以前、放送の研究会に参加し、公開保育を見せていただいたのですが、テレビを見た後は、どのクラスも何か活動をしていました。
毎回視聴後に何か子どもに活動させようと思うと、気が重くなり、視聴すること自体にためらいを感じるのですが・・・。

 

:視聴することへのためらい

  確かに、子どもとテレビを見るだけなら楽しいけれど、その後、子どもの思いをうまくひき出そうとか、
活動をうまく展開しようというところまで形づけようとすると、準備のあたりから大がかりなものになり、気が重くなるのも無理ありません。
 逆に、テレビ視聴を保育に取り入れている人の中でも、思いはいろいろとあるようです。
例えば、「視聴後の活動をしているけれど、子どもたちが、何か作ったりすればよいと思って活動がパターン化していないかと悩んでいる方」、
また、「ため込みを大切にしているから事後活動はあえてしませんと言う方」、
園の方針などもありますから、やり方は幾通りもあっていいと思います。
でも、視聴活動の一番の核のところをここで見直してみましょう。

 

そもそも視聴活動って何?

  短く言えば、視聴活動とは「先生や友だちと一緒にテレビを見て、そこで受けた刺激をそれぞれに感じ取り、
時にはあふれ出る自分の思いを互いに表現し合おうとする行為」なんだと思います。

 

普段の保育とどこがちがう?

例えば砂あそびや散歩、ごっこあそび、食事という日常の中でも、当たり前のように刺激はたくさんあります。
戸外でだんご虫を見つけたとき、わーっと群らがって、「すごーい!」「かわいい」「足が気持ち悪い」と思いを交わし合い、
捕まえようとする子、だんご虫の動きをまねする子、図鑑で調べる子。
絵本や紙芝居でお話にふれ、その世界に入り込んで、夢中になってごっこあそびを繰り広げていく子。
これって、視聴後の子どもたちの姿と同じじゃないでしょうか?

テレビは、子どもを取り巻く環境の中のいろいろな刺激の単なるひとつにすぎないのです。

 

大切にしたいことは・・・

  刺激から受けた思いを安心して出し合える人間関係になっていること。
つまり、保育でもっとも大切な、信頼関係が土台にあること。先生や友だち同士で、「いっしょだね」と認め合い、
違うところに気づき合い、その両方で育ち合える場、さらに試してみようと意欲のもてる場。
集団でなければ出来ない、集団ならではのパワーが発揮される瞬間なのです。

信頼関係の土台がしっかり出来ていれば、視聴などで刺激を受けた後の「事後活動」は本来は子どもが決めるものなのです。
ため込みとして心に残したいのか、誰かに今すぐ伝えたいのか、おのずと子どもたちが動き出します。


保育者に求められるもの

  保育者は、常に感性のかたまりでありたいと思います。刺激がしっかり受けとめられたか、ひとりひとりがどう感じたのか、
同じ思い、違う思い、自信が持てずなかなか表せない思い・・・。
ある時はしっかり受けとめ、ある時は互いの思いを仲介し、共感し合う喜びが持てるようなかかわり方を保育の中でいつでも工夫することです。
自分の思いが誰かと分かち合える経験を積み重ねた子どもは、かならず意欲的になっていきます。
これらのことは、視聴活動でも普段の保育の中でも何ら変わりないものなのです。

方針や方法はいろいろあると思いますが、視聴活動を大切にしていくことで、
普段の保育の難しさや大切さがみえてくるような放送視聴のあり方がよいのではないでしょうか。

迷いや悩みは常に追いかけてきます。でも、醍醐味もその中にあると思います。