『ローデッド・ウエポン1』
 これは笑える。「殺したい女」と「サボテン・ブラザーズ」と本作品を私のお馬鹿映画の三強に選びたいと思います。「リーサル・ウェポン」をメインに、「羊たちの沈黙」「氷の微笑」などのパロディやジム・アブラハムズとザッカー兄弟の三人たち自らの作品のパロディの連発。有名俳優も多数出演。「殺したい女」と同様に、お馬鹿映画にもある程度ストーリーが必要だということを教えてくれます。面白かったギャグを書き出すときりがないので避けますが、お馬鹿映画が好きな人なら気に入って貰えるはず。こういった作品も劇場で観たいものの一つ。満席の劇場で多くの観客とともに笑いながら観たかったです。


『ロスト・イン・スペース』
 テレビシリーズの「宇宙家族ロビンソン」は未見だけど、この作品はイケてます(お話は結構無茶してますけど)。最近、娯楽作品にノレないことが多く、観終わった後、感想を書いていると、何か粗探しをしているような気分になってイヤだったんだけど、これは久々にノレてうれしくなっちゃいました。お正月映画としては、「アルマゲドン」より断然こちらがお薦めです。
 作品の全体的な印象は、テーマパークのアトラクションに乗っているような感じです。特に、困難に対して次々といろいろな兵器で乗り切っていくアップテンポな前半は、ゲームセンターで遊んでいるような錯覚に陥ります。後半は、そのノリノリのアクションから家族ドラマに重心が移動していくので、バリバリのアクション映画を期待していた人には少々不満が残るかも知れないが、登場人物たちのキャラクターもしっかりしているので、ドラマとしてもちゃんと楽しめると思います。
 この作品で、私がもっとも素晴らしいと思ったのはラストです。「バック・トゥ・ザ・フューチャー(1作目)」のようなラストで、エンドタイトルが流れ始めたときに、「バック・トゥ」と同じような爽快感に包まれるのです。
 今回のゲーリー・オールドマンはキレた役ではなく、小悪党を軽妙に演じていたが、いつものように私たちを楽しませてくれる。だけど、虫に引っかかれたオールドマンて、生き残ったけど、結局また虫になったちゃうんでしょ。本当、かわいそうなヤツですね。
 結構楽しませてもらった割には、こういう強烈に抜きんでたとこがない軽いノリの作品て、すぐに忘れてしまうんだろうと思ったりしたりしなが劇場を後にした私でした。


『LOST HIGHWAY』
 面白い。素晴らしい。快感。リンチを越えるPOPな変態はいない!自己満足・自慰行為的な変態映画を創る映画監督は星の数ほどいるだろうが、娯楽になっている変態映画を創れる映画監督に出会えることは滅多にあることではない。もちろん、リンチはその稀な才能を持つ監督である。
 人間は皆理解し合えると思っている人道至上主義者、この宇宙に出来事は全て認識できると思っている科学至上主義者・・・自分に理解できないことは、認めない人間はいるだろうが、人間には分からないことはたくさんある。そして、分からないことは詰まらないと思う人間もいるだろうが、それを楽しめたらどんなに素敵なことだろう。
 とにかく、そんな感じの映画だ。内容については言葉で語ることはできない。語っても伝わらないだろからだ。とにかく観るしかない。


『ロケッティア』
 情けないヒ−ロ−ぶりは抜群。でも、かっこよさを発揮する見せ場が不足していて、大いに不満が残る。また、宮崎駿監督の作品を彷彿させる場面がいくつかあったが、いずれもあの躍動感を越える体験をさせられることはなかった。


『ロシア・ハウス』
 政治が絡んだ映画は、スト−リ−は追うだけで疲れる。また、政治ドラマに比べて恋愛ドラマが感傷過多の割には余りしっかり描かれていない気がした。そのためラストでの主人公二人の再会も白けてしまったのは私だけか。 


『ロスト・チルドレン』
 ジュネ&キャロの制作チームは、細部に至るまで徹底した世界の構築に全力を注いでいる。そのお陰で、一つ目教団、ノミ使いの殺し屋、クローン人間たちをはじめとする非現実的なキャラクターにリアリティを持たすことに成功している。というか、これこそが彼らが映画でやりたいことなのだろう。それと、ビジュアルのアイディアをいかにたくさん盛り込むことができるかってのが彼らの映画制作の目的なのだと思う。ストーリーなんて、それをつなぎ合わせる役目しか果たしていない。ドラマで見せようなって思っちゃいない。
 とにかくビジュアル・スタイル本位の作品だから、どれだけ自分たちの世界観に観客を導くことができるかが勝負の分かれ目だ。その点で、本作品は見事に成功しているから、支持者も多くいることにもうなずける。

