『 徳林寺・花まつり茶会によせて 』 平成十七年、三月二十三日  ずばり今年は書くことがない。昔はこの一文でもって十通以上、案内を出していた のだが。まあ今となっては自分自身の覚えみたいなことになってしまっていて。そん な訳で、徳林寺でのお茶のやり方についてなぞ書き連ねてみようかと思う。つまり表 千家の流儀でありながら年々、徳林寺流になってきていることである。先ずは小生の 持論から、流派がごまんとあるのなら、それぞれ家庭でのやり方があっていいのでな いか。お家元や各宗匠がこうしているからそうするものだという習い?、伝統?。貴 方はお家元とご親戚なんですか?。それに一体誰を茶でもてなそうというのか。名古 屋のさる茶家に集う名士の会に一度座ったことがある。それはそれはハイクラスの集 まりで、しっかりお家元の伝統を踏襲し、気持ちのいいものであった。それは社交場 やサロンと言っていいと思う。確かにそういう世界もある。でも普通には身の回りの 人に茶を出して欲しい。先ずは身内、ご主人やお子さん達のために茶をやって欲しい のである。自分だけおいしい茶やら菓子、それに懐石を食べてどうする。  いかんいかん持論を展開していては前に進まない。徳林寺流お点前その一から始め るとしよう。茶を点ててもてなすことは、道具などの話もあるが、先ずは点前を披露 し見てもらうこと。お点前は決して歌舞音曲の類と同じく見せる聞かせるものではな い。しかし稽古に稽古を重ねて来た結果、無駄を排した所作でもって一瞬の無を主客 共に楽しむ。あるいは釜の湯が沸く音を静かに耳を傾ける。そうした一時が何とも貴 重だとは思いませんか。そんなことで点前を始めて最初の茶を正客が飲むまでは、黙 の時間としたい。それまでは黙って点前に集中するのである。亭主は茶室に入ったら 一旦襖を閉め、半東もしばらく経ってから入ってもらうのである。最初からぞろぞろ 亭主、半東に後見人と座ったりはしない。小生のところはそもそも大した道具はなし、 ならば点前でもてなすしかないではないか。さて一服飲んで頂いたところで、点前を する亭主自ら客に話かけることにする。後は点前をしながらざっくばらんにすればい いではないですか。そして点前の終わりは、また静かに座を下がるというものである。  そもそも最初の挨拶はどうするか。小生のとこでは常の稽古でも、どうぞご挨拶か ら始めて下さいとしている。それはそれは丁寧に時候の挨拶から始められる方もいる。 改まって挨拶されると何とも面映い。またある男性陣は俳句を考えてきて披露してく れる。非常に楽しい。この場合の客は常連さんであったりお寺関係者なのだが、実際 どなたがメインゲストという訳ではない。花まつりの茶会でも大方そうで、ぞろぞろ 茶券を持って入ってくるだけである。そこで無理に正客を想定して、ようこそおいで 下さいましたと言うのはいかにも不自然な気がするのである。で、こういう場合は一 礼して席に入り、お客様全員に対してご挨拶をすることにしようでないか。主客とす べき人が実際来られたら、自然とそれに対する挨拶になるものである。去年の花祭り に遠方から親戚の人がわざわざ来てくれた。その人は茶道はまるで知らない。でもお 互いごく自然に主客の挨拶をした。だから、ご挨拶は先ず主客にして次に連客うんぬ んなどというお約束は忘れてしまった方がいい。  後、幾つか細々したこと。拝見物を正客が取りに出るタイミング。これは若い時分 に習ったことなのだが、当の先生は忘れている。亭主が道具を下げ襖を開け立つと同 時に正客も立つこと。花月なんかでは揃って動作する場面があるらしい、そんな感じ ですがすがしくも思う。拝見での茶杓の銘は何か考えてきて言うこと。即中斎作銘は 清友、こんなお決まりはダメ。一つメッセージを込めてみてもいい。男女で稽古して いれば、いつしか恋心も生まれようというもの。正客になった相手の目を見て春の訪 れとでも言えばピピっと通ずるものがあるかも知れません。もっとも小生のとこには 銘のある茶杓は一本もないので、できる芸当なんですが。点前はあまり丁寧過ぎない こと、ごゆっくりしないこと。最近よそで同じ表千家の人の点前を幾つか見た、どう も丁寧なことが目につく。それとも自分の点前が早いのか、否そんなことはない。点 前が下手も上手でも何でも、そういうことを感じさせない点前が表千家である。ここ は、この流儀の最大の特徴であり全く異論はない。  もう一つ書いておくか。侘数寄常住、にちにちの事。せめて味噌汁は出汁をとって 作ること、これ本会に集うお約束にしたい。出汁の素の料理はどれをとっても同じ味、 さみしいー。病院の入院食みたい。こんなのを毎日食べているようでは、お茶の味も 懐石の味も分るものではない。出汁を取る手間を惜しむような人は、そもそも茶を点 てる準備なぞできないということである。茶道は究極の手間暇かけたおもてなし。そ れ故に一服のお薄を頂くだけに新幹線乗ることもあるというもの。先日、晴れた日に 母と畑を耕し、小豆の種を蒔きました。茶花用にと畑の畝をもらったのですが、まる で日陰なしのところでは花はちとしんどい。ならばと茶で使う饅頭の餡の元を作ろう。 今時餡子を炊くのさえ珍しいことなのに、小豆から作るなんてのはないぞ。お茶の木 もどなたか持ってきて植えていました。銭はかからないけど、手間はかかる。これこ そ徳林寺の流儀。夏場、小豆に水遣る半東を一名求む。出汁の味噌汁作る小生の半東 求む。家庭のお茶の肝心要は夫婦でやること。小生、頭で分っていただけであった。  花まつり茶会 − 四月二日三日 方丈にて 一服三百円           徳林寺・茶道指南 加藤 一見