* 平成22年花祭り呈茶4月4日 よく花が持ちました。この土日にもお寺で茶会をやってもいいぐらいで した。まあお寺では何となく何かとやりにくいことになってしまったの で。でもお茶は所詮、抹茶と茶碗があれば茶は点つというもの。そうい う訳で今日は桜の木の下で野点を披露しました。鞄からごそごそ道具を 取り出すと衆人環視の身となって行くのが分かります。昨年はお盆点て だったのですが、今回は小さな畳の置物みたいなのを使いました。その 上の棗に茶杓に茶筅を置き、袱紗捌きをして始めてみました。携帯用の ポットに湯、ペットボトルに水、そしてこぼしも。水はお寺の井戸水で す。すぐ右手後ろの他の花見客の女性達が小生を見ている。視線を熱く 感じていましたが、素知らぬ顔をして我々の面々に二服点てました。そ こでさりげなく菓子をそちらの女性に勧めました。一瞬向こうも戸惑っ ていたようですが、素直にお菓子を取ってくれました。少し大服で点て よかったら次の方とどうぞと言いました。そしたら何と十名余りの女性 が全員飲み回したのです。きっと彼女達には一つの思い出になり、結束 を深めたことでしょう。茶碗が返って来て御礼を言いました。この後も れなくマジックが見れますよとも。そう、そうなんです。この花見はマ ジック仲間の恒例の宴だったんです。だんだん増えて来て総勢20名は 軽く居たような。名古屋の若手のプロマジシャンはほとんど、東京から も女性マジシャンのまゆこさんが。伝説の三浦氏に捕まり茶道談義にも 花が咲き。しんぺいさんのレクチャに学生諸君が釘付け。最後は桜吹雪 に混じってカードが飛び交ったのでした。一応自分もカードは持って行 ったものの、やろうとしたら見事に手順を忘れていました。4/11 花冷えというにはちと違うような気がする寒い日もあったりで、この分 では花は今度の土日まで十分、持つようです。日曜の三時過ぎぐらいか らは、座敷の毛氈に桜の花びらがちらちらと舞って来るのが見えると思 います。そして風が出てくると部屋の中まで花が入ってきます。でもそ うした風情を感じることができるのは、きちんと座敷を茶席の設えにし てのこと。緊張感のない座敷に幾ら花が舞って来ても、ただそれだけの ことです。まると1年間使えなかった部屋です。奥の部屋は荷物を入れ たままで、茶席を設けること自体が危ぶまれました。何とか住職と話が 付き、庭に面した隣の部屋を水屋とすることができました。土曜日には 道具を運び入れ、念入りに掃除もしておこうかと思います。家元の見学 で見た普段のそれぞれの部屋、がらんとして何もない。日本間というの は本来何もない部屋で、人が精神を注ぎ込むことによって息を吹き返す。 先ずは掃除、そして軸を掛け花を入れる。そこに着物姿で襖を開け、よ うこそと挨拶する。客も正座をして静かに亭主が出るのを待つ。一座建 立、皆で座敷に命を吹き込むのだ。自分で炉壇を作ってみて、茶室の建 築のいかに細かな気の配りでもって成り立っているか分かった。何気な い見落としてしまう所に大工さんの細心の注意が払われている。だから 畳がひいてあって床の間らしきものがあれば、茶室になるというもので はない。まあそれで稽古はできるだろう。でも茶席の凛とした雰囲気は 望むべくもない。さて今回の茶席では、その雰囲気を作ることができる かどうか。さあー、ふと良寛の一二三、三二一の文字が浮かんだ。4/1 * 平成22年2月のお稽古  2月28日 四国の郷里からまた名古屋へ向かうのに駅に立った時、かつて見送りに 駅の外に立っていたおじさんの姿が呼び起こされます。そうした望郷の 念というのは一生あるものだと思います。母は駅で体が動かなくなった といいます。そして似たような体験をつい先日、この名古屋の地でする ことになりました。土曜日、興正寺に母を連れて行ってみました。小生 もだいぶ昔に同門会の総会で来たぐらいのことで、どういうお寺なのか まるで知りませんでした。そこは四国のお寺そのものでした。お遍路で 周った八十八箇所のお寺、青年大師が立ち大師堂があり、線香の煙が立 ち込めていました。岐阜から移築された建物は回廊の奥の方にありまし た。明日の利休忌の茶会のため中には入れませんでしたが、どうぞ上の 方から見て下さいと言われました。回廊と旧日下部邸など全体が俯瞰で き、手前は梅の木が里山として植えられ、それはそれは素晴らしい光景 でした。桃源郷とはこのことか。その庭を見渡す場所に東屋があり、も う少しで出来上がるところのようでした。大きな釜と漆塗りの箱炉を二 人がそこに運んできて和尚さんと打ち合わせをしていました。ふと我々 の方を見ていかがですかと声を掛けて来られました。後で知ったのです が興正寺の梅村ご住職でした。何か四国に来ているかのようにのんびり できますとしばらく話ました。日曜は自分達の月釜だったのですが、母 はポニョになってしまっていて、せっかく買ってきておいた時候の羊羹 と布巾などを忘れてしまいました。体に力が入らず思考能力がなくなっ ていたのです。そういう小生も時間差で少し熱が出てきたようです。3/4 ぽかぽか陽気で母についで、小生も脳みそがポニョになってしまうとこ ろです。いえいえ冴えていますよー。明日は待ちに待ったお座敷での宴 があるんです。岐阜まで着物を着て行こうかと目論んでおります。今時 男で着物姿なんてのはまるで見ることがない。正月ぐらいですかね、そ れと成人式もあるにはあるか。雪駄に羽織姿の男を名古屋駅辺りで見か けたら、たぶん私目でございます。素人さんの着物の着方、お茶人さん との違いがあります。正月によく見るいでたちは、先ずは下駄、胸元か らシャツが見える。着物の丈が短く、ひょこひょこ歩いている。とかな んとかえらそうにのたまっていますが、自分自身の猫背を直せ!。すい ません、こればっかりは生まれつきでして、かなり反り繰り返っていな いと、すぐに猫背になってしまうんです。昔、家では猫を何代にも渡っ て20年以上飼っていました。猫と一緒に丸くなって一緒に布団で寝て ました。ご愁傷様。3/5   宴終わって、梅は咲いたか桜はまだかいな。もう一杯お酒を頂きまして ほうほうの体で家に帰って参りました。日本の宴というのがこんなにも 楽しいものだとは、知らない人にはお気の毒。自分もこれまでの人生に 損をしていた気分で御座います。いえいえ、まだこの歳で知ることがで きただだけも有りがたいことで。人生、五十も周りそのぐらいでお座敷 遊びやってみるのが実はちょうどいいかも。若い内は一生懸命、仕事を しないといけませんがね。そうですなー、茶道でのお茶事も同様ですか な。歳を重ねないと見えて来ないものもあるのかなー、などと思ってお ります。ともかく昨晩は眠りが浅く、線香花火のようにいろいろんな夢 が出てきました。いろいろあり過ぎて、またまた頭がパニックになって しまいました。また詳しく書くとして一休みさせて下さいまし。 3/7   宴の顛末を期待している皆さん、おっとどっこいのほうれん草で、肩す かしぃー。土曜日は朝から雨だったんです。それでスーツで出掛けたん です。でも着物を鞄に忍ばせましてね、一応ぞうりも入れて。岐阜には 自宅から1時間半で到着。いつも岐阜に出向く時はちょっとした小旅行 の気分なんです。柳ヶ瀬で、かざをりえぼしのパネルを出していると聞 いていたので、先ずはそれをめがけて。なんやいつもよりたくさん人が 出ているぞな。四角のかぶり物を被った"やなな"お嬢もいるではないか。 小さなステージがアーケードに作られ、その前からは機関車が走ってい るわ。そうこうすると、どじょうすくいが始まった。半分即興でこっち に寄ってきてニソっとするわ、どひょー。しかし腹が減った。すぐ前に 大衆食堂があり、さぬきうどん四百円を頂きました。んー、かなりおい しかったぞ。食堂の中にはケバイ衣装を付けた年配の御人とお姉さんが 二人。そろそろ次の出し物が始まりそうだと店を出ると、刀を差した黒 の袴姿の御人が四六のガマと来た。そう子供の頃に一度か二度、熱田神 宮で見た"ガマの油売り"。その口上たるや筑波山麓の奥深く捕まえたる 蛙で製法をうんたらと。おいおい肝心の体を切って血を出し、その秘伝 の膏薬で忽ち治すところをやらないかんではないか。熱田さんでは見た ぞ、いんちき臭く切って血らしきものが出たのを。まあまあ、今は大道 芸の見世物で、売るのは無しなのね。いつの間にやらケバイ御一向さん は、実はちんどん屋さんでして、あっちの方に行きました。ステージの 辺りにはそこそこの人だかりなんですが、一息離れるともう見る人もい なくて。クラリネットの音色と鐘を叩く音が哀しかったです。昭和30 年代、もはや戦後ではない。そんな時代をふと感じされました。もうち ょっと見ていたい。お名残惜しいことですが、今日は大道芸を見に来た んではないんです。日本の粋を楽しみにやって来たのです。そしてとり あえず伊奈波神社の方に足を踏み出したのであった。雨はいつの間にか 上がり、しっとり濡れた街並みが、梅の香りに包まれていたのであった。 続く、乞うご期待。 3/8 先週の土曜日にあった事は、全く浮世離れしていて、もうどこか遠くの 記憶になってしまったような気がする。休みが明けて月曜になれば会社 に行く訳で、そしたらコンピュータに囲まれた平日を過ごすことになる。 小生がやっている仕事というのは、今日明日にやらないけない、という ものではありません。半年とか1年とか言ったスパンで企画して遂行し て行くものばかりです。むしろ短期で終わる、数時間とか半日で終わる ような仕事の方がやることがはっきりしています。向かいに座っている 男らはパソコンの修理などヘルプデスクをやっています。電話がかかっ てきてパソコンの調子がおかしい、出向いて行って対処して帰ってきま す。パソコン関係の情報は幾らでもあるのです。翻って小生の扱うのは、 情報はあるようでない。特殊な技術になるので業者の中にほぼ止められ ているのです。ですからそうした業者のセミナーに出たり、名刺交換し た人に電話して聞くとか。コンピュータ関係の雑誌をこまめに見るとか。 本もあまりないです。インターネットを検索して出てくるのは、自分が 書いた記事だったり。ですから最初の段階では、自分が分からないこと が何かも分からない。まさに一を聞いて十を知るように色んなところで 聞いた断片から組み立てて行くのです。ひょっとしたらこういうことで ないのか。あからさまに教えてくれくれでは業者は嫌がる。そもそも業 者側は我々顧客に理解してもらおうというスタンスではありません。ど うか細かい事は当社にお任せあれ、ということなんです。難解なことを 平たく解説するのが"よい子のお部屋"の趣旨。お茶屋さんの世界もなか なか分からない。でもそれを平たくというのは、ちと野暮という気が致 します。秘すれば花とまではいいませんが、ほどほどがよろしいかと。3/11 お茶の道具、特に陶器や磁器の抹茶茶碗や花入れは壊れ物である。些細 な傷が付いてもその価値はぐっと下がる。それ故、指輪やネックレスな ど金物は茶席ではご法度なのである。丁寧に扱っていても、やはり何か の拍子に他のものに当てて、茶碗の縁を欠けさせたりする。それはまあ 致し方のないことで、特にその人を咎めたりはしない。姿ある物いつか は壊れる。茶人にはそうした潔さが求められるものである。しかし、し かしだ何とも惜しい花入れが目の前に一つある。陶芸家で有名な山田絵 夢氏も真っ青になろうかという手造りの花入れ。ざくっとした造形美で 茶花を入れるには向きそうに無い。大胆に野生の枝や花を無作為に投げ 入れるにふさわしい。真に残念なことに少し欠けている。お寺でふらふ らしていた男の実家が多治見で窯業をやっていた。その男、跡を継ぐ意 志もなく、窯元は廃業し残った大量の陶器をお寺に運んだ。建物の陰と 木立で少しは雨風は当たらずにいたが、まるっと1年以上放置されてい た。建物を耐震補強をするとかでお寺の者がその陶器を処分するという。 名も無き陶工たちが作った物をみすみす土にしてしまうのはあまりにも 忍びない。母と共に箱に全部詰めなおした。数百の箱になった。大胆な 花入れは3つあった。先の男はたまに寺に出入りしていて、遠慮したの がいけなかった。ちゃんとお茶の部屋の方に持って来るべきだった。大 量の箱とは別に、本堂裏の部屋の玄関横に除けてはいた。しかし花祭り の前、本堂裏の改築作業の中であちこちに箱は移動させられた。その度 に多くの陶器が傷付いていった。花入れもどこかにやられてしまってい た。見つけた時には広場に作られた掘ったて小屋の片隅にあった。一番 姿の良かったのが大きく欠けていた、もう一つは目の前にある物だ。三 つ目は別な所から出てきて、無傷ではあったが姿はそこそこである。均 整の取れた形の物が壊れてもあまり惜しい気はしない。でもいびつな形 のが欠けているのは何とも惜しい。価値の分からない人等がぞんざいに 扱ったのは目に見えている。作業には日本人も居れば外国人も居た。形 あるものはいつかは無くなる。ものへの執着を捨てよとか。般若心経で は色即是空、空即是色という。しかしそれは方便であって、先ずは現世 では形あるものを大切にすること。物もそうだが勿論、人もである。3/15 すっかり春めいてきました。街路樹の木蓮も先週には満開になっていま した。そして名古屋でも桜の開花が発表されました。例年より十日早い とのことです。昨日の夕方、会社の横を流れる川の土手で土筆を採りま した。同じ場所でもだんだんと土が合わなくなるのか、いつもの場所に はほとんど有りませんでした。ずっと川沿いに歩いて行き、何とか生え ているのを見つけましたが、もう炊けていました。季節の移り変わりが ずれてきているのか、土筆の出を見誤ってしまいました。順路を元に戻 り帰りかけた所、他の会社なんですが大きな社員寮の建物の陰になる土 手に、まだ頭が青いのがありました。何とか一回は春の恵みを堪能でき るぐらいは採れました。気づいたら一時間以上、中腰で土手にへばり付 いていました。その間会った人は、犬の散歩で通り過ぎた人だけでした。 桜の満開は三月末の土日辺りか。27日と28日ですね。桜が散ってし まってからの茶会では何とも寂しい気が致します。これまでは4月1日 から8日までの土日で花祭りの茶会をやってきました。日曜の午後から は桜の花が一世に散り始め、それはそれはなかなかの風情でした。花び らが茶室まで入ってきて、赤の毛氈の上に散るのです。どうもその光景 も今後、見ることはなくなりそうです。花が早く終わってしまうという こともそうですが、永遠ということはやはり無いからです。毎月の懸釜 はお遍路さんへの接待の代わり、この名古屋の地でやってきました。も う十分やらせてもらえたと思っています。こうした節目は自然と訪れる ものだなと感じてます。それはまたチャンスでもあると。3/20 地下鉄の大須観音で降りて境内の方に歩いて行くとコンビニがありまし た。あれ、ここには昔から茶屋があったのに。何ていう風情の無いこと に。まあ自分自身も一度も入ったことなかったからなー。とほほと思い ながら境内に足を踏み入れると、もう五部咲きの桜が左手に。近寄って みると何と根尾の薄墨桜を平成8年8月8日に、根付かせたと札があり ました。結構大きくなっていました。いいものを拝ませてもらいました。 そして境内を西に抜けてアーケードに入り、昔から金物や骨董やらを扱 っている小さな店が幾つか並んでいる場所で足を止めました。骨董店は 5年ぐらい前に無くなり、今はクレープ屋みたいなのがあります。お目 当ては履物屋、実は雪駄の踵を直してもらおうと来たのです。小生が茶 道を始めた20歳、先生のお膝元の犬山で着物を作ったのです。大万呉 服店と言いました。その時、履物を先生が買ってくれたのです。犬山城 に向かう細い道筋の右手の履物屋でした。久しく雪駄の裏なぞ見たこと なかったのですが、こないだふと見たら踵の所が一つは無くなっていて 一つは半分に磨り減っていました。でも本体までは磨り減ってはいませ んでした。松風堂さんにも聞いたのですが、直してくれそうな店は知ら ないとのこと。それで調べたら、どうやら名古屋ではこの大須の店しか やれるのはなさそうでした。雪駄を見せると、こりゃ直さないかんと言 い、その場で踵を代えてくれました。5ミリぐらいの厚さの皮の踵で鉄 の鋲が三箇所打ってあるのを、銅の釘で本体に打ち付けていました。鋲 があるが故に雪駄の摺る音がするのです。話を少し聞かせてもらいまし た。津島に雪駄を作る職人が一人いたのだけど亡くなったとのこと。そ の人のことは小生も知ってました。朝日新聞の投書に跡継ぎがいないと いうことを書いていたのを切り抜いた覚えがあります。それで今は四国 の香川から仕入れている。その雪駄はガラスケースの下の方に一足?あ り2万3千円でした。さらな雪駄は反りがありました。30年も使った のはやはり性が抜ける。昔の鼻緒は細めにできているとも、確かに陳列 してあった雪駄の鼻緒は自分のより太かったです。大須にはかつて6軒 の履物屋があったけど今や内1軒だけ。松坂屋さんも修理に持ってくる。 このおじさんもそこそこいい歳だ。いつこの店も無くなるやも知れない。 お茶人さんはちゃんとした雪駄を買ってやって下さい。このお店にも安 い1500円とかそんな雪駄も置いてあります。裏を見るとまるっきり ゴム底で当然、鋲なんか打ってはありません。だいたいお寺さんが履い ているのは厚手のゴム底のようです。あれでは雪駄ではなく草履ですな。 大徳寺の金毛閣にある利休像は杖を持ち雪駄を履いて立っている。んー 草履と雪駄の違いが分からなくなったバイ。3/23 月曜日、仕事は午前中のミーティングだけで昼からは休みを取りました。 ちゃっと帰って来て、お昼を簡単に済まし八事に向かいました。掲示板 にも書いた通り興正寺の花見茶会に行ったのです。広い境内でどのよう にして野点席を二つも設えているのか。竹翠亭ではただの呈茶なのか点 前をしているのか。一つは五重塔の辺りに十畳程の床を作り、赤色の敷 物を敷き詰めてありました。もう一つは滝のある建物の下で立礼でやっ ていました。完全に風景の一つに溶け込んでいて、滝の所の様子はどう だったかよく思い出せません。石段を上がっていき竹翠亭へ向かいまし た。前回来た時は上からの眺めに圧倒され、これまたよく覚えていませ んでした。こんなに建物があったかしらと。つくづく何と素晴らしいと 感慨に耽っていると、着物の女性が寄ってきてお茶席の案内を話してく れました。お茶券は三席ある内で二席入ることができるとのこと。一枚 でお二人飲まれても結構ですとも。三時までなので、そんなに時間も無 かったので一枚だけ頂くことにしました。その話をした横のできたばか りの東屋で三席目が懸かっていました。お客さんも五、六人座ってお点 前をしているところでした。先に竹翠亭の建物を見学させて頂くことに しました。奥の茶室もゆっくり見て回廊にも出てみました。そこで先ほ どの女性が来られそろそろお席の方にて案内がありました。風の強い日 で茶筅など転ばないように工夫もされていました。簡単に点てていただ いて結構ですと言ったのですが、二人だけのためにきちんとお点前をし て下さりました。菓子は春霞を模した?竿物。茶碗は三島手のはんなり した雰囲気で、なかなかいいなーと素直に思えました。天皇陛下の御成 婚記念の茶碗ですと言われました。よくぞこの風の日に、そして野点の 席にさりげなく出してきた。またお点前されたのは表千家の先生、自ら。 興正寺のおもてなしの心、改めて感服させられました。このお寺にはや はり四国の八十八箇所のお寺の空気を感じます。さりげなくもてなす接 待の心が息づいているように思いました。3/29 * 平成22年1月のお稽古  1月31日 一年以上ぶりの炉の点前でした。座敷は相変わらずで一杯にしたままで 広間でやりました。置き炉を据え風炉先を前に、畳は毛氈を引き代わり にしました。広間でやるようになって、ずっとポットでお盆点てにして ました。炉や風炉の点前は何となくやれそうにないと感じていたからで す。今日は最初に小生が点前をやりました。丸卓での炉のお薄です。そ れが不思議と手が動き自分自身、何の違和感もありませんでした。続い てお二方にもやってもらったのですが、お茶らしい、いいお点前でした。 普段、私は茶道とは全然関係のない生活を送っています。ただ一月に一 度だけお寺で釜を懸けるのみ。でも点前座に座るとすーっと勝手に手が 動いて行くのです。さらに袱紗捌きはこう、吹雪は二の字に拭く。自然 に稽古を付けているのです。お寺での稽古は実に実践を兼ねていました。 お寺に来られたお客様が実際の茶の湯の客になりました。お点前の静寂 さ、菓子に抹茶、そして住職を輪とした清談。ですから、いつもそれな りの菓子を用意し抹茶も稽古用でない物を用意してました。掃除をして 軸を掛け花を入れ、茶室としての品を醸し出すよう手は抜きませんでし た。長いことやってきました。初めての月釜をやった日のこと、しっか りと思い起こすことができます。和尚さん一人でもいいから、釜に火を 入れましょうよと始めた。それ以降お茶のあるお寺になった。自分の初 心は全く変わっていない。淡々とやってきて、いつしか20数年経った。 今も変わらぬ自分がそこに座っている。変わらぬものこそ価値がある世 界。それはお遍路の接待、心の拠り所としての寺、伝統文化の茶道。そ れが変貌するならば、もはやそこに価値はない。1/31 2月も半ば、もう春を思わせる陽気の日があったと思ったら、背中を丸 くして寝る寒い夜もあったり。でも確実に新しい息吹がやってきていま す。ふと外に出た時の頬をなでる空気、そして霞がかかった空気。さて もうしばらくしたら、年に一度のお人形さんのお目覚めです。毎年この 文面にて案内してます、平安朝の男女の童の陶器の人形。この世に二つ とない傑作です。どうぞ会いに来てやって下さい。多分こうして皆様に 披露するのはこれが最後になるかも知れません。そんな予感がしており ます。今までよい子の茶道を見ていて、どんな所だろうと思っていた方 へ。いつまでもあると思うな親と金ではないですが、縁というのは思い たったが吉日。次はあるやらないのやら。一期一会とはそうしたもので す。四国遍路のお接待はずっと続いています。でも同じ人が同じ場所で いつもという事ではありません。違った人が別な場所で、でも気持ちは 同じで続いているのです。ですから小生としては、このつたない茶道の ホームページを見てきた人の中から、志を同じくして釜をどこかで懸け て行って欲しいのです。茶道というよりは茶の湯をやって欲しいと言っ ておきましょうか。お金がなければできないというものでなし、ずっと 稽古を続けていなければいけないというものでなし。茶の湯は身の回り の人達に一服どうぞと差し出すのみ。ひと時を和敬清寂の中で共に遊ぶ のみ。茶の湯は本当は楽しいのです。小生の会でその楽しみを知った人 は、それを伝えて行く義務があるのです。私も自分の師匠に知らされた 一人でした。小さな幸せが、実は大きな幸せにもなるのです。2/15 オバマに行ってきました。オバマはオバマでも小浜でした。特急を使っ ても大して所要時間は変わらない、さすが日本海側。朝の6時半に出て 着いたのが12時きっかり。余呉湖を過ぎ木の本辺りからかなり雪があ りました。敦賀はすごい雪が降っていました。ここで20分以上、電車 の発車が遅れたんですが。この先どうなるんだろうと思いきや、敦賀を 出たらすぐに雪はなくなりました。何しに小浜に行ったのかって?。た だ行きたかったから。本当は昔貧乏旅行で中学の友達と二人で小浜に来 たことがあるのです。岩場の海岸にテントを張り、獲った界などを鍋で 煮て食べました。腹が減っても金はなし、よろず屋でカップラーメンを 買い湯を入れてもらい奥で食べさせてもらいました。その場所は小浜の 三丁町の入り口辺り。最近お茶屋さんのことを調べていて、この三丁町 はかつては北前船で賑わったお茶屋さんが並んでいたところ。今でも二 軒がやっていて、まるで京都の町屋を歩いているかの風情が残るところ。 昔、来た時そんなことはつゆ知らず、ただ古い家があるなーとかすかに 記憶があるのみ。原点回帰というわけでもないんだけれども、はるかか なたにある記憶を辿ってみようと思ったのです。テントを張った磯場は ありました。山越えして行ったのは、海岸沿いにきれいな道ができてい ました。よろず屋があった場所らしきところにはこましな食べ物屋があ りました。磯場には水を汲んだ手洗い場もありました。水があったので 鍋ができ、体を海水から洗うことができたのでした。ここに間違いあり ません。手洗いのところには、岩場にへばりつくように椿が咲いていま した。その蕾を持ち帰ってきました。35年余りの時を経て咲く椿、今 度のお茶の時には時の花を付けていることと思います。2/21 今日は一日中、雨。ちょっとぬくみを帯びた空気がありました。こうい う雨を和歌や短歌ではどういうのでしょうか。春を予感させる雨、微妙 な感覚を日本人は持ち合わせています。湿った感性といいますか、谷崎 潤一郎の陰影礼賛の世界ですね。川端康成の"美しい日本の私"をこうし た季節に読んでみるのもいいかも知れません。今、目の前には枝ぶりの いい桃の木があります。日曜に使う月釜のお花として、会社の帰りに農 協で買って来ました。スーパーには菜の花と一緒にした細い桃の枝数本 で何百円かで置いてあります。花を入れる場所は本堂上がってすぐの廊 下、毎度ここに長机を出し白布をかぶせ、その上にどんと花を飾ります。 そして短歌の短冊を並べます。場所が場所だけに貧相な花では合いませ ん。ボリュームのある、どんとしたものを入れないことには。この枝ぶ りならなんとでもなるでしょう。まるで梅のずばえです。この時期、床 の間には花は置きません。主役は陶器でできた平安朝の男女の童。陰影 の時代ともいうべき平安朝、安倍晴明の化身かと一瞬、思わせる人形で す。いえいえ雨上がりに仲良く花を摘む愛らしい子供達です。2月25 日の晩にて。明けて土曜日、今日これからの予定です。桃の枝と菜の花 をお寺の長屋に仮置きして、抹茶を買いに行きます。そしておとつい発 見した茶室を見に行こうかと思っています。八事の興正寺に立派な茶室 ができていたのです。岐阜市の米屋町の町並みにあったお屋敷、日下部 邸を移築したものだそうです。米屋町の通りは最近、何度か通りました。 ぽっかり空いた土地があって仮の塀がありました。そうだったのか。2/26 * 平成21年12月のお稽古  12月20日 12月28日出勤。もう大方の所は休みに入ったのか、道は行きも帰り もすきすきだった。明日もフルに出勤である。隣の工場ではインフルエ ンザが流行っているとのことで、一日ぐらいのこと休みにしたろかと思 った。しかし正月を気分よく迎えたい。この数ヶ月、取り組んできたこ とでやっと先が見えた。コンピュータの各種サービスを利用するための ユーザ認証を統合するソフトウェアを試していた。これがまるで言うこ とを聞かない。まだ全貌が見えている訳ではない、分かるところから攻 めている状況である。今日の夕方、それらしい動きを確認することがで きた。それまではそれ以前の話で、ソフトウエアがちゃんと動かなくて ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返していたのだ。これから の目途が付かないまま年を越すというのもふがい無い話で。明日はだめ 押しで確認してよければ、心置きなくうまい酒が飲めるというもの。さ て今年の年末年始はいつもとは様相が異なる。30日はお寺の餅つきに は行かずにマジシャンとミュージシャン合同の忘年会に。餅つきで手の 感覚を無くす訳にはいかない。明けて3日は例年は一応、初釜の日なの だがこれも無しにするつもり。座敷がまだ工事が終わらないのだ。広間 でやることも考えたが昼まで檀家さんの集いがあってままならない。マ ンションのロビーに正月花を入れるかどうかは今、考えています。去年 は家のごたごたで花どころではなかった。ロビーでは遊ばないとか禁止 の張り紙がべたべたとあり、ちょうど花を置く場所にも今年張られてし まった花を入れる気が思わず失せる。でも一つぐらい正月らしい事をし よう。花だけは入れることにします。12/28 寒い夜です。まったりと大晦日の晩から元旦を過ごしました。毎年のよ うに紅白歌合戦を10時過ぎまで見て、お寺に行きました。般若心経を 詠み、今年ベトナムから来た鐘が本堂に響いてきました。日本の鐘より も低い音で、心深く染み入る余韻がありました。年越しの蕎麦を頂いて 外に出ると煌々とお月さんが浮かび、あたり一面の雪景色を映し出して いました。家に戻り、新しい日本酒で母とおめでとう御座いますと。津 島の酒でなかなかうまい。そうそう、31日の昼のことを。マンション のロビーに正月花を入れました。メインは弟が作った稲を正面に持って いき、梅のずばえに松に南天をあしらいました。なかなかの出来で、思 わず瀑布と名づけました。稲穂がたわわに頭を垂れた様が滝のように見 えたからです。デジカメを久しぶりに出し撮ろうと思ったのですが、何 と壊れているみたい。一瞬電源が入ったのですが、それきりうんともす んとも言わない。残念!。どなたか写真を撮りに、見に来ませんか。黒 豆と柿なますと玉子焼きなどお手製の御節とマジックがもれなく付いて きます。皆さん改めまして明けましておめでとう御座います。本年も何 卒よろしくお願いします。ここまで元日の晩に、ここからは2日に書き ました。写真なんとか一枚撮れました。電池が足りなかった?。花を入 れるに当たり一つおまけが付いたようです。梅のずばえを取りに行った 時に、藪の中で葉か枝が額に触れた気がしました。どうもせれがハゼの 木だったのでないか。29日の朝いきなり腰が痛くなり、それから額が 腫れてきました。左耳の辺りもピキピキ。何だろうと思っていましたが、 ようく額を見ると木のとげらしき物がありました。多分これが原因だっ たと思います。ただ今、医者いらずを絆創膏で額に貼っています。1/2 カードで言えばハートのエースを引いたような一日でした。今日の晩は 鳥の鍋をやることになっていました。柳ヶ瀬で遅お昼をとろうと歩いて いたところ、目に止まったのが店先に出ていたかつ丼の案内。まあこれ でいいやと入った。それが結構おいしかった。お勘定を払う際にふと目 に付いたのが舞茸で、思わずいい舞茸ですねと言った。そしたら冷蔵庫 から一塊を出してきて、どこやらから持ってきてもらったとのこと。あ まりにも見事だったので、もしよろしければ分けてもらえないだろうか と言ってみた。300円でごぼっともらいました。八百屋でもないのに 有難う御座いました。店を出てアーケードを出る所に豆腐があり、見た ら万福の出店。絹ごしを一つ買いました、110円でした。その晩、香 り高い舞茸での鍋物を堪能したのは言うまでもない。さて何で岐阜に居 たかとういうこと。昨年秋からお世話になっているお茶屋さんが、子供 に鼓や太鼓の鳴り物の教室をやっているのです。今日はその修了を兼ね てのお披露目会があったのです。男の子は黒紋付の袴姿、女の子は薄桃 色の着物を着ての本格的なものでした。後ろの壇にはお茶屋さんら大人 が三味線に唄いに能管です。演奏の後には一人ずつ修了証書が渡されま した。観客はほとんどが保護者など身内の人ばかり。我が子がこんなこ とまで出来るようになってと、感慨ひとしおだったと思います。小生も できればそんな思いをしてみたい。久しく子供に接することがなかった ので、忘れかけていたことを呼び起こされた心持ちが致しました。子供 達が着物に替える幕の合間には、歌舞伎で用いる鳴り物の話がありまし た。劇場に行っても見ることができない、御簾の中から聞こえる太鼓や 笛などでの効果音を実際にやってくれました。こんな事を見聞きするの は、お茶屋さんとの出会いが無かったら一生なかったことだと思います。 元は風の盆から始まったことでした。1/17 舞茸を日曜日に鍋で堪能したのだが、まだ残っていた。なるべく早く食 べた方がいいと思いながら今日になってしまった。普段は一人住まいな のでなかなか。冷蔵庫から出してみると、全然変わっていない。しぼな えてもいないし、香りもそのままだ。煮干で出汁を取って適当に野菜を 放り込み赤味噌を溶いた。竹輪と豆腐もあったのでそれも入れた。豆腐 は手のひらの上で包丁で大き目に切りました。全く味噌汁仕立てという のは、適当に作ってもうまい。何でこんなにおいしいのかしゃんと思っ てしまう。私めは味噌だけでなく、塩も少し入れます。味噌だけで味付 けしようとするとかなりの量を入ることにるからです。そして網でこう じのところは除けてやります。これでさっぱりした味噌汁仕立てができ るという訳なんです。それにしてもデパートの食料品売り場にあった舞 茸、もうしぼしぼになってやんの。ひと月ぐらい前に収穫したのでない か。そこら辺のスーパーじゃないんだからちゃんとした物を置いてもら わな。お値段もそこそこするんだし。ここまで話が金曜日で、日曜の晩 にもうひとくさり。お天気がとてもよく畑に出ていました。えんどう豆 の手を取っていました。藪の中から竹の枝を拾っていたのを畑に刺した だけですが。えんどうの蔓の周りには雑草が、一応名前は仏の座という んです。テレビで俳句の番組みがかかっていて、七草粥のことを話して いました。その時、確か仏の座と言っていたよな。大根の葉はしろすず と。それで結局、仏の座に蕪の小さな身と葉とノビルがその晩のおかず に並びました。全く草ぽくなくさっぱりと頂けました。七草粥は冬を越 した春の命の芽吹きを頂くのです。本当はこれからなんです。1/24 * 平成21年11月のお稽古  11月29日 ついに禁断の園に足を踏み入れてしまった。土曜日は小雨が時折降る寒 い日でした。夕方5時前に雨が上がり日が沈むひと時の間、西の方が茜 色に染まりました。おおー、これは良い事が起きる吉兆の印か。名古屋 から北へ僅か20分弱で着く岐阜。