■ 小生の道具 煙草盆 風炉釜 風炉先屏風 ななこ盆 穴窯の茶碗 根来の椿皿 * 煙草盆 小生が多分一番最初に骨董屋で買ったのが煙草盆です。三河知立の弘法さん近く に骨董屋があるということをきいて、会社の帰りに寄ってみたのです。こんな所に 店を開いていて、だれがかいにくるのだという場所にありました。ショ−ウィンド ウには、数える程しか置いてありません。そこにほこりをかぶって鎮座していたの がこの煙草盆です。おやじの説明では、輪島塗だそうです。そして1万円とのこと。 色は茶色で、模様として細いほりが全面に施されていました。その時、輪島塗にし ては黒くないし、プラスチックではないかと疑いの念も出ました。しかしパッとみ た瞬間にすでに欲しいと思っていました。結局譲ってもらうことにしました。 その後、お寺の花祭の際に塗りをやっているという男が茶席に座りました。これ 幸いということで見てもらったのです。いや、これは本物です。それにすごく丁寧 な仕事ですというではないですか。それまでこれは、やはりプラスチックかなと思 ったことはなかったのですが。やはりプロの目でみてどうかなということです。テ レビの何でも鑑定団の中島誠助氏が、よく腹に入らないということをおっしゃって いますが、まがいものは置いておくとだんだんいやになるものだそうです。それは 小生もその通りだと思います。この輪島塗の煙草盆は、だんだんにいいよ−と思え てくる。いろいろ茶道具屋さんなどをそれから見ていますが、これだけの煙草盆は お目にかからないですね。いいものです。ハイ!。 煙草盆には汚こい和紙がついてきました。煙草盆の袋だったのですが、しわを伸 ばしよく見たら、輪島塗本堅地、それに作者の名前もありました。和紙の様子から 少なくとも50年ぐらいたっているように見えますが、本体はピカピカです。いつ ものお稽古で使っていますので、よかったらこれだけ見に遊びに来ませんか。ちょ っとクラブの宣伝でした。煙草盆はお盆だけあってはダメです。煙管、灰落としに なんていいましたか種火を入れる器をセットしなければなりません。その種火の器 は小生がつくったものなのですよ。陶芸教室に皆でいった際、お茶碗は格好になら ないことは分かっていたので、少しずんぐりした煙草盆の火入れを作ってみたので す。それが案外うまくできて、気に入っているわけです。 それから2年ぐらい経って、会社の上司と店によってみました。この上司は茶庭 を作るのが好きで、花や木、飛び石、灯篭など詳しいです。陶磁器類も買うのが好 きで、こんな骨董屋さんがあったよと話したら、いってみようということになった のです。話し好きな人で、何やかんや話している内に、奥の部屋まであがりこみ茶 をすすっていました。そこで文机の上にあった文房具入れが目にとまりました。前 に買った煙草盆と同じものだったからです。おやじに、これと同じものを僕買いま したよ、何でもう一個あるのですか。と尋ねました。骨董屋のおやじは煙草盆は2 個で一対のものなんだよといいました。へ−、それは知らんかった。ということで その文房具入になっていたのも、やはり1万円で頂いてしまいました。 今では茶道具屋さんで、煙草盆を一対で売っていることはありません。たいがい 1個だけです。やはりだいぶ昔のものなんですね。使い方としては、多分露地の待 合と席中に同じ煙草盆を置くのだと思います。これ以外の使い道はありません。待 合に出された煙草盆によって、その一会が解るという話しを読んだことがあります。 考えてみれば、招かれたお客さんがその日の茶席で、初めて接する道具が煙草盆な わけです。円座というのもありますが、これは気合いの入れようがあまりないもの だし。そうなると煙草盆というのは、そんなおろそかに考えてはいけないなという ことでしょうか。まあ、現代では正客の位置を示す程度の役割しか実際にないわけ なんですが、ただの煙草の箱にこれだけ手をかけた昔の茶人の美意識には脱帽です。 * 風炉釜 自称目利きの魔可不思議堂のじいさん。名古屋の国際センタ−ビルの北手に、四 間道(しけみち)とい古い町並みの通りがあります。この通りの南のとりつきの橋 のたもとに、この店はありました。名古屋城の辺りから、一度ぶらぶら歩いて見た れと、この古めかしい通りまでやってきました。この時はここが四間道だとは知り ませんでした。魔可不思議堂、こりゃなんの店だと覗いてみると、どうも喫茶店の ようです。そして何よりも気になったのは、店先に茶道で使う風炉釜が雨晒しにな っていたことでした。 ともかく中に入りコヒ−を頼みました。店内は古めかしいもので一杯です。客は 小生と他に数人だったと思います。70近いじいさんがコヒ−を持ってきてくれま した。その時に何か一言二言、話したのだと思います。もう5〜6年前のことにな りますか。何をどう話ししたのかは覚えていませんが、自称目利きだという。熱田 神宮にいる友達に、名古屋に目利きが1人いるという話しを聞いていました。その 人かなと思いました。しかし、だいそれたおやじだ。自分で目利きと言うのだから。 1ヵ月程たって、その友人といっしょにもう一度いってみることにしました。ま だ風炉釜はそのままで、中には雨水さえたまっていました。風炉釜は手垢がつくの も嫌って、裏側に手を回し持ったりします。あの釜あんなんでだいじょうぶなんで すかと聞いてみました。本当にいい釜はだいじょうぶ、だいじょうぶ。