
【ブリジット・ジョーンズの日記】
| ●ストーリー ロンドンのアパートで独り暮らしのブリジット・ジョーンズは、出版社勤務の32歳。元旦に実家で開かれた「ターキー・カレー・パーティ」で、バツイチの弁護士マーク・ダーシーを押しつけられるが、得意の毒舌ではねのけてしまう。独身生活の泥沼に入り込んだブリジットは、「日記をつけ、体重とお酒とたばこを減らし、すてきな恋人を見つけよう」と新年の決意を固めた矢先、会社の上司ダニエル・クリーヴァーと急接近。はたして彼は理想の相手なのか・・・? |
![]() DVD,VHS,関連書籍, サウンドトラックを探す Amazon.co.jp |
●30代独身女性への応援歌
私の身近に30代の独身女性はいないが、彼女の陥る泥沼というのは、婚期を逃すまいと冷静さを失ったチョウチョウが、網を張って獲物を待つ蜘蛛に捕まってしまうというもの。30代にもなれば、護身術が身に付き、日常生活の中で冒険など何処にもない。プレイボーイや不倫相手の生殺し状態から抜け出すのは並大抵の根性では駄目であろう。
本作品は、こうした30代の独身女性の様相を等身大に描いている。ヘヴィースモーカーで、料理が下手。酒に溺れて路上でゲロを吐く。失恋後一時的にダイエットは続くが、それが過ぎれば元通りの食べ放題。特に特技はなく、スピーチは下手なのに普段は毒舌家。そんな普通の女性のもとへ彼女を「ありのまま」に受け入れてくれる白馬の王子様が現れる。この夢物語が本作品の売りとなっている。
●普通っぽい異常っぽさ
しかし、本作品の夢物語を見て、30代独身女性は本当に元気になるだろうか。これは少々疑問である。
なぜならヒロインは、普通っぽいが実は相当風変わりなキャラクターなのである。30代になっても職場にミニスカートや下着の透けるブラウスを身につけて行ける勇気があるタイプだし、カラオケや仮装パーティではバニーガールに変身する。そして、雪降る街角へパンツ一丁で飛び出していけるのだ。彼女の真似をしようと思ったらかなりの根性がいる。彼女は、この常識から逸脱した行動のお陰で魅力的で愛らしいのである。
普通の独身女性の応援歌であろうとしながら、本編は実は一風変わった女性の物語なのだ。彼女のような人生を歩みたかったら、本当に普通の女性では駄目なのである。誰かの注意をひくには、やはり他人とはひと味違った魅力が必要である。
それから、そもそもハッピーエンドにならなかったら、ヒロインはどうなっていくのだろうか、という大いなる疑問符も心に残る。本当のハッピーエンドというのは、男と女が結ばれようが結ばれなかろうが、主人公が幸福な精神状態になっているかどうかであると思うのだ。今回、たまたま、自分を「ありのまま」を受け入れてくれるエリート弁護士が現れたが、彼が現れなかったら、彼女は本当に幸せになれただろうか。彼女は、物語の後半になっても、彼に特ダネをもらっただけで、自分にキャスターの才能があると勘違いし、彼への態度を急変させる現金な奴のままなのである。
魅力的な女性のロマンスが迎える偶発的なハッピーエンド。私は、こんなストーリーで30代の独身女性が本当に元気になれるか疑問視している。
ただ、本作品は「ローマの休日」や「ノッティングヒルの恋人」のような現実に戻るとガックリ来る現実逃避型恋愛映画ではなく、現実に戻ると「身近にいい男がいなかったか」と再点検したくなるような作品であることは大いに評価したい。作品の良し悪しはさておいて、現実に向き合う意欲を沸かせてくれる作品というのは、人生に対して前向きになれて素晴らしいことではないか。
●絶妙なキャスティング
この作品は、キャスティングによって90%以上成功していると言ってもいいのではないだろうか。ヒロインは、普通っぽくて美人ではないがチャーミング。演じるのは、「ザ・エージェント」でその路線で十分な存在感を見せつけたレニー・ゼルウィガー。彼女ほど本作品のヒロインに最適なな女優はいないだろう(冒頭のFMラジオを聴きながらの熱唱シーンの迫力は一見の価値あり!)。
そして、彼女を引っかけるプレイボーイを演じるのがヒュ−・グラント。スマッシュヒットをかました恋愛映画「ノッティングヒルの恋人」で好感度をあげた彼を起用することで、彼とヒロインが結ばれるのではないかというミス・ディレクション(ストーリーと直接関係のない小道具や思わせぶりなシーンなど)に成功している。彼の起用だけで緊張感を多少長続きさせることができたと言っていいだろう。
マザコンでヒロインの運命の人を演じるのが、決して美男子ではないコリン・ファース。もし彼とヒュ−・グラントのキャスティングが逆だったら、ストーリーの先が見え見えで面白味に欠けていたことだろう(もちろん、このキャスティングでも先は見えてますが)。
●ヒロインへの共感が笑いの一歩
本作品はかなり笑いに重点のおかれたラブ・コメディである。本作品の笑いは、ヒロインのかなり入り込んだ主観によって生じる仕組みになっており、大きく次の二つのパターンに分けられる。
一つは、ヒロインの妄想を、時には映像によって、時にはナレーションによって表現し、この妄想と現実との大きなギャップ(言い換えれば本音と建前のギャップ)を生じさせるもの。この落差を使って笑いを生産しているのである。例えば、ヒロインがパーティで本音によって幼なじみの弁護士を紹介しようとする妄想を見たり、スピーチで編集長の名前を下品な言い間違えで紹介しそうになったりするところが好例だろう。
もう一つは、これも主観的視点を利用したものであるが、ヒロインの非常に偏った主観でストーリーを語り、突如として、客観的視点のショットを挿入するというもの。同じ状況でも、視点をチェンジさせるだけで主観的な言動がいかに滑稽であるかを見せることができる。この一歩引いた視点で笑わせる手法である。例えば、ラスト。ヒロインがパンツ一丁で告白するシーン。パンツだけで街角へ飛び出す時点で、もう笑えるのだが、そこに彼女を白い目で見つめる老女たちを映し込むことによって、より客観的な視点を強調しようとする。それによって、彼女の主観と客観のギャップを際だたせ、笑いを倍増させようという寸法である。また、中止となった仮装パーティもこの手法が使われている。仮装していない人物たちが、仮装したヒロインをを客観的に眺めることによって、笑いを起こそうとしているのである。当然のことながら、もし全員が仮装していたら、客観的な視点が存在せず、彼女を見ても笑いは起こらないのである。
しかし、この手法で笑わせるには、観客をヒロインの主観に入り込ませなければならないという前提がある。もし最後までヒロインに共感できなかった観客がいたとしたら(結構いそうだけど)、あまり笑えなかったことだろう。言ってみれば、本作品で笑えるか笑えないかは、ヒロインに共感できる演出がなされているかと同等に、ヒロインを演じたレニー・ゼルウィガーの演技力に大きく関わっているのである。ヒロインを大好きになってしまった人、あなたはきっと大笑いできたのではないだろうか。
copyright(C)soh iwamatsu