愛知の産業遺産を歩く 1


徳 利 窯

−セメント製造黎明期の遺産−

The Tokkurigama

Old shaft kiln for make cement


石田正治

ISHIDA Shoji


 渥美半島の春は一足早く訪れます。そして5月はもう夏の陽気です。その半島の中央部に位置する田原町に、三河小野田セメント鰍訪ねました。会社の正門前には、奇妙な構造物が遺されています。道路側から見ると、上部は蔦と笹が生い茂り、その下、右側に煉瓦を積んだ2つの大小のアーチ、左側は大きなくぼみとなっています。背面に回ると、大きな煉互積みの円筒を2つ並べて立てたような形をしています。それはセメント焼成に使われた窯の遺構でした。竪窯の一種で、形が酒の徳利に似ていることから徳利窯と呼ばれました。その遺構がなぜこの田原町の地に残っているのでしょうか。
徳利窯の正面 (2004/03 撮影) Remain of the Tokkurigama, built in 1907.
●三河のセメント製造史
 田原町の三河湾沿いの山々は、石灰石を豊富に産出する鉱山であることが古くから知られていました。田原藩の記録では1691(元禄4)年に石灰の製造を認可したとあり、以後、石灰製造は藩の直轄事業として盛んになったのです。田原藩の石灰製造に注目した県令(今の県知事)國貞廉平は、明治になり家禄を失った士族救済のため、授産事業としてセメント工業を推奨しました。その士族授産の支援金を得て、斎藤實尭が東洋組の名で1882(明治15)年2月、田原村(現在の田原町)ニッ坂に工場をつくりセメント製造を始めました。しかし東洋組の経営はあまり奮わず、1888(明治21)年、事業は三重の実業家水谷孫左衛門に引き継がれました。水谷は、工場を現在の田原町豊島に移転、1880(明治13)年には5基の窯を築造しました。窯は山の傾斜面を利用して造られたため、初めは窯の項部がわずか2〜3尺出ている程度であったといいます。
 ところが水谷経営の時代も長く統かず、その権利は実業家渋沢栄一に渡りました。渋沢は1891(明治24)年に経営の一切を浅野總一郎に委託、三河セメント工場として再出発したのです。同工場が軌道に乗ったのは、同社の技師である坂内冬蔵と浅野喜三郎が製造技術の指導にあたったからでした。二人は共にドイツに留学し、ドイツ式の乾式法を学んでいました。以後、設備を順次拡張し、1894(明治27)年頃に窯二基を増設しています。その後、1898(明治31)年に工場は改組して三河セメント鰍ニなりました。1900(明治33)年には、この7基の窯を改造し、高さを45尺〜52尺に延長しました。この時、窯の外観は徳利のような形状になりました。さらに1907(明治40)年に、焼成能力160樽の徳利窯を南側に接続して2基増設しています。この増設された2基の下部が、冒頭に紹介した遺構として残されているものです。設計図が消失してしまっているので定かではありませんが、前述のドイツ式乾式法による徳利窯であったと伝えられています。
 遺構の窯の耐火煉瓦は煉石社製で、窯の厚みは1.25m、正面から見て左側の窯の最大内径約3m、左側の窯の最大内径は約4.9mです。炊口の半径は、左0.6m、右1.05mです。2基合せての幅は、約8mになります。
斎藤實尭

   解体中の徳利窯 Tokkurigama was scrapped for road-construction in 1936. 遺構の調査図(石田正治) 遺構の背面
 上の写真は、1936(昭和11)年、道路を造るために徳利窯を解体している様子を示すもので、遺構として残っている窯は写真の右端のものです。当時、第八号窯、第九号窯と呼ばれていたものです。徳利窯は、小野田セメント竃{社工場(山口県小野田市)に完全な形状のものが一基、日本セメント葛喧蜴i工場(今は事業所)に一基、そしてこの田原町の遺構が産業遺産として残されています。いずれも、草創期のセメント製造技術を語る貴重な産業遺産です。         (いしだ しょうじ・愛知県立豊橋工業高等学校)

一口メモ
■セメントの歴史
 セメントの歴史は、古代ローマで土木建築工事に使われたと言われるはど古い。近代的なポルトランドセメントは、1824年にイキリスのアスプディンが発明したと言われ、石灰石、粘土、酸化鉄などを高熱で焼き、溶け固まったものを粉末にしたものである。

■イギリス式とドイツ式初期のセメント製造法は、原料の石灰石を焼き、水を加えて消石灰とし、これに粘士と水を加えて混ぜ合わせ、それを徳利窯で焼くイギりス式の湿式法である。ドイツ式は、原料をよく乾燥させ、ミルで粉砕して粉の状態で混ぜてから、水を加えてレンガ状にして徳利窯で焼く。

アクセス
豊橋鉄道渥美線豊島駅下車、北西に徒歩20分。三河小野田セメント轄H場工門前、右手にある。


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