『 茶遊一会 へのいざない 』 表千家・茶道指南 加藤見珠 平成22年11月吉日 ■ 茶遊一会のこと  お茶事の一つの形を考えました。従来の茶事ではなく、単なる茶会でもない。一 つの茶の湯の新しいもてなしの形です。簡単に茶遊一会の流れを書いてみます。い わゆる前茶の形式です。最初に席入りして濃茶、席を変えて点心とお酒、続いて舞 の披露、中立ち、最初の席に戻りお薄。これで約3時間の会としました。舞のとこ ろは会の趣旨により即興の短歌、筝の演奏などいろいろに変わります。要は茶道を 要にして日本のお座敷文化を楽しむ場にしようという発想です。それを茶事という 体系化された流れの中で、一つの遊びの形にしたもの。その名称を一応付けたのが "茶遊一会"であります。会の始まりは夏場なら5時ぐらいから、冬場なら4時ぐら いからにします。茶事だからと言って昼間から酒を飲むのは、はしたないこと。で すから夕刻から始めるのです。お酒を控える場合は昼からでもいいでしょう。  費用は幾らぐらいですかね。これまでお寺でやってきたようなことであれば2千 円も頂ければ十分なんですが。よそでとなると仕出しを取るとか舞に鳴り物とかで、 7千円とか1万円とかになるかと思います。喩えて言えば、京都のお茶屋さんの奥 にある茶室で濃茶と薄茶が振舞われ、二階の座敷で料理と舞いを楽しむ会になる訳 です。真ともに考えると7千円ばかではきかないかも知れません。しかしこれは最 高にした場合の話しであって、いろいろ工夫できるかと思います。この会を誰がど こでやるのか、それはこれから考えなければならないのですが。茶室を持つ料理屋 さんとかお茶屋さんが候補に挙げられます。懐石をうたう旅館もいいかも知れませ ん。イベントとしてでなく定例的にやることが肝心です。茶会はイベントではない んです。もちろん各お社中で趣旨に基づき遊んでもいいかと思います。  もう一つの会。これまでお寺でやってきた毎月のお茶は、普通の稽古場でもなけ れば巷でやられている月釜とも違う。これはこれで一つのサロンを形成していたし、 清く遊ぶ空間でもあった。内容はと言えば主にお薄の稽古をしている訳なんですが、 お寺に来られた様々な人達を席に招きいれ、実践としてのお点前をしていた。薄茶 だけで一時間が過ぎることも珍しくはなかった。花祭りの茶会でも茶道に嗜みのあ るご婦人方も来られたが、いずれの席でも居心地がいいせいか、話しに花が咲いた。 楽しい茶道をやってきたつもりである。このスタイルの稽古に茶席も残していきた い。茶遊一会の簡便な形式として立派に成立すると思う。これまでのやり方にも名 前を付けたいと思う。それで"さゆういちえ"から'さ' と 'え'を取って"さえの会" と呼ぶことにする。実はさえの会にはもう一つ思いがあります。それは内緒です。 ■ 茶遊一会の起こり  金沢へ行ってかつてのお茶屋の佇まい見聞したり、岐阜のお茶屋さんで実際にそ の雰囲気も体験したり。だんだんと一つの形が見えて来ました。それを一炊の夢の 如く、一つの体験として書いてみようと思いました。なかなかどうしてそう簡単に 書けるものではありません。そんな訳で、簡単にここでどんな事になるか紹介した いと思います。初めて皆様にお話しをすることになります。あんまり考えていると ずっと話ができないので、散漫な事になるかも知れませんが。新しい茶の湯のもて なしの形。禅を対極に置いた遊びの世界。道具でもてなしをするのでなく、人があ くまでもおもてなしをするということ。茶道の目的が分からない、はっきりしない、 そして面白くない。それを事実として認識すること。かつてお茶屋には茶道も歌舞 音曲も短歌俳句も融合した文化が形成されていたということ。  また一緒にやりましょうよ。一緒に遊びましょうよ。短歌は短歌だけを三曲は三 曲だけを、そういうことではなく一つの座敷の中で、お茶屋としての舞を一つ据え て、時として短歌の交換、筝の演奏があってもいいではないですか。しかし背景に あるのは茶の湯の茶道としての、はたまた禅としての精神的バックボーンです。か と言って禅が見え隠れすることはありません。それは各自の心の中に仕舞われてい ることであります。ともかく筋が一本通っていることにより、大きく外れることが なく清く粋に遊ぶことができる訳です。一つ筋があることにより、ややもするとた だの寄せ集めになってしまうところを、そうでなくできる。そんな気もするのです。 茶道は難解でとっつきにくい。それ故に何かとても高尚な趣味のようにも思われて いる節もある。そうでなく、他の趣味と組み合わせもっと身近なものにしたい。  改めていろいろ茶道の本を読み返してみると、小生の意図する会は利休以前の闘 茶なんかに少し似ている。闘茶はばさら大名のまさに遊びのお茶だった。茶の湯は ほんのツマで、豪快に料理も酒も出たことだろう。そこに利休が禅を持ち込み、ご く侘びた形にした。そして形が形を呼び江戸時代に完成し、戦後さらに形に磨きが かかったといえよう。