すっかり辺りは暗くなっていたもの の、大通りから西に一本入った道筋はこれから飲みにという人で賑わっ ていた。まだ約束の時間まで30分ある。ゆっくりと色んなお店を見な がら柳ヶ瀬に出た。そこから山寄りに少し入った場所が、かつての岐阜 の花街である。その名残を思わせる佇まいの料理屋がちらほら。どこも 打ち水をしてお客を迎える様が、ただの飲み屋とは違うことを物語って いる。中秋の名月の夕刻、只者ではないと見たお人のお店にやってきた。 そうここは京都や金沢にあるお茶屋と同じ、岐阜で唯一残るお茶屋さん。 そのホームバーにお邪魔したのである。京都のお茶屋さんには気楽に飲 めるバーがあることは知っていた。写真で見るとカウンターのみのバー のようである。しかしそれ以上のことはまるで見当も付かない、映画の 舞妓はーんで出てくるお座敷遊びはバーではないだろうし。玄関入って 左の部屋が座敷で、座卓と座椅子が置かれていた。若い主と先ずは正座 でご挨拶をした。八寸が出てよく冷えたビールを頂き、しばらくすると 別な予約客もやってきた。同じ座敷でのこと、また岐阜という街でのこ と、だんだんと打ち解けすっかりリラックスしてしまった。いつの間に か9時近く、お茶屋のお母さんの三味線で主人が赤穂浪士を題材にした 踊りと奴さんという軽妙な踊りを披露してくれた。それからまだまだ夜 は更けて行くのであった。続きは請うご期待。12/6 12月14日は赤穂浪士討ち入りの晩。お座敷では太鼓で雪がしんしん と降る様を、襖越しに醸し出していた。岐阜の元、花街があったところ に唯一つ残るお茶屋さんのこと。コンピュータ関連の業者でもあり友人 と、この日二人だけでお座敷を占拠して、久しぶりにうまい酒を飲んだ。 料理は近くの店から仕出しとのこと。懐石風に一品ずつでてきて、焼き 物が出てしばらくしてお座敷が始まった。おかあさんの三味線でおにい さんが踊りを披露してくれるのである。目の前で聞く三味線の音色はよ く響き格別。きりっとした着流しで二曲踊った一つが討ち入りの、明日 待たるる宝船と来た。つい先日も観たばかりだったが今晩がその日だっ たとは。曲が終わり、さあどうぞどうぞとお銚子を勧められるので、こ れ以上飲んでは足腰が立たなくなる。芸の選手交代ということで毛氈を 引き寄せ、おもむろに右ポケットからジョーカーを2枚取り出した。さ らに左ポケットからはカードを取り出した。これでしばらく銚子の手を 休めてもらったのだが、一通りマジックを終えたら、またうまく勧めら れて。相棒は座椅子で腕を組んで寝てしまうわ。小生は何とか持ちこた えたものの、いつになくお酒が入ったのは間違いのないことだった。お 茶屋のお座敷の雰囲気はまるで時間が止まっている、自分の家にいるか のようにリラックスできる。それでいてお茶席のように凛とした雰囲気 がある。大人が綺麗にひと時を過ごす場所。今度はおねえさんもお一人 呼んでいただくとしよう。いえね、相棒は何で呼ばなかったんだと、私 めはお叱りを受けたので御座いました。 * 平成21年10月のお稽古  10月25日 中秋の名月の晩に起こった奇跡。天下布武のうつけ武将が構えた山の麓 でのこと。千三百年の歴史のある川べりの古い町並みでのこと。そして 百三十年の歴史のある旅館から夕刻、静かに流しの一行が出てきました。 見物人は路地の左右にびっしり、だんだんざわめきが大きくなり、人垣 が崩れて行きました。そして正面の山、左手から中秋の名月が登りかけ た頃、広場でのステージも終わりました。数千人の人出だったとか。そ れからひと時半、お月さんが山の頂きの上の方に登った頃、再び流しが 始まりました。道筋には数える程しか人はいませんでした。静まりかえ った古い町並みをゆっくりと進んで行きました。いつの間にか見物する 人も増え、カメラのフラッシュも。でも流しが路地を左手に取った瞬間、 踊り子を先頭に誰もいない路地を進んで行くのを皆、後ろからついて行 くだけになりました。狭い路地の闇から上を見上げるとぽつんとお月様 が。町屋の高い屋根、その板壁は黒一色。その間を進んで行ったのです。 男衆の唄いと胡弓と三味の音が路地の中に響きました。ああー何という 光景、この世のものとは思えない。ぞくぞくと鳥肌が立つ思いがしまし た。日本海の山あいの町に何十万人と押し寄せる祭り。日本人の琴線を 捕らえて離さない踊りと唄い。しかし本番の祭りではただ人人人を見る のみ。今この目の前の流しが本当の姿なのだ。黒の板壁の路地を抜けた ところで曲は終わりました。輪踊りをして遊び、旅館に戻る道すがら三 味線を時折り爪弾いていました。それがもう一人の三味線も加わり、胡 弓も。最後に千鳥足の唄いも加わりました、これはかつてNHKで観た 光景そのものではないか。静かな興奮と幸せに包まれたのでした。10/05 この一月、ずっと風の盆の流しの事を書いたのを載せていた。それだけ 強烈な光景、一期一会の事だった。日本の古典邦楽の中でこんなにも魅 了して止まない歌舞音曲はないと思う。30歳前後のこと、小生は三曲 にはまっていて、しょっちゅう演奏会に足を運んでいた。その中に舞台 での演奏する姿に技術に抜きんでた演者がいた。文字通り三歳でお琴を 習い始め、東京芸大の邦楽科の大学院まで出て活躍している女性だった。 演奏はそれはそれは見事だった。時として花束を持って行ったこともあ った。でもいつしか足が遠のいて行った。確かにうまい、それは技術が 最高度に達していることによる。洋楽におけるピアノ演奏で、天才少年 現る。表現が悪いかも知れないがそうした上手さのような気がしていた。 感動には表面的なものと魂を揺さぶる二種類があると思う。先の筝の演 者は今の上手さを越えた境地に行けるのでないか。そんな期待を持って いたが、彼女には一つのレールが既に敷かれているように思えた。今と なって八尾の人達と比べることによってそのレールの意味が分かってき た。その違いはプロと母親の料理の違いの様なものかも。プロはいつも 一定の味を保障する、母親の方はたまには失敗もある。でも無償の心で 料理を作るが故に、プロの味を越えることもある。感動はその越えた一 瞬にある。核心はやはり心なのだと思う。日本的なものにはバックにこ うした心根的なものが流れていると思う。これは大学では教えられない。 むしろ壊しさえするのでないか。風の盆には大学はない。金儲けで踊っ ているのでもない。無心で踊り唄っているだけである。11/1 おとつい辺りから木枯らしという寒さになってきた。もう岐阜の柿は済 んだのだろうか。だいたい11月始め頃に行くのだが、今年はちょっと 遅れての岐阜行きだった。せっかくだから久しぶりに尾西の末木に寄る ことにした。20年以上前にここのご夫妻と、ある茶会の懇親会でお会 いして末木の名前を知った。十三夜での会にはしばらくご無礼をしてい る。何年か振りに頂いた椀物、申し分なかった。糸貫に着いたのは3時 を回っていた。柿の木には僅かに引っ付いていたものの、葉は盛りを終 えていた。しかし農協などの露天にはまだたくさんの富有柿が並んでい ました。柿を一袋と舞茸を買い、次の露天まで柿畑を走りました。いつ も買う無人の所には一袋だけあり、母が百円を入れに行きました。本当 は更に谷汲まで行き、参道の入り口の蜂蜜屋さんで蓮華の蜂蜜を買うの ですが、今回は最初のお店で求めました。さてこれからどうするか、温 泉はもう少し走らないとだめだし。十月の余韻を楽しむべく十八楼を対 岸から見て帰ることにしました。学生の頃よく通った道で忠節橋に出て、 そのまま長良川沿いを走って行きました。金華山の下に広がる岐阜の街 が綺麗に見えました。小生もこの光景は久しぶりでした。そして古い町 並みが残る道に入り水琴亭の横を通り、伊奈波神社に出ました。水琴亭 は茶会の手伝いを一度したなー。神社前では一月程前に無人販売の柿を 買ったばかりです。この日はおばさんが居て先客もいました。自分等と 先客とおばあさんで、柿を買うやりとりで何故かぴたっと心が通じたの です。おばさんが追いかけて来て、これも持って行ってくれと。母が大 好きなよく熟した柿を頂いたのです。四国のお遍路さんもびっくりだね と帰路に着いたのでした。11/22 * 平成21年9月のお稽古  9月27日、 一つ以前から気にかかる諺がある。"寄らば大樹の陰"の反対の意味で概 ね使われる"鶏頭となるも牛尾となるなかれ"。人に後ろから付いて行く よりも鶏の鶏冠でもいいから人の上に立て。漠然とそんな風に自分では 解釈していた。一般的には大企業の歯車で終わるより小さな会社の社長 になれ。調べてみるとそもそも鶏頭ではなく、"寧為鶏口無為牛後"と出 ている。読みは"むしろ鶏口となるとも牛後となるなかれ"。さらに牛後 は元々は牛后だったものらしい。この諺の解説はよそを見て頂くことに して、中国の歴史書に出てきた際には既に諺として用いられている牛后 とは牛の肛門のことを指す。言葉巧みに説得するのに、おまえのかあち ゃんでべそのような巷の言葉を引き出したのでないか。小国なれど一国 の王に"寧為鶏口無為牛後"と、まるでアメリカ映画の中でケツの穴の小 さい男だと相手に罵声を浴びせている。そんな様子が浮かんでくるのだ。 決してこの諺が今のような意味を最初から持っていたのではない、気が する。どっちにせよ間違えていけないのは、大企業の歯車になるよりも 中小企業に入って頑張れ、という意味ではない。中小企業のオーナーに なれと諺は言っている。まさに当の現代中国の起業家精神を喩えている。 "寄らば大樹の陰"の反対の意味としては不適格だ。さらに鶏口の諺には まるで逆の意味も存在するらしい。能ある人は小さな所に甘んぜず、大 きな所でその力を発揮すべきと。ぱっと思い浮かぶのはイチロー選手か。 彼にしても球団のオーナーにはなれないということだ。9/21 * 平成21年8月のお稽古  8月30日 掲示板にも書きましたが、茶の湯クラブ8月開催です。1ヶ月お休みし ただけで、もうずいぶん長く休んだような気がします。この間、一回だ けお茶の先生宅にお邪魔して稽古させてもらったのですが、落ち着く所 に落ち着かないことには。稽古は一般の民家なら六畳一間さえあればで きる訳で、お寺のように広い場所がありながら、稽古できないなんて言 うのはおかしい。9月もまだ座敷の工事が終わっているかは不明、また その場合は広間にて稽古することにしましょう。さてお茶の話はこの辺 で終わりにして、この夏のことなど。生憎お天気がよくなく、大雨は降 るは地震は起こるは、小生も四国に出かけるのを止めました。長かった お盆休みは自宅にて静かにネットワークの勉強、そしてマジックの練習。 名古屋大学の学生さんなどを連れてマジックバーをはしご、いえいえ小 生も参加?、引率の先生ならぬ感じにて。休み最後の日は名古屋観光ホ テルにて、マジックのコンベンションに参加しました。何と1万5千円 なりの参加料、しかしそれでも十分に安いと思う程の濃いい内容でした。 国内の主だったプロマジシャン集結、世界からもすご腕マジシャンがス テージに。ホテルのロビーでは休憩中に、テレビでお馴染みのマジシャ ンが気軽にマジックを見せてくれました、いや教えてくれました。まる で友達の友達みたいな感じで。小生も黒染めシャツに一つボタンのスー ツ、バッグはデュポンで決めて行きました。マジックのお陰でどんどん 人の輪が広がって行きます。茶道だけでは駄目だよと言ってくれた人は こんなことを言いたかったのかも。8/18 * 平成21年6月のお稽古  6月28日 明日のお稽古は座敷ではなく、外に飛び出すことにします。一応いつも の通り1時に集まって下さい。1時半にお寺を出発して石川丈山の里に 行きます。文人墨客、煎茶の祖である丈山の生まれたところです。京都 に住んでいた時の住居が詩仙堂で、この詩仙堂を模してできた所がある のです。そこでお抹茶を一服いただくことにしましょう。すぐ近くには 小生がよく立ち寄る魚屋さんがあります。寿司屋や日本料理屋さんなど プロが買いに来る魚屋です。以前、ここで鱧を買い自宅にてお膳を出し たことがあります。魚の見方をここでは学ぶことにしましょう。茶道は 座敷でのお点前の稽古ばかりでなく、日本人として衣食住のすべてが関 係しています。多分この数ヶ月は座敷は使えないと思います。広間の方 で割り稽古とかお盆点てとかいろいろやることはできるかと思いますが。 とりあえず今月は外に出ようと思います。和室はあの建物全体では四間 あります。全部の床下の工事はいつの間にか終わっていて、畳が歩く度 にへこんでいたのがしっかりとなっています。今日見たところでは、大 工さんは東側の二間の上の方を触っていました。建てられて70年だそ うです。だいぶ痛んでいるようです。和尚さんとしては来年大きなお寺 の行事をするに当たり、賓客など迎えて宿泊ができる部屋としたいとの ことです。そうなるとできるだけ不要不急な物は置かない。それで大工 仕事の邪魔にならないためにも、いろいろ道具類を仮り置きの場所に移 動しました。奥の部屋の床の間がしっかりと拝めました。こちらの部屋 もなかなかのものです。さて、仕上がりはどのようになりますか?。大 工さん次第で運を天に任すのみです。6/27 * 平成21年5月のお稽古  5月31日 箒の話を一つ。日曜、名古屋の三越で大江戸夏まつりという催しがやっ ていました。物産展で食べ物と伝統製品がたくさん出ていました。目に 留まったのが箒の店でした。棕櫚箒があって、そこに座っていたのはイ ナセなお姐さん。思わず貴方が箒を作っているんですかと声をかけてし まいました。棕櫚箒はこないだ四国の内子で一本、買ってきたばかりな んです。新幹線に箒を持って帰ってきました。内子は土産物屋が並びそ の一つに箒を吊り下げている店がありました。竹篭といい、だいたいア ジアのどこかで作らせた単なる土産という物が多いです。でもこの棕櫚 箒は違うぞと感じました。お値段はたったの750円、税込みで。棕櫚 箒は茶室の腰掛のところにも置いておくことになっています。でも作り がちょっと座敷で使う棕櫚箒とは違うみたいです。あんまり、これまで しっかり見たこともなかったから。こないだの月釜で、座敷を掃いてみ ました。ほこりが立たず、なめるようにほこりが吸い取られる。そんな 感じでした。作りもしっかりしているし、もう少し柄が長い方が使い易 いかも。箒を買う際、店のあるじが幾つかある中から、これぐらいが持 ちやすいだろうと柄の太いのを渡してくれたのでした。話し戻って、三 越で出ていたのは税込みで3150円。普通はこれぐらいはするだろう と思います。箒の先っぽを触れてみました。内子のと同じだと思いまし た。棕櫚には油分が含まれていて、床を掃くと艶出しにもなるとか。畳 を掃くのは油分を取るなり、抜けてから使うのだそうだ。内子の主から 卸し方うんぬんの紙を一枚もらっていた。物産展の箒屋に居た若い女性 それに内子の旦那さん、がんばって下さい。また買いに行きます。6/9 寝ようとしてたんですが、どうもお腹が空いてきた。それでやおら起き て食パンを焼いて頂いてしまいました。夜中に食べたんでは、悪玉コレ ステロールが溜まってしまう。いかんです。この三日連続で畑の草取り をやっていました。一日中ではないですよ、日が翳ってきた4時ぐらい から6時ぐらいまでです。母もこの畑に来ると体調が良くなるみたいで す。周りが山に囲まれて、一歩森の中に入ると空気が全然違います。畑 は野菜のとこは畝の長さで言えば、20メートルぐらいはあるんでしょ うか。ちょっと植えておくだけで一杯、野菜が採れます。こないだは鞘 えんどうがちょっと目を離した隙に、完全な豆になっていて、それで餡 子にしたんです。先月のお茶で生地を持って行って、その場で食紅と抹 茶を入れて捏ねました。100円ショップで買った文房具入れみたいな 四角の穴が一杯開いていたので、餡生地をぐにゅーと出しました。これ できんとんを作りました。先が細い箸で餡をふわふわっと寄せてできあ がりです。簡単なもんです。皆さんにも作ってもらいました。生地は半 分まだあり、冷凍しています。今度は冷凍のままぐにゅと出してみよう か。冷たい食感のきんとんができるかもと期待しているのです。そうそ う畑の話でした。花畑は南北に細長くあります。ざっと15坪ぐらいあ るのかも。北の方は水が漬くきやすく、菖蒲類を植えています。これま でいろいろ植えて来ましたが、場所を気に入ってくれた花木が残ったよ うです。僕自身は野菜も花も詳しくはなく、母の手伝いをしているだけ です。この澄んだ空気を吸って長生きしてもらわいないと。6/16 * 平成21年4月のお稽古  4月26日 久しぶりに瀬戸へ行ってきました。春の陶祖まつりと秋の瀬戸物まつり にいつも案内を下さる陶芸家がいます。もうだいぶ高齢なので、お顔を だけでも拝見しに行かなくてはと思っていました。車を文化センターの 方に止めました。ここは全然まつりという感じはなく、瀬戸駅から瀬戸 蔵にかけての範囲でやっていました。秋はごった返すのですが、見るに はこれ位がいいです。案内の展示は瀬戸蔵という会館です。毎年ひな祭 りの前に出す童の人形の作者の方も詰めていました。この人の作品は本 当、年2回のここでの展示でしかお目にかかれません。日展に出す訳で なく個展を開く訳でなし。でもそんなことは関係ない絶対的な美が、こ の作家の人形には宿っています。人形の両脇には打って変わって大胆な 花入れがありました。お寺の床の間なら映える、そう思い頂くことにし ました。案内を下さる方はちょうど家に作品を取りに行っていてました。 またしばらくして来ますと一旦出ました。瀬戸銀座の八百屋で地採れの 蕨が目に付き、お膳の材料にと思い一縛りもらいました。廉売市を見な がら藤井達吉ゆかりの無風庵へ。以前はぼろぼろの廃屋だったのが、今 では立派なお茶室です。一服三百円、高校生がお点前、お運びをやって いました。目の前に来た菓子鉢は見事な練り込み。運ばれてくる茶碗に も思わずえー。何と瀬戸の著名陶芸家の作品を使用。高価な物なのにそ れを感じさせないというのが、瀬戸の気さくな雰囲気でしょうか。瀬戸 蔵に戻りお元気そうな姿を拝見しました。お二方にまたお寺にお出かけ 下さいと言い、後にしました。そうだこれまで求めた作品でお点前をし 展観もしよう。それでお招きすることにしよう。久しぶりに嫁にやった 自分の童を茶碗を見て頂こう。うん、それがいいと思ったのでした。4/18 * 平成21年3月のお稽古  3月29日 桜はすでに3分咲きというところでしょうか。いつになく早い開花にな ります。今年の花祭りも多分、例年のごとく賑やかなものになると思い ます。日本に来ているアジアの人達、この大不況下で職を失い国へ帰っ た人もいるかと思います。でも徳林寺に関してはすでに4,5人のネパ ール人がやってきて泊り込みで花祭りの準備を進めています。それにわ ざわざ国からやってきたデベンドラさんもいます。彼はずっと日本の工 場で働いていて休み毎にお寺にやってきて寺男をしていました。僕の母 の手料理もだいぶ食べました。僕にとっては弟分みたいな存在です。こ こには変わらないものがあります。このお寺でお茶を始めた頃に書いた 一文に、10年20年経ってふらっとお寺にやってきた。そしたら相も 変わらず湯が沸いていて、さあ一服どうぞ。そんなお茶をやって行きた い。そんな事を書きました。それが本当のことになりました。この当人 は少しは歳をとり老けもしましたが、点前は変わることなく、また取り 立てて歓待することもなく。人がわんさと来る茶会や月釜になっている 訳でもなく、ただ淡々とやってきたに過ぎません。この数日ふと思った ことに茶の湯というのは、その家庭にあるごく自然なしきたりみたいな ものでなかったのか。正月前には男は座敷に籠もり注連縄を結う。女は 御節を作る。別に注連縄や御節の講習会が村内であるとか言う訳ではな い。でもその地域においてはどこの家庭の御節も似たような品、味付け になるわけで。長い長い年月が経ってもそれは変わることがない。そう いう意味で僕の茶の湯が変わらないでいるのは、これもごく自然なこと だと思うのです。そうそう、今年の花祭りの茶会は4月5日。でも4日 も釜をこっそり懸けていると思いますよ。3/27 多分、桜は今度の土日までもつような気配です。今日は月釜の日。お寺 の境内ではネパールの人等や日本人も混じって、茶店の小屋や本堂入り 口の受付などを造作していました。明日の晩は小生のお役目になってい る花祭りのポスター貼りを夜やります。9時も過ぎて車が少なくなって からですね。20数年前からやっているのですが、この近隣はまだ人気 がない場所が多く残っていました。今や地下鉄工事をすぐ下でやってい て、どんどん街の様相を呈してきています。本山、八事界隈というよう な洒落た道筋も出来てきています。この徳林寺一体は都会のオアシスと なり、またここでの茶の湯も人の知るところとなるやも知れません。本 日集ったのは小生含めて六名でした。その内のお一人はうれしいハプニ ングで着物を召したうら若き女性でした。お近くの方で、しっかりとお 稽古をしたいご様子でした。先ずはその方を正客に迎え、最初のお点前 をいつもの方にやってもらいました。やはり自然と亭主と客の挨拶にな る訳でして、御正客は少しはにかんでおられました。本当、今の生活で は手をついて挨拶するようなことは先ずありません。テレビドラマのお 嬢さんを下さいと彼女の父親に頭を下げるシーン、それぐらいですかね。 花は利休忌に因んでソロリに菜の花と桃の花を入れました。ソロリ盆を 添えました。初めての方に母が手ほどきして入れてもらいました。茶花 は楽しいです、自分で入れてみて初めて分かります。座敷に花という命 が吹き込まれて、ピンと張り詰めた空気を感じたことと思います。一生 懸命お稽古していきましょう。3/29 徳林寺 花祭り 4月1日〜8日 呈茶5日、一服300円 日曜はやや曇り空だったのですが、例年通りの人出でした。どこから来 たのか境内は一杯でした。茶会も盛況でした。茶券の数だけでも30以 上、他に座った人達が多分20人は。60服ぐらい出たのかも知れませ ん。お点前は二人でほぼ交互にやりました。点て出しの時も座敷に出て お相手をしました。最後の客はカメラマンで陶芸にはまっている男と奥 さんに生まれたばかりの子供。雰囲気がお父さんに似ているのか、その 赤子が小生のところにハイハイして来るの。可愛いです。僕も欲しいで す、正直なところ。いかん、まだだいぶ疲れが残っています。昨日は5 時ぐらいに片付けを始め、6時半ぐらいにお寺を出ました。母と一緒に 中華料理屋で五目ラーメンを食べて一息つきました。そして8時にはま たお寺に戻り、看板を外しに和尚さんと出かけました。お寺に看板は違 反ですとクレームの電話があったそうな。何て世知辛い世の中になって しまったのか。少々のアバウトさは許すようでないといかんのだがなー。 このホームページ、反応はほとんど無いのだが、結構見られているよう です。でも遠慮せずに書いてしまおう。世の中が女性化している。大雑 把な男性文化と細やかな女性文化の均衡が崩れている。否、牙を抜かれ た男性が増えているというべきか。大局を見ずして保身に走る結果、枝 葉末節ばかりに気を取られる。すっかり女性のものになってしまった茶 道に、身を置きながらアバウトさを説くのも変な話だが。昨日のこと男 ばかりで茶を楽しむ時があり、女は今は無用と奥に下がらせた。そんな こともあったので、ついヒトクサリしてしまいました。4/6 金土日、マジックとお茶三昧で遊んでしまいました。もう会社へ行きた くないかも。金曜日の朝、マイミクの書き込みでマジックショーが名古 屋ドームであることを知り、10分で支度をして家をでました。マジシ ャン勢揃いで良かったです。土曜日は月釜にたまに来て下さる方からお 誘いを受け、ん十年ぶりで釣釜の炭点前をやりました。ゆらゆら揺れる 釜に心もふわふわと。その後、お寺に戻り何とネパール人に着物の畳み 方を教えていました。話しのいきさつで着物をあげて、喜んで着ていた のですが、くしゃくしゃにしたんでは着物でなくなってしまうので。帯 の結びは適当でもいいとしても、でもネパール式の結びで格好はつくみ たいです。そして日曜日はお花見で、お盆点てをしていました。鶴舞公 園で初めてお花見を体験したんです。何の集まりかって、マジシャンの 集まりだったんです。飲み物か食べ物を何か一つ持参のこと、それでそ れなら桜の下でお抹茶を飲んでいただこうと。お湯は弁当用の魔法瓶に 入れてお水もペットボトルに入れて行き。菓子は羊羹を切って、干菓子 も少し用意して。小生が先ず二人分点てて、後は代わる代わる点てても らいました。初めての体験だと言って興奮してましたよ。周りは若い人 達ばかりの花見客でワイワイガヤガヤ。日が傾き始めた頃、マジシャン 魂が出てきたのか、そこら辺に出張って行ってとうとうお披露目になり ました。キャーという黄色の悲鳴が幾度も上がってましたよ。いやはや 困ったもんです。小生はまだそこまではなってません。衆人監視の中で 抹茶は点てていましたが。とても楽しゅう御座いました。4/12 桜がまだ残っている枝もあるというのに、一気に初夏の陽気になって来 ました。藤の花が満開です。ひょっとして蕨が出ているかもと、水曜日 に会社近くの土手を見たら有りました。すでに先客が採っていった草を 踏んだ跡がありました。たしっぽも折れそうな所からポキっと数本。蕨 は片手分ぐらい採れました。家に帰り湯を沸かし灰を一掴み入れ一晩寝 かしました。たしっぽはどこでも生えている雑草ですね。でもこれ食べ ることができるんです。皮をむいてさっとゆがくだけです。木曜日の晩 のおかずに並びました。きゅっきゅっという食感が楽しいです。肉の名 店の牛を奮発して、蕨などで冷しゃぶにしたのでした。でも残念、牛肉 は味がない。やはり多度の肉屋で買わないとだめです。金曜日の昼は残 った蕨とたしっぽを入れた山菜そばに化けました。出汁は母がいりこと 椎茸で取ったものです。それからお寺に行くと、種を撒いたさやえんど うが一杯実っていました。これからどんどん取れます。菜の花がもう茎 のようになっていて、草をむしりながら引き抜いておきました。帰り際 母が花のところだけ摘みなさいという。そしてこれらも今晩のおかずに 化けたのでした。五月にはえんどうの豆が採れるといいます。これで豆 ご飯にしよう。筍も掘って久しぶりにお膳を出そうかとなりました。蕨 ももう一度採ることとしよう。自然のものを自然体で出し食べてもらう。 お茶事とかいう訳でなし。一緒にこういうお茶をやりたい、そう思う方。 お一人是非、小生の半東になってやって下さい。4/17 * 平成21年2月のお稽古  2月22日 世界はどんどん悲惨な状況になって来ています。国内でも毎日、報道さ れる大企業の巨額赤字と雇用削減のニュース。風が吹けば桶屋が儲かる。 要は情報革命によって世界がとても小さい物になってしまったというこ と。どこかで誰かが大儲けして誰かが損をしている。それは何年か前ま では分からなかった。まだ世界が十分に大きかったから。それが今では 分かってしまう。地球のどこかで誰が歩いているかまでも分かる。もは や世界はお釈迦様の掌の上ではなくなってしまった。世界が百人だった らがある意味、現実化したのである。しかしこれは情報通信という意味 においての話なのだが、我々の生活がコンピュータなしではもはや有り 得ないのであって、イコールこれが現実というしかない。これまで人間 が経験したことのない事態が蔓延し、進行している。日本そして世界は 政治、経済において取るべき指針を示すことができるのだろうか。人間 のよすがである宗教も、それを示すことができるのだろうか。世界が十 分に小さいこと、これがヒントになるかも知れない。つまり一人一人の 行動が世界に反映される世界。そうだとすれば結局のところ、我々人間 は一人一人が世界がよくなるよう心がければ済む話である。貴方のすぐ 傍にいる心無い人を少し嗜める。派遣切りをする社長には奥さんや子供 が嗜める。ごみを捨てる人が98人いても、拾う人が2人いれば街は綺 麗になる。誰かが拾ってくれるだろうではなく、拾う一人になるほんの 少しの勇気。それだけで世界は変わって行くかも知れない。2/2 英語でしゃべらナイトを見ながら書いています。最終回だそうです。た まに見ていました。最近、英語を聞くことが多くなりました。何故かっ て?、YouTube 動画サイトでマジックの解説だとか演技が見れることが 分かったからです。レクチャーで教えてもらっても、家に帰るまで大方 忘れてしまう。カードマジックの手順、カード捌きを書き留めるのはな かなかめんどう。それが好き者が自分のやったのをインターネットに乗 せているのだ。とりあえず、ここの指はどう動いているのか知りたいと いうのには持って来い。どこか外国の子供が解説してたりする。何度も 見ていると、何となく分かってくる。ようやく英語が必要な場面が出て きたという訳だ。マジックの仲間、マジシャンもなんだけど英語は結構 当たり前という雰囲気なんです。ラスベガスのマジックキャッスルに出 ていたとか。これまで茶道をやっているような者が、英語なんて関係な いさという気持ちで居た。浪花節を聞いているみたいで、右から左に流 れて行くだけ。日本文化というある湿度を持った、谷崎潤一郎の陰影礼 賛のような世界。その枠組みの中でひっそりと表千家という茶道をやっ てきた。もう一つ高見に登ってみて、これから茶道に取り組んでもいい かなと思う。いわゆる侘び寂びという世界は、禅の世界でもあり、ゼロ は無限でもあるという思想。でもやっぱりゼロはゼロであって、実際に ゼロでない世界も見てみることも必要でないのか。でも無理してはだめ だ。自分を鼓舞して英語をジェスチャーたっぷりで話しをする。人格を 変身させるような事はやりたくない。マジックをやったことにより、自 然に英語の必要性が出てきた。んーこれでいい、自然だ。3/16 * 平成21年1月のお稽古   1月25日 そろそろ正月気分からも抜け出し、本格稼動のモードに入らなければい けない。ということで先ずはなまけた体に喝をいれるので、お寺で畑仕 事をしました。畑といっても月曜日にやったことと言えばは、ひたすら 土を入れただけ。お寺の裏手に藪みたいなごちゃごちゃした場所があっ て、ボランティアの爺さんが片付けたのです。そこの枯れ木や草がこん もりした所が、よく見るといい腐葉土になっていました。腐った木切れ や石やらごみやらを除いて一輪車で花畑の方に運びました。蛙が冬眠し ているのが出てきて、まるで動こうとしません。仕方ないので穴を掘っ て、ここでまた寝とれと置いてやりました。腹も減ってきて、だいぶ作 業したな、日も暮れてきたしと。帰りに、車の時計を見たらまだ5時前 でした。本当、外でのお天等さんの下での仕事はなかなか時間が経たな いものです。一日がとても長く感じられます。まだ腐葉土は採れそうな ので今度の休みもやるか。いかんいかん体を動かすのはいいが、頭の方 が田舎の和みモードになってしまう。お寺のある場所、畑はその裏手に 広がる空き地の一角、山の緑に囲まれたところ。信じられないような所 なんです。お寺のお婆さんは99歳。昔は下の沢に水を汲みに行ってた そうな。さぞかし名古屋でも僻地にあると思いきや、山のすぐ下では地 下鉄の工事をしている。本堂から直線距離にしたら百メートル。それで も蛍がここに出るんですよ。最後に茶の湯クラブのレギュラー募集。一 緒に澄んだ空気を吸い、井戸水での抹茶を頂きましょう。1/13 正月、20年振りで同窓会がありました。中学を出て5年間、苦楽を共 にした仲間です。滅多にアルバムも見ないのでしばらく顔も名前も思い 出せずにいました。とりあえずそれぞれ自己紹介しようと、勤めている 会社と近況を報告しました。自営を継いでいる人を除き、卒業当時の会 社に勤務していることが分かりました。これには少々驚きました。さぞ かし会社も変わったり波乱万丈の人生を皆、送ってきたと想像してたか らです。案外堅実なんだと思いました。僕の場合、就職に失敗し一念発 起して大学に入り、会社も結局2つ変わりました。そしてこのまま終わ るつもりもありません。大学に導いてくれた恩師が残した言葉に、これ から更に勉強することは得るものもあれば失うものもある。この真意は 今もって詳らかではありませんが、見えなくてもいいことが見えてくる。 或いは、分相応以上に知らなくてもいいことを知って行くと、消化し切 れなくなり却って心の染みになっていく。人間の世界は常に不確実で矛 盾に満ちているもの。掘り返すと幾らでも出てくる。矛盾している仕組 みも見えてきて分かったつもりになる。一枚の絵という番組みを見てい ると、なる程そういう心境で画家はこの絵を描いたのかと納得させられ る。そういう訓練、見方ばかりをしていると純粋に、ああいい絵だなと 見れなくなるのではないか。翻って我々、茶道のお点前でも所作の一つ 一つに解釈を加えるようなことだと点前が点前でなくなってしまう。知 らないこともまた知ること。勉強ばかりが能ではないということです。1/25 * 平成20年12月のお稽古  12月21日 12月の月釜はごくごくひっそりとした感じになりました。境内には人 気は無く、まるでどこか山奥に隠遁しているかのような茶でした。今年 は夏前からいろいろあり、かなりストレスもかかっていました。悪い時 にはまた悪いことが重なるもので、こうした時はじっと耐えるしかない のかもと思います。さて、そんな中においても今年最後のお点前をしま した。心も体も乱れているはずなのに、いざ点前を始めると自分でも不 思議なぐらい心静かに淡々と進めることができました。いつもとまるで 変らない点前、いやいつも以上に水の如く点前をしていると感じました。 小生、時あるごとに自問自答します。茶道を特に表千家をやって良かっ たのだろうかと。この流儀の最大の特徴は目立たないこと。自分では意 識してないのだが、自然と体に染み込んでいたようで、会社の仕事でも そうしてきた。