『安城市歴史博物館研究紀要 第2号』 所収、1995


第一回内国勧業博覧会出品
臥雲辰致の綿紡機復元機の設計


石 田 正 治


The reconstruction plan of the spinning mashine invented by Tatchi Gaun,
which was displayed at the first domestic exposition.

1.はじめに

1994年(平成6年)4月23日から6月5日まで、安城市歴史博物館が「日本独創の技術・ガラ紡」と題する企画展を開催した。同展の展示計画として、安城市歴史博物館は企画展の原点である臥雲辰致(1)発明のガラ紡績機の復元を計画し、筆者がその復元機の設計を担うこととなった。本稿は、臥雲辰致綿紡機の復元機設計について、設計の視座と設計過程における諸問題について述べたものである。
臥雲辰致の綿紡機は、洋式のミュール紡績機やリング紡績機と比較して臥雲機、和紡機などと呼ばれたこともあるがいつしかその運転音からガラ紡績機、略して「ガラ紡」と呼ばれて今日に至っている。なお「ガラ紡」には、紡績機械そのものを意味する他に、ガラ紡績業の意味でも使われる。
「ガラ紡」は、三河、矢作川流域ではかつては全国一のガラ紡産地であった。岡崎・豊田の山間部、安城の福釜地区、西尾の中畑地区などに普及発展し、他県では早期に消滅しているにもかかわらず、その名残は今もなおわずかながらにガラ紡がこの地区で営まれていることが証しである。(2)
近年のガラ紡に関する研究の進展により、我が国の産業技術の歴史の中でガラ紡の果たした役割が再評価されつつある。そうした中で、この復元作業の記録が、今後の斯界の研究にいくらかなりとも寄与できることがあれば幸いである。

2.第一回内国勧業博覧会出品・臥雲辰致の綿紡機

明治10年8月21日から11月30日まで、東京の上野公園にて第一回内国勧業博覧会が開催された。その博覧会に出品された様々な機械の中で、臥雲辰致の綿紡機(木綿糸機械)は本会第一の好発明と評価され、鳳紋褒賞を受賞した。*0ちなみに博覧会への出品総数は211点で、その内、紡織部門の出品は、63点であった。
ところで、最優秀とされた臥雲辰致の機械はどのようなものであったのであろうか。近年、発明者臥雲辰致、並びにガラ紡の研究は、歴史学、経済学、産業考古学など様々な視座から研究が進められ、その成果も多く発表されて、これまでの近現代史研究に欠落していた重要な部分を埋めつつある。しかしながらその原点となった博覧会出品の綿紡機については詳細なことはまだ解明されていない。実物は残されていないので、残された資料を手掛かりにして考察するより他はない。この場合は、可能なかぎり史実に忠実に機械を復元して考察することが最良であり、安城市歴史博物館のこの度の復元計画は、今後のガラ紡研究に少なからぬ研究情報を提示することになる意義深いものと思われる。
復元機設計にあたり、設計仕様となる基本データを求めなければならない。次に、データを求めた内国勧業博覧会出品解説*0の中から、臥雲辰致の綿紡機に関する部分の全文を示す。

