『メッセンジャー』
●君にこの絵空事を許せるか
 本作品は、リアリティを追求する作品ではなく、作品世界が成立しなくなるギリギリのリアリティを保とうとする絵空事の作品。この綱渡りは、時に虚構の方へバランスを崩すことはあっても綱から落ちるまでは行かないところでバランスを保っている。例えば、ラストで素人のヒロインが自転車で柵越えをしたり、オフィスの中まで自転車で乗り込んだりするのは、思いっきり嘘っぽいが、ここまでなら馬場監督は許されるだろうと踏んでやっているんですね。その反面、自転車便がバイク便に勝てそうに見せるなどの「らしさ」には慎重なのである。どこにどの程度のリアリティを配分すればいいのかよく考えている。つまり、この作品で見せるデタラメ・ご都合主義は、粗ではなく計算ずくなのである。
 ただ、この作品を取り巻くオーバーな演技とシチュエーションは外しているように思える。正直言うと、観始めたときは、怒れてきました。キャラクターたちがパターン化され過ぎているのもさることながら、飯島直子のオーバー・アクトとうるさいセリフは何だと。そんでもって、化粧も濃すぎるだろって、直接、作品とは関係ないところまで気になりだしたりして・・・。「やばいなあ」「外したかな」と思って観ていたんですね。だから、ライバルのバイク便の男がヒロインに対して言う「何だ、この若作りのレース・クイーンみたいなヤツは!」といったセリフが、「その通り!巧いこと言うなあ」と思いっきり頷いてしまった。
 こうしたオーバー・アクションとともに、オーバーなシチュエーションもちょっと苦しかった。たとえば、ヒロインが仕事や家を奪われる冒頭。路上にほうりだされるまでの展開は、マンガチック過ぎて、笑えるどころか引いてしまう。
 このようなオーバーなアクションとシチュエーションは、リアル指向の作品が好きな人には、全く持って馬鹿馬鹿しく感じられることだろう。馬場監督は、なぜそこまでこの作品世界を嘘っぽい世界に近づけようとしたのだろうか。それは、もちろん観客を現実逃避させることで楽しませようとしたのだ。作品世界のリアリティの在り方に、この作品のサービス精神が伺われる。

●私を波の数だけスキーに連れてって
 本作品は、今までのホリチョイ・プロの作品のパターンを踏襲している。主人公は、その道を窮めており、仲間(共同体)を持っている。ヒロインは異世界からその仲間に加わり、その仲間に波紋を投げかける。次第に、ヒロインはその仲間に馴染み、主人公といい仲になりかけたとき、その世界から離れなければならなくなる。主人公は、ヒロインを引き留めることが出来る位置にいるにも関わらず、素直に彼女を引き留めることが出来ない。そして、彼女がその世界から離れるときは、その共同体にとっては、危機を乗り越える正念場を迎えているのだ。
 こうした大筋は、本作品だけでなく、「私をスキーに連れてって」や「波の数だけ抱きしめて」にも当てはまる(「彼女が水着に着替えたら」は、ちょっと毛色が違うのだが)。ラストでライバルに邪魔されながら、レースを繰り広げる点では、「私をスキーに連れてって」に最も似ていると言えるだろう。ただ、本作品は、今までのホリチョイ・プロの作品の中では、最もロマンティックな味付けが弱くなっているし、ヒロインのキャラクターが力強いものになっている。時代を経て、女性は確実に強くなってきているんですねえ。
 また、今までの作品のように、HOW TOもの的な要素を入れるのも忘れていない。自転車便という馴染みのない仕事の中身を、物語の中できちんと説明してくれるのだ。それから、「楽勝!」「俺、まだ何も言ってないんだけど」などといった決まり文句があるのも今までの作品通り(ちょっとやりすぎな気がしましたが)。
 こうした過去の作品の類似点からも分かるように、馬場監督は、リスクを負って新しいことに挑戦するのではなくて、自分の得意技で観客を楽しませようとする職人監督なのである。観客のために映画をつくる。これがホリチョイ・プロの姿勢なのだろう。見せ場やカタルシスの与え方など娯楽のツボをしっかり抑えているし、ストーリー運びが本当に巧い。日本映画界を盛り上げるには、独りよがりの作品ばかりをつくるのではなく、こういった作品が量産されるべきだと思う。

●脚本の練りが効いている
 とにかく、よく見せ場を用意して、それをストーリーとして巧くつなげてあります。冒頭、自転車がバイクを抜くところは巧いし、バイク便を嫌っていたヒロインが、日焼け予防のマスクや上着を脱ぎ捨てたり、ダサイといっていたビールを飲み始めたり、かつての仲間にも自信を持ってバイク便姿を見せたりするようになる。こうしたエピソードの積み重ねは、よく考えられていたと思う。バスのエピソードもそれなりに感動を呼ぶことだろう(私は、「そこまでしつこく携帯を鳴らすか!」というのが気になってしまって、それがあのシーンへの感情移入を邪魔していたが)。
 多少、間の悪い会話のやりとりが気になることもあったが、笑いも巧く盛り込んでいた。私が一番笑えたのは、レースの大詰めでライバルのバイク便の男が乗ったエレベーターのボタンを乗り合わせた人にどんどん押されていくくだりですね。一番状況を理解していない友人が「お前、空気読めや」と言うところやエンディングのラップもよかったです。

 ただ、この作品で一番問題だったのは、なぜ主人公が自転車便にこだわるのかということが理解できないことでしょう。「子どもの頃、初めて自転車に乗れたとき何でも出来そうな気がした」という主人公の説明を聞いても納得いかねえよって思いませんでした?そんなこと言ったら、「初めてバイクに乗ったとき、何でも出来そうな気がした」っちゅう人もいるだろって思っちゃう。私もつくづく夢がないですねえ。

 ところで、山口百恵の「美・サイレント」みたいなヒロインのメッセージはいったい何と言っていたのでしょう?