事前にテストをし、また一つ先を読み、できるだけトラ ブルが起きないようにと。特に説明会をする訳でなく、いつの間にか操 作を覚えられるよう設計した。だから社内でCADを開発した人、イン ターネットや社内ネットワークを構築して行った人は誰か。意識する人 は少ない。水や空気は無くなって初めてその存在が分るというもの。ん ー、薬が効き過ぎたかと思う。ここしばらく他の表千家の人の点前を見 ていない。今一度見てみてもいいかなと思う。とは言っても、なかなか 落ち着いて見れる機会がないのだが。家元詰めの玄関のお点前はだいぶ 前に見た。淡々とした中にも何かしら華やかさがあったような気がしな いでもないのだが。12/29 * 平成20年11月のお稽古  11月30日 7月以来どうもグルーな気分だったのが晴れてすっきりした。体の異変 が訳も分らず続いていた。どうか癌とかやっかいなものでないようにと 祈っていた。病院の先生も専門が違うとまるで素人みたいなもので、検 査して値を見て判断することしかできない。胃の調子が悪い時なんかに たまに行く漢方医がある。そこの見立てが一番的確だった。さすが漢方 は全身の状態を診ている。未病を治すのが漢方だ。小生の仕事は会社の ネットワークの守りに安全性の確保。本当は便所掃除よろしく一つ一つ 確認してチェックシートにレ点を付けて行くのだろう。でも小生はそん なことはしていない。全体を見ている。ある程度のチェックは最初にし ているが、その後はコンピュータやネットワーク装置などの様子を見て いる。聴診器ならぬ音を聞いていることが多いか。たまに負荷状態を調 べるコマンドを叩くこともある。多分、人間ドッグ並みの検査を毎日や らないといけないのかも知れない。そういう運用の専門スタッフがいれ ばやれるだろう。しかし一人でお守りしている分では、全体を俯瞰しな がらそれこそ勘を働かせてやって行くしかないではないか。実際の運用 はそれで十分なのだ。この10年そうして動かしてきたが、大きなトラ ブルは無かった。小さなトラブルを見つけながら対処してきた結果だと 思う。人の体もコンピュータも概ね動く、結構柔軟なのである。あまり きっちり動かそうとするとコストがどんどんかかる。これも巧みなシス テムの考え方である。理解されにくいかも知れないが、いい加減という ことでは決してない。12/10 * 平成20年10月のお稽古  10月26日 どうもこの一月余り、何か書こうという気分ではなかった。まあ人生い ろいろ起きる訳でして、ある人曰く99%辛いこと、残り1%がうれし いことだと。こういう類の話は宗教関係の本でも読むとワサワサと書い てある。思い出したぞ、究極のお話で、それでちょうどおまえにはいい のだと。何事が起こってもちょうどいいと言う。喩え癌になって余命半 年と宣告されようと、おまえにはちょうどいいと。相田みつをだったか この話は。とんでもない話だ。多分、真に受けてはいけないと思う。禅 の逸話にもとんでもない話が多々ある。何を尋ねても指一本立てるお坊 さんがいて、遊び半分でそれを真似て指を立てる坊主がいた。師匠はそ の坊主の指を切り落とした。すると坊主はたちどころに悟りを得たとい う。誰でも知っているダルマさん、達磨大師はずっと座りっぱなしとい う修行で足が腐ってしまった。インドには今でも片腕をずっと上げっぱ なしとかそうした修行が残っている。それで今回のこの表紙では何がい いたいのかって。今、考え中です。今日のNHKの大河ドラマで言って いたセリフ、無策の策。たまには考えずに策なしで臨むこと。これもま た策。結局のところ、この世は人の世であって、人と人の間でどうする かということ。山に篭る修行と言ってもいつかは里に降りてくる。ずっ と山に篭ったままあの世に逝ったんでは修行でも何でも無い訳で。する と、ちょうどいいと言われて何を言っているんだと息巻くのでなく、さ らりと流すこともまたちょうどいいと、そういうことですな。11/23 * 平成20年9月のお稽古  9月28日 毎日ネットでお世話になっているGoogle。インターネットやっている人 で知らない人はいないだろう。とても簡素な画面なのだが、今すごい金 額の出るアイデアを募集していることをご存知だろうか。Googleで検索 していて、たまたまGoogleのその画面が出てきて僕も知ったのだが。何 と10億円。でもよく応募の要項を読むと、アイデアを出した人には一 銭も入らないらしい。そのアイデアを実現する所にお金を出すというの だ。皆のために役立つことができたという満足感が報奨とのこと。まあ まさにインターネットの精神なのだが。僕も早速応募しました。よい子 のイントラネットで書いていること、マトリックスという構想。これは 安全なネットワークの枠組みの提案であって、ひょっとしてこれ以上の ものはないかも知れない。もう一つ出しました。Googleアカシック・レ コードと言います。過去起きたことをあらゆる情報から再現する。この アイデアは他の人も思いついているかも知れません。あわよくば10億 円をもらう組織のアドバイザーにでもしてもらって、名古屋にも事務所 を作ってもらい、優秀なアシスタントも付けてもらう。頻繁に東京へも 行き来しないといけないだろうし、海外へも出掛けることになる。でも 英語はできせんしと、そんなこと言ってられないか。人にはじっと耐え る年月もある。ひょっとすると縁の下の力持ちから、外に出て行く時が 来たのかも。マトリックのアイデアは多分に表千家流、さりげなく自然 なものなんです。10/6 * 平成20年8月のお稽古  8月31日 いろいろ書こうと思いながら日が経って行きます。もう今年も後半にな ります。うかうかしているとすぐに年末が来てしまいます。早い話、淡 々と一日一日が過ぎて行っている。何事にも動ぜず、予測の範囲だと内 心思いながら。と言えば格好いいが、どうも違うように思う。表千家の 淡々とした点前の事、侘び数寄常住の意味。多分にこれらの考えに影響 を受け信じてきた。常にどんな場合でも淡々とでいいのか、水や空気の ようなものであっていいのか。人間の世界、これだけでは理解はされな い所もあるのでないか。夫婦の場合でもそういう関係になるまで、多く の葛藤と時間の積み重ねが必要なはずである。だいぶ以前のこと、コン ピュータ会社の技術と営業に親しい人がいた。三人でよく街で飲んだも のである。技術の人にはいろいろ教えてもらい、CADを開発して行く 上で世話にもなった有難うと。そんな話を飲みながらしていると営業の 男が怒り出し、僕だって見えないところで頑張っているんだからと言っ た。それから数年が経ち、コンピュータ会社は買収されその営業マンは 飛ばされ、買収した会社の営業マンに担当が変った。まるで話が通じな かった。見積もり一つ取るのにも話が行き違い、大変になった。そこで 彼が言っていたことを始めて理解した。彼は裏で見えないところで気を 遣ってくれていた、頑張ってくれていたのだと。永年、表千家を勉強し てきた自分にして気づかなかった。もしまた会うことがあったなら、あ の時は有難うと改めて礼を言いたいと思う。8/25 この国は大きな転換点に来ている。沈みかけた政治、経済という船は永 くとりあえずは浮いていた。タイタニックのような大きな船なもので中 にいる人達はなかなか気づかなかった。でも船は傾き、そこかしこから 浸水してきている。この場に及んでもまだ持ち堪えさせようとあがくの か。ちょうどNHKの大河ドラマで徳川幕府がどうやっても終わりに向 うのを我々は観ているではないか。歴史は後から理解できるもの、また 学ぶもの。今まさにその歴史が動こうとしているのだ。日本という国を 外から見たら、とても小さい国のように映るのでないか。もはや米国に つぐ世界ナンバー2の経済大国ではない。資源はなくとも技術があると 言ったのは昔の話。かつて企業は終身雇用に年功序列が揺ぎ無い制度だ と思われていた。QCサークルという滅私奉公が製造業の大きな原動力 でもあった。弱冠20歳の時、これらは右肩上がりを前提とした成長が あってこそのものだと、会社の研修のレポートに書いた。つい先頃まで 戦後最長の経済成長を遂げてきたと言われるが、それは派遣などで人件 費を極限まで削った結果に過ぎなかった。国内に十分な人間の数がいれ ば、どこかでそんな事をやっているで済んだ。しかし身近に正社員でな い人がそこかしこに居る。世界はそんなに広くはなかった。日本もそし て地球もだ。これからどうするんだ。蜘蛛の糸にむらがって、全員が自 滅する道を行くのか。或いは一度、廃墟と化しそこから立ち上がって行 くのか。どの道もう後戻りはできない、船は沈みかけている。9/2 ここのところ、全くひどい話ばかりだ。何でこんな世界になっちゃたん だろうと思うけど。あまり深く考えると気が滅入るばかりなので、少し はいい話を書いてみようと思う。今日の晩飯のこと、何と鱧の天ぷら丼 でした。土曜日に例の魚屋へ母と行き、鱧が氷の上に寝そべっているの と生け簀でくたばっているのを500円でもらってきた。背開きにして もらい骨切りは自分がやりました。鱧は多少くたばっていても、天ぷら にすれば全然問題ない。二人では食べきれずに残っていたのを今日、使 ったのだ。煮干で出汁をとり味醂と醤油で天丼のツユをちゃんと作りま した。卵は二つ使い、二回に分けて流し込みました。おいしかったです。 季節の変わり目は体調も悪くなり勝ちです。今は鱧は安いそうです。ど うです皆さんもチャレンジしてみては。話変わって、この間から思って いること。お寺の座敷に座ってお茶の手ほどきをする。常は会社員でお 茶は月に一度やるだけだ、マンションでポカンとしていると自分は一体 何ができるのかとふと思っていまう。でも体が点前を、お茶の雰囲気を 覚えてしまっている。お寺のお茶はこのままでいいとしても、自分を必 要としてくれる所があれば出て行ってもいいかなと。つまり出稽古をし てもいいかなと思い始めている。それぞれの家庭で楽しめる、しかし決 していい加減なものではなく、心地よい緊張感の中で一服のお茶を楽し む。そうしたお茶の雰囲気を大事にした稽古にしたいと思う。9/22 * 平成20年7月のお稽古  7月27日 まあ、とんでもなく暑いこと。全然、雨も降らないし。へたに外に出る とぶっ倒れるような気温です。今年、初めて部屋のクーラーを入れまし た。もう夕方になってきているのですが、まだまだ暑いままです。そん なこと言っていても、明日はいつもの月釜なわけでして、変らずやりま すよ。人間、何か一つこれはと決めたものがないといけませんね。何も ないと日々、無為に過ごして行ってしまうだけです。さあ明日も頑張っ てお稽古しましょう。点前は先月に続いて長板にしようかと思っていま す。続きは、明日終わってから書くことにします。準備していても玉の 汗が落ちて、でも庭に打ち水をして風も少しは通るのか、家にいるより ましでした。今日の参加者は自分を含めて三人でした。僕が最初、点前 をしました。先ずは先日亡くなった方に功徳を積むため、お茶と菓子を 捧げました。本堂の祭壇に供え三人で手を合わせました。別に形がある わけでは有りません。座敷に戻り点前を続けました。どこからか雷の音 がして、だんだん近づいてきました。3時ぐらいですか、さーと雨が降 ってきました。30分かそこら恵みの雨でした。でもその間、次の人の 点前はずっと雷鳴の中でした。こんな機会はめったに無いこと、自然と 一体になった感がしました。雷が遠くへ去り、木々の間から涼やかな風 が入ってきました。三人だけでこの場を占めて何て幸せなことか。次は 貴方もこのお一人に加わりませんか。7/27 * 平成20年6月のお稽古  6月29日 火曜の夜、楽しみにしていたのが終わった。テレビドラマの"絶対彼氏"。 世の中のトレンドを知ることも兼ねて、一つはドラマを見ることにして いる。よかったー、涙したぞ。ロボットみたいなぎこちなさも少しはあ って、でもアイシテルと繰り返し言われると、ただのセリフでもうれし くなるものだ。以前、正確無比な点前ならロボットにでもやらせておけ ばいいのだと書いた。多分、彼に点前をさせたら正確にやる。でもどこ となく愛のある人間味が出るような気がする。おっといけない、ただの ドラマの上でのロボットに感情移入してしまっている。問題はそこなの だ。相手がロボットなのか人間なのかの違いは。科学者がある実験をし た。机の前に衝立があり、反対側に何かがいる。マイクで向うの人?と 話をする。それで会話ができて反対側に人がいると感じるかどうか。衝 立を取ったら人はいなくてコンピュータがあった。ロボットを研究する ということは、まさに人が何かを知ることなのである。人は混沌した思 考の中から瞬間瞬間の動きをしていくもの。こうして書いていても、勝 手にいろんなことを思い巡らせ、無意識の内に頭をかいたり、目を台所 の方にやったりと。そして書く手が止まってカードを手に取りぱらぱら とやってみる。人というのは多分に曖昧、複雑、否そう見えて実は単純 なのかも。ではロボットはコンピュータは本当に正確無比か、全然そん なことはない。バグだらけ、所詮人がプログラムを手で書いたもの。バ グが曖昧とか感情みたいなものか、違うと思う。人で言えば精神分裂病 に近い。バグを制御した上での曖昧さでなければとても危険だ。6/24 掲示板の通り、昨日の月釜では長板で濃茶をやりました。梅雨の雨模様 の天気でしたが皆さんやって来られて、それぞれお点前してもらいまし た。座り火箸に立ち火箸、飾った火箸の扱いが少々難しいんですね。僕 はいつの間に覚えたのか知りませんが、火箸を持つと勝手に手が動きま す。ごく自然な動きなんです、あんまり考えてはいけません。最初、火 箸の扱いを説明している時に、和尚さんがベトナムの若い僧侶を連れて 来られました。皆で火箸を持って稽古していたのを見て遠慮されるので、 いえどうぞどうぞと招き入れました。お寺では今、ベトナムで梵鐘を製 作してもらっているのですが、その関係で来られたようです。柄杓建は かなり古いもので、その僧侶にこれはひょとしてベトナムから来たもの かも知れませんよと話ました。手に取って、下の文様はベトナムにもあ る、上の模様はないですと片言で答えてくれました。茶道の道具は大方 がアジアの国々から到来したもの。お寺にやって来るアジアの人達は皆 ここで饅頭と抹茶を頂くことになるのですが、一様においしいと言いま す。ベトナムにはういろみたいな菓子が日本よりもバラエティに富んで あるとか。茶道は日本固有の文化なんですが、その広がりはアジア全土 に果ては中東の方にまで及んでいる。そんな話題で茶を飲みながら一時 を共にすることができる。文化だなんだ、そんなこと言うまでもなく自 然に。これって素晴らしいことだと思いませんか。6/30 "解夏"という映画があります。失明して行くまでの苦悩を描いた映画で 最後、まったく目が見えなくなったところで終わっています。そんな人 が近くにいました。当時、高校生だった男子がお寺にやってきて座禅を したり、またお茶にも座っていました。夏休みネパールに初めて行くと 出掛け帰らぬ人となりました。飛行機がネパール山中に墜落したのでし た。その子の母親もよくお寺に来て、何度かお茶席には座っていました。 事故から何年か経ち、彼の碑も境内に立ちました。お茶の稽古もやって みたいと、少しは心を落ち着いて来たかに見えた時、癌に侵されてしま ったのです。でも、それからというもの普通にお茶に来られて一服飲ん でいかれ、またたまにはお点前も稽古して行きました。ここで自分の息 子が座って稽古していた、同じ場所に自分も身を置きたい。多分そうい う思いもあったのだろうと感じていました。四国遍路でも先祖が歩いた 道を自分も歩いていく。薬師寺の写経でもしかり、親の写経が奉納され ていて自分もまた書く。でもその順番が逆転するのは願わくば避けたい。 親より先に子があの世に行くのはいけない。その方、ほとんど月釜は休 みなく来ました。靴をぬいで座敷に上がることができなくなり、縁側に 座り茶碗を手渡ししました。先月はとうとうお寺に来ることもままなら なくなりそれが最後でした。覚悟していたので亡がらを見ても涙するこ とはありませんでした。しかし子息の碑に花を添えた時、思わず涙がこ ぼれました。お母さんがそちらに行ったよ、お二人とも安らかに。7/21 * 平成20年5月のお稽古  5月25日 人間いつの歳になっても頭は遣うものです。大方マジックを3年やって 自分でもできるようになったかなと思います。茶道の点前でいえば、平 点前がこなせるようになった。そんなレベルです。でもなかなかそこま で普通いかない。途中で皆やめてしまう。お陰様で新しい知り合いがで きて、若い人達と楽しませてもらっています。学校を出て何年も経って くると、だんだん友人とも疎遠になり、職場だけの付き合いになって行 く。それとても30代ぐらいまでのことで、新人が入ってくると中間管 理職ということにだんだんなって来て、ワーワー言っておられなくなる。 そうして大した友達もなく定年を迎えるという図式が、昨今の男の人生 みたいです。その点、女性の方は元気でどんどん外に行って友達を作っ てくる。文化的だし活発です。男もちっとは遊ばなきゃ。会社と家の往 復でどうする。個人的な趣味もよし、地域のボランティアでもよし。本 当は茶道なんかは男の趣味だった訳で、いいはずなんだけど、やる同志 が極めて少ない。その点、内の茶の湯クラブは結構、男子はいます。寄 ってらっしゃい見てらっしゃい。男は茶道だけが趣味というのはだめで すね、きっと。もう一つ何かあった方がいい。かつて母の友人が僕にそ う言ってくれたことがあります。その人は旦那さんと仕舞いをやり、習 字も長くやっていました。という訳で僕はマジックと出会って遊んでい るのですが。その元の出会いは COSTA VARIOという呉服の黒染めに近い 黒のシャツを手に入れたことが始まりだったんです。6/10 表千家の茶道の点前の特徴は目立たない所作であること。これはこのよ い子でも何度も書いてきたことなのだが。以前、花祭りの茶会の招待状 にごみ拾いのことを書いた。点前を習い始めた時は真っ白で、稽古を積 み重ねて行くに連れ癖というごみが付いてくる。ちょっとできるように なってくるとうまく見せようとか、点前なんか簡単だというような慢心。 そしてそのごみを又、取り去って行く。そして何も無くなった状態でお 点前する。それが目だ立たないということ。最近、もう一つあるのでな いかと思い始めている。それはお客の立場にたって見た様子である。こ の亭主、やたら丁寧なお点前でゆっくりだ、あるいはせかせかして早い とか。これは客から見て、客の心理状態なのだが亭主の呼吸とマッチし てない時にそういう印象を持つ訳だ。客の意図する気持ちに応えて点前 を進めていけば、何の違和感も感じないことになる。何でこんなことを 思ったかというと、客が自分の意思でカードを引いたと思わせる。そう いうテクニックがマジックにはある。5枚のカードを出してだいたい8 割の確率で選ぶポジションというのがある。更にさりげなく一番右のカ ードのすぐ側に手をさりげなくおくと、客の方は無意識の内にそのカー ドを避けようとする。でも自分では避けたつもりはないのだ。お好きな カードを1枚と言われて、何のことはないマジシャンが所望のカードを 選ばせている。自分の意思とは何?という疑問がよぎるのだ。マジシャ ンは相手の様子を目を見ている。翻って茶道の点前はお客の顔を見てな い。これではお客の心を読むのは難しいということか。否、茶道ではそ れも超えて場の雰囲気を読むものなのか。6/20 * 平成20年4月のお稽古  4月27日 花祭りの茶会が終わって、今日は何日だ?。もう一週間経って14日だ。 じわじわと暑くなってきました。何と会社の帰りがけ田んぼからゲロゲ ロと蛙の鳴き声がしてました。まだ田に水が入ったばかりだと言うのに どこから出て来るのでしょうね。川の土手で朝、籠を持った人がいまし た。蕨が出ています。また採りにいかねば。土曜日は西の山へ向いまし た。木曽川を渡る手前に道の駅があって、ここはレンコンの産地なんで す。海老とレンコンのはさみ揚げがとてもおいしい。寄ると必ず買って その場で食べます。それに今年出た蓬で作ったヨモギ餅、これも混じり けなしのお餅でうまい。母はフキやら野菜も買っていました。ここまで 来ると多度の山がくっきり見えて、山の中腹にまだ残る桜が所々見えま した。大鳥居をくぐり多度大社の里を右眼下に見ると、またその山にも 桜が桜桜で、こりゃ吉野まで行く必要ないぞと母と話しながら車を進め ました。本当きれいだったです。多度大社はしばしばお参りに行くので す。お願いすることは毎度、良縁と母が長生きしますように。お参りし て降りて来たら馬車がありました。馬がおとなしそうに居て、桶に草が ありました。恐る恐る口元に持って行ってやると、ぱっくとむしゃむし ゃ食べていました。それから多度の駅のパン屋で、思いがけず筍が手に 入りました。駅の辺りに少し店があって八百屋でもあれば筍をと思って いました。母が何気なくパン屋で話したら、店のおばさんが朝、掘って きたのを買ってぇーと言ったそうな。それは立派な筍でした。昨日、筍 ご飯とワカメにフキとの炊き合せになりました。ご馳走様。4/14 * 平成20年3月のお稽古  3月30日 チャンネルを回していて、ふと手元が止まったのが”あらすじで楽しむ 世界名作劇場”。羽野晶紀という女性が『二十四の瞳』を一人芝居を演 じていた。うぉー久しぶりに感動したぞ。バックにスクリーンがあって 子供達の写真などが出て、また声も出て来る。こんな演出は見たことな いし知らない。ただの朗読とも違う。何これ?、一体。彼女のところだ けたまたま見たので、他の出演者がどうだったのかは知らない。本当そ こに大石先生が居た。番組が終わってから調べた。羽野晶紀ってどんな 人?。役者さんでした。しかも何かと話題に登るあの狂言師の奥さんで した。別れるの別居だのと悩みを抱えてもいる。ちらっと検索した話で は、彼女はもう自分の道を行った方がよさそうです。本格女優業に8年 振りに復帰とも書いてありました。その意気込みが伝わってきたのだと 思います。頑張って下さい、陰ながら応援します。最近、40歳前後の 女性に輝いている人が多いと思いませんか。今NHKで再放送している 『恋する京都』に出ている鶴田真由、この人の話す京都弁の何と美しい ことか。細やかな女性らしい仕草、一瞬足りとも目をそらすことができ ない。ドラマを見ながらこんな人となら、子供がいても結婚したいと思 いました。そして更に、残念なことにもうこの世にはいない二人を挙げ なければ。一人は本田美奈子、生前ビートたけしの番組に出ていたのを 見た。ミュージカルの歌だった。この人、輝いていると思った。一瞬の 輝きだった。もう一人はZARDの坂井泉水、たもりの歌番組に初めて テレビ出演した時のことを覚えている。この二人、あまりにもはかない。 神様の何と不公平なことか。4/2 徳林寺 花祭り 4月1日〜8日 呈茶6日、一服300円 ◇ 花祭りの茶会が終わって、今日は何日だ?。もう一週間経って14日だ。 じわじわと暑くなってきました。何と会社の帰りがけ田んぼからゲロゲ ロと蛙の鳴き声がしてました。まだ田に水が入ったばかりだと言うのに どこから出て来るのでしょうね。川の土手で朝、籠を持った人がいまし た。蕨が出ています。また採りにいかねば。土曜日は西の山へ向いまし た。木曽川を渡る手前に道の駅があって、ここはレンコンの産地なんで す。海老とレンコンのはさみ揚げがとてもおいしい。寄ると必ず買って その場で食べます。それに今年出た蓬で作ったヨモギ餅、これも混じり けなしのお餅でうまい。母はフキやら野菜も買っていました。ここまで 来ると多度の山がくっきり見えて、山の中腹にまだ残る桜が所々見えま した。大鳥居をくぐり多度大社の里を右眼下に見ると、またその山にも 桜が桜桜で、こりゃ吉野まで行く必要ないぞと母と話しながら車を進め ました。本当きれいだったです。多度大社はしばしばお参りに行くので す。お願いすることは毎度、良縁と母が長生きしますように。お参りし て降りて来たら馬車がありました。馬がおとなしそうに居て、桶に草が ありました。恐る恐る口元に持って行ってやると、ぱっくとむしゃむし ゃ食べていました。それから多度の駅のパン屋で、思いがけず筍が手に 入りました。駅の辺りに少し店があって八百屋でもあれば筍をと思って いました。母が何気なくパン屋で話したら、店のおばさんが朝、掘って きたのを買ってぇーと言ったそうな。それは立派な筍でした。昨日、筍 ご飯とワカメにフキとの炊き合せになりました。ご馳走様。4/14 * 平成20年2月のお稽古  2月24日 皆さんご機嫌よろしゅう。年度変りの3月は何かと忙しいものです。昨 今でいえば会社などのホームページの模様替え、こうした仕事をしてい る人は寝る間もない程になっているかも知れません。あるいは4月いっ ぴから人事異動で、これまで全然関わったことのない部署に移る人もい ると思います。小学生や中学生の時、毎年クラス換えで結構、不安を覚 えたものです。でも4月が終わる頃にはすっかり慣れてワイワイやって いたものです。仕事となるとそんな訳にはいきませんね、やはり大変で す。自分は異動はあるかって、早い話どこにも持って行き場のない男で して必要悪になっています。金を稼ぐどころか遣う方で、これまで何億 円とコンピュータ機器を買ってきました。手描きの図面でよければドラ フターがあればよし、でもそんな事ではいかんでしょ。CADを使わな いことには。CADソフトは僕が開発したので、タダみたいなものです がハードは買わないことには。そしてインターネットが出てきてもホー ムページもメールも不要ならそれで構わない。でもそんなんでビジネス になるの?、いるでしょうと。田舎の企業なので説得して金を出させる のはもう大変。だいたい製造業なんてのは、戦後からずっと同じような スタイルでやってきた。そりゃ工作機械も新しいのが入ったり、ロボッ トが導入されたりはしたけど、産業革命ほどの大きな変化は無かったわ けで。インターネットはまさに蒸気機関の発明以来の大きな変革でした。 その真っ只中で仕事ができたのは、非常にエキサイティングな体験だっ たと思います。まだ終わった訳ではありません。まだしばらく遊ばせて もらいます。よい子のイントラネットをよろしく。3/6 せっかくこのホームページを見て下さっている方がいるので、たまには 何か茶道の話題はと思うのだが無い。それよりもここしばらく頭を遣い 過ぎて、と言えば聞こえがいいが、単にディスプレイを見過ぎて目がし ょぼしょぼしているのだ。毎日、夜10時も終電までも仕事してたら一 体どうなることやら。ともかく最近は自宅のパソコンとネット環境を一 新しようとやっている。何のためかって?。一儲けするんですがね、そ して立派な数奇屋を建てる。まあ、なかなかそんな訳には進まないもの ですが、先ずは希望を持つこと。それが大事ですよね。こないだの土曜 日は丈山の里に行って詩仙堂の座敷から庭を眺めながら、お抹茶を頂い ていました。安城の田舎に似つかわしくない、それは素敵な建物であり 庭なのです。こんな所で毎回、お茶ができたらいいなーと行く度に思い ます。同じ人間に生まれて、作れんことはない。まま、でも欲をかかな ければ土地は目の前にあるし、掘っ立て小屋みたいなのでよければいつ でも作ることができる。現に二畳の茶室らしきものは畑の側に建ってい る。石もようけ転がっていますよー。十分に深山幽谷の石組みができる。 でも何かが違う。それは雰囲気ですか。お茶は無理して雰囲気を作るも のではなく、自然と醸し出されるもの。その土壌がやはり必要なのだと 思う。地理的なものもあるだろう、歴史もある。そしてそこに居る人々 が一番大事だ。となるとお茶の雰囲気は人々の歴史が作るのか。春の陽 気も加わって頭がぽやーとしている。無駄話をしてしまった。今度は花 祭りの案内のことを書きます。3/17 金曜日のこと会社の帰り、幹線道路を走らず田舎道を走り、車を川の側 に止めました。昔なら春の小川に出てくるような川幅2メートルぐらい の川です。護岸工事してないところもあって、菜の花が川に沿って黄色 の帯を作っていました。すぐ側の田んぼのあぜを見ると、土筆がまだあ りました。大方開いてましたが、中には蕾のも見つけることができまし た。土筆を採るのはこれでこの春は最後だろうなーと、一人もくもくと 摘んでいました。すると、夕刻六時の合図でしょうか。鐘の音がゴーン と。思えば久しく鐘の音なんか聞いたことがなかった。そろそろ辺りを 夕闇が包み始めた頃のことでした。日本という国は、鐘の音に人里は守 られて千年二千年と続いてきた。美しいなーと思いました。それに比べ 今の世の何と忙しないことか。ここらでのんびりしませんか。僕等の後 も千年間、この国を守り継いで行きましょうよ。明けて土曜日、それに 日曜はお寺の花畑をやっておりました。菖蒲の株が密集して団子状にな っていました。先ずは萱がびっしりとはびこったのを取ることにしまし た。鍬やスコップなどで掘り返し、土を払って萱の根っこを取り除いた のです。まあ体力の無いこと。二日かかって3メートルぐらいやれただ けでした。それでも菖蒲は株を小分けにして、植え直すことはできまし た。自然相手の仕事は大変です。花は好きだけど虫は嫌い、直射日光は お肌に悪い。そんな事、言っていたんでは花はつくれません。美しさは 辛抱と忍耐なくしては得られないものだと思います。3/24 * 平成20年1月のお稽古  1月27日 年明け早々からもいろんな事件が起こっています。世の中だんだんひど くなって行く気がしてなりません。ネットの世界では性善説はどこかに 吹き飛んでしまっていて、性悪説で捉えることがもはや当たり前になっ ています。実社会も然り、全て疑って見た方がいい。新築マンションは エントランスの指紋認証や、至る所監視カメラがあるのがセールスポイ ントになっている。ここんとこ一番賑わせているのが、中国産冷凍食品。 ちょうど問題になる前、会社で飲み会があって食べている最中からどう も腹具合がおかしくなった。胃が荒れた感じで元に戻るまで何日かかか った。どこの店も造りは似たような感じの居酒屋が増えている。チェー ン店でしゃれた内装だ。数年前からか、これらの店で食べてもまるでお いくない。どこで食べても同じような味だ。串物でも鍋の具でも皆、冷 凍食品だったみたいである。今回の事件で漠然とそうではないかなと思 っていたことが明るみになった。学校給食も病院の食事もどこもかしこ もそうだ。冷凍もんを使ってませんという飲食店があれば、今なら逆に それを宣伝にできるぞ。お金をとって食べさせる以上、まともなものを 出すのが筋だ。自分で焼きそば作ったら、一つのキャベツでどんだけ作 れるか。どれだけ店はコストをけちれば気が済むのか。昔、ある女性が 冷凍食品を上手に使って時間を有効利用するのが賢いのだと言っていた のを思い出す。しかしその家の台所の汚かったこと。食べることは一番 の根源的なこと。それを片手間程度に考えるのはいかがなものか。そん な積み重ねが、昨今のおぞましい世界を生み出す一つの要因になったの でないか。2/3 僕の人生に影響を与えた話。小学校だったかの国語の授業で、青の洞門 という話があった。たった一人で岩盤にノミ一つで立ち向かって行った。 村人は最初は馬鹿にしていたのが、トンネルが形になってきて心を動か され、終には皆が手伝って洞門が完成するという。一人の力でも決して 侮ることはできない。こつこつやって行けば相当なことができる。最初 から人をあてにしたんでは、本当に人の心を掴むことはできない。道路 にごみが落ちていて汚いと言う人はたくさんいる。でもそれを拾おうと 言う人は少ない。空き缶一つでいい、皆が拾ったらどれだけ世の中は綺 麗になるか。恥かしいから拾ったりはできない、汚いという言葉に出す その人自体が汚い。今日は昼前からすごい雪になった。出て行ってやっ こらせ帰ってきた。途中車がスリップして動かなくなっているのが何台 もあった。マンションのある所は坂の上、このままでは今晩から明日に かけて道路は凍結してしまう。夕方スコップを持って道路に出て、坂の きついところの雪かきをしていた。そしたら一人でてきて塵取りでやっ ていた。本当はそれぞれ家の前を少しずつ雪をどかせば、済んでしまう ことだ。僕は善意だとか人の為だとかでやるのではない。空き缶がある から雪があるからどかすだけのことである。手を出さない人を責めるつ もりもない。塵を拾ってすっきりした気持ちになる。でもその人はその 気持ちを味わうことができない、気の毒だと思うだけである。でもこれ を読んだ貴方、ほんの少しだけ雪をどかしてあげて下さい。同じ茶の道 を志す同志ではないですか。家の前に打ち水をするのと一緒です。2/10 月曜日の晩に、気管支の辺りがもぞもぞして咳が一つ出て、やばいなと 思ったら風邪でした。火曜日は外出でニヶ所訪問して、懇親会もあった りしたのですが、どうも腰の辺りがだるいし、胸ももやもやする。なん とかその日も持ち堪えて水曜日も会社に出たのですが。その晩から朝方 までうなされてとうとうダウンしてしまいました。掛かり付けの総合病 院は3,4時間待ちになるのでやめて、近くの母の知り合いの個人病院 へ行きました。先生は若くて何でも相談に乗ってくれるタイプです。注 射はなし、今は夜の10時ですが鼻水がずるずる出てきて、多分きっと 明日の朝はすっきりしてと、願っています。暖かい牛乳を飲んでこれを 書いたら寝ます。いつもこのホームページでえらそうな事を書いてます が、同じ人間でして風邪を引く時もあれば弱気になることもある。母の 親友のご主人が亡くなりました。急に逝ったそうです。もうそういう歳 なんですね。自分自身も親がいつ逝ってもおかしくない年代になりまし た。僕の友人のお母さんが去年の暮れに二人も他界しました。