 彼らの作品の世界観は、「未来世紀ブラジル」をせこくしたような感じだが、「デリカテッセン」より金がかかっている分、ビジュアル的には見応えがあるのは確かだ。そういった基本的な世界観もさることながら、全体的に亜流という印象は否めない。どこかで観たような映画の寄せ集めという感じがするのだ。冒頭のサーカスの怪力男の相棒が刺されるくだりだけでも、「あ、フェリーニだ」「あ、ヒッチコックだ」てな感じで、パロディにしてはオリジナリティに欠けすぎてるようで、手放しに賞賛するのに抵抗を感じる。

 もちろん、全くオリジナリティがないわけではなくて、面白いところもたくさんもある。シャム双生児の女の片方が味見して、片方が味をつけるといったところとか、6人のクローンたちが交代しながらボスにお伽話をするところも笑いを誘う。また、ミエット(主人公の少女)の涙がノミ使いの殺し屋を呼び出すくだり。相手の目を自分の目につないで相手を殺す(自分を殺している人間の視点で死ぬ)シーンもなかなかだ。楽しめるアイディアとビジュアルがいっぱいだ。大したストーリーもなく、最後まで面白く観ることができるのは、映像の力が相当のものだという証拠だし、ビジュアル指向の作品で楽しめるものは数少ないので、ジュネ&キャロには今後も頑張って欲しいと思う。

 オレンジの光に緑の影という色づかい。奇形趣味。下品&グロテスク。ブラックユーモア・・・。ジュネ&キャロのこういった特徴は、なんか、古い絵本・童話の世界を彷彿させる。グリム童話とかを彼らが映画化したらさぞかし素晴らしい映画が出来るだろうにと思ったりする。「エイリアン」なんかつくってるよりずっといいと思うのだが。


『ロスト・ワールド』
 1作目と何の違いもないが、さすがに面白い。ストーリーもテーマもない。頭使わずに観れるから、私なんか頭痛してても問題なく観れました。
 このジュラシック・パークっちゅう遊園地は、志摩スペイン村や長島スパーランドよりよっぽどか面白いかもしれない。少なくともデンパークよりは面白いでしょう。
 初期の作品と違い、大味なスピルバーグに軽い欲求不満を感じながらも、見終わった後、観るまえに痛かった頭痛が治ってしまった私でした。


『ロッキ−』
トレンディじゃないロッキ−は嫌いですか?2作目以降のロッキ−は観ないで「べスト・キッド」(「ロッキ−」と同様、アビルドセン監督)を観ることをお薦めする。


『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』
●スタイリッシュじゃなきゃ始まらない
 本作品は、イギリス本国で大ヒットを飛ばした犯罪映画。売れる映画というのは、間違いなく、その時代の空気をよく捉えていると思うのだが、この作品を観て、今、受ける映画というのは、つくづく「何を語るか」ではなく、「どう語るか」が重要なのだということを痛感させられた。
 この作品には、ストップ・モーションに、早回し、スローモーションに、回転、とちょっと派手なカメラワークが再三、登場する(ちょっと自己満足気味だが)。それらのカメラワークに、渋い選曲のBGMが被さる。説明的なショットは、状況音の代わりにナレーションをくっつける。とにかく、「クールで格好良く語る」ことが重要なのである。特に、本作品は、恋愛絡みがないから余計に渋さが増す。日本映画がヒットしないのは、こうした時代の空気を反映した作品がつくられていないからだろうか。日本映画ももう少し企画からしっかり考え直す必要があるのだろう。

●お話の面白さがメイン・ディッシュ
 まるでゲームをやっているかのようなストーリーが、この作品の最大の魅力である。主人公たち自身は何もしないで、悪い奴ら同士を闘わせて潰していくという、「用心棒」的な展開が痛快である。もちろん、主人公たちは、「俺たちは何も法を犯してない」と言うのは無理があると思うけど(殺人を犯してないだけで、思いっきり盗聴・窃盗をはたらいているもんね)。登場人物たちがどんどん死んでいく後半は、相当クールである。これで、主人公たちも死んでしまったら、本当にクールだっただろうにと思ったりもしたが(ユーモアがないエンディングになってしまうけど)、そうはなりませんでしたね。