長野縣信濃國
綿 紡 機 臥 雲 辰 致
筑摩郡波多村
明治九年五月始メテ此機ヲ発明シ開産社中ニ連綿社ヲ設ケ工塲ヲ筑摩郡北深志町字六九ニ
起シ十年一月水車ノ装置ヲ以テ開業ス工夫一人ニシテ一月ニ細絲ハ十八貫目疏糸ハ七十二
貫目ヲ製出スベシ綿ハ甲斐尾張ノ産ヲ用フ
第四十
製作運用 其運轉ヲ起スハ(イ)輪ニ始マリ(ロ)輪ノ徑一尺三十七齒ナルヨリ(ハ) 輪
三圖
徑四寸十五齒ニ傳ヘ機ノ内部ニ移ル(ロ)輪ノ同軸ニ(ニ)輪徑三寸十八齒ナルアリテ(ホ)輪
徑五寸三十六齒ニ移リ(ヘ)輪徑三寸十八齒(ト)輪徑四寸五分二十八齒(チ)輪十五齒(リ)輪
三十六齒ニ傳運ス(リ)輪ノ背ニ(ヌ)輪一六齒アリテ(ル)輪十三齒ニ接シ(ル)輪ヨリ左右ニ
分レテ(オ)(ソ)ノ二輪各徑五寸三十二齒ヲ回轉ス(オ)輪ハ左邊ノ後軸ニ連ナリ( ソ)輪ハ左
邊ノ前軸ニ連ナル(オ)輪ノ表ニ(ワ)輪徑四寸二十六齒アリテ同徑ノ(カ)輪ニ接シ又(カ)輪
ノ背ナル(ヨ)輪徑一寸八分ヨリ(タ)輪徑二寸五分十七齒及ヒ(レ)輪徑二寸四分十二齒ニ傳
力ス其(カ)輪ハ右邊ノ後軸ヲ轉シ(レ)輪ハ右邊ノ前軸ヲ轉スルモノトス其内部ハ(ハ)輪ノ
軸端ニ(ツ)輪徑八寸二十四齒ナルアリテ(子)輪徑四寸ニ傳ヘ右ノ傳軸ヲ回旋シ又其軸末ナ
ル(ナ)輪徑六寸十八齒ヨリ同徑ノ(ヲ)輪ニ傳ヘ以テ左ノ轉軸ヲ回轉スルナリ然シテ左右ノ
轉軸ニ各二十條ノ紡弦ヲ掛ケ滑車(ム)ヲ運回ス
其工
機ノ左右ニ四十箇ノ綿筒(ウ)ヲ排ベ機頂ノ前後兩軸ノ上ニ亦四十箇ノ絲巻(井) ヲ置ク
塲ニ
用ル所ノモノハ一機ニ
綿筒ハ銕葉ヲ以テ造リ厚キ木片ヲ底トナス徑一寸五分長サ七寸ナリ
百箇ノ綿筒ヲ具ヘタリ
底ノ上ニ一ノ方孔ヲ穿チテ空氣ヲ入ル底板ニ銕軸ヲ貫キ以テ紡錘ノ用ヲナス之ヲ滑車(ム)
ノ孔中ニ挿ム底板ト滑車ノ面ト並ニ細小ノ錠銕アリテ滑車圓轉スレバ兩銕錠相觸レ接シ以
テ綿筒ヲ回旋スルナリ滑車ノ下ニ又銕軸アリテ綿筒ノ軸末ト相觸レ其下端ハ秤衡ノ勢ヲナ
セル銕片(ノ)ノ上ニ搭在ス銕片ノ一端ニ刻齒ヲ具ヘ之ニ鉛錘(オ)ヲ垂レ以テ綿絲ヲ抽出ス
ル細疏ノ度ニ節ス鉛錘刻齒ノ末ニ掛カレバ銕片綿筒ノ銕軸ヲ托上シ筒底ノ銕錠輕ク滑車ノ
銕錠ニ觸レテ轉力緊急ナラズ抽出ノ絲緒隨ヒテ細シ鉛錘漸ク刻齒ノ本ニ到レバ筒底ノ銕錠
強ク觸レテ抽出ノ絲緒隨ヒテ疏ナリ鉛錘ノ量ハ約ソ十匁ナリトス
絲卷(井)ハ松材ヲ輪切ニシ兩面ニ圓板ヲ貼ス其徑四寸五分兩板ノ間一寸二分許ナリ綿筒ノ
綿抽出スルニ隨ヒ自ラ紡レ兩軸ノ回轉ニ由リテ絲巻ニ巻カル若シ紡度緊キニ過レバ絲緒牽
攣セラレテ綿筒ヲ提キ上ゲ其回轉ヲ止ムル少頃ニシテ綿筒自ラ墜下スレバ復タ回轉ヲ始ム
故ニ紡度自ラ過不及アルナシ紡絲斷ルトキハ絲緒ヲ引キテ綿上ニ貼スレバ隨テ復タ抽出ス
水分ヲ含ミテ絲ヲ擦磨ス又別ニ磨銕條(マ)ヲ具ヘ(ケ)ノ轉輪ニ由リテ擺搖シ絲縷ヲ精研ス
次ニ巻キ換ヘタル絲(フ)ヲ隻上(コ)ニ移ス其床下運轉ノ装置ハ(ル)(ワ)ノ二輪ヨリ相遞フ
圖式ニ於テ詳カナリ