母の場合 もそうですが、亡くなってしばらくして連絡をもらいました。通夜や葬 式には本当の友には知らせないものなのかも知れない。親戚の人と友は 違う。学校時分の先輩から夜、何年ぶりかに電話がかかってきて、今病 院にいる。おっかさんが死にそうだと小さな声で伝えてきました。僕は 返す言葉がまるでなかった。でもよく知らせてくれた。後日、何年かし て彼の住まいに行った時に遺影に手を合わせました。親は一日でも長生 きして欲しい。誰しも貴方のご両親もです。2/14 今日は一日ぬくとい日でした。会社からの帰り空には朧の月が出ていま した。もう春の予感です。そして今度の日曜は早や月釜の日で、例年通 り童の人形を出す日です。一年の眠りから覚めて起き出して来ます。類 を見ない傑作です。会いに来てやって下さいまし。遠方で来れない人の ため写真を載せるか?、小生はそれはやりませんねー。やっぱり本物を 貴方の目で見てもらいたい。そういえば目の見えない方が、ちょうどこ の日にやって来たことがあります。その人の手を取って床の前に導いて ここにネ、平安朝の服を着た子供の人形があるんですよ。女の子は少し うつむいて恥かしそうにしているんですよと、説明してあげました。多 分その人はイメージできたと思います。ちょうど小説を読んで頭の中で 想像するのと一緒のことです。なまじ見えるとそのものしか見えないけ ど、頭の中では自由自在に見える。そう思いませんか。この人形を作っ た人のこと。年に数体できればいい方だとか、1つもできない年もある。 これだけの力がありながら日展などに出すこともしない。自分が作りた いから作っているだけのこと。売るために作るのでもない。だから百万 円でも幾ら積まれても売らない人には売らない。だから作品はまるで曇 りがないんです、素朴なんです。少し欲だせばきっと御殿が建つと思い ます。この人は元は職人だった。その気概がずっと残っているのだと思 います。茶の湯で使うものはこうでなくては。あんまり色気の出た茶碗 は使えない。つまり作家臭さが出てしまっているものです。人がその手 で作った物は、どこかその人が出るものです。2/22 * 平成20年初月釜:1月3日 正月はクラシックで楽しませてもらっています。といってもコンサート ホールでとか部屋でステレオでとかではないです。テレビの "のだめカ ンタービレ"。一挙特選再放送と今日明日の新らしいお話し。 クラシッ ク音楽は正直言って、ほとんど興味なかったです。なぜ指揮者が必要な んだ?、譜面通りに機械的に演奏するだけだったら指揮者なんか要らな い。まして正確に演奏するだけなら、人間じゃなくてロボットにでもや らせればいい。西洋楽器はピアノを始め、毎日ある時間の練習が欠かせ ない。電話していて、もう練習の時間だからと電話を切られたこともあ る。まあ、そんな風に思っていた訳だ。それがこのドラマを見て、指揮 者は曲のイメージを楽団員に伝え、曲全体をまとめる役目をしているの が分った。軽快な曲が指揮の仕方で哀しい曲にも変ってしまう。コメデ ィーの中にそれがよく出ていた。多分このドラマの一番は、顔の見えに くいクラシックというものを、活き活きした顔を見せたこと。無表情に 演奏している裏に、本当は一杯人間味が溢れていることを示した。それ によって、クラシック音楽をぐっと身近に引き寄せたのだ。学園ドラマ、 こんなのは今までになかった。皆で力を合わせてコンサートをやる。そ の過程に青春の挫折、恋、友情あり。うらやましい限りだ。のだめの役 どころもとても面白い。最初このドラマを見た時、まるで漫画だと思っ たら、漫画が原作だった。明日はのだめのピアノ演奏だ。ヨーロッパの 地でどんな演奏をしてくれるのか、今から楽しみである。1/4 ついこないだ正月だったのが、もう1月も半ば。本当、ポワーとしてい るとあっという間に年の暮れになるぞ。仕事が始まる前に、恒例の関が 原詣でをしてきました。小早川秀秋が陣を構えた山にも登り、常盤御前 の墓も拝んで一周してきました。山頂付近は雪が少し積もっていました。 これでだいぶ気合いが入りました。今年の抱負、全てにかたを付ける遠 慮はしない。そのための準備を始めた。先ずはパソコンを新しいのを買 う、インターネットの回線を最新のにする、独自ドメイン名を取って商 用のホームページを立ち上げる。身の周りでもアフィリエイトとという 奴で、若いのに相当稼いでいる輩がいるのをちらほら聞く。この10年 とんでもなく世の中が変った。そこに新たなビジネスチャンスが転がっ てた訳で、まだその流れは終わっていない。むしろ次の10年が始まっ たと見た方がいい。その流れの第一線に自分は居る訳で、何もアクショ ンを起こさず、ただ流れを見ているだけではまるで無能な証拠ではない か。特にネットワーク技術の分野では、検索で常にトップの所に位置し ている。これを活かさない手はない。皆、検索エンジンで上位に付ける ために多大なコストを払っているのだ。獲らぬ狸の皮算用ではないが儲 けた後の事も考えている。ネットワークにコンピュータの利用に、日本 的な不完全さを元にしたシステムを提案する。どんどん進化し複雑化し て行くことに解はない。ゆらぎに対応できる柔軟なシステムが必要なの だ。そうしたシステムを実検、検証、構築するところが必要なのだ。今 もって存在しなければ、自分がやるしかない。1/14 一つ個展のお知らせをしておこう。「出会いの空間」写真家の青山氏の 作品展、1月25日から2月17日、香川県香川郡直島町762ギャラ リー古民家嶋屋にて。写真と陶芸作品の展示です。この男、お寺にふら と現れてはまたどこかに行って、今は瀬戸に住み陶芸にもかなり熱を入 れている様子。会場にて作品の茶碗でお抹茶を出したいと昨晩、電話が かかってきた。それじゃ少し手ほどきしようと、今日お寺のシャンテク ティで特訓してました。と言っても点前うんぬんということでなく、最 低限お茶を点てて飲んでもらうことだけにして。そこに和尚さんがお経 から帰ってきていろいろ話かける。そらそら、お客さんは構わず話かけ てくるから、手を止めずに話しにも応対して茶も点てないかんよと。抹 茶4杯ぐらい飲んでしまいました。その後、去年整理していた大量の陶 器をみてました。お茶で使えそうなのは別にしておこうと思って。梅型 の黄瀬戸の小鉢が目に止まり持って帰りました。洗って母にこんなんが あったよと見せました。そしたら母がおでんを織部の向う付けとこの小 鉢に同じだけ盛ってテーブルに置きました。向う付けは金魚鉢みたいに 上が広がっている。料理が入るボリュームとしたら一緒ぐらいのもので す。それが向う付けの方は量が少なく見えて、小鉢の方は見ただけで多 く見える。これは驚きでした。日本料理は目でも頂くというじゃありま せんか。まさにこの事でした。見ただけでお腹一杯の器では食べる前か ら食欲がなくなる。逆に少なく見えればつい箸が出るというもの。大量 の陶器と格闘したご褒美を今日は頂いた思いがしました。1/20 * 平成19年12月の稽古  12月23日 今日のお茶はとてもすがすがしいものでした。前日からの雨と午前中の 曇り空から、お昼からは天気になりました。レギュラーの皆さん、年末 の忙しい中、ほぼ揃っての月釜となりました。掛け軸は小生の先生の字 "秋葉一"、主茶碗は先生遺愛の京焼の椿の絵。菓子は不老柿、これは干 し柿の中に栗きんとんが入ったもの。お点前は先ずは僕が、先生を偲ん でのご挨拶から始めました。あの世に行っても、こうして現世に居る者 達が残してくれた道具を使って思い起こしてくれる。そんな人になりた いですねと、皆と話しました。掛け軸の下には、葉っぱを一枚残した蝋 梅を配して真ん中にすっと水仙を立てました。文字と花が相応して、不 思議な冥利を感じました。道具は水差を除いて、裏の陶器の山から掘り 出して来たものを使いました。花入れは手造りの細筒のようなどっしり としたなり、建水は筒茶碗かと見える志野、ふた置きは備前かと思うぐ い飲み。濃茶でも使った茶碗がすごかった。しっかり焼かれていて、見 た目は重量感があるんですが、持ってみると意外と軽いという。紅志野 に近いのでしょうか、ざっくとした作風でなかなか端正な形をしている のです。菓子鉢も瓢箪みたいな形をしたのを見立てました。これら全部 長いこと美濃の陶工の倉庫に眠っていたものです。廃業して、持ってい き場がなくなり、ともかくお寺に運べとやって来た。何とかこうして日 の目をみた。道具は使ってやってこそ、命が宿るというもの。命は消え てなくなるものあり、また復活するものあり。活かしてやって下さい。12/23 缶ビールを1本頂きました。いろんなキーワードが浮かんでいます。年 賀状に墨字で書いた千里同風、今年流行った千の風にのってを掛けまし た。はるか離れた貴方の所にも同じ風が吹く。一応辞書を引いたら、い い意味で使う他、悪い意味でも使うとありました。そうかグローバリゼ ーションか、いい事が伝わるのは速い、しかし悪い事が伝わるのも速い ということ。和尚さんがお経を唱える時はいつも世界平和を願うと言っ ている。檀家の人が、わしらは身近な事しか分らん、そんなネパールや インドなど世界の事を持ち出されても困る、そう言ってご無礼してしま った人がいました。でも現実を見たら、否が負うでも世界と関係してし まっている。スーパーの魚売り場を見て、鯵の開きがノルウェー産とか、 国産なんかないぞ。弁当も各種並んでいる。中の仕切りに細かく入って いる惣菜は、ベトナムなんかで入れているのだ。梅干だってどこかの国 で色を付けているだけ。サブプライムローンの問題でも、誰かが儲けて 誰かが損をする。世界が十分大きかった時にはそれが分らなかった。今 回の事件は世界はもう大きくはない、そうもう大きくはないのだ。会社 の横に流れる川にインクを落とした。その影響は数メートルだろう。川 は伊勢湾に流れ込みそこから世界に繋がる。影響は世界に瞬時に伝わる。 一滴のインクがテムズ河に伝わってしまうのだ。地球が飽和した。この 先にある世界とは。想像したくないです。12/26 マンションのロビーに花を入れると、一年のけじめが付いた気持ちにな ります。横には昨日の餅つきでもらったお供えを飾りました。今晩はそ こそこ紅白を見たら、お寺に行って百八回般若心経を唱えます。何故か 大晦日の晩には、お寺さんには人が来ず、数える程の人数でお経を読ん でいます。今年一年の煩悩を一つ一つ払って行くのです。さて、今年を 振り返ってのこと。偽の一年でした。というより偽物が発覚した年だっ たということ。一般の人が知らないだけで、もうだいぶ前から本物でな いものが周りに溢れるようになっていた。しかし何が本物で偽物か嘘か 分らない。赤福でも冷凍したこと自体、本当に悪いことか。プロの料理 人でも生と解凍したマグロの刺身は、区別が付かないという。問題は売 れ残ったのは使ってはいないと答弁し、それが嘘だったこと。大阪吉兆 でもしかり。公の場で嘘はいけない。嘘も方便はこの場では通用しない。 なら偽はどうか。千里同風の解釈ではないが、偽にも反対の意味がある やも知れない。分解するとニンベンの人に為すと読める。即ち、偽転じ て人のために為す。来年はそういう年にしたらどうか。しかし、自分の 場合は、ただで為すのはやめよう。それはこれまで十分してきた。同じ ことでも、捕らえ方によって一銭にもならない、それが大金を呼ぶこと だってある。一回、後者の方でどこまでできるかチャレンジしてみるの もいい。凡人には価値は対価あってこそ有り難いものだ。12/31 * 平成19年11月の稽古、秋祭り  11月25日 最中、つぶ餡と白餡のを10個ずつ買いました。両方食べ較べてみて白 餡よりつぶ餡の方がおいしかったです。小豆とインゲンの味の違いかな。 でも、白餡に色を付けて練り切りなんか作る訳で、どうなんでしょうか。 秋まつりには子供が一杯来るんです。曼荼羅の絵を豆菓子などで作って、 最後にばーっと崩して取り合うのです。なかなかその瞬間が面白く、子 供らが今か今かと目を輝かせているんです。今年は7時10分ぐらいで したかね、僕も豆を子供の頭の上から手を伸ばして取りました。この子 供らが入れ替わり茶席にやってきて、神妙に座っていました。それに並 べた陶器も精出して品定めしてました。10円の半端物の箱に青磁のぐ い飲みなんかを入れておきました。それをお母さんに、味見用に買って 行くんだと小学3年生ぐらいの女の子が言ってました。また千円を握り 締めてこれはお父さんに、これはおばあちゃんにと真剣に選んでいた子 もいました。本堂入ってすぐ左手に長机を2つ置き、白布の方には3個 300円で湯飲みやらお皿を並べました。赤い布の方にはぐい飲みやコ ップに一輪差しを並べました、こちらは1個300円にしました。大人 がぐい飲みを結構、買って行ったみたいです。青磁に志野ですから、ま ともに買えばそう安くはないです。竹筒にお代を入れてもらい、新聞紙 とビニール袋を置いておいて。お金を勘定したら5千円ぐらい入ってま した。陶器の山の中から使える物を探し出して、1個1個洗ってこざっ ぱり並べてのこと。手間賃代だけですが、これは実は鐘楼建立の協賛バ ザーで、5千万円程かかる資金の一部となるんです。先は遠いですがそ の第一歩。成功でした。11/26 この土日はとてもいい日和でした。こんな休みの日にミスターいっけん は、お金をもらってもしないという肉体労働をしてました。大量の陶磁 器の移動です。本堂北手の2階建の建物の耐震補強をするため、壁に沿 って置いている陶器の山をどかさないけないというのです。いつの間に か陶器の扱いは自分が担当みたいに雰囲気になっていて、どかさないと ただの瓦礫と化してしまう。陶工が一つ一つ作ったものと思えば、一つ でも助けなければ。実はこの陶器の山から選んで並べていたのが、こな いだの秋祭りでした。洗って並べるように並べれば結構なものです。こ こからはパンの話。隣ではパン亀の会をやっていました。月に一度、何 人か集まって、亀の形をした窯に薪をくべてパンを焼くのです。夕方に なり、その人らの姿も見えなくなり、僕もそろそろ帰ろうかと思いシャ ンテクティ(皆が集う部屋)を覗いたら何人かいました。お寺にいるネ パールの留学生の男に、彼の知り合いらしきネワールの女性。彼女は京 都にいる留学生だそうです。もう一人、お茶を出してくれたネパール女 性。テーブルにはパン焼きの人らが置いて行ったパン。彼等もまだ食べ てないらしく、皆で頂きました。それはそれはしっかりしたパンで、と てもおいしかったです。なぜか"ひよこサブレ"もあったりして。京都の 留学生が東京駅で買ってきたとか。なんと彼女も博士課程で勉強中との こと。男の方もそうなんです。このお寺、アジアからの留学生が何人も ドクターを取って国に帰って行っているのです。この男には、残りの陶 器類の移動を手伝ってもらうんですがね。国にお土産にする?。12/9 陶器の片付けが日曜、全部終わりました。寝てても会社に行っていても 陶器の山が瞼にちらついていました。正月前に大きな仕事を終えた気が しました。ねー、気が付いたらもう師走ではないか。年賀状も書かない けない。全く一年経つのは早いものです。年末年始は30日に餅つきで 年明けて三日は初釜、何かと行事があるんです。いかん、その前に一つ 本当の仕事を片付けないと。陶器は力仕事だったんですが、もう一つは 頭を使う仕事。少し前にトライしたんですが、詰めが甘かった。できま せんでした。一体それは何?、サーバ用コンピュータの置き換えなんで す。専門的になりますがメールサーバとDNSサーバ、皆さんもネット を使う際に毎度、お世話になっている代物。インターネットの基本中の 基本の仕組みを司っているプログラムです。今、稼動しているコンピュ ータは1997年に設置したマシンです。すごい、まるっと十年も動い てきた。ここまで使ってあげれば、本望でしょう。そろそろ世代交代さ せてやらないと。1台のマシンで2つのサーバが動いています。どちら もちゃんと稼動しないと、メールは出せない来ない、ホームページは見 れない。と、えらいことになるんです。相当慎重に事を進めないといけ ません。雑誌や本にサーバ設定のことはいろいろ載ってはいますが、実 際にできる人は僅かです。この中部地区では何人いるやら。大学の先生 らも最近は自分でやる所は少なくなってきているみたいだし、5人ぐら いかも知れません。さあ今日、再度挑戦します。来年に持ち越さないよ うに、すっきりとして年明けを迎えたいものです。12/17 * 平成19年10月の稽古  10月28日 いきなり寒くなってきました。今日は木枯らしが吹いたり初雪が降った りした所もあった様子。名古屋の空の様子も、今にも雪が降ってきそう な黒い雲が立ち込めていました。そんな中、母は畑をやっておりました。 夏ごろから体を動かすのもやっとで、痛みやらだるさやらでしんどうそ うでした。でも持ち直して来ましたよ。漢方で体の中を、整体で外のバ ランスをよくするようにしたのです。どうも足の指先の方が悪くなって いたのが首に、それが背中の痛みにと伝播してたようです。一見、とん でもなく悪いように見えることが、実は些細なことが原因になっている。 木を見て森を見ず、森を見て木を見ず。残念なことに今の医学では、西 に東を問わず全体を診ることができる人はいない。いろんな所を駆けず り回り、自分達が総合的に判断するしか他ない。ともかく、だいぶ回復 しました。これで今度の月釜、お寺の秋祭りでもあるんですが、例年と 変わらず皆様をお迎えできます。人生の内には様々な事があります。い い事も悪いことも、でもそれらをとりあえず由として受け入れ、仲良く 付き合っていくしかないじゃないですか。母の友人が言うには、元気な 振りして生きて行きましょと。どうか秋の一日、楽しんで行って下さい。 本堂では豆で作る曼荼羅に楽器演奏など催しもあります。外では落ち葉 で焼いも、それに汁も振舞われます。陶磁器のチャリティ販売も今回初 であります。実はその準備は今日、僕がやっていたんですがね。精出し て洗って並べていました。三百円でどうかと思っています。11/18 * 平成19年9月の稽古  9月30日 久しぶりの祭日の休みでゆっくりしていました。夕方になり外へ出ると それは虫の音がすごくしました。一気に秋になりました。食欲の秋それ とも物想ふ秋。勤め先でもなかなか難しい年代になってきた。考えるこ と多々あります。そのためか胃にもしくしくと、ストレスがかかってい るように感じます。しかし考えているだけでは先へ一歩も進めない。行 動しなくては。月曜の昼間"余命一ヶ月の花嫁"の再放送を見た。久々に 感動したぞ、泣いた。ちゃらちゃらしたお笑いテレビばかりの中で、こ んな真摯な番組を放映した民放もすごい。やらせでない真実の重みは計 り知れない。嘘のような話、結婚式場を探しまくった友人、なんていい 友を彼女は持っていたのか。千恵が千恵であればそれでいいと言い切っ た彼氏、立派です。惚れ惚れした。今時、都会にそんないい奴が居たな んて、日本もまだまだ捨てたもんじゃないぞ。彼女の人生は短かったか も知れないが、精一杯生きた。友人、彼、お父さんの心の中で彼女はこ れからも生き続ける。やはり生きていることに感謝し、今を精一杯生き ること。この当たり前の事を忘れていた。難しい年代、何を女々しいこ とを言っている。まだまだ10年20年は悠にある。自分でなければ出 来ないことをやって行くこと。その実現に向けて行動していくこと。こ れが今の自分が成すべきことだ。茶道で培った本当の"和"というものを 現代のこのコンピュータの世界に注入すること。二つの世界を見た者に しかできないことではないか。10/9 猿も木から落ちる。去る者追わず来る者拒まず。いきなり何のこっちゃ。 実はお寺の畑の側に栗の木があるんです。実は一応なるんですが普通見 る栗のいがいがなく、どうも食べれそうにないと思っていたんです。そ れが今日、発見しました。ちゃんと食べることができる栗だったんです。 ちょうどの時期だったんでしょう、先ずは母が栗が落ちているのを見つ けました。いがいがなく、ぽわぽわとして緑色をしているので、草に隠 れているんです。中には大きな実が一つか二つ。木の上の方の枝を見上 げたら、まだたくさんついていました。届きそうな所のを一つ、たたき 落としてみました。中の実はまだ青いままです。なるへそー、栗拾いと 言うわけだ。栗は地面に落ちたのをできるだけ早い事、拾うこと。でな いとすぐに虫が入ってしまいます。言葉の意味というのはちゃんとある んだなと思ったのでした。今日はもう一つ収穫がありました。畑には芋 の蔓がびっしり。まだ収穫の時期でないんですが、母が子供の頃おばあ さんに畝の横を少し掘ってみよと、すると芋が出てきた。どうも少し早 くできるのがあるというのです。それで蔓に沿って掘ってみたら、まだ まだ1センチにもなっていない。他はどうかと葉っぱを掻き分けたら地 面に顔を出しているではありませんか。こりゃでかい、同じ場所に2つ ありました。小さい方を早速、家に帰って試しにレンジに入れてみまし た。忘れてました、これは紫芋でした。栗も食べました、一つの実が重 い重い。稔り多き秋。本当、幸せな一日でした。10/14 金、土と大阪へ行ってきます。会社の慰安旅行なんです。何周年記念と いう奴で10年に一度かあるんです。USJの前のホテルに泊まってア トラクションを堪能して頂戴という事になっています。まあ、おじさん 等はまるで乗り物なんか興味はないんですが。どれもすごい並ばないか んみたいで、愛知万博も一杯人が並んでいましたなー。何ぞ一つは乗っ てみようと思ってます。翌日は大阪のお笑いを観ることになっています。 これも初めてです。実際のところ面白いのかなー、観てみないことには 分りません。大阪といえば法善寺横町の夫婦善哉、それに天丼の店が思 い出にあります。いつも通過するだけで、まるで分らん街です。実は明 日は休みを取って、四国の祭りに帰って金曜日に合流というのはどうか と思っていました。郷里のお祭りは16,17,18日なんです。年に一度、自 分の奥底に眠っている猛々しさを呼び覚ます日。喧嘩祭りです。馬鹿に なった男衆と見物人。山車が動いて行くのに釣られてぞろぞろと、そし て神社への山車の集結。ここからは見物する人とロープが張られている ようなことはないんです。山車、男衆、見物人が渾然一体となってひし めき合う。生きていると実感できます。残念だ!、明日はちょっぴり大 事な報告会があるんで座ってないといけない。本当、大阪まで出るのだ ったら四国へ渡りたい。そう思うのはやはり四国人間ですかね。さて大 阪では自由時間が結構あるのでどうしようかな。このよい子のファンの 方、デートの誘いは大いに結構。ビルの茶室でお茶しませう。10/17 先ずは大阪へ行った話を、なかなかよかったです。ハイそれだけ。もっ と詳しく書こうかと思ったけど、自分の内にあるものをノックされて頭 がそっちの方に行っている。さっきNHKスペシャルを見ていた。数学 の難問のポアンカレ予想を解いた人の話をやっていた。一応、聞いたこ とはあったがどんな内容かまでは知らなかった。とんでもなく難しい問 題で、それは数学者の領域のことだと思っていた。一本のロープを宇宙 をぐるりと一周させて戻ってきた端を、全部手繰り寄せることができた ら宇宙は概ね丸いと言える。問いに挑戦した学者の一人が宇宙は8つの 形に分類できるといい、それを元にロシアの若き数学者が解いた。宇宙 という言葉を、全ての形は8つに分類できると言い換えれば分りやすい。 自分は修士論文で3次元モデルについて書いた。機械部品を想定した3 次元CADの集合演算に取り組んでいた。2つの形状が交わる、接触す る、離れている。そのパターンは幾つあるか昼も夜も考えていた。今日 のテレビでも解いた学者は、人付き合いもしなくなり、ひたすら証明に 取り組んだ、壮絶な戦いがあったのだろうと言っていた。分る、自分が 何を考えているのかさえも分らない。そんな状況なのだ。自分が研究し た内容はポアンカレ予想に近いものがあった。ひょっとして8つの形が 接触したりする場合、証明はできないのでないか。久しぶりに脳味噌が 揺さぶられた。最近は宗心先生ばりになってきた。10/22 * 平成19年8月の稽古  8月26日 昨日の日曜も暑かったー。いつまで暑さが続くのでしょうか。そんな日 でも主催する側は行くんです。前の日から氷を作ってはトレイに移して。 たんまり氷を持って行きました。案の定、開店休業で2時になってもど なたも来ませんでした。こんな暑い日こそ、屋根の高いお寺に涼みに来 ればいいのに。そう思っているところに、歩くのもやっこらせのいつも の方が来られました。4月ぐらいから座敷に上がることもできないよう になり、縁側でお抹茶を一服飲まれていくのです。ガラスの花瓶を見立 てで煎茶の涼炉のようにし、水と氷を入れ、その上に韓国製の手の長い 急須を置きます。急須にも水と氷を入れてあります。それを縁側に持っ て行き、冷水の抹茶を点てました。庭には桜や紅葉の木と葉っぱで木陰 になり、下には苔がはえています。その緑を眺めながら、一時を過ごさ れて帰っていかれました。その後、縁に一緒に座っていたお寺を仕事場 にされている方に、母が四国遍路の話をし始めました。先日僕が四国に 参ったので、納経帖が全部埋まったのです。その納経帖の筆の字やら朱 印やらを見てもらいながら、母がここはどうだったああだったと話して ました。僕も側で聞いていて、よく覚えているなーとその方と顔を見合 わせたのでした。話は続いていたので、その間に庫裏に冷たい菓子と抹 茶を二服持って行きました。そうこうしていると松風堂さんが来られて 先ずは冷たいのを飲んでもらい、湯の釜で長板のお点前をやってもらい ました。結局、自分ら含め七人が飲んだのでした。8/28 彼これ7〜8年前にWebで千利休の年表を作りたいと思ったことがあ る。あらゆる資料から利休さんがどこで何をやったか、Web画面にど んどん書き込んで行くのである。それにより死の真相が見えてくるもの があるのでないか。そして去年のいつ頃だったか、関が原の合戦の様子 を再現することを考えていた。今度は時間と場所であらゆる事を情報と してインプットしていく。古文書だけでなく、地元の伝承や断片的な資 料、不確かなものでも構わない。一見して関係なさそうな事柄が、ある 量だけ情報が集まってきた段階で、だんだん確からしさが出て来る。そ してそれらが繋がって行くのである。これはまさに脳が理解する過程そ のものである。家康が始めどこにいて、どこへ動いて、いつどんな指令 を下したのか。大河ドラマを見るまでもなく、コンピュータグラフィッ クスで詳細に映像として再現する。身丈や顔、身に着けていた武具など はある程度分っている。関が原には宮元武蔵も居た、当時はまだ新免武 蔵と言った。どこかの民家に武蔵にまつわる話が残っているかも知れな い。そういう草の根的な情報はウイキペディアみたいに、投稿してもら うのだ。情報の足らないところは人工知能で補間してストーリーを作る。 色んなパターンが出て来るだろう。情報が集積するに従い、パターンが 絞られてより確かになっていく。グーグルの世界中の情報を整理すると いうミッションはよく聞く。小生の考えでは情報を整理するだけでなく 再現するのだ。グーグルさん、このアイデアに百億円出しませんか。知 の価値を十分、認識している会社だと思いますが。8/30 客振り。茶席の客振りが我々茶道を修行している者にとってはそうなの だが、他でも似たような事は多々ある。病院における患者振り、人に何 か教えてもらう際の生徒振り、会社での部下または上司振り。その場そ の時に応じていろんな役を演じている訳だ。会社で仕事のできん奴だと 怒られたその夜、大学の後輩に仕事というのはだなーと説教たれていた りする。まあ、こういうのは自然と家庭や学校で覚えていくものなのだ ろうが、昨今はそうも言っておられない。人間関係が至るところで希薄 になり、学校はいじめで本音を出せる場所ではなくなっている。そうな ると茶道でも習って、何々振りを稽古してもらわなならんか?。先週の 病院では先生に飲み友達のように話していた爺さんがいた。患者は患者 らしく医者の言うことはハイと返事をすること。うんとかえぇーーじゃ ないぞ。日曜のマジックのレクチャーでもいた居た。ちょっとかじって いる年輩のじんが一番やりにくい。せっかくの教室の空気が、おかしな 雰囲気になってしまう。自分の持論をどうしても言いたくて、先生にい ろいろ質問を浴びせる訳だ。思い出した、観月の茶会でのこと。人間国 宝の陶芸家のお話もあって、いろいろエピソードを交えた楽しい話だっ た。一応何か御質問はと、それで終わろうとした所、一人のババアが手 を挙げた。具体的にその釉薬の調合は何割ですか、焼成温度はと。んー 学校の授業と間違えているぞ。しかも二回もそんな質問をした。その会 は基本的には招待なのだ。ビジターで紛れ込んで来たか、困るなー。と なると、やはり京都の一見さんお断りが正解か。9/24 * 平成19年7月の稽古  7月29日 先日のNHKの教育を見ていて、原三渓のことが出てきました。横浜の 三渓園には一度行ったことがあります。それは広大な庭園で、大名の庭 園でもそうそうないぐらいの規模です。氏は実業家で生糸貿易で莫大な 財をなし、当時の数寄者らと親交を深めた人でした。そのことをテレビ で話していて、生糸で儲けたとまでは知らなかった。どうもそのことが 頭の隅に残ってしまい、腑に落ちない気持ちでいる。銭は汚く儲けてき れいに使えという諺があります。当時、生糸を作っていたのは、小説に もある野麦峠の女工達でした。小説でも読んだし、映画になったのも観 ました。それはそれは悲惨、劣悪な労働環境で働かされていました。繭 玉から生糸を一心不乱に取り撚って行く。ほとんどがアメリカに輸出さ れ、日本の外貨獲得に大いに貢献したと言われています。彼女らの休み は盆と正月の何日間かだけ。歳の暮れに降り積もった雪の中を峠を越え、 一日か二日したらまた工場へ戻って行った。どうでしょう、そんな広大 な庭園を造るお金があったのならば、女工さん達に少しでも還元してあ げることが出来たのでないか。茶碗一つの値段で、彼女らに休みを一日 余分与えることができたのでないか。丁稚奉公の時代ですから、こんな もんですと言われれば納得せざるを得えないかも知れない。でも今の時 代に生きる者として、ただ生糸で財を成した、そうですかで終わって欲 しくない。茶道はそんな人を踏み台にしてまでやるものではない。よく よく考えないいけないところである。7/31 お盆に灯す行灯に絵を描きながら、お寺の和尚さんと雑談をしておりま した。正確には来られた人が絵を描くのを見ながらだったのですが。京 都の花見小路の足元に置かれた行灯に絵やら文字が書いてある、そんな ものを作っていたのです。ちょうど夫婦連れがやってきて、絵を描いて 何か文字も書きたいが何がいいかな。そこからまたまた宇宙の話になり、 仏教のことになり、禅そして悟りのことなど。孫悟空がお釈迦様から逃 げようと、ここまで来たら大丈夫だと思ったらお釈迦様の手の平の中だ った。仏教にはものすごく大きく永い時間の概念がある。精密にあの世 を含めて解き明かそうとしている。色即是空の般若心経は身近な教科書 と言ってもいい。和尚さん曰く、それらは方便。究極のところ何もない のであって、考えて結論の出ないことは考えるな。座禅をするのは悟り を得るためではないし、何か目的を持って座った瞬間から、それはもう 座禅ではなくなる。また、悟りというものがそもそもあるのかさえ不明 だ。宇宙は膨張を続けていて最外郭では光速を越えている。物質の最小 単位は原子で存在は確率的である。しかしそうは言っても悟りというの はあると思う。何が悟りと断定はまた難しいので、一種の悟りというよ うに逃げておこう。1/3は0.33333... と続く、宇宙に果てが有る無い かのように無限だ。しかしこの分数を3倍してやれば、たちどころにさ っぱり1になる。だから一見、不可思議な事柄または問題でも、何か一 つを与えてやると解決する。そういうことがあるのでないか。さて自分 自身も一つ、ずっと問題を抱えているのだが、3に相当するものは何か。 めでたし解決するはずが、3ならぬご破算になったりして。そしてやは り結論は出なかったとか。8/7 こりゃ暑いですねー。今からお寺に行って迎え火の準備をしなければと 思っているのですが、外に出る気にならん。2時前で今が一番暑い時間 だ。これ書いてから行くとしよう。昨日、足慣らしを兼ねて葡萄の直売 所に歩いて行きました。まあ、そんなに遠くはないんですが。毎年この 時期、郷里の和尚様に巨峰を送っているのです。こないだ行って、十日 からだよと聞いていました。露天の店のおばあさんに、今回一つ聞いて みました。葡萄の木の育て方。実は家に歴史のある葡萄の木があるんで す。僕が子供の頃からあって、玄関の横で東に面して蔓が伸びていまし た。マスカットで年に幾つかの房を付けていました。その家は木造で建 て壊しになり、高層アパートに移ることになりました。その時に、僕の お茶の先生宅に移植させてもらったのです。今から27年ぐらい前のこ とです。その先生も一昨年に亡くなり、葡萄の木の枝を折ってきました。 母が鉢に入れて世話をしたら、何と生き付いたのです。葡萄の木の寿命 としたらもう十分まっとうした訳で、ここで新たな命が繋がれることに なりました。大方2年経ち、背丈ぐらい伸びてきました。この後どうす るか分らなかったんです。それでおばあさんに聞いてみたんです。上の 方の芽を2つ残して、棚にして行くことと教えてくれました。場所を変 えながら何十年も生き長らえて来た葡萄の木。マンションでこじんまり と鉢植えで実をならすこともできる。できれば終の棲家を作ってあげた い。そのためには動かぬ家を造り、跡を取る人間を作ること。まだまだ 頑張るので、葡萄君よ待っていてくれたまえ。