『メトロポリス』
 言わずと知れたフリッツ・ラングの古典です。今となっては、未来の世界観は古風ですが(プロペラ機が飛んでいる!)、あの時代にあれだけの世界を構築したのはさすがでしょう。「スターウォーズ」のC3-POを始め、多くのSF作品に影響を与えたのもうなずけます。最近のSFもこの作品を見習って、もっとオリジナリティを持った未来世界を見せて欲しいものです。
 ただ、ストーリーが変でしたよね。だって、労働者たちを水攻めで殺したりしたら、会社が潰れて困ると思うんだけど。もちろん、ストーリーなんてどうでもいいのであって、追いつ追われつの活劇満載になっていて、さすがはサイレント映画でした。
 労働者たちの地下の仕事場へ入って行くところの歩き方とか、仕事をしているときの体の動かし方とかが格好良かったです。役者たちの動きはみな、演技と言うよりは振り付けに近く、サイレントの時代は役者はオーバーアクトなのだが、それをスタイリッシュなものにまで引き上げたことが、ラングの素晴らしさだと感じました。


『めまい』
『北北西に進路を取れ』
『サイコ』
 今までに観たA・ヒッチコック作品のベスト3である。これら観ずして、映画は語れない。ヒッチコックの言葉に「ある監督たちは、人生の断片(きれはし)を映画に撮る。私はケ−キの断片を映画に撮るのだ」というのがあるが、ヒッチコック作品には本当に理屈抜きで映画の純粋な面白さを教えてもらった気がする。説教臭い映画、感動する映画…。そんなのは映画じゃない。ヒッチコックこそ、映画なのである。ちなみにヒッチコックにはまったら、次の5本も要チェック。はずれなし。「レベッカ」「疑惑の影」「裏窓」「鳥」「フレンジー」


『メリーに首ったけ』
 本作品は評判通り下品なノリで、初期のデートには使えない作品だ。中身をよく知らずに彼女を誘ってしまった男性は、観ているときにここで笑っていいだろうかといちいち考えなくてはならないだろうし、観終えた後に、「あのシーンが笑えたね」と語り合うのも難しいかも知れない。特に、動物虐待や障害者を馬鹿にしたようなギャグはかなりキワドイし、笑えないどころか腹を立てる人もいるのではないだろうか。監督のファレリー兄弟はサービス精神旺盛で、多くのギャグを盛り込めば盛り込むほど作品がどんどん下品になっていくのだ!
 私は、お馬鹿な映画観たさに出かけたが、正直なところ思うほど笑えなかった。というか、観てて生理的に受け付けないギャグも多く、笑うどころではなかったシーンもあった(例えば、冒頭のトイレで主人公の男が急所をジッパーで挟むシーン)。

 何と言ってもこの作品はキャメロン・ディアス。彼女が出演していなかったら、「金返せ!」と思う人もいるはず。彼女は本当にキュートだ。彼女のコロコロ変わる表情を観ていると、万華鏡を覗いているように幸せな気分になる。個人的には、ラブコメのヒロインは、メグ・ライアンからディアスに移った感がある(と言いつつも、密かに「ユー・ガット・メール」で、ライアンの巻き返しを期待していたりもするが)。
 下品な男達とギャグに囲まれながらも、彼女がピュアで元気なままでいられるのは、間違いなくディアスの持ち味だが、ストーカー達に囲まれて生き生きしている彼女を観ていると、この作品を機に彼女のストーカーが倍増するするのではないかと心配になったりもする。この作品の構造自体、観客を作品に出てくる男達と同様にストーカーにさせることを目的にしているから、それはやむを得ないことなのだが。この作品の成功と引き替えに、ディアスは自らのストーカーの数を増やさなければならないことだろう。とにかく、彼女は男達に囲まれて魅力を増す女優だ。しかし、セックスシンボルとなりつつも、ピュアであり続けるのが彼女ならではの特徴だ。そこがシャロン・ストーンとは違うところ。メグ・ライアンとシャロン・ストーンを足して二で割ったキャラクターがディアスなのかも知れない。

 お話についても少し触れておこう。結局、みんな「メリーに首ったけ」だったというオチは面白かったが、メリーを巡る男達の「化かし合い」が始まるまでが少々長い気がした(しばらくは、マット・ディロンの一人舞台で、途中で主役が変わってしまった感じになる)。しかし、騙し合いというのは恋愛の本質をついているので、お話を最後まで面白く観ることはできる。どんな恋愛にも裏があり、互いに騙し騙されて成り立っている。しかし、自分だけが騙されていないと誰もが思っている。そんな世界に下品な男とギャグをちりばめても、ディアスが絡めば健康的な世界が広がるのだ。全く「ディアスに首ったけ」ってな訳ですね。



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