茶道が99%が女性のものになった今日、遊びの方向に戦後 進んでもおかしくなかったものを、かくも形に固執することになるとは。全くいか なることか。話しを整理する、闘茶から侘び茶へそして現代の形の茶になったのを 今一度、再構成してみるのである。遊びでもなければ侘びでもなくはたまた形でも ないもの。以上これまで書いた内容にはそれが反映されていると思う。どのような 心棒でもいい、禅でなくてもいい、一本しっかり立っていればぶれはしない。 ■ 茶遊一会の流れ  さてさて時は夕刻前。打ち水のした玄関から路地を通り寄付へ。そこで湯が出て 身づくろいをして茶室へ。人数は8人ぐらいまでとします。席中には花が入ってい ます。亭主たる会の主催者が出てきて挨拶をします。そして濃茶になります。座を 換えて別室で点心を出します。今日の懐石のようにはたくさんは出しません。ただ し椀物だけはしっかりしたものを出します。それからお酒を出しての宴になります。 お酒は亭主が客に振舞い、まあ千鳥の盃のようなことになるかと思います。程よく 酔いが回ったところで、地歌舞などしっとりした舞が披露されます。お茶屋ではこ れはお座附きの舞ということになります。目の前で観る舞に三味線、舞台でやって いるのを観るのとは全然違います。今ここに居る人のためだけに舞ってくれている。 舞が終わり頃合をみて、客一同は箸を膳に落とします。亭主らは膳を引き客は寄り 付きに戻り中立ちということになります。  しばし休憩です。鐘が鳴り、客は最初に入った茶室へ。今度は掛け軸がかかって います。お点前はお客さんの一人がやります、お薄です。この方の好みのお道具を 幾つか席中では使います。半東には会の者がお手伝いをします。この席ではお客さ んがあくまでも主です。お一人が代表して亭主になりご挨拶をするのです。なごや かにお薄を頂き終わったら、お客さんは寄り付きに戻ります。帰り仕度をしている と自分の道具を下げて亭主役の人も戻ってきます。そして会の者が出てきて、ここ で会計をします。お客様をここで見送りとなります。その頃にはすっかり日も暮れ、 路地の行灯をつたい帰路に着くことになります。この一会は観光客や冷やかし相手 ではありません。あくまでも茶道など日本文化に嗜みがある人が対象です。できれ ば単発のイベントにはしたくないということ。  お酒のこと。この夕刻からの会では朱塗りの重ね盃で先ずはお酒を出すことにし ます。一つの儀礼的な盃であります。その後ぐい飲みとお預け徳利を出してもいい でしょう。昼間に始める会では重ね盃だけに留めます。それは先に書いた通り、朝 や昼間に酒宴でもないのに酒を飲むというのはよろしくないということ。夕方から やる茶事というのは既にあって、夕去りの茶事といいます。忘れていましたが、夕 去りという名前は頭の中でよぎっていました。やはり初座は花を入れて、後座は蜀 台の灯火で夜噺風になります。夜の花は灯火の影を忌み嫌うのです。最初に濃茶を 出すということ。会の流れを三つに分けて緩急を付ける、最初に一番の緊張を持っ てきたい。釜の火を調整してベストな状態で濃茶を練りたい。懐石を食べてお酒も 入って、それで濃茶の味が本当に分かるのか?。腹が満腹になって抹茶の味が分か るのか?。おいしい物は後に取っておくのでなく、初めに頂くのです。  久しぶりに茶事の本を引っ張り出して見てたら、これは前茶の形式でした。道具 の拝見は常の通り正客から請うことにします。しかし皆が回して拝見することはや めて出された所に皆が寄って行って見ることにします。ちょうど炉の炭継ぎの拝見 みたいに。ここは濃茶の拝見の形を踏襲するだけであり、由緒あるお道具が出たり するわけではありません。基本的に会記はありません。料理の献立もありません。 写真撮影も原則禁止です。自分の目で見て感じそれを、自分の心に焼き付けて帰っ て下さい。人生はそんなに長くはないのです。お料理のこと。点心に椀物、それに 八寸ぐらいのものにします。本格的な茶懐石となると使う器だけでも大変です。会 側の手間暇もかかることになり、会費もそれなりの金額になって来ます。そういう ことよりも今日、皆さんおいしい物を一杯召し上がっているではないですか。  そんなフルコースで食事を出す必要がここであるのか。それよりも一品だけおい しいと言うものをお出しする。それで十分ではないでしょうか。懐石では最初に炊 き立ちの柔らかいご飯を少しよそって出すことになっています。汁もちょびっと。 そんな出され方を素直に受け止めることができるようになるには、それこそ茶事百 回の経験が必要でしょう。懐石が会席と大きく違うのは飾りがないこと。奇をてら った料理は出さないこと。また一流料理屋の仕出し弁当でも、コンビ二の弁当よろ しくビニールの入れ物があったりします。そんなのは茶席では使えませんなー。お 酒を出すタイミングは椀物を召し上がってもらってからです。理由は酒が入った後 では、やはり味覚が変わるからです。