8/12 このお盆の間に四国遍路に出たこと、短い日数だったけどいろいろあっ た。熱冷めやらぬ内に書いておけばよかった。久しぶりの出勤で、その 帰り、何とも不細工なことになってしまった。車の運転手席側ドアのガ ラスが斜めになり、次にドアの中に落ち込んでしまったのだ。車屋に寄 り、これってリコールの対象、それともただのトラブル?。たまに起き ることで、珍しいことではないとのこと。どうも今年に入って、車のト ラブルが立て続けに起きる。もう車には乗らず歩けということかも知れ ない。子供の頃、働きに行くのは自転車で行ける範囲のものだと思って いた。買い物は近くの商店街でするもので、百貨店なんてのは年に一度 行くか行かない程度だった。テレビはよその家に見に行った時期もある。 小学校時分、電話の無い家もまだ結構あった。台風が来れば川が増水し て、そこらじゅう水びたしになった。そんな中、弟と模型のボートを走 らせては遊んだ。学校の周囲は池だらけで、ザリガニ釣りをよくやった。 どぶ川があり、その西手ははるか田んぼだった。川の土手を野外観察で 先生ら皆と歩いた。肥溜めがあり、誰それがここに落ちたと噂があった。 家を開けっ放しにしていても、泥棒に入られる気遣いはまるでなかった。 月日は流れ、全てが変わった。自転車や歩いて行ける範囲で生活をして いれば、問題は決して地球レベルにはならない。顔の見える範囲で、お 互い助け合いながら生きて行くのみである。中学の時、大きくなったら 米屋になる(商店街の米屋で働く)と言っていた同級生がいたなー。8/20 * 平成19年6月のお稽古  6月24日 今日は月末の日曜日で第四週目の日曜日、ということで月釜の日でマジ ックのレクチャーの日でもありました。今日は静養ということで、レク チャーには行きませんでした。久々に大河ドラマをみたし、東儀秀樹氏 が夕方からのテレビに出たのも見ました。彼とはほとんど同年代なんで すが、若いしすごいなーと見ています。雅楽を少しかじったことがある 身としては、篳篥をあんなように使いこなすとは思いもしなかったこと。 枕草子でも篳篥はうるさくてきらいだと書かれている程ですから。今日 のテレビではロックが好きだったこと、バイクも好き、そして何とリポ ータ相手にカードマジックをやっていたこと。アンビシャスカードでし たねー。あれを堂々とやるのはなかなかできんよ、しかもカメラを前に して。テレビに出ると彼は趣味のことや音楽のことばかり紹介している。 一体、彼は結婚しているのか?。ずっと謎でした。多分、多くの人がそ う疑問に思っていたと思います。今日の番組の最後で、今一番夢中にな っているのは男の赤子。抱いていましたよ。いつもピターとしたジーパ ンを穿いて、白のシャツを着ている。ベルトもかっこいい。自分も見習 わないかん。でもマジックをやる時だけにしとかないかんな。お茶をや る時は控えめに、場所はお寺さんですから。今日は雨音を聞きながらの お点前になりました。お寺のお客さん、飛び入りもなく静かに過ごしま した。母にも何年ぶりかでお点前やってもらいました。膝を悪くして以 来、茶席でも座椅子に座っていましたが、だいぶよくなってきたのです。 親子で点て合い、また飲む。幸せなことです。6/24 原子力発電所の技師が施設の欠陥を訴える映画がありました。政治家が 絡んでともかく施設を急ピッチで建設する。ある技師が制御棒に関係す る部分で重大な欠陥があることに気づいたのです。破裂寸前の様を何度 も映し出し、見ている方もはらはらさせられました。事の重大さを認識 しているのはその男一人だけ。他の人らは何を言っているんだ、と全く 取り合わない。映画の中では根本的に問題解決したかどうか忘れました が、原子炉溶解は免れていました。似たようなことが、どうも身近で起 きるような気がしているのです。この半年、迷惑メールのことに取組み 分ったことは、迷惑なんて悠著な事を言っている場合ではないというこ と。コンピュータ・ウィルスの一種でボットという強力なプログラムが 蔓延している。2000年問題をあれ程、騒ぎ立てたに、ボットについ てはまるで静かだ。2年程前から存在は知られていたのですが、いかよ うにも姿を変えるので対策が非常に難しい。そのためかどうか、あまり アナウンスされてこなかったのである。このウィルスはパソコンに侵入 したら、外にいるボスと通信しながら命令を待つ。そして命令に必要と するプログラムを取ってきて、機能を変化させることができる。何でも できる訳である。侵入したコンピュータの全ファイルを消せ、同じネッ トワークにつながっているパソコンを探して自身をコピーせよ、よその 会社のメールサーバに迷惑メールを一斉に送れ。日本の全ての企業のコ ンピュータのデータが真っ白になるゼロデイが来る可能性がある。たわ 言ではない。今まさにインターネットは危機的な状況にあるのだ。まだこ の事を認識している人がほとんどいない。6/29 昨日、NHKで表千家の番組が始まりました。昨日まで全然、気づきま せでした。何とか見逃さずに済みました。お家元が先ず挨拶され、久田 先生が指導役でした。今回体験されるのは年輩の作家の男性、僕は全然 知らない方です。瑞峯院の前田和尚と座禅をしていました。和尚は独特 な語り口で、こないだも名古屋に来られて空気はただですから、大きく 一杯吸って下さい、そしたら背筋もピンと伸びますと話されていました。 さてこの作家、宗匠らと座っている姿を見比べると、まるで座っている ことになっていない。茶道の基本は先ず座ることと、この番組で久田宗 匠はおしゃっていましたが、まさにそうだなーと思いました。お薄を古 参の玄関、内弟子のことですが、点てて作家の方に出されました。いか にもお茶を点てるように茶筅を丁寧にゆっくりと振っていました。きれ いに島が残りおいしそうでした。貴女もお茶をやってみませんか。ここ の所、男性ばかり増えて女性の方が少なくなりました。敢えて女性の方、 若干名をお仲間に加えたいと思います。飛び入りのお客様ではなく、一 緒に雑巾掛けから始めて、花を採りに行き茶花を入れる。そして四月の 花祭りの時には、お参りに来た老若男女の人々にお茶を出す。そうした レギュラーの方の募集です。どうせなら一人は思い切り若い方にします か、あれやこれや家庭の雑事で休んだりしない方。一ヶ月に一度だけの 稽古ですがほとんど実践です。一年間やるだけでも、かなり座る姿から してきれいになってきます。入門料など野暮なものはなし。初めて来ら れる際は饅頭を五つ土産に持ってきて下さい。お茶に合いそうな饅頭を ご自分で選んで買ってみる。茶道入門の最初の一歩です。7/3 昨日までの曇り空が嘘のように今日は快晴、暑いぐらいでした。夏が来 たようです。井上陽水の夏の歌が、子供の頃の思い出を誘います。子供 の頃はもっと暑かったような気がします。お寺の畑で昨日は、小雨の降 る中草取りをして枝豆を少し収穫したのです。大人になったらビールに 枝豆ですよね。その枝豆が最近ちっともうまくないと思いませんか。そ れで母が枝豆を作ると言った時は、枝豆なんかーと思ったのです。それ がですよ、昨日の枝豆はそれはそれはおいしかったんです。うん、これ これこの味だよねとむしゃむしゃ食べてしまいました。全部採らなかっ たのは、身の入りがまだもう少しだったからです。それで今日はお天気 で、明日の朝採りに行くことにしました。皆さん、ずんだ餅っていうの を知っていますか。この枝豆を餡にして、だんごに付けたお餅のことな んです。素朴な田舎のお八つです。信州か秋田の方の菓子だったと思い ます。それで今度のお茶では、四国の和三盆を物産展で一袋買ってきて あるのも使って、例の菓子を出すことにしました。と言っても母に作っ てもらうのですが。母には昨日、近くの料理屋で鱧尽くしをご馳走して おきました。初めてのお店でどうかなーと思いましたが、ここでこれだ け食べさせてくれれば結構けっこう。満足でした。これで何とか母にス タミナが付いたので、和三盆で枝豆の餡子を作ってくれる馬力が出るは ずです。餡を作るのは体力も要るし手間もかかりますからね。竹を割っ た中に餡を入れ冷やしておいたのを出します。あまり餡を煮詰めず、豆 の風味が残っているように。竹餡の菓子、枝豆の餡では初めてです。ど んな味になるか楽しみです。7/22 * 平成19年5月のお稽古  5月27日 このご時世、右見ても左見てもコンピュータのお世話にならない日はな い。まさにITが止まると真っ暗闇じゃあーござんせんか。ICカード のJRの改札を素通りで運賃徴収できず、発券システムのトラブルで飛 行機が飛ばない事態にも。ITアイティーと浮かれてしまって、ITの 本質はコンピュータだということを忘れてしまっているのでないか。そ してプログラムは人海戦術で作っているのだ。納期を間に合わせるため 突貫工事で作る。手抜きのマンションや戸立て、そんな工事を自分の目 で見たらぞっとするぞ。もっと見えないのがプログラムで、そんなのが ITというキーワードで飾られている。恐いぞー。しかも昨今はSOX 法なる法律が施行されるということで、見掛けだけのITドキュメント の整備に労力が費やされている。本当に注力しなければいけないことは そんなことではない。喩えていえば家の防犯対策をするのに、外出する 際は玄関の鍵をかけること、確かにかけたか二人で作業すること、その 記録を取ること。更には泥棒に入られた時に、自分達は最大限の注意を 払ってきたことを立証できるようにする。そのため鍵を締めるとITに より自動的に記録を取るようにし、記録は安全な場所に2箇所3年間保 存する。一体何をごちゃごちゃ言っている。先ずは泥棒に入られないよ うに鍵をもう1個つけろ。赤子でも分ることがITの世界では、先の事 が真剣に論じられているのだ。会社なんかではコンピュータやネットの インフラ、セキュリティを担当する人間よりSOX法対応する担当の方 がエライんです。じっと耐え忍んでいます。5/31 こないだに引き続いて茶道とは関係ないお話をしてしまおう。小生この とことずっと勤め先でやっているのは、迷惑メールの対策の検討から始 まって、大量メールが押し寄せた時にいかに対処すべきか。かなりメー ルの仕組みの深い所まで入って調べていました。インターネットのメー ルは元々はそう難しい仕組みではなかった。メールサーバのソフトであ るsendmailの制御ファイルは、当初は自分で勉強し作成しました。それ が今やとんでもなく複雑なものになってしまった。信頼性のアップとか スパムメールに対抗するためにです。ネットから標的にされ一時に1万 通とか10万通とかのメールが来たら、メールサーバは処理し切れずに マシンは麻痺状態に陥る。これはいつ起きてもおかしくない、もう既に 自分の入っているプロバイダではそういう攻撃に遭っている。幸い?な ことに会社でメールを1万通送りたいという部署が出てきた、更にまた 幸い?なことに今となっては能力が足らないマシンをメールサーバにし ている。性能の限界を確かめる絶好のチャンスが来た。制御ファイルの あるオプションを設定してみた。これを設定すると、メールはあっちへ 行って拒否されて、それから..。頭の中でシュミレーションするのであ る。予想通りの動きをして、見事マシンはダウンせずに全メールを送信 し終えた。あまり知られていない、僅かな資料を頼りに自分で調べて対 策を練って行く。普通の会社員ではそこまでやらないだろう。せいぜい メールサーバを設置した業者に文句を言うのが関の山だ。しかしそんな ことではこれからは乗り切ることはできない。ただのサラリーマンには   用事はない。エンジニアが必要なのである。6/4 非常に優れたもの、陶器でできた人形のことは何度もここで話した。見 ました、それはすごい存在感のある絵画でした。裸婦の絵で少し横でう ずくまった姿をしている。幅4メートルぐらいある大作だ。写実でその ままそこに女性が横たわっているように見えた。足首辺りにできたかさ ぶたの傷、手をついている指が少し充血した様、血管がうっすらと肌に 出た青、物哀しそうな眼差し、そして床に這う長い黒髪。ここまで綿密 に描くなら写真でもいいでないかと思うところだ。日展で以前から見る 静物の細密画の作品、まるで写真みたいだと見る度に関心した。裸婦の 絵も寝ているのやら立っているのやら見る。この作品はどちらにも当て はまらない。写真ではあれだけの存在感は出ない、絵の具で自分の思い を込めて創りあげて行ってこそ出るものだと思った。ただの写実や細密 画は、おぉーここまでよく描き込んだものだと関心してよしである。ま た日展なんかの裸婦像は習作と言ったスタイルで、お決まりのパターン にしか見えない。何かの動物の骸骨をモチーフにした絵と、同じことで ある。自分も学生の頃、憧れの女性の着物姿を描いたことがある。中学 の一つ上の先輩で、卒業して五年程経って偶然出会い、描かせて欲しい と頼んだのである。半年ぐらいかかって描いた。その絵は手元にはない が、横顔の目はそのまま脳裏に焼きついている。あのまま絵の道に進ん でいたら、果たしてここまでの絵が描けただろうか。さっきこの展覧会 を調べてみた。名古屋高島屋美術画廊、第三回存在の美学、芳川誠。機 会のある方は是非、一度見て下さい。生きていてよかったと思えますよ。6/9 * 平成19年4月のお稽古  4月29日 4月終わりの月釜はもう初夏の空気でした。藤の紫が垂れ下がり、こな いだ桜だったのにいつの間にか季節は変わって行きます。お寺に1時前 に行くと旗がそこかしこに立っていて、仏壇屋さんが境内で仏壇供養を やっていました。こんなのは初めてのこと。お茶室から仏壇を燃やす火 の音が聞こえていました。今日の抹茶は昨日求めた、升半の後昔。癖の ないまろやかな味とも言えるし、メリハリの無い味とも言える。たまに は名古屋の升半も飲んでみようと買ったのでした。一点前済んで、本堂 の方へ行くと、上がり口に若い男女がいた。男一人に女の子二人。その 出で立ちたるや、まるでお寺の雰囲気に似つかわしくない。中島ミカの ような目と長い黒髪、エンタで嫌いだーと叫ぶキャラ、バンドそうろう のカワジャン男。おおー、何でこんな奴らがここに居るんだ。今日の出 席者は自分含めて4人、饅頭も余るしお茶も余る。抹茶を一服いかがで す?と声を掛けたら、意外にも乗ってきた。お代は賽銭箱に適当に百円 でも幾らでも入れてもらえればいいからと。下手なお客より黙って座っ ていましたよ。ちゃんと最初から最後まで正座してました。菓子とお茶 の頂き方も教えてあげました。部屋を出てからも広間にいるらしく、見 ると精出してデジカメでぱちぱち男がやっていました。モデルだったら しい。待っている人が一人、ひょっとして来てくれるかもと。いつの世 も待ち人来たらず、とんでもないのがやって来るものです。4/29 サラリーマンの人は連休は終わり、反対に連休中に仕事だった人にはご 苦労様。子供の頃からこうした休みの終わりは、何か寂しいもの。大人 になってもちっとも変わりはしない。さて小生は休みの間は何をしてい たかって。大したことはしてないですなー。大きな木や竹を掘り返して、 畑の側に持ってきたのが土に還って行っているのがあるんです。まだ一 杯根っこが付いていたりするんですが、ツルハシやスコップでがしがし やったら、何とバケツ15杯土が採れました。それを花畑の方に入れま した。ここは水吐けが悪いので雨が降ると水が漬いてくるのです。6日、 雨になり見たら、土を入れた効果がありました。まだもう少し土が採れ そうなので、また入れるとしよう。野菜の畑の方もやってました。母が 何やら種を蒔いていました。野鳥の鳴き声を聞きながら、本当平和な一 時です。5日は土岐の美濃焼き祭りへ行って来ました。2回目です。駅 裏手から無料の送迎バスが出ていて、会場のある山の中を走って行きま す。結構距離あります。着くとそこは焼き物団地で、すごい賑わいです。 前回来た時に見つけたお目当ての作家も案内の地図に出ていました。で きれば一つ買って行こうかと思ったのですが、倍ぐらいの値段になって いた。その前にふらっと入った所で刷毛目の皿がなかなかいい。会場一 回りしてまたそこへ寄りました。薪窯で焼いているとのこと。大胆な筆 使い。買いました。お値段はぱっと見て3万5千円してもおかしくない 物。早速、今度のお茶で使うとしよう。最初一目見た時の印象は結構確 かなものだと思いますよ。5/6 徳林寺企画のお知らせです。毎年恒例になりました虚鐸とホタルの夕べ。 和尚さんから来た案内を載せておきます。五月下旬深緑の相生山を少し 暖かい空気が包むと、ホタルが飛び交います。暗闇の優雅な景色の中で 村田虚観さんの虚鐸を聴いて頂く企画です。ぜひ御参加ください。5月 26日午后8時から10時半。8〜9時、本堂で虚鐸の演奏。9時から お茶(お抹茶ではありません)。9時半からホタルの舞う山中へ出発、山 中にて虚鐸演奏。10時半頃本堂へ帰着予定。会費は1500円。ここ からは小生の補足など。虚鐸というのは尺八の長いのです。村田さんが 尺八を始めたのはかれこれ10年ぐらい前。彼は竹を切って、見よう見 まねで尺八を作ってみたのです。小生はその当時、結構三曲にはまって いて、筝や尺八の演奏会に行ってました。いつも案内をくれる尺八の演 奏家がいまして、その人に尺八を作ってみた男がいるのだけど、一度見 てやってくれと手紙を出したのです。花祭りの時でした。そしたら来て くれて、彼の作った尺八を試しに吹いてくれました。その場で音が合っ ていないと言われ、それからですか彼が本格的に習い始めたのは。年々 うまくなって行きました。彼の吹く尺八はかつて虚無僧が吹いていた曲、 それはそれは幽玄な響きの音色なんです。静かに目を閉じて聴き入って いると、暗闇の中で彷徨っているような気分になります。虚無僧にとっ ては尺八を吹くことが座禅をすることと同じ。蛍狩りには細く真っ暗な 山道へ入って行きます。蛍は戒壇巡りのほのかに見える灯火です。5/16 明日のお茶の菓子のこと。もう今日、買ってきました。中村公園の大鳥 居の所にある和菓子屋さんで買いました。いかにも老舗という古い看板、 聞くと創業70年だという。思わず天正時代からあるのですかと口にす るところだった。ある野暮用の帰り、信号待ちしていて、並んでいる饅 頭を見てたら素通りできなかった。んー、こないだ土岐で買った刷毛目 の皿に盛ると結構いいかもと思ってみたり。並べるのは少しボリューム 感もないといけない、なんせ皿は少し大きいし迫力があるから。まさに 侘数寄常住ですなー、歩いていてもふとそうしたことが頭をよぎる。自 分で釜を懸けるというのはこういうことなんですよ。いい歳こいたら習 うだけでなく、自分で茶席を設けることもやってみる。大切なことです。 先週の日曜は青年部の総会に出てました。もう僕はこれで最後にしたん ですがね。今度の火曜日は会社休んで同門会の総会にも行きます。まあ こういう集まりは本当、行って帰って来るだけですね。前から書いてい ることなんですが、たくさんの先生方の中で少しでもいいから、自宅で の身内の稽古だけでなくお客さんを迎えたらどうか。一緒に点前もやっ てみたりして遊んでいけばいいではないか。青年部の人等もきっと、こ のよい子を見ている人もいるはず。どうか遊びにきて下さい。でも道具 はないし、菓子も有名処のではないけどね。話戻して明日、菓子を頂け る人はラッキーです。中村の地にある豊国神社は豊臣秀吉を祀っていて 出世、開運、茶道にご利益があるのです。5/26 * 平成19年3月のお稽古  3月25日 パソコンは炬燵の上に乗せているんです、正確にはディスプレイとキー ボードですが。書き出すと何を書くのか分らないので、最初に花祭りの 茶会の日取りを。今回は4月7、8日です。お代はいつものように三百 円。松風堂さんとこの野点が3月31日と4月1日です。こちらにも是 非、足を運んで下さい。市中の隠とはこのことです。土曜日、ふと松風 堂さんとこへ寄ったら、昨日入ったという竹台子があるじゃありません か。この棚は僕の先生がよく好んで使っていました。あけてみると、染 みはほとんど無し。即決でもらいました。という訳で、今度の月釜では 置き炉で竹台子の点前をしましょう。こりゃ楽しくなってきました。大 棚ですから外隅ですね。釜は久しく用いていないのにしてみますか。炉 にはちょうどいい形のがあるんです。でも僕自身あまり好きではない釜 なんですがね。おおー、ここらから脱線しそうな気配。"同門"の3月号 にいい事が書いてあった、先方の家庭の味を戴くのがお茶であると。ま さにそうですよね。お客で呼ばれたら客であることを忘れてはならない ということ。年季を入れたお茶人さん程、そこのところを忘れてしまう ようです。扇子を前にお点前のご挨拶をしたら、表流では扇子は使わな いと言ったセンセイがいたぞ。この後どう続けるの一体。間道柄の出袱 紗を柄に沿って折り出したら、すかさず直された。そういう人は親戚の 家に行って、出された料理にもいろいろアドバイスをするのでしょうね。 茶是常識です。お忘れの無きよう。3/20 もう桜が咲き始めています。今年の茶会は1日だけにすればよかったな ー。もう次の週では桜はまるでないぞ。そんなことで1日か2日にも釜 を独りで懸けようか、ちょっと考えています。菓子は写真の干菓子で皆 さんにも、サプライズをお裾分け。やるとしたら点前はお盆点てにしま すか。一人、二人の客でゆったりと桜を愛でながら一服というのもおつ なもので。日曜、境内にネパール茶屋を大工さんが来て立てていました。 雨を凌ぐだけの屋根ですがね。本堂入って右手の広間では、こないだ宇 宙へ旅立った方の回顧録展の飾りをしてました。生前、ガンジス川で瞑 想をしていて悟った瞬間の話を聞いたりしました。去年の花祭りはまだ 元気で案内の看板を描いたりしてました。1週間ぐらい前から続々と人 がやってきて、ピークには30人50人となります。皆、インド・ネパ ールなどで和尚さんと知り合った人達やその知り合いだったり。ハイい っちゃん元気だった、一度ネパールに行きましょう、と抱きついて来る アショカさん。四国の山中で自給自足をしている独り身の男。お寺で縁 をもらい夫婦になり九州の山奥で暮らしている尺八吹きの男。小さな娘 を連れた絵描きの男、いつの間にか娘さんが大学生になりこんにちはと 挨拶された時はびっくりした。キッヅゲルニカをやっている、まだ若い 女性も姿を見せる。何人普通のサラリーマンがいるのか。いな、僕自身 もう普通ではないのかも知れない。ネパールの料理、そうまずくはない です。スープのダルはもそっと塩を効かせてくれるとうれしいが。3/26 ああー不幸中の幸いというか、どうも最近いろんなことがしっくり来な かった。とうとうその元凶がおでましになったと。それが今週の金曜日 とか発覚したら、とてもや平静を保ってお点前なんかできるものではな いぞ。誰しも一度や二度はお世話になる駐車禁止という奴である。母の 居る住宅地にしょっちゅう行くのだが、これまで10年この方、駐禁の ステッカーを貼ってあるのは見たことがなかった。でもこの1年ぐらい、 すぐ近くの幹線道路よりのところでは一度見たし、いつも止める場所で 反対向きの車に貼っているのも母が見た。場所は問題ないのだが反対向 きがいかんのだと監視員が言ったそうな。張り紙に記載してあった文面 の複雑奇怪なこと、まるで理解できない。いずれ出頭命令などが郵送さ れてくるだろうと待っていた。忘れた頃に来たぞ。それにも裁判所、反 則金、審判、控訴とか思わず胃潰瘍になりそうな字面が並んでいた。住 宅地の中まで取り締まりかー。こりゃもう運、不運しかない。税金だと 思うしかない。今日の平和な世の中でも理不尽な事がそのまま、まかり 通っている事は多々ある。そこに合理的な理由はない。さて今回の落ち はどう付けるか。強引に茶道の点前の所作にでも結び付けますか。何の 意味があるんだという所作は確かにある。他の流派の点前なんか見てい ると余計そう感じる。意味があってもなくても、ひたすら稽古するんで す。ちょっとこれで気分が楽になったか。今は気持ちを平静に戻すこと が先決、手段は選びません。喩え屁理屈であろうとも。4/3 景気の悪い話はそうそうにして、明日からの花祭り茶会のことを。今年 もやりますよー。何と桜の花が残っていました。盛りは過ぎたものの八 分九分はある。やはり日曜の昼過ぎから桜の花がいっせいに散って舞う 光景が見えるかも知れない。今日は会社を三時半頃に出て、お寺に行き 明日の準備をしました。まだ日はあるというのに人がまるでいない。檀 家の人が二人、甘茶の接待を終えてすれ違いに帰っていった。あれれど うしたのかな。いつものことなら境内にバザーなんかが出て、まだこの 時間でも賑わっているというのに。本堂やシャンティクティにもいない し。どうやら一日の行事で集結して、早々に散っていったということら しい。それとも徳林寺の片腕だった人が宇宙へ行っていなくなってしま ったことが影響しているのか。要がなくなったということなのか。晩御 飯も呼ばれてきました。ネパール料理ではなく、散らし寿司と野菜汁に 菜の花のお浸し。その時それでも十人ぐらい食べてました。前に座った のは陶芸の工房だった家の男。気を入れてもらいました。右腕がおかし いと指圧をやってもらっているのを、その男は側で見てました。こない だ本堂の前で腕を回していたら、自分は鍼灸師だ、今見てあげるとその 場で押してくれたのだ。気というのはよく分らないのだが、蝋燭を灯し その男と蝋燭の火を介して対面瞑想した。正座で1時間ぐらい座ったの でないか。背筋を伸ばして灯火をじっとみつめる。気というのは相手の 気持ちであって、自分のために一緒にそうして座ってくれたこと。それ はうれしい有り難いことだった。4/6 西安の玉、花祭りの茶会でも使いました。なかなか珍しい、好評でした。 土曜日はお客さんはすくなかったんです。でも日曜は晴天になりまさに お釈迦様の誕生日の8日。それはそれはすごい人出になりました。10 時からの法要では、もう本堂に入り切らないぐらいの人。11時回って もまだ法要をやっていて、お茶のお客さんがぞろぞろ待っている。本当 は法要が終わってからがいいのですが、そうも言っておれず始めること にしました。最初のお客さんは、先週の野点で座っていらした方々でし た。ご挨拶をして先ず僕がお点前をしました。用意したお茶は100g、 菓子はじょうよ饅頭を50に、練り切りを10、羊羹2棹。去年のこと からすればこれだけで十分だろうと。だいぶ去年は余ってしまったから なー。それが2時前の時点で足らないぞということになりました。干菓 子を三種盛り主菓子にしたり、何とかやりくりしました。和尚さんもこ の日はお客様を連れて二度も座られました。お一人は京都の大学の先生 でした。点前を弟子にやってもらい僕も同席しました。少し話している と久田宗匠とはかなり親しいご様子。いろいろ話を聞かせて頂きました。 これが縁で家元付きの宗匠が徳林寺に来たりして。どなたさんが来られ ても、僕がお点前しておもてなしします。そうそう日曜の席には軸を大 幅の鯉の絵を掛けました。お寺の縁者三人によるものです。迫力のある 鯉の絵で、表装は風炉先を作ってくれた人。その方も座り静かに見てま した。花は青銅に春蘭をそっと入れたのでした。4/13 4月1日〜8日 呈茶7、8日、 久々にマジックのレクチャーに行ってきました。今日は初めての人がい なかったので、内容はレベル・フォーということで。毎度の前振りはな しでいきなりカードマジックでした。行く前はちょっと今日はどうしよ うかなーと思っていたのですが、やっぱり行ってよかったです。先生の 話がとても楽しい、特に男連中には。手順の解説の間に、いろいろ心理 的な間合いやら、脱線してこれまでの体験談になったりと。勉強になる こと多々あります。マジックに行く前を遡ると、30分ぐらい昼寝をし ていて、その前は完全礼服姿でお寺さんの行事に参加してました。法戦 式なる小坊主から坊さんになる儀式、お寺の住職の御子息がめでたくこ の日を迎えられたのです。式は住職が知り合いの近くの寺でありました。 その寺も代替わりのお披露目なる普山式をやり、かつ法戦式も執り行っ たのです。禅問答、形の決まった問答をやるのです。永平寺にカメラが 入ってその禅問答をやっているのを映していました。それは迫力がある、 今回はそれを目の前で見ました。和尚さんもこれで一つ安心ができたよ うです。でもまだ成人した訳でなし、一人前の住職になって行くその端 に付いたところ。式を終えて和尚さんが精進料理で席を設けていました。 場所を移動し、そこで皆一言ずつお祝いを言いました。僕はそろそろお 茶の方にも来て座って頂きたいと言っておきました。茶道とお寺に禅は 表裏一体。それにしてもいろいろあった休みだった。4/23 * 平成19年2月のお稽古  2月25日 いかがだろう。八角のお盆に並べた干菓子は。外周は鶴宿、内側に西安 の玉。鶴宿と書いて鶴の宿と読むのだろうか。僕はせいあんの玉に併せ てかくしゅくと読みたい。この玉は一体何?、それは口に含んでのお楽 しみ。二階の菓遊茶屋でその場で菓子を作ってもらい、お薄を一服飲ん でもらって。それから真相を各自確かめられたい。きっと、はっとしま す。菓子のことはこの辺にして、お盆のことだ。八角のお盆を見るとつ い、八角の真盤空理を走る、という言葉が出てしまう。字はこれで合っ てますでしょうか。確認せずに記憶だけで書くが、七代目如心斎が修行 の末悟った時の言葉である。盛岡のお茶の仲間が、この意味が分ったと 手紙をよこしたことがある。何やら絵らしきものも描いてあったような。 僕は八角形はどうもUFOを思い起こしてしまう。未確認飛行物体って 奴である。そして次の瞬間、宇宙を連想する。そこまで発想すると八角 は円相そのものに見えてくる。昨日の月釜では床の間に先ず人形を置い た。そして軸は色紙の円相を掛けようとしたのだが、どうも見当たらな かった。んー、結果的に円相がダブルるところだった。人形は永遠不滅、 円相は無限宇宙。期せずして、徳林寺の仙人だった人の追善という形に もなった。インドやネパールを歩き、絵本を描き、ヨガの修行者のよう な人だった。しばしば茶席に来て薄めの抹茶を所望した。彼の人生の研 究テーマが宇宙だった。宇宙は絶対的な無か相対的な無か。そんな話を していた。冥福をお祈りする。2/27 2月のお茶では陶器の人形を出した。危ない人形を見てしまった。3月 初め東京に出た。大学時代の先生が退官するに当り最終講義があると連 絡をもらったからだ。ちょっと時間があったので、秋葉原を一度よく見 たいと思い寄ってみた。駅に降り立つとメイド服の女の子が何人もいて 店のチラシを配っていた。最初、名古屋の大須のアメ横ビルみたいなの に入ってみた。電器関係のパーツ屋が所狭しとある。上の階に上がって 見た光景が超マニアックな世界だった。フィギュアはこちらでも見たこ とあるが、おもちゃでしかない。そこに展示してあったのは違う、芸術 と言っていい。ディスプレイもまさにメルヘン。こりゃ、はまったら最 後だと思った。昼はメイド喫茶が横にある寿司屋で散らしを食べた。も う一つの人形は人、女形である。近く、平針駅のちょい向こうに温泉が あることを先週の土曜に知った。割引券をもらったのだ。旅芸人の一座 が出るとチラシに書いてあった。子供の頃、尾張温泉で見た一座の寸劇 が忘れらない。こりゃ是が非でも見に行かないかん。母は子供の頃よく 祖母に連れられて見に行ったという。当時は、そこらの家の座敷で芝居 がかかったのだ。一部は吉岡道場涙の紅白試合、二部は歌と踊り。たっ ぷり楽しませてもらった。温泉に入り浴衣に着替え、広間は人で一杯だ った。なんちゅう雰囲気。おひねりではない、万札を何枚も帯締めに挟 むのだ。遠目夜目傘の内でそれは綺麗だった。すました世界ばかりでな く庶民の世界を覗くのもいいものだ。3/13 * 平成19年1月のお稽古  1月28日 ここ何日か急に寒い日があったりで、風邪を引きかけたかなと少し用心 してました。そういう時は寝るのが一番、12時まで寝ていました。お おー、何とか持ち直したみたいだ。2時からはお寺の委員会があったの で、ともかく出かけて行きました。母を拾ってお寺へ、母はそのまま草 むしりをしてました。畑の中は風がないので、しゃがんでいたらぬくと いのです。委員会で出た話は鐘楼のこと。建築家の人が息子に言って描 かせたと図面を出してきました。なかなか立派なものです。とりあえず 3千万円ぐらいかかるのでないか、どうやって工面するかと、獲らぬ狸 の皮算用をしてました。これまでいろいろ話してきて、ものになった試 しがないからなー。先ずは見せるものがあった方がいい、鐘だけでもあ った方がいいとなりました。結果、土で模型を作ってそれらしく色を塗 ろうかとなりました。大口ユーザは結構身近にいるんです。たんまり儲 けさせてもらった、後は世の中に社会貢献したという企業の会長さんな んかがいるんです。こういう話は茶席でさりげなくするのがよろしいか と。こうして参謀がアドバイスしているのですがね。シャイな住職なも んで。まあそれはそれでよろしいかと。小生も似たようなものですから。 そうそう先週の月釜のことを書いておかないと。松風堂さんが稽古の遅 がけに来られて、置き炉も車に積んで来てくれました。早速、炉に中に 風炉の富士釜を置いて点前もやってもらいました。思った通り風情がな かなかよろしい。2月はふるに使うとしましょう。2/4 20年余りの歳月が目の前で時を遡ったかのような一日。子供の頃に浴 衣を着せられて、暗い夜道に蛍の灯火が舞うのを見たのは、真だったの かそれとも幻。軽い頭痛がしている。でも昨日のことは現実だった証拠 が手元にある。石川丈山が起こした煎茶の道は、さりげない日常の中に 悟りを見つけること。たかが数滴の茶の雫でないか、それにはっとさせ られるのだ。それは驚きであったり、分るということであったり、或い は人を知ることでもあるかも知れない。