3.復元機の設計基本データ

実際に、機械を復元するためには、史実にあるデータを基本に、製作するための様々なデータを決定し、図として表現しなくてはならない。製作のデータとは、全体構造、各部品の縦・横・幅の各部の長さをはじめ、使用材料、加工方法、仕上げ方法、組み立て手順などであり、それらを決定し図面化する作業が復元設計である。設計の成果は、図面上に図となって表現され、それに基づいて復元機は製作される。製作過程で重要な問題を含むこともあるが、一般には、設計過程で諸問題は解決されるので、その設計過程の考察が、復元機の歴史的意義の解明に重要である。
さて、前項の内国勧業博覧会出品解説文の中から、設計の基本となるデータを採集した結果が表一である。また、表二は各部品の材質一覧で、これは製作時の参考データとなる。表一、表二が出品解説から分かる基本データのすべてである。これをみて分かるように、機械全体の大きさは明記されてはいない。全体の大きさは、臥雲辰致が長野県令宛に提出した内国勧業博覧会への自費出品願*0に明記されている。その内容は次のようであった。
復元機設計の手掛かりは、筆者の知る限り、出品解説と自費出品願のみでこれですべてである。復元機設計は、この基本データを忠実に再現することが目標となる。

4.設計の参考資料

出品解説は、製作のための手引書ではないから、機構と動作の説明になっている。前項に述べたように、復元機設計のデータは限られたもので出品解説は歯車の大きさと歯数、その歯車列の記述に大部分を費やしている。これでは、不明なことがあまりにも多い。例えば、歯車について、歯車の厚みいくらか、その軸の穴の大きさと形状はどうであったのか、歯の形状はどうであったか、その材質は何か、といったことがわからないのである。こうした詳細なデータが決まらないと実際の製作図は描けない。出品解説の添付図の機械に接近するためには、他に設計の指針となる参考データが必要となる。
復元機設計の参考データを求めるには、現存する実物資料を調べることが最適である。これには、すでに一定のガラ紡研究の蓄積*0*0*0があったことがこの限られた期間内の作業に幸いであった。
ガラ紡績機は、出品解説の図に見られるように手回し式であった。また、出品解説に述べられているように同時期に工場用として水車駆動式の多錘のものが作られ、昭和一〇年頃からは電動機が使われ始め、現在のガラ紡工場はすべて電動機駆動のガラ紡績機となっている。いずれにしてもガラ紡績機の構造は駆動方法が違っても基本的には変わっていないので、紡糸の原理とその機構は現在のガラ紡績機を調べればよく理解できる。しかし、原動部の歯車機構は、すべて鉄製のものとなっていて復元機のような木製ではないから機構は参考になるが個々の部品設計の参考にはならない。そのためには、初期のガラ紡績機を産業考古学的に詳細に調べる必要がある。
手回しガラ紡績機は、全国で二台保存されている。ひとつは大阪、綿業会館所蔵のガラ紡績機、もうひとつは愛知県の博物館明治村が所蔵している。いずれもガラ紡研究には貴重な資料で、両資料とも詳細な調査*0がすでになされている。その図面化については、綿業会館のガラ紡績機は産業技術記念館が展示のための復元機製作のためにすでに手掛け、博物館明治村のガラ紡績機は、愛知の産業遺跡・遺物調査保存研究会が1986年に愛知県内の産業遺産調査に関わって詳細に調査し図面化している。また、博物館明治村は、水車式のガラ紡績機を所蔵し、このガラ紡績機の歯車機構もまた木製で、その調査データは復元機設計には有力な参考データである。後者の博物館明治村の手回し式、水車式の両ガラ紡績機の調査には筆者も加わっていたので未発表ではあるが主要部の調査図を所有していて、これが設計値決定の参考になった。また、綿業会館のものは、一九 年のつくば科学万博に出品されていた。その時、近接してつぶさに観察できたことが大変参考になった。
製作するには、各部品の材料を決めなくてはならない。出品解説には、糸巻に松材、綿筒を銕葉(ブリキ)と木片で作ると述べているのみである。歯車や軸、本体のフレームはどういう材料を使ったのかこれも不明である。この材料を選択する参考資料は、かつてガラ紡績機の機械大工であった安藤長五郎氏*0からの聞き取り調査と同氏所有の岡崎和紡諸機械製造業統制協議會のガラ紡機部品一覧表が参考となった。

5.ガラ紡績機の構造と速度比

ガラ紡績機の構造と紡糸の原理およびその改良過程は、文献 、文献 に詳しいので、それらを参照していただくとして、ここでは設計上の要点と用語について述べる。
臥雲辰致の綿紡機は、前述の手回しガラ紡績機が構造的にはよく似ている。紡糸部の構造と部品名称を図 に示す。
原料の綿を、綿筒に入れ、これを回転させて糸を紡ぎながら上の糸巻きに巻き上げる。糸の太さおよび糸むらを制御するのが天秤機構で、機械工学的には自動制御機構と呼ぶことのできる、臥雲辰致の最も独創的な部分である。しかしながら出品解説には、この部分の復元機設計の必要なデータは全く述べられていない。下ゴロ、上ゴロの直径、滑車の直径、天秤の支点の位置、綿筒から糸巻までの長さなど、糸の品質を決める重要な基本的データがわからないのである。
後述の歯車列の設計を進めながら、試行錯誤的に決めていかざるを得ないが、その指針とした紡糸に重要な滑車と糸巻の巻き取り速度の比を表 に示す。

