愛知の産業遺産を歩く 26


依佐美送信所

Yosami Radio Transmitting Station

対ヨーロッパ無線通信発祥の地

The first radio communication between Japan and Europe


杉 浦 雄 司

SUGIURA Yushi


 JR東海道線の列車が刈谷駅に近づきますと、南側の車窓から八基の巨大な鉄塔が見えてきます。刈谷を象徴する風景として、市民や東海道線を利用する人たちに慣れ親しまれている依佐美送信所の鉄塔です。


わが国最初の対欧送信施設誕生

 依佐美送信所はヨーロッパとの無線通信のために、半官半民で創設された日本無線電信鰍ノよって、当時の碧海郡依佐美村(現刈谷市高須町)につくられました。1927(昭和2)年に着工、1929(昭和4)年に完成して運用開始となりました。送信所の敷地面積は6.6ha、鉄塔の高さは250m、アンテナの長さは1760m、出力500kWという巨大な通信施設です。
 依佐美送信所が建設された当時、遠距離間の無線通信は波長の非常に長い電波(長波)を大電力で送っていましたので、依佐美送信所のような巨大な設備となったのです。ところが依佐美送信所が完成した頃には、短波による海外通信が始められ、長波の送信設備は無用の長物となってしまったのです。それでも短波通信の補助的な装置として使われ、初期の目的は一応果たしました。 その後、長波が水中でも進むという特性が注目され、潜水艦との通信用施設として依佐美送信所は使われるようになります。1941(昭和16)年より軍の管轄下に入り、依佐美送信所には新しい使命が生じたのです。
 第二次大戦が終了するとともに、短波の通信業務が逓信省(現郵政省)に移管されました。依佐美送信所の役目はこの時に終了し整理される予定でしたが、1950( 昭和25)年よりアメリカ海軍の原子力潜水艦への通信施設として使用されることになります。この施設を維持管理するための電気興業 が設立され、日本政府が、この会社より施設を借り受け、さらに米軍に供与するという形をとりました。アンテナの張り替え、送信機の整備等が行われ、1952(昭和27)年より再び送信が開始されたのです。以来、米軍の極東における最重要通信施設として使われてきましたが、1993(平成5)年に送信を停止し、翌1994(平成6)年に日本に返還されました。
通信所本館と鉄塔

Main building of the Yosami radio transmitting station and the steel tower.


発電所を想起させる送信設備

 巨大な八基の鉄塔の西の端に、送信所の本館と送信室があります。この送信所の建設に際し、建設費の一部に第一次世界大戦におけるドイツよりの賠償金が充てられることになっていた関係から、設備はドイツの AEG社 とテレフンケン社製のものが導入されました。
 本館は半田市出身の建築家竹内芳太郎の設計になり、写真に示すようにかつての逓信省建築の様式を受け継ぐ大変ユニークな建物です。中央の放物線型の部分が上に向かっての広がりを表すならば、左右対象な部分は横方向の広がりを示し、電波の特性を表象しているようにも見られます。
 本館裏の送信室内の様子は、私たちが想像する無線の送信設備とは全く異質なものです。発電機、電動機、コイルなど見上げる程の巨大なものばかりです。
 長波の発振機は出力700kWの高周波発電機で、発振機の送信周波数を安定させるために次のような構成になっています。まず三相誘導電動機で直流発電機を運転し、交流を直流に変えます。次にこの直流で直流電動機を回し、制御して回転数を一定にします。この直流電動機で高周波発電機を回して、安定した周波数(5.814kHz)の交流を発生させているのです。さらにこの交流の周波数を三逓倍した17.842kHzの交流電流にしてアンテナに送り、波長が17.2kmという長波を発生させています。周波数を三逓倍する回路では、直径約2mのコイルが使われています。一次コイルには車輪が付いていて、人力で移動させて共振周波数の変動を防いでいます。
 送信室内には、そうした電動機と発電機の組み合わせ設備が二組あり、それはまさに発電所の様相です。
送信室内部
Interior of the transmission house.
共振装置の可変インダクタンス
Variable inductance of the resonetor.


産業遺産としての保存

 依佐美送信所は、米軍からの返還により、設備の撤去作業が始まりました。すでにアンテナ線は外され、鉄塔など順次他の設備も撤去されようとしています。通信技術が発達した現在、依佐美送信所のような巨大な通信設備は二度とつくられることはないでしょう。ヨーロッパと最初に無線通信を行ったという歴史的に価値のある依佐美送信所は、無線通信史の記念碑であります。またこの送信所は、軍事に利用されたために戦後は平和運動の対象になりました。そして刈谷市民には、鉄塔はふるさとの山ような存在であります。通信技術史の遺産としてだけでなく、郷土の遺産として、また平和への歴史の証として、この依佐美送信所を何らかの形で残していくことが望まれます。
鉄塔の下部


◇メモ

◆長波と短波

 電波は周波数が低く、つまり波長が長くなるほど直進性が弱くなり、地球の表面に沿って伝搬するようになります。したがって、地球の裏側に電波を送る場合、周波数が低いほど届き易いのですが、電波が拡散してしまいますので大電力が必要になります。 短波は地球を取り巻く電離層に反射しますので、地球の裏側等に送信するには、長波に比べてはるかに少ない電力で送信することができます。一方、長波は直進性がないかわりに、水中にもある程度伝搬する性質を持っていますので潜水艦への通信に使われました。


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