今月の月釜では、皆さんにその お裾分けをしよう。それは意外性であったりするかも知れない。はっと すること、人が人として生きていくための活力の源。最大のもの、それ は恋かも知れない。ゴッホは新しい女性と出会う度に、作品を生み出し ていったという。さて今度のお茶ではお雛さんに因んで、陶器の童の人 形を出すのが常になっている。雛飾りはその家の長女に受け継がれ、座 敷で一つ奥の部屋に飾られる。そう、人形は少し薄暗い所が好きなよう である。人形に捧げる菓子が手元にある。鶴屋吉信の鶴宿という干菓子。 即中斎の命名で花押が認めてあった。もう一つ、鶴屋本店でしか手に入 らないという菓子もある。このニ色を八角の朱色のお盆に盛るとしよう。 このお盆、四国遍路の道中に求めた桜井漆器である。田丸弥で求めた茶 筅も新しく卸すことにしよう。人形は五時まで居ます。是非会いに来て やって下さい。2/13 * 平成18年12月のお稽古  12月24日、 体の節々が痛いです。昨日30日のお寺での餅つき。以前のように箸が 持てなくなるまで搗いたりはしませんが、それでも結構堪えるものです。 自分とこお鏡と三日の善哉分ぐらいは搗きましたよ。餅つきの合間に庭 の掃除もして、侘助の落ちた白が風情を添えます。昼には終わり、家に 戻りマンションのロビーの正月花をやりに行きました。今年もいいのが 入りました。花材で買ったのは白の菊だけです。これも花畑で今年は赤 しか出なかったため買ったもの。先ず梅のずばえは、お寺から北へすぐ 行った森の上にある梅林で剪定していたのを頂いたものです。なかなか 力強い。松はお寺のグランドに生えている若木です。ぐにゃっと曲がっ ているので、花瓶の後から回しています。南天は植えたもの、だいぶ大 きくなりました。笹はそこら辺に一杯あるんです。車の通らない藪の中 に入って採りました。それに日本人の原点である稲穂の束。これは会社 近くの魚屋さんに先週、買出しに出た時すぐ際にある田んぼから採った ものです。秋に収穫した後、ずーと田んぼはそのままで、稲がまた出て くるのです。昨日、その穂のこと何て言うのと母に聞いたばかりなのに 忘れてしまった。難しい字を書くのです。自然のものを使った花は生命 力があります。貴方にもその気を送ります。さてこれから柳も採りに行 かねば、いつも採る公園に残っているかなー。今年はこれで最後になる と思います。皆様、来年も何卒よろしくお願い致します。12/31 平成19年 初釜:1月3日、午後1時から ぽやーとしていたら、もう1月の後半になってきました。なんかここ暖 かいですね。マンションのロビーに飾った正月花、そのまま部屋に置い ていたらとっくの昔に梅の花が咲いて終わりました。部屋の中は暖かい ので余計に早く咲くのですが、ずばえを採ってきた梅林、今度の土日辺 り咲いているのでないか。行ってみようかと思います。正月三日の初釜 は、例年通りのこじんまりとしたもので。善哉を用意して、広間の方で 食べてもらいました。一袋の小豆を全部、炊いたわけで結構はけました。 お餅は30日に搗いた丸餅を切って、湯の中で柔らかくして椀に入れま した。包丁でまだ何とか切れました。おいしかったです。お参りに来た 人らにも上がってもらって、どうぞ一服とお点前をしました。結構結構。 1月の月釜は、皆さん都合が悪い方ばかりでどうしようかなと思ってい ます。おおー、一体何人来るのだ。自分含めて3人だったりして。まあ そうだったら、濃茶のフルの稽古でもしますか。正月に結局、封を開け なかった超いい抹茶があるので、それを使うことにしよう。いつまでも 置いておく訳にはいきませんからね。ひょっとかすると炉の点前ができ るかも知れません。一応、置き炉をキープしてあるんです。そういえば 値段を聞いてなかったばい。皆さんから頂いた千円で、こうした道具を 買っていくんですね。炉の点前ができるとなると、こりゃいろいろ道具 が欲しくなって来るというものです。僕の好みとしては水指し置きつけ、 ありゃこれでは道具はいらんねー。1/18 * 平成18年11月のお稽古  11月26日 先日の月釜のことなど書いておくとしますか。今日も閑古鳥かなと思っ ていたら、ぼちぼち皆さん来られて全員で六名でしたか。和尚さんはネ パールに行って、お寺は静まりかえっていました。紅葉がピークでした。 座敷から庭の紅葉が見えるのです。晴れていたら真っ赤でしたのに。点 前は女性陣が二人やって、後そうできる人がいないので、僕がやりまし た。年中、風炉のお点前。今日は中置でやることにしました。先ず僕が 足の運びの見本を見せて、さあどうぞと。最初の方はお点前するの何ヶ 月ぶりでしょうか。人も少なかったので、細かく手ほどきしました。普 段はまるで茶道とは無縁な生活なのに、この座敷に座ると茶道モードに なるのです。点前のほとんどのところで、ちょっと待って下さいと修正 しました。最初にご挨拶をした後、お菓子を持ってでます。そして正客 の前に置いて一礼です。いつもやっていることなんですが、お菓子を出 す心持ちについて話をしました。相手との間合い、少し目を見てそれか らお辞儀をする。お辞儀の仕方、背骨を伸ばしたままでなく最後少し頭 を傾げること。ちょっとしたことで、180円の菓子が気分的に千円に も二千円にもなる。そこがただの茶店とは違うところなのだと。何を隠 そう、このことを感じたのは20歳の時、茶道を習い始めた時のことで す。会社での残業の連続の中、茶道クラブの稽古が唯一の楽しみでした。 そこで先輩女子が菓子器を持って来る様が、僕が今教えていることなん です。彼女らが扱うと、ただの饅頭ではなくなっていたのです。11/30 急に寒くなりました。でもまだ炬燵を出していません。どてらをはおっ てただ今、書いております。気がつけばもう12月、先日スーパーに寄 ったら早、注連飾りが出ていました。幾らなんでもちと早過ぎるんでな いか。さてさて本日からカウンターも復活させます。プロバイダのミス でホームページの内容が全部、消えてしまいました。そしてカウンター の設定が少し変わったのでした。どれだけ見に来てくれたか、やはり少 しでも分れば励みになるというものです。年々、このホームページへの 感想みたいなことが少なくなって来ています。どうも単なるホームペー ジからブログやミクシーのようなSNSへ関心が移っているように思え ます。一日に何万ものアクセスがあるブログサイトはそう珍しいことで はないようです。よい子の茶道は一日たかだか50ですが。ミクシーに は今年の8月に始めました。月の屏風を背に写真を載せてあります。会 員の方は探して見て下さい、でも背広姿ですがね。ブログやSNSはつ まり日記、日記を写真入りで公開している訳です。ホームページはやや 敷居が高いせいか何かテーマを持ってそれなりの考えで書いている。こ こは茶道がテーマな訳で、そう逸脱した話題は載せることは憚られます。 その割には茶道の話がない。多分それが問題なんでしょうね。有名どこ ろの茶会に頻繁に行って、会記を書くとか。でもそういうのは興味ない んです。人の顔が見えるこじんまりした会がいいですね。12/04 半年ぐらい前から母がいれるコーヒーがすごくまずいんです。母、曰く 最近味覚がなくなったのでないか。コーヒーはただのインスタント、ネ スカフェでして。ネスカフェ自体、味が変わったのか。それでキーコー ヒーを買ってみたり、コーヒーの量が多いのでないかと言ってみたりし てました。やっと今日、原因が分りました。僕も母が作るところを見て いれば、すぐ分ったものの。まさかと思うことをやっていたのです。分 って、ちょっとばかり腹が立ちました。砂糖が違っていたのです。人か らもらったオリゴ糖なる液体の砂糖?を入れていたのです。キーコーヒ ーはブラックで飲むと、豆を挽いた煎れ立ての香りがするものです。そ れが母が入れるとまるで香りも何もなくなっている。気分さえ悪くなる。 砂糖を別物を使っているのなら使っていると言えよ。土曜日、農協に買 出しに行った際、オリゴ糖の袋詰を買っていました。これで正月の善哉 の砂糖にするのだと言ってました。ちょっと変だなと思ったのです、何 でそんな訳の分らん物を使おうとするのだ。オリゴ糖が悪いのかどうか は知りません。問題は知り合いからもらったという代物。その人、無知 に任せて高額な健康食品なんかを買っているのです。癌に効く何たらと か。まともな経路で入手したものとは思えません。そんなものをもった いないと言って、半年余り使い続けていた。ともかく即、捨てよと言い ました。入れ物にはコーヒーや紅茶にどうぞと書いてありましたが、ま るで風味がなくなるようなのはおかしい。自分も、もっと早く真剣にお かしい原因を調べるべきだった。己の怠慢さにも腹が立ちました。12/07 お客様からお題を頂きまして強引に話しを作る落語があります。お題は 勝手に私めが選んで、茶道とマジック。おいおい又、マジックかよ、ま あそう言わずに。先日、名古屋の錦三のマジックバーで話していたこと なんです。茶道は究極の水商売、100円の菓子を千円にするマジック。 こんなこと言ったら、どえらい顰蹙もんかも。スナックとクラブの違い は。はたまた茶道は芸であって芸でない。筝や三味線の芸とはどう違う。 単純には文化的背景が有るか無いかということなんですが。かれこれ十 年前、すごく上手な筝の弾き手がいました。ともかくうまいんです。三 歳から稽古して日本で一番の芸大の院まで出た人でした。彼女なら、そ のうまい先にある何かに到達できるかも知れない。それには茶道のよう な永年培われた精神性をバックボーンに持てば、ひょっとして。そんな ことを勝手に思ったことがありました。バーで酒を出し、客と洒落た会 話で今宵一時を楽しんでもらう。そこに少しマジックがあって、茶道の 点前のような感覚で、お客さんとマスターとの媒体になる。バーでもク ラブでもお客はママやマスターとの会話を楽しみに行く。ただ話をする だけでなく、何かそこにクッションになるものがあるといい。それが茶 道でいう点前であり、クラブならマジック。だからと言ってマジックが 目立ってはいけない、表千家流でさらっとやる。このニュアンス分りま すか。12/15 ただ今、金曜日の晩です。明日は休日になるので、お抹茶を買っておい た方がいいと思い、1時半頃に松風堂さんとこへ行きました。お昼に? え?、仕事は。お仕事は午前だけにして昼ご飯を食べて出てきちゃいま した。今度の月釜は今年最後ですからね。皆さんにいいお茶を召し上が ってもらおうと、仕事そっちのけで買いに出たんですよー。店には正月 用の大福茶を並べてありました。そっちはお仕事中だったかも、小一時 間お邪魔してしまいました。道具もいろいろ見せてくれました、輪島塗 の四方盆とか置き炉とか。炉壇は作ったものの、炉は切ることができそ うにないんで、ここはいっそ置き炉を使おうか。ちょっとそんな考えに 傾いています。犬山の先生が昨年に亡くなり、炉の稽古をする場所がな くなりました。全くやらないと点前を忘れてしまいます。内隅、外隅っ てね。柄杓の扱いもあるし。見せてくれた置き炉、結構風情があるんで す。四方盆は傷一つなく、輪島塗のいい艶が出ていました。真塗りとは また違ったよさがあるなー。おおー、久しぶりに茶道の思いがしてきた ぞ。喰篭もいいのがあったけど、昨日出てまったと言ってました。それ こそ自分が二十歳の頃、茶道を習い始めた最初の初釜で、網目の喰篭を 持った写真があります。喰篭の扱いもやらないかんねー。さて今度、と 言っても明後日のことですが、点前は長板で座り火箸の立ち火箸としま しょうか。いい抹茶も手に入ったことです、濃茶の点前もやりましょう。 この会は禅寺の来る者拒まず去る者追わず、の通りです。どうか構える ことなくいらして下さい。お待ちしています。12/22 茶の湯とは仏に供え、そして我も飲む。一年前に亡くなった先生を偲び 唯一残った茶碗と軸を使いました。菓子は不老柿。先生宅の稽古では僕 が菓子を持って行きました。年が明けて最初の稽古の日に、この不老柿 を買って行きました。何年か間が空き久しぶりに尋ねても、変わらず出 迎えてくれた。そんな感じで、また間が空いた空いているだけ。人は心 の中で生き続けている。そうした人と出会えたことに感謝しなければな らないと思う。弟子の一人とは一緒に稽古に出かけました。涙もろい人 で御挨拶して言葉に詰まり、そのまま点前をしてもらいました。綺麗な 点前で先生も安心してお茶を飲めたことと思います。僕が最後にやった 濃茶の点前、ああー、おいしいと言って飲んでくれました。点前の最中 にぼたん雪になり、茶杓の銘を即興で"雪の里"と名付けたこと、昨日の ことのようです。お茶はいいなー。他人さんが亡くなっても、こうして お点前して供養することができる。心を形で表わすことができるのです から。先日の点前は長板の諸飾りでお薄と濃茶にしました。今年は初め てだったかも知れません。先生ところでも、何度も稽古した訳ではあり ませんが覚えています。飾り火箸の扱いが楽しいです。僕が今年最後の 点前で締めようかと思いましたが、松風堂さんが何とか間に合って、最 後やってもらいました。彼が挽いた初昔、湯もいい加減でおいしいと言 ってました。そんなこんなで一年が過ぎました。来年は正月三日から始 めです。皆様のお越し、お待ちしております。12/26 * 平成18年10月のお稽古  10月29日 徳林寺 秋まつり 呈茶 11月19日、午後3時から 今月は二回、お茶の日があります。恒例になったお寺の秋まつりの呈茶 です。昼から豆まんだらを作り始めます。今年は他にも盛りだくさんの 催しがあるみたいです。お筝の演奏と歌、木の葉を集めて焼き芋、里芋 のケンチン汁、尺八の演奏、望遠鏡での星空観察。だいたい3時から7 時ぐらいまでの催しです。呈茶は300円です、それ以外はお賽銭です。 お気軽にお越し下さいませ。お茶の準備は1時からいつものように始め ます。やることは毛氈を敷くのが加わるだけのこと、お手伝いしたい方、 一緒に花など入れていきましょう。点前の最後は、日も暮れたところで 蝋燭を立ててのことになります。それはそれは幽玄で厳粛な気持ちにな ります。今年一年を静かに振り返り、息災を感謝する気持ちが自然に湧 き出てきます。お天気の方は急に秋が深まってきた感じです。土曜の晩 から急に寒くなってきました。ちょうど金土は岐阜に行ってました。長 良川河畔の宿に泊まり金華山を眺め、冷んやりした空気を肌に感じてい ました。11/19 昨日は昼前からポチポチ雨模様になってきました。ススキをいつもの場 所に採りに行きました。豊明と名古屋の境の愛知用水のところです。お 寺で柿の実のついた枝、それに畑で作っている赤の菊。これらで母がガ ラスの大きな花瓶にいれました。このガラス花瓶は小生が初め使ってみ て、秋祭りに使うのは恒例になっています。いつものように1時頃から 準備を始めたのですが、いっこうお弟子さん達の姿が見えない。こない だの稽古の終わりの時、日にちを間違えて話したかしゃん。結局、誰も お手伝いに来ませんでした。母と二人で30人ぐらいおもてなししまし たでしょうか。着物は持って行ったのですが、着る間もなくお客さんが いいですかと来られたので、そのままお点前に入りました。下から上ま で全部、黒尽くめの出で立ちです。そうマジシャンズ・スタイル。ここ しばらくお茶の方はさぼっております。暇さえあればカードやらロープ やらを手に取って、マジックの練習をしています。点前をするのは、か なり久しぶりでした。ひょっとして今年の花祭り以来か。それがとても 自然に点前をして、お客さんと接していました。子供連れの夫婦にはお 茶の頂き方をやって、小さな子供さんが目を輝かせてお茶碗を回してい ました。何か最近、変なんです。自分自身すごく自然体で、なぜかいろ んな人が話しかけて来る。マジックという寄り道から、何か感じたもの があったのだと思います。また今度の日曜、皆様にお会いしましょう。11/20 * 平成18年9月のお稽古  9月24日 たまには書いておかないと忘れ去られてしまう。と言ってあまり茶道の 話は無いんです。月に一度、稽古兼茶会の釜を懸けているだけですから。 普通の所と同じように毎週やるか?。どうもそんな気にならない。毎週 稽古せないかん程、重要なものでもない。というより平点前さえきっち り出来れば、それでいいではないか。今日もお弟子さんと病院の帰りに 道具や稽古の話をしていたのだけど、お薄でいつもと変わらぬ点前でも てなしすればそれでいい。若い方が何人か来ていて、家のことを心配す るでなく、稽古に打ち込むことができる。そういう状況ならどんどん新 しいことも勉強してもらわないかん。茶通や色んな棚物もやらないけな い。覚えていく時期、やれる時期というのがやっぱりあるんですね。そ んな事と、僕が想う茶道は四国遍路のお接待の心持ちである事。だから 力を入れずにさあ一服どうぞという事なんです。さあー、この気分は実 際に四国を巡ってみないと分らないかも知れません。よく茶道の話に茶 事を何回やったかとか、花月百回朧月夜とか言いますね。四国で私はお 接待を何回やったなんて話す人はいないと思います。何か自慢している ようで、どういうつもりで回数を口にするのでしょうか。友達を招いて 貴方は我が家へ来た50客目です、目標はあと50人なんて、言うの?。 稽古の年月を重ねる程に感覚が麻痺いていく。茶道は先ずは常識である こと。それを忘れてはいけません。10/9 最近は身内にも身の回りでもいろいろ事があって、でもそうそう悪い事 ばかりが続く訳でなく、昨日はいい事が二つ重なりました。それなら少 しお祝いをしようと、鯛の吸い物を作ろうと思いました。普段なら車で スーパーに行くところ、ゆっくり歩いて金木犀の香りを楽しみながら行 きました。このスーパーにはちゃんとした魚屋さんが入っているのです。 鯛の刺身はいつも徳島産が並んでいます。鯛はこの日、切り身にした黒 鯛、そのままのは豆鯛、島根県産とか紀州産とか幾つかありました。半 値の札のないのが上の方に2枚ありました。結構大きい、680円です。 ただ鯛と書いてありましたが、頭の格好からグジでした。吸い物にする ので三枚におろしてと言いました。吸い物なら3つぐらいに切った方が いいのでないの大将は言いましたが、いえ三枚でいいですと答えました。 口に入れる人のことを考えて、食べ易いようにつみれのようにしたかっ たのです。半身を包丁で叩いて団子にしたら4つ採れました。こんぶを 水にしばらく浸しておき、頭は湯通しして中火で出汁をとりました。団 子にしたのを入れ適当なところで半分に割ってみました。まだ中が少し 色が残っているところで火を止めました。味付けは酒、味醂、醤油、そ れに生姜とレモンを少々。それはそれはおいしゅう御座いました。後の 半身は骨のところと一緒に炊いておきました。くれぐれも鮮度のいい魚 には砂糖は入れないように。10/15 日々雑感、大して書くこともないので。何でも鑑定団、さっき見てまし た。楽の二代目の茶碗に2千万円の値が付いていました。いい形をして ました。それはいいのですが、ナレーションが"ちゃどう"と言っていた。 前から鑑定団ではそう言ってますよね。どうも"ちゃどう"はよろしくな い。茶道は"さどう"だよなと思う。同じ茶道でもここからして違ってい る訳で、決して目指すところは一緒とは言い難い。かつて明治時代ぐら いですか、家元の人らが地方を旅した時、同じ流派なのにかなり点前が 違っていたという話がどこかに出ていました。そもそも違って当たり前、 違いをかつてはあまり知る術がなかった。本もあまりなければ、インタ ーネットもない。早い話、隣の家がどんなおかずを食べているか知る由 もないということ。別に知りたくもないし、知ったからと言ってどうに かなるものでもない。だから、よそが"ちゃどう"と言おうが"さどう"と 言おうが、所詮はどうでもいいこと。それを皆の前でおおっぴらに言う ので気になるのだ。いかんいかん、ついどうでもいい話になってしまっ た。徳林寺茶の湯クラブは、ただ湯を沸かし点て飲むだけのこと。それ を20年このかた続けて来ました。さて季節も爽やかになってきました。 皆さんも一服召し上がりに来られませか。着るものだけ少し気を配って 頂いて、あとはお気軽にお出掛け下さい。手土産などお気遣いは無用に て、一回千円です。お賽銭は10円でも1万円でもご自由に。10/24 * 平成18年8月のお稽古  8月27日 先日の月釜、お客様オーストラリアから来られた男性。お寺のシャンテ ィクティに一服いかがですかと行ったら、一週間程滞在するということ で和尚さんらと話していました。後で伺いますと中のお一人が言われて インドの修行者みたいな人に連れられて茶室に来たのでした。少しは日 本語分るみたいで、点前を二回見て行かれました。この日、最初に使っ た菓子はもらったもの。いつもの菓子屋で例の"暖雪"を12個買ってい ると、奥から奥さんが出て来られて、これ試食してみてと出してきたの です。抹茶のカステラの間にヒンヤリしたものを挟んでいる。何とも口 当りがよくてこれはいいよーと言ったのでした。何と出してきたもの全 部くれたのでした。これはぬるくならない内に頂かないと。和菓子と洋 菓子の中間の菓子ですね。郷里の田舎にはタルトという、南蛮渡来した 菓子が日本化したのがあります。その後で"暖雪"を使ったのですが、先 の方がインパクトが強かったです。この日は10年程前に、習いに来て いた方二人も一服しに来られました。縁側に出て永いこと涼んで行かれ ました。庭は稽古の前に丹念に落ち葉を掃いて、打ち水をしました。打 ち水はお弟子さんにやってもらったのですが、何と初めてだったようで す。こうしてたっぷりと水を撒いて下さいと教えました。座敷に座って いる間、庭の方からすーっと時折り、冷たい風が入って来ました。当た り前のように思えますが、贅沢な話なんですよ。門戸は常に開いていま す。打ち水をして花も入れてみて下さい。8/28 ちょっと最近ぼけています。今度の月釜が24日だということを薄々気 づいていながら23、24日に旅行にでかけようとしてた。会社から勤 続、うん十年の慰労に5万円の旅行券をくれた。それで一度、出雲に行 こうと旅行代理店に行ったのである。チケットみたいなプリントしたの を出すと、これは本店でないと使えませんとのこと。それで他の旅行会 社にも行って、混んでいたので番号札をとった。そこも使えないとのこ とで、家に帰ったら番号札をポケットに入れたままだった。仕方ないの で歩いて返しに行きました。でもそのお陰で、今月もちゃんと月釜でき ます。次のぼけ、車検証がないです。もうすぐ車検なんです。ダッシュ ボードの中のファイルにあるはずがない。確かどこかに置いたかで、車 の中に入れておかないかんと思った気がする。それとも前回車検をした 時に、車屋が持っていったままのような気もする。困った。お茶人さん がこんな事ではいかんですなー。今日も事務所を出る時、部屋の鍵を宿 直室に置いて来るのを忘れるところだった。危ない、危ない。明日は健 康診断です。過去2回問診表を窓口に出しただけで受付の札を取るのを 忘れた。朝早いこと行って、終わるのはビリ。忘れんようにしよ!。実 はそれなりに問題がこれからあるのです。平常心のつもりがやはり動転 しているのでしょうか。また今度のお茶ではひょっとすると、いい事で のお寺の一大事になるかも知れないのに。9/18 * 平成18年7月のお稽古  7月30日 お盆がきました。先祖の霊を祀り現世の安寧を願う。お寺の六角堂の手 水の周りを清めるのが小生の例年の役となっています。これは実存する 体を使ってでのこと。現世と霊界、そして現世にはもう一つ目に見えな い世界ができています。ネットワークです。コンピュータによるインタ ーネットの世界です。多くの人が今日、ネットに接しない日がないとい うぐらいはびこってしまった。居ながらにして物は買える、メールは行 く。インターネットは2000年ぐらいまでは比較的きれいな世界だっ た。それが今や魔界の封印を解かれたような世界になってしまった。現 世の安寧だけでなく、このネットの世界も祈らなければならない。皆さ んソーシャル・ネットワーキングてご存知だろうか。mixiというのが国 内では知られている。最近入会して見ていて閃いたのです。mixiの中で 各自がホームページを持ち、メールのやりとりもできる。このような閉 じたコミュニティを拡大していけば、そのままインターネットになって 行くのでないか。映画マトリックスを思い浮かべました。それでこうし たコミュニティの一つをマトリックスと呼ぶことにしました。インター ネットは多くのマトリックスが繋がった世界になって行きます。もし権 力の集中が起きないようコントロールできるなら、はるかに安心なネッ ト環境を作ることができる。皆さんマトリックスです、覚えておいて下 さい。mixi には小生の写真を載せました。小生自身の安寧のため最後の あがきです。8/13 http://www.tcp-ip.or.jp/~ikken/intra/ybase7.txt * 平成18年6月のお稽古  6月25日 7月に入ってしまいました。いろんな事が遅々として進まない。歳とっ て来くると、動きもだんだん鈍くなるんでしょうね。昔、家に居た三毛 猫、もう大きくなったら動けせん。紐を目の前にぶら下げて、ほれほれ とやっても顔一つ動かさなかった。まあ、人間も一緒です。と、一概に 言えない人も身近に居たりします。お茶やっている所の和尚さんがそう でして、今日もお寺の運営委員会になるもので、夢をとうとうと語って おられました。学校を作りたい、鐘楼を作りたいというのは前から言っ ていて、今日はお花のお寺にしたい。他にも毎度いろいろ話が出て来ま す。土地があって、何かとネパール関係でマスコミにも取り上げられる ので、いろんな思惑で人が近寄って来ます。お金を寄付したい、大工の 腕があるので家の修理造作の寄進をしたい、はたまた石を寄進したいと か。はっきり言ってよく分らんです。最近の話では、全国に400店舗 を持つ会長さんがやってきて、何かお役に立ちたいとおしゃったとのこ と。今度来られる時は声を掛けて下され、お茶の用意をしますのでと和 尚に言っておきました。ここは一つ松下幸之助ばりに茶室を寄進をして 頂こう。伊勢神宮にある茶室、霽月なんかも幸之助氏の寄進です。土地 はあるんでね、グランド全部使って作るか、三千坪です。人がいいだけ ではだめ。少しの欲はないことには何も成し得ない。いや欲という言い 方は辞めておこう、やはり夢ですな。いつの歳になっても夢をもとうと 言うことです。7/2 表紙の写真を模様替えです。恒例のガラスの茶碗です。見ただけでも涼 しいです。これで飲む冷水点ては最高に贅沢です。今度の月釜では登場 の予定、請うご期待!。さて私事になるのですが、プライベートでも仕 事でも様々な事が収斂してきた感じがします。一つの区切れの時期が来 たというか。お茶の方で言えば、このお寺で釜を懸けてまるっと20年 が経ったこと。小生の師匠が無くなり、自分が責任を持って教えて行く 立場になった。仕事で言えば同じく20年が経過して、初めの10年は CADを開発した、そして後の10年はインターネットに取り組んで来 た。CADは2次元の機械設計用のCADソフト、まだ会社では使われ てはいるが役目はすでに終えた。インターネットはゼロから今日ある姿 までなった。とりあえず技術的な事は出るものは出た。学術ネットの時 代が0期、これまでの商用利用の時代が1期。そしてこれから始まろう としている第2期のインターネット2.0。これに伴い、10年に渡り 書いて来た"よい子のイントラネット"も終わりになる。先日、最後の章 立てを調整した。まだ書き残している所もあるが、メドは立った。やる ことはやった、悔いはない。これからは自分を外に出して行く。せっか くのよい子の茶道にイントラネット、もっとアピールしてもいいと思う。 鼠は身の置き所で痩せもするし肥えもする、という中国の諺をこないだ 見た。自分を活かす場所を求め、そこに身を置く事。人生に遠慮は禁物 だ。よろず目立たぬ様は表千家の点前に限る。7/11 いきなりチューブの夏が来た。いや暑いです。とてもや外に出て行く状 態ではありません。あさっての月釜は人は来るのかな。冷水点てもやろ うと思っているのですが。抹茶は安城の農協で売っている地元産のをい っぺん使ってみたろ。千代昔30g700円、安いです。菓子も同じく 地元の菓子屋の羊羹、一棹290円。お茶は未知ですが、この羊羹うま いです。安いからと言って馬鹿にはできません。クーラーボックスで竹 の銘々皿を冷やしておいて、冷たいところで頂いてもらいましょう。最 近、お茶の話題がないです。他所の茶会へ行ったのはいつのことだ。同 門会の寄り合いに行く程度のことで。いやいや名大祭の超最悪な状態で の茶があった。あれは良かった。売茶翁の言う意外なところでの発見だ った。そいうのもいいが、今なら薄物を着た女性が涼やかにお点前をし て、一服頂戴する。こういうのもいいぞ。なんて贅沢な話。実際はなか なかそういう訳にはいかない。姿容がよろしくても、点前に癖があった りすると、とたんに涼やかでなくなる。その時々の体や心の状態も関係 して来るだろうし。人は生ものですからなー、いつも同じという訳には いかないのです。でも、人それぞれいろいろ事情はあっても、いったん 茶席に座ったら心を静かにして、おいしいお茶を点て頂くことにしまし ょう。暑い折りですが、皆様のお越しお待ちしております。7/28 * 平成18年5月のお稽古  5月28日 先生の講習会というのがあるんです。年に一度、県単位の支部で愛知県 では5千人から対象者がいるんです。表千家だけでこれだけの人数いる 訳でお裏さんとか寄せたら2万人ぐらい、お茶の先生がいるのでないか。 でも多分その中で教えている人は半分もいない、いやもっと少ないかも 知れません。大ホールで舞台に襖なしの茶室をセットしての稽古で、毎 度のことなんですが結構厳しい言葉が、家元詰めの先生から出ます。お 辞儀一つ茶碗の扱い一つできてない、お客と亭主のことも分っていない。 畳は半畳三歩が表流の基本です、などなど。分ってない、できていない、 無理もない事だと思います。弟子をとって教えている先生でも、実際に お客様をもてなすことがまるでない。茶会は内輪だけの初釜か、市民茶 会の手伝いとか。主客の挨拶でも、本当のお客様を迎えたなら、自然と ようこそおいで下さいましたと口に出る訳で。襖を開けて黙ってお点前 を始めるなんてできるものでない。道具の拝見でも自分が削った茶杓だ ったりしたら、ひとくさり話もしたい。どうでしょうか、この小生がや っているような所が他にもできないものか。例えば普通のお家で教室を やっている所でも月釜の日を設けるなり、節句に因んで茶会をするなり。 近くの他の先生に声を掛けて、招いたり招かりたりしてはどうか。勉強 になるし、楽しいと思いますよー。手始めに僕を呼んで下さい。お代は 千円しか出しません、土産もなし。気張らずにある物でお点前を披露し て下さい。そしたらまたお寺の方にもお出掛け下さいとなるのです。5/31 青春してます。とある大学の文化祭に土日出掛けていました。学園祭な んて大学出たら先ず行くことはないんですが。何年か前に、この大学で UNIX系ユーザ会の集まりがあって行きましたがね。今回は奇術部の 講堂での発表会、翌日は教室でのテーブルマジックを見ました。観客の 2割ぐらいが60歳以上ですか、歴史のあるサークルなのでOBが結構 来ているのです。すごいですねー、ステージマジックなんかはそんなこ とで本格的なんです。ところでマジックの愛好者にはお医者様が多いの です。ちょっと違う世界があるんです。意外に感じていたんですが少し そこの所分って来ました。ヨーロッパ貴族のサロンでの音楽やマジック という流れがある、芸というものではない。サロンなんです、高尚です なー。ステージを見て外に出たらがんがんロックを演奏している。模擬 店も一杯出ていて、なんぞと思い寄っていくと、むしろを敷いた上に男 がちょこんと座っている。見ると着物きているし茶釜も置いている。一 服300円ですと言う。思わず、往来の中コンクリートに正座しちゃい ました。快晴、日差しが頭に注ぐ。男は黙々と点前を始め、こちらも静 かに点前を見守りました。柄杓や袱紗の扱い、有楽流と見た。一生懸命 やってくれた、すがすがしい。抹茶は水点て、四万十川のペットボトル がむしろの周りにあった。隣では焼きそばを焼いているわ、下がる場所 もない。その場にてお互い礼。こんな茶会は初めて、これでいいんじゃ ないですか。よかったと思いますよー。6/7 * 平成18年4月のお稽古  4月30日 日曜日、畑をおこして豆の種を蒔きました。母が子供の頃、おばあさん に言われた通り鍬の頭で穴を開け、灰を少し入れて、種を三粒入れるの です。これで夏までにはビールのつまみがたわわに稔ります。畑から南 に下る山道、桜の絨毯になっていました。一斉に花が散ると現れる桜の 道なんです。幼稚園の縁に寝そべりました。爽やかな風で四国遍路の道 端で休憩しているようでした。桜が済んで、いっせいに紅葉の葉が出て きました。この冬に逝ってしまった人、もう少し頑張ればこの生命の息 吹を感じることができたのに。花祭り茶会は1、2日で約60人のお客 様でした。何人かの方が習いたいとおっしゃっていました。どうぞお越 し下さいませ、お待ちしています。んー、そんなことより昨日の映画の ことを書きたい。"いま会いに行きます"、皆さん観られました?。いい 映画でした。日本の映画の何としっとりした感じ、淡々と話が進んで行 く。若い時分のはにかみ、うまく出てたなーと思うのです。最後の展開 がまたよかった。洋画の"シックス・センス"の最後のどんでん返し、そ れに"ターミネータ"のややこしげな時空の話。これらを思わせるのだけ ど、この日本映画では全然違和感がない。