お酒をおいしく飲むか、料理をおいしく頂く かと言えば後者なんです。ここは茶の宴であって、酒の宴ではないんです。  そうして座敷の下座の襖がすっと開き、舞が始まるのです。昨日、NHKで吉村 雄輝氏の十三回忌ということで番組がありました。武原はんでも有名になった地唄 舞の『雪』を舞っているのを観ることができました。雄輝氏は男ですので着流しの 素踊りです。実際にこれに近いのを例の岐阜で何回か観たのです。昨年の12月の ことでちょうど13日、忠臣蔵討ち入りの日でした。それに因んだ舞を目の前で披 露してくれました。そう長くはありません。数分でしょうか。その時候に合った舞 を二つ、場合によってはちょっと面白いのをもう一つ。それがお茶屋のお座附きと いうものだそうです。テレビで観る地唄舞のように抑制された動きではありません。 世のご婦人方は歌舞伎見物だと言ったらこぞって出かける。劇場には男性なぞ数え る程しかいない。女性で埋め尽くされている。  そんな大ホールで観るのでなく、目の前で観たくはないですか。男の遊びだけに しておくのはもったいない。お茶屋での舞を理解できる男なんざ滅多にいるもので はない。歌舞伎も浄瑠璃も文楽もはたまた源氏物語も分かったような人でないと。 男はまるで趣味も教養もない輩ばかり、もうそう言い切っちゃいましょ。最近よく やっているコマーシャルで、おいていっちゃいますよって。本当、ご婦人方に置い て行かれます。女性の男性領域への進出が進んでいます。そんな焼き鳥屋なんぞで 一人飲む。そんな所へは進んで行って欲しくはない。どうせなら粋な遊びの世界に 行ってもらいたい。それがこの茶宴なんです。舞の代わりに客人が唄いを披露して もいい、ミニ短歌の会にしてもいい、はたまたマジックでもいいかも。しかし基本 は舞を見て頂くことです。他はおいおい慣れてきたら、あるいは別口の会でという ことになるかと思います。  昔、三曲の演奏を聴くのにはまっていたことがあります。筝と三味線と尺八の演 奏会です。会場は大小のコンサートホールで今もそうした演奏会はあります。東京 芸大なんかを出た人が着物姿でドレスで演奏をしています。なかなか素晴らしいん です。現代邦楽というジャンルもあってピアノと筝の合奏とか、現代的な雰囲気も あったりします。でも何か違うんでないか。本来の姿はコンサートホールではない だろう。彼ら彼女らは着物は着ているものの、コスチュームとして着ているだけに 見える。日本文化として捕らえているようには見えない。そんな気がし出して、い つしか足が遠のいて行きました。本来の姿を取り戻すべくこの座敷で披露してもら おう。これはイベントではない。演奏もおもてなしの一つの内なんです。まるで茶 道のお点前のようにです。  だいぶ宴のところが長くなってしまいました。続いて最後、三つ目が薄茶になり ます。濃茶も飲んだ、料理も食べた、舞も観た。これでお仕舞いにする手もある。 更に薄茶点前に続くのは客による客のための席にするためです。茶道を長年稽古し て、自らが亭主となりお茶を点てることが、どれ程の人にあるだろう。ただひたす ら稽古して終わる、あるいは茶会のお手伝いの中で点前をする。親しき仲において も一度、自分のお点前で、細々と集めた幾つかの道具でおもてなしをする。そうい う機会を作りたい提供したいということなんです。多分こういう楽しい会があるの だけど皆さん、いかがですかと声を掛けた主、ぬしが亭主役になるかと思います。 初めて来られた人等はびっくりするでしょうね。さっきまで居た人がふと姿が見え なくなり、襖を開けてご挨拶された方がその人なんですから。  田舎の和尚さんに是非にと書いてもらった字を、どこかで皆さんに見て頂きたか った。それに茶碗は亡き父の焼いたもの。茶道の手ほどきをしてくれた父が居たか らこそ、今日の私がある。などと人それぞれいろいろな思い、思い出があるはずで す。今日この席は貴方が主人公なんです。どうです、このようなお道具に会記が必 要ですか?。家に代々古くから伝わる名品の数々があり、趣向に合うのを選び茶会 に供する。そんな場面では歴史的価値において道具の由緒を知らしめる。それはそ れでいいでしょう。でも貴方にとって何代目かの楽の茶碗より、貴方のお父さんが 焼いた茶碗の方がきっと大切なはずです。それが今を生きている証そのものなので す。血の通った茶道をやりましょうよ。茶碗のことは喩え話です。何も道具がなく ても結構、お点前を披露するだけでもいいのです。  席中にてご挨拶するのはとても緊張するものです。歌舞伎の襲名披露の口上とか、 小生も一度経験したことがある結納持参の口上。改まってご挨拶するだけでも価値 あることです。実はこの挨拶からお点前を始めるのは、月釜でずっとやって来たこ となんです。俳句を一つ入れる人、季節のうつろいを語る人。皆、大まじめで挨拶 されるので面映かったです。こういうのがささやかな楽しみに変わって行くのです。 