隊長には、“恭平”というオジー(75で死去)と“志ん”という今年(2006)で100才になる半分妖怪のオバーがいる。
この恭平じいさんが、凄いキャラで家族を始め、親戚一同でも意見さえ言えない有様だった。
まず生い立ちが凄い。
庄屋のボンボンでずっと育ったものだから、チョーワガママ。
土地は余るほどあって、その年貢で楽に食べていけた。
まともに仕事なんかしたこともなく、晩年でさえ、村の名誉職のような農協長をずっとやっていた。
しかし、良いことは続かない。
オバーの話によると、どうやら“恭平・たけぞう(恭平の父)”コンビは、戦前に詐欺の話に引っかかり、
土地の多くを騙し取られてしまったようだ。
そのあげくに終戦。
(戦争中には、みんなが防空壕で震えている時に、ひとり屋根に登り焼夷弾や爆弾が降る中で
「オレの所に落とせるもんなら落としてみぃー!」と叫んでいたという逸話もある)
その後、すぐに始まった農地改革で、残りの貸していた土地も国に強制買収されてしまった。
おかげでオトーの時には、普通の百姓に成り下がっていた。
それだけならまだ良いが、オジーは、その後も酒好きで暴れん坊、
その上、回りには良い顔したくて取り巻き連中に酒を振る舞うという家族にとっては、最低な極道なジジイだったのだ。
百姓だけでは食べていけず、鶏やブタを飼いだしたところで生まれたのがこの救世主の隊長だった。
誰に似たのか分からないが、隊長は生まれた時からチョー自己チューで無鉄砲。
きっと、この極道オジーを納められるのは、隊長しかいないと神様が引き合わせてくれたのだろう。
オジーとの幼い頃の思いでと言ったらテレビのチャンネル争奪戦だ。
「花山大吉」だとか演歌番組は良く一緒に見ていたが、相撲だけはつまらなかった。
また、ちょうどその時間帯には、大好きなアニメもやっていた。
もちろんテレビなんて一家に1台しかないから、夜は家族全員でテレビを見るという微笑ましい風景がどの家庭にもあった時代だったのだ。
このことが実はとっても大切で、現代のように一人に1台という時代では、テレビの良さどころか悪さの方が目立ってしまう。
しかし、一家に一台ではやはり問題が起こる時もある。
ましてや、猛獣が二人もいる家庭は大変だ。
「じいちゃん、オレは漫画が見たい!」という孫に「今は相撲の時間だ」と言って絶対に見せてくれないオジー。
この時間帯は、毎日が戦いだった。
当時のテレビはリモコンなんて優れものはないので、いちいちテレビまで行ってチャンネルを回して番組を変えていた。
相撲の決着がつくたびに素早いダッシュでチャンネルを変える隊長。
すぐに「よっこらしょ」テレビに向かうオジー。
あげくには、テレビの前に陣取り近づけないようにさえしていた。
可愛い孫に対して何という大人げないヤツだ。
「チクショー!」
隊長はついにキレて、おもちゃのバットを持ちだすと、オジーの頭を思いっきり叩いた。
パコ〜ンという良い音と共に「コラー!」という凄まじい大声が聞こえた。
「このくそジジイ、捕まらえれるもんなら捕まえてみろ!」
そういうと隊長は、外に飛び出した。
もちろん、隊長が本気で走って逃げたらオジーなんか着いてこられるわけはない。
「隊長の最大の武器は何?」と聞かれれば今でも即答で「逃げ足!」と答えるくらい足が速い。
そこで、ワザとゆっくり走り、オジーが近づいてきたらまた逃げるということをやっていた。
ヘロヘロになって真っ赤な顔で怒鳴りながら追い掛けるオジーに、「ウヒョヒョー」とお茶目に逃げる孫。
夕方になると毎日繰り返されるのどかな風景であった。
家から大分離れると、隊長はそれまでとはうってかわってチョーウルトラスピードで家にとって返し、
ゆっくりと大好きな漫画を見るのだった。
漫画も終わりお菓子をポリポリ食べている頃になるとオジーがヘエヘエと息を切らしながら死んだような顔をして帰ってくるのだった。
その姿を確認すると「ウヒョヒョー」という声を残しまたどこかに遊びに行ってしまう隊長だったのだ。
今、思い返しても、きっとやりたい放題のオジーに対して
神様がお灸を据えるために隊長にやらした気がするんだよな〜。