愛知の産業遺産を歩く 13


牟呂発電所遺構牟呂発電所遺構

−草創の灯はここから−

Industrial Heritage of the Muro Power Station

Electricity at an eraly stage.


石田正治

ISHIDA Shoji


 東三河の中心都市、豊橋市の市内を縦断するように牟呂用水が流れています。現在、冬の間は水は流れていませんが、5月から6月の田植えの時期ともなると用水は満面の水を湛えて、神野新田の水田を潤し、余水は用水流末樋門を通り三河湾に注ぎます。その流末樋門から約1.5km溯ったところに写真の赤レンガ造りの構造物が残っています。ここが東三河地方で最初の水力発電所、牟呂発電所の跡なのです。
 この豊橋で電気事業が始められたのは、1893(明治26)年3月のことで、同年、設立された豊橋商業会議所の最初の事業でもありました。福谷元治、三浦碧水、佐藤弥吉ら8名が発起人となって、豊橋電燈株式会社(以下豊橋電燈と略)の設立願を提出、翌年、杉田権次郎を社長として会社は設立されました。
 わが国の電気事業は、1887(明治20)年に東京電燈株式会社(明治16年設立)が照明用に一般供給したのが最初で、低圧の直流送電であったとのことです。豊橋電燈は電燈会社としては全国では14番目、愛知県では名古屋電燈株式会社(明治22年設立)に続いて二番目であり、全国的にみても比較的早い電気事業事始めでした。
 わが国の初期の発電方法は、いずれも火力発電で、石炭を炊いてボイラで蒸気を作り、蒸気機関を動かして、その動力で発電機を回して発電していたのです。発電機や蒸気機関は欧米から輸入したものでした。水力発電は、1888(明治21)年に宮城紡績に五キロワットの試験発電に成功したのが初めで、ついで1890(明治23年に下野麻紡績が実用の自家水力発電を行っています。電気事業としての水力発電は琵琶湖疎水を利用した京都市水利事務所の蹴上発電所が最初で、これは1891(明治24)年5月のことでありました。
 さて、豊橋電燈ではどうであったのでしょうか。豊橋電燈では、はじめから水力発電を計画していました。冒頭に、牟呂用水の遺構は東三河最初の発電所跡と述べましたが、実は、豊橋電燈が最初に発電所を造ったのは渥美郡高師村(現豊橋市)の地なのです。ここを流れる梅田川の水力を利用すべく、発電所が造られたのです。1899(明治32)年4月発行の『電氣之友 第百六十九号』によれば、三吉工場製のレッフェル式水車と2000V、15kWの発電機各1台という設備でした。この発電所は1894(明治27)年4月から開業しました。ところが水量不足で「点灯常ニ如意ナラズ」と思うように発電できなかったことが豊橋電燈第一回報告書に書き残されています。高師村の発電所は失敗に終わったのです。そこで完成したばかりの牟呂用水の水力に着目して、市内大西地区、遺構の所に発電所を建設することとなったのです。
 牟呂用水は、もともとは毛利祥久の事業になる毛利新田のための用水でありました。しかし新田は後の濃尾大地震や暴風雨のために堤防が決壊して壊滅してしまい、用水の水路や堰堤もまた壊れてしまいました。毛利の事業を受け継いだのが実業家の神野金之助です。土木工事を人造石工法で知られる服部長七に任せて、神野新田は1894(明治27)年に完成しました。同年、牟呂用水も樋門や水路を修復して完成しています。
牟呂発電所遺構 牟呂発電所は、その牟呂用水の流れを利用する水力発電所として、1896(明治29年9月に完成しています。設計は、名古屋電燈の技師、丹羽正道で、水車はヘルキルス(ハーキュルス)形、発電機は三吉工場製の2000V、30kW、ホプキンソン形単相発電機が設置されました。(『電氣之友第九三号』明治32年)16燭光の電燈600燈分の発電出力でした。しかしながらここでも用水の水量だけでは十分でなかったようです。そこで、開業二カ月後にコルニッシュ形ボイラとアーミントンシムス形蒸気機関を据え付け、水力を補助する発電方式としました。火力水力併用方式は全国的にもきわめてめずらしいものです。実際には、水量不足で水力よりも火力中心の発電となりました。
 1989(平成元)年、この遺構の地区の区画整理事業が行われました。その時に発掘されたのが写真の発電所の基礎です。樋門から少し下流の左岸にあり、樋門の所で用水を堰止めて導水路でここまで導いて発電したのです。これらの基礎は、残念ながら撤去されて今はありません。残っているのは樋門の遺構のみですが、東三河地方電気事業の歴史を語る産業遺産として末長く残したいものです。
(いしだ しょうじ・愛知県立豊橋工業高等学校)


牟呂発電所遺構メモ
◆人造石工法
 左官の伝統的技法「たたき」を応用して近代的土木構造物を造る工法。本シリーズ8回目にその産業遺産「庄内用水元杁樋」を紹介している。

◆16燭光
 燭光は明るさ(光度)の単位で、1燭光は、ロウソク1本を灯した時の明るさ。16燭光は、現在の電球では20Wより少し明るい程度の明るさである。

写真キャプション
牟呂発電所の遺構、用水を堰き止めた水門の跡
Watergate, remain of the Muro Power Station, built in 1896.

牟呂発電所の基礎。1989(平成元)年、土地区画整理事業で発掘された
Foundation of the Muro power plant, excavated in 1989.(この写真は後日掲載予定)


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