ぶらり、葦毛湿原へ

新聞では、葦毛湿原でミカワバイケイソウが咲き出したと報じていた。
湿原は、春から初夏にかけての花が咲き乱れているに違いない。
ゴールデンウィークの初日、空はすっかり晴れ渡っており、このときぞとばかりに出かけていった。


石巻山
途中、広い通りから一本裏手に入ると、一斉に芽吹きだした柿の木畑の奥に、石巻山がどっしりと居座っていた。

大学の教養の講座で地学をとったことがあった。先生は、「名鉄線で豊川放水路を渡るときに、お椀を伏せたような山が見えます。特徴のある山だからすぐに分かります。それが石巻山です」と紹介していたが、ここから見る石巻山は、富士山のように裾が広がって見える。
長尾池畔
葦毛湿原の入り口近くには、長尾池という溜め池がある。

ちょうど緑が美しい時期で、思わず何度もシャッターを切った。
左の木を見たときは、枝のシルエットが何とも言えず写した。
こうしてこぢんまりとした写真にしてしまうと、そのときに感じた気迫も感じられなくなってしまう。
長尾池の畔から、木漏れ日お浴びながら岩崎自然歩道を進む。
まだ新しい葉が、日に透けて見えて、何とも心地よい。輝くような緑をとらえたいのだが、カメラの絞りは、明るい方をキャッチしてしまい、全体に暗ぼったくなってしまう。
やはり、本物に勝るものはない。

葦毛湿原
いよいよ湿原の入り口に到着。
果たして、どんな花に巡り会えるのか、期待がふくらむ。

湿原の植物を紹介する看板には、4月下旬から5月上旬の花の説明もある。
ミカワバイケイソウも、今がシーズンに入っている。
道板からはずれてはならないといった表示があり、湿原は大切にされているのだとわかる。

少し先を歩いていた人は、長さが30cmもあろうかと思われるレンズを付けたカメラを抱えていた。聞けば、100mm〜200mmのズームレンズだとか。

この時期、自分の住んでいる近くの道端には、タンポポやヒメジョオンが一斉に咲いている。そんな光景をイメージしていったのだが、枯れ草が一面に広がっているようにしか見えない。
ミカワバイケイソウはどこだ?
よく見れば、ハルリンドウがひっそりと咲いていた。ショウジョバッカマは、時すでに遅しといったところ。
小さな白い玉を付けたような草があるが、これはかの有名なシラタマホシクサとは違うのだろう。第一、時期が違う。
この花の写真を撮っていた人は、何とかスミレと言っていた。小さなスミレの花だ。
「あのモジャモジャは撮ったかね?」
「あれはいい。気味が悪い」
そんな会話が聞こえてきた。
話題になっていたモジャモジャの正体は、
すぐに目についた。
わずかばかりの水たまりに、よくもまあこんなに集まったものだと驚くほどの夥しいオタマジャクシ。
この内のどれだけが寿命を全うできるのだろうか。
黄色い、小さな花が咲いていた。
名前は知らない。

「好きな人は、よく見つけるよね。私たちに気づかないような花を、ちゃんと見つけるもんね」
そんな会話が聞こえてきた。
私にとっては、名もない花だが、知る人ぞ知る花なのかもしれない。
ひょとして、ミカワバイケイソウも、どこかにひっそり咲いていたのかもしれない。
湿原内の遊歩道が終わろうというところに、みずみずしい葉が茂っていた。その内に、立派な花を付けるのだろうか。
これなら、私だって見落とすようなことはないだろう。

今回、湿原は百花繚乱とは言い難かったが、時折訪れて、その変化を楽しむところなのかもしれない。
自然というものは、そんなに華々しいものではないのかもしれない。
長尾池の堤
同じ道を帰るのも趣きがない。何れにしろ長尾池の反対側に出るだろうと、バス停に至ると表示された方へと進んだ。一般車お断りと表示のあったあたりで、タクシーが客の帰りを待っていた。砂利道を進むと、新興住宅地に出た。その中を通り抜けると、池の堤の下側に出た。

麦畑を近景に、堤の周辺の木々を撮った。近づいてみると、堤にしっかり根を張って並んで立っている。それぞれの木の様々な姿が描き出すシルエットも美しいものだ。