この会でのご挨拶のことも書いておきましょう。亭主役が正客にと思う人がいれば そうしますが、無理に正客を持ってきたりはしません。その場合は個々人に挨拶を してもいいですが、一同に向けてのご挨拶でも構わないとします。要は取って付け たようなことはしないということです。以上がこの会の流れです。だいたいの雰囲 気を感じ取ってもらえたでしょうか。  会費はあんまり高額にはしたくはない。お茶事ならば体験できるところは既にあ ります。名古屋の懐石料理屋さんがやっているのは2万円から3万円。ネットを見 ていたら京都の町家での茶事体験コースというのもありました、こちらも2万円ぐ らいで簡略したのは5千円とか。茶事ではなく催しとしてなら尾西の料亭の十三夜 の会では、筝の演奏があった時もありました。料理がそこそこ出て薄茶席があり展 観か何か催しがあり1万3千円です。吉村雄輝氏を調べていて高松の料亭二蝶での 催しが目に留まりました。祇園から舞妓芸妓さんを呼んで舞の披露と立礼での点前 があり2時間で2万5千円。歌舞音曲もあり茶席もあるという催しは探せばいろい ろ見つかります。しかしそれはだいたいにおいてイベントと呼ぶべきものです。舞 やお点前があっても舞妓の見せ物になっている。  立ってカメラやビデオを回す人もいる、数十人が取り囲んでいる様が想像できま す。茶道でいえばこれはもはや大寄せの茶会。昨今、女の人も一眼レフのカメラを ぶらさげている場面に出くわします。ただでさえうっとうしいカメラ爺に加えて女 性まで、困ったものです。カメラは個人の全くの趣味、少し遠慮するものです。最 近ではお茶席でも平気でカメラを出す輩もいるとか。ともかくこの会はそんな風に はしたくありません。小生が意図しているものとだいぶ違う。イベントになってし まったのではいけません。さてこのお話を数日間、書き綴っています。多分その間 に百人ぐらいの方が読まれたのでないかと思います。特にコメントを求めるもので はありませんが、趣旨に賛同する方がいれば幸いです。料理の椀物を私が作ってみ たい等、そのような女性がいらっしゃれば尚うれしく思います。 ■ 茶遊一会の料理について 料理のメインの椀物について。これまで頂いた中で一番おいしかった椀物は四国 の大洲の旅館でした。肱川沿いの旅館で、飛び込みで一泊しました。椀物が出たの は土佐鶴の冷酒をだいぶ飲んだ後だったのですが、本当においしい物はどうしたっ ておいしい。別に懐石所とかこの旅館は銘打っている訳ではないです。田舎のちょ っといい旅館というだけです。飾らない、いいお味でした。二番目は鱧のお椀、こ ちらは懐石所と言っている尾西の料理屋のです。電話で鱧を頂きたいとリクエスト を出しておきました。この椀物も流石においしかったです。プロの味というべきか、 柑橘類を多分三つぐらい使っている。微妙な味わいが残るのです。二つを比べてど ちらが小生の好みか?、肱川の旅館の方です。素材の持ち味をそのまま活かしてい た。もっといえばごまかしがない味だったということです。  それは自分で鱧を骨切りして、上等な昆布で出汁をとって椀物を作ってみて分か りました。鱧は淡白な魚なので隠し味に柚子の切り欠けを少し入れたりするのです。 多分、懐石料理ではそこまでに留めるべきでしょう。加えてダイダイにスダチも絞 るとなると、やり過ぎかと思います。鱧のうまみよりも隠し味の方が優ってしまう。 尾西のその椀物はそのぎりぎりのところで留まっていたと思います。普通にお昼を 食べに行ったのですから、流石です。尾西のお店にはたまに行ってます。5千円の お弁当でもちゃんとした椀物が付きます。1万円のコースとは中の具は多分、違う のでしょう。高級素材ではないのでしょうが、十分においしいのです。いつも食べ に行って思うのは、この一椀だけに5千円払ってもいいぞ。それぐらいに椀物とい うものはインパクトがあるものなんです。ですから茶宴でも椀物を重視するのです。  椀物以外に出す料理、点心か弁当かということですが。このように簡略にはする のですが、懐石の心はそのまま持ってきたい。熱いものは熱い内に、冷たいものは 冷たい内に。点心と弁当では暖かい料理はそこに盛ることはできません。ですから 無理して鮎の塩焼きを入れたりすることは避けます。鵜飼シーズンでどうしても鮎 も入れたいと思うなら、鮎寿司の一切れや鮎の甘露煮にすればいい。鮎の塩焼きを どうしても出したいなら点心のお盆とは別に、焼き物として別鉢で熱々を出す。骨 も全部食べれるようにようく焼いてです。岐阜のお茶屋さんでは中ぐらいの鮎を焼 いて出してくれました。岐阜ならでは手に入るというサイズで、頭から全部きれい に食べることができました。一つ手間ですが、焼き魚の懐石料理としてもぴったり だと思いました。だいたい骨の無い切り身にした幽庵焼きが多いですからね。 ■ 茶遊一会の名称について 何て名前にしようか考えています。茶遊さゆう、茶々ささ、茶宴さえん。