 この脚本の勝因は、主人公たちが借金をするまでの少々退屈な前半にある。普通だったら、主人公が借金をするところから始まるだろうが、この作品は、それまでに結構、時間を割いている。実は、ここにキャラクター描写、物語の伏線を思いっきり凝縮しており、その後のストーリーを引っ張る原動力になっている。ここまで観れば、誰がどんな奴なのか分かってしまうのだ。こんなに登場人物が多くて、複雑な話を成立させるには、若干弛緩していても、大事な時間だったのだ。

 非常に多い登場人物を扱いながら、ちゃんと主人公を据えたのも、この作品の特徴である。同じように登場人物の多い犯罪映画「パルプ・フィクション」を思い出して欲しい。あの作品で、主役は誰かと訪ねられたら、答えるのに窮するだろう。みんな均等に描かれているから当然だが、本作品は簡単に答えられる。借金をした四人組であり、その中でも借金を直接こさえたエディが主人公である。登場人物の多い作品は、ストーリーを把握するのが難しくなり、観ているうちにどうでも良くなってしまうことがある。そして、誰にも感情移入することが出来ず、終わってしまうこともありがちだ。しかし、主人公をちゃんとつくったことで、集中力がとぎれてしまうことがないように配慮されている。主人公たちの行動と他の登場人物たちの行動をカットバックするシーンが何度か登場するが、これは主人公以外の人物の行動ばかり追ってしまうと観客が退屈してしまうので、それを逃れようとした手なのだ。他の人物たちのショットに、主人公たちのショットを平行編集することで、主人公たち以外の人物を追いながらも、観客の集中力を持続させることが出来たのだ。

●複雑な話にシンプルなキャスティング
 多数の登場人物、複雑なストーリーを理解させるために、「分かりやすい顔」を意識したキャスティングも功を奏している。本作品では、顔を見ればキャラクターが想像つく。意外なキャスティングはどこにもない。登場人物が多いのに、意外なキャスティングをしてしまったら、観客はパニックである。ただでさえ、登場人物を把握するのが大変なのに、訳が分からなくなってしまう。まあ、それでも、私には主人公たちの四人組の中でも、主人公と料理人以外の二人は分かりにくかったけど。

●「残る映画」となりうるか?
 映画には、観たときは最高に面白くても、すぐに忘れてしまうものがあったり、観たときはパッとしなくてもいつまでも覚えている作品があったりする。「残る映画」というのは、役者の仕草であれ、状況設定であれ、カメラワークであれ、観客の琴線に触れるような映像を内包した作品であるに違いない。最近のクールな作品は、どうも私には、そうした「残る映像」が少ない気がしてならない(「単にお前の琴線に触れなかっただけだろ!」と言われそうだが)。本作品には、ラリっている女性が突然機関銃をぶっ放したり、違法駐車の監視人(?)がボコボコにされたり、料理人の仲間がナイフによる脅し方を得々と語ったりするなどの面白いシーンもあるが、スタイルと感情が融合されたシーンにまでなり得ていたかは疑問だ。
 本作品は、同じ犯罪映画で、複数の登場人物たちの行動を追っていった話と言うことで、タランティーノの作品と比較されているようだが、私には、タランティーノの作品の方が「残る映画」なのだ。例えば、「パルプ・フィクション」のトラボルタとユマ・サーマンのダンスシーン。あのセンスの斬新さは、多くの観客の琴線に触れ、「残る映像」となったのではないだろうか。本作品は、ストーリーが抜群に面白く、観ている間は最高な気分になれるのだが、「残る映画」となるのは難しいのではないか。消耗品としては、言うことがないのだが・・・。

 余談だが、あまり前面に出てこなくていい主人公の父親が、思いっきり目立っていて、何か意味があるのかなと観ているときは思ったのだが、父親役のスティングが制作費を出しているという話を読んで、納得。監督さん、気を遣ってたんですねえ、きっと。


『ロビン・フッド』
 二時間半、退屈させることなく映画は終る。しかし、満足できないのはなぜか。それは、爪の先まで娯楽作品なのにサ−ビス精神が足りないのだ。数多くの見せ場のシ−ンは、決まって平凡に終ってしまう。金返せとは言わない、でも半分返して。


