『 徳林寺・花まつり茶会によせて 』 平成十五年、三月二十四日 戦争が始まってしまいました。はるか遠い国でのことが、まるで隣で起きているか のようにテレビで刻々と映像が映し出されます。21世紀が始まったばかりのこの時 に、こんな哀しいことで幕開けになるとは、何て人間は愚かなのかと思わずにいられ ません。正義という大義名分、神の御加護をという台詞、千年二千年に渡って唱え続 けられた文句のような気がします。小生はいかなる理由があろうとも、戦争には反対 します。憎しみは憎しみを呼び、悲しみは悲しみを呼ぶだけです。一度、刻み込まれ た憎悪は世代を越えて何百年と伝え続けられます。まるで、地獄の釜の蓋をアメリカ はわざと開けてしまった。それに同調した日本も同罪です。多分、こうした哀しみの 日というのは、そんなに大仰でなく、潮干狩りでいつの間にか海水が足元まで満ちて きていたような。野党だって、もっと国会で問題を大きく取り上げるべきでないのか。 テレビだって、くだらん民法の番組なんか止めて、識者を出して討論さすべきでない のか。第二次世界大戦の時のように言論統制がなされているのでもないのに、静か過 ぎはしないか。阪神大震災の時、隣の大阪では何事もないかのにように人は闊歩して いた。それと似たような感覚がするのです。 茶道をやる者として出来ることと言えば。こうしてささやかながら反戦の意志をそ れぞれが示すこと。そして常のように釜を懸け隣人を迎えて茶を勧めること。それだ けです。決して大上段に構えて平和だーと叫ぶつもりはありません。茶道はスローガ ンではなく、日常の中でのもてなしの実践にあるからです。人をもてなすには憎しみ あっていてはできない訳で、嫌だと思う人でも十人十色、許す気持ちが必然的に必要 になって来る訳です。茶道のお家元が世界平和だかんだ言わなくても、個々のお茶人 さん達が小さな平和を心の中で祈れば、それはそれで大きな力になるのでないか、そ う思うのです。イラク戦反対大茶会を開いて皆に呼びかけよう、イラク戦後復興チャ リティ茶会をやろう。今の自分達に何ができるか考えた時、このようなことを思い浮 かべるかも知れません。少なくとも、そういうことにも小生は賛成できません。茶道 は本来、極めて個人的なものであって、そんな組織が関与すべきことではないと思う からです。組織は組織化されたと同時に組織としての目標ができてしまいます。得て して、組織はそれ自体が人格を持ち、憎しみを招く元になる場合があるのです。先ず は身近な人をもてなすこと、それが先決です。 それがいわゆる敵対する人であっても呉越同舟、敵味方区別なく、さあ一服どうぞ というのが茶道だろうと思うのです。いかなる場面でも変わることなく、心の奥に秘 めた信念でもって、さあどうぞという。それは身分の上下、地位や名声といったもの にも囚われることのないものです。絶対的な価値観です。普段のように釜を懸け、茶 を点てればいいことなのですが、それが実際はそう簡単なことではないのです。身近 な例を出すならば、ここ徳林寺のある場所は名古屋市内でありながら自然環境に非常 に恵まれています。そのためか自然保護に熱心な方がたくさんいるのです。ちょうど 愛知万博の海上の森が問題になり始めた頃、ある方がお茶室で反対うんぬんを話し出 したのです。ここにいる人は皆、海上の森は守るべきだと思ったのでしょう。確かに その場では皆そうだったと思うのです。しかし小生は適度なところで話を切り上げさ せました。そして後で、茶席では似つかわしくない話だと窘めたのです。実は前後し て、万博開催地の土地買収に当たっていた人が家族にいる方が、茶席に座られていた のです。その方はまるで悪気はなく、聞いた土地買収の苦労話をしてました。利休百 首の一つに政治や人の悪口、噂など茶席では控えるべしという格言があります。 