1993/12/15


英知の遺産に培う創造性

−ドイツ博物館と教育−

石 田 正 治


◆模索の時代に

次代を担う若人に、今、私たちは何を教え、何を伝えねばならないのであろうか。私の教育の専門領域は機械技術であるが、現代ように産業と社会がめまぐるしい変化していく状況の中では、一体何を教えなければならないのかと迷ってしまうのである。教科書に書かれている現代技術の科学と実技を教授することで十分なのであろうか。何か大切なものを忘れてしまっているのではないだろうかと危惧するのである。物質的豊かな生活を享受することに慣れて、生きることの哲学、技術の本質を考えるなど人間行動の態様を規定していく根源がゆらいでしまっているように思うのである。現代に生きることの自信、未来に生きる希望が持てるような技術教育が必要であろう。では、どこにそのポイントがあるのであろうか。
今日の社会、あるいは私たちの日々の活動と生活は、技術にあるゆる面で依存している。まさに、技術文明の時代といって過言ではないであろう。その今日の技術を真に理解するためには、いかにしてそのようになったのか、その歴史過程を知らなければならない。温故知新の故事が示すように、技術教育においても現代技術だけでなく技術の歴史を学び、技術に生きた人類の苦労と英知を知ることが、未来を展望する礎石となるに違いない。
技術史に関心をもって自身の教育に活かしたいと仲間とともに活動を始めたとき、教材作成の素材をもとめて欧州の産業遺跡や産業技術の博物館を見てまわった。とくに博物館はすばらしいものであった。産業革命の国、イギリスをはじめ、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアといずれの国も国立規模の産業技術と科学の博物館を持っているのである。ここでは、その中でも教育面の活動で特にすぐれていると思われるドイツ博物館を紹介しようと思う。

◆ドイツ博物館

ドイツ博物館
ドナウ川の支川、イザール川が南ドイツの州都、ミュンヘンの市内を横切るように流れている。旧市街の近くでは、川は分岐してやがてまた合流する。つまり川で囲まれて二つの小さな島ができているのである。そのひとつがムゼーウムインゼル(博物館島の意味)で、ここに、ドイツ最大の、また世界でも指折りの科学と産業技術の博物館がある。ドイツ博物館である。ドイツ博物館は、私には思い出深い博物館でもある。ミュンヘンに留学していた時代、博物館付属の図書館によく通った。そして、資料探索に疲れた時は博物館に足を運び、展示物を漫然とながめることで頭を休めたのであった。
ドイツ博物館は、電気技術者オスカー・フォン・ミラーの提唱により創設された博物館で、1925年5月7日に開館した。博物館の正式名称は、「科学と技術の最高傑作品のドイツ博物館」で、その名の通り、ドイツの各時代のすぐれた科学と技術の名品の数々を収集し続けて今日に至っている。博物館の1989年の年次報告書によりば、入館者は約140万人、その内の生徒数は約60万人である。展示の規模は、歩くと20キロメートルに及ぶと言うから、とても一日や二日ですべてを見ることはできない壮大な博物館である。博物館の収蔵点数は約10万点、その内の約2万点を展示している。展示は、あらゆる産業の科学と技術にわたっている。機械技術史に関しては、フォン・ブラウンのA4(別名V2号、1942)ロケット、最初の潜水艦U1(1906)、ゴットリープ・ダイムラーのモートール・ラート(自動二輪車、1885)とシュタールラートバーゲン(ドイツ語で鉄輪車の意味、1886 )、カール・ベンツの世界最初のガソリン自動車(1886)、ルドルフ・ディーゼルのデイーゼルエンジン第1号(1897)、ヴェルナー・フォン・ジーメンスの世界最初のダイナモ(1866)と電気機関車(1879)、ニコラス・オットーの4サイクルガスエンジン(1876)、リリーエンタールの複葉機(1895)などの名品がある。

◆ケルシェンシュタイナー・コレーク

ドイツ博物館は、資料の質・量ともに秀逸な博物館であるが、博物館としての教育活動がまた先駆的である。その中心となっているのがドイツ博物館の教育部門、ケルシェンシュタイナー・コレークである。コレーク(カレッジの意味)の名称は、数学者であり物理学者であったゲオルグ・ケルシェンシュタイナーに由来する。ケルシェンシュタイナーは、当時のドイツの教育改革運動の指導し、ドイツ博物館の創設者の一人であった。
ケルシェンシュタイナーは、ドイツ博物館の創設にあたり、博物館の理念と活動の基本について提唱している。彼は、博物館は単に資料を保存し研究する施設ではなく、同時に一般の人々に科学と技術の基本的な原理とその歴史的展開を可能な限りわかりやすく親しみやすく語りかける教育施設と位置付けた。展示は、「科学的、歴史的、芸術的、あるいは社会的な視点に関係なく、完全に教育的原理に基づいて編成されなければならない、すべては教育的視座に従わなければならない」としたのである。「教室で学ぶのは、言葉によるモノの輪郭であり、博物館では、モノ自身が仕事をするのである」とも彼は述べている。
1976年9月、ケルシェンシュタイナーの業績を称えて命名されたケルシェンシュタイナーコレーク(以下、コレークと略)は、教師を対象にしたドイツ博物館の教育部門として開設された。コレークは、ドイツ博物館を利用する教師のための補修教育機関で、対象は、技術や歴史の現役の教員、教育学部の学生、企業の教育担当者などである。コレークでは、まず受講者自身が博物館を歩き回って見ることに始まり、付属図書館での原著、原典の調査、教授法の研究、そして資料の復元や教材づくりを研修する。1989年の実績は、年次報告書によれば、コレークでは80コース、1712名の受講者が研修を受けている。次にそうした教師が生徒を引率して、博物館の展示資料をもとに授業を展開するのである。その教育的成果は計り知れないが、博物館が刊行している学習テキストを見ても、充実した内容であることが伺える。
技術は、モノづくりの世界である。だから、技術の教育は、モノを観察し、モノ(道具や機械)を使い、モノ(製品、作品)づくりの体験を通して行うのがよい。そのモノが、ドイツ博物館のように英知を集めた歴史的名品であったとしたらどうであろうか。教室での教師の話とはおそらく比較にならない、迫力と魅力に満ちた学習になるのではないだろうか。すぐれたモノの観察は、名画や名作の鑑賞だけでなく、技術の世界にも必要なことである。力学の原理やメカニズムの動く仕組みを理解するに止まらず、そうした歴史的に価値のあるモノとの対話から、新たな着想あるいは独創的な発見が生まれると確信している。今や、技術立国と呼ばれるようになった世界をリードする日本である。それに相応しい技術史の博物館があってしかるべきである。それは、また多大な教育的効果を生んでいくと期待される。ドイツ博物館のように教育を重視した、理論と実践を学ぶことのできる博物館の実現を切に望みたい。

(いしだ しょうじ・愛知県立豊橋工業高等学校)


This site is maintaind by Shoji Ishida. For more information about the this site, please write in Japnease, in english, auf Deutsch : ishida96@tcp-ip.or.jp


Copyright(c)1997 by Shoji ISHIDA   All rights reseaved. Update : 1997/1/21

0000 since 2007/02/01