愛知の産業遺産を歩く 35


小幡発電所遺構

瀬戸線電化の歴史を刻む「赤レンガ」

Industrial Heritage of the Obata Power Station

Electrificational history of Seto Electric Railway


山田 貢

YAMADA Mitugu


 1978(昭和53)年8月、栄町乗り入れが実現した名鉄瀬戸線は、瀬戸市・尾張旭市・名古屋市北東部と名古屋市中心部を結ぶ都市近郊路線として躍進しました。
 名鉄瀬戸線のほぼ中間(名古屋市守山区)に喜多山駅があります。駅の南側には車庫があり、瀬戸線の電車の日常点検や全般検査等を行っています。目を駅の北に移すと、瀬戸寄りのはずれの喜多山稲荷の向こう側に赤レンガの建物が見えます。この建物がかつての小幡発電所で、名鉄所有の建物では最古の部類になります。


蒸気原動車から電車へ

 名鉄瀬戸線の前身は、瀬戸自動鉄道です。1905(明治38)年4月の開通当初は、電車ではなく、フランスから輸入したセルポレー式蒸気原動車(小機関車附客車)3両で運行していました。セルポレー式は定員35名で、調子の良いときは矢田〜瀬戸間を1時間25分で走りましたが、故障することが多く2時間から4時間も遅れることも珍しくありませんでした。急勾配の上り坂ではよく立ち往生し、人力のトロッコにお客を乗せて代行輸送することも再三ありました。しだいに乗客の信頼を失い、修理費もかさみ、経営的にも苦しくなりました。瀬戸自動鉄道は二ヶ月後に臨時株主総会を開き、電化に向けて動き出し、瀬戸電気鉄道と改称したのです。


自前の発電所建設

 瀬戸電気鉄道が電化に切り替わったのは1907(明治40)年3月です。電化された当初は印場(現尾張旭市内)に変電所を造り、名古屋電灯(現中部電力)から電力を購入していました。しかし、毎日午後6時以後は供給を絶たれ、毎月1日と15日は電気の供給が無いため、セルポレー式蒸気原動車も運転せざるを得ませんでした。そこで1910(明治43)年、瀬戸電気鉄道では小幡ヶ原に発電所を造り、自前で電力をまかなうことになりました。この小幡発電所の遺構が冒頭に紹介しました赤レンガの建物で、汽缶室であったものです。
 竣工当時の汽缶室は、レンガ造りの切妻平屋建で、装飾は全くといって良いほど施されていません。窓や出入り口は半円アーチ構造となっていて、屋根にはレンガ煙突が立っていました。建物の北側に給水用の貯水池がありました。発電機室は木造瓦葺き平屋建の西洋風で汽缶室と連続し、その基礎まわりはレンガ積みとなっていました。
 内部は、アルパン社製の水管式汽缶(ボイラ)を二基備え、ドイツ・ゲーリック社製の85馬力汽機(蒸気エンジン)にドイツ・ジーメンス社製発電機に直結させて動かし、550V・175kWの電力を発電していました。


発電所から変電所へ

 やがて、瀬戸線の堀川延長や電車の増発に伴い、大曽根に変電所が造られると、1914(大正3)年3月、小幡発電所は変電所に転換し、小幡変電所となりました。1947(昭和22)年3月、喜多山変電所と改称し、1978(昭和53)年3月に瀬戸線が1500Vに昇圧されるまで、変電所として稼働していました。
 変電所廃止後は、倉庫として利用しています。汽缶室のレンガ煙突はすでに撤去され、窓と出入口は、一部を除き鉄板でふさがれています。北側の側面上部には、変電所への転換後に受電した跡が残っています。貯水池は、戦後まで残っていて、子どもたちが魚を捕ったりして遊んでいましたが、現在は駐車場になっています。


「赤レンガ」のこれから

 名鉄は、瀬戸線が栄駅乗り入れ以降、東大手〜矢田間の高架化、全列車の四両編成化、完全冷房化などの近代化を進めてきました。しかしながら守山区内の線路は急カーブや踏切が多く、スピードアップの妨げになっています。今年中には、瀬戸街道や国道302号線との交差、及び喜多山駅の高架化が始まろうとしています。
 その時には、小幡発電所の建物は取り壊される運命にあると聞きます。71年間にわたって電気を供給し続けた、瀬戸線の心臓部でもあり、瀬戸線初期の苦難の歴史を物語る証でもある「赤レンガ」が消えてしまうのは寂しいものです。高架完成後の喜多山の新しい街づくりのシンボルとして、また瀬戸線の産業遺産として活用できる道はないものでしょうか。


瀬戸線の歴史

1902(明治35)年 3月 瀬戸自動鉄道設立
1905(明治38)年 4月 矢田〜瀬戸間開業
1906(明治39)年 3月 矢田〜大曽根間開業
  同    年 12月 瀬戸電気鉄道と改称
1907(明治40)年 3月 電化完成
1911(明治44)年 5月 土居下〜大曽根間開業
  同    年 10月 堀川〜土居下間開業
1912(明治45)年 2月 堀川〜大曽根間複線化
1921(大正10)年 4月 軌道から地方鉄道に変更
1929(昭和 4)年 12月 全線複線化完成
1939(昭和14)年 9月 名古屋鉄道と合併
1976(昭和51)年 2月 堀川〜東大手間廃止
1978(昭和53)年 8月 栄町〜東大手間開業

写真キャプション(後日掲載予定)
正面のレンガ造りの建物が汽缶室、左側の木造の建物が発電機室。手前の駐車場は貯水池の跡。
The building in front is the boiler house, the generator house is left side.
Parking place was a mark of resevoir.

汽缶室正面の出入り口
A front entrance to the boiler house.

シンプルな外観の妻面
Side view of the boiler house.


1998/2/22 小幡発電所遺構の見学会

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