水も腐った りしてないでしょ、ぼうふらも湧いてないでしょ。なる程中の雨水はきれいなまま です。そして店の中に貼ってあった茶会のポスタ−を指差し、こりゃひどい釜を使 っているといいました。 そんなにいい釜ならわけてもらえんだろうかと切り出しました。じいさんは、そ んな人が現われるのを待って店の前に置いておいたのだと、釜をとりにいきました。 そしてみるからに重量感のある五徳としんちゅうのかんつきを店の中から取り出し、 全部で1万5千円でどうか。このかんつきだけでも5千円するよといいました。交 渉成立です。釜の箱などあるはずもなく、釜の中を乾かし新聞紙でくるんでくれま した。風炉釜の形は富士山の形をしていて、富士釜といいます。この釜はそれ以後 ずっと毎月の月釜で使っていますが、錆一つきていませんね。ちなみに。 その後、友人も持参した軸をみてくれと出しました。このじいさんは昔骨董屋を やっていて、今は店にきた客の求めに応じて、ただで鑑定しているとのことでした。 じいさんは先ず表具の善し悪し、紙やきれの年代を見ているようでした。次に軸に 書いてある文字を見て行きました。一応その軸はさる骨董屋から由緒なんか聞いて 買ったらしいのですが、じいさんはまあいいものじゃないですかと意外にそっけな い反応でした。友人は本当に分かとっるのかという顔をしていました。その時、小 生は見る観点が違うな。理にかなった見方をするなと思いました。 友人はさらに幾つか出して、見てもらっているようでした。はたでその様子をみ ていた男が、腕時計を外してこれロレックスなんだけどとじいさんの前に差し出し ました。拡大鏡で数秒見て文字盤が違うよ、これ。え−、こんなものまで鑑定しち ゃうの、全く恐れ入りました。この話しは、テレビの "何でも鑑定団" が始まる以 前のことです。じいさんの見方はなる程、テレビに出る鑑定士と同じだったという ことが今になって分かります。それから2年ぐらい経って、車で近くを通りかかっ たので寄ってみると、店は締められて全く人気がなくなっていました。あの時、2 階からゴホゴホと降りてきた様子から、いってしまったかな−と思うのです。 * 風炉先屏風 だいぶのこと風炉先を探していました。これはと思うようなものは少々値がはり ます。20万円から30万円といったところですか。よく4〜5万円で茶道具売り 場には並んでいますが、全然駄目です。何がって、品がないのです。そんなことで、 買えずにずっといました。そうですね。今から7〜8年前でしょうか。いつものよ うに月釜をかけるとて、方丈にいったら風炉先が置いてあるではありませんか。そ れは、住職と知り合いの絵描さんの弟さんが、使ってくれと持って来て下さったも のでした。その弟さんは、表具屋さんをやっておられて、花祭りの時の茶席に来ら れた方でした。風炉先は利休型のとりのこをはったオ−ソドックスなものでした。 その後、何本か掛軸を頼みました。そしてついに風炉先を注文することにしたの です。まさか表具屋さんに風炉先を頼むとまでは考えていなかったのですが、持っ てきてくれた風炉先のできばえもりっぱなものです。既成品で20〜30万円使う なら、この表具屋さんに頼もうと思ったのです。出向くと、表と裏に使う和紙を幾 つか用意していて下さいました。表は京都の唐長の表流好みの柄、裏は紺の小原和 紙に金箔を散らすことにしました。枠は真塗です。形は夏も使えるように、サイズ は利休型で、腰の低いものにしました。そしてせっかくだから、今の畳から少しは み出るものの、京間の寸法にしました。 さてこれでいつできるやら。半年ぐらい経った時に、これから枠の塗りを京都に 出すのだけど、何と真塗は8万円ぐらいかかりますとのこと。以前出された時は3 〜4万円だったとか。真塗は手間も暇もかかり、また職人がやはり減っているそう な。そのため何年かの間に、ぐっと高くなったとのことでした。ここまできて後に は引けません。やってくださいの一言です。さあその塗りだけで3ヵ月ぐらいかか ったでしょうか。花祭に直前になり、できましたと連絡を頂きました。思った通り のできでした。いや、うれしかった。 それにおまけがつきました。腰の低い風炉先のため、和紙が余ります。それで枠 を女桑にして、もう一対作ってくれていたのです。真塗の方は改まった時に、女桑 の方はお稽古に使われたらどうですか、良かったら女桑も使って下さいと。願って もないことです。さてお代は30万円ぐらいなるかなと覚悟していました。それが その半分でいいですと言われる。それでは全く材料代だけじゃないですか、もう少 し取って下さいといいましたが、取りませんでしたね。結局、お寺への奉納価格と なったわけです。 唐紙のいいものがどれぐらいするものか調べてみました。唐長の唐紙もそうです が、安くて1枚2万円はします。それに本物の手漉きの和紙も何千円とします。や はりそれだけの材料を使い、手抜きいっさいなしの仕上がりは違います。きらっと 光る品が出ています。裏の小原和紙は、ややもすると工芸的になりがちですが、微 妙なところで収まっているようです。ちょうつがいは鹿皮の違い組みで、裏も使え るようになっています。普通はきれでたいがいやってあるものです。ちょうつがい はどうするかなんてことまでは、気にも留めていませんでしたが、さすが職人の技 です。きれだと全体の調和が少しくずれたような気がします。大したものです。