6.歯車列

出品解説の中で、最も詳しく書かれているのが歯車列である。復元機の設計は、まず、この歯車列の検討から始めた。
歯車の設計については、機械工学的な観点が必要である。機械工学を学んだ諸氏には不要であるが、歯車各部の名称と設計の要点をはじめに説明しておく。歯車の大きさは、歯数とモジュールで表す。ある一組のかみあう歯車を設計するとき、軸と軸の中心間距離、モジュールと速度比が決まると、個々の歯車の歯数とピッチ円直径を決定することができる。モジュールとは、歯の大きさを表す指数で、モジュールと歯数の積がピッチ円直径になる。ピッチ円直径が決まれば、外径が自動的に決まる。
臥雲辰致の綿紡機の歯車は、今日の機械工学上の設計式を用いて計算すると、表一は表三のようになる。出品解説が述べている歯車の輪径は、ピッチ円直径という表し方は当時はなかったので外径を示すものと考えられる。表三のモジュールの数値を見てみよう。概ね一致しているが、中に大きく数値の異なるものが含まれている。これは大きな問題点で、モジュールが異なる歯車は噛み合わない。手作りの木製歯車であったから多少の違いは許されると思われるが、どこまで許容されるか実際に図を書き、作ってみないと解らない。
歯車列は、出品解説の添付図から概略は解るが、図 にその伝達経路と組み合わせを示す。この図から次の歯車はモジュールが一致していなければならないことになる。
@ 歯車ロ・歯車ハ
A 歯車ニ・歯車ホ・歯車ヘ・歯車ト・歯車チ・歯車リ
B 歯車ヌ・歯車ル・歯車オ・歯車ソ
C 歯車ワ・歯車カ
D 歯車ヨ・歯車タ・歯車レ
E 歯車ツ・歯車ネ
F 歯車ナ・歯車ラ
それぞれの歯車列の中で、モジュールの大きく異なる歯車は、歯車ホと歯車タである。なお、歯車チ、歯車リ、歯車ヌ、歯車ルは輪径(外径)が記されていないので、同列の歯車のモジュールとすることにし、外径を算出している。歯数の不明なものは歯車ヨと歯車子である。輪径がわかっているので、モジュールから歯数を算出できが、歯車ヨは機構上歯車レと同じ歯数でなければならないので12枚となる。歯車子は、歯車ツとの関係で12枚と推定されるが、この組み合わせではややモジュールが違いすぎる。歯車列を出品解説の添付図を参考に図に表してみたのが図 である。概ね臥雲辰致のものに近いが、具体的に実際の製作寸法を肉付けすると様々な点でまた問題点が生じた。次に、歯車列設計上の問題点と修正した設計値について述べる。
図 は、上部の歯車列を示したものである。構造上、4本の上ゴロの位置は左右対称になる。ところが、出品解説の記述通りに配置するとそのようにならない。特に、歯車ヨ、タ、レが問題で図から解るように歯車タは中間歯車でこれは回転を伝えるのみで歯数は適当なものでよいのだが、歯車ヨと歯車レは、上ゴロを介して糸巻きを回転させるのであるから同じ歯数でなければならない。輪径が異なるが仮に両歯車とも歯数12枚と設定すると、歯車レとモジュールが甚だしく異なることになり、噛み合わない歯車となってしまうのである。臥雲辰致は、歯車ヨと歯車レ最初は同じに考えたのであろうが、そうすると歯車ヨが隣の歯車オと干渉してしまうので歯車ヨの輪径を小さくして対処したのではないかと思われる。設計では、歯車ヨと歯車レを同一のものに修正し、中間歯車の輪径も併せて修正した。
また、歯車カと歯車ワは、輪径4寸となっているが、これをそのままに組み合わせると軸間距離は、4寸よりやや小さい半端な設計値となる。他の設計値と比較して、ここだけあまりに半端な数値をとっていたとは考えにくいので、軸間距離を4寸とし、輪径を少しに大きく修正して設計値とした。

