ぎふの産業遺産 No.3


川崎平右衛門と五六閘門

高橋伊佐夫


岐阜県本巣郡穂積町を流れる長良川の支流、五六川の流末に五六閘門または牛牧閘門と呼ばれる樋門(水門)がある。この水門は、長良川からの逆流による水害から穂積町を守るため、1907(明治40)年に造られたものである。

水門は写真のように、二連アーチの水路に観音開きの鉄扉4枚を備えている。長良川が増水するとその水位差によって、鉄扉が自動的に閉まって、逆流を防止するというものである。ところが近年、長良川堤防の改修工事や排水機場の設置など治水工事の進展によって、水門による逆流防止の役割は不要となった。しかし、「不要」として壊してしまってよいものだろうか。

この地方は、土地が低く昔から常に水害を受け、人々は水との闘いを余儀なくされてきた所である。そこで、人々は江戸時代から輪中をつくり自衛してきたが、それでも安心できないので、穂積の住民は水門をつくって水害を防ごうとした。水門の建設には長良川下流側の住民の反対にあったが、1754(宝暦4)年、穂積の本田代官となった川崎平右衛門の尽力で、この地に初めて木材で水門が造られた。その後、1907年までの153年間に4〜5回建て替えられ、1907年に「人造石」工法で永久的な水門を造ったという経緯がある。

この工法は「コンクリート」工法が普及する以前の工法で、わが国の左官の伝統的技法である「たたき」を利用した珍しい工法である。岐阜県内に現存する水門の中で、唯一の「たたき」構造物である。

従って五六閘門(水門)は、地域における永い治水の歴史を物語る貴重な土木遺産である。治水史または土木技術史上の遺産として保存され、付近の堤防には桜の木を植え、地域の人々の憩いの場、治水の歴史が学べる場所となることが期待される。

(たかはしいさお・岐阜県立岐阜工業高校)


>あし:JR東海道本線「穂積」駅下車、車で5分。国道21号線の五六川橋

を渡って下牛牧の信号を南へ1kmのところ

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