『 徳林寺・花まつり茶会によせて 』 平成六年、三月、二+三日 正月の書き初めに、十年一日という言葉を書きました。それから雪がたまげたげに降 り、春一番が吹き、今はもう梅の花がまっ盛りです。そして四月になり、花まつりとな るのです。四月は仕事の面でも、生活の面でも色々ある時期です。特に今年はここ昨今 の不況で、職を失ったり、子会社に飛ばされたりと、失意の四月になる人も多いのでな いかと思います。こんな時、茶道は無力です。しょせん金持ちの道楽、暇人の遊びでし かない。そう言われても仕方のないところがあります。都合のいいときだけの友達、旗 色が悪くなってくると何の役に立ってくれるものでもありません。茶道とは一体なんな のでしょうね。 ひょっとするとその一つの答えが四国にあるのでないか、何年か前からそう思ってい るのです。花まつりの前に室戸岬から海亀のくる日和佐まで、四国霊場を歩いてきます。 何百年もまえから八十八ケ所巡りというのが、連綿と伝わってきました。自分の祖先が 歩いた道を、自分もまた辿って行く。私は四国の新居浜に生まれました。母親から四国 遍路のことは、子供時分からよく聞かされました。母の子供の頃には、ぼろをまとった 親子連れなんかがよく家に泊まったそうです。それはお遍路さんなのか、ただの乞食な のか分からないいでたちだったそうです。しかし祖母はだれ分け隔てなく、来た者に米 を渡し、ごはんを振る舞ったそうです。これは四国の言葉でお接待といいます。 私が最初にお参りに出掛けたのは七年前なりますが、お接待なんて言うのはもう死語 だと思っていました。ところが現代でもしっかりと生きていたのです。行く先々のお寺 で道中でお接待を受けました。それは微笑みであったり、励ましの言葉であったり、み かんやジュ−スの差し入れであったりしました。四国のすがすがしい山の空気とともに、 心が洗われる面持ちが致しました。お接待は全っく無欲の施しです。自分の代わりに参 って頂いている。人に施しをすることにより自分も救われる。一応そういうことになっ ていますが。もしそのように解釈するならば、祖母の施しが世代を超えて私に返ってき た。そんなことになるのでしょうか。掛け値無しで人をもてなす心が、お接待の心の中 に何百年も前から自然に生きていたのです。 茶道の第一要件は人をもてなすことだと思います。どうでしょう、実際のところ本当 に掛け値無しと言い切れるでしょうか、お寒い限りです。たぶん茶道が趣味の範疇であ ったり、何々道という枠にある間は、真にもてなすことにはならないのでないか。茶道 はあくまでも、ある約束事の上での遊びでしかないのでしょうか。禅に喫茶去という言 葉があります。寒いところをよくおいで下さった。さっ、とりあえず一服お召し上がり を。そんな風につかう言葉だと聞いております。この喫茶去とお接待、合通じあうとこ ろがあるとお思いになりませんか。さっ一服には十年たとうが百年たとうが変わらぬ真 実があるように思うのです。 とかく現代は変化や進歩こそ真実であるかの如く、移り変わりの目まぐるしい世の中 です。私は仕事でコンピュ−タを扱っています。この世界、もう半年前の常識が常識で なくなっている。少し気を抜いていると、あっという間に過去の人になってしまいます。 とてもや十年後の自分を想像できたりはしません。ともかく最新技術を追っかけて、突 っ走って行くのみです。現代にいきる人は多かれ少なかれ皆、こんな時代の潮流に流さ れていくのではないでしょうか。こんなとき、十年一日と変わらぬ姿をどこかに見い出 す時、何かしらほっとするのでないでしょうか。それはふる里の山であったり、子供の 頃よく行った駄菓子屋であったりするかも知れません。しかしそれとても山は削られ、 駄菓子屋はコンビニに変わっていたりするのです。一時の安息の地も、今では探すのに 難しくなってきました。 徳林寺の茶の湯クラブは、ともかく最終日曜に釜を掛けましょうと、今に続いていま す。十年たち、ふと思うところあって、お寺の山を登っていった。すると相も変わらず 湯が湧いていて、さっ一服どうぞと、喫茶去と。そんな茶の湯をやっていきたい。そん な安息の場所にしていきたい。そう思うのです。私は故郷を幼い時に離れ、四国で受け るお接待を、これからのお遍路さんに返すことは出来ないかも知れません。それならば せめてこの名古屋の地で、縁あった徳林寺で、釜を掛けるという形で返そうと思います。 今年の花まつりの茶会は四月二、三日です。あなたにとって、いっときの安息の茶にな れば幸いです。御来山、お待ちしております。          徳林寺・茶道指南  かとう いっけん