『MOONRIDERS』ムーン・ライダーズ
このアルバムには、甘酸っぱい思い出がいっぱい詰まっている。

1977年。まだ、ワークブーツを履いてデイパックを担いで出勤をしている事に、ほんのちょっぴりの優越感と、一抹の不安を抱えていた。そう、ライフスタイルなんて言葉が、まだピッカピカに輝いていたあの時代。

僕はとあるレコード・ショップで働いていた。

初めてムーン・ライダーズを聞かせてくれたのは、その、あまりお客さんのこない輸入レコード・ショップで知り合った、僕よりもほんの少し年下のカップルだった。

お父さんが泌尿器科である事を妙に恥ずかしがっていた以外に、何の欠点もない青空のような笑顔を持った彼と、少女のはにかみをそっとそのまま真っ白なハンケチにしまい込んだような彼女。

天気のいい日は店をサボっては、3人で裏の教会の芝生に寝っ転がって、まだ見ぬアメリカの荒涼としたハイウェイの事や、イギリスのパブの話をして過ごした。

よく店で待ち合わせをしていた彼らなのだが、ある時期から女の子だけが手持ちぶたさに、ぽつんと一人で来ているような事が多くなった。彼の方が手に職をつけようと調理場で働き出したからだ。

そのわりには、あまりにも寂しげな様子だったのだが、どうしても聞き出せずに、女の子が来る度に曖昧な「やぁ」しか返せなかった。

とある日、その子が何も書いてないカセットをバッグから出して「これ、、聞いてみて、おもしろいから」と手渡されたのが、『MOONRIDERS』だった。

当時買った中古のアコードの中で、手の届くほど山並の綺麗に見える見晴らしのいい、けれどエレベーターの無い5階立てのアパートで、何度となく、まるで秘密の暗号を解きあかすように聞いた。

とびっきりお洒落でピンク色の頬のようなH、昔に図書館で借りた本にはさまっていたポストカードのような異国情緒。見知らぬ果実のような不思議な匂い。

何度聞き直しても、なぜ彼女が僕にこのテープをくれたのか、見当もつかなかった。まるで、買ったばかりのレポート用紙のように意味のない事だったのかもしれない。

その年の半袖のシャツを着るような季節になった頃、彼女と彼の恋が終わった事を聞いた。そして僕は、住んでいた街から一番近くのレコード・ショプで、真っ赤なジャケットの『MOONRIDERS』を買った。

カセット・テープは、真っ白なレーベルのまま。未だに、なにも書かれていない。

91/05/08 00:36 *久田 頼


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