危うく茶室で論争という戦争が起きるところでした。この格言は、まさに戦国の時 代にあった利休自身の生身の言葉のように聞こえます。近年、利休が作った待庵が朝 鮮の民家の影響を受けていると紹介されます。利休の周辺にはたくさんの朝鮮からの 渡来人がいたと思われます。その朝鮮に出兵しようとする太閤秀吉に利休は背き、自 刃、木像磔刑になった。利休自刃の一説です。小生が想像するに、利休は秀吉に黒の 茶碗を出すことによって無言で、その意志を現したのでないか。黒茶碗はまさに渡来 した朝鮮人の陶工、楽氏によるものです。それが茶人として、ぎりぎりの抵抗であり 表現だったと思うのです。そして利休は秀吉に対し、何の申し開きもせずに死んで行 った。座右とも言うべき人間を失った秀吉は、結局のところ利休の無言とも言うべき 抵抗に敗れることになってしまう。一見穏やかに見えて、すさまじい生き様だと思い ませんか。茶の湯者の覚悟とはこういうものか。決して声高に反対賛成を唱えるもの ではない。感覚を研ぎ澄ませ、平時にあっても美醜、正邪を静かに見分けていること。 今の時代、ここ十年前後は時代の変わり目ということで、利休の時代とよく似通って いるのでないかと思うのです。変化はいつの間にか静かに進んで行きます。世の中の 一挙手一投足を、茶道の稽古で培った目で注視したい。 もし今、利休の立場で世界の平和に対してできることがあるとすれば。映画、千利 休の中で"死"一語の掛け軸の場面がありました。それこそ今の日本、世界の指導者を 皆招き、まさにこの"死と"対面してもらいたい。敵、味方、意見の異なる者達、一つ の部屋に入り、茶を飲んで頂きたい。ミサイルや銃を刀掛けに置き、丸腰で座っても らいたい。茶は抹茶でなくても結構、心さえあればどんな茶でもいいではないですか。 そして我々にできることは平和を念じ、茶を点てるのみです。この徳林寺には、アジ ア各国から来た留学僧が現在も何人もいます。アメリカやフランスの人などもやって 来ました。そして彼らは皆、小生の茶席に座り、おいしいとお抹茶を飲んで行きまし た。極々自然に当たり前のように座っていました。これで、どうやったら喧嘩や戦争 になるというのか。請われもせず彼らの国まで出張って行って、おこがましくも日本 の伝統文化を広めよう。そんな考えも小生にはありません。向こうの国にはそれぞれ のお茶があるのです。来る人があれば抹茶を点てて進めるのみです。このような考え は、いささか消極的だと思う方もいるかも知れません。繰り返しになりますが、茶道 はあくまでも個人的なものであって、日々の実践にあると小生は考えているのです。 さて、茶会の案内が今年はこんなようなことになってしまいました。脳裏にはまだ 青の洞門、和して同ぜず、数寄の心など言葉が浮かんでは消えしています。以前、あ る懐石所のご主人が話してくれたことが忘れられません。長良川河口堰に対する、い ささかの茶人としての抵抗ですと言って、五月鱒を料理で出された。小生も今回は一 人の茶人として、自分の意志を示すことにしました。それで料理が何か変わる、茶席 が何か変わるというものではありません。いつものように皆様をお迎え致します。た だ一つ、茶席では昨年新しく求めた瀬戸黒の茶碗をメインに使うことに致します。こ れまでずっと一つ欲しいと思っていたのが、このような時期に手に入ることになりま した。瀬戸黒の黒色には、深い暗黒の中に灯明がほのかに見えるような気がしません か。平和への祈りを心に込めて、使わせて頂こうと思います。さあ桜もぼちぼちです。 花は花、茶は茶。人間、美しいものを見たり、おいしいものを食べたり、いい音色を 聞いたりしてこそ優しくなれというもの。どうぞ、おいしいお抹茶を飲みにおいで下 さい。来山お待ちしております。 花まつり茶会 − 四月五、六日 方丈にて 一服三百円           徳林寺・茶道指南 加藤 一見