『ナイト・オン・ザ・プラネット』
 本作品もジャ−ムッシュ監督の作品の傾向に則した「出会い」の話なのだ。それは多分,この監督が外向的で,見ず知らずの人との出会いを大切にした生活を送っているからなのだろう。今回はそのきっかけとしてタクシ−をうまく使っている。これなら初対面の人と限られた狭い空間で,ある程度の時間を持つことができるし,邪魔も入らない。ジャ−ムッシュはこうして自分のやりたい,撮りたい場面を自然に作り出している。これが設定の巧さだ。
 また,物語の観せ方にこの監督の個性が光っていると言ってもいいだろう。劇的なシチュエ−ションを避けて,何気ないごく自然な場面を切り取り,それを積み重ねることによって話を進めていく。よって,言葉・行動,またそこから生み出される感情もささやかで激しいものではない。しかし,それらによって,日常的な笑い,切なさ,悲しみを鋭く,かつ深く描くことができるし,テ−マをストレ−トに語るのでなく,絵の中にひそませるというか,にじませることもできるのだ。これだけテ−マ的な要素を含みながら嫌味になってないなんて巧すぎる。テ−マを言葉や行動でストレ−トに表現するのは映画的でないと考える私にとって,そうでないテ−マの表現方法は重要なポイントである。
 とにかくこの作品は,北野武監督の作品同様,場面の切り取り方とその積み重ね方が,演出の中でも重要な要素であることを教えてくれる。
 最後に,個人的な趣味を言わせてもらうと,「ニュ−ヨ−ク編」が一番気に入っているのだが,どの話にも「ストレンジャ−・ザン・パラダイス」のような虚無感というか,憂鬱が映っていないのが残念だった。何せわたしゃ,ジャ−ムッシュ監督の中では「ストレンジャ−・ザン・パラダイス」が一番好きなんで。


『なぜ達磨は東へ行ったか』
 幾度となく襲いかかる睡魔と闘い、私は勝った。しかし、何も覚えていない。目が開いたまま熟睡していたのだ。申し訳ない。 


『ナチュラル』
 格調高い作風にムチャクチャな展開、このミス・マッチで最後まで押し通すが、さすがはレビンソン監督だけあって面白い。「レインマン」と同様、この作品もフレッシュでみずみずしい雰囲気がたまらない。


『ナバロンの要塞』
 007シリ−ズが制作される前の年に創られた作品だが、007シリ−ズより何倍も面白いと私は思う。スパイものならナバロンにお任せを。


『ナバロンの嵐』
 「ナバロンの要塞」には及びもしいことは事実だが,見所もしっかり備えていてなかなか面白い。仲間の中に裏切り者がいたり,敵の中に味方がいたりとその辺りが実にワクワクさせられて巧い。ハリソン・フォ−ドは大して魅力を発していないが,ロバ−ト・ショ−が強烈にいい。悪役の見事なのは知っていたが,善玉をこれほど渋くやれるなんて知らなかった。 では,なぜこの作品は「ナバロンの要塞」に及ばなかったのか。第1に1作目よりスケ−ル・アップした分,作りが雑なのだ。スト−リ−を語るという意味でも,ちょっとショットのつなぎが粗い気もするし,細かいサスペンスをたくさん仕掛けられたはずのところを外し,大きな見せ場だけに絞りすぎた気がした。第2に,行進曲が音楽で流れるのだが,画面と合っていない。つまりは何が言いたいかというと,今一つ画面の流れがリズミカルでないということだ。スト−リ−展開,ショットのつなぎ(編集)が特に絡んでくると思われるが,この映画,是非,行進曲の合う画面作りにしてほしかった。でも,随所にちりばめられたセリフのユ−モアがそれを救っていたと思う。


