『最後の晩餐』ムーン・ライダース
「その後の晩餐」

『最後の晩餐』に関して、前回の「ムーンライダーズ会議室」に書き尽くした、、、つもりだった。いや、二度とこのアルバムについて語る事は無いだろうとすら思っていた。封印。

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「このアルバム(『最後の晩餐』)って、嫌い」

と、僕が22歳の時に生まれた彼女が言った。

「だって、家庭の匂いがするんだもの」

真っ赤な蝋で封印されたアルバムからは、ファミリーではなく、家庭としか呼べないリアルが滲み出していた。掌には赤い蝋の欠片が付いた。

ハンカチーフになることも、保養所になる事も出来ない僕は、ただ夢の中に座っている。

「じゃあ、君の部屋を見せてよ」

僕が言う。

「わたしの事、嫌いになってもいいなら、どうぞ」

またしても既視感。僕は何に操られているんだろうか?

何も判らないままに全てを嗅ぎとってしまう彼女。これもみんなルナティックのせい何だろうか?月の下では誰もが、、、。

満月を見た。それは、まんまるではなかった。僅かな楕円の輪郭には、戻って来られない場所があるだけだった。

最後に食事をしたのは何処だったっけ。背後に影のような給仕達が。ナイフに映ったシャンデリアの輝きだけ微かに思い出せる。

強くなりたい。男らしくなくてもいい。壊す力も無くてもいい、それは既に済んでしまった事だから。

もう一度、葡萄酒を酌み交わす事があるのなら、でも、これは晩餐では無い。宴でもない。最後の儀式だ。

封印。
それは、こじ開けられる為だけに存在する。

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封印されるが為に発表された『最後の晩餐』は、いくら本人達が否定しようとも、最高傑作とした呼びようが無い。まだ歴史は閉じられていないがこれは運命なのだ。

自分たちも解読出来ないほどの暗号にまみれたムーンライダーズが、闇夜に影遊びをしてしまったのが『最後の晩餐』だ。お得意の修辞法も、家庭という最も身近なリレーションの中では通用しなかった。ラジオから流れる定時のニュースのように、穏やかに真実を語ってしまったのだから。

真裸(あからさま)になること、これは卑しい事ではない。幾分の後ろめたさはあるだろうが、それは語り手だけでなく受け手の僕たちも変わりはない。

媒体(メディア)としての『最後の晩餐』は、もういらない。耳から耳へ伝わっていく、伝承の姿で存在してくれれば、それでいいのだから。

月夜の晩には、そっと耳を峙てよ。
かすかに、宴のざわめきが聞こえてくる、


96/05/11  *久田頼


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