8.歯形

歯車の歯数と大きさが決まれば歯幅を決めれば、歯車の設計は終了することになるが、木製の歯車では、歯形が現在のものとは異なるので個々に歯形を決めなければ製作できない。現在の標準の鋼製平歯車の歯形はインボリュート曲線でできていて、歯と歯の接触はころがり接触となり滑らかに回転を伝える。明治時代の初期の木製歯車は、そのようなものではなく、大工道具と同じ鋸、鉋、鑿を用いて作っていたから歯形は直線である。この形状は、安藤長五郎氏の道具から分かる。図 は、安藤長五郎氏が使っていた薄いブリキ板で作られた歯車の型板の投影で、歯形が直線で、大きな歯には頂部に面取りがしてある。木製歯車では、歯形が直線であるので加工は容易であるが、現在の鋼製歯車のように回転は滑らかではない。しかしながらガラ紡績機では、それほど高速に回転するものではなかったからこれでも間に合っていたものと思われる。ちなみに、現代の稼動中のガラ紡績機の歯車は鋳鉄製のインボリュート曲線を持つ歯車である。
復元機の歯車列は、前述のようにモジュールが全て数値として一致しているのでないから、軸心間距離と歯形の形状で調整を図らなければならない。軸心間距離は、添付図を参考に配置を決めながら尺寸の値で決めている。図 は、歯車ニ・歯車ホ・歯車ヘ・歯車ト・歯車チ・歯車リの歯車列の設計図である。歯車ホのモジュールが大きく異なるので歯形の形状を工夫して、噛み合い可能なものにしている。全体的に直線の歯形の場合は、歯末のたけが歯元のたけよりも図 に示すようにかなり小さくとればよいことがわかった。

9.歯幅と軸

歯車の配置が設計できると、次に歯幅と軸の大きさを設計する。歯幅は、出品解説には書かれていないので、手回しガラ紡績機の歯車や安藤長五郎氏所有の木製歯車の厚みを参考に決めた。全体的に大きなものは厚く、小さなものは薄くなっているが、伝える力が大きく働く軸の角穴が大きい歯車ニは厚くしている。また、機構上厚みが必要なのは歯車トで、逆に薄くしなければならないのは、歯車ルである。
歯車の穴の形状と大きさは、軸径と対になる。軸ともに回転するものは角穴、軸が固定で歯車が回転するものは丸穴である。丸穴は、ろくろがあれば加工できるが一般には角穴であったと考えられるのでこの復元機設計においては可能な限り角穴になるように設計している。歯車の穴が丸穴のものは、歯車ホ・歯車ヘ・歯車チ・歯車リ・歯車ヌ・歯車ル・歯車タである。

10.紡糸部の機構と全体の大きさ

紡糸部は、ガラ紡績機の特徴を示す最も重要な部分である。この部分は、調査によると天秤の支点の取り方が変化している他は大きな改良はない。したがって現代のガラ紡績機や保存されている手回しガラ紡績機の機構と各部品の寸法が参考になる。
出品解説によれば、絲巻と綿筒の寸法が記されているので、この数値を活かし、図 に示すような構造に設計した。綿筒の位置は、上部の上ゴロの位置が歯車機構の設計で決まるので、その外周接線上の真直下に綿筒の中心がくる。問題となるのは、下ゴロと上ゴロの径、滑車の溝部の径である。それらは、糸巻と綿筒の速度比を決定し、紡がれる糸の撚り具合を決めるからである。設計を進めていくと、減速比が大きすぎることが分かり、極力減速比を小さくする、つまり、綿筒の回転数を大きくするように努めた。
総合的に調整を計りながら、最終的に各部の寸法を決定して製作図とした。全体の大きさは、前述したように出品解説にはなく、長野県令宛の自費出品願に書かれている。しかしながら、この数値は、長さといってもどこからどこまでを示しているのか明確ではない。一般には端から端までの最大寸法を示すのであるが、例えば長さでは、取手の端までを含めた寸法であったか疑問である。この取手の長さは含まれていない可能性がある。幅については、天秤が本体よりもはみ出している。この天秤の端から端までを出品願いに書いたか、これも疑わしい。当時の状況を考えると、測定のし易さからフレームの最大寸法の概略を示すものと理解するのが妥当と思われる。
さて、筆者の復元機の大きさは、最終的に高さが四尺、横幅は二尺、天秤のはみ出し部を含めると約二尺四寸、長さはフレーム部で五尺八寸一分、棟木のはみ出し部では六尺二寸一分となった。高さが六寸低いが台の高さを調整すればよいので、本設計は概ね、臥雲辰致の自費出品願の数値を実現したものと言ってよいであろう。