『ローマの休日』
 これはワイラ−の新聞記者とお金持ちとのラブ・コメディ。特筆すべきは、ラストの目と目の会話と余韻ある足音の演出である。私のベスト1。可愛いヘップバーン映画のお薦めは、本作品と「昼下がりの情事」「ティファニーで朝食を」の3本。また、「ローマの休日」のように「女優の魅力=作品の魅力」という形が成り立っている作品のお薦めは、「恋人たちの予感(メグ・ライアン)」「プリティ・ウーマン(ジュリア・ロバーツ)」「花嫁の父(エリザベス・テイラー)」である。


『ロミオ&ジュリエット('97)』
 のっけから来る来る。急激なズームインとズームアウト。そして、短いショットの連続。おい、みんな。どうだ、俺ってスタイリッシュだろって感じです。

 でも、そもそもスタイルは、まず内容があってそれを表現するためにあるものでしょう。ここには、そんなものがあるかって?...ないとは言わないけど、これは、ストーリーやテーマを語るものではないでしょう。まあ、スタイルを見せるためのスタイルってとこでしょう。もちろん、そんな映画もありだと思うけど、主人公二人以外のキャラクターのアホさ加減には閉口してしまい、そんな奴らをスタイリッシュに撮っても格好いいなんて思えなかったなあ。
 それにストーリーが始まると、いたって普通の撮り方になり、実はこの監督、普通の人なんじゃないのって思っちゃいました。ただの格好つけたがりなんでしょうね。可愛い人です。で、フツーのドラマを撮って、ゼフィレッリの「ロミオとジュリエット」に勝っているかっていうと、残念ながら完封負けなのです。勝っているのは、ロミオ役のデカプリオ君ぐらいでしょう。ジュリエット役は、オリビア・ハッセーの清純さに負けてたし。当然、「ウエストサイド物語」には足元にも及びません。
 しかし、初めて「ロミオとジュリエット」と出会う若者達は、原作に極めて忠実で退屈はしないこの現代版「ロミオとジュリエット」をどう受け止めるのか(あんまり現代的じゃないけどね)?ロックとシェイクスピアの融合の新鮮さに相まって、意外に受けるのかも知れない。


『ロリータ』
○エンターテナーのキューブリック
 キューブリックが、ビジュアルにこだわる作家だけでなく、サービス精神旺盛なストーリーテラーであることを本作品を見て改めて痛感した。
 本作品は、少女に興味を抱く主人公の中年男性の話。彼の行為に対して少女が怪訝な態度をとれば、そこでドラマは終わるのだが、少女は思わせぶりな態度を見せる。そうなると、主人公は、少女と深い関係になろうと一層彼女に近づこうとする。しかし、簡単に二人がお近づきになってしまっては、ドラマはおしまいになる。そうはさせじと、彼女の母親が主人公の邪魔をする。こうして、ドラマは盛り上がっていく。話の展開の巧さに感心させられる。
 ただ、その障害物である母親が消えてしまい、主人公の目的が達成してしまったところから、ドラマは停滞してしまう。少女は、主人公の拘束に対して拒否反応を示し、主人公の目的が達成させられそうな望みもない。この障害がクリアできそうなものでないと、観客には辛い。主人公とともに絶望し、ドラマが終わってしまうからだ。だから、ドラマとしては前半の方が面白くなっている。ただ、後半は、主人公の妄想が激しくなり、多少狂気じみてくるのが面白さとなっている。それを面白いと思えない観客には、後半は辛いかもしれない。ラストで主人公が少女にお金を渡すところなんて、何とも泣けるではないか。

 演出も全体に渡って、いたって丁寧だ。例えば、冒頭で主人公が絵画越しに作家を銃殺する。その絵画に描かれていたのが少女であることから、少女をたぶらかした作家を葬ると同時に、主人公の心の中から少女を葬ったということを見せるのだが、それをラストでもう一度しっかり見せてくれる。それもアップで。何とも説明的な演出。キューブリックの作品は分かりにくいと、すべての作品をくくってしまうのは、何とも失礼な話ではないだろうか。

○ゆっくりとした溶暗は「はぐらかし」か?
 演出テクニックの中で、興味深かったのは、フェードインとフェードアウト、それに挟まれた黒味の使い方。「もうちょっと観たい」「さて何をするのかな」というところでフェードアウトしてしまうのだ。もしくは、余韻が残ったところでフェードアウト。それも、非常にゆっくりとした溶暗。そして、それに続く長い黒味。この計算された映像の沈黙は、観客の想像力を刺激して止まない。ただ、観客の中には、この手法を「じらし」「はぐらかし」と感じる人もいるらしいですね。
 また、シンメトリーの構図、対象を正面から捉えた前後移動ショット(特に閉鎖空間で使用される)など映像面において、いわゆるキューブリックらしさがまだ見られないのは、キューブリック・ファンには淋しい限りだ。。