『嘆きのテレーズ』
 間違いなくサスペンスは、モノクロ映画時代の方が面白いのです。そして、サイレント映画を制作したことがある監督が撮ればなおのこと。ドキドキ映画といったら、この映画が一押し。この一本でヒッチコック5本分なんて言ったら大げさか。大げさだなやっぱり。私は、子供の頃この作品を観て驚いたことがいまだに忘れられない。


『夏の夜は三たび微笑む』
 「野いちご」と同様に,非常に共感した1本。理想的な恋愛の形をしっかり示してくれたと言っても過言でないだろう。ベルイマンは,まず主人公と幼妻による第一の恋愛の形を見せる。主人公は,若さや純粋さに恋して結婚するが,幼妻は夫の孤独を癒したくても癒せない。まだ経験の深さなどから相手を理解できないのだ。よって,幼妻は年の近い息子と駆け落ちをしてしまう。この愛の形の教訓は「お互いの考え方の方向が同じでも段階的なスピ−ドが違えば理解し合えない」であろう。耳が痛い。
 第二の恋愛の形は主人公と女優によって示されるが,先に第三の女優と伯爵の恋愛の形を見ていきたい。女優は自立した人間で,恋などしない。しいて言えば自分に恋しており,仕事を通して自己の確立を遂げようとしている。しかし,伯爵も自分に恋していると思われるが,恋愛相手を通して自己の確立を成し遂げようとする。自分に恋して恋愛するのは,最悪で自分を理解してほしいが,相手を理解しようとしない。結局は,相手を自分の型に当てはめるだけで,なおかつ独占欲が強くなるため,相手が自立している人間の場合には耐えられないことになるであろう。だから,この恋愛の形は,相手を甘えさせ自立させないよう努力することになる。この形の教訓は「恋愛相手はペットじゃない」かな。これも耳が痛い。
 第四の恋愛の形は伯爵とその妻との関係で,お互い自立をしていない者同志の恋愛である。しかし,妻は伯爵と少し違い,自分というものもしっかり掴みきれていないと思われる。つまりは他人本位なのである。その上相手のことも見えていない。だから相手の「長所を生かさず,結婚を退屈なものにしている」のだろう。教訓は「自分と愛する相手を見つめよ。そして,それを強く肯定してあげるべきだ」でしょう。これは耳がかゆい。 そこで,第二の主人公と女優の恋愛の形を見ていきたい。この二人は以前付き合っており,別れた理由は明確ではないが,主人公も伯爵の妻のように相手に頼り過ぎてしまうところがあり,そこに別れた原因があったと思われる。よって他人本位の性格上,付き合っているときは自己成長しにくく,別れて独りきりの自分自身を意識したときの方が成長する。主人公本人はまだ自立しきれず,そのことにも気づいていない。だから,女優は「自分自身をさらけ出せる」という主人公に心を許しはしないが,他の女性を寄せ付けないようにし,主人公が自立してその日が来るのを静かに待っているのである。つまり,これこそが理想の恋愛の形であり,教訓は「お互いが精 神的に自立しないかぎり恋愛は成立しない」ということになるだろう。
 ベルイマンは,これらの様々な恋愛模様を綴ることで,恋愛は失敗ばかりで滑稽だが,愛するも愛されるも自分の責任で行なって楽しめばいいんだと微笑みかけているようだ。その反面,個人の問題は自分自身で解決することしかできず,恋愛はその力になれないとも語っている。この二つの意味から「恋はゲ−ム」だと言えるのだろう。ただ,これだけの内容を二時間弱で観せたためか,テ−マを語るのにセリフに頼りすぎの傾向にあり心への訴えかけがやや弱いように感じられたのが残念だ。


『波の数だけ抱きしめて』
 トレンディ・ドラマを映画にするのを得意としていたホリチョイ・プロの作品.「私をスキーに連れてって」は有名だが,全般的にはこっちの方が面白いと思う.「彼女が水着に着替えたら」は,失敗作だというのは,誰もが共通するところだろうけど.トレンディ・ドラマ好きの人にお薦めする映画です.


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