もっと 適当な名前があるような気がしております。こうして書いてきて、この一会の名前 は茶宴ちゃえんがふさわしいような気がしてきました。初めにはさえんとルビを打 ちましたがちゃえんです。京都のお茶屋では伝統的に裏千家を稽古しています。ど うしてお裏さんなのか、いつからなのか詳らかでありませんが、お茶屋の舞妓芸妓 の凛とした雰囲気のバックボーンになっていることは確かです。このことに敬意を 表して、裏千家が茶道をちゃどうと読むのに因み、茶宴をちゃえんと読もうと思い ます。いかん茶宴はネットで検索したら何ぼでもでてくる。中国でお茶葉を使った 料理のことを言うようである。他、茶遊も一杯出てきた。和風喫茶の名前とかいろ いろに使われている。別な名前を考えないといけないです。  正直言うと、ストレートに宴でもないし遊びでもない、だから茶宴も茶遊も実は 適当でないと思っていた。また考えましょ。名前というのはすごく大事です。ぼん やりしたものに形を与え、一人立ちさせるのです。いっそ茶という字を外してしま うか。茶道、茶の湯と言った束縛からいったん離れてみるのはどうだ。茶でも何で も無くなってしまうぎりぎりのところで踏みとどまってみるのはどうだ。そもそも 茶道の精神には数寄の心、異端を受け止める懐の大きさがある。完全よりも不完全 であることを良しとする。遠州のきれい寂びもいい。侘び、寂び、冷え。そんなキ ーワードも頭に浮かぶ。どうも二文字に拘ると名前は限られてくる。三文字なんて のはまるで浮かばないし。遊びは遊びだけど清く遊ぶ訳で、でも茶道の精神はその ままある。そこを外れてはいけないと思っている。  2010年10月31日のこと。母が幾つか名前を考えて書き出してくれていま した。中には二文字でなく四文字とかの名前もありました。何となく四文字でもい いかなとも思っていました。母の書いた中に何とか一会(いちえと母は読んだ)と いう文字がありました。小生が何かに喩えて口について出た名前が、さゆういっか いでした。そして更に考え翌日、茶遊一会はどうだ。言い方は、さゆういちえ。短 く言う場合はただの茶会。昔は茶事という言い方はなかった。ただ茶会とか会と呼 んでいた。茶会は茶会だけど内容は茶遊一会ですということになる。本当は茶道は 楽しいんですという、よい子の茶道に掲げてある文字。そこから遊ぶを取りました。 宴ではぴたっと来ない。さらに禅語の一期一会から一会を取りました。さゆういち え、なかなかいいような気がする。郷里の和尚様に一行、書いてもらうか。 ■ 茶遊一会の遊びについて  遊びは遊びでも一般に思う遊びではないというお話。全体の構成の中で遊びのと ころは食事の時の舞だけです。全体が遊びかのような印象を持った人もいるかも知 れませんが、実は遊びの部分は時間にして10分か20分です。遊芸としての遊び であって、一般に考えるワーワー言って楽しむという類ではありません。最初の濃 茶はやはり厳粛にお茶を点てて、飲んで頂くことが主眼となります。ここでは心地 よさの中に見出す遊びを感じてもらいたい。薄茶の席はお客さんの中から亭主にな り茶を点てるという遊びです。七事式にも似たところがあるかも知れませんが、こ ちらは稽古ではく本番であるというのが違いです。そしてまた舞に話しを戻すので すが、先日も岐阜でとある旧家にてお兄さんとお姐さんの舞を観る機会がありまし た。手足の先まで神経が行っている、それは素晴らしいものでした。舞の前にはお 抹茶も出されました。茶席と舞の融合は全然、不自然ではないと確信しました。  遊びは遊びでも過ぎるのはよろしくないというお話。これまで二三度、趣向を凝 らしたお茶席に入ったことがあります。ちょっと引き合いに出すのは申し訳ないか なとは思いますが、煎茶のお席のような感じ。設えに凝るといいますか、行事やテ ーマに合わせた小物を席中に置いたり、至るところに花を飾ったり、まあいろいろ と工夫をするわけなんです。煎茶は石川丈山が祖と言われてますが、茶道の堅苦し さから解放し、風雅に遊ぼうということが起こり。確かそんなことを読んだ覚えが あります。書を楽しみ、山水画を楽しみ、詩をつくり、琴(きん、中国のこと)を つまびく。かなり中国の思想の影響を受けている。一方、茶道は日本人の美意識に 基づいて成立したもの。足し算の文化ではなく引き算の文化なんです。花を入れる のも三つあれば二つに落としていく。テーマに沿う物を幾つも並べるのでなく、席 中には一つか二つ出すだけとする。この感性を忘れては茶道は成り足りません。  よい子の茶道の中に、筝座の茶会という題があります。かれこれ16年も前にや ったイベントです。"涼風茶会と NOSTALGIC KOTO の夕べ" PM3:30〜 夏点心と薄茶、 PM5:30〜 筝座CD演奏、PM6:30〜 すいか割り、線香花火 ・・・ お開き。当時お 寺にいそうろうしていた男に手伝ってもらって、ちらしをマッキントッシュで作り 音響設備をそいつの家から運んで本堂にセッティングしました。