Rockin' Book Review 『いかしたバンドのいる街で』スティーヴン・キング/『虫けら艦隊』アイカワタケシ
『いかしたバンドのいる街で』スティーヴン・キング
・『いかしたバンドのいる街で』スティーヴン・キング(文藝春秋社刊)
  〜「いかしたバンドのいる街で」(You Know They Got a Hell of a Band)
・『虫けら艦隊』アイカワタケシ(河出書房新社刊)

 共に文中にジミヘンが登場してくるが、実に対称的な2冊だ。
 キングの作品は、タイトルの"ナイトメアズ&ドリームスケープス"が示すように、大人の寓話的な要素が強い。 壮大なホラ話と呼んでも差し支えないだろう。 ロック好きなら誰でも一度は夢想するような、"夢オチ"の物語だ。 これまでの作品の中でも、例えば『クージョ』の冒頭に登場するJ.J.ケールのように、スティーヴン・キングの 作中に出てくる音楽はどれも見事な背景になっている。FMの番組表から無闇に引っ張ってこられたものではなく、 筆者のテーブルの隣から流れてくる音楽を、的確に引用している。

 そのキングが書くロックなら、信用出来ないわけがない。どのデティールも子細にわたって正確だ。がしかし、 この「いかしたバンドのいる街で」の"ネタ"は、一度きりしか使えない。使い回しの出来ない大ネタが、これだけの 物語で終わってしまうのは、あまりにも勿体ないのだ。特にラスト部分の大盤振る舞いは、物語を、いやロックを、 実にみみっちい物にしてしまっている。コンサートの最後の最後になって、とつぜんPAの電源が落ちてしまったような、そん な行き場のない空しさを感じてしまうのだ。

 たかがだホラ話じゃないか。いやたった一度のホラ話だからこそ、もっと壮大に馬鹿馬鹿しく終焉を迎えたかった。 たとえそれが夢であろうと。キング君、ほんとにこれで悔いは無いのかい。
『虫けら艦隊』アイカワタケシ
 ロックのデティールを夢に昇華しようと試みたのがキングなら、このアイカワタケシは何と例えようか。 体育会系の馬鹿ロック。安全ピンのような鋭利な言葉でビートを刻みつける。例えばこんな風に、
 「”アート”や”アーティスト”などという言葉は”アヌス”や”クンニ”などという言葉よりも、こっ恥ずかしい が、そういうデタラメにコロっと騙される奴っているもんだ。」
 よし、正しい。
 「ブロンを飲まずに音楽を聞いている奴なんて、包茎チンポをゴムフェラしてもらい、最後は素股でイッて満足して いるようなもんだ。」
 ブロンも素股もお世話になった事はないが、たぶん正しいだろう。
 全てを言い切ってしまう力は、まさにロックだ。伸縮性のなくなったゴムのような生活もロックだといえる。
 本文の中で語られるドラッグ体験は、さして奇異なものではない。そんなもの、音楽をとおして何度でも体験して いる。いかに言葉に置き換えるか、言葉の中にグルーヴを見つけだすか、これはロック以上に至難の業だ。

 アイカワタケシのバッド・ドリームだが、中半以降から極度の混沌を極めていく。覚醒した夢想ではなく、 安っぽい幻聴に陥ってしまうのが惜しい。それも現実なら仕方がない話なのだが。「ジミ・ヘンドリックスが・・」と 問いかけられても、自己完結した質問には答えようがない。君のナイトメアには、入りこめっこない。

 言葉による音楽(ロック)。そのヴォリューム・ノブはどこかにあるのだろう。つんざくような騒音を聞く前に、彼の話 はフェイドアウトしていってしまう。「ジミ・ヘンドリックスは、、、、、」
tetxt by Shinichi Ogawa

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