「今日は、途中でコンヤで見学をして、カッパドキア地方まで行きます。今回の旅で、一番長い移動です。今夜は、コンヤには泊まらず、カッパドキア地方で泊まります。」 そんなだじゃれ混じりの話を聞きながら、長い移動が始まる。 パムッカレからコンヤまで、およそ430km、コンヤからカッパドキアまで230kmほあどある。 |
パムッカレからコンヤへ向かう | |
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パムッカレの町を離れるときは、石灰棚とのお別れのとき。 ここは、石灰棚の下の駐車場。 この左側に白い大きな固まりがあるのだが、悔しいかな、シャッターチャンスは、いともたやすく逃げてしまうものなのだ。 |
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コンヤまでの車窓からの景観は、けっこう変化がある。 「これがカッパドキア?」 と思うような岩肌があったり、広々とした畑が広がっていたりする。 |
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コンヤへ向かう道すがら、野菜を育てる農家の人が仕事にいそしむ姿がしばしば見られた。 管から水路へ水が流れ出ているところがところどころにあり、水はしっかり確保されていた。 大型のトラクターを操作する人がいるかと思えば、家族で収穫をする姿も見られた。道路沿いでバスを待つのだろうか、じっと立っている人も見かけた。 |
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トルコでは、男の子が生まれるとポプラの木を植えるという風習があるそうだ。子どもが育ったときに、そのポプラで家財道具を造ったりできるようにということのようだ。 畑の畦や、屋敷の周りにポプラが林立している様も見かけた。 |
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畑は広い。麦の収穫を終えた畑がずっと広がっている様は、トルコの広さを象徴しているようだった。 そして、突然街が現れる。構想のマンションがずらりと並んでいたりする。 田舎があり、街があり、山があり、湖がある。バスで走りながら移りゆく景色を眺めていると、まるで安野光雅さんの「旅の絵本」の中を旅しているような錯覚に陥る。 |
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メブラーナ博物館 | |
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イスラム神秘主義の一派だというメブレー教団の創始者メブラーナの霊廟。 わたしがこの教団について知ったのは、出かけるほんの1か月ほど前のこと。 トルコを特集していた番組で、スカートのようなものをはき、くるくると回る人たちを映し出していた。 それは、神に近づくための瞑想のようなものだそうで、目が回らないのが不思議なほどの踊りだった。 |
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コンヤに近づくと、土産物屋には、メブラーナの踊る人形がいくつも並べられていた。 |
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1925年メブラーナの死後、アタチュルクの命令により、教団は解散させられ、修行場も閉鎖されたが、2年度には霊廟が博物館として公開されるようになったそうだ。 霊廟となっている建物の壁面は、美しくタイルで飾られている。 |
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メブラーナと、メブラーナの父の棺が安置されている。メブラーナが父に敬意を表し、立ったまま葬られているので、棺の背が高いのだとも。 |
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教団の踊りの様子。 手前の人々が楽器を演奏し、後ろの白装束の人たちが踊っている。 ふだんは黒い衣服を身につけているが、踊るときには白装束になる。 |
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霊廟内には、様々なコーランが展示されていた。大きなものや豪華なもの、そして手のひらの中に隠せるような小さなものまであった。 |
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修行者が托鉢に使った容器。これを首からぶら下げて布施を受けた。 | |
修行は厳しいもので、長時間眠ることも許されなかったとか。横になって休むことができず、右のような杖のようなもので体を支えることも行われた。 |
カタライ博物館(神学校) | |
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1251年にセルジューク朝のジェラレッディン・カラタイ宰相によって造られた神学校。 | |
正面の門。 いろいろな種類の装飾が施されている。アーチ状の下の部分は、削り取られて窪みになっている。これがスタラクタイト(鍾乳石飾り)なのだろうか。 |
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ターキッシュトライアングルと呼ばれるトルコ独特の建築様式。 建物中央のドーム24角形の天井。 4隅が5つのとがった三角形で支えられている。天井は細かい模様の天井で飾られている。ところどころ剥がれ落ちてはいるが、往時の華麗な様が伺える。 |
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欄間のようなところには、スケールの大きい陶器の作品が展示されている。建物の装飾にしっくりと溶け込んでいる。 | |
町の城塞などから発掘された陶器などが展示されている。 星形のタイルに描かれているものは、自分物や動物、花など。東洋的な雰囲気を漂わせるものもある。 |
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シルクロードの雰囲気を味わいながら | |
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バスは、カッパドキアに向けて、ひたすら高原を走る。すると突然町が現れる。 立派な門の隊商宿があった。かつては、らくだの群れを引き連れた隊商が立ち寄った宿の跡。 高原の途中に、朽ちた土作りの建物跡もいくつかみかけた。ここは、シルクロードの西の端なのだ。 |