自分の運命が分って、一緒に なれば死んでしまうことも分って、にも拘らず愛する人と少しでも一緒 に居たい。そして会いに行く。美しいなー。日本人にはこうした淡々と した美しさを感じるとる感性がある。まだある、まだ残っているのです。4/17 気になる和食の店があって、今日行ってきました。先週の母の日に親孝 行のつもりで、予約を入れようとしたら一杯でした。おう、そんな流行 っているお店なら期待がもてそう。ちょっと別件があって、会社は今日 休みました。そんなことで席が空いていればということで、用事を済ま せた帰り道、寄ってみました。名古屋の一流料亭で修行されたと、よく 紹介されているのです。一度、その料亭行ったら玄関でご予約はと門前 払いくわされました。1時ちょいに入って出たのが2時半前、それでど うだったか?。んー、困るなーあんなんでは。昼のメニューは一つしか ない訳で、そこそこのランチの値段なんだけど。鳥の餌をついばんでい るみたいに、ちょっとずつ持って来るの。これはという一品がない、椀 物もなし。本当にその料亭で修行したのか。それともへたにお茶をやっ たが故に目が肥えてしまったのか。やたら料理を持って来る間が長いの で腹が減ってきて、よっぽどさっき買った柏餅を開けて食べたろかしゃ んと思ったぞ。家に帰って柏餅2個に食パン1つ食べました。もう一つ 話。でかいショッピングセンターの中にできた讃岐うどんの店にも行っ てきました。これも雑誌で紹介されていて期待したんですが。まるでだ め。ぶっかけ580円もして、なんちゃうまないの。名古屋にできた讃 岐うどんの店、最初はまあまあ食べれるところもあったのだけど、だん だん味が落ちてきました。こりゃ、また金毘羅まで食いにいかないかん か。素朴でうまい。これが本当のおいしいということです。5/23 * 平成18年3月の稽古  3月26日 もう早、花祭りの時期。信じられない気持ちで春ボケしてます。今回は いつ茶会をするか、こないだの月釜まで決まっていませんでした。こち らも体調が悪かったりでお寺へ行く時がなく、和尚さんも走り回ってい て居なかったりで。花祭りは1日から8日と決まっているので、8日だ けにするかとか、準備のこと考えたら1、2日としました。お茶代はこ れまで3百円でやってきたのですが、今回は本堂受付で綴りのチケット を買ってもらうことにするそうな。お守りが入っているとか?、千円だ そうです。ややこしい話です。それにできたチラシには茶会は2日のみ と書いてありました。まあ、このホームページ見ていきなり花祭りの茶 会に来た人はこれまでなかった。1日もやります、すでに饅頭を頼んで います。お茶会の形式をこの1年考えていました。大阪や神戸にも足を 伸ばし、他所の茶会も見聞しました。毎時定時始まりの茶会、四畳半の 茶室で亭主の点前で先ず一服、一応点前を終わり、やおらして点て出し でもう一服でおよそ50分。半東と二人で毎回、客5〜6人をもてなす。 結構悠にできて、おもてなしの気分を味わえました。この茶会、人気が あって予約制なんです。その日の1時からの部でお願いしますという具 合です。大阪の地下鉄降りてすぐのビルの中でやってます。地の利が違 いますね。徳林寺でこれをやるのは難しいかなと思います、特に花祭り では。庭の桜の老木の花を愛でながら、どなたさんでも一服、できれば お点前でどうぞ、というのがずっと続けてきた花祭りの茶会です。3/29 * 平成18年2月の稽古  2月26日 さてさて先生のこと道具のことはお終いにしましょう。執着に変わって しまいますからね。いい先生でした、いろんな道具で稽古させてもらっ た、良かった。それでお終い。心を入れ替えて今度の月釜のことを考え なければ。例年の如く童の人形を床に飾るのです。箱を開けて包みを解 いた時の、童の姿が目に浮かびます。この世の物とは思えぬ見事な人形 です。これが陶器でできているのです。まさにインクレダブル!。どう か皆さん会いに来てやって下さいませ。この人形が手に入ったのは、引 き寄せられるかのような出会いでした。僕はそこに行くべきして行って 出会った、そんな感じでした。童はお寺の方丈の間という少し薄暗い所 が好きなようで、床の間にそっと置いてやると、しっとりと収まるので す。年に一度だけのお披露目、御来山お待ちしております。2/23。当日 はすごい雨になりました。このお山は水捌けがすこぶる悪く、おまけに 排水管が詰まったようで境内は海でした。でも母はせっかくだからと桃 と菜の花を買いに行ってました。菓子は実は昨日、お茶を買う帰り道に ある饅頭屋で買っていました。今日またもう一つの饅頭屋でもお雛さん に因んだのを買うつもりでした。でもこの雨を見て止めました。正解で した。お寺関係者はネパールへ皆行っていません。お庫裏さんらは結婚 式だと言って雨の中出て行きました。お陰で用意した菓子、銘わらびを 二つも頂きました。おいしい菓子でした。童の人形さん、今日は静かで よかったね。前なんか写真バシャバシャ撮られたりして大変なこともあ ったね。2/26 荒川静香選手の演技、素晴らしいかった。演技を終えた瞬間の顔の何と 輝いていたことか。NHKの彼女のドキュメントを見た。採点方法が変 更になり苦悩している様子を追いかけていた。確実に点数を採るには決 められた技を正確にこなさなければいけないという。技術判定員がビデ オを元に回転数をチェックしたりするのだ。そして彼女が下した結論は 自分の演技をしよう、がんじがらめに点数を稼ぐのは止めようというこ とだった。点数に結び付かないイナバウアーを敢えて組み入れた。すご い決断だ。その前にコーチも、実際にリンクで指導してくれるコーチに 直前に変えている。人に左右されず、絶対的な価値観で臨んだ一戦だっ たといえる。それがあの優雅な舞とも言えるスケートの演技になり、金 メダルを獲った。誰が見ても次元の違う演技だったと思う。技術点とい う細かな判定方法など吹き飛んでしまうものだった。ひょっとするとロ シアの選手が転倒しなったら、そちらが金だったのかも知れない。細か くチェックすればロシア、でも全体から見れば荒川選手の方が上だった という結果にもなりかねない。茶道の点前もそれは細かく動作が決めら れている。先ずは教えられた通り正確に、それこそ畳目何目と稽古を積 み重ねる。でもこれで終わる訳ではない。正確無比なお点前なんぞはロ ボットにやらせればいいことである。点前する姿から静かにいずる上品 さ優雅さ、更にはほのかな色気。人が人として求める完璧さというのは、 機械に求める完璧さではない。生きている輝きの発露そのものなのであ る。3/7 金曜の夕方から強い風が吹いています。それから三日目の晩、ようやく 外では風が収まっているようです。春一番、だと思います。でも春一番 はもっと早い時期に吹くのでなかったかな。近くを歩いたら梅はようや く満開、早咲きの桜も咲いていました。お寺の北側のお山に梅林と見事 な竹林があるんです。今日できれば見に行きたかったのですが、寄り合 いが日なかあって行けませんでした。ちょっとした展望台もあって、名 古屋市内中見渡せるんです。もっと見晴らしのいいのは、鎌倉街道が残 っている豊明の二村山、こちらは晴れた日には御嶽山まで眺望できると いう。ついでにもう少し脱線して豊橋に居た時、大学の上の階から富士 山が見えました。山の頂がかすかに他の山からちょこんと出ているので す。きっと今日辺りお天気もよかったので、見えていたかも知れません。 いかん、書く手が止まってしまった。豊橋に居た時分のことを思い起こ していた。会社勤めと大学とどっちが楽、厳しいかったか。大学の方が 俄然厳しかった。会社の一週間が大学の一日分と言ってもいい。ハード なカリキュラムに宿題、研究室に配属されてからはほとんどマンツーマ ンの輪講。それでいて毎週、研究室の仲間と何がしかあった。登山部の 男に誘われて、あまり考えもせずさっきの御岳山など登った。合コンも あったり、他所の大学のダンスクラブにも何人かで行ったぞ。茶会をや ったのはいいが、茶杓がなかったとか。北九州の派手者な男に感化され て、一緒にロンドンへ行ったはいいが、翌朝そいつの姿はなかったとか。 水を得た魚でした、ハイ!。3/19 * 平成18年1月の稽古  1月29日 形の中に込められた意味。昨日の月釜は最初に小生がお茶湯をしました。 座ったのは四人、茶の湯クラブの身内だけでした。先生宅にお連れした 方はお一人だけ、皆さん小生の先生を知らないとはいえ、先生あっての 自分。襖を開けご挨拶に出ました。先生と出会ったいきさつ、その後の ことなどお話しました。誰かに聞いてもらいたい。どんな先生だったの か、一緒に茶会に行った思い出とか。玄関先には去年の四月の明治村茶 会の際の先生の写真を飾りました。まだデジカメの中にあったままで大 きくプリントしてもらいました。ついこないだのことだ。茶席の順番待 ちが1時間ぐらいあって、僕は明治村回ってくると言って、着物きたま ま一人うろうろしたのでした。いかん、こういう事思い出すと涙が出そ うになって来る。先生にとっても僕にとっても後にも先にも最後のつも りで行った茶会。桜がきれいでした。そうお茶湯の続きを。天目台はお 寺にある朱塗り、菓子も犬山手前の菓子屋のじょうよを床の左に添えま した。花は青銅に先生宅で採った蕾の椿と万作を大振りに入れ、花台真 ん中に置いておきました。お茶湯は湯を先に入れ後から抹茶を落とすだ けという特殊な作法です。そして持ち出した茶碗で皆が飲み、最後自分 も自服で飲みました。仏に供え人に施しそして吾も飲む、これが茶の姿 です。本堂で和尚様に般若心経を詠んで頂き、焼香をしました。残され た者がどう得心するか、故人を供養するというよりも、実際はこっちの 方が大きな問題です。何とか少し心が落ち着いたのでした。1/30 会社からの帰りの車、夜九時頃のこと、外の気配が春を感じて窓を開け てみました。手を出して寒さの中にほのかに温かみのある風を受けまし た。12月の寒かった事から確実に季節は変わってきている。ほんの少 しのことで人は命を落として。でも今晩の風のようにただただ流れるま ま。先生が最後に教えてくれたこと、本来無一物。先生が亡くなってす ぐ遺族の方が、道具全部を処分してしまった。何とか遺影に線香を上げ に行った時には、茶碗一個が残っていただけでした。どうしたものか考 えさせられます。売った道具屋を遺族から聞き出して、その店に押しか けるか。あるいは近辺の道具屋に電話をかけまくって探し出すか。先生 の茶風を継ぐため、よく使った道具は買い戻すべきだ、などと。道具屋 さんも頼まれて引き取ったのだろうけど、まだ茶の稽古をしているのは 分ったはずだ。お弟子さんに相談なく始末していいか、ためらうものも あったに違いない。ましてや数少ない表千家の茶道のホームページ。今 ここを見て居るかも知れない。しかしそんなことより、無の考案を残し て行ってくれた。きれいさっぱり何も無い。お寺で宇宙の無は相対的か 絶対的かと議論していた。絶対だったらそもそも何も存在しない。でも 死は絶対的な無だと思う。あの家で先生の元で稽古をした、その思い出 が自分の中にあるだけだ。代々の茶家なら、代々の道具が一杯残されて いく。しかし一介の市井の先生はそういう訳にいかない。またそれだか らこそ、本来無一物の掛け軸を飾るに相応しい。僕はそうやって納得す るしかないのか。正直無念である。2/16 * 平成17年12月の稽古  12月25日 さてさて正月花も入りました。例年、マンション玄関ロビーの所にどか んと飾るのです。今年は添えに苔むした松も置きました。昨日、お寺に 行ったら本堂前の松が切ってありました。酸性雨にやられたのか残念で す。その枝を何か使えないかと2本取っておいたのです。他の一杯出た のは今日の餅つきの焚き物になりました。手を掛ければそれこそ老松茶 入にでも出来るかもしれませんが。切られた大木は横たわっている姿が 竜に似ていて、お寺の下に住む絵描きの人がソフトボールに銀紙を巻い て目にしてました。こりゃ、賽銭箱でもこの前に置いておくかと皆で笑 ったのでした。最後まで役目を与えてあげる。活かすということ。一部 は焚き木になったもののよく燃えて、おいしいお餅になった。明日は初 釜で使う柳を採らなければ。すぐ近くの公園の中に柳の木があるんです が12月始めぐらいですか、ばっさり切ってしまうのです。そうしない と柳の枝は弱るみたいで、ポキポキ折れてしまうのです。こっちは生き るために捨てて再生する。そんなことも思いながら三日、皆さんで一服 頂きましょう。これまでだいたい、少しお膳を出していました。今回は お節は無しで、代わりに善哉を出すかも知れません。今出川の千家の出 た所の店の善哉よりもおいしいという。これに先ほどの餅を入れるとす るか。でも母の体の都合もあるので、確約はできませんよ。女が家に居 ないことには、お節も注連縄もない。ということですかな。12/30 昨日のNHKアーカイブス、昭和62年の表千家の口切茶事の放送。身 の引き締まる思いで見てました。当時、稽古を始めて5〜6年経ってい て、この放送は見た覚えがあります。58年に短期講習会に参加しまし た。表千家の脇門をくぐり1週間、茶道三昧の日々を送ったことが蘇り ました。煙草盆の火入れの筋を入れるのを、やってみろと言われ、玄関 の人の手つきを見よう見まねしました。点前をする段では、お前の点前 は何一ついいところがない、ただ床の間できちんと頭を下げたのは良か った。宗匠の濃茶点前の客にも座らせてもらいました。常のように飲ん だ後、懐紙で口をぬぐいました。一同えーという声がしました。宗匠は そのまま点前を続けられただけでした。それから幾年が過ぎ、その間に 今のお寺と縁をもらいずっと月釜を続けてきました。何年か前、当地の 同門会世話役の方に、君はいろんな事に染まっていない、君は君の茶道 を続けて行けば良い。そんなことを言われたことがあります。家元の1 週間で感じたこと学んだこと、それをそのままの思いで続けてきた。当 地にどんな先生がいるのか、どんな派閥みたいものがあるのか、まるで 知ることもなかった。昨日のお家元の点前を見て、今の自分の点前、教 えていること、同じだと思いました。事細かに指導を受けたのは最初の 3年の間。後は自分で勉強したり、たまに先生の宅に出向いて稽古を付 けてもらっていたのみ。これまでの道程はこれで良かった。表千家の風 体をこれからもこのまま続けて行こうと思います。何卒、皆様本年もよ ろしくお願い申し上げます。1/2 寒さが一段落というところです。先日の日曜、15日のことですが正月 の注連縄など納めに熱田さんに行きました。成人式はもうこの日ではな いのできっと空いているぞ。ひょっとかするとやっぱり成人式は15日 でないという人も居たりして、振袖姿を拝めるかもとか。それがなんと すごい人、いつもならすんなり駐車場に行けるのに、ずらーっと待って いる。初えびすの客はまばらだし、やはりここんとこ寒かったから、そ れで皆出てきたのでないか。宮きしめんも大賑わい。あの店の横を通る だけでつゆの味が口の中に広がる。ちょっと麺が伸び加減なのが気にな るんですが。本殿ではまますんなりお参りできました。母が破魔矢を買 いたいというので社の方へ行くと、大鏡餅が何たらと張り紙が目に入り ました。あのでっかい奉納の鏡餅の鏡披きした振る舞い餅でした。粉々 になったもの、破片になったもの、見ていたらきれいな切り餅にしたの を持ってきました。志を置いて、熱田さんの白い袋に入れて帰りました。 こいつぁあ春から縁起がいい。きよめ餅も久しぶりに食べてみたいと一 箱、宮きしめんの所で買いました。やらかい、こんなにやらかかったか な。箱に斜めに饅頭が入っていたぞ、菓子箱の様子も変わった。笛の稽 古をした木造の古めかしい神宮の宿舎もなくなったし。まだ東門辺りに 土産物屋が並んでいた時分、がまの油の人だかりを見た。来年はたまに は正月に熱田さんへ、東門から入ってみるとするかな。1/16 誰しもこういう日がいつかは来る。そう頭の中では分っていてもそれが 現実となった日、受け入れるのはたやすいことではない。ましてやそれ がいきなり来たりしたらなお更だ。まだ小生は何が起きたのか整理がつ かない。ともかくこうして書くことによって、自分自身の心を納得させ るしかないように思う。27年間お世話になった先生が亡くなった。茶 道を習いたいのだけど、どこかご存知ありませんかと。入ったばかりの 会社の総務のおばさんに聞いた。私がクラブで教えているから入りなさ い。まだ裏も表千家もないよね。そんなに昔のことでないようにやりと りを覚えている。当時小生はその会社の派遣社員だった。到底そこのク ラブに入れてもらえる身分ではなかった。先生はそんなこと意も介さず 温かく生徒として迎えてくれたのだった。茶道の数寄の心、それを最初 に身を持って教えて下さった。まさにこれが小生の茶道の原点となった。 油もみれになり、同じ仕事をして新卒の人らと給料が異なった。そんな 中、週に一度の稽古が楽しみにできた、先輩女子も優しかった。3年後 小生は大学に受かり新たな人生の道を拓くことができた。先生がいたか らこそ、自分は頑張ることができた。それから中断することもあったけ れど、お寺の月釜の弟子を誘って行ったりしながら月日は流れた。いつ 行っても変わらず、さあお稽古始めましょうと。その稽古は昨年12月 18日で終わりました。いつになく濃茶点前がスムーズにでき、おいし く練れました。先生、おいしかったですか。永い間どうも有難う御座い ました。安らかに眠って下さい。1/22 * 平成17年11月の稽古  11月27日 先日の月釜、兼お寺の秋祭り。鳴門金時里むすめの饅頭おいしかったで す。餡と芋が余っていたので、作って会社に持って行きました。昼休み マジックの相手をしてくれている女性陣にも召し上がってもらいました。 素直においしいですと喜んでくれて、僕もうれしいです。そういえばお 寺で同じ物を出しても、あんまりおいしいという言葉は聞かんかったよ うな気がせんでもない。うまくて当たり前と思っているのか、言葉に出 すのをためらうのか。境内の外にたくさん人がいて、一服どうですかと 言っても茶道はどうもと敬遠する人も結構いて。茶道の根本はおいしい お抹茶とお菓子を召し上がって頂くこと。よばれるぐらいのことはどう か気軽にして下さいませ。と、ここまではお客の話で、もてなす側は気 楽にという訳には参りませんぞ。それなりの準備、練習、緊張がいりま す。まるで練習なしのマジックをだらだら見せられたんでは、たまった もんではない。何事でも同じですよね。レギュラーの方はきちんと1時 に来ること。そして庭掃除に部屋の雑巾掛けから始めるように。花を採 りに行き、床に軸を掛け、花を入れる。水屋の準備など点前を始めるま で、多々やることはあるんです。実はこれらのこと、一般の社中では先 ず体験する機会はありません。裏方を知らずして何十年、茶の稽古をし ても物にはならないのです。ここお寺の一回一回が貴重な体験の場だと 自覚して、稽古に臨んで下さい。そうした積み重ねがきれいなお点前に なって現れてくるのです。12/1 寒いですなー。今朝出る時細かな雪らしきものが舞っていました。一ヶ 月前までは、夏の続きみたいな感じで半袖を着ていたぞな。どうなって いるんでしょうね。でもこの寒さで例のクラゲの大群は消えるんでない か。あーあ、大河ドラマも終わってしまったし。今年も終わるのかなー という感慨。母曰く、かつての弁慶の立ち往生の方が良かった。そう自 分もその場面だけ覚えているのです。小学生ぐらいだった。他の場面は まるで記憶にないのですが、お堂の前ですごい形相で立っていた。同じ く子供の頃観た映画の大魔人とオーバーラップする。すんません、こん な取り止めも無い話で。どんな人がこのホームページ見てくれているの か、ほとんどレスポンスがないんであまりよく分りません。以前はそれ でもメールもまま来たりしていたのですが、最近はおかしなメールばか り。この茶道のページに限らず、他のよい子のページもまるで反応はな いです。でも会って話したりすると、見てますーというし。マジックの ホームページの掲示板でもあまり変化はないです。そんなもんですかね、 インターネットは。世界に通じている割には、かなりローカルな範囲で しか機能してない感じです。やはり人間は会ってしゃべって、飲み食い して。それが自然なんですよね。でもその自然な部分を形式化している のが茶道の本質な訳で、だから茶道でお友達を作るのはある面すごく難 しい。茶道に名を借りたただの茶話会ならいいかも。茶道というのは実 に難しいです。12/13 日曜、今年最後の先生宅での稽古に行ってきました。大雪になりそうな 気配の空で犬山へ向かいました。先月は先生の都合でなかったので、炉 の点前は今年初となりました。先ずはお炭をやって、もう一人の方が次 ぎに濃茶。そしてまた自分が濃茶をやりました。稽古の最中、ぼたん雪 になり最後、先生が点前されてお薄を頂きました。飾りは二重棚、地板 なし。茶入れは備前丸壷、出し袱紗は東山裂。茶杓はその場で"雪の里" と名付けました。お寺では自分が濃茶点前することは、ほとんどありま せん。めったにやらない点前で、しかも一年振りの点前。でもきれいに 手が動き、ふくよかな濃茶が点ちました。湯を少し入れて練っていると 茶の香りが上がって来るのが分ります。もっともいい抹茶でないとだめ ですが。そしてもう一息練るのです。指先で茶筅を動かすのでなく、体 全体で茶筅を持っているような感じで。しっとりと茶がしてくるのです。 上等な菓子とふくよかな濃茶。ああー、書いているだけで飲みたくなっ た。濃茶の点前は、点てる作法手順よりも先ず、おいしい茶を出すこと が大切だと言われています。稽古であっても客側も手際よく飲み、次へ 送りたいもの。そこのところを取って、濃茶は真か草の点前かという話 になるのですが。手前は草でも、もてなしは真ということなんでしょう ね。しかしそこは薄茶点前を確実にしっかりと稽古した上での、草とい うことでして、またまた茶道は難しいのであります。ここは、そんな茶 を楽しんでおります。12/20 * 平成17年10月お稽古  10月30日 小生10月は誕生月でして、いい歳になってしまいました。ここんとこ 写真映りがなぜか穏やかな顔で、どうしたことかと思っています。母と 話していたのですが多分ですよ、マジックのせいかも知れないと。マジ ックは明らかに見せるもので、楽しんでもらおうという意識が強く働き ます。茶道の場合、人をもてなす事には違いないのですが、どうも点前 をやっている時というのは違うような気がする。基本的に点前に集中し ている訳でして、茶杓を取る時は茶杓を取ることに全神経を使っている。 その連続がきれいな点前となって現れる。ともかく人をもてなすと言い ながら、結構お堅い訳なんです。自然、顔もこわばるというもの。永年 茶道やっている人の顔というのは、あまり笑みがないような気がせんで もないです。敢えて言うなら冷たい顔?、いやいやそれは禅の修業もし た能面のような顔か?。ひょっとかして自分も、能面づらしてたかも知 れんなー。昔昔のある家元が茶道の修練のため、一芸に秀でた人達い教 えを請うたという話。剣道の達人、旅芸人の皿回し、その他諸々。ずっ と一つのことを極めることは大切なことなんだけど、ある程度のところ まで行ったら別な視点で見てみる。今回のカードマジックはそんな感じ かなと思っています。囚われてないつもりが、やはりどこか囚われてい た。自由でない。狭い了見でしか見てない部分があった。漠然とですが そんなことを感じているこの頃です。11/3 ここ数日で急に寒くなりました。思わず敷布団に毛布を敷いてしまいま した。ぬくといです。先週の5日は北方へ柿を買いに行きました。その 時はまだ何か暖かくて、柿もまだまだなっていました。昔、当地に住ん でいた頃、11月3日の学園祭といえば、もう底冷えするような感じで した。ちんちん電車から真っ暗な外を見ながら寮に帰ったことを覚えて います。それがすっかり街みたいになってしまって。北方の辺りは農協 の出店が二つ、織部の里の道の駅。もう少し行くと温泉もあるし、なか なか見所一杯なのです。それで話は農協で気なしに買ったマイタケのこ となんです。どばっと一パック300円だったか。昨日、マジックのレ クチャの後、すぐ近くの巨大スーパーで黒毛和牛230g、1900円 2割引を買って帰りました。スーパーの牛肉はまるでうまくない、のは 分っていましたが、最近はどうなんだと試しに買ってみました。農協で 同じく求めた田舎こんにゃくも入れてのすき焼きです。マイタケは前に も二三度食べたことがあります。悪い香水の匂いみたいなのが鼻につい て食えたもんでなかった。それがですよ、今回のは違った。歯ごたえ良 し、爽やかな香り。お肉もグッド。おいしいすき焼きでした。ああ生き てて良かった。マイタケが実はこんなにおいしいものだと、知らずに過 ぎるとこだった。人間知らない方が幸せという話もあるけど、知った方 が幸せだと思うなー。追記、今年の秋祭りは月釜の日と一緒です。外で は芋炊き、本堂では曼荼羅作りなど例年通りです。11/14 * 平成17年9月のお稽古  9月25日 10月に入りました。秋の気配がそこかしこに。先日の月釜、本堂では お彼岸の法要で檀家さんが集まっていました。なかなか読経が聞こえて 来ないのでどうしたのかなと思ったら、和尚さんがネパールでの活動報 告をしてました。世界平和なんです。万博の茶会に行った際、外人さん は一人もいなくて結局、表千家の茶会になっていました。ここ徳林寺は 黙っていても国際交流茶会になってしまいます。稽古の間に外へ出て誰 か来られるか待っていました。そこに和服を着たお嬢さんと男がやって 来ました。目鼻立ちのすっきりした美人です。日本人かと思いきやネパ ール人カップルでした。着付けした人と三人、茶席に座ってもらいまし た。両人ともすごくはにかんで、何て初々しい。てっきり新婚さんかと 思ったら、もう三つになるお子さんがいるとか。庭に出て写真なぞ撮っ たりしたのでした。日本人もかつては、あんな風に恥じらいを持ってい たはずだったのに。いや、というより辛抱強い女性が昔は多かったのか。 話変わって、秋祭りの日にちが決まりました。11月27日です。お茶 の日と重なりました。催しは例年と同じ、豆曼荼羅を作る、芋炊き、星 の観望会、それに尺八の演奏です。これら全部で協賛金として千円、お 茶は三百円です。3時から7時ぐらいまでの行事です。お茶会のお手伝 いしたい人、かもーん。着物召して華を添えてやって下さいませ。ネパ ール人でもがんばっているのですから。そういえば去年はテレビ局が撮 影に入って、とっても不愉快だった、思い出した。今年は静かにやりま しょう。10/2 最近ちょっとどたばたしておりました。10月は何かと忙しい。先週の 金土日は会社の研修でひるがの高原に行ってました。日が暮れてから周 囲8kmぐらいを歩き回るラリーという奴です。2日目は雨で、べちゃ べちゃでした。究極のラリーは四国遍路です。目的は有って無し、会社 の研修というようなプログラムがある訳でなし。目的があるのはダメだ ね。目的が目的になってしまってそれ以上に行かない。目的無し、つま り無は色即是空ということになり、大きな有を生み出す力となる。同じ ような事を対比してみると本質が分って来ますね。そういう点では、休 み返上の賃金なしの研修も意味があったというものだ。それで明けて月 曜は四国への新幹線に乗っていました。早いです、11時には郷里の駅 に着いていました。駅前は区画整理で一層ガランとなって寂しい。何も 計画はないんだそうです。おお、これで天下の喧嘩祭りの太鼓台、どこ で暴れ回っているというのか。駅降りて山の方へ歩くこと30分、太鼓 を打つ音が聞こえてきました。道中、スーパーに入ったらケーブルテレ ビの中継を店内で映していました。浜の太鼓台が喧嘩しているでないか。 まだ明日の宮入りがあるというのに、これでは山車解体命令が出るぞな。 馬鹿ぞいねー、と田舎の言葉で言います。17日は山の方で太鼓の勢揃 い、18日は浜の方で宮入りを見るというのが常になっています。そん なこんなで親戚を三件寄り墓参りもし、またまた歩き回った二日間でし た。ああー、しんど。10/23 * 平成17年8月のお稽古  8月28日 8月の月釜が終わって何も書いてないや。何と今朝、会社近くの川の土 手の草刈ったところから彼岸花が出ているのを見ました。まだツクツク ボウシが鳴いてますが、やっぱり秋がそこまでやってきています。先週 は瀬戸物祭りでした。だいたい暑い日が多いんです。例の人形作家の作 品を見に行ったのです。矢切の渡しという題、心に意を決したまさにそ の瞬間が切り取られていました。本当すごいです。駆け落ちでも何でも する、ともかく俺に付いて来い。喉のそこまで出ているのに、言えなか った。作者にも昔そんなことがあったのか、なかったのか。NHKで風 の盆のアーカイブスがやってました。小説のナレーションを織り交ぜな がらの流しの様子。おぉぉー、あんな悲劇で終わる話だったのか。知ら なかった。若い時の恋心というのは永遠なのか。そんな風にちょっぴり 感傷に浸ってみたりして。とそんなこと言って!、植木等ばりに話をこ ろっとマジックに変えたろ。完璧にはまってしまいました。おとついの 日曜も犬山へ茶の稽古に行って、それから長良川を見ながら岐阜へ走っ ていきました。マジックのサークルの集まりがあったのです。岐阜は青 春時代を過ごした街。自然と心が開かれていく。若い人達とわいわいや る時間はとても楽しいものでした。マジックに関しては大方の人が先輩 になる。紹介代わりに何か一つと言われ、見事失敗。そして自分よりは るかに若い人達にアドバイスを受けるのです、とても新鮮です。9/20 * 平成17年7月のお稽古  7月31日 昨日はお茶の日でした。さすがに暑い日でしたが、庭にたっぷりの打ち 水をしてもらったら、ヒンヤリした空気が部屋に入ってきて。それに夕 立が来そうな気配の中で雨も降しとしと降ってきて、風情がありますな ーと皆で静かに佇んでいたのであります。今時、雨がさわさわと降る音 が聞けるような所はないぞ。屋根の軒がないし、縁側もない。それこそ 京都の町屋でも買って住まないことには。徳林寺、ぼろいけどいいとこ ろですよー。昨日はレギュラーさんお二人休み、いや三人か。それに新 しい方もみえなかったし。じっくりお稽古できました。先月もですけど 最初にお炭をやったのです。これからも毎度やろうっと。炭点前はやは り茶事を思い起こしますね。長板で二つ飾りにしてたのですが、柄杓建 も追加してお薄と濃茶を後、やりました。濃茶はお茶屋さん仕込みの大 海。先ずは旦那衆の点前から。時間があったので次は、犬山の先生にも みっちり仕込まれた女性による点前。この時、正客には彼女の友人であ るご婦人が座っていました。この方詳しくは申しませんが、来月またこ こに来ることができるかどうか。まさに一期一会の茶席です。亭主の女 性は挨拶の際、言葉に詰まり涙も落ちていました。小生は、その方に今 日はずいぶん顔色がいいですね。また来月もお越し下さいと、いつもの にように接したのでした。本当、元気で生きているだけでも素晴らしい、 有りがたいことです。8/1 暦の上ではもう秋。お盆の帰省ラッシュも始まったとか。今日、会社か らの帰り、日もとっぷり暮れて空を見上げたら、深く暗い色で秋の空だ なーと感じたのでした。田舎の和尚様に暑中見舞いを先に出して、昨日 ぶどうを送りました。ここ地元の農家が作っていて、10日ぐらいから 出るよと聞いていたのです。マスカットの大粒な奴です。この出店、去 年のお盆に近くの霊園に自転車で走って行って見つけたのでした。先週 の土曜日は暑気払いをしてきましたよ。時たま話題に出す一宮辺りにあ る懐石料理の元木さん。前に母と来てからひょっとして五年ぐらい経つ のだろうか。同じく親孝行で行きました。いつもの主人がどうも立って おられない。帰りしな奥様にご主人はお元気ですかと尋ねました。そろ そろ初盆で帰ってくる、亡くなられていました。去年の十三夜は、主人 が集めていた人形を展観された。その前の年には僕が童の人形を持って 行き、茶碗の所に置いてもらった。そうか、人形で最後だったのか。僕 が人形を持参した際、1時間程いろいろ話を聞かせて頂いた。できれば 2月の終わりの会に来て見て欲しかった。でも思い切って持って行って よかった。人は生きている間にできるだけのことをしておくこと。悔い を残さないように。元木を出て、前回と同じく大垣へ。郷土資料館の並 びの喫茶店で、ダッチ式のアイスコーヒーとチーズケーキを堪能しまし た。湧き水もペットボトルに汲みまして、例の水饅頭も買って家路に着 いたのでした。8/11 見んと損だぞー。15日の送り火の灯籠のこと。4時頃お寺に行くと灯 籠の用意がしてありました。どうも吊るす意向らしく、本堂前の参道? の片側に、竹竿を立てひもを渡していました。6時過ぎぐらいから送り 火の焚き木を燃やし始めました。この日は結構風があり、燃え盛ってい ました。作った灯籠の蝋燭にも火を付けましたが、風ですぐ消えてしま いました。しばらくそのままにしておきましたが、降ろしましょうと小 生が提案しました。そして参道の両脇に並べました。だんだん辺りも暗 くなり、灯籠の和紙に描いた絵がなんとも映えてきました。小生がイメ ージしてたのは祇園の花見小路の夕方からの灯籠。おおー、なかなかい いぞー。思わず母にも見せようと迎えに帰ったぐらいでした。話変わっ て表紙の写真。常盤御前を祀る墓。義経を追って、ここ関が原の地で賊 に襲われ絶命したとのこと。今でも関が原の町の一歩手前で、隠れ里み たいな場所だった。18日松尾山に登りそのまま向こう里に降りたので した。降りる道中、山の急斜面を鹿が走って行くのを見ました。2つ3 つ跳んだら、もう姿は見えなくなっていました。