『野いちご』
 今の自分の老年期を観せられた映画。主人公の教授やその息子は私自身にほかならない。自分のやりたいことをやるのが精一杯で,それを妨げるものはいかなるものでも排除したい。他人との関わりもその例外でなく,情が絡めば絡むほど面倒なことが増えていくため,人から逃げようとする。自分の打ち込んだ仕事によって,人から愛されることはあっても,それは表面的なものであって孤独に変わりはない。
 この作品は,そんな孤独な人間の人生を老人の主人公の回想だけで語るのでなく,青年期をいとこ達との回想とヒッチハイクの3人の若者,壮年期を不倫現場の夢と息子夫婦とヒッチハイクの夫婦で描き,現在の老年期の主人公の孤独を浮き上がらせた。この見事なバトン・タッチで,私が普段考えことを避けていた孤独という罰がリアルに,そして深く胸に迫ってきた。私はこの罰から逃れるため,息子夫婦が,ラストで主人公が寝床で回想した両親の姿のようになることを信じ,自分の生き方を考え直そうとしなければならないと痛感している。


『ノッティングヒルの恋人』
 これは、人気女優と本屋を経営する内気な男という、住む世界の違う男女が恋に落ちる「ローマの休日」っぽいお話(ラストの記者会見シーンは、「ローマの休日」へのオマージュでしょうし、「Anna」というロバーツの役名も、「ローマの休日」の「Princess Anne」から取っているのかも知れない)。
 冒頭のジュリア・ロバーツのアップの連続を観て、個人的には、ピークを過ぎたロバーツよりもキャメロン・ディアスにやって欲しかったと思ってしまいました。しかし、この秋には、「プリティ・ブライド」も公開され、ロバーツ旋風を巻き起こすかも知れませんね。

●サブテーマがマイナス要因を生んだ
 物語を見てまず思ったことは、なぜ話の視点が人気女優に置かれず、平凡な男に置かれたのかということ。「ローマの休日」の線を狙っている作品であるなら、単純に考えれば、「ローマの休日」のように、名声を得た反面、自由を制限された人気女優の立場に視点を置いた方が、恋愛に悲壮感が付加され、より盛り上がるような気がする。それに、人気女優の方は、二股をかけていたり、男の家でマスコミに囲まれたとき、醜態をさらしたりと、女の方にかなり不利な描き方をしていて、これでは観客は人気女優に対する憧れが消えてしまい、「高嶺の花」との夢見るような恋が成立しなくなってしまう気がする。しかし、そんなデメリットを抱えつつも、この作品は、女のの視点で描くことをしなかった。それはなぜか。この視点の選択理由を考えると、本作品のサブテーマが見えてくる。
 平凡な男の視点で描いたメリットは、彼のホットな友人関係を描くことで、「友情を大切にしよう」というテーマを打ち出したいという制作者たちの意図があったからだと思う。主人公の男は、重大な問題にぶつかると、いつも友人に相談し、時には彼らと家族会議のようなものまで開く。そして、ラストでは、彼らのバックアップを受けて人気女優を追いかける。こうした描写の繰り返しで友情の尊さを訴えているのだが、私には、どうもそれらの描写がマイナスに感じられてしまった。
 その原因は、主人公の男の消極的な性格にある。彼の消極的な性格は、その友人に頼りすぎる行動によって拍車がかかり、単に情けない奴に感じられてしまったのだ。
 この主人公たちの恋愛は、女の側の行動によって支えられている。というか、彼女の行動がなければ、成立しない。初めて二人がキスをして関係が生まれるのも、二度目に合う約束の電話をかけるのも、デートの後にホテルに誘うのも、人の庭に忍び込んで散歩をしようと促すのも、初めて肉体関係を持つのを誘うのも、破綻した関係をやり直すために会いに行くのも、どれもこれもすべて女の方なのだ。
 男の方はと言えば、友人に彼女の電話番号を調べてもらっても電話をかけず(ホントは相手を忘れられないのに)、彼女に会いに行ったら行ったで、直接話をする前に、彼女の話を盗み聞きしただけでノコノコ帰ってきてしまう。それでいて、行動するときは、すべて友人に相談してからなのだ。これでは、「友情を大切にしよう」というテーマよりも情けない男という方が前面に出てきてしまう。
 ラストで、消極的だった男が初めて積極的な行動に出るという展開を見せて、男の成長を描こうとした監督の意図も分かるが、それまでの情けない印象が強烈すぎて拭いきれないのだ。
 しかし、その男を演じているヒュー・グラントが甘いマスクの美形だから、そうしたキャラクターをなぜか許してしまえるようなところがあるんですね。彼によって、この映画はかなり救われているような気がする。

●恋愛ものの王道をばく進
 恋愛もののパターンと言えば、@始めに恋に落ち、A次にその想いを素直に伝える勇気が持てなくて一線をなかなか越せず、Bそして、一度は結ばれるが、うまくはいかない。C最後に、本当に結ばれる。この四段階を物語はたどって行くのが王道だが、この四つの段階の間にはいくつも障害が用意されており、次の段階に進むためには、それらの障害を越えなくてはならない。それらの障害があることで、それを乗り越えたときに感動が得られる仕組みになっている。
 本作品は、一糸乱れず、このパターンを踏襲する。ラブコメをよく観ている人は、この新鮮味のない内容にガックリ来たのではないだろうか(前半で、相手に好意を抱いている素振りを一切見せずに、ロバーツがいきなりグラントにキスをするシーンは新鮮だったけど。場内「え?」って感じでざわついてました)。このオーソドックスな味は、まずくはないが、もう食べ飽きたと。
 その反対に、ハリウッドのラブコメが新鮮な人には、お勧めします。脇役が笑わせてくれるし(さすが「フォー・ウェディング」の脚本家ですね)、決して完成度が低い作品ではないので。

●演出に少々疑問が・・・
 本作品に対して、私が一番気になったことは、実は、主人公の男の情けないキャラクターではなくて、見せ場でカットを割りすぎる演出なのだ。主人公たちが、相手に対する想いをぎこちないセリフで打ち明けるときに、カットを次々割ってしまう意図が理解できない。こういったシーンでは、二人の切り返しでさえ過剰なカット割りに思えるのに、それ以上に割ってしまっては、役者の演技を殺してしまっていると言っても過言ではないと思う。カットを割るということは、そのショットの持つ緊張感や感情を分断してしまうというデメリットがあり、そのことを意識して、デメリットを越えるほどのメリットがある演出がある場合に限り、カットは割るべきだと思うのだ。私には、この監督にその辺の意識が低い気がしてならなかった。
 また、相手の女優の内面をほとんど見せず、男の内面描写だけに絞ったの演出は、観客をより現実の恋愛に近い心理に近づけ、観客にこの男の恋愛をあたかも自分の恋愛のように感じさせるためだったのだろう。しかし、その術中に観客がはまったどうかは怪しい。それは、相手の女優の心理が分からないことから生じる不安感などを煽るようなシーンがなかったからだ。これだったら女優の内面を見せるショットを入れた方が、観客は相互に感情移入が出来て、よりお話が盛り上がったと思うのだが・・・。

●雑感
・妊婦が出産してしまうなどの描写を使って、半年の時間の経過を1カットで見せたところは面白かった。
・主人公の女優が、裸の条項に敏感になっていると言って、彼女を演じるロバーツ自身も裸のシーンをほとんど見せないので、役と本人を思わずシンクロさせて観てしまったりして。


copyright(C)soh iwamatsu.since1997