の童の 陶器の人形を出します。あらためて、また言いますがそれは見事な人形 なんです。そんなんで、去年はお茶うんぬんは抜きで、先ずはお人形さ んを見においでになりませんかと、幾人かの方にご案内を差し上げたの でした。とてもや小生風情がお呼びできるお方ではないんですが。その 人形の写真でも載せればいいのでしょうが、それは来てのお楽しみとい うことで。さて、今年はどうしようか。へたにお手紙して却ってご迷惑 にならないだろうか。ご年輩の方が多いし。もう一つ人形に加えて、柴 田先生のこれまでのお題茶碗を展観してみようかと思っています。だい たい、これまで欠かさず手に入れているとは思うのですが、一度整理し て並べてみたい。こりゃ、炬燵に入ってポケーとしている場合でないぞ。 皆様、よろしければ一足早い春を楽しみにお越しになりませんか。お代、 参加費は千円ということに致しましょう。ただ程高いものはありません からね。2/9 グッド・タイミングで岡山から紙細工の嫁さん人形が、箱一杯届きまし た。以前こちらに住んでいたおばさんが郷里近くの養老院に入られまし た。このおばあさん、何度かお寺にも足を運んで頂きました。脳卒中の 気があり、一時は入院もされていたようです。それが、この嫁さん人形 を作り始めてから、ろれつも回りかねていたのが、それはしかっりとし ゃべるようになったのです。もう4、5年続けて送って来てくれていま す。4月花祭りの茶会の券に使わせてもらっているのです。茶会の時は、 一応部屋に入る前に券を出してもらうのですが、欲しいという方が多く て好評なんです。先晩お礼の電話をしましたら、やることができて生き 甲斐になっている、リハビリにもなるしと喜んでいらっしゃいました。 僕も、本当に有り難うございます、今年の出来はまた一段と素晴らしい ですねとお話ししました。そうなんです。最初の頃は素人細工みたいな のが残っていたのですが、今年のはそのまま京都の土産物屋に卸しても 結構という出来。せっかくですから、今度のお雛さんの月釜にも合わせ て展示するつもりでいます。昔、お茶に来て下さっていた人らにもご案 内致しましたら、それは是非伺いたいなどと。どうもいつになく、にぎ やかな会になりそうです。さて、お題茶碗の展観に因んでの一首詠むの こと。昨日、仕事で名古屋駅に行ったついでに、短冊を茶道具屋さんで 買って来ました。来られる人、なんぞ一首作ってね。短歌でなくとも自 由律でも俳句でもいいです。昔々のお茶人さんは和歌の素養もあったそ うな。2/20 * 平成15年1月2日 年末に瀬戸に行ってきました。久しくお伺いしていなかった陶芸家の方 のお題茶碗をできれば一つと思ったのです。いつも忙しくされているの で、なかなか時間を取って頂くのは難しいです。工房に伺う時間少し前 に着いたのですが、ちょうど先生も車で帰って来たところでした。もう 70才になられるのですが、ちっとも変わっていなくて。いつもと変わ らず迎えてくれてました。平成十五年のお題は町または街。煙突のある 瀬戸の街並みを模したものでした。去年は結局、行かず終いだったので、 平成十四年のお題茶碗は求めることができませんでした。何と、一つ残 っていたのを出してくれました。それに穴窯の茶碗を一つ頂くことにし ました。引き出し黒もしくは瀬戸黒と言う茶碗です。引き出し黒は元々 は焼成の具合を見るため、窯の中から茶碗を取り出し水で急冷したもの。 それが偶然、いい黒色になることが分かり、一つの技術となったもので す。しかし本当に急冷してしまうと、陶器としてはすごく脆いものにな ってしまうのです。茶杓でも横で打つのでなく、茶碗の内側にほんの軽 く当てるだけにするという。そんなこともあって、今まででも勧めては くれませんでした。今回のは窯から出してゆっくりと冷ましたもの。黒 の出具合に姿、申し分ありません。お披露目は花祭りです。明日の初釜 は、お題茶碗でお楽しみ下さい。お雑煮などの用意は少し多めにしてお ります。飛び込みで結構で御座います。ご一緒に新年の一服を頂きまし ょう。1/2 平成15年初釜、1月3日。お寺備品の朱塗りの脚付きの膳で、きび餅 の雑煮、黒豆、お平を出す。お寺関係者も含め十人程座り、新年の挨拶 をする。 世の中三連休。珍しく小生の勤め先も三連休でした。のほほんとしてい ます。初日は、またまた織部の館に行って参りました。どうもあの織部 流の点前が気になる。お点前のビデオを見ておりました。茶巾の扱いが やたら丁寧というか、くるくる回しておりました。展示の利休七種の茶 碗は佐々木昭楽氏の作でした。谷汲さんへも寄ってみました。駐車場か ら長い参道を、お店を冷やかしながら歩いて行きました。いつもは、ほ とんどの店は閉まっているのですが、まだ謹賀新年のノボリなぞあちこ ちにあり、結構やっていました。ここら辺り菊花石が採れるらしく、石 を扱うお店が何軒か昔からあります。よく見ると、さざれ石1500円 とか水晶300円とか色々ありました。体にいいというトルマリン鉱石 もありました。この石、中国やブラジルから来ているそうです。さてそ んなことより、葉っぱの付いた竹の花入れが目に留まりました。お参り して帰りしなまた寄ってみました。聞くと、その店の大将が竹を切って きて作られたとか。12月の20日頃から、こうして並べているとのこ と。正月のちょっとした花生け用、500円。葉っぱの付いたまま3月 頃まで持つという。聞くと、竹の節を抜いて水を入れておくだけだそう です。竹の水揚げは秘伝中の秘伝かと思いきや、あっさり教えてくれま した。でもインターネットで調べたら、やり方は出てましたが。せっか くだから、釣り下げてあった尺八風の竹花入れを800円で買いました。 1/12 のこと。