■ 料理を出そう 旬の材料で 料理を出してみよう 懐石料理 それ以前の話し ステーキ屋 * 旬の材料で いつの頃からでしょうね。こうも食材が氾濫するようになったのは。小生が子供 時分、そうもう30年以上も前になるのですか。当時は、野菜や魚などは旬のもの しかなかった。20年ちょい前でもそうだったかもしれません。冷蔵庫も今となっ てはえらく旧式なもので、重たくて小さいものでした。冷蔵庫の中にはあまりたく さん入っていなかったような気もします。それにまだビニ−ルなんてものはまだほ とんどなく、魚屋さんでも、新聞紙に魚をぐるぐるまいいて、買い物かごに入れて くれたものです。 いや−こんなことを書いていると思いだすな−。子供時分近くに線路がありまし た。その線路ぎわに市が立つのです。なんでもありました。店の場所は大体決まっ ていて、魚屋さんがその一番端にでていました。市が立つと面白くてよくうろうろ しに行ったものです。魚屋のおじさんやおばさんは威勢よく、いつも人だかりがし ていました。まだ子供だったのでよくわかりませんでしたが、かなりエッチな話し もしながら、勝手に買い物篭に奥さんこれも買っていッてチョ−、ご主人もこれで 今夜はバッチシよ−なんてことを言っていたと思います。 昔はともかく旬の材料しかなかった。野菜や魚は近郊でとれたものしかなかった。 田舎の方に行けば、まだそんなんでしょうが、もう都会では旬かどうかも、どこの 国でとれたのかも分からない。旬の材料を求めることはかつて当り前だったことが、 現代ではとても贅沢なことになってしまいました。しかしこのようにいつでも季節 外れのものが手に入るというのは、一面便利ですが、なんか大切なものを失ってし まっているような気がしてならないのです。人は待って、それがやっと手に入った 時の喜びはかけがえない思いになります。 * ともかく料理を出してみよう 懐石料理だとか点心だとか固いこと考えずに、先ずおもてなしとして料理を出し てみようではありませんか。懐石料理をちゃんとした料理屋さんに頼めば、数万円。 点心でも5千円はかかります。自分らで作れば材料代だけというものです。何か現 代では、一般家庭でもおもてなしの食事というのは、外食することだと思い込んで いるふしがあります。洒落たレストラン、寿司屋、会席所などへ人を連れていくの がいいのだと思っているようであります。本当は違いますよ−。お客さまのもてな しの一番は、家庭の料理なんです。手をかけてその家の料理を出すことこそ最高の ごちそうなんです。まさに懐石料理の原点はそこにあります。 小生のところでは、年に1回ぐらい手料理でお茶事らしきことをやります。一応 中立ちもしてもらって、鐘も鳴らしたりします。注、広間での茶事は鐘を鳴らしま す。楽しいですよ−。そりゃ亭主側が面白いに決まっています。大変ですが。使え る材料は精進ものだけ。なんせ釜をかけているのが、曹洞宗の禅寺なもんですから。 限られた材料でどう料理して、盛り付けの器は何にしようかなどと、いろいろ考え たり、試しに作ってみたりするのはとても面白いです。野菜はお寺で自給自足して いるものを使います。ですから小生の場合、お金をかけようとしてもかけるところ がないのです。安上がりでしょ−。 そうそうこの野菜の話しをしておかなければなりません。実は野菜を作っている のは、京都の大徳寺や建仁寺で十数年、修行されたアメリカ人の方が、すごいパワ −で完全無農薬で作っているのです。もとはお寺の荒れ地を開墾して、堆肥を山の ように作り、これだったらコンクリ−の上でも畑になるぞと笑っていました。小生 は、その荒れ地からごろごろ出てくる石を片付ける役目でした。二人でよくやった ものでした。そして、大根がうまそうに首を出してきて、きゅうりなんかそれこそ 瓜かと思う程大きくなって。にんじんも甘かったな−。そんな訳で、これを皆で食 べずしてどうする、料理を出そうと自然とそうなりました。 * 懐石料理 だいぶ前、熱田神宮で料理長をやっておられる方とお話しする機会がありました。 熱田神宮に友達がいると "目利き" の話しでしましたが、その友人に誘われて3人 で一杯飲んでいた時のことです。初対面の小生に、君は茶道をやっておるらしいが 懐石とはどういうものだ、と尋ねられました。本の受け売りで、懐石とは修行僧が 空腹を紛らわすため、温石を腹に抱きかかえた、そのようなものだと答えました。 一応は、こいつ分かっているなという顔をされ、温石を腹に抱きかかえて腹がぬく とまる。そのように出す料理だと私は思っていると返答されました。微妙な違いで すが、料理人という立場から確かにそうです。考えが浅はかだったと思いました。 残念ながらその方も、西方へ旅立たれています。もし少し話しをお聞きしたかった。 昨今の料理屋さんは、案外容易に懐石料理○×と店の名前をつけたりしています。 出てくる料理は、値段が高い程多くなるという寸法です。