点心は自分で作っ たはずなのですが、小生が作れる程度のもので、大した料理ではなかったはずです。 その頃ちょうど母が癌の手術で入院してしまい、どうしよう中止しようかと思いま した。病院関係者の友達二人が相談に乗ってくれ、癌は切ったらお終いだし話では そう心配せんでいいぞと言ってくれました。その二人も岐阜から駆けつけてくれま した。イベントと言っても新聞に載せたりする訳でもないので、大方知った人ばか りです。夏の暑い日、こんなことをして遊んだことがありました。 ■ 茶遊一会を花街で催すと 花街再生に繋がらないか。例えば、本当に例えばの話しです。京都の上七軒のお 茶屋さんのこと。何年も続く不況で西陣の旦那衆の足も遠のき、お茶屋を廃業した り別な店に変えたりしていると聞きます。観光客も少なく祇園辺りの人ごみの喧騒 はありません。お店出しの時などどこからともなく現れるカメラ爺と婆は問題です。 そうした不遜な輩も寄せ付けない凛とした雰囲気を保ち、かつ上質な固定客を掴む こと。上七軒から東に行くと西陣そして表千家と裏千家のお家元があります。全国 から家元の行事に多くのお茶人さんがやってきます。たいがいは京都駅からタクシ ーに乗ってやってきて、お席が終わったらすぐ帰る。滅多なことで上七軒に寄り道 したりはしません。まあ行っても仕方ない、やることがない。上七軒は素通りして 北の天満宮にお参りするぐらいのことです。そこでです。太閤秀吉より縁の深い上 七軒を茶道の聖地にしてはどうか。お茶人さんが闊歩する街にするのです。  西陣か上七軒の町屋を旅館にする。すでにゲストハウスは一軒か二軒はあるよう です。家元に行く拠点にならないか。着物に着替える場としてもあってもいい。日 帰りが無理な遠方の人は、家元に行く前日に泊まって、あくる日身支度を整えて家 元に向かえばいい。バスで10分もかからない。泊まるその日の午後に、この茶遊 一会で遊んで頂くというのはいかが。昼間のお茶屋さんを活用して、ご婦人方に茶 道の一環として遊びの場を提供するのである。場所柄会費は1万円前後になるかも 知れない。お茶をやられるご婦人方にはこの金額は問題にならないと思います。会 の接客には舞妓や芸妓さんらも当たることになるだろう。その場合は白塗りでなく 着物も普通でいいと思う。一見、普通のお嬢さんご婦人が接待するのです。茶遊一 会は宴席ではありません。あくまでも茶事であること。そのため花街のはんなりし た雰囲気はいただきますが、許せるのは時として舞妓姿でのお運びまでとします。  彼女らも稽古の一つとして茶道を習っている。上七軒では寺院の茶室で本格的に お稽古をしているようです。祇園辺りの花街では床の間も炉もない部屋で稽古して いるとか、どうも立礼しか稽古してないとか。いろいろのようです。いずれにせよ 日本の伝統文化を総合的に勉強し身に付けている人達なわけです。多分その勉強量 たるや町の茶道のお師匠さんの比ではないと思います。そういう人達、芸妓を辞め たのちでも活躍できる場所があるといい。スナックとかバーとかお店を持つばかり でなく、はたまた結婚して家庭に入ってもです。花街近くに留まるなら、この会を お手伝いしてもらってもいい。芸妓姿ではなくてお点前したり舞を披露したりして もらう。花街を去り地元に帰ったとしても、その町にある料亭にてこの会をコーデ ィネートする。これまでとは別次元の活躍の場ができる、能力を活かす場ができる。 一つの形ができればそうしたことも可能になるのでないかと思うのです。 ■ 茶遊一会の点前をする人  プロのもてなしとして茶道そして点前について。多くの茶会があります。一服3 百円の市民茶会から2万円ぐらいの格式ある茶会まで。でもこれってお金を取って 饗応していると言えるのだろうか。料亭でお茶会をやる場合でも、お茶席を担当す るのはどこどこ社中であって、料亭の人ではない。どこぞの社中ということは、お 茶を習っている人達の集まりであり、これでお金儲けしている訳でない。謂わば素 人さんなのである。お点前をやる人は着物を着せた若い女性で、後見人として先生 が挨拶しているという図式。高い金払って下手な点前を見せられて、数茶碗で点て 出しのお茶を頂く。よくよく冷静になって考えてみたら、もったいない話しである。 茶遊一会ではそういうことは無しにしたい。お点前もここでは披露する魅せるもの でなければならない。特に濃茶点前では粛々と無駄口を廃し茶を点てること。お金 を頂いておもてなしをするプロとしての覚悟が必要かと思います。  ただしプロ臭さは勘弁を。とは言ってもプロ臭さというのは、なかなか表現しに くいのですが。慣れが見えるといいましょうか。お点前をしているのを見ていてど うも緊張感が感じられない。昨日も今日もお茶会だー、また今日も点前を何回もや らないかん。それは茶杓を取る手つきを見るだけで分かるのです。