○冷たいキューブリック
 キューブリック・ショットは、まだ登場しないものの、キャラクターに対する距離の置き方においては、キューブリックらしさがはっきり出ている。あたかも隠しカメラから動物の生態を覗き込んでいるかのように、登場人物たちを見つめている。登場人物たちとキューブリックの間には、かなりの距離感が感じられる。
 引いた視点で登場人物に感情移入せずに、あざ笑って撮っている感じ。だから、特にギャグが用意されているわけではないのだが、観客も登場人物たちを嘲笑しながら観てしまうのではないだろうか。キューブリックが撮るコメディは、ブラックでしかあり得ないのは、キャラクターたちに対する彼の冷たい視線ゆえだろう。

○センセーショナルは色褪せた?
 公開当時は、本作品のロリコン描写はセンセーショナルだったということだが、今、観てみるとごく普通の話にみえていまう(主人公と少女は、親子でも血のつながりはないから、近親相姦でもないし)。ロリコンといっても高校生で、今の時代なら、結構、普通の恋愛ものとして通用するのではないだろうか。原作通り、もっと少女を年少にして(原作は12歳で映画は15歳)、少女が中年のオジサンをもてあそんだりいじめたりするとか、逆にオジサンが少女にセクシャルないたずらをするとかしないと、センセーショナルに感じないと思う(エイドリアン・ライン監督がリメイクをしたそうだから、そっちの方に期待したいと思う)。そして、観ているうちに、そういった異常な関係に対して、観客が感情移入していってしまうという作品になっていたら凄かったと思う。本作品は、性的なものを題材にしていながらも、ちっともいやらしくないのが致命的なのだろう。やはり、登場人物と距離を置いてしまうキューブリックにドロドロしたものは描けなかったのだろう。そうなると、題材選びがまずかったということになるのかも知れない。もちろん、時代によって作品が風化してしまったということもあるのだろうけど。
 本作品は、編集狂的なロリコンの姿を描いた作品というより、恋愛における人間の独占欲を描いた作品という感じですね。


『ロング・キス・グッドナイト』
「ダイ・ハード2」で気に入ったレニー・ハーニンだが、その後の駄作の連続で完全に心が離れてしまい、何でこんな奴にいつまでも大作撮らせてるんだとまで思ってしまっていた今日この頃。本作品は、評判がいいんで観る気になりました。ビデオだけど。

 敵とのドンパチが始まるまでに40分。ちょっとアクションものとしては辛いですね。でも、見せ場はなかなか盛り上げてくれるんでうれしくなりました。だって、「クリフハンガー」みたいに、画面をスローモーションにして、オペラみたいな曲流すのばかりじゃ退屈だもんね。全体の割合から言うと、ちょっとアクション・シーンが少ないのが残念だが。
 それから、記憶喪失ものというと、何処まで憶えてて、何処まで憶えてないかというところが結構曖昧で、というか観客が把握しづらいことがある。主人公を理解できないということは、主人公に感情移入しづらいってことになって、エモーションが今一つ盛り上がらないってことになる。だから、いっそのことなんにも憶えていない方がかえっていいです、はっきりしてて。ところが記憶喪失ものでは、その辺をミスるものが多い。本作品も見事に失敗してます。記憶が戻ってからも、いきなり人が変わっちゃう展開にもなってるんで、ついていけいでしょ。
 脚本にも粗が多すぎます。地理的な説明がないままアクションに入っちゃうから、いきなりスケートをし出す主人公に驚くし、誘拐された娘がなぜかろうそくを持ってて、監禁されてる部屋の窓に灯をともしたり、犯人が犯行の手順を主人公にわざわざ教えたり、死にかけた主人公が再び走り出してもう一アクションをこなしちゃったり...あげだしたらきりがない。ご都合主義の塊です。これでまた、私がレニー・ハーニンの作品から縁遠くなることは必至でしょう。

 「偶然の旅行者」のジーナ・デービスをこよなく愛する私にとって、いくら格好良く決めてても、いくら肌を露出してサービスしてても、何か違うなあと思ってしまうんです。レニー・ハーニンと結婚してから、彼の作品にばかり出てアクションの道をまっしぐらの彼女。いつの日かその間違い気づいてくれることを願っております。


copyright(C)soh iwamatsu.since1997