プラハ城から東門に向かう途中に黄金小路というバイパスがある。 かつて錬金術師を集めて、黄金を作らせようとしたところなので、そのように呼ばれるとか。 その小路に入るのにもお金が要る。しかも、そこは狭いところなので、観光客を装ったスリが横行すると注意された。スリにとっては、ここは今も黄金の小路ということか。 |
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黄金小路に入る。 かつてフランツ・カフカが、仕事の傍ら小説を書いたというのがNo.22の水色の建物。 その下段、橙色の屋根瓦の建物が、この小路で一番小さなものだそうだ。 |
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黄金小路の出口を出たすぐ左手には、かつて牢獄と利用されたという建物があった。 東門の手前では、交代を終えた衛兵の行進に出会った。確かに、背丈も、足並みも揃っている。 |
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東門を出て坂を下る。ここから眺めるプラハの町並みもきれいだ。 坂には、黄色いテントの店が並んでいる。店を出すにも厳しい条件があるとか。プラハの絵やガラスや金属の工芸品など様々。じっくり見ていたら、日が暮れてしまいそう。 |
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坂を下ったところの広場に、楽しそうにレース編みをしているおばあさんがいた。 1つ100コルネだったか、200だったか。 「買ってもらった人に喜んでもらえたらいいんです。」といった感じだった。 |
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2002年に、プラハの街も大洪水に襲われた。上の建物を見ると、2階の窓枠のすぐ下まで白っぽくなっている。そこまで水が来たそうだ。 カレル橋下の牛(カウフェスティバル用)もペイントも、2002年の水位が一番高たっかことを表している。 |