そんな場面とい うのは、有力社中のご子息がお点前をやって、社中の主である父親か母親が席主で 出ている。しゃべりは親がやっているので、息子は点前を黙々とやるだけ。そんな ことでお客のほとんどは親の方を見ていて、点前なんぞ誰も注視してない。しかし お道具は書付けがあるのがずらりと、よく見る光景です。こういう茶席を持つこと に慣れっこになってしまった社中さんは、この会にはふさわしくないです。あくま でも人が人をおもてなしするのが、この会の眼目なのです。  普段は会を主催する料亭なりお茶屋の人らが、茶席の設えをしてお点前もします。 それを例えば、陶芸家で茶道も習っている人にお点前をやってもらう、そんなのも ありだと思います。知り合いに大徳寺の中の塔頭で男子だけの茶道の会に入ってい る陶芸家がいます。今秋もそのお寺で作品の展観をやりました。そんな人にも席を もってもらって、別室にて作品を展示する。席中ではその人の作品を実際に用いる。 京都の楽家では、日にちを決めて歴代の楽茶碗を使っての茶会があります。昔お席 に入ったことがあります。ご婦人が点前をされ当主が半東役で茶碗の説明をされて いました。その茶道の会には京都の著名な料亭の二代目であるとか、錚々たるメン バーが顔を揃えているそうな。料理屋の人ならば、そこから点心を出してもいいだ だろうし。また自分とこの店で、この茶遊一会を催してもいいでしょう。ただし趣 旨を理解した上でのことですがね。くれぐれも高額にしないように。 ■ 清遊をしませう − 茶遊一会の元になったお話し 茶道の講習会に行って参りました。千人ではなく2千人以上とのことでした。白 鳥の大ホールが埋め尽くされています。すごいお茶の先生の数です。愛知県下だけ、 表千家だけでこれだけの人数がいるのです。他流合わせたら全国で数十万人はいる。 茶道人口は減って来てはいるのですがまだまだびくともしません。毎回、家元から 先生が来られて実技指導とお話があります。先生クラスの指導ですから、本もあま り出てないような七事式であるとか茶通とか。話は歴代の宗匠のことなど、今日も 歴史の話がだいぶありました。実際にはなかなかお目にかかれない七事式の稽古を 見るのは興味深いです。へー、こんなことするんだと。お話では茶道の歴史をその 時代背景から読み解く、なるほどねと合点が行く。 しかしこれまで茶道の講演もそうだけど本でも何でも、今の視点が感じられない。 短期講習で若い人を育てるというのも、つまりは基本的には古格を守って行くこと。 流派によってはいきなり世界平和を提唱するところ、建築や音楽とのコラボを実験 するところとか。まあそれはそれで構わない。いろんな考えがあってしかるべきだ。 表千家と裏千家、日本における茶道の二大勢力。選挙に出れば国をも動かしかねな い力と金を獲得した戦後の成功者と言える。自分達が守るべき茶道は十分に守りか つてない程に繁栄させた。文化というのはその時代時代の民衆の心にマッチしたも の、そしてそれ以上に大盤振る舞いをしてくれるパトロンの存在が必要である。 歌舞伎で言えば三等席を埋めてくれる人以上に、特等席で楽屋見舞も出す人が大 きな支えになるのである。一昔前の旦那衆という存在である。成功を収めた者が知 性と教養をもって文化を支えて行くのである。今日、会社の社長だからと言って好 きにお金を使えるものではない。会長さんが美術品を買うことは企業での社会的貢 献には入らない。ならば今この時代こそ、茶道が他の文化のパトロンとしての役目 を買って出る時ではないのか。使命を帯びていると言ってもいいと思う。そう考え ると点前の講習だとか家元の歴史だとか、そんなことばかりに注力してていいもの か。今この時代に茶道は何ができるのか、それを先生方に問うことも必要だと思う。 そうしないと気づいた時には、おおよそ茶道をやるにふさわしくない世の中にな っている。小生の近くには東海道の有松宿の街道があり、古い町並みがよく残って いる。大きな町屋が取り壊されることになったことがある。最近よく行く岐阜の町 筋にも日下部邸という屋敷があった。これは八事に移築はされたものの、敷地は更 地になったままである。また景気が回復してくればマンションが立つのだろう。さ らに金華山入り口の所にある明治期建築の料亭は道路拡張のため、全部取り壊され るという。料亭と言えばすでに八事の八勝館は無残な姿になってしまった。今に生 きる茶道をやっていれば、政府や地方の役所にそこそこの数寄者がいるはずである。  そうした人達が待ったをかける、あるいは間接的に奥方が影響を及ぼす。大河ド ラマを見たまえ、いかに奥方の影の力が政治を動かしたか。そんな間接的になんて 言わずに家元が直接、建物を買い取ってしまえ。茶道の先生と言っても屋敷に住ん でいる人は稀で、そこそこ稽古ができるだけの部屋があるに過ぎない。座敷には土 産物や日本人形があったり、隣の洋間では旦那さんがテレビをかけていたり。古い 町並みを残し、そこで稽古ができるようにすればいいではないか。