ただの会席というより懐 石とした方が、なんとなく高級感がある。それだけの理由のようです。先にお話し したように、こんなのは懐石料理でも何でもありません。本当の懐石はお茶事の中 で出される料理なのです。お茶事のメインのもてなしは、一服の濃茶にあります。 この濃茶をおいしく召し上がって頂くため、空腹ではなんだから、腹7〜8分目の 軽い食事を出すのです。これが懐石料理なのです。以前、表千家の辻留さんに無謀 にも懐石料理を食べさせてくれと、電話したことがありました。すると茶事はどこ でやるのかと尋ねられました。そして料理を出す店はありませんと。その時初めて 懐石料理の意味が少し分かったのでした。辻留さん、大変失礼致しました。 まあ、こうして一つ一つ恥を掻きながら茶道というのは覚えていくのでしょうね。 本なんかだけでは分からないことがたくさんあります。ついでに懐石料理が実際ど ういうものか、少しばかり書いておきましょう。先ずはでな演出はないということ。 刺し身を盛るのに氷のかまくらに入れたり、氷の上に置いたりはしません。こんな ん、よく旅館でありますよね。それに醤油なんかも卓上には置いてありません。漬 物なんかには少し醤油はかかって出されます。鰻の蒲焼きでも出た時に、山椒がな いよなんてことは言ってはいけません。料理は全部、食べれる吸いきれるように出 されるはずです。そんな酸っぱいものとか辛いようなものは出ません。そして会席 と絶対的に違っているのは、最初にご飯が出てくること。会席は最後ですが、これ は酒が主なのかごはんが主なのかということなのです。懐石はごはんなんです。 * それ以前の話し さっき会社の友達に借りた "買ってはいけない" という本を読んでいました。最 近話題になっている本です。いやー、結構過激ですね。もう安全な商品なんか数え るぐらいしかないという感じです。しかし実際そうなのです。アトピーが蔓延して ますが、普通にスーパで買い物して食べていれば、誰だってアトピーになる。なら ない方が不思議だったりして。いつでも何でも手に入るということは、それだけ何 らかの添加物を混ぜているわけです。悲しいかな、この自分だってそういうものを 食べている。Sugakiya のラーメンは、時たま無性に食べたくなる。 マクドナルド のハンバーガだって食べたい。ついついカップヌードルも食べてしまう。もう現代 病と言ってもいいかも。これだけじゃありません。スーパの加工食品は全部、添加 物が入っている。微量なら体に害はないといっても、毎日のことですからねー。 旬のものを手作りで。これ懐石料理の基本です。懐石料理を習ってますという女 性からのメールも頂いたことがあります。そんなことはどうでもいい。毎日が大切 です。毎日の食卓のお惣菜は家庭で作るものです。スーパで合成保存料を使ったお 惣菜をテーブルに並べることではありません。天ぷらだって、家で揚げてあつあつ を食べてこそおいしいのです。魚は切り身にしたパックを買ってきても、ちっとも うまくありません。話しによると烏賊の切り身なんか、東南アジアで加工したのを 輸入しているらしいです。スーパにあるものは、ほとんどいかにコストを切り詰め て、かつうまそうにするか苦心した産物といってもいい。お魚は魚屋さんで買いま しょう。野菜は八百屋さんで買いましょう。小さな良心的な昔からのお店で買いま しょう。エプロンして買い物かご下げて、町の市場に行きましょう。 昔はお米を買うのに政府発行の通帳がいった。今はどこでも買えますが。母は近 くのスーパで米を買っていました。それがどうもおかしいのです。母が子供自分な ら鳥の餌にしていた小米が入っているのです。たきむらが出来ますから、それはう まくないのは当然です。それでちゃんとしたお米屋さんで買ってみようよと、僕が 勧めました。今のお米屋さんでも、小米が混じったのは売ってました。しかしちゃ んと説明してくれました。最後に、米は米屋で買って下さいと店の主人はいいまし た。あらためてそうだよなー。昔は米屋さんで買っていたよなー、と思った次第で す。魚屋さんは、ちゃんと見つけました。安城の会社の近くなんですが、三河湾か ら揚がった新鮮な魚を並べています。パックにした魚なんか一つもありません。何 を食べてもうまいです。もう、店の兄ちゃんと顔なじみなったので、向こうもおか しなものは勧められませんね。 ところで小生の住んでいる所は、それは少女漫画に出てくるような瀟洒な街です。 歩いて5分のところに大きなスーパがあります。それでも歩いて買い物に行く人の 姿はほとんどありません。皆、車で買い物に行くのです。エプロン姿ではとてもや 行ける雰囲気ではありません。子供は皆ベビーカーに乗せて、たすきがけでおんぶ している姿なんか見たことがありません。毎日の買い物にそんなお洒落してどうす る。どうも今の女性というのは、家庭の主婦という響きを無いものにしようとして いる。そんな風に思えませんか。でもテレビでは、人情あふれる旅の番組が好きだ。 