この聖地の歴史

この地 エフェゾは イエス・キリストの母 聖母マリアが
最後にお住まいになった場所と言い伝えられている


聖書にもとづく言い伝え

 新約聖書ヨハネ伝(第19章26〜27節)には、イエス・キリストが十字架にかけられてお亡くなりになる直前、傍らにいた弟子ヨハネに向かって、マリアを今後自分の母としてお世話するようにと語られ、そのときからヨハネはマリアと共に暮らした、と記されている。
 同じく新約聖書使徒承伝(第12章1〜2節)には、エルサレムの初代教会に対して厳しい迫害が加えられ、ヤコブ(ヨハネ福音史家の兄)が処刑されたときから(西暦44年)パレスチナあるいは小アジアに信徒たちが散っていったことが述べられている。
 その後、ヨハネ福音史家はエフェゾ方面の教会を担当することになり(ヨハネ黙示録第1章4節)母マリアもヨハネと共にエフェゾに移り住んだ可能性も十分ある。


エフェゾにおけるヨハネの考古学的足跡

 エフェゾにおいては、古くから福音史家ヨハネの墓が大事にされてきた。
 西暦431年、エフェゾでの公会議は聖母マリアをオトコス(神の母)という名称で奉ることを許可する決定を下した。またエフェゾでは、聖母マリアに捧げられた最初の教会が建てられた。このようにエフェゾの教会は、古来、聖母マリアに対する信仰が厚かったのである。教父(教会の初期の神学者や歴史家)のなかには、母マリアがヨハネと共にエフェゾに移り住んだと思わせる話を語っている者もいる。(たとえば、公会議からエフェゾの教会への手紙)
 キルキンジ( KIRKINDJE )の村人は、エフェゾにおける初代教会のクリスチャンの子孫であり、大昔からこの場所を聖母の最後の住まいであったとして、巡礼の聖地としてきた。
 ドイツの有名な神秘家カタリナ・エムリック( CHATHERINE EMMERICH )は、この地に聖母が生活しておられたことを幻を通して見た、と断言している。これは個人の体験であるが、1891年カタリナ・エムリックのこの不思議な言葉もあって行われた発掘調査では、現在の小聖堂の下に1世紀と4世紀の壁の跡が残っており、7世紀には聖堂が建て直されたことが明らかとなった。
 現在の建物は、1951年に完成されたものである。