MY RC ALBUM

少しずつ更新していきます。               H19.8.20

ふと気が付けばエンジン模型歴もかれこれ40余年になります。小学校4年の時、本屋の店先で、航空ファンの末尾にあるUコン・ラジコンのエンジン模型に衝撃を受け、とにかく自分も「ほスィ〜イ」の一念でUコンを始め、高校2年までがUコン時代、高校3年の受験の年と大学時代の計5年間のブランク後、車の免許を取ってからのラジコン時代は、現在まで途切れることなく細く長〜く続いています。これからも一生涯の趣味として続くでしょう。思ったが吉日で、ここで自分のラジコン模型歴を整理しておきたいと思いこのページを作りました。

  <昭和54年〜58年頃>

  写真にはありませんが、ラジコン機飛ばした一番最初の機体は、19のヒノデのペガサスというショルダータイプの機体でした。説明書にはグライドテストをして調整をきちんととってください、とありましたが、草むらでグライドテストするたびに少しずつ機体にキズがついて壊れそうになるので、「まぁいいか」ということでグライドテストは切り上げました。どんな飛びをするのか不安と期待のワクワク気分の中、エンジンをかけ、思いっきり手投げをしました。手を離れた瞬間、急上昇して、直後急降下して一瞬で昇天してしまいました。その間約3秒ぐらいだったと思います。当時使っていたメカはサンワばかりで、スタック5とかマークUというプラスチックの安いプロポを使っていました。特にメカトラ等はなく、当時はそれで十分でした。

 2機目はOK模型のQB1800のグライダー。ショックコードは手元になかったので、ただひたすら土手からの手投げで飛行させました。滞空時間はとても短いですが、何度かうまくグライドしました。でも何回目かの飛行で、上手く風に乗ったと思ったら飛びすぎて、手元に戻すことができず、あれよれあれよと思う間に遠くに行ってしまい、挙げ句の果てに河川敷の深いヨシの中に埋没してしまいました。土手から不時着場所を確認すると、とても回収できるような場所ではなく諦めました。
@ A

 @ラジコンの操縦や調整方法も分からないのに、はじめから難しい機体を選んだ苦い思いを教訓に、初心者レベルの機体を飛ばそうと、小型グライダー、ヒノデのフィンピー1200を選びました。写真は、スキー場で滑空させた時のもの。初めてラジコン操縦で右に左に上手く飛びました。でも滑空して下っていくだけなので、また、元の位置にもどる気力なく一回で終りました。 

 A滑空だけでは物足りないので、COX049をつけてモーターグライダーにしました。当時使ったメカは学生時代、東京の江古田にある東京RCセンターで買った中古の箱形の Bフタバの4chで、サーボはサイズは大きい上に動きが遅く、またとても重いSー3というサーボでした。そのサーボを2個載せ、電池は短3の乾電池等現在からは考えられないぐらいの大きさ、重さでした。それでも当時18000円だったことを覚えています。結構しましたね。それを細身のフィンピーに載せるのは至難の業で、背中に電池を載せることにしました。049のパワーではギリギリで、ゆっくりゆっくりと旋回しながら上昇してほどなくしてエンジンがとまり、ゆっくり滑空して降りてくるということを何度も繰り返し、操縦を覚えました。

 

B

C

D Cはヒノデのパイパーコルトで40のスケール機です。絹貼りウレタンの本格塗装でした。ただし、刷毛塗りですが。飛ばせもしないのに、スケールに憧れ、工具も何もない狭いアパートでシンナーの臭いをプンプンさせながら悪戦苦闘した日々を思い出します。この機体は、何故か何度やっても離陸直後にくるりと背面になり滑走路にひっくり返りました。

Dはダルマヤ模型のハーレー40です。この機体は飛ぶには飛びましたが、離陸直後すごい右癖で全くの初心者であった自分では、トリム合わせができず、スティックで立て直しながら飛ばしました。しかし、やがて集中力がきれ、やがて河川敷のヨシのなかにバサッで終わりでした。
F  Fはフタバ模型のポンコツ号です。ポンコツ号はラダー機の「ジロー」、エルロン機の「アイちゃん」、兄貴分の「タロー」は3機ずつは作りました。とにかくキットが当時2000円ぐらいだったと思います。安かったので飛ばす時のプレッシャーがなく気軽に飛ばせたのがよかったです。

 ポンコツ号は墜落しても翼はいつもきれいに残ったので胴体だけ自作して、また飛ばしました。「アイちゃん」ではじめてエルロン操作ができたことを覚えています。今では、たわいもないことですが、それまでは、ラダー機ばかりだったので、右に左にクルックルッとロールすることにえらく感動しました。ジローでは、とてもなめらかな着陸して、エンジンがまだ回っていたことにも感動でしました。  
H Hキャノピーの形状が違いますが、この機体はデボネアペンシルの40です。当時はペンシルのスタイルがあまり好きではなかったので、全体の形を結構変えました。現在ですとむしろオリジナルの形でリバイバルさせたいぐらいですが・・・。これは飛びませんでした。
I Iエンジンカーもやりました。これは1/8です。でも走らせるのに適当な場所がなく、誰もいなかったアスファルトの農道で走らせたところ、スピードが速すぎてコントロールする間もなく、タンボに突っ込んで終りでした。それ以降、車は止めました。

その他にもジャガー20のエンジンボートもやりましたが、何も知らなかったので、木工ボンドで作ってしまい、後から木工ボンドでは水に侵されて沈むよ、と言われ、せっせとエポキシとウレタンで補強しました。5回ぐらいの走行には耐えましたが、長く走らせると案の定浸水して、池の真ん中でストップして終りでした。
J K
Jやっと単独飛行に慣れてきたころです。

K全くのオリジナル自作の10モーターグライダーで、とてもよく飛びました。翼端エルロンでスタイルよく気に入った機体でした。しかし、またもや知らないということは怖いもので、翼のかんざしを、あろうことかバルサでやったものだから、調子に乗って宙返りをした途端にバンザイをして地面にめり込みました。
  MKのアストロ20です。この頃はナービスぐらいの演技を始めた頃です。このアストロ20は、当時では珍しくスロットインでとても作りやすく、またバルサ材も品質のよいきれいなバルサを使っていたことを覚えています。刷毛塗りのウレタン塗装でとても素直に飛びました。調子にのって飛ばすと「アチャーッ!」てなことになります。
ガルモデルのグライダーです。ショックコードで上げるのが面倒でエンヤの06を載せ、モーターグライダーで飛ばしました。
  サンデーαとポンコツジローです。ナービスあたりまでは普通に飛ばせるようになった頃です。でもこのサンデーαは着陸の時対面操作に全く不慣れで、逆方向にスティックを打ったがために、ヨシの中に埋没してしまいました。ヨシの中を3日間探し続けましたが、背丈以上にあるヨシの中では何ともならず、最後は諦めました。

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