露天のおばさんで、おまけしてくれるようなシーンは好きでないのですか。それは 日本国中どこでもありふれた光景だったのです。それをだめにしているのは、車に のって、どっちが娘だか分からない格好して買い物に行く主婦そのものではないか。 どうか、今日はどの魚がおいしいと、スーパの店主らを捕まえてやって下さい。 せめて茶道を志す人は。それが懐石料理、心のこもった家庭料理を作る一歩にな るのです。お茶人さんというのは、辛口でなければなりません。鯛でもないのに鯛 だと言って売るような店があれば、コリャどう見ても鯛には見えませんがと、やり こめないかん。生秋刀魚だと言ってたのが、塩秋刀魚だったりしたら文句の一つも いうべきです。京都の錦市場の魚屋で、鱧を買ったことがあります。それはうまか った。吸い物と天ぷらにしました。名古屋でもあちこちで買ってみましたが、まる でうまくない。やはり京都のように舌のこえた、口うるさいのがいないからこうな んかなと思いました。魚のことばかり話しましたが、お茶のまんじゅうだって同じ です。いつも買うところで、二回ほどたらたらの時がありました。多分修行からあ がった息子さんが作ったのだと思います。次ぎに買いに行った時、こないだのはお かしかったです、と小生は言いました。口やかましいというのは、文化を育てるこ とです。少々嫌われ者になるぐらいの覚悟は茶の湯者には必要だと思うのですが。 * ステーキ屋の話し ひょんなことからステーキハウスで食事することになりました。表から見たとこ ろ普通の瀟洒なレストランでして、適当に何かとればいいやと思いました。ところ がコースものしかないのです。最低でも5千円です。あちゃー、こりゃとんでもな いとこに入ってしまった。でも後の祭りでして。と、ここまで書いてまさか一人で という?。いえちゃんとお連れさんがいました。でもご安心を仕事の話しなんです。 初対面だったので、成り行きそんな店に入ってしまうことになったのです。まあ出 てきたステーキがうまかったら、何もここで書いたりはしません。何か前菜やらご ちゃごちゃ一杯出てきて、いちいち何とか何それでございますと来るわけなんです。 テレビでよくやってますけど、いちいち説明されるとうっとうしいです。外での食 事は、食事を媒体にしたコミュニケーションが第一義です。 やっと肝心のステーキが出てきた時には、もうお腹が8分ぐらいふくれてしまっ ていました。お相手の方はもう残していました。それからまたライスが出て、デザ ートの盛り合わせにコーヒーです。もったいないから腹にねじ込みましたが。一体 何を食べたのか分からないです。ステーキはさいころ状に切ってありましたか。5 千円も出して、何だかもったいなかったなーと思っちゃうのです。どこがいけない のか。ステーキ屋ならステーキ屋らしく、前菜の後すぐにステーキをもってくるべ きなのです。腹がいい加減ふくれてから出して一体、どうするというのだ。へたな ものようけ出すなら、これはおいしいというお肉に回すべきなのです。なんかスー パで買った肉を自分で焼いた方がうまかった気がします。 ここの店主が茶道で懐石料理を少しでも勉強していたらと思うのです。あんなお 子様ランチ的な出し方はしなかったはずです。どれを今日はメインで食べてもらい たいのか、自分の店は何屋なのか、考えるはずです。また何のためにお客さんは食 事に来るのか。考えて欲しいのです。翻ってみれば尾西の元木さんは行き届いてい るなーと思います。十三夜の会では、必ず鮎の甘露煮は出される。これはというも のを一つもってらっしゃる。平成十年の会では、お料理がかなり多く出ていました。 ちゃんと残りは詰めて持って帰れるように、折りと手提げ袋も用意されていました。 どうも最初からそのように計算されていたようです。お家の方にも、おすそ分けで きるように。そこいらの料理屋、食い物やとはまるで違う。本当のおもてなしとは 何か勉強してもらいたいものです。そうすればもっと繁盛するんじゃないですか。 もう一つ、名古屋の伏見にあるホテルのステーキ屋のことも書いたろ。3千円も 出して鉄板焼というのを頼みました。一度目の前で焼いてくれる鉄板焼というのを 食べてみたかった。最初に野菜を焼き始めました。それが何と、ししとう1個に人 参の薄いの2切れ。後何やらちょっとあっただけ。肉は3センチ四角ぐらいでした か。何故かにんにくのスライスだけは丹念に焼いているのです。それからほんの一 握りのもやしとパンを、まただいじげに焼いて、先のにんにくを乗せて食べるのだ そうです。焼き物の前後には、付け出しみたいなものがやはり幾つか出ていました。 これも何食べたらやら。野菜ぐらいどーんともってきて焼いてくれといいたい。お かしな付け出しはいらない。小生が食べ終わる頃、恰幅のいい外人さん達が何人も 入って来ました。こりゃあの人達にとってはおやつだぞと思いました。名古屋でも 屈指のホテルでこれです。情けなくなりました。