『マニア・マニエラ』ムーン・ライダース
「捕物帳は季の文学である」と云う言葉がある。日本固有のディディクティブ文学である、岡本綺堂の『半七捕物帳』、佐々木味津三『銭形平次捕物控』、横溝正史『人形佐七捕物文庫』、そして久生十蘭『顎十郎捕物帳』、といった捕物帳物は、<季>つまり季節の季、俳句の季、季節感の文学だ。

ムーン・ライダーズの音楽も、時代と云う<季>を見事に捉えたアルバムを作ってきている。時代との距離感、見つめ方、関わり方が、まさにムーン・ライダーズなのだ。

そんな意味でもこの『マニア・マニエラ』は、数奇な運命を辿っている。ジョセフ・ボイスの”薔薇がなくちゃいけない”のモチーフを素に、徳間ジャパンで制作されるが、トラック・ダウンが完了した時点で発売延期が決定。

1年後の1982年の12月にCDで発売、されるがすぐに廃盤に。84年の10月に、冬樹社のカセット・ブック・シリーズ(SEED)の一環として発売される。そして、86年にキャニオンから改めて再発、といった具合に、時代の軋轢に耐える暇もなく回り道をして世に出たアルバムだと言える。

1981年の制作時には最新のマシンだったROLANDのMC-4も、キャニオン盤が出る86年には、MC-500の世界に移っている。この数年間のテクノロジーのスピードはすさまじい。<季>の音楽でありながら紆余曲折をくぐり抜けたアルバム。しかし、少しも錆び付いていない。それどころか、90年代の今聞いても、実にヴィヴィッドな唸り音を聞かせてくれる。

それは、このアルバムのハイテックな構造、ストイックな社会性による部分も少なくない。

生まれ育った羽田の工場地帯、はちみつぱいでの"塀"、そしてこの『マニア・マニエラ』でのモノクロームな工場(雰囲気としては、サイパーな千葉シティをすでに予言している)と、奇妙な連鎖。

アコースティック・ギターのまるで歯車のように鋭利な使い方、三交代で日夜生産を続ける工場のようなリズム・トラック。そして、非合法組合活動のような秘密っぽいボーカル。

静かに崩壊を続ける大きな工場。内部には人影すら見あたらない。食堂の奥から聞こえる歌声、、、、、

このアルバムの存在理由は今世紀末まで失われないだろう、日本のロック史上において数少ない名盤の称号を抱いたまま。

91/05/29  *久田 頼


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