前、冬に来た時に蹄の ような足跡がありました。やっぱり鹿だったのです。松尾山のてっぺん には東屋があってノートが置いてあります。一行書いてきました。さて 何て書いたか見に行く勇士はいないか。この山、低いけどほとんど登り ばかり、結構きついです。そうして登って来たところで。8/19 台風のため会社が早く終わりました。帰り道の農協のコープに寄ってみ たらそこも4時で閉めていました。名古屋の辺りは台風それて行ったみ たいです。夕方には夕日も差していました。ちゃっとお寺に行って井戸 水をペットボトルに汲んで来ました。何をするかって?。氷を家の冷蔵 庫で作るのです。今度の月釜は、これも恒例になりましたね。ガラスの 茶碗でお遊びです。螺鈿の大きな丸いお盆に黒の水指とガラスの花瓶を 置いて点前をするのです。さてどうやって去年は点前をしたかな。いず れにせよ、お寺の井戸水に氷を入れる訳で、その氷が水道水で作ったの ではいかんぞということなんです。お菓子も葛系統のは口に持ってきた 時に少しヒンヤリするのがうれしい訳で。菓子箱の下にアイスノンでも 置いておけば半日ぐらい持ちます。掛け軸は風の盆の踊り子の色紙が決 まりです。もう時期に始まります。母の友人が俳句の会で八尾に行くと 言ってました。いいですなー、また見に行きたいけど。でも初恋の人を 心に留めおくように、そっと胸の奥にしまっておこ。さてロマンチック なお話はここまで。夏の終わりに氷で冷やし、その前に頭を今一度ヒー トアップ。今夏何も事件がなかった人に、小さなサプライズをご馳走し ようではないか。ということで、去年の暮れから始めていたカード・マ ジックを見せちゃいましょう。早く来た人だけにお見せすることにしよ う。ぜひぜひ、皆様お越し下さいませ。俄かマジシャンMr.Ikken Katou。8/25 * 平成17年6月のお稽古  6月26日 金のシャチホコが天守閣に戻ったというニュース。この数週間金箔の修 理をしていたそうな。皆に触ってもらったのはいいが、かなり傷ついた とのこと。指輪なんかが触れてのこととニュースで言ってました。まさ に茶道具を扱う際は光物を外すこと、このことが実証された訳です。楽 茶碗なんか結構柔らかいので、ちょっと指輪が触れただけで傷がついて しまう。気を付けて下さいねー。お茶人さんはいいよー。貴金属類がま るでいらない。銭がないから身に付けないんでなく、お茶やっているが 故に身に付けない。小生、普段も腕時計はしない。学生だった頃バイト 代でロンジンなるゼンマイ式の腕時計を買った。半値で買ったとはいえ 結構なお値段で。ある時クリスタル表面に傷を付けてしまった。それま で大事に大事にしてたのが、急にいやにお粗末なものに思えるようにな った。それ以来、腕時計はしてないのである。本当にいい物は傷付き安 く壊れやすい。それが故に思い入れも深くなる。ここまで読んで、脳裏 に井上揚水の赤い靴を浮かべる人は小生と同時代か少し上か。話し戻し てたまには茶道のことに。そうなんです、茶道の場合は傷がついても終 わりではなく、それを活かすことができるんです。傷も来歴となり話の ネタになる。不完全なことを由とする気分。ご承知の通り数寄の心とい うんですね。茶道の点前は稽古では完全性を求めらる。でも実際は臨機 応変、道具はまん丸もあれば捩れたのも良し。物の見方の幅が広いとい いますか、バランスの取れた考え方だと小生は思いますよ。7/9 すっかり夏になりました。暑うぅなりました。でも今日は久しぶりの雨 で少しは凌ぎやすかったです。皆さまいかがお過ごしですか。寝苦しい からと言ってお腹を出してポンポンを冷やさないように。これからいろ いろ遊びにも行かないけないのに夏風邪を引いたんではいけませんから ね。さてもう来週は月釜になります。またガラスの茶碗で遊んでみます か。銘は小生が冠雪と名付けました。昨年は広間の方で設えしたのです が、今度はどうなりますか。お盆の時に灯籠を参道に置きたいというこ とで、ちょうどお茶の日に皆で作ろうという話もあったりで。広間は一 杯になっている可能性があるんです。もちろん、お茶はその人達にも振 舞う訳なんですが。お寺さんという所は何かしら、いろいろあるんです。 普通の稽古場のお社中さんと違うところですねー。最近はお一人ずつぐ らい新しい方がお見えになります。どうですか、楽しかったでしょうか。 よろしけばレギュラーになって続けて起こし下さいませ。一応、会の名 前は昨年考えたんです。平水会といいます。意味の程はまた。それでは 改めてこの会、月釜のお誘いをしておきますか。何々社中とか誰それ先 生とかいっさいうるさいことは抜き。茶券を売りつけるようなこともな し。唯一あるとすれば、レギュラーになられる方は花まつりの茶会に少 しお手伝いして頂くことぐらい。もちろん花畑の草むしりなぞやってく れるというのもありですが。どなたか草むしり一緒にやりませんか。こ れって花嫁募集ってこと?。まだまだ諦めてはいませんよー。7/23 * 平成17年5月のお稽古  5月29日 今回のメインゲストは美濃焼きの主。お寺に逗留している青年でありま す。インド人もびっくりする、そのままインドネパールの修行者になれ る出で立ちの男です。今は土から離れ、お寺に誰かどっちゃり持ってき た石と戦っています。いつものように布を長テーブルに敷いて、彼の家 の作品を並べてみました。本堂脇にも花瓶を両サイド、真ん中に美濃焼 きの大皿、その上に破れ花入れを飾りました。彼に尋ねると花入れは自 分が20代に焼いたもの、花瓶は祖父、大皿は父親の作品。何だか仏様 の飾りみたいだと言ったら、なんと今日は窯を壊して四十九日目ぐらい になるという。どこか気持ちが通じたのかも知れませんねと話しました。 ということで存分に使ってみました。破れ花入れは床の間にも杉板を敷 いて置きました。花は軽くそっと母が入れました。大皿は先週採った破 竹をざっくりと盛りました。他にも蕨と蕗それに畑の脇にある山椒を散 らしました。筍は大き目のぶつ切りです。ここはあくまでも大皿が主で、 料理がこの大皿に盛って貧粗にならないように。惣菜じゃないというこ となんです。取り皿はいろんなのを寄せ向こうで、各自好きなように取 ってもらいました。これは広間でのこと。茶席では青磁の菓子鉢に青梅 を盛りました。なかなか映えました。茶碗は六角の高台をしていて彼は 鉢のつもりで作ったとか。いやいや平茶碗にもってこいです。こんな風 にして作品が使われたのは初めてと言ってました。道具は使ってこそ命 が吹き込まれる。飛び入りで初めて来られた方、如何でしたか。こんな 茶もあるということなんです。5/31 やっと勤め先にクーラーが入りました。人間は結構耐えれるものですが コンピュータがぶっ壊れるのでないかと。ファイアウォールとかメール サーバという重要なマシンが小生のすぐ後にあります。今、梅焼酎を飲 んでいました。寝しなにコーヒー飲むよりは健康的かも。そんな訳で少 し酔ってまして何を書くか分りません。侵入防御装置と SSL-VPN装置と いうのを最近入れました。2つで600万円。クレジットカードの情報 が大量に漏れたニュース、えらいことです。侵入防御装置をかましてお けば多分防げた。お粗末な話だ。これで、あいつ変な物を買いやがって と思われることはなくなるかもね。一歩先を見る目、難しいよ。超一級 のエンジニアでなければできない技だ!、とほめてみる。家帰ってから 落語を聞いていた。話題がどんどん変わる漫談、こんなくるくる回る家 はいらねーやという酔った息子の落語。ん!と思わせておいて先日の若 き茶道家のテレビのこと。宮沢えりちゃんにナレーションしてもらって、 ええなー。うらやましいバイ。29歳といったか、百人もすでに弟子が いて。若い人もやりようによっては、茶道やるということなんでしょう な。テレビ後半は如何なものか。悪い癖で、どうもちょっと名が出て来 るとすぐに外国へ行きたがる。外人さんに抹茶飲ませて日本文化うんぬ んとやる。もうそんなこと止めようよ。インドで陶芸の個展をやった男 曰く。目離したら抹茶茶碗が灰皿にされていた。そういや風炉が灰皿に なっていた話もごく身近にあったりして。6/21 * 平成17年4月のお稽古  4月24日 連休です。それにしても暑いです。春からいきなり初夏になったみたい です。炉から風炉に変える、長袖から半袖に替える時期、よくしたもの です。休みの間に炬燵布団を跳ね上げるとしよう。先日、会社を終えて 農協のコープに寄り地元で獲れた筍を買い、まだ日が高かったので川の 土手を見てみました。まだ蕨ありました。たしっぽも膝ぐらいまで生え てきて、だいぶ草が生い茂って来てはいましたが。家に帰ってすぐに湯 を沸かし風炉の灰を小匙一つ入れました。そのまま蕨を入れて一晩置い ておきました。翌日、先の筍にお弟子さんがくれた人参など入れて炊き 込みご飯を母が作ってくれました。蕨は一番最後に入れてしばらく蒸し てです。初めから蕨も入れて炊いてしまうと、ふにゃふにゃになるとか。 昨日のことなので、まだご飯はあるんです。冷えた炊き込み御飯もおい しいものでして。素朴な料理のうまさです。花まつりの間、たくさんの 人がやってきて何十人と一緒に晩ごはんなぞを食べました。小生も何回 か頂いたのですが、それがとてもおいしかった。勿論、全部精進もので。 ゴマは炒って磨り潰してと、風味が生きているのです。本当、これなら 肉魚なくても十分だと思いました。これらをお寺の膳にすれば、立派な 料理として出せる。懐石料理と言ってまるで問題ないと思う。でも誰が 料理作ったのかな。当番を決めて順繰りにやっていたようです。さてま た食べたいと言っても、その人ら日本にいるやらどうやら。5/1 土岐美濃焼まつり行ってきました。名古屋から遠いようで近いところで す。瀬戸や常滑の焼き物まつりは何度か行ったのですが、土岐のは初め てでした。可児の大萱から美濃焼伝統産業会館へ行ったことがあっただ けでした。さて土岐の駅を降り、無料バスが出ているとのこと。先の会 館も寄り、古窯跡も見に山を登りました。まるで何の破片も落ちてない。 荒川豊蔵氏がこのような山中で志野の破片を発見したというが、どんな 状況だったのでしょうか。再び無料バスに乗りお目当ての会場へ。ゴル フ場を横目にだいぶ山中、走りました。着いたのは焼き物卸し団地、で かい。こんな山中にこんな所があるとは。驚きです。出ている店は百以 上。この日は天気が良く暑い暑い、へろへろになって歩いて見て周りま した。並んでいる物は、まあ瀬戸物まつりとそう変わるものでない。一 つだけこれはという店がありました。40才ぐらいの若手作家の茶碗が 目に止まりました。無造作に露天に置いているので、見逃すところでし た。引出し黒も志野もよかった、なかなかのもののようです。名前だけ は覚えていたけど、住所や作暦なんか書いた紙切れももらっておくんだ った。志野は光悦の端正な形に豊蔵の"氷梅"の美しさというか。会場大 ホールでは、有名陶芸家の作品を業者が並べていました。加藤卓男氏の ラスター彩、豊蔵氏の斗出庵の書など一杯ありました。でもこの日、頭 に残ったのは先の紅の梅花皮(かいらぎ)の志野茶碗でした。最後、大胆 な美濃焼きの花器に軽く縞葦なぞ放り込んでみました。破れかぶれの男 に寄り添う可憐な乙女。5/6 土曜日、お寺の東手の竹藪で破竹を採りました。孟宗竹の筍は時期が早 くてだいぶ遅れて真竹の筍が出て来るのですね。もう先週には出ていた ようで、まま採った跡がありました。あんまり一杯採らないでね。若い 竹も生えてこないと竹藪の力が弱くなってしまうから。この筍は今度の 月釜の際に、美濃焼きの大皿に盛ってみようということなんです。細長 い破竹を7〜8本はすかいに並べてみたらどうかと思ったのですが、採 った破竹は結構太い。こりゃぶつ切りか輪切りか。どなんして盛るか?。 今のところ灰汁抜きしタッパーに入れて冷蔵庫に入れてあります。これ から考えます。根元の青いようなところは、今度のには使えないだろう。 でもほかるのはもったいない。表面の青いとこをこそげて、薄く短冊に 切って、何とマーボたけのこを作ってみました。ちょうど新聞に作り方 が載っていて、マーボ豆腐みたいなもんです。塩と油少々を入れた湯で 短冊の筍を5分ぐらい茹でて使いました。シャキシャキした歯ごたえで それはおいしゅう御座いました。堀立ちですから、えぐみもまるでなか ったし。何でもやってみるもんです。日曜は先生宅へ稽古に行きました。 先生はまだまだ元気なんですが、それでも結構な歳で、本当1回1回の 稽古は貴重です。桑小卓で濃茶をやりました。風炉になっての濃茶は昨 年以来。何か物足りないと思っていたら、お客様へ斜めに向くのを忘れ てポケーとしてました。菓子は飯田街道沿いの店で、枇杷。それに梅や の棹物など。先生が用意された葛饅頭。たくさん寄ったもんでした。5/23 * 平成17年3月のお稽古  3月27日 さてさて花まつりがもう五日後に迫ってきました。まだ日にちがあると 思っていたのですが、ようよう考えんでもそういうことで、本当お正月 からの時の経つのが早いです。さて今年はどんな出会いがあるのか、一 番の楽しみであります。ところでお寺さん自体の準備はどうか。毎年ぎ りぎりまでやって何とか4月1日に間に合わせているのですが、今年は 間に合うのかしゃん。昨日でも裏の便所を精出して造作していた。奇特 な人がある日やってきて、工務店をやっている、何か奉仕したいとの申 し出。それで便所をきれいなのを作って欲しいと。さあー、去年の花ま つりの時、何日か作業しているのを見たけど、その後ほかりっぱなしの まま。この不景気の中、いろいろご事情があったのでしょう。小生の役 はポスター張り、永年コンビを組んでいる人がいて夜中に車でそこら辺 りを走り回るのです。その肝心なポスターできるのかな。以前は会社か ら帰ってお寺に行き、準備の手伝いをしてました。でもダメ、会社と寺 ではギャップが大きすぎて頭が変になる。段取りも毎年のことなのにあ って無きが如し、もろもろ遅々として進まない。それでも3月末日深夜 には飾りつけなぞ間に合わせていたのだから大したものである。それに しても茶会の方も、よく欠かさず続けて来られたものだ。4月初めなん ていうのは、転勤だとか職場の異動だとか慌しいことが多い。小生も何 度かそうしたことがあったが、それでも変わらない姿で皆様にお茶を出 してきた。今年も同じように皆様をお迎えすることができる。先ずはこ のことを喜ばなければならないだろう。3/28 徳林寺 花祭り 4月1日〜8日 呈茶2、3日、一服300円 桜は蕾のままの花まつりの土日でした。昨日は一日中曇りで、今日は少 し日が照ったかなと思ったら3時に小雨がぱらついて、外のバザーなん かパタパタっと店終い。もうそれで境内にはまるで人影なしになってし まって、どったのーという雰囲気でした。一番の原因はネパール人の一 団が来なかったこと。花まつりの日曜は毎度ネパール・デーになってい て歌や踊りでそれは賑やか、というより彼等に占拠されていたと言った 方がいいかも。本来の日本の潅仏会になったということでしょうか。そ れより何より花が無ければ人も出ない。万博に人が食われたという話も あったりして、よく足助に行く人が来ていうには道路、すきすきだった。 それで茶会の成果はどうだったか。出た抹茶は約80グラム、桜の型物 の練り切り60個に羊羹1棹。饅頭は自分らも頂いているので、呈茶し た数は二日で60というところ。ぼちぼちお客さんが来たので、暇とい えばかなり暇。そのため来たお客さんも悠にされるので、人生相談てな 具合にもなったりして。永年こうして釜を懸けていると、長いお付き合 いの人もいる訳でして。話、戻してポスターは何とかできていて、貼り に行きましたよ。ちらしも出来てはいたんですが、財政難で新聞の折込 みはしなかったという。1枚2円だったと思います。しかし、どこから ともなく集まってきた和尚さん縁の面々。金曜の晩は40人から一緒に ご飯を食べていた様子。それはそれはユニークな人達が今、お寺には一 杯いるんです。4/4 花まつりは8日できっちり終わり。気になって会社を午前中で切り上げ てお寺へ様子を見に行きました。2時前ぐらいだったですか、結構な人 が出ていました。お昼前後はもっと賑わっていたとか。桜も9分通り咲 いて、絶好の参拝日和でした。結構結構。5時ぐらいから片付けを始め ました。準備は大変だけど仕舞うのは早い。裏のバザーのところや写真 のところ、本堂前のゲルニカに中の地獄絵図など。できるならこの土日 も続けたいところでしたが、何故か8日という線はきっちり守るという。 8時、皆揃っての夕食。その前に本堂にてお経を詠み、和尚さんからご 苦労様でしたの挨拶がありました。食事する人の数はざっと30人。質 素なんだけど活き活きしてとってもおいしい料理でした。9時頃、カメ ラマンの男とポスターを回収に行きました。やや、これで今年の花まつ りも終わったということですか。もう土曜の朝には発つ人も、また来年 とお別れしました。どこからともなくやってきて、また去って行く。一 人ラオス専門の男がいて、年に2回ぐらい行くそうな。何気にお香の話 になって、沈香が手に入るようだったら買ってきましょうか。トイレの 消臭剤ぐらいの値段だったらどうと言うので、いいよーと返事しておき ました。日本人と分るとふっかけられるかも知れないんで、現地の人に 交渉させるとか。抹茶茶碗みたいなのも道端で10円ぐらいで売ってい   て、適当に箱かなんか入れて目抜き通りの店に並ぶと1万円になるとか。   おもしろー。全く別次元の世界がここにはあるんです。4/9 先生に誘われて明治村の茶会、初日に行って参りました。このこと書こ うかどうしようかちょっと考えていました。こんな高額な茶会に行くの は先生も小生も、後にも先にもないと奮発したのでした。それで幾らだ ったて、2万円です。まあ御園座の特等席で幕内の料理もとなればその 程度は要る訳でして。そう考えれば茶会で1日遊ばせてもらうのだから、 特別高いこともないか?。そんなことより、この手の茶会は道具目当て でなければ猫に小判。名品がたっぷり出るんです。まさに用の美でして、 実際に茶席に設えられる。そこのことが分らなければ、行ってもどうっ てことない。お薄に濃茶の席を回って点心を頂き、土産なんぞをもらっ て帰るという。茶席は道具中心なんで、ひょかっとすると点前もなかっ たりします。それで小生は、道具のことは分るかって。正直な話、分り ませーん。茶杓の先っぽを見ただけで遠州ですねと分る程でないと、分 っている内には入りません。そういう輩が実際にいるんです。30がら みの男が園内ちらほら、道具屋の若いしと見た。格好の勉強の場だし茶 道の有力者との顔繋ぎには願ってもない。ところで肝心のお茶の方は数 茶碗でいただくんです。濃茶席では男子優遇で、小生も3人分様の中に 入れてもらったのでよかったですが。この濃茶席は家元が担当されたお 席。礼を逸しないよう袴を着けて参りました。あの日、客として行って 着物姿でうろうろしてたのは小生だけでした。男性は皆、背広姿。こん な格式のある茶会に着物を着ずしていつ着るの?、と小生一つ言ってお こう。4/22 * 平成17年2月のお稽古  2月27日 先日の月釜でのこと、先生?具合でも悪かったんですかと言われる方が。 2月はしばらくこのページを書いてなかったので、寝込んでいるのでな いかと心配したらしいです。うれしいですね、この世の中、誰が人のこ と案じてくれる。という訳で、ちゃっと何か書いておこ。先ずは業務報 告、陶器の人形の懸釜はどうだったか。主菓子は最近買っているお店で 20個、雛人形をイメージしたのと桃のをそれぞれ10個。それにずっ と買っているお店にも寄って5個と紅羊羹も一棹。雛あられは広間の方 でつまんでもらうようにと。設えは前日の土曜日に母がガラスの大きな 花瓶に桃などを大ぶりに入れました。廊下に長机を出し、白布の上に帯 地を流し、昨年同じく短冊を並べました。廊下奥に毛氈を敷いて、倉敷 のおばあさんが作ってくれた紙雛達を一面に置きました。なかなか壮観 です。茶室は蛤端と丸板に人形をはすかいに置きました。掛け軸は円相 にしようかと思ったのですが見当たらず、和敬静寂にしました。それで 床はこれだけで花はないです。この日はお人形さんが花ですからね。お 客様は先ずは母の短歌の先生とお友達の二人、近くの梅林を散歩してか ら来られました。もう三度目ですかね、お元気です。しばらくして和尚 さんはじめ4人来られて、では久しぶりに和尚さんに点ててもらいまし ょうと水を向けました。皆さん神妙に座っていましたよ。その後もお寺 関係者が三々五々やって来て、用意した菓子はほとんど売れました。お 抹茶もおいしかったと口々言ってました。本当、菓子も茶もおいしゅう 御座いました。ご馳走様でした。3/2 ある日の暇人な男の休日。リニューアルオープンした徳川園の券をもら ったので、ごそごそ昼から出掛ける。車道で地下鉄を降り歩く。利休の 泪の茶杓に対面。薄い、短刀のようだ。先が少し割れている。2月3月 の徳川園は以前から雛飾りを出す。どれも男が右、女が左に置いてある。 左大臣というと、こっちに向かって左側に立つということでなかったか。 建物を出て、庭園を一巡り。なかなか、白鳥庭園に次ぐ名古屋の庭園だ。 さてそれから栄まで健康のため歩くことに、約3キロ。風なし穏やかな 天気の下、裏道をあてもなく行くことにした。商店街に出て、どうも昔 の道のようだ。神社の小さな鳥居がある、入って行くと手水があり、井 戸水だという。枯れたことのない水で、謂れが書いてあった。喉をうる おし先へ。尾張徳川御用釜師、加藤忠三郎の高札発見。清洲に付いて行 った後、名古屋城ができてこの地へと書いてあった。そこで大通りを渡 り、半分ぐらい来たか。テレビ塔を左に見ながら更に西へ。河文の本店 だ。ここは予約でないと入れてもらえない。左右後ビルで囲まれて、こ の中に水鏡の間だったかがあるとは思えない。およよ大方伏見まで来て しまった。栄にバックし、定番スカイルのギャラリーへ。鵜飼の絵が目 に飛び込んだ。母が好きな岐阜出身の故加藤東一。6500と札裏にあった。 65万円か、買って買えないこともないなと思いきや650万円でした。 帰り地下鉄を出たら何故かマックシェイクが飲みたい。売り子のお姐さ ん曰く、マックシェイクおいしいですよね、私いつもチョコレートなの。 マニュアル通りのやりとりが売りのはずが、新鮮だった!。終わり良け れば全て良しということか。3/8 夕方になって雨が降り出し、夜11時を回って強い風が吹き出した。こ れはきっと春一番です。菜の花も結構咲いてきました。おとついぐらい 見た時には、まだほんのちらほらだったのに。3月終わりの月釜は利休 忌の意味も込めて、いつも菜の花を入れています。ちょうどこの時期に 菜の花が一杯咲いてくるのです。茶道では利休忌以前には菜の花は使わ ないことになっているそうな。でも桃の節句には菜の花を普通、どこの 家でも飾るよな。お雛さんに因んだ茶会に菜の花、入れるのはおかしい のかな。そんな議論があったりもします。このカラクリはちょっと考え れば分ること。スーパーなんかで3月初めに菜の花を一杯置いてあるの は、全部温室もの。沖縄や九州でもなければ、今の時期に菜の花はやっ と咲いてきたという段階。花は野にあるようにが心情の茶花に、温室も んを使うの?。まあ街場の先生だと、茶花も花屋で誂えることになるの だろうなー、地物も温室も分らないか。話が脱線した、今度の月釜の設 えのことだ。香を焚いてみようかと思っている。ちゃんとした香炉は茶 室にあるので一遍使ってみたいとずっと思っていた。でもどなんするの かよく分らなかったのだ。先日本屋で、堀内宗心先生が書かれた、灰形 と灰の作り方(世界文化社)が出ているのを見つけた。この本に詳しく香 炉の灰の押し方も出ていたのだ。どこぞで香箸なるものと銀葉(雲母)を 買ってやってみよう。伽羅でも焚いて至福の一時を利休さんを偲び楽し もうではないか。ほのかな甘い香り、甘露と言う言葉があるがその匂い とも言うべきか、一度聞いた時の伽羅の香りです。楽しみです。3/24 * 平成17年1月のお稽古  1月30日 木曜日の晩から急に喉の奥が痛くなり、こりゃどこかで風邪の菌をもら ったかと思いました。それから金土日と何とか持ちこたえています。体 調の悪い時は寝るに限るで寝てましたが、土曜日は夕方からちょっと出 て行きました。いつもコンピュータ会社の連中と飲む居酒屋へ、母を連 れて鴨鍋を食べに行ったのです。このお店、繁華街から少し離れた所に あって、平日は結構サラリーマンで賑わっているのですが、土曜日はま るで客なしという。雑居ビルの地階の小さな店が並んでいるどん詰まり にあるんです。まあ、温かいものでも食べて風邪を吹き飛ばそうという 魂胆でして。去年の今頃、長浜近くの温泉宿で初めて鴨すきなるものを 食べました。2人前で2万円を出ていました、だいたいお値段はそんな もののようです。量は結構あったし、鴨の味もしっかり味わったし、一 度はネという感じでした。それに比べたら、この店の鴨鍋は先に食べた のよりおいしい。量も値段も大満足なんです。今日のメニューとボード にチョークで書いてあるのには1500円。これって1人前なのかなと 思ってしまうのですが、そうじゃないんです。3〜4人でつついていい 加減なだけ入っているのです。土鍋に入れて出してくれます。土鍋は結 構冷めないんですね。終いまで温かく頂けました。愛想に串かつも頼ん で1本80円でアツアツ。飲み物はウーロン茶。払いは3千円も満たな いという。その後、お腹を空かすてて栄まで歩いてスカイルなぞ覗いて。 スカイルでは絵画などを入札展示していて、それは有名画家の絵を一同 に堪能させてもらったのでした。2/13 低空飛行で風邪、持ちこたえています。たいがい年に何回か風邪を引き 掛ける、または引いてしまうのですが、こと月釜の日には何とか治して 座っているという。僕の先生も、何らかの理由で休みということはまる でなかった。教える立場になるというのは、そうした責任みたいなこと が出てくるのでしょう。まあ、自分としてはそんなに意気込んでいる訳 ではないんですが。これも慣れみたいなことでして。寺院の修行道場で の厳しさも、慣れてくるものだそうですよ。んー、そんなのには慣れた くないなー。そこで一つお話。家元での合宿での同窓会の集いというの があって、京都ホテルに何百人も寄った時のこと。挨拶に立たれた宗匠 の開口一番、今日参加しますと言って何の連絡もせず来なかった人が数 名いる。お茶をやっている者として、そのような方とはお付き合いでき ない。ひじょーに厳しいお言葉がありました。何百人となれば必ず一人 や二人来ない人がいてもちっとも不思議じゃないと思うんですが。もう 一つついでに。先生クラスの講習会が年に一度地方地方であります。こ ちらも何百人も集まるのですが、出席する際には着物のこと。男も勿論 着物で、暗黙の内に袴も着用です。僕なんか、もう着物きたまま出掛け ます(車の時もあるけど)。そりゃ目立ちますよー。しかし会の主催者 側の男性は、会が終わった時点でちゃちゃっと着替えるという。着物の まま家に帰ってくれよと僕はいいたい。意気込んで今日は正装して行く かあー、黒紋付羽織袴で地下鉄乗って行くという。おおー、新郎がこん な所にいるぞ。本当そうだったら、いいんですがね。2/17 今度の月釜の事をいろいろ考えています。お菓子はお雛さんに因んだも のがないかなとか。最近買いに行っている和菓子屋さんへ昨日、行って みたらありましたよ。雌雛、雄雛をイメージした着物をまとっているか のようなの。中はそれぞれ粒餡と漉餡でした。練り切りの梅も買ってみ ました。こっちの方がしっかししているなー、饅頭は二つぐらい食べな いと食べた気がしない。こんなんで二色ぐらい用意するかなー。掛け軸 は去年は韓国のお坊さんが書いてくれた円相を掛けた。ちょっと前にお 寺に遊びに来られて、扇子に何やら書いてくれたものがある。今年はこ れなんかどうかなーとか。展観は倉敷からいつも送ってくれている紙の 嫁さん人形を出さないかんし、去年初めて並べた達筆な短歌の短冊を今 回も出そう。ひょっとするとしばらく前から来て下さっている陶芸家の 作品も飾ることができるかも知れない。白紙の短冊もまた用意しようか な。何ぞ短歌でも俳句でも書いて行って下され。来られたら方はゆっく りして行って下され。お薄一服なんて世話しないことでなく、二服でも。 ひょっとすると濃茶も出たりするかも知れませんよ。そしてこの会が気 に行って頂き、またお越し下されればうれしい限りです。最近は男性が 多くなってきたので、バランスを取るためにも女性会員を募りたいです。 ここで初めて明かしますが、会の名称を昨年末に考えたのです。平水会 です。四国遍路のお接待の心でもてなすこと。空海、空と海との水平線。 そこから平水と名付けました。平水と聞いてぱっと浮かぶのが、茶碗と 茶器を持って出る姿でした。2/21 * 平成17年1月3日、初釜 新年明けましておめでとう御座います。ずーっとぬくとくて、まるで大 晦日かが来るという実感が湧きませんでした。その実、31日朝、まだ 紅葉しているモミジに雪が降っていました。ここ1週間ぐらいの冷え込 み。そして元旦を迎え年賀状が届いたのを見て、年が変わったんだとよ うやく納得したのでした。紅白も大方しまいまで見て、お寺に行き百八 回般若心経にちょっとお付き合いしました。それから近くの神社に行き 初詣。家に戻り新酒でおめでとう御座います、本年もよろしくと。母は 一口飲んだだけで、一人手酌で進んでしまいました。飲みながら話は3 日の初釜のこと。例年通りささやかなお膳を出すことにしました。でき れば半月盆で点心にしたいところなんですが、お盆がないんでお寺の朱 塗りの足付膳で点心風にできないか。金紙を敷いたり、青葉を使ったり してお正月らしさを出したいと思っています。家には30日に買出しで 買ってきた海老なんかもあるんです。四国から送ってきた天ぷらも赤で 縁起がよろしい。生ものを使えるなら彩りも鮮やかにできるところなの ですが、いかんせん精進料理なので。例年、稽古の方々は郷に帰ったり 旅行に行ったりで、座るのはお寺に居る人達。外国の留学生らやたまた まお寺に遊びに来ていた人など。まるで何人になるか分らないのが常な んですが、一応20名分ぐらい用意してます。今年は広間で召し上がっ てもらって茶室でお薄というようにするつもりです。若干の余裕はある かと思います。よい子の読者の皆様、よろしければお出掛け下さい。お 代は、この会の会費千円です。他お心遣いは無用にて。1/1 ハイ正月あけました。おせち料理なんか純和風のを毎日食べているとメ リハリの効いたのが欲しくなる。そんなことでラーメンと餃子のセット なるものを食べてしまいました。まあ、量のようけだったこと。まだ腹 が太いのでポヤーとしてます。3日の初釜のことを忘れない内に書いて おきましょうか。身内は小生含め5人、他お客様は何人になるか分らな いけど膳を十客用意することにしました。広間に屏風を立て3分の1を 給仕場所にして座布団を10枚敷きました。金と銀の紙を少しはすかい に折ったのに懐紙もはさみ、ヒイラギの葉っぱで3種の皿代わりとしま した。前の晩、大きな金銀の紙を切って折り紙してました。実のところ 漆器類をできるだけ減らしたかった、扱いが手間ということもあるけど 点心風にしたかったから。膳の左手前に雑煮椀をおきました。中身はと 言いますと、お弟子さんの一人にこんにゃくとレンコンをたいてもらい ました。煮しめ昆布と黒豆は母が作りました。我が家の黒豆は蜜柑の皮 を入れるのですが、ここでは皮は入れずに盛り付けました。後、四国か ら送ってきた焼酎抜きの渋柿を一切れと、いつもの魚屋で買った大きな お豆さん。餅はもちろん年末に搗いたものです。量としたらほんのお凌 ぎです。見たところお寺には誰もいない。それがどこからともなく現れ てきて、和尚さん始め8名とお弟子さん2名が広間に座りました。すぐ に茶室に移ってもらい、小生が点前してお薄を召し上がって頂きました。 床は柳に蝋梅。それに韓国のお坊さんが書いた和敬静寂の扇子も飾りま した。以前、お寺に何年か逗留していた人で、こないだ遊びにきて書い て行ったのだそうです。1/6 皆さん正月気分を脱して、お仕事フル稼動してますか。初釜をやられた 社中も、ほぼこの土日まででしょう。以前は勤め先のクラブにも入って いて、大抵このぐらいの日に初釜がありました。流石に力のある先生は 集客力が違います。裏方には年季の入ったやり手が仕切って、点心にお 薄に濃茶それに福引と。百人は裕に来ていたのでないか。人が人を呼ぶ といいますか、それは小さな子供から年配の男性まで。女性はほとんど が着物、振袖を召している若い方もいるという。それは長年、初釜をや ってきて培われた雰囲気がきっとあるのでしょうね。朝早くから美容室 に行って髪を結ってもらい着付けしてもらって大変なことです。でもそ うした一人一人の手間が、初釜というはんなりした雰囲気を作るのです。 犬山の如庵の初釜はかつて先生と何度か行きました。犬山遊園の駅で待 ち合わせして如庵へ行った後、成田山に初詣してその裏にある若水庵で また一服頂いて帰るというコースでした。何度か行く内、だんだん素人 さんのような方が増えてきたような気がして、はんなりした雰囲気も少 なくなって来たような。それに点心がホテルの方で出されることになっ て、何となく遠のいてしまいました。まあそれよりも茶券が高くなって しまった。今年では当日券4400円、昔は1800円ぐらいじゃなか ったかな。ひょっとすると高くした分、本当に気のある人しか行かなく なっているかも。来年辺りまた行ってみよかなー。でも如庵の場合、表 千家の先生一人の社中が6日間釜を懸けるという。無茶苦茶大変。その 大変さを察すると、のこのこお客様気分で参るのはちょい気が引けると いう話もあったりで。1/17