『レイジング・ケイン』
 本作品は、「殺しのドレス」「ボディ・ダブル」と並ぶ、デ・パルマのヒッチコック作品へのオマージュだ。今回は、「サイコ」をメインにつくり上げられており、「サイコ」の二重人格を四重人格にして、オチをひねりまくって、小道具(ブラウン管に映る影、沼に落ちていく車、かつらetc.)へのこだわりも徹底してと、ほんとによくやってます。
 また、デ・パルマ得意の主観の長回しは絶好調だし、スローモーションを使ったサスペンスの盛り上げ方も、さすが映像の魔術師の名に相応しい手腕を見せてくれる。
 しかし。しかし、です。お話があまりにぶっ飛んでいるんで、怖いと言うより笑えてきてしまうんですね。私の本音を言うと、もういい加減、デ・パルマはヒッチコックの呪縛から逃れた方がいいのではないかという気がするんです。ヒッチコックへのオマージュを捧げたデ・パルマ作品となると、決まってB級映画っぽくみえてしまうのは私だけだろうか。まあ、「カジュアリティーズ」「虚栄のかがり火」といったつまんない作品を撮っているよりはましだとは思いますが。しかしながら、ヒッチコックを意識しないサスペンスを撮っていた方が、デ・パルマはいいものつくっている気がするんです。
 本作品は、多重人格のそれぞれの人格を別々のキャラクターとして映像で見せるので、観客は混乱すること必至でしょう。そこをデ・パルマは狙っているようですが。しかし、後でそれを分かりやすく解説してくれるので、観終わった後まで分からないような難解な作品になっていないのが、いかにもデ・パルマらしい(姿をくらませたケインが、「羊たちの沈黙」のレクター博士とは違い、ちゃんと現れてくれるところも分かりやすい)。
 おそらく彼のねらいは、心象風景を現実の風景と交錯させることで混乱させることにもあるのだろう。どうも、デ・パルマは心象風景を映像化することにこだわっているらしい。「ミッション・インポッシブル」しかり。「スネーク・アイズ」しかり。印象に残るのは、この主観的な心象風景の映像化なのです。
 私の願いは、デ・パルマがヒッチコックへのオマージュをやめ、心象風景を映像化するのに適した脚本を準備すること。そうすれば、デ・パルマも巨匠と呼ばれる日が来るかも知れない。


『レイダ−ス』
 おなじみインディアナ・ジョ−ンズが大活躍する活動写真。3作とも観てつまらないという人は、病院で一度看てもらった方がいい。(確かに3作目はつまんないけど…)個人的には、2作目、1作目、3作目の順で好き。この感想って、「ダイ・ハード」「リーサル・ウエポン」シリーズに通じるんだよね。


『レナードの朝』
 癖のあるデ・ニ−ロが身体障害者の役と聞いただけで<うっ>と、くどさを感じたが、観たらなんと「レイン・マン」なんて屁のかっぱ。抑制の効いた演出。そして、巧みなスト−リ−とテ−マの融合。女だからってペニ−・マ−シャル監督を見くびるな。でも、薬の混入量を勝手に増やしたあたりは大目に見てね。


『恋愛小説家』
 閉じてしまった男と閉じつつある男女の交流を描いた物語。閉じてしまった人間が他人との交流を取り戻す物語と言えば、最近では「グッド・ウィル・ハンティング」を思い出すが、トラウマなし、特異な才能なしという主人公のキャラクターからも、本作品の方が感情移入しやすく、私の好みであった(おいおい、あんな強迫観念もってる潔癖性の方がよっぽど感情移入しにくいだろうっ!って言う人もいるかも知れないけど)。

 SFX、アクション映画が台頭する現在のハリウッドで、本作品は、ドラマ部門での久々の傑作の出現と言えるだろう。ジェームズ・L・ブルックス監督と言えば、劇的なストーリー展開を避け、日常的何気ないやりとりの積み重ねで物語を進めるのを得意としており、私は「愛と追憶の日々」が結構好きだったが、本作品は、それを遙かに上回る出来である。観終わった後、これだけの幸福感に包まれ劇場を後にすることができたのは、本当に久しぶりだ。まあ、後半、画家の実家に旅に出るところからラストまで、画家の立ち直りとテレビドラマのような恋愛の駆け引きが続き、多少間延びをしているように思える人もいるかも知れないが。

 主人公は、相当やな奴なんだけど、ジャック・ニコルソンがやると、最初からやな奴っていうイメージがあるんで、役に対して嫌悪感が沸かないというのが彼の凄いところ。というか、ニコルソンの役は、やな奴じゃないとリアルじゃないというのかな。主人公の自己防衛のための攻撃的な口調が、この作品の笑いであると同時に哀しみでもあるという重要なポイントなのだが、ニコルソンは、そのポイントをしっかり押さえて、作品を成功に導いた。アカデミー主演男優賞受賞に異議なし。
 もちろん、主演女優賞も異議なしです。ハリウッドには、普通の女性の役を魅力的に見せる役者さんが結構いるんですね。病気の息子が元気になって、自分を振り返ったときに自分の孤独を感じるところは、あの「ツイスター」の役者とは思えないほどいい味を出していました。

 ちょっと作品世界にはまりすぎて、詳しい分析は出来ないが、人間不信で利己的で弱気な主人公が、隣人たちのトラブルに巻き込まれたり(犬の世話)、自分の思い通りにことが運ばなくなったり(お気に入りのウエイトレス不在)したことから、その問題に利己的に対処する。ところがその利己的な行動が「他人のための行動」と勘違いされ、周囲の人間たちから感謝されてしまう。その食い違いから、主人公は、人間関係を取り戻し、自己不信を捨て始めていくことになる。
 「利己的な行動から人間不信を捨てていく」というストーリーは、私にとって、とてもリアリティを持って受け入れられ、お気に入りのおとぎ話となった。
 犬がいなくなってピアノを弾くシーン、レストランから客の拍手を浴びて追い出されるシーン、カウンセリング医師に追い返されるシーンなど、人間不信から逃れようとする人間を再び人間不信に引き戻そうとするシーンでは、主人公の孤独感を思うと、とても胸が苦しくなった。その反対に、主人公が自分の部屋の鍵(=心の鍵)のかけ忘れに気づくシーンは、とても感動的であり、来るとは思っていたけど見事にやられたという感じだった。

 友人に言わせると、私は淋しがり屋の映画に点数が甘いという傾向があるらしいのだが、この作品もその系列の映画で、かなり気に入ってしまったので、やはり友人の言うことは正しいのかなと思ったりしているのです。


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