ベートーベンのミサCdur解説 (最終更新日:2000/5/20)

序文

 ルドヴィッヒ・ファン・べ−トーペンのミサハ長調作品86は、ニコラウス・エステル
ハーズィー公爵に依頼されたものである。1807年9月アイゼンシュタットの宮殿内にあ
る教会で、公爵夫人の名前の日(注 聖名祝日:自分が命名されたと同じ名の聖人の祝日)
を大規模な構成のミサで厳粛に祝うことになっていたからである。
 ヨーゼフ・ハイドンも晩年、エステルハーズィー宮で音楽監督としてそのような依頼を
受けており、1796〜1802年の間に、こういった行事のために6つのミサHobXXUNo.9〜
No.14を作曲した。
 しかし、べ−トーペンへの依頼はそのように長続きはしなかった。ミサハ長調は、同年9月
13日に初演されたが、どうやら不満足な演奏だったようであり、そのことが作品に対する公
爵の評価にマイナスに影響したに違いなかった。公爵はもうそれ以上ベートーベンに依頼
しなかったし、ベートーベン側も名高いパトロンへの献呈をやめ、数年後改めてフェルデ
ィナンド・キンスキー公爵に作品を献呈している。

 ミサ ハ長調がアイゼンシュタットのお祝いのとき、まずまずの演奏であったとしても満
場一致で絶賛されたかどうかは議論の余地がある。彼の作品のコンセプト(中心的な考え)
は、ハイドンの晩年のミサとは明らかに根本的に違っている。そのようなわけで公爵夫妻
の期待には到底及ばなかったのである。全体的にミサハ長調では通常ミサのラテン語の歌
詞が非常に心理的解釈に委ねられていると言えよう。ところが一方、”in excelsis(天に)/et
interra(そして地に)"、"vivos(生けるもの)/mortuos(死すもの)"、"coeli(天)/terra(地)"
の声部の高音と低音での配置は伝統的な原文通りの解釈を思い出させ、そのほかの多くの
パッセージは音楽的に独立して表現的な内容を強めている。おそらく最も著しい例は
GloriaとAgnus Deiにおける広範囲にわたる"Miserere"の部分であろう。ベートーベンはこ
の対話的原則を限られた空間の中で(credoとAgnusDeiの第1小節目の上を参照)鋭い
強弱のコントラストと劇的な(音量の)増大で強調している。掛留(注1)やフガート(注
2)が登場することによって、(ベートーベンの曲に)よく出てくる中間休止の多くを覆い
隠している。フルオーケストラも同じ原則で作られており、このミサは交響曲5番、6番
(田園)と年代的に近い。オーケストラ用に作られたテーマ(主題)とモチーフ(動機)
や(声部での扱いの区別に似ている)、とりわけ特徴的な楽器のグループ用に作られたり
したテーマとモチーフは、声部に入るまでの間が、擬った作りになっている。楽器の音色
の区別に典型的なのは、AgnusDeiにおけるクラリネットの役割である。それでもなお、
全体にわたる形式的なコンセプトは作品全体を通して常に明瞭である。全6楽章にアリア
は含まれず、各々完結している。Credoでのテノールのアリオーゾ(注 レシタティーヴォ
の途中、または終わりに表れる旋律的部分)さえ、たった数小節に限られている。Agnus
Deiの終わりの数小節はKyrieの導入にもどる形式の、創造性に富む手法が取り上げられ
て締めくくられている。ベートーベンの選んだ4つの重要な転調(Kyrieのホ長調、Gloria
のへ短調、Credoの変ホ長調、Sanctusのイ長調)は伝統的な範囲をはるかに越えている。
限られた範囲でのハーモニーの展開は、歌詞の意味を強調するだけでなく、それだけでも
印象的な効果を作りだしている。ハ長調の主音から始まる"Amen"という言葉は、長調と
短調で5度の下降音形を描きながら変卜長調になり、ト長調のffに来て音楽活動を現実
に引き戻す(Gloria314小節ff)。また、リディア旋法(注3)に隠された三全音(「音楽
の悪魔」)(注4)がユニゾンで歌われる"et unam sanctam catholicam"(credo258小節 ff)
の言葉に特色を与えていることを見逃すことはできない。そして最後に、ベートーベン自
身の解釈によって加えられた引用も指摘されるべきである。 Gloriaの最後の部分でベー
トーベンは"Cum Sancto Spiritu"のテーマ(レオノーレ序曲2番、3番のメインのアレグロ
のテ←マ)を展開している。レオノーレ序曲はミサハ長調の少し前に作曲された。
 これは明らかに19世紀の最初の10年間のベートーベンのすべての作品に非常に強い
影響を与えた交響曲的かつ劇的なアイディアが表面的に表れただけのものではない。
 1812年ラィプツィヒでブライトコプフ&ヘルテルによって出版された初版では、ベートーペン
はラテン語の歌詞の下にドイツ語の韻文を添えた。数年後に彼はこのドイツ語の韻文を
さらに変更した。ベートーペンはこの作品について、1808年のブライトコプフ&へルテルへ
の手紙に見られるように高い評価をしている。「私のミサに関して、私は今までほとんどされ
たことがないほどの歌詞の扱い方をしたと感じている。」この陳述は明らかに彼のミサ ハ
長調作品86(ミサ・ソレムニスより10年以上前に書かれた)では、ベートーベンは18世紀の
典型的なミサの典礼形式、つまり公爵夫妻が好んだ普通の形式のものをやめたこと
を示しているし、そしてようやく彼の教会音楽に、彼の中に深く根ざした信仰心や、倫理
的かつ宗教的表現力に富むコンセプトを授けることができたことを表している。

ヴィーズバーデン1986年 春


注1 和音の一部の進行を遅らせると、不協和状態がおこり、やがて安定する。
   この不協和状態を掛留という。

注2 通常フーガは3つ以上の部分から作られているが、フガートはフーガの最初の部
  分、ひとつのみで作られている。

注3  古代ギリシア旋法でドからドの音列。

注4 3個の全音からなる音程。すなわち増4度。グレゴリオ聖歌や初期ポリフオニー
  音楽においては、この音程を含む旋律的進行は、ディアボルス・イン・ムジカ(音楽の悪
  魔という意味)と呼ばれて避けられた。

訳 角崎なつみ


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