
『スペース・カウボーイ』
| ●ストーリー 1958年、アメリカ空軍に「ダイダロス」と呼ばれるテストパイロット・チームがあった。彼らは、宇宙探索の実験飛行のために訓練を重ねていたが、土壇場になってNASAがそのプロジェクトを遂行することになり、記念すべき初の宇宙飛行士に選ばれたのは一匹のチンパンジーだった。40年後、「ダイダロス」のフランク・コービン (クリント・イーストウッド)は、NASAからロシアの宇宙衛星アイコンのシステムの修理を依頼される。40年前の屈辱を晴らすかのように、彼は「ダイダロス」を再結成し、宇宙に飛び立つことを提案するのだが・・・。 |
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●年寄りが楽しめるためのサービス満載
本作品は、ファンタジーである。そう、「じい様のためのおとぎ話」である。イーストウッド監督には、若者に説教しようという気など毛頭ない。というより、若者のことなんて相手にしちゃいないし、頼りにもしちゃいない(かえって足手まといになる存在だったりする)。その証拠に、宇宙でスペースシャトルが最大の困難にぶつかったとき、頼みの綱であるNASAのエリートの若者たちは何をしただろう?そう、脳しんとうを起こしていたり、気絶していただけなのだ。肝心なときに、若さも知識(科学)も全く役に立たない。困難を切り抜けさせたものは、長年の経験と勘なのだ。人生に大事なもの、それは、若さや知識よりも経験。これをいかに説得力を持たせて肯定するか。それが本作品の狙いである。
こうしたことから、イーストウッド監督がシルバー層に観客を絞って制作していることが見えてくる。この世にファンタジー多しと言えども、シルバー層を喜ばせるファンタジーはそうはない。「ならばオレがつくってやろう」ってことで、イーストウッドはメガホンを取ったに違いない。そうした意図は、ラストに流す曲をシナトラにしたことから伺われる。つまりは、シナトラの歌を喜ぶ世代に向けてつくられた訳で、あの歌が青春の1ページになっている観客に受けるようにつくられた作品なのだ。
シルバー層向けの話をつくるなら、なるたけ年寄りに共感できるものをつくってやろうってことで、イーストウッド監督は本編の随所に「死」の影を潜ませた。主人公たちが、かつての仲間たちの近況を確認するたびに、彼らが「死」を迎えていることを認識させられる。そして、主人公の一人は、宇宙に旅立つ前にガンであることを宣告される。死を目前にした人間とその周囲の人間の悲哀が、情緒的に描かれる。
本作品のハイライトである「宇宙への旅立ち」は、「昇天すること」の暗喩になっているとも思われる。つまり、昇天するまでに人間は何をすべきか。それを描いた作品なのだ。もっと言えば、イーストウッド自身が「オレは死ぬまでにこんな生き方をしたいんだ」という決意表明した作品と言えるだろう。
●企画勝ちの作品
「じい様方が宇宙に飛び立つ」という企画とじい様たちのキャスティングが決定した段階で、この作品は勝ったようなものだ。クリント・イーストウッドが、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナーのじい様たちを宇宙に引き連れていくなんていうとんでもない話。内容がどうであれ、観に行きたくなるでしょ。後はひたすら話にリアリティを与える努力を重ねればいい。
本作品と似たような設定の作品に「アルマゲドン」というのがあった。あちらは、炭坑夫が地球の危機を救うために宇宙に飛び立つというもの。炭坑夫が元パイロットの老人に代わったのが本作品。あちらは、炭坑夫を宇宙に飛び立たせるためのリアリティ付加に失敗していた。こちらは、後発だけあって、その反省を十分に踏まえてつくられている。「じじいがスペースシャトルに乗れるはずがないだろ!」という観客をいかに説得するかという点に非常に神経を注いでいる。こうしたノってこない観客自身を本編に登場させ、主人公たちの宇宙行きを阻止させたのだ。このアイディア賞ものの発想によって、ノレない観客は、NASAのミッション・ディレクター、地上管制官、現役の若き宇宙パイロットたちに姿を変えてじい様方を何かと邪魔をする。その障害攻撃にプラスして、じい様方の代わりを用意しておいたり、老人の宇宙行きをマスコミにかぎつかれて引っ込みがつかなくなったりする設定を用意する。このように、制作者たちは、小さなリアリティを積み重ねて、大きな大ボラを吹こうとよく健闘している。
しかしながら、若者の中には、そのホラは許容できないものもいるだろう。求めてもいない年寄りのファンタジーなどを観せられても面白くも何ともない訳で、いつまでたってもノレないのがオチだろう。この作品が、「ディープ・インパクト」「アルマゲドン」のようなハリウッド大作のように、感傷過多になり過ぎないようにつくられていることも、若者にとってはマイナスであろう。とにかく泣かせてくれれば、多少満足度も上がるだろうが、イーストウッドは、そんな柔な手を使わない頑固な奴なのだ。この作品に登場するじい様たち同様、あくまで若者に媚びないじい様なのである。
しかし、シルバー層なら誰でも最後までノレるかと言えばそうでもないだろう。本作品には後半に作品の成否に関わる大きな正念場があるからだ。それは、実際にじい様方が宇宙に飛び立ってしまった瞬間である。彼らが宇宙に飛び出した瞬間、劇場に足を運んだ目的を達成されてしまった観客は、集中力が途切れてしまうことになるのだ。これ以後、観客をどうやって作品世界に引き留めておかせるか。これが制作者たちの腕の見せ所である。当然のことながら、脚本家も十分にその辺りを承知していたようで、じい様方が宇宙に出てからは、観客を何とか惹きつけようと作品をミステリーものに変貌させる。そのせいで、作品のトーンが変わってしまうのだが、何とかそれを引き戻そうとラストの土俵際で踏ん張る。そして、何とかあの月面のラストショットでミステリーからファンタジーへと引き戻すのだ。まんまとミステリーにのせられるか、トーンの変化に違和感を覚えてしまうか、これがこの作品の評価を決めるポイントの一つとなるであろう。
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