祭りとなれば釜 を懸け道行く人に一服出したらどうか。そこには表も裏も何もない。最近の新聞記 事に津島の女子高が建物を買い取りそこで和の稽古をしているとあった。しかしこ れ稀なケースである。  この際だから現代の旦那には茶道家元だけでなく池坊を始め華道の家元にも加わ って頂こう。話を戻して講習会場で目に付いたこと。先生方、皆お茶のペットボト ルを持っていて休憩中なぞにそのまま飲んでいるということ。茶道の先生からして ペットボトルのお茶を買うという事実、これをどう見るか。飲料茶を買うのは氷山 の一角でしかなく、もはや茶道の先生宅といえども日常生活の中で占める茶道の割 合はごく僅かなのである。毎週の稽古に着物を着る先生はそういないだろう。普段 の生活ではもはやここが日本である必要はことさら無い。自分自身の生活を見ても、 普段はまるで茶道とは関係ない。着物を着るのは年に数回だけだし。茶道を今日や ろうとすると演出が必要なのである。  生活に根付いたものではないので、趣味としてその時だけ雰囲気を作るのである。 戦災に会っていない京都や奈良の町での生活には、昔と変わらない家もあるだろう。 日本には四季がありその都度いろんな歳時がある。長い年月を掛けて培われて来た 文化伝統風習である。それを一般家庭が維持して行くことは難しい。そして茶道を 考えると、一般的に日本文化の大成のように思われている節もあるが、実際には家 の中でごく限られた部分でしか日本文化を担っていない。一般家庭ではもはや茶道 はそぐわないと言ってもいい。一家の主である男が茶道をしないことには、その家 の亭主ではない。所詮、女子供の趣味の範疇でしかない。ならばいっそ趣味でいい ではないですか。  茶道の歴史だとか、はたまたお茶は禅であるとか難しい話はお家元と有力社中の 先生方に任せて、遊びでいいではないですか。そしてできれば清遊と行きたい。ど ういうように遊ぶかは、目下ひとつ考えていることがあるんです。それはまたおい おいということで。ヒントはお茶屋さんです。彼らの生活というのは日常着物、そ して室禮と言って季節、節句ごとの部屋の飾りつけをするのです。何度か伺って感 じたことですが、日本人としての生活を非常に大事にしている。それがお茶屋の佇 まいを形造っている。おもてなしでは茶道を基本においたピンとした空気が流れる。 おいしい料理にお酒、そして舞を目の前で見させて頂く。宴の舞は元来、神への奉 納です。お茶を点てるのは仏祖への奉納。  お茶屋は芸者をはべらせて野球拳をやる場所、もしそれぐらいの認識しかないと なれば間違いです。確かにそういう面もあるのでしょう。しかし小生には日本文化 と伝統が生活の中でも息づいている存在に映っています。今日極めて稀な存在です。 もはや旦那衆というのは無いに等しい。かつては文豪、大学教授、西陣の旦那。今 は坊さんに成り上がりの会社社長にタレントと言ったところでしょうか。このまま 行けばあの凛とした佇まいのお茶屋は、ただの飲み屋に変わっていくかも知れませ ん。ここは是非、茶道関係者にお茶屋さんへ足を運んで頂きたい。姉妹みたいなも のではないですか。またお茶屋さんの方も、ご婦人方が行き易いようにいろいろ考 えてみてはと思うのです。  単発のイベントとしてではなく、歌舞伎見物や徳川茶会などそうした一つとして お茶屋にも上がる。まさに清く遊ぶ。華のあるお茶をやってみてはいかがでしょう か。茶道だけ見ていては見えてこないものがある。お茶って一体なあに。礼儀作法 を学ぶ?、違うなあー。禅なの?、違うなあー。小生かつて書いたことに用事もな いのに集まって時間を潰せるもの。猫の集会みたい。まあそういうように茶道、茶 の湯、お茶というのは考えれば考える程分からなくなる。だからいろいろ捏ね繰り 回して理屈を付けてしまう。もうはっきり遊びでいいじゃないですか。生活に余裕 ができた人がする遊びです。趣味というのはこの際やめておきます。文化や伝統が 趣味、人をもてなすのが趣味、というのはおかしいです。 2010/05/12〜14 ■ そして茶会へどうぞ  土蔵カフェの窓から山の頂きの岐阜城を見上げていました。ライトアップされ夕 闇が山裾を包んで行きました。そして視線を下に降ろした瞬間、目の間には露地行 灯が並んでいました。これは一体どういうこと。さっきまで一緒にテーブルに座っ ていた人の姿は見えず、着物を召したご婦人方が四人に年輩の男性が立っています。 先ほどまでお城は南の方に見えていたのに、今は東にあります。古い町並みの大き な門構えのところに居るのです。やや、ここは移築になった日下部邸の空き地にな っていた場所ではないのか。しかし行灯の灯火が向こうの建物まで続いている。そ うして戸惑っていると三十歳ぐらいのご婦人が、さあ行きましょうといざなってく れました。その一言で我に返り自分自身も着物を着ていることに気づきました。行 灯が点いているとはいえまだ薄明かりが残っていて...。邯鄲の夢か。