11.復元機から見た臥雲辰致の綿紡機

復元過程の概要と諸問題について述べてきたが、最後に完成した復元機から臥雲辰致の綿紡機を技術的な観点から評価してみたい。
@天秤機構による紡糸機構は、ガラ紡績機の最も重要な部分で臥雲辰致の独創を示すものであるが、内国勧業博覧会の出品解説には、この点詳述されてなく、現存する資料を参考とする他はないが支点の止め方が不明である。いずれにしても、糸の太さを任意に設定し、紡糸過程の糸むらを少なくすべく自動制御する機構は、臥雲辰致の着想が極めて優れていたと評してよいであろう。しかしながら、重力利用の機構であるために、その運転速度はある一定の極めて限定された範囲に留まらざるを得ず、「高速化が望めないという致命的欠陥を内包」している。
A歯車機構は、出品解説には、比較的詳しく説明されているので、このデータが復元設計の基点となったが、機械設計の観点からは、中間歯車を多用し、甚だ無駄の多い機構と言わざるを得ない。また、伝達経路を追跡するとその配置も合理的でなく、「簡にして要を得たもの」ではない。これは綿業会館所蔵の手回しガラ紡績機と復元機と比較してみるとよく理解できる。復元機は、21枚の歯車を使用しているのに比較して、綿業会館のものは17枚であり、増減速関係の組み合わせも合理的で無駄がない。おそらく臥雲辰致は、歯車機構については十分な知識はなく、また、糸巻きと綿筒の回転比についても分からなかったためであろう。臥雲辰致の最も苦心した点がその回転比の設定で、当初はかなり試行錯誤的作業を繰り返し、その上に博覧会出品機は製作されたものと考えられる。復元機の設計においても、この回転比を設定するのに苦心し、現存するものに近づけるべく努力したが、比較するとなお回転比は小さい。その結果、撚りの少ない、弱い糸になりやすい。以後、その無駄は取り除かれて、綿業会館の資料並びに博物館明治村の資料は、機械設計上の観点からも無駄のないものになってい る。
Bフレームの構造は、しっかりしたものとなっている。現存の手回しガラ紡績機と比較すると、やや複雑な部材の組み合わせとなっている。大きさは、現存する手回しガラ紡績機より一回り大きい。ハンドルの位置が人間の作業姿勢からみると中途半端な位置にあり、甚だ使いにくいものとなっている。長時間の作業には適さないので、何らかの台の上に据え付ける必要がある。
C復元機を運転した結果、糸を紡ぐことができることを確認できたが、ハンドルを回すにはかなりの力を要した。これは、資料が博物館資料として保存されることになるために軸受部に油を注すなど潤滑を行わなかったことがひとつの原因であるが、またハンドルから下ゴロへの回転は増速するためにハンドルの回転が重たくなっている。

12.おわりに

臥雲辰致の綿紡機復元機の設計過程とそれに伴う諸問題について述べたが、紙幅の都合もあって、出品解説に詳述されていた歯車列の設計を中心に経験を述べた。他の各部の設計や復元機製作上の問題もあるがこれは、別の機会に譲り、関心ある諸氏には、安城市歴史博物館所蔵の復元機をご高覧いただきたい。
筆者が綿紡機復元機設計の相談を安城市歴史博物館から受けたのは平成6年1月であった。企画展の開催期日が決まり、予算の都合もあって同年3月末までに復元機を完成させねばならないという誠に慌ただしい作業であった。設計作業は遅くとも2月末には終えなければならないようなスケジユールであったが、公務に追われて各部の設計は3月の上旬までかかり、その分、製作作業に大変迷惑をかけたのではないかと思う。しかしながら、復元機は予定通りに完成した。その製作を担当した(有)颯田木型の颯田良二氏(西尾市)の労による。また、復元機の綿筒に原料のよりこ(綿)を詰め、糸を紡ぐようにセットされたのは、明治30年操業の現存最古のガラ紡績工場を営む小野田慎一(豊田市)である。ここに記して両氏の技を讃えたい。
おわりに、この貴重な機会を与えて下さった安城市歴史博物館の関係の方々に、とりわけ実務で世話になった杉山洋一氏、岡安雅彦氏に厚くお礼申し上げる。

いしだ しょうじ・愛知県立豊橋工業高等学校

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